ギフト・フロム・カノープス
第1部 Night Flight - 6
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小笠原諸島から東京に至るまでの洋上には、ほとんど陸地らしい陸地もなく、エスケープの余地はない。
洋上飛行では山岳地帯のような障害物の心配をする必要はないが、発達した熱帯低気圧による悪天候下で、雲に切れ間を見つけることは難しく、長時間にわたって降り続ける雨は光学カメラを霧のように閉ざし、ともすれば空飛ぶ者を空間識失調に誘う。
少しでも厚い雷雲を避け、風上側に逃れながら飛ぼうとしても、依然として嵐は激しく吹き荒れ、時に打ちつけるように、またある時は叩きつけるように思いも寄らない方向から吹き寄せるものだから、マナを羽衣のように、あるいは球殻のように、周囲に張り巡らせているのでない限りは失速に陥ることさえあっただろう。
母島を発ってすぐに、メラ・デンゲイは局所的なマナの谷間に陥ってしまった。
思うように高度を稼ぐことができず、30分ほど飛行を続けた今も、推進器が非力である故に雲頂を超えることのできない小型飛行機のような雲の下を這うような飛び方しかできていない。
意気揚々と空に揚がったものの、思いがけず出鼻を挫かれてしまった格好になったセージは焦れていた。
「何もこんな時に限って」
そう思わずにはいられないし、独り言だって飛び出してくる。
マナが急に疎らになった原因はわからない。
熱帯低気圧の影響ということはないはずだが、小笠原諸島には硫黄島という活火山があるらしいので、もしかしたらそこでの火山活動による重力異常が影響しているのかもしれない。しかし、そもそもマナが濃くなる原因だって良く分かっていないのだから、薄くなった原因だってそうそう分かりはしないだろう。
あらかじめ地球上各域における竜子場の粗密を記した海図や航空路誌のようなものがあれば対応もできただろうが、そういった竜子場マッピング自体がイニシエイト・ロコラに期待される役割なのだから、今のセージには如何ともしがたい事態ではある。
そうであればこそ、セージは焦りを禁じ得ないのだが、肝心の彼のデンゲイは共辰者の内心の焦りとは裏腹に、ゆったりと北西太平洋の雨嵐を遊覧飛行の如く満喫していたし、コンテナの医療班も「安定した安全飛行」を要求している以上は、強引に雲を突破しようとして無茶な軌道を描くわけにはいかない。
そして、飛行に限らず、何事を為すにあたっても焦りは禁物だった。
それはセージもわかっている。だから軽く息を吐いて、移入をデンゲイから半ば引き上げた。現状ではデンゲイにある程度任せてしまった方が良いだろう。
もちろん、任せきりにしてしまったのでは、マナの赴くままデンゲイはあらぬ方向へ飛んでいってしまうので、折に触れて、しっかりと見てやる必要はあるのだが。
セージはもう一度、息を吐いてからディスプレイを確認した。
ミッションモジュールの各部コンディションは全て正常の色標を示していた。
後方カメラにも何事もなく牽引されるコンテナが映っている。
有線通信は何の異常も告げてはいない。
セージは深く息を吐いた。
デンゲイに〝輸送機〟としての能力を持たせるための、このストーンフライというミッションモジュールに関しては、数か月前に珊瑚海の上空で行った耐空試験によって、嵐の中でも十分な耐久性を有することが証明されていた。
それでもセージが何の不安も感じていないかと言えば、そうではない。
デンゲイに多種多様な機能を〝外付け〟するために、イニシエイト・ロコラでは様々なアイデアが考案され、幾つかの実験模型が試作され、選抜試験を生き残った極小数のモデルだけが実機の開発までこぎつけていた。
例えば、デンゲイの翼膜の〝出来の悪い〟レプリカに過ぎないメイフライという一種の使い捨て増槽のようなミッションモジュール。
あるいは、違法ドローンを捕縛したり、無力化するためのワイヤークローやネットを射出するカディスフライというミッションモジュール。
それらと比較してみても、要するに竜とコンテナを〝紐〟で繋いでいるだけというストーンフライを初めて見た時、セージはそれが随分と原始的《ローテク》な代物に思えてしまった。
その紐の素材が最新技術によって実現したカーボンナノチューブだとか、同時に伝統的な編索技術を応用し、何重にも撚り合わせて十二分の強度を確保したと言われても、結局ケーブルはケーブルであってあまり印象は変わらない。
