【実録】ある地方都市で囁かれる「顔のない隣人」に関する取材ノート

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第8話 File.08:編集後記・取材者に関する捜索願について

【読者の皆様へ】

本連載「【実録】ある地方都市で囁かれる『顔のない隣人』に関する取材ノート」をご愛読いただき、誠にありがとうございます。
担当編集者のKと申します。

突然のお知らせとなりますが、本作品は前回の第7話をもって、未完のまま連載を終了とさせていただきます。
本来であれば、第8話では取材者による総括と、一連の現象に対する考察が掲載される予定でした。
しかし、著者の「私」(以下、ライター氏と表記します)と現在連絡が取れない状態が続いており、これ以上の原稿執筆および掲載が不可能であると判断いたしました。

読者の皆様には多大なるご心配とご迷惑をおかけしますことを、深くお詫び申し上げます。
本稿では、連載終了の経緯と、ライター氏の行方、そして私が独自に行った事後調査の結果について、可能な範囲でご報告させていただきます。

なお、これから記す内容は、警察に提出した捜索願および事情聴取の内容と一部重複しますが、事件性は確認されず、あくまで「失踪」として処理されていることを申し添えておきます。

***

1.ライター氏との連絡途絶について

ライター氏との最後の接触は、202X年6月6日の早朝でした。
私の業務用メールアドレスに、件名のない一通のメールが届きました。
添付ファイルとして、第7話として掲載したテキストデータ(draft_0605.txt)と、2つの音声ファイル(REC_008_304.wav、REC_009_Home.wav)が送信されてきました。

通常、彼は納品時に必ず挨拶文や、次回の構想などを添える几帳面な性格でした。
しかし、この時のメールには本文がなく、ただ添付ファイルのみが送られてきたのです。
不審に思った私は、すぐに彼の携帯電話に連絡を入れましたが、応答はありませんでした。
その後、数日間にわたり電話やメール、メッセージアプリでの連絡を試みましたが、すべて無視されるか、既読がつかない状態が続きました。

6月10日、私は彼の安否を確認するため、彼が住む都内のアパートを訪ねました。
管理会社に事情を話し、警察立ち会いのもとで鍵を開けてもらいました。

部屋の中は、奇妙なほど片付いていました。
争った形跡や、荒らされた様子は一切ありません。
財布、携帯電話、身分証明書などは、デスクの上に綺麗に並べられていました。
パソコンも起動したままで、画面には真っ白なワードのファイルが表示されていました。カーソルだけが、点滅を続けていました。

ただ、異様な点が二つありました。

一つは、部屋中の鏡という鏡が、すべて布で覆われていたことです。
洗面台の鏡、姿見、窓ガラスに至るまで、黒い布や新聞紙がガムテープで目張りされていました。
そしてもう一つは、部屋の床のあちこちに、乾燥した茶色い土のような粉末が散乱していたことです。
警察の鑑識によると、それは関東ローム層に含まれる一般的な土壌成分であり、事件性を裏付けるものではないとのことでした。
しかし、彼のアパートは3階にあり、土足で上がる習慣もありません。あれだけの量の土が、どこから持ち込まれたのかは不明のままです。

そして、肝心のライター氏本人の姿は、どこにもありませんでした。
部屋の鍵は施錠されており、窓もロックされていました。
完全な密室からの消失です。

警察は「特異行方不明者」として捜索願を受理しましたが、現時点で有力な手がかりは見つかっていません。

***

2.K市営団地への現地調査報告

ライター氏が消えた原因を探るため、私は彼が取材していたK市の現場へ向かいました。
彼が残した原稿の内容が事実であれば、そこには何らかの犯罪、あるいは危険な現象が潜んでいるはずだからです。

6月15日、私はカメラマンを同行させ、K市営団地を訪れました。
当日は晴天で、梅雨の晴れ間が広がっていました。
団地は、どこにでもある古びた公営住宅の佇まいでした。
ベランダには布団が干され、公園では子供たちが遊び、敷地内のスーパーには買い物客が出入りしていました。
ライター氏の原稿にあったような、陰鬱で湿っぽい雰囲気は微塵も感じられませんでした。

