カワイイ俺の下克上

冠つらら

3 水色の記憶

 生き返ったゾーイは翌日には退院となった。入院したのは一昨日で、俺が目覚めるまでずっと眠っていたらしい。
 俺は母親が運転する車に乗り込み家へと帰る。
 正直、女になったことで身体は大きく変わった。だけどもともとゾーイは生物的に女として生まれてきた存在。その潜在意識が残っているのか、特に興奮したりとか戸惑ったりはなかった。藤四郎の時、異性との交流なんてほぼなかったのに、意外と心はスンとしている。だって自分の身体だしな。これはこれで不思議な感覚ではあるけど。

 通り過ぎていく街を見ても、俺が生きてきた日本と大きくは変わらない。強いて言えばすごく街全体が綺麗に見える。きちんと整頓された机の上みたいに、計画的に街づくりをしてきたのか建物には統一感があるし、利権を食い合うようにして乱雑に建てられたビルとかもない。
 街を歩く人々の姿は、病院で見た時と同じように色んなルーツが混ざっているようだった。街と同じでやけに整った顔つきの人が多い印象だったけれど。
 看板の文字は日本語だし、離す言葉も日本語。だけど、雰囲気が俺の知っている日本とはだいぶ違う。
 多文化の共生に成功して、互いに生存し合っている。そんな理想郷に見えた。

 家は普通の一軒家だった。理想的な住まいとして広告で使えそうだけど、周りも皆そんな感じだから何も特別なことでもないのだろう。
 両親は家に戻った俺のことを改めて歓迎する。
 ゾーイの大好物だというバームクーヘンが用意されていて、俺は空腹に甘い生地の塊を詰め込んだ。
 その間も両親は俺から目を離さない。
 そりゃ自殺したっていうんならそういう反応は当たり前なのかもしれない。でも俺はなんとなく気分が浮かばなくて、早々に自室がある二階へと上がった。

 ゾーイは生き返ったけど、恐らく藤四郎はそうじゃない。
 俺の両親は、そんな俺のことをどう思っているのだろう。
 柄にもなく物思いにふけってしまう。
 ゾーイの部屋はまさに女の子って感じで、全体的に暖色系の物でまとめられていた。
 ベッドも綺麗に整えられていて、レースのついたクッションが傍らには置いてある。
 壁に飾ってあるのは、彼女が好きな画家の作品。こんなお洒落なものを飾るって、ゾーイはなんて粋なんだろう。
 ソファに座り込み、やはりまだ居心地の悪い部屋の中を見回す。

 俺はゾーイ。
 だけどゾーイじゃない。
 まだ両親はそのことに気づいてないし、多分、このまま言わない方がいいだろうと思う。
 娘が自殺をしてどうにか生還したのだ。机の上に並んでいる教科書を見ればゾーイはまだ高校生。彼らにしてみればどれだけ絶望だったことか。もうそれだけで両親にとっては十分の苦行だったことだろう。
 本当の彼女はいなくなってしまったなんて、口が裂けても言いたくない。というか、言う勇気がない。
 かといって、俺がこのままゾーイをやり通せるかって言うと、それも自信がない。

 そもそもゾーイってどんな子なんだ。どうして自殺なんか?
 ゴロンとソファに横になり、決して視界に入ることのない鼻を触る。
 まさかこの容姿のせいじゃないよな?
 また心臓が締め付けられていくようだった。
 藤四郎の世界でも、自殺の理由は様々だった。この日本(仮)においても、そこは変わらないのだろうか。
 ゾーイとしての記憶がおぼろげにも思い出せない俺は、彼女のことがもっと知りたくなって起き上がる。

 ここは彼女の部屋なのだから何かしらの手掛かりがあるはずだ。
 覚悟なんてまだ決められるわけないけど、何も知らないなんて彼女に失礼すぎる。
 クローゼットを開け、机を探り、ベッドの下を覗き込む。
 何か彼女に関する情報が残されていないか、俺は部屋中を必死になって探した。
 箪笥を開けると、服の上にノートが一冊置かれていた。片付けをしっかりしているゾーイなのに、どうしてこの一冊だけこんなところに? 不思議に思って手に取ってみる。

 水色の表紙は無地で、特に何も書かれていない。ページをめくってみれば、そこには日付と数行の文章。ああそうか。これは日記か。日記を書くなんて、ゾーイはマメでもあるんだな。
 カレンダーの日付と最初のページに書かれた日付を見比べてみた。このノートは一年前くらいから書いているようだ。始まりの書き出しには”今日は入学式”と記載されてある。ということは、今のゾーイは高校二年生。おお、高校が一番楽しい時期じゃないか。俺はそんなことなかったけど。一般的な認識だと二年生が一番気楽だったと思う。うん。多分。

