ギフト・フロム・カノープス

杉月 望

第1部 Night Flight - 7

 *

 竜星群オピオニズ
 当時、全地球的なパンデミックを発端とする経済社会における破壊的な後遺症に喘ぎながらも徐々に復興の兆しを見せていた人類社会に惨たらしい追い討ちをかけたという忌まわしき隕石の数々。
 歴史上初の落下にして、今なお観測史上最大規模を誇る悪名高き第一波、大竜星群グレート・オピオニズによって、何枚もの地図が修正を余儀なくされ、幾つもの都市や村落に直接的な被害が出るとともに数多くの二次災害が発生した。
 その多くが海中に没したとは言え、今度はそれらが発生させる未知の力場、後に〝竜子場〟と呼ばれることになるそれが地球の表面を繭か瘡蓋か、あるいは貝殻のように覆ってしまって、通信をことごとく阻害してしまうと、人類社会の混乱はますます広がった。
 人工衛星の殆どを一夜にして失い、遠隔地との通信も封鎖されてしまった人類は怒りに溢れ、悲しみに流され、途方に暮れた。
 当時はSNSを中心として、竜星群の接近をあらかじめ予見できなかった(正確には、発見できた時には遅すぎた)天文学者へ非難が殺到し、研究者側も日頃の予算が少なすぎるせいだと反論しようとしたが、あまりにも激しいバッシングに口を噤む他なかったらしい。
 またSNS上では、天文学の失敗に対する言及よりもずっと、他国からの核攻撃、もしくは新型の電磁波兵器とやらを疑う声があまりにも多く、世界中に感情の嵐が吹き荒れていた。
 そうした〝民意〟を受けた各国政府は他国を名指しで非難し合い、とてもではないが復興のための国際協力などできる状況では全くなかった、と国連竜星群機関UNOOの職員たちは何かにつけて幼いセージに語っていた。
 墜落した流れ星から〝竜〟が生まれた、という報告も当初はそうした雑多なデマゴーグの一種として扱われていたし、仮に真面目に受け止められたとしても、あの混乱の最中では調査のための資金と人員と時間を確保することなど到底不可能だった、というのが当時を知る人たちの一致した見解ではある。
 後に、フィジー出身の研究者によって、詳細な調査結果が発表され、故郷の神話に伝えられる創世の竜神の名にちなんで〝デンゲイ〟と命名された推定珪素生命体(異論も数多い)は、その〝母天体〟にあたる〝竜星群〟と共に、現在でも不明な点が極めて多いにも関わらず、現代世界を規定する枠組そのものとなっているが、そのことはセージがその身をもって理解していることではあった。
 なんであれ、大竜星群によって引き起こされた痛ましい事態が小康状態となり、一連の狂騒が鎮静化するには時間の経過が必要だった。
 そして、人々が再び国際協調の航路へ舵を切り直すきっかけとなった印象深い出来事が、スウェーデン出身で、当時10台後半の少女であった(つまり、今のセージとちょうど同じくらい年頃だ)ヴィクトリアが行ったエモーショナルな演説であり、それは概ね次のような内容だった。
 地球は今、疑心暗鬼の飛行機雲に覆われている。
 でも、それは無理のないことだ。
 世界が未曽有の大災害に襲われ、国籍、民族、宗教を問わず数多くの人々が窮している中で、どの国の政府も、人工衛星や探査機を再び打ち上げようとしたり、戦闘機を飛ばしたりして、自国の利益や安全だけを追求し、戦争の準備にかまけている。
 今、私たちに必要なことは遠い天を見上げることではない。
 この地上で、実際に傷つき、大切な人たちを失い、希望をなくして、絶望に打ちひしがれている、すぐそこにいる友人たちへ手を差し伸べることであって、遥か空の彼方に浮かぶ心のない岩や氷なんかのために大事なお金や貴重な時間を費やしている場合ではない。
 むしろ、竜星群こそ、冷たい技術開発と、目の前にある現実から目を背けるだけの学術研究、そして金儲けのための企業活動ばかりを考え、人の手の温もりを忘れてしまった人たちに下された〝罰〟なのだ。
 ヴィクトリアが情緒豊かに謳い上げたこの演説は、それを聞く人々の疲労困憊し、弱りきった心に訴えかけ、SNSによって瞬く間に拡散された。世界中の人々が彼女の言葉に感銘を受け、涙し、共感を示した。
 それは「涙の洪水」となって、ごく短い期間に世界中を飲み込んだ。
 一躍、時の人となったヴィクトリアは飛行機を選ばず、船に乗って、世界中を周り、苦境に喘ぐ人々を励まし続けた。