私は、原稿に出てくる主要な場所や人物について、一つずつ確認を行いました。
その結果は、私を混乱させるものでした。

【304号室について】
物語の核となる「304号室」。
ライター氏はここを「長年空室であり、怪現象の中心地」として描いていました。
しかし、実際に4号棟の304号室を訪ねると、そこには70代の老夫婦が住んでいました。
表札には「佐藤」という名前があり、年季が入っていました。
インターホンを鳴らして話を聞くと、彼らはこの団地ができた40年前からずっとここに住んでいるとのことでした。
「空室だった時期など一度もないし、変な苦情を受けたこともない」
老婦人は怪訝そうな顔でそう答えました。
部屋の中を見せてもらうことはできませんでしたが、玄関の隙間から見えた室内は、生活感に溢れ、ごく普通の家庭そのものでした。
壁を叩く音や、奇妙な話し声など、一切聞こえませんでした。

【依頼人・T氏(306号室)について】
第1話でライター氏にメールを送ってきた依頼人、T氏。
彼が住んでいたとされる306号室を訪ねましたが、そこには30代の単身男性が住んでいました。
T氏の特徴(40代半ば、工場勤務)とは一致しません。
現在の住人は入居して2年目で、T氏という人物については「聞いたこともない」と答えました。
また、管理事務所で過去の入居者記録を確認させてもらいましたが、過去10年間にわたり、306号室に「T」というイニシャルの人物が住んでいた記録はありませんでした。

【公園の老人たちについて】
第2話で登場した、K中央公園の老人たち。
私は藤棚の下で将棋を指している老人グループを見つけ、話しかけました。
しかし、彼らの反応は冷淡でした。
「ライター? 知らねえな」
「狐の話? そんなもん、子供の頃のお伽話だろ。ここでそんな話をした覚えはないよ」
S氏と思われる白髪の老人もいましたが、彼は私を見ても何の反応も示しませんでした。
彼らは認知症の気配もなく、明瞭に受け答えをしてくれましたが、ライター氏と会ったこと自体を完全に否定しました。
「そもそも、先月はずっと雨だったから、将棋なんてしてねえよ」
そう言われて、私は言葉を失いました。

【コインランドリー「ひまわり」について】
第3話で登場したコインランドリー。
団地の中央広場に面した場所に、確かにコインランドリーはありました。
しかし、店名は「ひまわり」ではなく「ホワイト急便」の併設ランドリーでした。
店内は明るく清潔で、最新式の洗濯機が並んでいました。
カビの臭いなどしません。
「交流ノート」を探しましたが、どこにも置かれていませんでした。
店番の女性に聞くと、「うちはノートなんて置いてませんよ。トラブルのもとになりますから」と笑われました。
深夜の利用状況についても、「防犯カメラがありますし、変な人がいたらすぐ警備会社が飛んできますよ」とのことでした。

すべての証言、すべての痕跡が、ライター氏の記述と食い違っていました。
まるで、彼が見ていた世界と、私が今見ている世界が、似て非なるパラレルワールドであるかのように。

***

3.残された謎と仮説

調査を終えて東京に戻った私は、深い徒労感に襲われました。
ライター氏は嘘をついていたのでしょうか?
すべては彼の創作で、精神的な不調が生み出した妄想だったのでしょうか?

常識的に考えれば、それが最も妥当な結論です。
彼は仕事のストレスから解離性障害のような状態に陥り、架空の都市伝説を作り上げ、その世界に没入してしまった。そして最終的に、自らの妄想に耐えきれず失踪した。
警察もその線で捜査を進めているようです。

しかし、どうしても拭えない違和感が残ります。

彼のアパートに残されていたICレコーダー。
そこに記録されていた音声データ(REC_008_304.wav)を、専門の音響研究所に持ち込んで解析してもらいました。
すると、不可解な結果が出ました。