デンゲイは自分のことなのだから墜落する心配はしない。
怪我や病気でない限りはヒトが歩いたり、走ったりすることを心配する必要がないように、その翼や手足を失わない限り、より正確にはマナを発するだけの十分な竜星物質である竜星体そのものを失わない限り、デンゲイは大空を翔けるだろう。
デンゲイに荷車を結わえ付けて空輸の任にあたらせるという発想はシンプルかつ挑戦的ではあるものの、その「飛躍的」で「野心的な試み」とやらを実際にやらされるセージとしては、その荷車が乱気流や荷重、場合によっては加速度に耐えられるのか不安にもなるし、中に単なる貨物が積み込まれているだけというならともかく、何人もの人命を背負うということを考えてしまえば多少なりとも神経質にならざるを得ない。
デンゲイの共辰者であるセージ自身がそうなのだから、あの診療医がそうであったように、デンゲイを初めて見る人たちが困惑してしまったり、あまつえさえ竜の貨車に乗り込む羽目になった人がそのことを不安に思ったとしても責めることはできない。
セージもそれは仕方がないことだと理解はしている。
それに、こうしてコンテナに乗り込む羽目になったクルーたちだって、口にこそ出さないものの内心どう思っているのかなんてわかりはしない。本人たちからすれば、仮に何かあったとしても自分達ではどうすることもできないのだ。
医療班の面々が初めてストーンフライの救急コンテナに搭乗したのは珊瑚海上空での試験飛行の時だった。
始まる前は辞退者が続出したって仕方がない、とセージは考えていた。デモンストレーションを兼ねた無人コンテナの牽引飛行訓練が終わった後も、飛行甲板に集まって来た医療班のクルーたちを見ないようにしていた。
ところが、いざ搭乗者を募る段となると、真っ先にチーフのマリアが極めてフランクな態度で手を挙げてしまい、それを皮切りに医療班のクルーたちが次々と志願して、結局、日本式の拳遊戯で搭乗者を決めることになってしまった。
この時、なぜか格納庫側でそっと様子を伺っていた整備班の連中が大いに喜んでいたことをセージは良く憶えている。
実際に乗ってみてマリアたちがどう思ったのかは知らない。
いつも怜悧な表情を崩さない医療班のチーフはコンテナを降りた後、普段と変わらぬ様子で「思ったより乗り心地は悪くありません」とだけ言った。
他の医療班クルーも口々に「窓はもっと大きい方が良かった」「一人当たりの飛行時間が短すぎて評価できない」「もっと時間をかけて検討すべきだ」などと言っていた。
もっとも、救急医療ユニットとしての専門的な課題は幾つかあったようで、医療班はその後すぐに技術者たちとの協議に入ってしまい、デンゲイによる牽引飛行についてはそれ以上なにも聞けず、結局どう思っていたのかは今だに良くわからずじまいだ。
アイノが以前に言っていたが、イニシエイト・ロコラのクルーたちは皆、それこそテルミたちが直接の面談を繰り返し行い、その資質を入念に審査された上で選定されたメンバーだった。
その優秀なクルーたちが言葉を選んでいたわけではないと、どうして言うことができるだろう。
人間が口に出す言葉というものはそっくりそのまま信じられるわけではない。
それくらいはセージだって、子供の時からずっと知っている。
アイノにしたって嘘は言わないにしても時折、言葉を選びながら話していることがあったし、セージはそれに気づかないふりをしているだけだ。(もしかしたらアイノはそれすらわかっているのかもしれないが。)
人の話をただ聞いているだけで、その真偽が判断できるわけではない。かといって、人が本当は何と思っているのかを推し量る方法があるのかと言えば、それは砂浜で流れ星の欠片を探すのと同じくらい現実味のない話だろう。
言葉は無いよりはずっとマシにしても、不便な代物だった。
それでも人間はそういうあやふやものに頼って固い地面の上を生きていくしかなかった。
そして、それはデンゲイと空を飛ぶ共辰者にしたって同じようなものだった。
他の人が簡単に思うほど、マナは多くを教えてくれるわけではない。
少なくともマナは、誰かの本心を直接教えてくれるような、コミュニケーションの媒介としての機能を備える便利な代物などでは決してなかった。
セージは知らず、また大きな吐息をついてから、デンゲイの体表面に備え付けられた光学カメラによってディスプレイに映し出される外界の景色を見た。
