半人半魔の旦那様

祇光瞭咲

6.救出

 馬を駆る。
 いつもの簡素なドレスに、不釣り合いな剣を携えて。
 朝の城下町を駆け抜け、王宮が見えてきた頃、その上空に黒い影を認めた。ゆっくりと羽ばたきながら、城の上空を旋回している。

「あれは……ワイバーン?」

 目を凝らして、ハッとする。ワイバーンの爪の先に引っ掛かっているのは、間違いなくヒュルテ王子だ。

「殿下……!」

 城壁には弓兵の姿も確認できたが、あの高さでは狙いがつかないのだろう。誰もが為す術もなく見守っていた。

 城門の兵士はレリーナを見るなり城の中へと入れてくれた。と言っても、反逆者の妻として身柄を確保するためだ。
 城門前の広場で兵士たちに囲まれる。

「ノーラリー公爵夫人ですね? そのまま馬を降り、我々に武器を預けてください」
「わかったわ――とでも言うと思って?」

 一度は馬から降りたレリーナは、身を翻して再び馬に跨った。巧みに馬を操り、取り囲む兵士をけん制する。威嚇する馬の嘶きが石壁に反響した。

「ふっふっふ。昔から馬は得意だったの」

 その時、レリーナは視界の隅に銀の輝きを捉えた。
 塔の中腹だ。何かが朝日を反射している。それは小さな点だったが、微かに身動ぎしたように見えた。

「シラク様!」

 馬の腹を蹴る。兵士を蹴散らし、走り抜けた。
 塔の麓で馬を降りる。早速中に入ろうとしたところ、遥か頭上から声が響いた。

「愚かな人間ども! 今からこのガキを八つ裂きにしてやるぞ!」

 まさにこの塔の頂上だった。人型に変身したワイバーンの魔族が、ヒュルテを抱えて塔の上に立っている。魔族はぐったりした王子の体をこれ見よがしに掲げていた。

「ヒュルテ殿下! この、ケダモノめ……!」

 レリーナは誰か助けられる者はいないかと視線を巡らせるが、見当たらない。今、この塔に最も近いところにいるのは、レリーナ自身であった。
 それに気付いてからは躊躇わなかった。素早くドレスを捲り上げ、塔の内部に踏み込んだ。長い、長い螺旋階段を駆け上がる。
 途中、牢屋の前を通り過ぎた。収監された何者かが銀の髪を靡かせて振り返る。

「レリーナ?!」
「シラク様!」

 レリーナは一瞬振り返りかけたが、再会を喜んでいる場合ではない。

「ちょっと待ってて! 後で助けに行きます!」

 そう言い残して階段を上り続けた。
 屋上に辿り着くまでに、見張りの兵士にはひとりも出会わなかった。その理由は屋上への扉を開けた瞬間に判明した。そこには魔族に殺されたらしい兵士の死体が、いくつも転がっていたのである。

 そして。
 魔族の男は今まさにヒュルテの喉を掻き切らんとしているところだった。

「やめて!」

 レリーナが叫ぶ。魔族の男は振り返り、驚いて目を丸くした。

「なんだ? 女?」
「ヒュルテ殿下を放しなさい。自分のやっていることがわかってるの? そんなことしたら、人間と魔族の全面戦争になるわ!」

 魔族の男は盛大に笑った。

「そのためだとも! 国境沿いの小競り合いなんて生温い。穏健派は停戦などとぬかしているが、俺たち急進派は戦争での決着を望んでいる。それは人間側でも同じようだな」
「バルキルス大臣のことね……冗談じゃないわ。戦争なんて、互いに血が流れるだけじゃない」
「血はいつだって金を生むのさ。そうだな――」

 不意に、魔族の男が塔の端に立つ。その輪郭がメキメキと音を立てて変貌し、巨大なワイバーンが姿を現した。

「お望み通り王子を放してやろう!」
「この……っ!」

 ワイバーンが羽ばたくのと、レリーナが剣を払って地面を蹴るのは、同時であった。上昇する爬虫類の体目掛けて跳び上がる。家宝の剣が鋭い光を放った。

「おらああぁぁぁ!」

 突き出した刃。
 竜をも薙ぐという伝説の剣は、やすやすとワイバーンの鱗を貫いた。

「ぎゃああぁぁぁぁ――……!」

 羽ばたきが止まり、爬虫類の体が大きく傾ぐ。その腕の中から少年の体が投げ出された。

「ヒュルテ殿下――!」

 レリーナは立ち止まることをしなかった。そのまま勢いをつけて床を蹴り、空中に身を躍らせる。華奢な体を抱き留めた。
 落ちていく。レリーナは必死にヒュルテの体を抱き寄せて、少しでも衝撃から守ろうと備えた。浮遊感が胃の中を掻き混ぜたけれど、レリーナにはもはや祈ることしかできない。

 誰もが固唾を呑んで見守っていた。
 二つの体は垂直に落下していく。肉が潰れる無残な音に、皆が身構えた。

 しかし、その音はいつまで経っても響くことがなかった。

「レリー……ナ……」

 歯の間から零れた声が、レリーナを失神の淵から呼び起こす。
 レリーナは宙に浮いていた。ヒュルテの体を抱いたまま。すぐ目の前には塔の石壁がある。
 ぬらぬらとした柔い感触が全身を包んでいた。微かに脈動するそれからは、確かな熱を感じる。レリーナは身を起こし、少し上にある鉄格子の窓を覗き込んだ。

「シラク様」

 塔の中腹、その窓際から、シラクが顔を出していた。鉄格子の隙間から這い出る何本もの触手。彼は咄嗟に触手を伸ばし、落下する二人の体を受け止めたのだ。

「レリーナ……なんて無茶をするんだ、君は」

 シラクが絞り出すような溜息を吐く。レリーナは歯を見せてにっこりと微笑んだ。

「助けてくれるって信じてました、旦那様」



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