巡礼

増田朋美

巡礼

野田実香は、徳島の霊山寺近くに住んでいる、高校生だった。と言っても、徳島に何があるんだろうかと思ってしまうのであった。どうせ、こんなところ、公共の交通機関もしっかり揃っているわけではないし、近くに大きなショッピングモールなどの、楽しい遊び場があるわけでもない。そんななんにもないところで自分は一体どんな人間になっていくのだと思う。こんなところに居ても、ろくな人間になれないのではないかと、思ってしまうのであった。
「昨日の試験の答案を返します。今回のトップは、豊田清子さんの98点だ。みんな見習えよ。」
間延びした教師がそう言って、出席番号順に、試験の答案を返し始めた。
「えーと、野田実香!」
と教師に言われて、美香は椅子から立ち上がる。そして、ふてぶてしい態度で、試験用紙を受け取った。点数は、53点。あの、豊田清子さんの点数とは、ぜんぜん違う。そもそも何で国語の試験で98点も取るんだろうと思う。どうせ、教科書とワークブックを暗記させられているだけのことだろう。だって、素直に感想を書いたら、バツを食らうんだから。美香は、そんなことを思いながら、椅子に座った。この先も、こうして、試験の点数を取って、家族を喜ばせるだけの、そんなつまらない日常が続いていくのだろう。全く学生というものは、嫌なものだ。早く、大学に行って、都会に出て、好きなことして暮らしたいと、美香は思ってしまうのであった。
「それでは、次の試験は、再来月の期末テストだから、それまで、一生懸命勉強するように。これから大学受験も近くなるんだし、それに向けて、成績をしっかり保持しておくことが大事だぞ。」
教師は、そう言っているが、美香はどうせ、教師や親を喜ばせるためだけに自分は生きているんだということを知っていた。だから、本当に毎日がつまらなかった。部活をやればまた変わると言ってくれた人もいるけれど、部活なんて、成績が良い人の特権のようなもので、試験の成績が悪い人は、本当に、何をするにも成績が良くなったらという鎖のような条件がついて回って、どうせ許されないんだということを知っているから、部活をやりたいという気持ちも起こらなかった。
その日も、家に帰っても、家の人達は、塾に行きなさいと言う。それ以外の人たちは、どうせ何も声を掛けるということもない。だから自分は、どうせ、この世の中になんか、必要ないと思われてるんだと、美香は思っていた。だから、いっそのこと、自分なんて、どっかへ消えてしまえばいい。それで良いと思っていた。
その日は、学校の先生に叱られたあとだった。学校で行われた、進路希望調査というものがあって、美香は、調査票には、空欄であった。だって、何もしたいこともないし、勉強したい分野もなかったからだ。どうせ、勉強なんて、親を喜ばして、自慢させたいためにするものだ。自分のためには何もならない。美香は、そう確信していた。だから、心と希望調査には、空欄であったのだ。進学する気持ちもなければ、就職する気持ちもない。まあ、言ってみれば、生きていたって居なくて良いのだ。そう担任教師に話したところ、担任教師は、それではダメだ、なにかやりたいことや、生きたいところを見つけなさいと言う。でもそれだって、勉強ができて運動ができる人でないとダメでしょうと美香が反論すると、それとこれとは話が別だと担任教師はいうのである。全く、大人ってなんて身勝手なんだろう。どうせ、自分が勉強していい成績とったのを自慢するだけ、いい学校にいって、学校の進学率を自慢したいだけだ。それでは自分はなんだろうと思うと、もう生きていなくていいじゃないか。それもいいたかったけど、担任教師は、具体的な目標を持ってと実香を叱りつける。全くそんなことして、そんなに私を上級学校に行かせたいのですか、と、美香は大きなため息を付くのだった。
そのお説教が終わって、美香は家に帰ったわけであるが、今度は、親から説教を食らわされるのだ。ほんと、なんで、こんなふうに言われてしまうんだろうな。そして最後の言葉は塾へ行きなさいだ。どうせ親なんて、私の事を、ただ自慢話の道具にしたいだけのことだ。だから、偉ぶって私を叱りつけても仕方ないと思う。その2つの辛い時間をずっと耐え、美香は、塾へ出かけていった。
どうせこれから塾でも、成績が悪いことで叱られるんだろうな、、、とか考えながら、塾へ向かって歩いていくと、向こうから、一人のお遍路姿の男性が歩いてくるのが見えた。ここは徳島だ。徳島は、お遍路がよく来る街であることは美香は知っている。お遍路とは、四国地域の88箇所の礼状と言われる、お寺をまわって、お参りしていく旅人なのだそうだ。なんだか、死に装束と言われる白い着物を着て、杖を持って、編笠を被って、そんな姿で、四国地域を回るのだ。一体何の目的でここを歩いているのだろう。
