ギフト・フロム・カノープス
第1部 Night Flight - 3
*
濃灰色の雲が天蓋となって空を覆っている。
暗い雨が航路を乱し、風は闇そのものとして狩りたてる。
黒い海原はどこまでも限りなく盲いている。
星の標は隠され、月光は未だ遥か水平線の底をさ迷う。
ただ竜が画する光の航跡だけが夜空に一辺の輝きを引いて、世界にまだ色づく余地はあるのだと思い出させてくれる。
硫黄島との無線通信は途切れ途切れではあったものの、恙なく終了した。どちらかと言えば、日本語訛りの強い英語を聞き取るのに苦労したかもしれない。
竜子場は電磁場に干渉し、往々にして電波を阻害する。
十五年以上前に全地球上へ降り注ぎ、今も尚、断続的に落下を続ける小天体群、つまり竜星群は地表面へと墜落し、地面や海底に転がる破片や小さな塊となった後も、人類がそれまで全く把握できていなかった未知の力場を発生させ、未だ文明社会全体に大きな影を落としている。
しかし、竜は、その竜子場から力を得て飛行する。
竜子場には気流も海流も影響しない。
デンゲイの浮遊と飛行に対気速度も空力も関係しない。
竜子場が濃くなれば濃くなるほど、マナが密になれば密になる程に、文明の利器は用を為さず、人々は頭を抱え、竜は嬉々として飛び廻る。
今だってそうだ。
怒涛の如き横殴りの雨も、時間とともに激しさを増していく風の勢いも、時折垣間見える稲光、つまり天然の超高圧放電さえも、デンゲイにとっては、そのどれもが新鮮で胸躍る、刺激的なアクティビティの一環であるかのようだった。
そうして、竜は地に足をつけている時の鈍重な動きからは考えられないくらい、弾みに弾んだ飛翔を続けた。
マナに背を押され、大空を翔けるデンゲイの本性とは。
さながら水を得た魚の快活さであり、
あるいは、氷海に切り込むペンギンの鋭敏さであり、
かつてテチス海を遊泳したバシロサウルスの雄大さだった。
そういうことだから、セージの方が後方の救急コンテナを気にして、ともすれば勝手気ままに錐揉み飛行へ移行してしまいそうな自分の半身を落ち着かせる必要があった
こうして見ると、確かに竜にとっての共辰者は、馬にとっての御者であり、騎乗者という風にも言えるかもしれない。
もちろん、それは正確さを欠いた表現ではあった。
セージからすれば、共辰者でない人に、竜と共辰するということを説明し、そのありがた迷惑な好奇心を鎮めてやるための些か短絡的な方便でしかない。
だいたい、セージは馬に乗ったことなどないのだ。
カトマンズへ行った時にリャマに乗ったことがあるくらいだ。
だが、彼の生まれ故郷には「人馬一体」という言葉があって優れた騎乗者ならば馬と通じることもあるという。
強いて言えば、そういうことなのだろうか。
それでもセージには何か違うように思える。
馬が馬であるように、竜は竜であるように思える。
セージがデンゲイと飛ぶ時、何かを命じることはない。
声をかける必要もなければ、鞭打つこともない。
人が歩く時、走る時に、そうすることを考えたり、強いる必要がないのと同じように、セージは竜に共にあり、飛翔する。
ただ、それだけだった。
それだけのことではあったが、普通の人にそれを納得してもらうことは難しいだろう。
デンゲイにとって、そしてセージにとって空を飛ぶことは当たり前のことではあったが、ほとんどの人類にとってそうではないのだ。
人類が飛行する術を得たのは今から200年以上前のこと。
大昔のことのように思えるが、現生人類が現在までに十万年単位の時を踏みしめてきたことを鑑みれば、ヒトにとって飛行とは新奇な習慣以外の何物でもないだろう。
熱気球や滑空機、はばたき機といった比較的単純な造りの飛行機械から始まった人類の大空への足掛かりは、いつしか一部好事家の趣味や情熱の域を抜け出し、一大産業と化して、20年ほど前から下火になってしまったものの、経済的にも文化的にも人類社会において重要な地位を占めるようになった。
航空機による経済活動の嚆矢となる定期郵便飛行の開始はおおよそ100年以上前の出来事となるが、当時の飛行機乗りたちは、現代の技術水準からみれば、ほとんど玩具のような原動機と機体に乗って、何もない、そして全てがあるこの大空に、目には見えないが肝要そのものである空路を開拓していった。