 メディアはこぞって彼女の活動を報じ続け、少女の箱舟ヴィクトリアズヴェセルは行く先々で盛大な歓迎を受けた。世論が切り替わってきたことをいち早く嗅ぎつけた所謂先進国の首脳や閣僚はヴィクトリアの行動への連帯を示し、国際社会は互いに罵倒し合っていたことなど、まるで忘れてしまったような顔で、協調路線への復帰を訴え始めた。
 その頃、安全保障理事会が機能不全に陥っていたことから時機を見計らっていた国連総会は、国際連合総会決議377A〝平和のための結集〟決議を発動、緊急特別総会を招集した。
 この総会は、国連主催の「竜星群に対する世界首脳会議」即ち〝竜星群サミット〟を同時開催とする他に例を見ない国際会合となり、開催地となった北東太平洋を臨むカナダの都市ヴィクトリアで、国際天文学連合IAU世界気象機関《WMO》、政府間パネルが標準的な天文学つまり「フォトンベルト」だのなんだのと言い募ったりはしないの見地から竜星群はあくまで天体現象であり、自然災害であるとの評価報告を行い、人為のものではないと国際社会に向けて強調した。
 この会議には特別ゲストとして件の少女ヴィクトリアが招かれ、彼女は自身と同名都市の壇上にて再び、世界中の人々が期待するようなエモーショナルな演説を見事にやってのけて、やはりSNSを中心に多くの共感を呼び、メディアに話題を提供した。
 セージも幼い時分に、ヴィクトリアの最初の演説と同様に、竜星群サミットでの演説も動画サイトのアーカイブで視聴したことがある。
 複雑過ぎない構文と短なセンテンス、直感的なワードを駆使しながら自分とそう変わらない年頃の少女が全身を使って情動に訴えかけるその様は万感胸に迫り、感情を大きく揺さぶられるものがあった。
 年月が経ってからアーカイブで動画を見ただけだった幼少期のセージにも感じ入るところがあったのだから、リアルタイムの配信を見ていた人なら、もっと感銘を受けたことだろう。実際、当時を知る国連職員たちにもヴィクトリアの熱心な信奉者がいた。
 会議は幾つかの波乱に見舞われたものの、結果として、竜星群は人類全体が立ち向かうべき自然災害であり、国際社会は国境線に囚われず竜星災害によって困窮する人々への分け隔てない支援を行うものであり、また今なお散発的に落下を続ける竜星群への対策に関する国際的な協力を推進し、それらの総合的な調整を行う補助機関として国連竜星群機関の設立を約したヴィクトリア宣言が採択された。
 これを契機に、世界各国は国外の竜星被災者や数多くの難民に対する救済策を打ち出すようになり、この頃にはようやく認知されるようになっていたデンゲイ共辰者の保護にも乗り出し始めた。
 水面下で準備が進められてきた国連竜星群機関UNOOが大手を振って本格的な活動を開始したのは当然この頃であり、セージなどは〝被保護者〟として典型的な成果となった。
 世界は混乱を脱して互いに手を取り合い、ようやく前に進み始めた。
 政府の対応が遅れたことを非難する向きもあったが、国際社会に立ち込めていた暗雲に光が射し始めたことを大多数の人々が評価した。
 とりわけ、その発端となり、転換の象徴ともなった少女ヴィクトリアは世界再協調の立役者との呼び声も大きく、セージもそうした評価は一般的なものだと長らく認識していたし、今まで会ったことのある国連職員も大体そのようなことを言っていたが、UNOOの一部職員(言うまでもなくテルミたちだ)や科学者たちの中には表情を曇らせる者も少なくなかった。
 国家であろうと国際機関であろうと、予算は有限だ。
 それは、いつも大人たちが眉間に皺を寄せながら話し合っているのを横から聞いていただけの幼いセージでも憶えてしまったくらいの頻出表現だった。
 国際的にも世論は、難民を含む竜星群による直接的な被災者へ救いの手を差し伸べるだけでなく、甚大な被害を受けた物流網、再び悪化した経済状況に対する支援を求めており、各国政府は膨大な予算をそこに割かざるを得なかった。
 その煽りを食ったのは、「冷たい」「人の手の温もりを忘れた」「目の前の現実から目を背けるだけの」学術研究や技術開発の分野であった。
 大幅に予算を削減された天文台が世界各地で閉鎖されている、というニュースがメディアの片隅で報じられても、誰も関心を持たなかった。
 天文学者たちは竜星群の動向を知り、今後の被害を最小限に抑えるためには最新の機材と観測環境が必要だと訴えたが、竜星群を事前に予知できず、その襲来を防ぐことができなかった科学者たちに同情する者など何処にもいなかった。