美香は、黙ってその男性の隣を通り越そうとしたのであるが、いきなりその男性から声をかけられて、びっくりしてしまうのであった。
「あの。すみません。」
美香はそう言われた。驚いて、は、はい?と立ち止まると、
「ええと、すみませんが、その、スマートフォンの明かりをお借りできませんでしょうか?」
と男性は言った。
「スマートフォンの明かり?なんですか?」
美香が言うと、
「ええ、懐中電灯のアプリがあったら、それをお借りできないかと思いまして。膝当ての紐を結び直したいのです。お忙しいところ、申し訳ありません。」
とその男性が言った。
「ああ、そういうことなんですか。わかりました。それなら、どうぞ。」
美香は、スマートフォンを出して、懐中電灯アプリを取り出した。そしてその男性の足首を照らしてあげた。彼はすぐに、その紐を結び直して、
「どうもありがとうございました。」
と実香に深々と頭を下げるのだった。
「いいえ大丈夫ですよ。お遍路さんなんて珍しいわね。昔は、このあたり、よく人が来てたんだけど、なかなか最近は来なくなってしまったわよ。」
美香は最近の事情を言うが、
「ええ、それは僕も存じております。でもなんだか気持ちの整理がしたくて、それでこさせていただいたんです。」
と、彼は答えた。薄暗くて、よくわからないけど、美香は懐中電灯アプリで、その人の顔を照らしてみた。すると、なんとも言えない美しい顔をした人で、どこかの俳優さんにでもなれそうな、美しい人だった。本当に、ハッとするほど美しい人であるから、美香はお遍路姿の死に装束は似合わないと思った。
「あの、すみません。」
今度は美香のほうが聞いてしまうのだった。
「泊まるところは決まったんですか?」
「ええ、遍路の旅ですから、あらかじめ予約をすることはできないので、このあたりに、ビジネスホテルでもあれば、泊まろうかと。」
と、彼は答える。
「よろしければ、どこかご存知のところがあれば教えてください。」
「ええ、大丈夫です。四国にはお遍路さんを受け入れる文化はあるって、うちの家族は言ってました。だから、うちでお泊りしていきませんか。ああ、もちろん、ごちそうは出ませんけど。」
美香はにこやかに笑ってそう言ってしまった。塾に行くことなんてどこかへ消し飛んでいった。美香は、その男性の手を引っ張って、自分の家まで連れて行った。その人は、お遍路さんといっても、まだ30代前後の人で、そんな年代でお遍路をするようには見えない人であったが、美香は、そんなことは気にしなかった。
「ただいまあ。」
美香は自宅のドアを開けた。家には、母が待っていて、塾に行くはずではと実香にいいかけたが、その隣に、大変美しい顔のお遍路さんが立っているのを見て、
「ああ、お遍路さんですか。どうぞお上がりくださいませ。まだ晩御飯はできておりませんので、お風呂にでも入ってもらいましょうか。」
と、お母さんはそういったのであった。奥の部屋にいたおばあちゃんも出てきて、さあどうぞこちらですよと言って、お遍路さんを部屋の中へ案内していく。おばあちゃんは、お風呂へお遍路さんを案内すると、押入れの中から男ものの浴衣を出して、タオルも用意した。その間に、お母さんは、お遍路さんにこんなものでいいのかしらと言っておきながらも、カレーの鍋を出して、器にカレーを盛り付けたのだった。
「お風呂、ありがとうございました。」
とお遍路さんは男者の浴衣姿になって、部屋へ戻ってきた。編笠をとってみると、また美しい顔だった。本当にこんな顔の男性がいてくれるなんて嬉しいなと思われるような、顔であった。お遍路さんは、この家の世帯主は、誰ですかと聞いた。お母さんは、申し訳無さそうに世帯主はいないんですと応える。それは実香も聞いたことがある。美香のお父さんは、実香が生まれる一月前になくなったという。その理由はよくわからない。おばあちゃんに、聞かせてくれとせがんだこともあったが、美香は一度もなぜパパがいなくなってしまったのか、聞いたことがなかった。
「本当は世帯主の方にお渡しするのが通例なんですけど、これをお収めください。」
とお遍路さんは、お母さんに御札を渡した。お母さんの代わりにおばあちゃんがそれを受け取る。
「こんな女ばかりの家で申し訳ないですけど、ゆっくりしていってください。」
おばあちゃんは申し訳無さそうに言った。
「名前を名乗らせてください。須田玲と申します。」
