熊男とウサギ令嬢
第2話 うさぎの憂鬱
「ああ、また剣道部! 今回も全国優勝ですって。わたくし、どうも剣道って苦手で。防具が汗臭いでしょう?」
「わかりますわ。小さいころ兄と一緒にやりましたけれど、どうも暑いし痛いしで。わたしは音楽のほうがいいですわ」
神崎さんは剣道部の副主将で、部の中でも実力者。
男子からは人気があるけれど、そのいかつい雰囲気のせいで、女子にはもっぱら「怖い人」と思われている。
けれど、わたしは知っている。
神崎さんが怖いと言われるのは、黙っていると眉がきゅっと寄るからで
――あれはたぶん、考えごとをしている顔だ。
わたし――花守紗(はなもり・すず)が近くを通るときだけ、少し息を止めるのも、知っている。
気のせいかもしれないけれど、わたしも通りがけに、きゅっと息が止まる。
(だって、神崎さんがそばにいるんだもん)
帝光学園では、噂が空調みたいに流れていく。
プレジールの政界ネタ、生徒会の王子様の視線の先。
わたしはうさぎみたいに目立つ色じゃないのに、神崎さんの近くに行くと体温が一度上がる。
ただそれだけ――のはず、なのに。
「花守さん、また震えてる。あの人苦手でしょ?」
「……震えてないよ。ちょっと息継ぎが、いや、うん、迷ってるだけ」
笑ってごまかす。ほんとは、こわくない。
近い距離の彼は、竹のにおいがする。
剣道の、清潔な匂い。
(みんな汗臭いっていうけれど、神崎さんはそんなことないからね)
わたしは、ため息をつく。
(もっと神崎さんに近づきたいのに……わたしのほうが距離を置かれてないかな……)
思い返すのは数週間前の、体育祭の係のこと。
神崎さんの係に一緒になりたくて、どうにか同じ係を獲得し、放課後に一緒に作業をすることになった。
配るためのビラを束ねていると、輪ゴムが切れた。
「いた!」
「大丈夫か……」
指先が、わたしの手の甲に触れた
――その瞬間、彼の呼吸が一拍だけ途切れた。
顔を上げると、心配そうな表情。
彫りの深い、凛々しい眉。
放課後の夕日が窓から差し込み、その精悍な顔つきをさらに際立たせる。
(かっこいい……)
「ありがとう」
「……どういたしまして」
わたしは内心大暴れの独り言を飲み込みつつ、何事もないふりで、にこっと愛嬌のある笑いで答える。
低い声。
目は合わない。
けれど耳の先が、少し赤い。
(神崎さん、かわいい……)
そしてその次の放課後。
図書館の掲示板に新しいポスターを貼る。
脚立は使わず、背伸び。
「危ない!」
そのまま腰を抱えられ、転びそうになったわたしを支えてくれる。
身長差があり、まるで熊に捕まったうさぎだ。
襲われているのでは、と思われそうなくらい、完全に抱きかかえられている。
「大丈夫です」
そう言ってしまうのは癖だ。
大丈夫じゃないって言えたら、楽なのに。
そのまま手を離してくれたけれど、わたしは内心うれしくて、スキップしたくなった。
(久しぶりに神崎さんに近づいた!)
屈託なくにこっと笑うと、神崎さんはまた目をそらす。
「ああ」とだけ言って、その場を離れていく。
その後ろ姿を見て、わたしはジャンプしたくなるのを必死に耐えた。
――でも、それだけでは済まなかった。
翌日、噂はもう出来上がっていた。
「神崎が花守さんを睨む」
「無理やり抱きかかえて泣きそうだった」
みたいな、ふわふわした言葉の泡。
わたしはうまく否定できない。
うさぎは、走るよりも隠れるのが得意だ。
(神崎さんは、わたしのためにかばってくれただけなのに……なんでだろう)
「わかりますわ。小さいころ兄と一緒にやりましたけれど、どうも暑いし痛いしで。わたしは音楽のほうがいいですわ」
神崎さんは剣道部の副主将で、部の中でも実力者。
男子からは人気があるけれど、そのいかつい雰囲気のせいで、女子にはもっぱら「怖い人」と思われている。
けれど、わたしは知っている。
神崎さんが怖いと言われるのは、黙っていると眉がきゅっと寄るからで
――あれはたぶん、考えごとをしている顔だ。
わたし――花守紗(はなもり・すず)が近くを通るときだけ、少し息を止めるのも、知っている。
気のせいかもしれないけれど、わたしも通りがけに、きゅっと息が止まる。
(だって、神崎さんがそばにいるんだもん)
帝光学園では、噂が空調みたいに流れていく。
プレジールの政界ネタ、生徒会の王子様の視線の先。
わたしはうさぎみたいに目立つ色じゃないのに、神崎さんの近くに行くと体温が一度上がる。
ただそれだけ――のはず、なのに。
「花守さん、また震えてる。あの人苦手でしょ?」
「……震えてないよ。ちょっと息継ぎが、いや、うん、迷ってるだけ」
笑ってごまかす。ほんとは、こわくない。
近い距離の彼は、竹のにおいがする。
剣道の、清潔な匂い。
(みんな汗臭いっていうけれど、神崎さんはそんなことないからね)
わたしは、ため息をつく。
(もっと神崎さんに近づきたいのに……わたしのほうが距離を置かれてないかな……)
思い返すのは数週間前の、体育祭の係のこと。
神崎さんの係に一緒になりたくて、どうにか同じ係を獲得し、放課後に一緒に作業をすることになった。
配るためのビラを束ねていると、輪ゴムが切れた。
「いた!」
「大丈夫か……」
指先が、わたしの手の甲に触れた
――その瞬間、彼の呼吸が一拍だけ途切れた。
顔を上げると、心配そうな表情。
彫りの深い、凛々しい眉。
放課後の夕日が窓から差し込み、その精悍な顔つきをさらに際立たせる。
(かっこいい……)
「ありがとう」
「……どういたしまして」
わたしは内心大暴れの独り言を飲み込みつつ、何事もないふりで、にこっと愛嬌のある笑いで答える。
低い声。
目は合わない。
けれど耳の先が、少し赤い。
(神崎さん、かわいい……)
そしてその次の放課後。
図書館の掲示板に新しいポスターを貼る。
脚立は使わず、背伸び。
「危ない!」
そのまま腰を抱えられ、転びそうになったわたしを支えてくれる。
身長差があり、まるで熊に捕まったうさぎだ。
襲われているのでは、と思われそうなくらい、完全に抱きかかえられている。
「大丈夫です」
そう言ってしまうのは癖だ。
大丈夫じゃないって言えたら、楽なのに。
そのまま手を離してくれたけれど、わたしは内心うれしくて、スキップしたくなった。
(久しぶりに神崎さんに近づいた!)
屈託なくにこっと笑うと、神崎さんはまた目をそらす。
「ああ」とだけ言って、その場を離れていく。
その後ろ姿を見て、わたしはジャンプしたくなるのを必死に耐えた。
――でも、それだけでは済まなかった。
翌日、噂はもう出来上がっていた。
「神崎が花守さんを睨む」
「無理やり抱きかかえて泣きそうだった」
みたいな、ふわふわした言葉の泡。
わたしはうまく否定できない。
うさぎは、走るよりも隠れるのが得意だ。
(神崎さんは、わたしのためにかばってくれただけなのに……なんでだろう)
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