眼下には、ただ暗闇が広がっていた。
頭上の厚い雲に遮られて、天の光はどこにも届いていない。
水平線はたちこめる陰の色に塗り潰されてしまって、暗い空と黒い海の区別をつけることはできない。
洋上を飛行しているとあらかじめ理解していなければ、果てしなき夜への旅を、ひたすらに深い闇の奥へと潜りながら、月下に広がる地底世界へ行き着くまで続けることになるだろう。
子供の頃、夜の海に接すると、得体のしれない暗黒世界の怪物が大顎を開いているような感覚をおぼえた。
少なくとも初めて夜間に洋上飛行することになった時、まだ幼かったセージは真っ黒に塗り潰されてしまった世界をひどく不安に感じた。
それは、波の切れ目が燦めき、光の肌理が揺らめき、時には魚がその水面を飛び跳ねるような昼間の海とは全く違う姿をしていた。
もし気づかずに、足を踏み外してしまったらどうしよう、もし海に落ちてしまったところをサメやクジラやダイオウイカに飲み込まれてしまったら、あるいはジョアンが聞かせてくれたアマゾン河の探検隊を襲ったピラニアのような小さな肉食魚が無数に集まってきてしまったら、と恐怖の想像を逞しくもした。
だから、幼い時分のセージにとって、夜間飛行とは、底なしの淵を命綱もつけずに綱渡りしようとするか、あるいは巨大な化け物の脅威の前にみすみす自分の身を晒してしまうようなものであって、それをする自分が、ワニの大口の周りで何も知らずに飛び回る無邪気な小鳥と重なって見えてしまうものだった。
さすがに今となってはそんな風に思うこともなくなったが、それにしても大昔のパイロットたちはこの際限のない暗闇の中をどうやって飛んでいたのだろう。
向かい風に懸命に抗い、懐中電灯かランタンかカンテラか、詳しくは知らないがおそらくは何らかの小さな灯りを持って、必死の思いで地図を覗き込んでいたのだろうか。
暗夜航路にあって、自分が居る場所と進むべき空路を知るために。
そうして、セージが光のない空路に思いを巡らせていると、デンゲイが身じろぎした。
それは未だ人類の観測技術では検出できない変化であり、それ故にデンゲイとその共辰者の体感としてのみ検知される変化の変化であった。
セージはデンゲイとの共辰を深めた。
そろそろ針路を修正する頃合いでもあった。
小笠原諸島から東京に至るまでの洋上には、ほとんど陸地らしい陸地もなく、エスケープの余地はない。
洋上飛行では山岳地帯のような障害物の心配をする必要はないが、発達した熱帯低気圧による悪天候下で、雲に切れ間を見つけることは難しく、長時間にわたって降り続ける雨は光学カメラを霧のように閉ざし、ともすれば空飛ぶ者を空間識失調に誘う。
少しでも厚い雷雲を避け、風上側に逃れながら飛ぼうとしても、依然として嵐は激しく吹き荒れ、時に打ちつけるように、またある時は叩きつけるように思いも寄らない方向から吹き寄せるものだから、マナを羽衣のように、あるいは球殻のように、周囲に張り巡らせているのでない限りは失速に陥ることさえあっただろう。
母島を発ってすぐに、メラ・デンゲイは局所的なマナの谷間に陥ってしまった。
思うように高度を稼ぐことができず、30分ほど飛行を続けた今も、推進器が非力である故に雲頂を超えることのできない小型飛行機のような雲の下を這うような飛び方しかできていない。
意気揚々と空に揚がったものの、思いがけず出鼻を挫かれてしまった格好になったセージは焦れていた。
「何もこんな時に限って」
そう思わずにはいられないし、独り言だって飛び出してくる。
マナが急に疎らになった原因はわからない。
熱帯低気圧の影響ということはないはずだが、小笠原諸島には硫黄島という活火山があるらしいので、もしかしたらそこでの火山活動による重力異常が影響しているのかもしれない。しかし、そもそもマナが濃くなる原因だって良く分かっていないのだから、薄くなった原因だってそうそう分かりはしないだろう。
あらかじめ地球上各域における竜子場の粗密を記した海図や航空路誌のようなものがあれば対応もできただろうが、そういった竜子場マッピング自体がイニシエイト・ロコラに期待される役割なのだから、今のセージには如何ともしがたい事態ではある。
そうであればこそ、セージは焦りを禁じ得ないのだが、肝心の彼のデンゲイは共辰者の内心の焦りとは裏腹に、ゆったりと北西太平洋の雨嵐を遊覧飛行の如く満喫していたし、コンテナの医療班も「安定した安全飛行」を要求している以上は、強引に雲を突破しようとして無茶な軌道を描くわけにはいかない。
