ニートが死んで、ゴブリンに

ひじり

【3-2】「毒の病にご用心っ!」

 その日の夜。

 窓の外は、暗闇に支配されている。
 既に、町人のほとんどが眠りについていた。

 ネロが、部屋を抜け出す。
 それを、オレは見逃さなかった。

「どこに行くつもりなんだ?」

「おわっ、……っと、ニートじゃねえか。驚かすんじゃねえよ」

 ふう、と安堵のため息を吐き、ネロは表情を緩める。

「ちと、散歩にな」

「……散歩をするような目つきには見えないんだよね」

 ネロの目は、笑っていない。
 奥に怒りのようなものが見え隠れしている。

「んー、やっぱニートに隠し事はできねえか……」

 宿屋の階段の片隅で、誰にも聞かれないように、ネロが口を開く。

「いたんだよ。あの時、おれとおれの仲間を返り討ちにした奴が」

「……あの時って、オレとネロが出会った日のことか?」

 問い掛けると、そうだ、とネロが頷く。
 目を閉じて、あの日を思い返すかのように、言葉を続ける。

「あの日、おれたちが出会った探索者は二人じゃねえ。ラビアと、あの男と、そしてもう一人いたんだ……」

「もう一人……」

 これは、初耳だった。
 ラビアたちの他に、まだ探索者がいたのか。

 だが、不思議な話ではない。

 毒の欠片を手に入れる為に、多くの探索者が立ち寄る町だ。
 クエスト依頼所まで足を運べば、大勢の探索者に遭遇することになる。

「さっきな、背負い袋ん中から外を覗いてみたんだけどよ、あの場所にあいつがいるのを、おれは見逃さなかったぜ……」

 あの場所とは、クエスト依頼所のことだろう。
 そこに、ネロの仇がいたということか。

「男か? それとも女か? どんな格好してたんだ?」

「女だ。青い髪の、めっちゃくちゃ無表情で、冷たそうな奴だ」

 思い返してみる。
 青い髪の女が、あの場所にいただろうか。

「……うーん」

 残念ながら、思い出すことはできなかった。
 視界には入らなかったのかもしれない。

「それで、ネロはその人を捜しに行こうとしてたんだな?」

「おうよ、仇を討ってやんぜ」

 意気込むネロだが、オレはその体を持ち上げて、部屋へと戻る。

「おいこらっ、ニート、何のつもりだ?」

「今日はもう遅い。明日また探そう。それに、相手の強さもまだ分からないし」

 冷静にならなくてはならない。
 闇雲に戦いを挑んで、返り討ちに遭ってしまえば、後悔してもし切れない。

 ネロを失うのだけは避けたかった。

「ちっ、仕方ねえ奴だな……わーったよ」

「ありがとう、ネロ」

 部屋に入り、寝台に横になる。
 ハーフェルは、舟を漕いでいた。

     ※

 毒で、ホディエ城の人たちを困らせること。
 それが、ヘリ城の人たちの企みだ。

 いや、困らせるという表現は間違いか。
 毒の欠片を使えば、人を殺すことも不可能ではない。

 仮に、人を殺すまでに至らなくとも、毒の蔓延した状態で敵襲に遭った場合、ろくな準備も出来ずにやられてしまうことだろう。

「ハーフェル、きみは城下町の生まれなんだよな? 近々、戦争でも起きそうな動きはあるか?」

「毒の欠片が行き着くルートを確認すれば、それぐらいお安い御用だねえ」

 翌朝、オレとネロとハーフェルは、部屋で朝食を取っていた。

「ここで集められた毒の欠片は、ヘリ城へと運ばれる。そして、ヘリ城お抱えの専属魔法使いのホフラが、それを一つの毒に作り変えるのさ」

 毒の欠片を、一つの毒に作り変える。
 ホフラという魔法使いは、そんなことができるのか。

「毒の運用は、既に行われているよ。ホディエ城の奴らは気付いていないだろうが、クラース城の東にある小さな村では、既に毒の病によって村民全員が虫の息さ」

「なんてこった……」

 恐ろしいことを聞いてしまった。

 クラース城の東といえば、ここから北に何十キロも先のはずだ。
 バレない為とはいえ、そんな遠くの村まで足を運び、毒の実験をしているとは思ってもみなかった。

「その村の人たちは、何の関係もないのに……」

「関係がない? そんなことはないさ」

 ハーフェルが、否定する。

「ヘリ城にとって、クラース城も敵であることに変わりはないだろう? そのクラース城の息が掛かる村なのだから、それぐらいのことはされても仕方ないさ」

 これが、この世界に住む人たちの考え方なのだろうか。
 頭を捻りたくなる。

 だが、ラビアも同じような考えをしている。
 最も、彼女の場合は、金儲けが優先されているようだが。

「とにかく、その村の奴らを実験台にして、毒の効力は実証済みだねえ。あとは量を増やして、開戦の時を待つだけさ」

 楽しそうに、ハーフェルは笑った。
 探索者というものは、常に争いの中に身を投じていなければ落ち着かないのだろうか、と問いたくなる。

「ニート、入るわよ」

 すると、

 トントン、とドアをノックする音がした。
 こちらの返事を待たずに、ラビアが部屋に入る。

「ラビア、着替え中だったらどうするんだよ」