お遍路さんはそう名前を名乗った。なんか平凡な名前だった。その顔からしてもう少しキラキラネームみたいなものでもいいなと思ったんだけど、それにしては平凡な名前だったのである。
「あたしは、野田美香と申します。よろしくお願いします。」
実香も名前を名乗った。自分の名前も今更名乗ってみて、なんかつまらない名前だなと思ったのであるが、それは変えられるものではないから、仕方なかった。
「じゃあ、カレーを召し上がってください。ごちそうではありませんけど、こんなものでよろしければですけどね。」
お母さんは、須田さんに、お匙を渡した。須田さんは、いただきますと言ってカレーを食べた。こんなふうに美味しそうにカレーを食べる人は見たことがない。それくらい須田さんは美味しそうに食べるのだった。それに続いて、実香も、お母さんもおばあちゃんもカレーを食べたけど、カレーはとても美味しかったのであった。
「まだ若いのに、どうしてお遍路さんになろうと思ったんですか?」
不意におばあちゃんがそう聞くのである。美香は、そんなこと聞いては行けないような気がしたけれど、須田さんは、そうですねと言って、こう答えるのであった。
「ええ、以前、岡山で大きな水害があったときに、妻も子供も、水に流されて一変になくなりました。まだ、遺体も戻ってきておりません。だからこうして弔っているのです。」
「そうですか。そういえば大きな水害がありましたねえ。こちらはそんなに降らなかったんですけど、岡山の方は、甚大な被害が出たと聞いています。それは大変だったことでしょうね。」
とおばあちゃんは年寄りらしく言った。
「あの日以来、日常が全部変わってしまったみたいで、何をしてもなくなった妻や、息子に申し訳ないという気持ちになってしまって、何もできないのです。だから、こういう礼場とかそういうところを、巡ってみようと、思ったんですよ。そうして、気持ちを整理すれば、これからの人生もなんとかなるかなと思い、、、。」
須田さんは、静かに語る。
「そうなんですか。それではお遍路さんになろうと、おすすめされたのは誰ですか?誰かご家族か、親戚の方でもそうするようにおっしゃったの?」
と、口の軽い美香は、思わずそう言ってしまうのであるが、
「いえ、それは僕が決めました。いきなり家族をなくして仕事ができなくなって、上司が冗談で、お弔いに回れといったのも事実ですが、いっそのこと、実行してしまおうと思いついたのは僕自身です。」
と須田さんは、そう答えるのである。
「そうなんだ。会社で働いていたのね。なんか、不思議なことだわ。会社で、お金を得るだけに働いているだけだと思ったのに。」
美香は、思わず言ってしまう。お母さんが、実香ちょっと口を慎みなさいというが、美香はこの男性に好奇心いっぱいだ。なんだか聞きたいことがいっぱいあった。どうして会社を出てまで、こんな四国遍路をしているのか、もっともっと聞きたいと思った。
お母さんは、須田さんに、部屋を一つ貸した。それは、床の間として普段誰も使ってない部屋だったが、こういう人が来ると、貸部屋として使えるようになるのだ。日本の部屋の使いかたは不思議なものだ。テーブルを置いて、食堂にすることもできるし、布団を敷いて寝室にすることもできる。今回は、押し入れにしまっておいたお客さん用の布団を敷いて、そこを寝室として使ってもらおうということであった。須田さんは、ありがとうございますと言って、食事が終わったあと、その部屋に移った。
「ねえ、こんばんは。玲さん。」
美香はこっそり、須田さんのいる部屋に入ってしまった。若い女の子が、須田さんくらいの男性の部屋に入るのは行けないと言われても仕方ないと思われる状況だったが、美香はそれは気にしなかったし、須田さんも気にしなかった。
「ねえ、本当に、その人のこと、好きだったの?」
美香は思わずそう聞いてしまう。
「その人って誰のことですか?」
須田さんは、そう聞いた。
「あの、なくなった奥さんと、子供さんのことよ。なんで再婚もしないでお遍路になって巡礼までするのかなって、不思議に思っていたのよ。だって最近の芸能人とかはさ、平気で離婚して、平気で愛人と子供作ったりしちゃうでしょうが。」
美香は、そう聞いてしまうのであった。美香にとって、結婚は他人事と言うか、どうせ大したことはないと思ってしまう。だって、結婚なんてしても、幸せになれるという気にはどうしてもなれないのだった。
