今日からあなたが造物主です
第十五話 声なき叫び
世界から意味が消える、それこそが本当の死なのかもしれない。
一瞬のことだったように思う。
ミールが白い光に包まれ、その光に視界を奪われ何も見えなくなった。視界だけでなく、耳からも音が消え、ほんの一瞬だが私は五感を失った。
自分が立っているのかすら自信が持てず、ただ強烈な眩暈で平衡感覚を失った。
視界が徐々に戻ってきた時、周囲は炎に包まれていた。
炎がパチパチとはぜる音以外は何も聞こえない。炎の向こう側には先ほどまで私に迫っていた冒険者たちと思しき人影が倒れている。誰一人動かない。
「何が起こったんだ……」
まるで爆弾でも投下されたかのような有様だ。
そうだ、ミールは?
ミールはどこだ!?
「先生……」
足下から聞こえた。ミールが倒れている。
「ミール!」
私は慌ててミールを抱き抱えた。
「ミール! 一体何が起きたんだ!? これは一体ーー」
『ミールが真の力を使ったのです』
この声は……壊したはずの水晶玉!?
「なんだ!? どうしてお前の声が!? 一体どこにーー」
声の出所はすぐに分かった。ミールの手の中に小さな水晶玉の欠片が握られているのが見えた。砕けて壊れたはずなのに、今も小さく明滅している。
「お前……どうして……さっきまで何も聞こえなかったのに……」
『あなたが私の本体を砕いた為、私の声は小さくなりました。あなたに直接届かない程に。しかし王の血ゆえか、ミールに私の声が届くようになったのです。欠片に耳を近づける必要はありましたが、マスターであるあなた以外に声が届きました』
そんなことはどうでもよかった。私はノートを開き、ミールが奇跡的に回復すると書こうとした。だが……。
『無駄です。ノートをご覧ください』
「!」
私はノートを開いて愕然とした。最新のページには可愛らしい文字でこう書かれていた。
ミールは真の力を使うことで命を落とす、と。
「ミール、これは……!?」
明らかにミールの字だ。クンの救助のくだりはミールに書かせた。その文字と同じ筆跡だ。
「先生、ボク、上手くやれました……? 先生のこと、守れましたか……?」
ミールは小さく微笑んだ。声が弱々しい。
「あ……ああ! 冒険者たちはみんないなくなった! もう大丈夫だ!」
「よかった……水晶さん、ありがとう、色々、教えてくれて……」
なんだって?
『こちらこそ、ミール。マスター以外の人と話せたのは私にとって初めての経験でした。短い間でしたが、楽しかった』
私はミールの手の中の欠片を睨んだ。
「お前が……お前がミールに教えたのか!? ノートのことも、先王のことも!?」
『そうです。ミールの生い立ち、今置かれている境遇、タブルの真意、そしてあなたとノートの関係と、あなたがこれまで何をしてきたか。全て、ミールが欲するままに答えました』
ミールは時折、欠片を眺めていたり、耳に手をあてていた。それはこいつの声を聞いていたのだ! 思えば最初に私が水晶を砕いた時も、ミールはまるで惹かれるように欠片を手に取っていた! あの時から聞こえていたんだ! こいつの声が!
「なぜ教えた!? ミールには、子供には残酷な内容だってあったのに!!」
『それが私の役割だからです。尋ねられたから答える。私はそのために創られました。あなたがそのように創ったのです』
「だが、お前の声は私にしか聞こえないようにしたはずだぞ!?」
『その私を砕いたのもあなたです。本来あなたにしか届かないはずの声がミールにも届いたのは、いわゆるエラーの類かもしれません。しかしそれもあなたが自ら引き起こしたことです』
「……くそ! ミール、しっかりしろ! 今助けてやるからな! 大丈夫だ、お前が奇跡的に回復したとひとこと書きさえすればーー」
『無駄です』
「黙ってろ!」
私はミールが回復するよう書きつけた。だが、書いても書いてもすぐに文字が消えてしまう。これまでは採用されない文面も残ってはいたのに、何故だ? どうやってもノートに文字が残らない!
