今日からあなたが造物主です

丸鰐大鄕

第十七話 幸福

 とにかく今は幸せだ。

 結婚は人生の墓場という言葉はボードレールが言ったとか言わなかったとか。
 とにかく私は結婚を選んだ。

 農業をやってみよう、その思い付きからおよそ二年ほどが過ぎた。
 私が建てた小屋の周りは小さな村になっていた。畑には野菜だけでなく果実の樹や、花もある。特に花は動物たちに次ぐ家族のように私を癒してくれる存在だ。
 行商人が来る以上野原の一件家というわけにもいかない、というノートの判断なのだろう。
 周囲には家が十件ほど、あり、それぞれ野菜だけでなく綿花なども栽培する家族が住んでいる。
 いつの間にやら私は村長という肩書になっていた。この地に一番古くからいる、というただそれだけの理由だ。これも私が設定したわけではない。

 私の妻は……色々と悩んだが、やはり初恋のアヤちゃんに似た容姿にした。どうやっても好みというのは変えられない。
 名はマヤ。あまりかけ離れた名前にするのもどことなく気が引けた。いや、そもそも当人でもない相手に初恋の相手を投影する時点で気が引けるも何もないのだが。
 アヤちゃんとは細かいところで性格も色々と違っている。
 アヤちゃんは明るく外交的で、絵も上手く楽器も得意、勉強も運動もできる子だった。
 一方妻のマヤは性格は内向的で引っ込み思案、絵や音楽などの特別な特技もなく、勉強も人並み、運動神経に至っては(私と同じく)低めだ。
 要するに色々な面で私に近い。一緒に生活するなら私との共通点は多いほうがいい。
 もし本物のアヤちゃん、あるいはそれに近い性格の女性と生活したら、私では釣り合わないしお互いに生活が負担になっていただろう。

 いや言い訳をさせて欲しい。最初からマヤと結婚したいなんて大それたことを考えていたわけではないのだ。
 
 私は最初に、行商人のおじさんよりもマヤの存在を先にノートに書いた。
 何度めかも忘れたが、私の創りなおした今回の世界では私以外の最初の人間だ。
 隣に小屋をもう一つ造り、マヤをそこの住人とした。
 理由は……料理やヤギやニワトリの世話を手伝ってくれる人が欲しかったからだ。
 犬は飼っていた経験でなんとでもなるが、ヤギやニワトリとなるとさすがに勝手が違う。料理の本で勉強しているとはいえ、一人だけでは限界もあるし、何より……孤独だ。
 疲れた私にはその孤独が心地よかったのは確かだが、それでも畑の花や野菜、動物たちという家族が増えると寂しさもより際立ってくる。人恋しくてたまらなかった。
 最初は行商人のおじさんを、と思ったが常に近くにいる人が欲しい。
 だから隣人としてマヤを書いた。
 最初は本当にただの隣人だったのだ。どうせ近くにいるのなら見ていてうれしくなるほうが、その程度の理由だった。
 アヤちゃんに似た容姿にはしたが、それ以外の部分は全てノートが勝手に決めたことだ。おそらく、アヤちゃんとは色々と違う面が欲しい、と無意識に私が願っていた点を汲み取ったのだろうと思う。
 料理や洗濯、掃除を手伝ってもらい、ヤギとニワトリの世話を一緒にする、生活のパートナーだった。建物は違うが、ルームメイトというほうが近い関係だった。
 しかし、長くマヤと一緒にいると、やはりもっと近くにいて欲しいと願うようになった。マヤの、アヤちゃんとは違う面に惹かれたのも確かだ。
 そのせいでミールという少年を死なせてしまったというのに、また私は繰り返したくなってたまらなくなってしまった。
 好きになってしまっていたのだ。好きになったら、いてもたってもいられなくなる。
 だから、その、一生で一度の、最大の勇気を振り絞ってマヤに告白した。
 結果は……まぁ、これまで私が語ってきたことを見てもらえれば分かってもらえるだろう?
 あまりにも幸せで、これまでの暗い気分は吹き飛び、気がついたらあっという間に二年もの月日が経っていた、というわけだ。つくづく私は現金で単純な男だ。
 こうして共同生活を助け合う相手だった女性は、私の伴侶となってくれた。

