今日からあなたが造物主です
最終話 そして なに も なくなった
「せんせぇ」
後ろから声がした。
私ははじかれたように後ろを振り返る。
ミールが立っていた。
「なっ……」
言葉がでなかった。
消えたはずだ。
消したはずだ。
どうしてミールがここにいるんだ!?
「ひどいじゃないですか。ボク、先生とマヤさんの間の子供として生まれてくる予定だったのに。マヤさんがいなくなったら、ボク出番なくなっちゃいますよ。せっかく先生と再会できると思って楽しみにしてたんですよ?」
なんだ。
この子は何を言っているんだ。
本当にこの子はミールなのか?
私は正気なのか?
「だから、イレギュラーってことで未来から出てきちゃいました。先生、もう一度マヤさんを出してくれませんか? マヤさんじゃなくてもいいけど、このままじゃボク先生と会えないままだもん。ボクを出産した後なら、殺しちゃっても構わないですから」
ミールはこともなげに、私の中の記憶のままの可愛いらしい笑顔で言った。
その口ぶりは夕食の献立を相談するかのような、なんら深刻さを感じさせない日常のそれと同じだった。
「あ、なんだったらボクが奥さんでもいいですよ? あ、でも男の体だとダメか。体は女の子にして……待てよ。前の世界で先生、ボクのこと可愛いって思ってたでしょ? 嬉しいなぁ。先生さえ良かったら、ボクは男のままでもいいですよ? あ、でもそれだと子供ができないのか」
私は叫んだ。
ミールが死んだ時とは違う。絶望と後悔による叫びではない。
恐怖と、それまでの自分を全て見られていた恥辱に耐えられない、それを誤魔化すための叫びだ。
そしてミールが死んだ時と同じようにページを破り捨ててしまった。
ミールは、ミールに見えていたなにかは塵のように崩れ、床に散らばり、消えた。
また、消した。
私は二度も禁忌を犯した。
突然、扉を強く叩く音がした。
誰かが雨の中、扉を叩いている。
……待て、おかしい。
ページを破り捨てたのに、なぜ元の灰色の世界に戻らない。
なぜ扉がある。
なぜ小屋がある。
なぜまだ世界は消えていないのだ。
「おーい、俺だよ。行商人だよ」
扉を開けて、行商人のおじさんが入ってきた。
「おいおい、どうしたっていうんだよ。奥さんと、未来の息子まで消してしまうなんて」
おじさんは小屋の中を見まわして言った。
「俺の名前だってまだ出てないってのに、あんまりじゃないか。もうこの世界、終わらせるのかい? あんたも今度ばかりは気に入ってて不満はなかったってのに。どうしたって言うんだい?」
私は後ずさりした。
「な、なぜ……どうして……どうしてあんたも知ってるんだ。あんたは、いやあんたらは一体……!?」
「ん? 俺かい? よくぞ聞いてくれました! 俺はアオイって言うんだ! いやぁやっと名乗れたね。まぁ、以前と同じ名前なんだが。特に新しい名前が思いつかなくてね」
アオイ?
どこかで聞いたような気がする。
「ほら、俺だよ。ライバルとしてあんたと結構した。まぁ今回はずいぶんおっさんになっちまったがな!」
アオイと名乗ったおじさんはガハハと豪快に笑った。
そうだ。この顔、見覚えがある……!
「それにしても参ったな。あんたの息子さん、うちの娘と結婚するはずの予定はどうなるんだい?」
私は全てを理解しつつあった。
確かにマヤとの間に生まれた息子は、行商人の娘と結婚させたいとうっすら考えてはいた。だがそれは誰にも話していない、私の頭の中だけで思い描いていた話なのだ!