彼らにとっては、それこそ嵐が渦巻く暗闇の空などというもの太古の神々に捧げられた異形の神殿であって、彼らはそれにたった一人で挑む哀れな生贄であったのだろう。
残念ながら、セージにその感覚はわからない。
デンゲイによって、デンゲイと飛ぶからには、この荒天下にあっても、ほとんど何の労苦も負わず、それも彼らよりずっと速く、燃料の心配もせずに、夜空をどこまでも飛翔することができる。
そのことを良いと評価する者もいる。
薄気味悪いと忌避する者もいる。
理由なく、あるいは理由がないからこそ、訳がわからないからこそ反感を持つ者もいる。
それはセージが幼い頃からずっとそうだった。どれだけテルミたちが働きかけ、国際機関が世界に向けて呼びかけたところで、人類の社会というものが一朝一夕に変わるものでもない。
セージだってそれくらいはわかっている。
それでも、竜と共に空を飛んでいる時だけは、そのような些末な諸々の雑事を忘れ、ゴタゴタした地上でのしがらみに煩わされず、自由でいることができた。
そして。
それはかつての飛行機乗りたちも同じだったのかもしれない。
夜間飛行隊。
デンゲイによる全天候型多用途飛行部隊。
天野テルミが「デンゲイの平和利用に関する先進技術研究計画」の具体案として、かの有名な航空文学者の名を冠する実証チームの構想を発表した時、国際連合竜星群機関には異議を申し立てる者はいなかったという。
その(まるで提唱者が若かりし頃に浸っていた文学少女趣味が懐古として息を吹き返してきたような)聞いているこちらがむしろ恥ずかしくなるような感傷的な名称も含めて。
これについて、当時はまだ竜骨の一本も建造されていなかったイニシエイト・ロコラのクルーたちが口を挟むことはできなかったのだろうが、仮に艦長のシュクラやマニンガム首席補佐官がその場にいたとしても、紳士的な配慮によって遠慮がちな咳払いの一つや二つで済まされていたことだろう。
おかげさまで、セージはその「夜間飛行隊」に所属する唯一のメンバー、というより国連竜星群機関が保有する唯一のデンゲイとその共辰者《レゾナンサー》としてイニシエイト・ロコラに乗艦し、今こうして荒れ模様の夜空を飛んで見せているのも、デンゲイの“実用性”に関する実証研究の一環を口実として、救急救命任務を果たすためだった
今からおよそ一時間前、ロコラの艦橋クルーは小笠原諸島にある有人島の一つ、母島と硫黄島を発した回転翼機の交信を傍受した。
途切れがちな無線通信は母島に急患が発生したことと、悪天候のため救難ヘリコプターが引き返さざるを無いことを伝えていた。
しかも、急患は20年前に世界中で流行し、猛威を振るったウイルス感染症を思わせる重篤な肺炎症状を呈し、一刻を争うという。
発艦前のブリーフィングでテルミは不機嫌そうに言っていた。
「小笠原諸島は現在、強い熱帯低気圧の勢力下にあり、気象・海象ともに劣悪です。船舶による移送は論外。母島から約32海里離れた父島には数年前に建設された短距離飛行場がありますが、この状況ではヘリコプターはおろか固定翼機の発着も難しいでしょう。かといって、日本国の主列島からティルトローター機や複合ヘリコプターを飛ばしたのでは時間がかかりすぎる」
だから、我々が出ます。
壁面に投影したARスクリーンの中でテルミはきっぱりと告げた。
「ワクチンの供与も必要です。島内の備蓄だけでは不足しているという以上は人道支援として艦内の物資を提供します。医療班には急患移送とワクチンの準備に、整備班にはストーンフライの準備に既に取り掛からせています。本艦は既に30ノットまで速力を上げ、日本国の排他的経済水域を母島方面へ航行中です」
メラ・デンゲイは20分以内に発艦態勢に入りなさい。
セージが知る限り、テルミはロコラを束ねる複合任務司令官に着任する前から、いつも不機嫌そうな顔をしていたし、セージはセージでいつもその不機嫌そうな顔を睨み返してきたと思う。
いつだって一方的なのだ。昔、日本を出て色々な国へ連れていかれた時もそうだったし、今は今で日本へ行けという。