 ゾーイの字は少し丸みがあるけど読みやすくて丁寧だった。俺は彼女のこれまでの高校生活を日記で追いかける。最初はなかなか馴染めなかったみたいだけど、仲の良い友だち、ジアと一緒に行動するようになってからは少しずつ通学も楽しくなっていったらしい。
 ジア。俺が学校に通うようになったら絶対に顔を合わせることになる。彼女は一体どんな子なんだろう。日記を読んでいる限りは優しそうな子だけど。まぁまだ学校に通うって決めてないけどな。ゾーイには申し訳ないけど、いざとなったら転校しようかとも考えている。だってゾーイのことをよく知っている人たちには、俺の正体がすぐにでもバレてしまいそうだから。そうなるとまた両親を傷つける。それは嫌だ。
 病院で見た両親の泣き顔が忘れられず、俺はブンブンと頭を振った。

 さて、気を取り直して日記に戻ろう。
 読み進めていくと、ジアともう一人、よく目につく名前があった。
 ラーシャ・ヒエド。なんかカタカナの名前って慣れない。が、これがこの世界ではスタンダードみたいだ。ここ、本当に日本なのかな。まぁそれはまた別に確認するとして、ラーシャは同じ学校に通う男子でゾーイの評価によればかなり”美麗”な男らしい。文字だけだからどんな感じか想像はつかないけど、そんな俺でもゾーイの気持ちは分かってしまう。

 彼女はラーシャに恋してた。
 もうぞっこんだと言っていいだろう。
 事あるごとにラーシャのことを書き綴り、会話が出来た日にはハートマークが連打されている。
 どうもラーシャはかなり優しくてしっかりしたいい男らしい。綴られている言葉たちだけでもう彼の素晴らしい人となりが見えるようだった。当然、学校でも人気者なのだろう。だけど彼はゾーイのことも気にかけてくれて、彼女はそのことをとても喜んでいる。
 読んでいるだけだと微笑ましくなってきちゃうけど、これ、今の俺なんだよな。でもこれを書いたのはゾーイであって、なんだか勝手に読んでいるのが申し訳なく思えてもくる。だけどしょうがないことなんだと言い聞かせ、ゾーイに謝りつつもぺらぺらとページを進めていく。

「あれ……?」

 しかし日記はノートの半分と少しを過ぎたところで止まってしまう。最後の日付は一昨日。ちょうどゾーイが病院に運ばれた日だ。俺がゾーイになった日でもある。
 これまでの筆跡とは違って勢いに任せて書きなぐったような文字が並び、思わず眉に力が入った。
 ゾーイに何かが起きたことは明らかだった。恐らくこの日記を書いた後で彼女は自殺に至った。
 一体何が起きたのか。
 妙な緊張感に包まれながら、俺はヨレヨレの文字を目で追っていく。

“やっぱり奇跡なんて起きなかった。どんなに強がっても所詮変わらない。誰の目にも入らない。私は醜い。醜いまま生涯を終えるの。奇跡なんて起こらない。誰にも夢なんて話せない。だってきっと心のどこかで笑われる。無謀な望みはやめろと。あなたらしく生きればいいと皆は言う。でもそれってきっと、真ん中の世界じゃない。その言葉がどんなに私を傷つけるか、誰も分かってくれない。私は私になれない。最悪最悪最悪最低。希望を持ってごめんなさい。成功を祈った私が馬鹿だった。あなたを勝手に信じた私が惨めだった。私は夢を見ていただけ。でもそれは夢ですらなかった。さようなら。やっぱり無理な望みだったんだ。さようなら私。もう二度と生まれてなんてこないで”

 とく、とく、とく、とく……。

 指先で鼓動が静かに刻まれていく。時計の秒針と呼応して、少しの力が大きなうねりを持って全身に襲いかかるようだった。

 え……? どういうことだ?

 指先が冷えていく。
 心が怖がって、身体の奥底まで逃げようとして暴れる。
 これは遺書なのだろうか。それにしても、書いてあることがあまりにも自虐的だ。

「う…………っ」

 突如吐き気と頭痛が俺を襲う。うずくまって痛みに耐えようとすると、ノートが床へと落ちていった。
 頭が割れそうなほどに痛い。それに、悲しくて勝手に涙が出てくる。気づけば俺は嗚咽を漏らしていた。
 もしかしたら、ほんの少しの欠片でもゾーイとしての潜在意識が残っているのかもしれない。
 それで、彼女が自殺する前のことを思い出すことを拒否しているのかも。
 床に手をつき、どうにか呼吸を整える。
 でもそれだけじゃない。
 ゾーイの潜在意識が根底に残っていたとして、こんなにも涙が溢れてくるものだろうか。
 胸が苦しくて、息が出来ないほどに酸素が遠い。