そして、飛行に限らず、何事を為すにあたっても焦りは禁物だった。
それはセージもわかっている。だから軽く息を吐いて、移入をデンゲイから半ば引き上げた。現状ではデンゲイにある程度任せてしまった方が良いだろう。
もちろん、任せきりにしてしまったのでは、マナの赴くままデンゲイはあらぬ方向へ飛んでいってしまうので、折に触れて、しっかりと見てやる必要はあるのだが。
セージはもう一度、息を吐いてからディスプレイを確認した。
ミッションモジュールの各部コンディションは全て正常の色標を示していた。
後方カメラにも何事もなく牽引されるコンテナが映っている。
有線通信は何の異常も告げてはいない。
セージは深く息を吐いた。
デンゲイに〝輸送機〟としての能力を持たせるための、このストーンフライというミッションモジュールに関しては、数か月前に珊瑚海の上空で行った耐空試験によって、嵐の中でも十分な耐久性を有することが証明されていた。
それでもセージが何の不安も感じていないかと言えば、そうではない。
デンゲイに多種多様な機能を〝外付け〟するために、イニシエイト・ロコラでは様々なアイデアが考案され、幾つかの実験模型が試作され、選抜試験を生き残った極小数のモデルだけが実機の開発までこぎつけていた。
例えば、デンゲイの翼膜の〝出来の悪い〟レプリカに過ぎないメイフライという一種の使い捨て増槽のようなミッションモジュール。
あるいは、違法ドローンを捕縛したり、無力化するためのワイヤークローやネットを射出するカディスフライというミッションモジュール。
それらと比較してみても、要するに竜とコンテナを〝紐〟で繋いでいるだけというストーンフライを初めて見た時、セージはそれが随分と原始的《ローテク》な代物に思えてしまった。
その紐の素材が最新技術によって実現したカーボンナノチューブだとか、同時に伝統的な編索技術を応用し、何重にも撚り合わせて十二分の強度を確保したと言われても、結局ケーブルはケーブルであってあまり印象は変わらない。
デンゲイは自分のことなのだから墜落する心配はしない。
怪我や病気でない限りはヒトが歩いたり、走ったりすることを心配する必要がないように、その翼や手足を失わない限り、より正確にはマナを発するだけの十分な竜星物質である竜星体そのものを失わない限り、デンゲイは大空を翔けるだろう。
デンゲイに荷車を結わえ付けて空輸の任にあたらせるという発想はシンプルかつ挑戦的ではあるものの、その「飛躍的」で「野心的な試み」とやらを実際にやらされるセージとしては、その荷車が乱気流や荷重、場合によっては加速度に耐えられるのか不安にもなるし、中に単なる貨物が積み込まれているだけというならともかく、何人もの人命を背負うということを考えてしまえば多少なりとも神経質にならざるを得ない。
デンゲイの共辰者であるセージ自身がそうなのだから、あの診療医がそうであったように、デンゲイを初めて見る人たちが困惑してしまったり、あまつえさえ竜の貨車に乗り込む羽目になった人がそのことを不安に思ったとしても責めることはできない。
セージもそれは仕方がないことだと理解はしている。
それに、こうしてコンテナに乗り込む羽目になったクルーたちだって、口にこそ出さないものの内心どう思っているのかなんてわかりはしない。本人たちからすれば、仮に何かあったとしても自分達ではどうすることもできないのだ。
医療班の面々が初めてストーンフライの救急コンテナに搭乗したのは珊瑚海上空での試験飛行の時だった。
始まる前は辞退者が続出したって仕方がない、とセージは考えていた。デモンストレーションを兼ねた無人コンテナの牽引飛行訓練が終わった後も、飛行甲板に集まって来た医療班のクルーたちを見ないようにしていた。
ところが、いざ搭乗者を募る段となると、真っ先にチーフのマリアが極めてフランクな態度で手を挙げてしまい、それを皮切りに医療班のクルーたちが次々と志願して、結局、日本式の拳遊戯で搭乗者を決めることになってしまった。
この時、なぜか格納庫側でそっと様子を伺っていた整備班の連中が大いに喜んでいたことをセージは良く憶えている。
実際に乗ってみてマリアたちがどう思ったのかは知らない。
いつも怜悧な表情を崩さない医療班のチーフはコンテナを降りた後、普段と変わらぬ様子で「思ったより乗り心地は悪くありません」とだけ言った。
