カワイイ俺の下克上

冠つらら

4 いざ出陣

 ついにこの日が来た。
 退院してから二日。大事を取って昨日は休んだが、今日からゾーイは学校に復帰する。
 彼女が自殺未遂をしたことは学校にも伝えていない。俺が両親にそう頼み込んだからだ。ただでさえうまく乗り切れるのか不安なのに、変に目立ちたくはない。生徒たちの噂話なんてすぐに伝播してしまう。それでは彼女を自殺に追いやった要因も見えなくなってしまうかもしれない。それじゃ意味がないじゃないか。

 ゾーイを心配する両親はご丁寧にも学校まで車で送ってくれた。通学路なんて知るはずがないのに、見えてくる道に既視感を覚えるのは気のせいだろうか。
 やっぱり、ゾーイの欠片はこの心のどこかに残っている。不透明な世界だが孤独じゃない。俺は見えない妖精に守られている気分になって弱気な心を鼓舞しようとした。

 昨日、俺はゾーイの机に並んでいた歴史の教科書を読み尽くした。この日本のようで日本ではない世界。彼らが生きる世界の正体が知りたかったからだ。ゾーイは勉強熱心なのか、彼女が使っていた教科書は何度も読んだ跡が残っていた。時折マーカーが引いてあって、よくまとめられた参考書みたいな感じで分かりやすかった。
 彼女の記に導かれながら、俺はなんとか自分なりにこの世界のことを理解しようと努めた。

 まず、俺が今いる世界は地球で間違いなさそうだ。その成り立ちも恐竜がいたという歴史も、俺が学んできたものと相違はない。
 ただ一つ違うことと言えば、こっちの次元では人々が苦しんだ過去が少ないということだった。
 次元とか言っちゃってるけど、俺はとりあえずこの日本(仮)は、俺がいた地球とは違う宇宙軸にあると思っている。よく映画とか漫画の世界では見た光景だし、真実なんて誰も知らない。だから俺はてっとり早くそう解釈することにした。あんまりちまちま考えていると頭が爆発しちまう。

 羨ましいことに、ここの宇宙軸では争いという概念が古代以来放棄されてきたようだ。
 もといた地球では世界規模の凄惨な歴史を受験の前に嫌というほど学んだが、こっちの地球ではそんな歴史は一切ない。争い事を経過してこなかった世界のこちらでは、調和が当たり前なんだろう。
 多文化がうまいこと混ざり合って、今や人種も文明もどの国でもほとんど変わらない状態になっている。

 逆を言えば、大陸の形も場所も海の広さも変わりがないのに国ごとの強烈な個性はあまり感じられなかった。だから街を行く人たちだって複数のルーツを持った容姿をしているように見受けられる。しかしちゃんと言語の違いはあって、日本(仮)では漢字もカタカナもひらがなも使われている。歴史の教科書によれば、統一を図ることは文化を駆逐するのが目的ではなく、あくまでうまく共存することがこちらの世界での理想郷とされているらしい。

 俺としてはそのおかげでコミュニケーションでは苦労しなさそうでありがたくは思う。
 その割には出てくる名前の多くがカタカナだなぁとは思っていた。実際、ゾーイだってそうだし、彼女が恋する相手だってラーシャだ。どうしてだと思っていたけど、これにも一応理由はあった。
 どうやら、二百年以上前から名前だけは誰もがすぐに読めて認識できるようにカタカナでの名づけが推奨されていたようだ。確かに読みやすいし、俺としてはこれも助かるけど。
 しかし、それにしてもこっちの世界でも英語の威力は健在だった。強い。強すぎる英語。いやどんだけだよ。そんなに皆が話しやすい言語なんだろうか。苦手な俺にはそこらへんはあんまりピンとこなかった。

 だがこちらの歴史を一通り読み漁った俺にはまだ疑問に思うことがある。
 もしかしたら気のせいかもしれないし、考えすぎかもしれないんだけど……。

「ゾーイ。もうすぐ着くけど、降りる準備できてる?」

 ぼぅっと窓の外を見ていたら母親がバックミラー越しに俺を見やる。

「うん。大丈夫」

 俺はにこっと笑ってみせた。すると母親は安心したように笑みを浮かべる。
 もうこの人たちにあまり心配事はかけたくないな。
 そんなことを思いながら、俺は膝に乗せた鞄を握りしめる。
 気づけば緊張で無意識のうちに下唇を噛んでいた。駄目だ駄目だ。しっかりしないと。
 俺は最後の景気づけに深呼吸をし、緩やかに停車した車のドアに手を伸ばす。