 村以外の周辺については一切設定していないし、その気もない。
 下手に物理法則だの魔法の体系だの、国家間の政治問題や冒険者の在り方などを設定したせいで多くの人を死なせてしまった。
 私たちの作った野菜がどこの街でどんな風に売られ、どう活用されているのかは私は知らないし、知ろうとも思わない。行商のおじさんが時折話してくれることだけが全てで、その話にウソが混ざっていても私には見抜けない。
 少しでも大きなものを描けば必ずそこに綻びができ、その綻びが多くの人の命を食い尽くし、不幸を拡大させる。
 私は自分が生活する範囲のものだけを書き、それ以外は全て知らないままでいることにした。
 もちろんノートは私が何か設定しなくても世界を勝手に、自動的に構築していく。これまでそうであったように。
「この世界は争いのない平和な世界だ」
 と書けば、表面上はノートもそう再現しただろう。
 だがその平和は私にとっての平和でしかなく、その他の多くの人も同じく平和だとは考えにくい。
 誰かが富めばそのしわ寄せは他の誰かが受けることになる。私が王侯貴族として贅沢な生活をすれば、必ずそのあおりを受ける貧民が生まれる。
 世の中のリソースは無限ではない。少なくともそれがノートの判断であり、私もその判断は適格だと思う。
「この世界には無限の資源があり、誰でも使いたい放題使うことができる」
 と書けば解決するのではと思ったこともある。
 だが恐らく本質的な問題は残されたままだろう。
 農業をして初めて分かったことだが、農作物を育てるための土の栄養分も無限なわけではない。
 一度作物を育てたらなんらかの方法で土の中の栄養を回復させてやらなければ次の作物は育たない。農業では常識なのだろうが、始めてみるまで私はその常識すらも知らなかった。土に種を植え、手入れをしっかりすれば無限に作物が採れるものだと思い込んでいた。あるいはそう設定すれば良かったかもしれないが、そうして収穫した農作物にちゃんと栄養がある保障はない。
 ノートはなんでも実現できるように見えて、かなりシビアに現実とのバランスを取る性質がある。
 もし無尽蔵に資源があると書いて使いたい放題に使えば、大雨や台風などの天変地異でしっぺ返しが来る可能性も考えられる。 
 その時になってああすれば良かったと後悔してももう襲い。その時には多くの人が命を落としている。ミールのように。フルートのように、タブルのように。
 別の世界、いわゆる異世界から無尽蔵に物資を搾取することはできたかもしれないが、それは対象となる異世界を細らせるだけに過ぎない。私が腹いっぱい食べるためだけに他の誰かの食料を奪うことと本質は何も変わらないのだ。
 もしここ以外にも異世界があったとしてーーいや私が現に異世界にいる以上存在するとは思うがーーその世界と争いになったとしたら私には責任が持てない。
 ノートの力が異世界にも影響を及ぼせるのならこちらの世界だけを救うことはできるかもしれないが、もし相手側の世界の力のほうが上だったら?
 今度は私たちが奪われる側になるだけだ。不毛なことこの上ない。
 あるいはこちらの力がうえだたっとしても、その結果別の世界でミールのように大切な人が死ぬ。
 異世界でも私のようにノートで全てを決定づけているとしたら、私はその人物からミールのように大切な人の命を奪うことになりかねない。
 私は自分の目の届く範囲のことだけで手一杯の小さな人間だ。その範囲内ですら満足にこなせているとは言えない。先週も肥料の量を間違えて作物をむざむざ枯らせてしまったばかりだ。
 野菜の一つも完璧に育てあげることもできないような奴が世界という巨大すぎる作物を管理できるわけがない。
 私は自分の妻と動物たち、そして花と野菜と果実。これだけで十分に満たされているのだ。それ以外のものは必要ない。

 とにかく今は幸せだ。
 これ以上望むものはないし、望むべきではない。

 そう、この時までは確かに幸せだったのだ。

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