だが、セージだって大人ではないにせよ、もう子供ではないのだ。
なんであろうと、何才になろうと、共辰者は共辰者だった。
ならば、やってみせなければならない。
国だか地方政府だか知らないが、あるいは沿岸警備隊や軍に相当する組織なのかもしれないが、救難救命に関わる部署との調整はそれこそテルミたちの領分だろう。それより、自分が気にしなければならないのは、ちゃんと飛んでみせられるかどうかだった。
竜の巡航速度は強まっていく嵐の中でも安定していた。
航路上の竜子場密度は蓋然性の高い水準に収束していた。
マナは充分にかかっている。
セージはそう実感していた。
もちろん、マナという言い方は研究者たちからすれば甚だ不正確な物言いということになるのだろう。学術的な用語としては、明るい相互作用やら竜子場による相互作用といった言葉があるはずだ。
だが、デンゲイとの「付き合い方」を世界で初めて他の共辰者にレクチャーし、道を示した導師ホクレアの薫陶を受けた者は、誰もそんなまどろっしい言い方はしていない。
太平洋島嶼域において伝統的に用いられてきた精霊信仰に根差す魔力の如き概念。
竜と共辰者に、竜子場が与える加護。
それがマナであり、デンゲイや竜星が発生させる未知の力を表すのに、これ以上相応しい言葉はなかった。。
特に、デンゲイが自ら発生させ、その周囲を包み込むようにあるマナはエンベロープと呼ばれていて、デンゲイをただ飛行させるだけでなく、その周囲にあって空気抵抗を軽減し、風や雨の影響さえも和らげる効果があった。
今もマナ・エンベロープはメラ・デンゲイだけでなく、後方のミッションモジュールまでも柔い泡のように包み、飛行を助けている。
竜が翔ける空に、その航路を阻むものはなし。
暗くうず固まった雲塊を、それが曳く束の間の極光によって切り拓きながら、黒いデンゲイは陶然と飛び続ける。
目的地までもう10分もかからないはずだ。
セージは意識を少し人間の側に引き戻して、アームレストに据えられた有線通信のスイッチを入れると、救急コンテナ内のマリアたちに着陸の準備を呼びかけた。
濃灰色の雲が天蓋となって空を覆っている。
暗い雨が航路を乱し、風は闇そのものとして狩りたてる。
黒い海原はどこまでも限りなく盲いている。
星の標は隠され、月光は未だ遥か水平線の底をさ迷う。
ただ竜が画する光の航跡だけが夜空に一辺の輝きを引いて、世界にまだ色づく余地はあるのだと思い出させてくれる。
硫黄島との無線通信は途切れ途切れではあったものの、恙なく終了した。どちらかと言えば、日本語訛りの強い英語を聞き取るのに苦労したかもしれない。
竜子場は電磁場に干渉し、往々にして電波を阻害する。
十五年以上前に全地球上へ降り注ぎ、今も尚、断続的に落下を続ける小天体群、つまり竜星群は地表面へと墜落し、地面や海底に転がる破片や小さな塊となった後も、人類がそれまで全く把握できていなかった未知の力場を発生させ、未だ文明社会全体に大きな影を落としている。
しかし、竜は、その竜子場から力を得て飛行する。
竜子場には気流も海流も影響しない。
デンゲイの浮遊と飛行に対気速度も空力も関係しない。
竜子場が濃くなれば濃くなるほど、マナが密になれば密になる程に、文明の利器は用を為さず、人々は頭を抱え、竜は嬉々として飛び廻る。
今だってそうだ。
怒涛の如き横殴りの雨も、時間とともに激しさを増していく風の勢いも、時折垣間見える稲光、つまり天然の超高圧放電さえも、デンゲイにとっては、そのどれもが新鮮で胸躍る、刺激的なアクティビティの一環であるかのようだった。
そうして、竜は地に足をつけている時の鈍重な動きからは考えられないくらい、弾みに弾んだ飛翔を続けた。
マナに背を押され、大空を翔けるデンゲイの本性とは。
さながら水を得た魚の快活さであり、
あるいは、氷海に切り込むペンギンの鋭敏さであり、
かつてテチス海を遊泳したバシロサウルスの雄大さだった。
そういうことだから、セージの方が後方の救急コンテナを気にして、ともすれば勝手気ままに錐揉み飛行へ移行してしまいそうな自分の半身を落ち着かせる必要があった
こうして見ると、確かに竜にとっての共辰者は、馬にとっての御者であり、騎乗者という風にも言えるかもしれない。