「じゃあ、行ってきます。お母さん」
「ええ。気を付けてね」
「はーい」

 車外に足を出せばプリーツスカートから生足が覗く。自分の身体にはだいぶ慣れたんだけど、やっぱり制服ってのはまた印象が違うな。
 母親に手を振って、俺は妙な緊張感を保持したまま車を降りた。
 さっきまでは車内にいたからあんまり聞こえなかった。けど、外に出ると登校中の生徒達の声が鮮やかに耳に届いてくる。

 来てしまった。
 楽しそうな笑い声は今の俺にとってただのプレッシャーだ。
 ぐっとこぶしを握って胸の前に持っていく。
 大丈夫。大丈夫。なんとかなる。大丈夫。
 陳腐な言葉を自分に言い聞かせ、目の前に聳え立つ校舎に向かって一歩足を踏み出す。と。

「ゾーイ……!」

 強烈な声が鼓膜を突き破らんとばかりに突撃してきた。

「え……っ? な、なに……?」

 声だけでなく物理的に捨て身で突進された俺は、何が起きたのか分からず首元の締め付けを剥がそうとした。

「心配した……! お母さんがうちの家に連絡をくれたの……! もう! ほんとっ! 会えないかと……っ!」

 しかし俺の首を力強く絞めてくる腕は手ごわかった。俺が抵抗しようともなかなか離れてくれようとしない。
 えっと。聞こえてくる声的にこれは女の子だし、多分、ゾーイの友だちだと思うんだけど……。
 そこで俺は日記に書いてあった名前を思い出す。

「じ、ジア……? 苦しいんだけど……」

 ゾーイの親友だというジア。もしかして早速ご対面となるのか。妙な緊迫感が胸に滲む。

「ごめん。でも……私、すごく怖くて……」

 ようやく腕を離してくれた。ということはやっぱり彼女はジアか。俺は恐る恐る彼女の顔を見る。

「もう馬鹿なことはしないでね」

 目尻に浮かんだ涙を拭う彼女の髪はどちらかと言えば茶色よりも赤に近い。毛量の多い髪は二つに結んでいても一束にボリュームがあった。瞳は濃い紫にも見えるが、これは黒だろう。俺と目が合うと、ジアは嬉しそうに微笑んだ。
 ジアは周りと比べると少し印象の薄い顔をしていて、例えるならナマケモノに似ていた。温和そうな表情で、勝手に性格も優しいのかなとか勘違いしてしまいそうだ。
 実際、日記を読んだ限り、彼女は優しいと言っても間違いではなさそうなんだけど。

「えっと……もしかして、聞いた?」
「うん。聞いちゃった。うちのお母さん宛に電話がかかってきて、盗み聞きしちゃったの。ゾーイが病院に運ばれたって……」

 その時のことを思い出したのか、ジアの目にはまた涙が浮かぶ。俺は慌ててハンカチを鞄から取り出した。

「ご、ごめん。心配かけたくなかったから、黙ってるつもりだったんだけど……」

 誰にも自殺のことは言いたくなかった。
 けど、母親も娘に何が起きたのかを知りたかったのだろう。
 親友であるジアの母親に自殺について何かしらの探りを入れたのかもしれない。それか、もう本当に動転して電話をかけたか。いずれにせよ、ジアはそれを知っちゃったわけだ。

「ううん。ひひの。黙っていられる方がつらいよ……っ」

 ジアは受け取ったハンカチで思い切り鼻をつまみながら答える。

「もうあんなことしないから。大丈夫だよ。……ありがとう、ジア」

 心配してくれた彼女の泣き顔を見ていると胸が痛んだ。
 俺とジアはこれが初対面だが、心の底からは安堵の気持ちと嬉しい気持ちがこみ上げてくる。あと、申し訳なさもかな。俺は自然と彼女がゾーイの親友であることを受け入れられた。一緒にいて、何の違和感もないし居心地がいい。またゾーイの欠片が俺の弱い心を助けてくれたみたいだ。

 ズズズッ、とジアは鼻をかむ。彼女が少し恥ずかしそうな顔をしたので、俺はもうそのハンカチは使っていいよ、と彼女に伝えた。
 改めて校舎に向き合う。まだ校門すら通っていない。周りの生徒たちは次々に門を抜け、慣れた足取りで校舎までの長い道を進んで行った。
 ちらりとジアを見れば、ようやく涙が落ち着いたようだった。

 校舎に向かう生徒達。
 隣のジア。
 そして俺。もとい、ゾーイ。の、足元。
 俺の目は何度もその三つを行き来する。
 やっぱり、歴史を学ぶだけでは俺の疑問は解消されない。