「うう……うううううう…………」

 そうだこれは。
 この感情はゾーイのものではない。

 俺は知らなかったんだ。いや、見向きもしなかったと言った方が正しいだろう。
 涙だけでなく鼻水までも容赦なく出てきて、俺は急いでティッシュを探す。腕が勝手に窓際へと伸びていった。そこにティッシュの箱がある。この腕は、ちゃんとその場所を覚えていた。
 俺は藤四郎だった時、自分の惨めさにばかり目を向けて、他の悲劇については全く関心を寄せようとしなかった。そのせいだ。だから今、こんなに胸が粉々になりそうなんだ。

 男だった俺は異性を見る時、無意識に容姿がそれなりに良い子ばかりに目を向けていた。実際に異性と触れ合う機会なんて本当に少なかったから、いつも俺が一方的に観察する側になっていたせいもあるだろう。だから自然と選り好みして、他の興味のない人たちは視界にも入っていなかった。

 だが自分で言うのもどうかと思うけど、俺は異性の容姿に対してそこまで厳しい条件も設けてなかった。
 だからその分異性のことは幅広く見てるし、女子の中にも色んな人がいるんだな、と勝手に分かった気になっていた。それで、彼女たちのように女として生まれていれば、俺にも救いの道があるって思い込んだ。
 だけど違う。
 俺は見落としていた。
 苦しんでいたのは俺だけじゃない。

 遺伝子は意地悪だ。好き勝手にオーダーして、誰の何の意図もないままに人間を造形する。
 ブロブフィッシュだった俺は、もし遺伝子と会話できるなら何年にも渡って説教したいって幾度となく思っていた。でもそう思うのは決して俺だけなんかじゃないんだ。
 ゾーイ。
 きっと彼女も俺と同じように苦しんでいた。いや、もしかしたら俺以上の苦しみがあったのかもしれない。
 だって俺はどんなに文句を垂れようと自分で人生を終わらせる決意なんてできなかった。震えあがって、そんな度胸なんて沸くはずがない。
 けれどゾーイ、彼女はその一線を越えた。つまりはそれほどまでに追い詰められていたか、糸が切れるほど精神をすり減らしていたんだろう。

 俺は愚かだ。
 女に生まれれば人生楽勝でどうにかなるなんて本気で思っていた。
 しかしよく考えてみれば、男の不細工はどんな時代も笑われながらも仕事さえできればなんとかなったりもした。運が良ければその容姿が金を生むことだってあった。金があればなんとかなる。結局は容姿よりもそっちが重要視されることもある社会の側面もあった。

 じゃあ女の場合はどうなるんだ。俺には知識がなさすぎた。
 女の子が容姿のことでどんな扱いを受けるかなんて考えてみたことすらない。目に映るのは容姿が良くて成功している人ばかり。若ければなんとでもなるし、いいよなぁ。としか思ってこなかった。でも逆に考えれば、それって酷い話じゃないか。自分のことに精一杯だったと言い訳をしても不誠実なことだと思う。だってある意味同類なのに。それなのにその問題に見向きもしなかった。

 俺の考えは浅はかだった。
 ゾーイは高校生。まだまだ多感な時期で、特にこういった話題にはセンシティブなはずだ。
 俺は自分を責め立てるように床に頭を打ちつけた。
 ゾーイは確かにぶさかわ猫顔。だけどだからって死ぬことはないだろう。彼女への親近感と保護者のような気持ちがぶつかり合いながら湧きあがる。
 彼女が背負った苦しみを思い、俺はその日、夜通しで泣き続けた。そろそろ目が腫れて痛くなってきたころ、胸に引っ掛かったままの日記の一文を思い返す。

“あなたを勝手に信じた私が惨めだった”

 彼女にこんなことを言わせたのは誰だ。
 彼女に凶悪な絶望を投げつけたのは誰だ。
 ふつふつと、藤四郎である俺の中から怒りがこみ上げてくる。
 ゾーイを追い詰めた原因を探らなくては。彼女はもう見知らぬ女子高生などではない。俺も高校生活は苦労したし、一刻も早く卒業したかった。ゾーイと俺は他人同士だ。でもどうしても、俺は彼女が”俺”としか思えなかった。

 枕に突っ伏していた顔を上げ、ベッドの隣に置いてある通学用の鞄を見やる。
 そうとなれば、やはり学校に行くのが答えへの一番の近道。
 しばらく鞄と睨み合う。ゾーイになりきる自信も器量も俺にはない。だけどこのまま放っておくなんてことはできない。どうせ藤四郎はもういないんだ。ならば今、生きている彼女を救わなければ。そんなこと、俺は一回死んでるんだから怖くもなんともないだろう。俺はついに、ゾーイとして高校に通う決意を固めた。
 こうしちゃいられないともう一度日記を手に取り、俺は彼女が過ごした日々を頭に叩き込んだ。

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