ツナサンド

はんはん

ツナサンド

 駅の売店でツナサンドを見かけ、思わず涙があふれそうになるのをぐっとこらえる。

 ツナサンドを見ると泣いてしまう女。

 かなり変じゃないだろうかと自分でも思う。
 別に生まれた時からの先天性のものじゃなくて、ちゃんと理由がある後天性のもの。
 おばあちゃんのお葬式の翌日に発症したのだ。


 
 おばあちゃんが死んだと聞いた時、私は悲しいとは思わなかった。
 正確に言うと、まるで実感が無かった。
 母は七人兄弟の末娘で、その母であったおばあちゃんは、かなりの高齢。
 そのせいかまわりも大騒ぎすることなく、母も悲しんでいたが取り乱しはしなかった。

「明日、お葬式の後におばあちゃんの家に行くけど、美咲も来る?」

 母の誘いに「行く」と答えた私には、多少の罪悪感があった。
 お通夜とお葬式に私は出席しなかったから。
 現在、二十一才で無職の女。
 しかも部屋に引きこもっている私は、親戚たちに会いたくなかったのだ。
 きっと私のことなんか、誰も気にしていないとはわかってるけど。それでも私のことを、ダメ人間と思っているのではないかと想像してしまう。

「じゃあ、夕方におばあちゃんの家に直接行ってね。鍵もってるよね?」

 私が行くことに意外そうな顔をしながら母が言う。
 そこで私は初めて、おばあちゃん家の鍵を私がもっていることを思い出した。


 
 おばあちゃんの家は、私の家から二駅。
 そして私の通っていた女子高の最寄り駅のそば。
 おばあちゃんはその頃から一人暮らしだったので、私はサボり病が出るたびに寄っていた。
 
 家を出るまではいい。
 電車に乗るのも苦痛じゃない。
 でも、電車から降りた瞬間に「今日はダメな日だ!」と気付く。
 もちろんまったくダメな日では無いのだけど、私の中の悪魔が「おばあちゃん家でアイスでも食べながらゴロゴロしようぜ」と声をかけてくるのだ。
 ちなみに天使はいつも旅行中で年に二回ぐらいしか現れない。

「おばあちゃーん。来たよ」

 まるで、おばあちゃんに会いに来たかわいらしい孫のような顔で挨拶するが、本当はサボりたいだけだ。
 返事も待たずに勝手に鍵を開けて中に入る。

「あらあら、美咲ちゃん。いらっしゃい」

 おっとりしたおばあちゃんの声は、病んでいる私の心と体にしみわたる。
 仮病だけどね。

「ちょっとしんどいから、今日はおばあちゃん家でゆっくりしてくよ」

「あらあら大変。うどん食べる?」

「うどんはいらない。アイス食べる」

 高齢の老婆にアイスを取りに行かせる孫のどこがかわいいのかわからないが、おばあちゃんは本当にうれしそうに私の世話を焼いてくれた。
 あまりにうれしそうだから、私は自分がいいことをしているつもりになっていたほどだ。

 高校一二年は、月に二回は通っていた。
 それ以上欠席すると留年になるほど、ギリギリまで休んでいた。
 三年に入り、まわりが将来のことを考え始めて動き出すと、それにつられて私も一応の努力を始めた。
 
 極端におばあちゃんの家に行くことが少なくなったが、夏休み明けから毎週のように通った時期がある。
 高校三年にもなると皆ストレスを抱え初め、友人間でもギクシャクすることが多くなるのだ。
 私はその一か月ほど学校で孤立していた。
 今考えるとそれほど深刻ではなかったのだけど、その当時の私には世界の終りのように思えた。

「うどんもアイスもいらないから」

 アイスを欲しがらない孫にかなりのショックを受けたのか、ぼう然とするおばあちゃんを半分無視してふて寝していると、コトリと音がした。

「もしお腹すいたらお食べね」

 テーブルに置かれた皿にはサンドイッチ。
 何も食べたくないほど打ちひしがれていた私だが、サンドイッチなら食べてもいい気がした。

 やすっぽそう。

 さすがの私もおばあちゃん本人には言わないが、ぺったんこのサンドイッチは、コンビニなどで見かける豪華で色とりどりのサンドイッチとは、まったくの別物。
 薄いパンにはさんだ、薄くのばされたツナ。
 いっちょ前にキュウリが入っている。

「これ、手作りだ」

 サンドイッチとは買うものだと思っていた私には、少し驚きだった。
 おばあちゃんが、わざわざ自分のために作ってくれたのだ。
 今までは、うどんをゆでるところしか見たことなかったのに。

 そして、そのツナサンドはとてもおいしかった。

 おばあちゃんにツナサンドを大絶賛すると、おばあちゃんはとても喜んでくれた。
 その事を後悔するのはすぐだったのだが。
 それ以降かならずツナサンドが出てくるようになったのだ。
 かならず、確実に、少し憎しみがわくほどに、私の前にツナサンドが常時あることになった。
 だがそれも一ヶ月ほど。
 友人たちとのわだかまりが消えると、私はまた就職活動に専念することになった。