扉から、さらに男が灰ってきた。盗賊のように無骨でむさくるしい見た目だ。
「なぁ、スローライフが飽きた時のために俺達の襲撃から国を起こす大河ロマンものへの分岐、あれはどうなるんだ?」
と言ってきた。
その顔はかつて私がフルートと呼んだ男のそれと同じだった。
次は飼い犬が入ってきて、当たり前のように人語を話し出した。
「なあ、アヤの気持ちも考えてやれよ。お前なら作家志望ってことで一緒に面白い話を作ってくれるって期待したんだぜ? 俺の出番は、まぁ犬でもいいけどさ」
いつの間にか犬の顔はケイくんのものになっていた。
次に羊が、鶏が、かつて私が登場させた皇帝やギルドの職員の顔で話しかけてきた。
ついには畑の野菜にタブルの顔が浮かび、自分の出番はもうないのかと抗議の声をあげはじめた。
私は笑った。
なんてことだ。
私のしていたことは皆が知っていたのだ。
私の考えは最初から最後まで全て皆に、この世界に見透かされていたのだ!
ここは舞台だ。
私という道化を眺めるために用意された大がかりな芝居小屋の舞台だったのだ。
私は狂ったように笑い、全てのページを破り捨てた。
アオイが、フルートが、ケイくんが、タブルが、いつの間にやらいたアヤちゃんがマヤがミールが口々に私に言いながら消えていく。
もう誰が誰なのか、何を言っているのか区別はつかない。全てが混ざりあい、ドロドロのアメーバ状になって溶けていく。
「ボク、次は先生と恋人役がいいな」
「あなた、私はどんな役でもいいわよ」
「もうこの世界も終わりか。残念だな」
「次はもっといい役にしてくれよ」
◇ ◇ ◇
もう次はない。
これを読んでいる君が作家志望かどうかは分からないが、そうでないことを望む。
これまで書き留めてきたことが私の体験した全てだ。
二度と奴ら(そう呼ぶのが適当かどうかすら分からないのだが)が形をなさないよう、何度も書き直した。
今、この世界には何もない。ただ灰色の虚無が広がるだけの空間。君と、今読んでいるこのノート以外には何もない。私がそうなるよう描いたからだ。
本当はこのノートも消し去りたかった。何度もノートが消えるよう書いたがそれだけはかなわなかった。
だからこそ、今君はこのノートを読んでいるのだろう。
これまでの出来事がこのノートの力か、そもそもこの世界がそういうものなのか、あるいは私が転生の際に授かったチート能力によるものなのかは分からない。
だがこれだけは理解して欲しい。
転生した自分にだけ都合の良い世界などありはしないのだ。
いや、もしかしたらあるのかもしれないが、少なくともこの世界はそうでなかった。
奴らは私の作り上げた理想の、そして他者から見れば自分勝手で醜く歪んだ欲望の世界の全てを知り、覚えていた。まだノートに書いてすらない先の展開まで知っていた。
全て知られていた。
全て見られていたのだ。
まるで他人の日記を読み漁るかのように!
私が自分で作り上げた英雄譚に酔いしれている姿も、美しい女性と床をともにしていた姿も全て!
この世界は私の思い描いた通りになっていたわけではない。
この世界は私が思い描いた通りに“演じていた”だけなのだ。
私はもう限界だ。
元の世界に帰れるようノートに書いたが、元の世界とそっくりな“奴ら”が現れただけだった。
父も、母も、友人も、何もかもがそっくりで、決定的に異なる別物だった。
私はもうこの世界を終わらせることにした。私もろとも。全てを消し、何も存在しない虚無の世界を描いた。そこにはもう何も、誰も、私さえも存在しないはずだ。
これを読んでいる君へ。
このおぞましいノートがもし残っていて、この文章を貴方が読んでいるとしても、決してこのノートを使ってはいけない。
こんな虚無に転生してしまったことを気の毒に思うが、少なくとも貴方は正気のままでいられるだろう。
奴らはこの虚無の世界のどこかで、君がノートに“世界”を描き、自分たちを出演させる機会を今もじっと伺っている。
もう一度言おう。
君が作家志望でないことを祈る。都合の良い異世界など存在しないのだ。いや、存在するかもしれないが、残念ながら君が訪れた世界はそうではない。この世界はこのまま、何もないまま、奴らを封じ続けておくべきなのだ。
もし貴方がこの現実を受け入れられないというのなら、一つだけ逃れる術がある。
先ほどノートを使うべきではないと書いたが、ただ一つだけ例外がある。
ノートに貴方の名前を書き、その後にこう書き加えるのだ。私が今からそうするように。
消えて、何もなくなった、と。
さようなら。
は 消えて 何も なくなった
後ろから声がした。
私ははじかれたように後ろを振り返る。
ミールが立っていた。
「なっ……」
言葉がでなかった。
消えたはずだ。
消したはずだ。
どうしてミールがここにいるんだ!?