『このノートは後から矛盾する設定を追加することは出来ません。ミールが自ら書いた内容に不満がある場合は矛盾しない設定を追加する他ありません』
「何が矛盾だ! 瀕死の人間が奇跡的に回復するなんて現実にいくらでもあるだろう!」
『その現実を決めるのは確かにあなたです。しかし明記されていないものはこれまでの慣例に従います。書くまでもなく世界に空気があるように、食事をしなければ腹が減り、いずれは死に至るのと同じように』
「何が言いたいんだ」
『ミールは力を使えば死ぬ。一度設定された以上、覆すことは不可能です。ならば、あなた自身が自在に死者を蘇らせる力があった、そう設定するなどが考えられます』
「……そうすれば、ミールは助かるのか」
『いいえ。正確には助かりません。一度死に、あなたがその魂を呼び戻すのです。そうすればフルートも、タブルも簡単に生き返らせることができます』
だが、それをやってしまえば……。
『マスター。私もあなたの考えを少しづつ学習してきました。そんなことをすれば命の重みは失われ、誰が死んでも何も思わなくなってしまう。それは、あなたが躊躇する、他人の命を奪うことと本質は変わらない。あなたは他者の命を自分の意思で簡単に左右することに強い抵抗感、罪悪感を覚えるようです』
……。
私はミールを抱きしめることしかできなかった。
「ミール……!」
「先生、ボク、幸せでした。楽しかった。先生と一緒にいられて、本当に……」
「ミール……! もういい! 喋るな! ゆっくり、目を閉じていなさい。大丈夫、すぐに良くなるから……!」
抵抗だと?
罪悪感だと!?
それがなんだって言うんだ!
そんなものどうでもいい! 私の安っぽいヒューマニズムで人が救えたか!? 誰一人救えなかったじゃないか1
私はミールに死んで欲しくない!
「先生……」
ミールが私の手を握ってきた。
「ボク、先生の、そういうところがとても好き……だから、命を大事にする先生でいて……安っぽくなんかない、とても、立派で、ボクが尊敬する、大好きな先生の……ままでーー」
「……ミール?」
ミールの声が徐々に小さくなり、消えた。
私の手を握る手が、パタリと地に、落ちた。
炎のパチパチとはぜる音だけが私の耳にやけに大きく聞こえる気がする。
『生命活動を停止しました。ミールは、死亡しました』
何かが砕けた音が聞こえた気がした。小さな、でも致命的な何かが、ガラス細工のように、粉々になった気がした。
『ミールはあなたを慕っていました。彼の最後の願いはマスターが今のままでいること』
壊れて砕け散ったガラスの破片が、スローモーションのように宙を舞う。キラキラと光を反射しながら。とても綺麗だ。
『ですがそれも簡単に解決できます。ミールを蘇生させた後、彼が感謝するように書き加えれば良いのです。これまでのあなたの失敗は、設定を曖昧にしてきたこと。自分の望むまま、思うようにしたければ最初からそのように設定し、明記すること。ただそれだけで良かったのです』
こんなにも綺麗な光景なのに、どうしてこんなに悲しい気分になるのだろう。どうして涙が溢れて止まらないのだろう。
『あなたは全ての選択を誤ってきました。これまでに解決する方法も、その機会もいくらでもあった。だがあなたはそれを自ら封じた。まるでゲームの縛りプレイでもするかのように。あなた自身が言うところの、安っぽいヒューマニズムによって』
もう何も聞こえない。
もう何も見えない。
聞きたくもない。
見たいとも思わない。
『だからこそーー』
なのに、腕の中にある重みが、あたたかさが、どんどん失われていくのが分かる。どんどん軽くなっていくのが分かる。
失われていくのが、消えていくのが分かってしまう。
『あなたの大切なミールは死んだのです』
私は叫んだ。
その叫び声は私の耳には聞こえなかった。
きっと、世界中の誰にも聞こえなかったに違いない。
世界から意味が消える、それこそが本当の死なのかもしれない。
一瞬のことだったように思う。
ミールが白い光に包まれ、その光に視界を奪われ何も見えなくなった。視界だけでなく、耳からも音が消え、ほんの一瞬だが私は五感を失った。
自分が立っているのかすら自信が持てず、ただ強烈な眩暈で平衡感覚を失った。
視界が徐々に戻ってきた時、周囲は炎に包まれていた。
炎がパチパチとはぜる音以外は何も聞こえない。炎の向こう側には先ほどまで私に迫っていた冒険者たちと思しき人影が倒れている。誰一人動かない。
「何が起こったんだ……」
まるで爆弾でも投下されたかのような有様だ。
そうだ、ミールは?