 
 おばあちゃん家の鍵を開ける。
 少しだけ硬く思えたのは気のせいだろうか?
 おばあちゃん家のにおいがする。
 少しだけ線香のけむったさが混じる、言葉にはあらわせられない古いにおい。
 ここに来るのは三年ぶりぐらいだ。
 高校を卒業し就職してからも、母とともに数回は来ていた。
 おばあちゃんは私の就職が決まったことを誰よりも喜び、がんばっている私をいつもほめてくれた。
 だが、たった半年で仕事を辞めてから、私の足は遠のいた。
 いや、それはおばあちゃんの家だけではない。
 外へ遊びに行くことも、友人たちと連絡を取り合うこともやめてしまった。
 私は会社でなじめなかった、それだけで自分がダメな人間だと思い込んだ。

 おばあちゃんは、もうほめてくれない。

 もしかして、すごく悲しむかもしれない。

 そう考えると、あれほど大好きだったおばあちゃんの家は、とてつもなく遠いところに思えた。



 おばあちゃん家の中をのんびり歩きまわっていると、玄関で音がして母が入ってくる。
 ほかの親族もいるかなと身構えたが、母一人でほっとした。

「お葬式、人いっぱいだった。美咲はこなくて正解だったよ」

「こんな私、見せられないもんね」

「そういうことじゃないでしょ」

 私が自虐的に笑うと、母は少し怒った顔をする。
 だがそれ以上は何も言わず、おばあちゃん家をゆっくりと見まわした。
 母は、おばあちゃんが生きている間に来たらよかったのにとは言わない。
 だけど、おばあちゃんの生前に何度かは誘われた。
 「おばあちゃんが会いたがってるよ」と毎回言う。
 だがそれは、ちゃんと大人になって、ちゃんと仕事している、ちゃんとした私じゃないとダメだ。
 そう思って、耳をふさいで部屋にこもった。
 それを今は後悔している。

「おばあちゃん怒ってるかな?」

「どうして?」

「だって、私おばあちゃんに会いにこなかったもん」

 母は笑う。

「おばあちゃんが、美咲のこと怒るわけないじゃない」

「でも……」

 私が言葉に詰まると、母は「おばあちゃんは、美咲のこと全部わかってるよ」と言ってくれた。

 母がおばあちゃんの荷物を整理しながら、思い出に浸っているのを邪魔しないように、私はスマホをのぞいていた。
 見えているのはスマホの画面ではなく、おばあちゃんとの思いでばかりだが。
 それでも、おばあちゃんがまだ世界のどこにもいないことが実感できない。
 だから、涙も流れないのだ。

「なにか飲み物あるー?」

 母に声をかけながら冷蔵庫を開けた。
 まるで自分の家のように冷蔵庫をバカバカ開けていた高校生時代を思い出し、ほおがゆるむ。

 私が冷蔵庫を開けるのを見て、母が何か言いかけたがやめた。
 それを不思議に思いながら冷蔵庫を開ける。
 もしかして、なにか腐ってる?

 がらんとした冷蔵庫。
 一番上にだけお皿が三枚ならんでいる。
 トビラ側には麦茶のペットボトル。
 麦茶を取ろうと腰をかがめた時、お皿の上にのるサンドイッチが見えた。
 きれいにラップされたサンドイッチは全く同じものが三皿もある。

 ぺたんこで、すごく安っぽくて、とてもおいしい。
 おばあちゃんの手作りのツナサンド。

「三皿もあるよ」

 私は笑おうとして失敗した。
 これが私のだと気付いたから。
 私のためにおばあちゃんが作っていたんだって、私は気付いてしまったから。
 笑おうとしても、涙があとからあとからこぼれだした。

「そうね。美咲のためにいつもおばあちゃん作ってたんだよ」

 何か言おうとするのに、言葉がのどに詰まって声が出ない。

「古くなったら、私とおばあちゃんで食べるの。新しいうちは美咲のだからって、食べさせてくれないのよ」

 母は笑いながら、それでも涙を目にためながら、私の肩をそっと抱いてくれる。

 私は小さく「ごめんなさい」とつぶやくだけ。
 こんな小さな声じゃ、おばあちゃんにきっと届かない。

 この時初めて、おばあちゃんがもういないことに気付いた。
 ツナサンドも、もう作ってもらえないことに気付いた。

 そして私は、ツナサンドを見ると泣いてしまう女になった。



 ハンカチで目元をぬぐいながら駅の売店を足早に出る。
 こんなところで泣いている場合じゃない。
 私は今から面接なのだ。
 正社員じゃなくて派遣だけど。
 それでも、おばあちゃんにいいところを見てもらいたくてがんばるのだ。

 私はツナサンドが視界に入らないようにしながら、おばあちゃんに見えるように颯爽と歩き出した。

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