 「天より地に目を向けるべき」と少女ヴィクトリアは世界一周の航海を続けながら説いて回り、皆が彼女を支持した。(ヴィクトリアは支援者や賛同者たちと共に現在も航海を継続しており、世界最大規模の社会活動団体となっている。)
 「涙の洪水」が研究開発の予算を全て洗い流してしまった。
 セージが今まで出会った研究者たちは大抵そういう表現を用いた。
 天文台の閉鎖に留まらず、所謂先進国の学術研究や技術開発はそれが人文科学であろうと、自然科学であろうと、十年以上の停滞期を迎え、中でも航空宇宙開発の分野は暗澹たる状況を呈した。
 航空機の利用や天体観測そのものが恥とされ、世界中の人々が忌避するようになった。その風潮に反して、一部の全体主義国家だけが、航空宇宙機の開発と軍備拡張を推し進め、少なくない研究者たちが流出し、それを今になって国際社会はようやく危機として受け取り、慌てて急場しのぎの対応をしようとしているとテルミたちは臍を噛んでいた。
 メキシコのクワトロシエネガス近郊に墜落した竜星の調査で知り合った天体生命学者アストロバイオロジストのショウは言っていた。
「私たち科学者は、世間一般の考え方に慣らされてしまえば、自然を純粋な目で見つめる感性センスを曇らせてしまうと考えていたし、恐れていた。科学を志す者ならば、社会が共有する思い込みや偏見をこそ廃し、自分のいる場所が研究室ラボであろうと調査地フィールドであろうと、透徹した視点を持って世界に相対しなければならないと無邪気に信じ込んでいた。だから、一般社会の人々と私たち科学者の間に、こんなにも深く広い断絶クレヴァスがあるだなんて考えてもみなかった」
 石膏のように真白な砂丘の真ん中で、ショウは言葉と共に一握の砂をこぼしていた。付近には、塩分濃度が高いが故にストロマトライトなどの先カンブリア時代から取り残されてしまったような希少な生物相が現生する黄緑と青の美しい沼沢地があって、彼はその向こうに見える空を仰ぎながら、また別の言葉をこぼした。
「私たちはあのパンデミックで学んだはずのことをすっかり忘れてしまっていた。正しい情報を知ることができれば、誰もが理性的に判断し、合理的に行動し、理路整然とした発言ができると思っていた。だが、現実はそうじゃなかった。科学と社会の関わりについて、そのあり方について私たちはもっと考えてみるべきだった。科学者が、いや私たちだけでなく、皆が考えるべきだったんだ。どうしたら人々がもっと科学的に考えることができるようになるのか、ということを。もしかしたら、そういう考え自体が私たちの思い上がりだったのかもしれない。だけど、だとしたら、どうすれば良かったんだ。科学者が正確さを期せば期すほどに言葉はより多く、複雑になっていく。だけど一般の人々がそんなにも沢山の言葉を憶えていられるほど余裕がないのだとすれば、言葉尻一つに飛びついて揚げ足を取ることばかりに夢中になっているのだとしたら、自分たちに何ができるだろう。ずっと、そんなことばかりを考えている」
 また、オーストラリアのカカドゥ国立公園での調査で一緒になった竜星天文学者のスティーブンはいつもコーラを手放さないことで有名だったが、その彼も「オレたちの空は閉ざされてしまった」と嘆く時だけは両手で頭を抱えていた。
 それを聞いた時のセージの感想はきっと不躾な態度に出ていたことだろう。学術研究だろうと技術開発だろうと、もっともらしい崇高な目的を捏ねながら結局はほとんど本人の趣味みたいなものにしか見えなかったし、大人たちはそんなお遊びよりも現実で生死をさ迷っている人たちを助けることに全力を傾けるべき、という主張はもっともに思えた。
 そもそもセージは竜星群が降らなければ、あの時、竜星が落ちて来なければ、この竜の瞳無き眼差しに照らされることがなかったら、あのまま誰にも知られずアパートの一室で干からびていたかもしれないのだ。
 仮に、誰かの目に留まったとしても、今こうして食べる物と着る物と寝る所にありつけているかどうかなんて本人にも分かりはしない。
 ヴィクトリアたちの言うことは正当に思えたし、テルミやスティーブンたちの苦情など勝手な言い草だと思っていた。
 技術者という人たちがセージとデンゲイの間に、あるいは表層に、数々の機械を持ち込んできた時に覚えた反感には少なからずそういう側面があった。もっとも、それがわかる者など、セージ自身も含めて世界のどこにもいやしないだろう。

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