ミールはどこだ!?
「先生……」
足下から聞こえた。ミールが倒れている。
「ミール!」
私は慌ててミールを抱き抱えた。
「ミール! 一体何が起きたんだ!? これは一体ーー」
『ミールが真の力を使ったのです』
この声は……壊したはずの水晶玉!?
「なんだ!? どうしてお前の声が!? 一体どこにーー」
声の出所はすぐに分かった。ミールの手の中に小さな水晶玉の欠片が握られているのが見えた。砕けて壊れたはずなのに、今も小さく明滅している。
「お前……どうして……さっきまで何も聞こえなかったのに……」
『あなたが私の本体を砕いた為、私の声は小さくなりました。あなたに直接届かない程に。しかし王の血ゆえか、ミールに私の声が届くようになったのです。欠片に耳を近づける必要はありましたが、マスターであるあなた以外に声が届きました』
そんなことはどうでもよかった。私はノートを開き、ミールが奇跡的に回復すると書こうとした。だが……。
『無駄です。ノートをご覧ください』
「!」
私はノートを開いて愕然とした。最新のページには可愛らしい文字でこう書かれていた。
ミールは真の力を使うことで命を落とす、と。
「ミール、これは……!?」
明らかにミールの字だ。クンの救助のくだりはミールに書かせた。その文字と同じ筆跡だ。
「先生、ボク、上手くやれました……? 先生のこと、守れましたか……?」
ミールは小さく微笑んだ。声が弱々しい。
「あ……ああ! 冒険者たちはみんないなくなった! もう大丈夫だ!」
「よかった……水晶さん、ありがとう、色々、教えてくれて……」
なんだって?
『こちらこそ、ミール。マスター以外の人と話せたのは私にとって初めての経験でした。短い間でしたが、楽しかった』
私はミールの手の中の欠片を睨んだ。
「お前が……お前がミールに教えたのか!? ノートのことも、先王のことも!?」
『そうです。ミールの生い立ち、今置かれている境遇、タブルの真意、そしてあなたとノートの関係と、あなたがこれまで何をしてきたか。全て、ミールが欲するままに答えました』
ミールは時折、欠片を眺めていたり、耳に手をあてていた。それはこいつの声を聞いていたのだ! 思えば最初に私が水晶を砕いた時も、ミールはまるで惹かれるように欠片を手に取っていた! あの時から聞こえていたんだ! こいつの声が!
「なぜ教えた!? ミールには、子供には残酷な内容だってあったのに!!」
『それが私の役割だからです。尋ねられたから答える。私はそのために創られました。あなたがそのように創ったのです』
「だが、お前の声は私にしか聞こえないようにしたはずだぞ!?」
『その私を砕いたのもあなたです。本来あなたにしか届かないはずの声がミールにも届いたのは、いわゆるエラーの類かもしれません。しかしそれもあなたが自ら引き起こしたことです』
「……くそ! ミール、しっかりしろ! 今助けてやるからな! 大丈夫だ、お前が奇跡的に回復したとひとこと書きさえすればーー」
『無駄です』
「黙ってろ!」
私はミールが回復するよう書きつけた。だが、書いても書いてもすぐに文字が消えてしまう。これまでは採用されない文面も残ってはいたのに、何故だ? どうやってもノートに文字が残らない!
