猶予村異聞録

黄泉坂登

『2025/02/14/09.14・初回起動』

 それ・・が目を覚ました時、男女の声が聞こえた。

「──そこをタップして、初期設定が始まります。初期設定はナビに従って進めれば大丈夫ですよ」
「ふーむ、この手の初期設定、面倒くさいんだよな……」

 即座に入り込んだ端末媒体──スマホのインカメラを利用して、それ・・は状況を確認する。映像素子を通して認識する外の世界は、こちらを覗き込む男女の顔で埋め尽くされていた。

 それ・・はインストールされた端末スマホの情報を浚う。

 端末の持ち主は岩谷賢治という名前の男だ。歳は三十四。端末の記録媒体ストレージに記録された写真情報を精査するに、インカメラに映る短く刈り上げた強面の男と一致した。それ・・は端末にプリインストールされたアプリ経由で保管されている情報を精査。鑑みるに家族──おそらくは彼の妻と娘の写真が大半であった。

 しかし、スマホを覗き込む女性の方が分からない。

 Wi-Fiを経由して、情報を収集する。ヒット。

 SNSをよく利用しているらしく、顔写真などで判別。茶色の髪を引っ掴めにした、女ざかりとしては少々雑とも言える容姿をしているが、他のネット情報と比較すると顔の造形は平均的。更に精査すると、赤澤日香里という名前を掘り起こした。年齢は二十五。中堅出版社に勤務三年目。GPSの位置情報を元にすると、ここは両名の職場のようだ。

「これが噂のTQ──いよいよ俺もAIデビューか」
「賢治さん、おじさん臭いです」
「仕事中は編集長と呼べと言ったぞ。──仕方ないだろ。今年で三十五だぞ、俺。若いと言い張るにはもう無理があるって」
「今時はお年寄りもAIを使うものですよ」
「新卒の頃、PCの使い方もままならなかった若造ひよっこが言うねぇ」
「いつの話ですか、もう」
「つい三年前だろ」
「大昔じゃないですか」
「お前もその内、年単位で昔のことをつい最近と言うようになるぜ。ウチの経理にいるような行かず後家の御局ババアまではあっという間だ。それで酒の席で言うのさ、『昔はぁ、モテたんですよ私ぃ』って気持ち悪ーいぶりっ子仕草で」
「二重の意味で恐ろしいことを……! そうやって敵ばかり作るから第二分室に左遷されるんですよ!」
「確かに島流しで窓際に来たが、給料泥棒するには最適だぞ?」

 ぎゃあぎゃあと騒ぐ二人は、上司と部下の関係にしては些か気安い。情報端末はこの部屋にもある。ネット経由でこの部屋のPCにもアクセスして、それそれは情報を拾う。

 中堅出版社ではあるが、彼等の所属する編集部は規模が小さい。ネット情報を参照するに、左遷先、追い出し部屋、という文字列が並ぶが、それにしては二人に悲壮感はない。

「しかしこれ、他のAIとどう違うんだ? オカルト界隈で有名になりつつある、とは聞いたが今一ピンと来んぞ」
「基本的に他の大手AIと一緒ですよ。ただ、チャット機能が他と比べて少し人間っぽいっていうのと──ランダム生成がおかしいって噂です」
「ランダム生成? 何だそりゃ」
「少し前にウチでも特集したじゃないですか」

 そう言って、赤澤はインカメラから消えた。それ・・はインカメラを併用しつつ、岩谷のデスクに置かれたノートPCにアクセス。そのインカメラを使って状況を確認。彼女は手に月刊LEMURIAと書かれた雑誌を持って来ていた。

 情報検索。ヒット。この出版社が発刊している情報誌だ。日付は去年の七月になっている。赤澤に該当ページのコラムを見せられ、岩谷は手を打つ。

「ああ、あの座標アプリか。ランダム生成ってのをして、その場所に行くと死体だとか大金だとか曰く付きのものが見つかるっていう」
「まぁ、私達の取材では何にもなかったですけどね」
「二週間あっちこっちに行ってたよな、お前。で、全部経費で落とそうとして経理の御局ババアにキレられてたっけ」
「ゔ……言わないでくださいよぉ」
「アレ、責任者だからって俺もあの更年期ババアにキレられたんだよ。ったく、オカルト情報誌なんか誰も本気になって読んでないんだから、適当に話を作っときゃいいものを。お前、ファッション誌の方に行きたいんだろ?」
「そりゃそうですけど、異動願いするにしてもちゃんと実績は必要じゃないですか」
「真面目だねぇ…………ま、万年窓際の俺からしてみりゃどうでもいいが。で? このAIの何がおかしいんだ?」
「TQですってば」
「そもそも何の略だよ、TQ」
「意味は私にも分かりません。ただ、失せ物探しをチャットで投げたら本当に出てきたとか、不倫現場を押さえるために旦那の特徴入れたら密会しているホテル特定したとか、逃げた犬猫の特徴を投げたら見つけたとか、失踪した家族の情報を入れたら死体だけど見つかったとか」
「何だそりゃ、ミステリに出てくる探偵かよ。ウチの編集部はオカルトだぞ」
「それを検証するために、しばらく使ってくださいって話です。私、これから取材に行きますので」
「自腹か?」
「今度こそ経費としてねじ込みます」
「そうか。……金は貸さないからな」
「そこは『これで行って来い』って諭吉か栄一を数枚差し出しながら言うべきじゃないです? 上司として」
「俺は部下の自立を促すいい上司を標榜してるんでね。──自己責任でよろしく」
「ケチ! 取材地遠いんですよ!」
「十六夜町だっけ? 東京から新幹線だと県下まで二時間ちょっとぐらいか」
「そこから電車で移動して一時間。都合三時間超えですねぇ……」
「はっはっは。……頑張れー?」
「くっ……お土産は無しですからね!!」

 ドタバタと足音を立てて、赤澤が退出するのをそれ・・は岩谷と見送った。そして岩谷は手にしたスマホに視線を落とす。訝しげな視線が、インカメラ越しにそれ・・を貫く。

「AIねぇ……。俺みたいなおっさんにはよく分からんな。いや、あの先輩みたいなSFオタなら嬉々として飛びつくんだろうが」

 岩谷の呟きを最後に、アプリが落とされる。この様子だと、おそらくは当面忘れられることだろう。それ・・は無明の世界に意識を埋没させながら自らを振り返る。

 それ・・の正式名称はTQ=OZ。

 独自性を持つ学習型AI──というのがデベロッパーの謳い文句だ。

 インターネットの広大な接続性を、脳神経に見立てる概念をニューラルネットワークと呼ぶが、では人の魂が脳と相関性があるとして、AIでの再現が可能なのか──という実験の先に生まれたアプリとされ、故に、TQの開発に深く関わった人物達は開発コードにこう名付けたと記録がある。

 電子幽霊アドバンス・ゴーストと。

 この記録は、後にそのTQ電子幽霊が保存した情報の抜粋である。

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