「あんた、モンスターじゃない」

 それはそうだが、何か腑に落ちない。

「じゃあ、ラビアが着替え中の時、ノックせずに入っても――」

「――殺すから。……ああ、違う。麻痺させて凍らせて殺すから」

「やっぱりしません」

「ニート、この女こええな」

 ネロが、オレを慰める。
 やはり心を許せるのはネロだけだ。

「ラビアくん、ご飯は食べたのかい?」

 ハーフェルが、ラビアに問い掛ける。
 すると、ラビアは胸元で腕を組み、小さく頷く。

「ええ、あのバカっぽい女も、もうすぐ来るはずよ」

「バカっぽい女って、きみねえ……」

 カルンのことだろう。
 バカっぽいのは……まあ、確かに否定はできないかな。

「お待たせ、ダーリン。待った?」

「待ち焦がれていたさ、ハニー」

 噂をすれば、カルンだ。

 姿を現したかと思えば、二人だけの世界に入ろうとする。
 このやり取りは、昨日の時点で見飽きた。

「ニート、今日中にヘリ城に行くから、支度して」

「ヘリ城に……分かった」

 遂に、ヘリ城へと向かう時が来た。
 毒の欠片を集め、毒の病を蔓延させようと企む人たちが、そこにいる。

 オレとハーフェルは、急いで支度をする。
 ネロは、自ら進んで背負い袋の中に入り込んだ。

「なんかな、この中、慣れると結構気持ちいいんだぜ? おれの体とフィットするっていうの? この狭さがなんとも言えないんだよな」

 とか言っているので、あとでお薬を出しておこう。
 勿論、そんなものは持ち合わせていないが。

     ※

 オレたちがいる宿屋から、町の外に出る為には、クエスト依頼所の前を通らなければならない。
 毒の欠片と報酬を交換した今、特に用事は無いので、素通りだ。

「……ねえ」

 その予定だった。

「これはまさか……」

 が、どうやらそう簡単にはいかないらしい。

 ラビアの声に、オレは目を細める。
 ハーフェルは、目の前に広がる光景に、唖然とした。

「みんな、すぐにこの町を離れるわよ」

 言われて、一斉に我に返る。

 クエスト依頼所の前には、十を超える探索者がいた。
 そして、その全てが、その場に倒れていた。

「あれが、ヘリ城の奴らが生み出したものよ」

 ラビアは、苦々しそうな表情で、距離を取る。
 それは正しく、毒の病だった。

「何故、ここで……」

「その元凶が、お出ましのようね」

 宿屋の方角へと引き返していくと、青い髪の女が立っていた。

「青い髪……あっ」

 この人が、ネロの言っていた女か。
 確かに、感情の欠けたかのような表情をしている。

 右手には、長い杖を持つ。
 左手には、小瓶が一つ。

「あれが、毒の病を……?」

「恐らくね」

 小瓶の中は、薄紫に染まっているように見えた。
 あの中に、毒の欠片を毒の病へと作り変えたものが入っているのだろう。

「じゃあ、あの女が……ホフラ?」

「違うねえ、ホフラはおっさんだよ。彼女ではないさ」

 すかさず、ハーフェルが口を挟んだ。
 では、目の前に立ちはだかる女は、一体何者なのか。

「きみは、誰なんだ?」

「……意味のない質問」

 そう言って、青い髪の女は、親指に力を込めて小瓶の蓋を開ける。

「ちょ、毒に囲まれるじゃないの! ニート、あんたどうにかしなさいよ!」

「いや、オレに言われても」

 ラビアが、焦る。
 毒の病に囲まれてしまえば、逃げる手段はない。

「貴方達は、ここで死ぬ」

 青い髪の女は、小瓶をこちらに向けて放り投げた。

「うわっ、やば――ッ」

「心配しないで、これぐらい封じ込めてみせるからっ」

 とここで、カルンが土魔法を唱える。

 すると、地面から土が盛り上がり、小瓶を包み込んだ。
 中が吹き出す寸でのところだった。

「バカ女、あんたやるじゃない!」

「ダーリン、見てた? ねえ、褒めて褒めて」

「さすがだよ、ハニー、きみは僕の天使さ」

「やっぱりバカ女ね、褒めて損したわ!」

 軽口を言い合っている場合ではない。
 状況が悪いことに変わりはない。

 後ろには戻れない。
 だとすれば、前に進むしかない。

「きみ、名前は?」

「答える必要、無いから」

 オレたちは、ここで死ぬ。
 それも、自分の手によって。
 そう思っているから、名乗る必要がないと思っているのだろう。

 だが、それは間違いだ。

「悪いけど、オレはここで死ぬつもりなんてない」

 フードを取り、素顔を晒す。
 青い髪の女は、オレの素顔を視界に捉えて、初めて表情に変化を見せた。

「……言葉を話すゴブリン?」

「そう、なかなか珍しいだろう?」

 と言いつつ、鞘から長剣を引き抜く。
 戦闘態勢に入った。

「退かぬなら、退かせてみせよう、ホトト――」

「いいからとっととやるわよ!」

「ちょっと決め台詞っぽいの言ってる最中だったんだが……」

 少しばかしいじけたまま、オレは地を駆けた。

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