「ひどいじゃないですか。ボク、先生とマヤさんの間の子供として生まれてくる予定だったのに。マヤさんがいなくなったら、ボク出番なくなっちゃいますよ。せっかく先生と再会できると思って楽しみにしてたんですよ?」
なんだ。
この子は何を言っているんだ。
本当にこの子はミールなのか?
私は正気なのか?
「だから、イレギュラーってことで未来から出てきちゃいました。先生、もう一度マヤさんを出してくれませんか? マヤさんじゃなくてもいいけど、このままじゃボク先生と会えないままだもん。ボクを出産した後なら、殺しちゃっても構わないですから」
ミールはこともなげに、私の中の記憶のままの可愛いらしい笑顔で言った。
その口ぶりは夕食の献立を相談するかのような、なんら深刻さを感じさせない日常のそれと同じだった。
「あ、なんだったらボクが奥さんでもいいですよ? あ、でも男の体だとダメか。体は女の子にして……待てよ。前の世界で先生、ボクのこと可愛いって思ってたでしょ? 嬉しいなぁ。先生さえ良かったら、ボクは男のままでもいいですよ? あ、でもそれだと子供ができないのか」
私は叫んだ。
ミールが死んだ時とは違う。絶望と後悔による叫びではない。
恐怖と、それまでの自分を全て見られていた恥辱に耐えられない、それを誤魔化すための叫びだ。
そしてミールが死んだ時と同じようにページを破り捨ててしまった。
ミールは、ミールに見えていたなにかは塵のように崩れ、床に散らばり、消えた。
また、消した。
私は二度も禁忌を犯した。
突然、扉を強く叩く音がした。
誰かが雨の中、扉を叩いている。
……待て、おかしい。
ページを破り捨てたのに、なぜ元の灰色の世界に戻らない。
なぜ扉がある。
なぜ小屋がある。
なぜまだ世界は消えていないのだ。
「おーい、俺だよ。行商人だよ」
扉を開けて、行商人のおじさんが入ってきた。
「おいおい、どうしたっていうんだよ。奥さんと、未来の息子まで消してしまうなんて」
おじさんは小屋の中を見まわして言った。
「俺の名前だってまだ出てないってのに、あんまりじゃないか。もうこの世界、終わらせるのかい? あんたも今度ばかりは気に入ってて不満はなかったってのに。どうしたって言うんだい?」
私は後ずさりした。
「な、なぜ……どうして……どうしてあんたも知ってるんだ。あんたは、いやあんたらは一体……!?」
「ん? 俺かい? よくぞ聞いてくれました! 俺はアオイって言うんだ! いやぁやっと名乗れたね。まぁ、以前と同じ名前なんだが。特に新しい名前が思いつかなくてね」
アオイ?
どこかで聞いたような気がする。
「ほら、俺だよ。ライバルとしてあんたと結構した。まぁ今回はずいぶんおっさんになっちまったがな!」
アオイと名乗ったおじさんはガハハと豪快に笑った。
そうだ。この顔、見覚えがある……!
「それにしても参ったな。あんたの息子さん、うちの娘と結婚するはずの予定はどうなるんだい?」
私は全てを理解しつつあった。
確かにマヤとの間に生まれた息子は、行商人の娘と結婚させたいとうっすら考えてはいた。だがそれは誰にも話していない、私の頭の中だけで思い描いていた話なのだ!
扉から、さらに男が灰ってきた。盗賊のように無骨でむさくるしい見た目だ。
「なぁ、スローライフが飽きた時のために俺達の襲撃から国を起こす大河ロマンものへの分岐、あれはどうなるんだ?」
と言ってきた。
その顔はかつて私がフルートと呼んだ男のそれと同じだった。
次は飼い犬が入ってきて、当たり前のように人語を話し出した。
「なあ、アヤの気持ちも考えてやれよ。お前なら作家志望ってことで一緒に面白い話を作ってくれるって期待したんだぜ? 俺の出番は、まぁ犬でもいいけどさ」
いつの間にか犬の顔はケイくんのものになっていた。
次に羊が、鶏が、かつて私が登場させた皇帝やギルドの職員の顔で話しかけてきた。
ついには畑の野菜にタブルの顔が浮かび、自分の出番はもうないのかと抗議の声をあげはじめた。
私は笑った。
なんてことだ。
私のしていたことは皆が知っていたのだ。
私の考えは最初から最後まで全て皆に、この世界に見透かされていたのだ!