「好きだったと言うか、まあ、結婚した当初は、辛いこともたくさんありました。周りの人からは、結婚してはダメだと、反対されて、もう無理なんじゃないかって思ったこともあった。僕自身も、ただのしがない会社員で、そんなに大きな年収を持つことはできませんでしたし。それでも、妻は、そんな生活を嫌だとか、そういうことは何も言わなかったんですよ。だからそれできっと僕のことを好きなんだなって確信したんです。だから、妻のことを愛するというのはそういう気持ちなんだなと思いました。それで、この人のために一生懸命働こうって思いました。」
須田さんはそういった。
「そうか、愛する人ができるって、それくらい、人生が変わってしまうものだったんだ。」
と、美香は、そう言ってしまう。
「そうですね。それで息子が生まれて、ああ、自分が妻と愛し合ったおかげでこんなすごいものが出てくれたんだということが、すごく嬉しかったです。真剣に生きていれば、こういう幸せにも会えるんだって、もう天にものぼる気持ちで毎日を過ごしてました。親になるって、そういうことなんだと思いますよ。まあ、きっと息子にしてみれば、うるさいだけの親だったかもしれないですけど。十分なことは何もしてやれなかったかもしれないですけど。」
須田さんは、そういうのであった。
「でも、あの日、水害があって、永久に妻にも息子にも会えなくなってしまいました。」
それが、実香には印象的だった。
「そうなんですか。」
美香は、そういった。なんだか須田さんに対して淡い思いもあったけど、それは言わないほうがいいのではないかと思った。美香は、本当なら、須田さんに持っといろいろ聞きたかったけれど、代わりにこういうのであった。
「私は、須田さんが自分自身を責めることは、必要ないと思いますよ。それより、須田さんは、須田さんのままで居ればいいのではないかなって思いますけど。それじゃダメなんですか?」
「ええ、ちゃんと、気持ちに整理をつけて、新しい場所へ進んでいかなくちゃね。そのために、四国遍路というのはあるのだと思いますよ。こうして死に装束を着て、いろんな人のお宅へ泊めてもらいながら、旅を続けるっていうのも、人生には、こういうものもあるんだって気づかせてくれるためにあるんだと思うんですね。」
須田さんは、そういうのだった。美香は、そうなんだと思った。
「真剣に生きていても、こうして自然災害で、すぐに取られてしまうのです。それが人生だという人もいますが、僕はどうしても納得できなかったのです。それではいけないこともわかってるけど、それでも、頑張らなくちゃね。」
須田さんの言い方は真剣そのもので、とても静かだった。
「そうなのね。あたしは、進路が決まらなくて、困っていたけど、なんか須田さんのような人を見て、真剣に生きていてものぞみは叶わない人もいるんだなって、気が付きました。私、そういう人に寄り添えるような仕事になりたいな。」
美香は、思わず須田さんにそういうことを言ってしまう。
「そうですか。きっと、新しい門出をするものには、新しい道がひらけますよ。」
「そうですね。」
須田さんがそういうと美香は、にこやかに笑った。
「おやすみなさい。」
もうこれ以上言わないと思った美香は、須田さんにそう言って、自分の部屋に戻った。なんだか人生の中で決定的なことが起こると人間は、また変われるというが、なんか、それが起きたような気がしたのであった。
翌日、美香が起きると、須田さんは、朝食を食べていた。もう白装束に着替えて、またお遍路さんの姿に戻ってしまっている。美香は、須田さんを呼び止めることはなく、須田さんに、ありがとうございましたと言って、彼が家を出ていくのを見送った。美香は思わず待ってといいそうになったが、須田さんは軽く手を降って、美香の家を出ていったのであった。
もしかして、なくなった父が、須田さんの体を借りて現れたのではないか?美香は思わずそうおもってしまう。
そして、美香は、自分の進路を、須田さんのような人に寄り添えるような人間になろうと決めた。人生には、今まで順調に行っていたのに、いろんなことでそれが全部取られてしまう人もいる。そういう人に、自分は何ができるかわからないけど、そばにいてあげたい。寄り添ってあげられる人間になりたい。あのとき、須田さんは確かに、自分が話を聞いてくれて嬉しそうな顔をしていた。それは美香はしっかり覚えている。美しい顔の人は、顔の表情もはっきりしているからすぐわかる。それは、実香が確信したことであった。
また、月に一度の進路希望調査の日がやってきた。そのときに美香は、人の話を聞いて寄り添ってあげられる仕事につきたいです、と自らの進路希望内容を書いたのであった。

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