もちろん、それは正確さを欠いた表現ではあった。
セージからすれば、共辰者でない人に、竜と共辰するということを説明し、そのありがた迷惑な好奇心を鎮めてやるための些か短絡的な方便でしかない。
だいたい、セージは馬に乗ったことなどないのだ。
カトマンズへ行った時にリャマに乗ったことがあるくらいだ。
だが、彼の生まれ故郷には「人馬一体」という言葉があって優れた騎乗者ならば馬と通じることもあるという。
強いて言えば、そういうことなのだろうか。
それでもセージには何か違うように思える。
馬が馬であるように、竜は竜であるように思える。
セージがデンゲイと飛ぶ時、何かを命じることはない。
声をかける必要もなければ、鞭打つこともない。
人が歩く時、走る時に、そうすることを考えたり、強いる必要がないのと同じように、セージは竜に共にあり、飛翔する。
ただ、それだけだった。
それだけのことではあったが、普通の人にそれを納得してもらうことは難しいだろう。
デンゲイにとって、そしてセージにとって空を飛ぶことは当たり前のことではあったが、ほとんどの人類にとってそうではないのだ。
人類が飛行する術を得たのは今から200年以上前のこと。
大昔のことのように思えるが、現生人類が現在までに十万年単位の時を踏みしめてきたことを鑑みれば、ヒトにとって飛行とは新奇な習慣以外の何物でもないだろう。
熱気球や滑空機、はばたき機といった比較的単純な造りの飛行機械から始まった人類の大空への足掛かりは、いつしか一部好事家の趣味や情熱の域を抜け出し、一大産業と化して、20年ほど前から下火になってしまったものの、経済的にも文化的にも人類社会において重要な地位を占めるようになった。
航空機による経済活動の嚆矢となる定期郵便飛行の開始はおおよそ100年以上前の出来事となるが、当時の飛行機乗りたちは、現代の技術水準からみれば、ほとんど玩具のような原動機と機体に乗って、何もない、そして全てがあるこの大空に、目には見えないが肝要そのものである空路を開拓していった。
彼らにとっては、それこそ嵐が渦巻く暗闇の空などというもの太古の神々に捧げられた異形の神殿であって、彼らはそれにたった一人で挑む哀れな生贄であったのだろう。
残念ながら、セージにその感覚はわからない。
デンゲイによって、デンゲイと飛ぶからには、この荒天下にあっても、ほとんど何の労苦も負わず、それも彼らよりずっと速く、燃料の心配もせずに、夜空をどこまでも飛翔することができる。
そのことを良いと評価する者もいる。
薄気味悪いと忌避する者もいる。
理由なく、あるいは理由がないからこそ、訳がわからないからこそ反感を持つ者もいる。
それはセージが幼い頃からずっとそうだった。どれだけテルミたちが働きかけ、国際機関が世界に向けて呼びかけたところで、人類の社会というものが一朝一夕に変わるものでもない。
セージだってそれくらいはわかっている。
それでも、竜と共に空を飛んでいる時だけは、そのような些末な諸々の雑事を忘れ、ゴタゴタした地上でのしがらみに煩わされず、自由でいることができた。
そして。
それはかつての飛行機乗りたちも同じだったのかもしれない。
夜間飛行隊。
デンゲイによる全天候型多用途飛行部隊。
天野テルミが「デンゲイの平和利用に関する先進技術研究計画」の具体案として、かの有名な航空文学者の名を冠する実証チームの構想を発表した時、国際連合竜星群機関には異議を申し立てる者はいなかったという。
その(まるで提唱者が若かりし頃に浸っていた文学少女趣味が懐古として息を吹き返してきたような)聞いているこちらがむしろ恥ずかしくなるような感傷的な名称も含めて。
これについて、当時はまだ竜骨の一本も建造されていなかったイニシエイト・ロコラのクルーたちが口を挟むことはできなかったのだろうが、仮に艦長のシュクラやマニンガム首席補佐官がその場にいたとしても、紳士的な配慮によって遠慮がちな咳払いの一つや二つで済まされていたことだろう。