ここは舞台だ。
私という道化を眺めるために用意された大がかりな芝居小屋の舞台だったのだ。
私は狂ったように笑い、全てのページを破り捨てた。
アオイが、フルートが、ケイくんが、タブルが、いつの間にやらいたアヤちゃんがマヤがミールが口々に私に言いながら消えていく。
もう誰が誰なのか、何を言っているのか区別はつかない。全てが混ざりあい、ドロドロのアメーバ状になって溶けていく。
「ボク、次は先生と恋人役がいいな」
「あなた、私はどんな役でもいいわよ」
「もうこの世界も終わりか。残念だな」
「次はもっといい役にしてくれよ」
◇ ◇ ◇
もう次はない。
これを読んでいる君が作家志望かどうかは分からないが、そうでないことを望む。
これまで書き留めてきたことが私の体験した全てだ。
二度と奴ら(そう呼ぶのが適当かどうかすら分からないのだが)が形をなさないよう、何度も書き直した。
今、この世界には何もない。ただ灰色の虚無が広がるだけの空間。君と、今読んでいるこのノート以外には何もない。私がそうなるよう描いたからだ。
本当はこのノートも消し去りたかった。何度もノートが消えるよう書いたがそれだけはかなわなかった。
だからこそ、今君はこのノートを読んでいるのだろう。
これまでの出来事がこのノートの力か、そもそもこの世界がそういうものなのか、あるいは私が転生の際に授かったチート能力によるものなのかは分からない。
だがこれだけは理解して欲しい。
転生した自分にだけ都合の良い世界などありはしないのだ。
いや、もしかしたらあるのかもしれないが、少なくともこの世界はそうでなかった。
奴らは私の作り上げた理想の、そして他者から見れば自分勝手で醜く歪んだ欲望の世界の全てを知り、覚えていた。まだノートに書いてすらない先の展開まで知っていた。
全て知られていた。
全て見られていたのだ。
まるで他人の日記を読み漁るかのように!
私が自分で作り上げた英雄譚に酔いしれている姿も、美しい女性と床をともにしていた姿も全て!
この世界は私の思い描いた通りになっていたわけではない。
この世界は私が思い描いた通りに“演じていた”だけなのだ。
私はもう限界だ。
元の世界に帰れるようノートに書いたが、元の世界とそっくりな“奴ら”が現れただけだった。
父も、母も、友人も、何もかもがそっくりで、決定的に異なる別物だった。
私はもうこの世界を終わらせることにした。私もろとも。全てを消し、何も存在しない虚無の世界を描いた。そこにはもう何も、誰も、私さえも存在しないはずだ。
これを読んでいる君へ。
このおぞましいノートがもし残っていて、この文章を貴方が読んでいるとしても、決してこのノートを使ってはいけない。
こんな虚無に転生してしまったことを気の毒に思うが、少なくとも貴方は正気のままでいられるだろう。
奴らはこの虚無の世界のどこかで、君がノートに“世界”を描き、自分たちを出演させる機会を今もじっと伺っている。
もう一度言おう。
君が作家志望でないことを祈る。都合の良い異世界など存在しないのだ。いや、存在するかもしれないが、残念ながら君が訪れた世界はそうではない。この世界はこのまま、何もないまま、奴らを封じ続けておくべきなのだ。
もし貴方がこの現実を受け入れられないというのなら、一つだけ逃れる術がある。
先ほどノートを使うべきではないと書いたが、ただ一つだけ例外がある。
ノートに貴方の名前を書き、その後にこう書き加えるのだ。私が今からそうするように。
消えて、何もなくなった、と。
さようなら。
は 消えて 何も なくなった
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