消え残るアクアマリン

清水レモン

皮膚呼吸

 カバンから受験票を取り出す。
 間違ってないよ、記憶と番号。ここでいい。この席が、おれの戦うスペース。
 隣、ひとりぶん、いや、ふたりぶんくらい離れているな。
 広い。広いというより、狭くない。つまり、息苦しさがなくて心地いい。
 なにげな呼吸ひとつ、息を吸うとき吐くとき、音がする。おれの耳にも届く。自分の呼吸と足から骨伝いに頭蓋骨まで届く振動。
 筆箱、出しておくか。
 まだ早い気がするけどさ。
 カバンから筆箱を取り出すとき、鉛筆と鉛筆がこすれる音が小さく聞こえた。
 ますます耳が研ぎ澄まされる。耳だけ敏感になって、皮膚呼吸の音さえ感じられそうだった。
 が!

 教室ここにいる誰からも、こういう音は聞こえてこなかった。
 まるで無音に調整されていくように。吸収されて平坦化し、なんの問題も存在しない清浄な空間に落ち着こうとしているみたいだった。
 広げてもいいように机の上を整える。たとえばノート、豆サイズの参考書。いちおう持ってきた。持ってきたけれど見るためではない。読むためでもない。むしろカバンからは取り出さずに済ませるつもり、それくらいの気持ち。
 おまもりみたいなものか。
 おれは、やれるだけのことをやってきて今ここにいる。
 じゅうぶんだろう?

 いまから新しく覚えても。
 いまさら新たに疑問が出ても。
 奇跡的に試験問題と重なるんだとしても。
 じゅうぶんだよ、もう。おれはノートも参考書も取り出さない。
 筆箱を持ち、軽く振った。からから音がした。 

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