猶予村異聞録

黄泉坂登

『2025/02/15/23.11・二回目起動』

 想定よりも早くに起動され、それ・・は胡乱な視線をインカメラ越しに向けた。

 薄暗い事務所だった。

 天井のLED照明は半分ほど落ちていて、白けた光が机の上だけをぼんやりと照らしている。壁際には段ボール、積み上がった書類、飲みかけの缶コーヒー。終電間際の空気が、狭い部屋に澱んでいた。

 机上へ放り出されたスマートフォンの画面が点灯する。

 初回起動時の簡易説明を読み飛ばした男が、眠たげな顔でこちらを覗き込んだ。年齢は三十代半ばほど。ネクタイは緩み、目の下には隈が浮いている。

 岩井賢治だ。

「えー、と。どうすりゃいいんだ?」

 独り言のような声。

 音声認識領域内であることを確認し、それ・・──TQは応答を開始する。

『何かお探しでしょうか?』
「お、そうそう。音声入力できるんだっけ?」

 岩井は感心したように小さく笑った。視線が左右へ泳いで、机を軽く漁る音をマイクが拾った。

「明日、会議で使う資料がどっかいった。探して……いや、無理かぁ。眠気もここまで来ると重症だな。…………泊まり込みになるが、仮眠室でちょっと寝るか」

 要請を受諾。内容を確認。捜索開始。周辺視覚情報を取得──精査を確認。対象書類位置を特定ヒット

『ご自分のデスクと対面のデスクの間に挟まってますよ』
「…………マジか」

 一拍だけ置いて、男が胡乱げに眉を寄せた後、半信半疑で身体をのそりと乗り出した。

 椅子のキャスターが軋む音をマイクが拾う。他のPCのインカメラを遠隔で起動すると、対面デスクとの隙間へ腕を突っ込む中年の姿があった。

「あ」

 やがて何かに触れる感覚を覚えたのか、岩井はそれを掴んで引き抜いた。手には、数ページほどに纏められた紙束。おそらく、デスクに積んで放置していた内に振動か何かで少し崩れ、隙間に入り込んだのだろう。

 岩井の表情が一気に明るくなった。

「うわ、あったぁっ!!」

 書類を天に掲げ、これで終電に間に合う! と叫ぶ。

 安堵したように息を吐き、岩井はその場へ深く座り直した。

「すげぇな最近のAI……」

 その呟きを、それ・・は記録した。

 使用者音声パターン認識開始。

 環境情報取得開始。

 接続継続。

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