音声に含まれる環境音、特に「雨音」の周波数が、自然界の雨音とは微妙に異なるというのです。
通常、雨音はランダムなノイズですが、そのデータの雨音には、極めて高速で繰り返される一定のパターンが含まれていました。
解析担当者はこう言いました。
「これは、雨の音を模倣して作られた人工的なノイズです。あるいは、何億匹という微小な生物が一斉に蠢く音にも似ています」

また、ライター氏のパソコンのブラウザ履歴を解析したところ、彼が「民俗学徒」Bさんと会う約束を取り付けた形跡はありませんでした。
SNSのダイレクトメッセージの履歴も、すべて消去されていました。
いや、消去されたというより、「最初から存在しなかった」かのように、サーバー上のログすら見当たらないのです。

私がK市の団地で感じた「あまりにも普通の日常」。
それは、本当に「普通」だったのでしょうか?
304号室の老夫婦の笑顔。
公園の老人たちの無関心。
コインランドリーの清潔さ。

すべてが、完璧すぎたようにも思えるのです。
綻びがなさすぎる。まるで、舞台セットのように。
「違和感がないこと」自体が、最大の違和感ではないでしょうか。

S老人が語ったとされる言葉を思い出します。
『器の数には限りがある。新しい水が入ってくりゃ、古い水は押し出される』

もし、ライター氏の取材によって、この団地の「異物」が暴かれそうになったとしたら。
彼らはどうするでしょうか?
異物を排除するだけでは足りません。
「異物が存在したという事実」そのものを塗り替える必要があります。

ライター氏の記録、T氏の存在、304号室の過去。
それらすべてを「なかったこと」にするために、現実そのものがアップデートされたのだとしたら。
私が訪れたK市は、バグ修正パッチが適用された後の、バージョンアップされた世界だったのかもしれません。

そして、修正パッチによって消去されたデータ(=ライター氏)は、どこへ行ったのでしょうか。

***

4.最後に

この原稿を書いている今、私の身の回りでも奇妙なことが起き始めています。

昨日、妻がスーパーで買ってきたリンゴを剥いてくれました。
妻は右利きです。いつも右手で包丁を持ちます。
でも昨日は、左手で包丁を握り、器用に皮を剥いていました。
私が「左手でも使えるんだね」と聞くと、彼女は手を止めて、ゆっくりと振り返り、満面の笑みでこう言いました。
「練習したのよ」

……ただの練習ならいいのです。
ただの気まぐれならいいのです。

でも、彼女が剥いたリンゴの皮が、途切れることなく一本に繋がっていて、それがまるで「人の顔の輪郭」のように見えた時、私は背筋が凍る思いがしました。
そして、彼女の足音が、以前よりも少しだけ湿っぽい音に変わっていることに気づいてしまいました。
ペタ、ペタ、と。

私は、妻のことに気づかないふりをしています。
第1話でT氏が言っていたように、第8話の構成案にあったように。
「決して指摘してはいけない」。
指摘すれば、私も「修正」の対象になるかもしれないからです。

読者の皆様。
この物語はフィクションです。
そう思ってください。
K市などという場所は存在しませんし、顔のない隣人もいません。
ライター氏はただ失踪しただけで、都市伝説などありません。

ですが、もしあなたの隣人が、明日急に優しくなっていたら。
いつもと違う手で箸を持っていたら。
深夜にコインランドリーで、空の洗濯機を見つめていたら。

どうか、目を合わせないでください。
そして、決して名前を呼ばないでください。

彼らは、まだ「なじんでいない」だけなのです。
そっとしておいてあげれば、いずれ完璧な隣人になります。
あなたと見分けがつかないくらい、完璧な人間に。

あるいは、もう既に。
この文章を読んでいるあなたが、以前のあなたと同じであるという保証は、どこにあるのでしょうか?
今、鏡を見てみてください。
そこに映っているのは、本当にあなたですか?

それとも、あなたの皮を被った、泥まみれの誰かですか?

(「【実録】ある地方都市で囁かれる『顔のない隣人』に関する取材ノート」 終了)

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