「? どうしたの? 行こう?」
「う、うん」

 ジアに促され、俺は一歩ずつ校舎に向かって歩き出す。
 二人の横を通り過ぎていく女子生徒。前を歩く男子生徒。斜め後ろにいる教師らしき人。

 ……………………おかしい。

 やっぱりどこか変だ。

 何かがずっと喉につっかえている感覚で、俺はうーんと首を捻る。そんな俺を不審に思ったのか、ジアは訝しげにこちらを見た。

「ゾーイ?」

 病院にいた時から。街の光景から。今、自分を取り囲む環境から。
 俺は間違い探しのような見えない違和感にぐるぐると首を回し続ける。傍から見たら不審者だっただろう。案の定ジアは困惑して眉間に皺を寄せ、ちらちらと周りの目を気にしている。
 彼女が気にする周りの目。
 が、別に周りは俺のことを見るわけでもなく……。

「あっ!?」
「ひえぇっ!?」

 ひらめいた俺の大声にジアが肩をすくめて怯える。流石に何人かの生徒がこちらをちらりと見た。

「そうだそうだ! だからだ!」

 間違い探しの答えを見つけた俺の瞳は爛々としていたかもしれない。
 目が合ったジアは完全に俺に気が狂ったと言いたそうな眼差しをしていた。

「どうしたのゾーイ……?」

 自殺から生還したからだろうか。彼女はそれでも優しく問いかけてくれる。

「ねぇ。これまで話したことあったっけ?」
「な、何を?」
「うちの学校、美形が多くないって」
「は? え……?」

 前に同じ話題を持ちかけていたらよくないよなって思って前置きをしたにもかかわらず、ジアはこいつは何を言ってるんだって表情のままこちらを見る。

「あれ……? ジアはそう思わない?」

 もしかして美の基準が俺と違うかも。
 そう思ってもう一度訊いてみる。けれどジアの表情は変わらない。
 ん? まさか俺のほうがおかしい?
 少し不安になって、周りの生徒の顔に視線を移す。しかし、やっぱり俺の認識は変わらない。

 もとの世界だったら、ここにいる人間は全員が容姿を武器にして仕事が出来るレベルだった。一握りくらいの奇跡の造形が、この場所では当たり前のように目にすることが出来る。
 それは学校だけじゃない。
 病院でも、街中でも、妙に顔が整った人が多いと思った。骨格が寸分の狂いもない。俺の疑問もまさにそれだった。昨日はテレビも見たけど、正直特別容姿がいいからテレビに出られてるって感じではなかった。だって、どこを見ても皆それくらいの容姿はしているから。偶然俺の目に入ってくる情報が偏ってるのかなって思ってた。けど……。やっぱりこれが、こっちでは普通なのか?

 あ、だからジアはそんな不思議そうな顔をしているのだろうか。
 もしやここの世界では珍しくもなんともないってこと?

「ゾーイ。どうしちゃったの? 外見の話なんて……誰かに聞かれてたらどうするの?」
「え……?」

 ジアは声を顰めて窘めるように言う。

「低俗すぎるよ。バレたら停学どころじゃすまないよ?」
「……えっ?」

 彼女の顔は真剣そのものだった。俺のことを軽く睨みつけ、本気で注意してくれている。

「そ、そうだっけ……?」

 ここはすっとぼけるしかない。
 俺は頭を掻いて誤魔化すように笑う。

「そうだよ! もしかして、まだ後遺症とか残ってるの? そんなこと忘れちゃうなんておかしいよ」

 ずいっと顔を近づけて、ジアは俺のことを舐めるように見る。

「う……っ」

 どうしよう。
 本当のことなんてとても言えない。
 焦るあまり嫌な汗までかいてきた。
 気は進まないが、ここはちょっと記憶が薄れてしまったことにしてしまおう。ごめん、ジア。

「じ、実は……そうなんだよね……。じ、自殺前のこと、あんまり覚えてなくて……」
「やっぱり……!」

 ジアは悲劇的な表情を浮かべて俺のことを抱きしめる。

「ショックが大きかったんだよね……!」
「……う」

 なんとも後ろめたい。
 だがポジティブに考えろ。ここはこの話に乗って自殺する前のことも聞きだすチャンスだ。それにどうやら俺の知らない倫理の話もあるようだし。この世界のルールは知っておいた方がいいだろう。

「だ、だからさ……。いろいろ、覚え直したいんだよね……。ほ、ほら、記憶を拾っていきたいんだ」
「ゾーイ……! なんてかわいそうなの……! もちろん協力するから!」

 ジアは俺の手を握って力強く頷く。

「ありがとう。ジア。……それで、早速なんだけど……訊いてもいい?」
「もちろんだよ」

 にっこりと微笑む彼女。
 彼女はナマケモノみたいで可愛い顔をしている。けれど、恐らくこの世界ではそういう部類には入らない。
 だがそんな美の基準は関係ない。今の俺にとって、彼女はたった一人の女神に見えた。

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