『このノートは後から矛盾する設定を追加することは出来ません。ミールが自ら書いた内容に不満がある場合は矛盾しない設定を追加する他ありません』
「何が矛盾だ! 瀕死の人間が奇跡的に回復するなんて現実にいくらでもあるだろう!」
『その現実を決めるのは確かにあなたです。しかし明記されていないものはこれまでの慣例に従います。書くまでもなく世界に空気があるように、食事をしなければ腹が減り、いずれは死に至るのと同じように』
「何が言いたいんだ」
『ミールは力を使えば死ぬ。一度設定された以上、覆すことは不可能です。ならば、あなた自身が自在に死者を蘇らせる力があった、そう設定するなどが考えられます』
「……そうすれば、ミールは助かるのか」
『いいえ。正確には助かりません。一度死に、あなたがその魂を呼び戻すのです。そうすればフルートも、タブルも簡単に生き返らせることができます』
だが、それをやってしまえば……。
『マスター。私もあなたの考えを少しづつ学習してきました。そんなことをすれば命の重みは失われ、誰が死んでも何も思わなくなってしまう。それは、あなたが躊躇する、他人の命を奪うことと本質は変わらない。あなたは他者の命を自分の意思で簡単に左右することに強い抵抗感、罪悪感を覚えるようです』
……。
私はミールを抱きしめることしかできなかった。
「ミール……!」
「先生、ボク、幸せでした。楽しかった。先生と一緒にいられて、本当に……」
「ミール……! もういい! 喋るな! ゆっくり、目を閉じていなさい。大丈夫、すぐに良くなるから……!」
抵抗だと?
罪悪感だと!?
それがなんだって言うんだ!
そんなものどうでもいい! 私の安っぽいヒューマニズムで人が救えたか!? 誰一人救えなかったじゃないか1
私はミールに死んで欲しくない!
「先生……」
ミールが私の手を握ってきた。
「ボク、先生の、そういうところがとても好き……だから、命を大事にする先生でいて……安っぽくなんかない、とても、立派で、ボクが尊敬する、大好きな先生の……ままでーー」
「……ミール?」
ミールの声が徐々に小さくなり、消えた。
私の手を握る手が、パタリと地に、落ちた。
炎のパチパチとはぜる音だけが私の耳にやけに大きく聞こえる気がする。
『生命活動を停止しました。ミールは、死亡しました』
何かが砕けた音が聞こえた気がした。小さな、でも致命的な何かが、ガラス細工のように、粉々になった気がした。
『ミールはあなたを慕っていました。彼の最後の願いはマスターが今のままでいること』
壊れて砕け散ったガラスの破片が、スローモーションのように宙を舞う。キラキラと光を反射しながら。とても綺麗だ。
『ですがそれも簡単に解決できます。ミールを蘇生させた後、彼が感謝するように書き加えれば良いのです。これまでのあなたの失敗は、設定を曖昧にしてきたこと。自分の望むまま、思うようにしたければ最初からそのように設定し、明記すること。ただそれだけで良かったのです』
こんなにも綺麗な光景なのに、どうしてこんなに悲しい気分になるのだろう。どうして涙が溢れて止まらないのだろう。
『あなたは全ての選択を誤ってきました。これまでに解決する方法も、その機会もいくらでもあった。だがあなたはそれを自ら封じた。まるでゲームの縛りプレイでもするかのように。あなた自身が言うところの、安っぽいヒューマニズムによって』
もう何も聞こえない。
もう何も見えない。
聞きたくもない。
見たいとも思わない。
『だからこそーー』
なのに、腕の中にある重みが、あたたかさが、どんどん失われていくのが分かる。どんどん軽くなっていくのが分かる。
失われていくのが、消えていくのが分かってしまう。
『あなたの大切なミールは死んだのです』
私は叫んだ。
その叫び声は私の耳には聞こえなかった。
きっと、世界中の誰にも聞こえなかったに違いない。
世界から意味が消える、それこそが本当の死なのかもしれない。
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