他の医療班クルーも口々に「窓はもっと大きい方が良かった」「一人当たりの飛行時間が短すぎて評価できない」「もっと時間をかけて検討すべきだ」などと言っていた。
もっとも、救急医療ユニットとしての専門的な課題は幾つかあったようで、医療班はその後すぐに技術者たちとの協議に入ってしまい、デンゲイによる牽引飛行についてはそれ以上なにも聞けず、結局どう思っていたのかは今だに良くわからずじまいだ。
アイノが以前に言っていたが、イニシエイト・ロコラのクルーたちは皆、それこそテルミたちが直接の面談を繰り返し行い、その資質を入念に審査された上で選定されたメンバーだった。
その優秀なクルーたちが言葉を選んでいたわけではないと、どうして言うことができるだろう。
人間が口に出す言葉というものはそっくりそのまま信じられるわけではない。
それくらいはセージだって、子供の時からずっと知っている。
アイノにしたって嘘は言わないにしても時折、言葉を選びながら話していることがあったし、セージはそれに気づかないふりをしているだけだ。(もしかしたらアイノはそれすらわかっているのかもしれないが。)
人の話をただ聞いているだけで、その真偽が判断できるわけではない。かといって、人が本当は何と思っているのかを推し量る方法があるのかと言えば、それは砂浜で流れ星の欠片を探すのと同じくらい現実味のない話だろう。
言葉は無いよりはずっとマシにしても、不便な代物だった。
それでも人間はそういうあやふやものに頼って固い地面の上を生きていくしかなかった。
そして、それはデンゲイと空を飛ぶ共辰者にしたって同じようなものだった。
他の人が簡単に思うほど、マナは多くを教えてくれるわけではない。
少なくともマナは、誰かの本心を直接教えてくれるような、コミュニケーションの媒介としての機能を備える便利な代物などでは決してなかった。
セージは知らず、また大きな吐息をついてから、デンゲイの体表面に備え付けられた光学カメラによってディスプレイに映し出される外界の景色を見た。
眼下には、ただ暗闇が広がっていた。
頭上の厚い雲に遮られて、天の光はどこにも届いていない。
水平線はたちこめる陰の色に塗り潰されてしまって、暗い空と黒い海の区別をつけることはできない。
洋上を飛行しているとあらかじめ理解していなければ、果てしなき夜への旅を、ひたすらに深い闇の奥へと潜りながら、月下に広がる地底世界へ行き着くまで続けることになるだろう。
子供の頃、夜の海に接すると、得体のしれない暗黒世界の怪物が大顎を開いているような感覚をおぼえた。
少なくとも初めて夜間に洋上飛行することになった時、まだ幼かったセージは真っ黒に塗り潰されてしまった世界をひどく不安に感じた。
それは、波の切れ目が燦めき、光の肌理が揺らめき、時には魚がその水面を飛び跳ねるような昼間の海とは全く違う姿をしていた。
もし気づかずに、足を踏み外してしまったらどうしよう、もし海に落ちてしまったところをサメやクジラやダイオウイカに飲み込まれてしまったら、あるいはジョアンが聞かせてくれたアマゾン河の探検隊を襲ったピラニアのような小さな肉食魚が無数に集まってきてしまったら、と恐怖の想像を逞しくもした。
だから、幼い時分のセージにとって、夜間飛行とは、底なしの淵を命綱もつけずに綱渡りしようとするか、あるいは巨大な化け物の脅威の前にみすみす自分の身を晒してしまうようなものであって、それをする自分が、ワニの大口の周りで何も知らずに飛び回る無邪気な小鳥と重なって見えてしまうものだった。
さすがに今となってはそんな風に思うこともなくなったが、それにしても大昔のパイロットたちはこの際限のない暗闇の中をどうやって飛んでいたのだろう。
向かい風に懸命に抗い、懐中電灯かランタンかカンテラか、詳しくは知らないがおそらくは何らかの小さな灯りを持って、必死の思いで地図を覗き込んでいたのだろうか。
暗夜航路にあって、自分が居る場所と進むべき空路を知るために。
そうして、セージが光のない空路に思いを巡らせていると、デンゲイが身じろぎした。
それは未だ人類の観測技術では検出できない変化であり、それ故にデンゲイとその共辰者の体感としてのみ検知される変化の変化であった。
セージはデンゲイとの共辰を深めた。
そろそろ針路を修正する頃合いでもあった。
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