おかげさまで、セージはその「夜間飛行隊」に所属する唯一のメンバー、というより国連竜星群機関が保有する唯一のデンゲイとその共辰者《レゾナンサー》としてイニシエイト・ロコラに乗艦し、今こうして荒れ模様の夜空を飛んで見せているのも、デンゲイの“実用性”に関する実証研究の一環を口実として、救急救命任務を果たすためだった
今からおよそ一時間前、ロコラの艦橋クルーは小笠原諸島にある有人島の一つ、母島と硫黄島を発した回転翼機の交信を傍受した。
途切れがちな無線通信は母島に急患が発生したことと、悪天候のため救難ヘリコプターが引き返さざるを無いことを伝えていた。
しかも、急患は20年前に世界中で流行し、猛威を振るったウイルス感染症を思わせる重篤な肺炎症状を呈し、一刻を争うという。
発艦前のブリーフィングでテルミは不機嫌そうに言っていた。
「小笠原諸島は現在、強い熱帯低気圧の勢力下にあり、気象・海象ともに劣悪です。船舶による移送は論外。母島から約32海里離れた父島には数年前に建設された短距離飛行場がありますが、この状況ではヘリコプターはおろか固定翼機の発着も難しいでしょう。かといって、日本国の主列島からティルトローター機や複合ヘリコプターを飛ばしたのでは時間がかかりすぎる」
だから、我々が出ます。
壁面に投影したARスクリーンの中でテルミはきっぱりと告げた。
「ワクチンの供与も必要です。島内の備蓄だけでは不足しているという以上は人道支援として艦内の物資を提供します。医療班には急患移送とワクチンの準備に、整備班にはストーンフライの準備に既に取り掛からせています。本艦は既に30ノットまで速力を上げ、日本国の排他的経済水域を母島方面へ航行中です」
メラ・デンゲイは20分以内に発艦態勢に入りなさい。
セージが知る限り、テルミはロコラを束ねる複合任務司令官に着任する前から、いつも不機嫌そうな顔をしていたし、セージはセージでいつもその不機嫌そうな顔を睨み返してきたと思う。
いつだって一方的なのだ。昔、日本を出て色々な国へ連れていかれた時もそうだったし、今は今で日本へ行けという。
だが、セージだって大人ではないにせよ、もう子供ではないのだ。
なんであろうと、何才になろうと、共辰者は共辰者だった。
ならば、やってみせなければならない。
国だか地方政府だか知らないが、あるいは沿岸警備隊や軍に相当する組織なのかもしれないが、救難救命に関わる部署との調整はそれこそテルミたちの領分だろう。それより、自分が気にしなければならないのは、ちゃんと飛んでみせられるかどうかだった。
竜の巡航速度は強まっていく嵐の中でも安定していた。
航路上の竜子場密度は蓋然性の高い水準に収束していた。
マナは充分にかかっている。
セージはそう実感していた。
もちろん、マナという言い方は研究者たちからすれば甚だ不正確な物言いということになるのだろう。学術的な用語としては、明るい相互作用やら竜子場による相互作用といった言葉があるはずだ。
だが、デンゲイとの「付き合い方」を世界で初めて他の共辰者にレクチャーし、道を示した導師ホクレアの薫陶を受けた者は、誰もそんなまどろっしい言い方はしていない。
太平洋島嶼域において伝統的に用いられてきた精霊信仰に根差す魔力の如き概念。
竜と共辰者に、竜子場が与える加護。
それがマナであり、デンゲイや竜星が発生させる未知の力を表すのに、これ以上相応しい言葉はなかった。。
特に、デンゲイが自ら発生させ、その周囲を包み込むようにあるマナはエンベロープと呼ばれていて、デンゲイをただ飛行させるだけでなく、その周囲にあって空気抵抗を軽減し、風や雨の影響さえも和らげる効果があった。
今もマナ・エンベロープはメラ・デンゲイだけでなく、後方のミッションモジュールまでも柔い泡のように包み、飛行を助けている。
竜が翔ける空に、その航路を阻むものはなし。
暗くうず固まった雲塊を、それが曳く束の間の極光によって切り拓きながら、黒いデンゲイは陶然と飛び続ける。
目的地までもう10分もかからないはずだ。
セージは意識を少し人間の側に引き戻して、アームレストに据えられた有線通信のスイッチを入れると、救急コンテナ内のマリアたちに着陸の準備を呼びかけた。
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