黒衣の騎士と花嫁剣士~あなたが望むなら、あなたの国へ嫁ぎましょう~

月夜野楓子

第一章 ~弔事の予感~

 森が燃えている。
 ドラゴンのごとく渦を巻きながら登る煙雲えんうんは空を覆い光を閉ざし、漆黒の世界を作り上げた。
 赤々と燃える紅蓮の炎はやがて炎群ほむらとなりサラマンダーと見まごうほどに、生きとし生けるものを次々と飲み込んでゆく。
 そこには阿鼻叫喚があった。
 逃げ惑う人々。それを追う兵士。剣から放たれた閃光。
 命のともしびが、断末魔の叫びと共に次々と消されていく。
 男も女も幼い子供まで。魂を失ったむくろは捨てられた人形のように力なく転がり、山となった。

「もうやめてっ!!」

 叫び声をあげると私はベッドから体を起こした。

「はぁ…はぁ…」胸が、肩が大きく上下する。それが夢と気づくまで数秒を要したほどだ。あまりにリアルで、目が覚めたことにすら現実感が無かった。
 荒い呼吸で視線を辺りに泳がせる。見慣れた部屋がそこにあった。

「夢…で…よかった」

 だけど、誰かが私を触ったような感覚があって。髪とか頬とか唇を指で触れていたような。それに耳元で囁く声。

 あれは何?

 髪に手をやるとぐっしょりと濡れている。ナイトドレスも湿っていて不快だ。

「サビーネ、サビーネ!」
「いかがされましたか、ブリュンヒルデ様」
「ひどい寝汗をかいたの。今からすぐにお風呂に入りたいわ。それからお部屋にセージを焚いて。バスルームにも。湯舟にはセージの花を浮かべてちょうだい」

 侍女のサビーネは無言で膝を軽く曲げ、頭を下げて出て行った。

 悪夢を引きずるように、動悸はまだ続いていた。
 バスルームに入るとセージの香りが漂っていた。バスタブにはお湯が並々と注がれている。そこへゆっくりと体を沈める。湯が波立ちチェリーセージの赤い花が、波と戯れるように揺れる。
 気持ちがいい。大きく息を吐く。香りの効果と体温が上がったことで、気分も落ち着いて来たようだ。サビーネは私の髪を洗う。
 
「怖い夢を見たの」
「夢、でございますか?」
「そう、口に出すのもはばかれる程、怖かったわ」

 昔からセージには浄化作用があると言われている。あんな夢を見たのは、何か良からぬ霊、もしくは夢魔が来たに違いない。気休めかもしれないけれど、空間を浄化することで悪いものを祓える気がしたのだった。

「悪い夢は誰かに話すと、正夢にならないっていいますよ?」

 サビーネは心配そうだ。

「じゃあ、ピットに話すわ」

 ピットとは私のペット。ミニュチュアシュナイザー、男の子だ。サビーネは苦笑いだったけれど、彼女に話しても気味悪がるだけだろう。

「本当にブリュンヒルデ様の御髪おぐしは見事なブロンドですわ。せっかくこんなに美しいのに、いつも後ろで束ねておられるのがもったいないです」
「だって、剣の稽古に邪魔だもの」

 確かに今、この国は平和だ。けれどそれが永遠である保証はない。つい数年前までは戦乱に脅かされていたのだから。貴族の女だからと優雅に暇を持て余す気はない。

「まぁ、ヒルデガルド様は心配性ですわ」

 サビーネは笑うけれど…。

 お父様であるアルフォンス四世陛下は武闘派と言うよりは頭脳派だし、お兄様もどちらかと言えば、お勉強の方が得意。平和な時代はそれでいいと思う。
 女の私に出来ることは限られているけれど、もし戦乱の世が戻って来た時は、先頭に立って戦う気概はある。
 湯舟でさっぱりして自室に戻ると、セージの香りが部屋を満たしていた。
 不吉な夢。私の思い過ごしであればいいのだけれど。

 ピットが駆け寄ってくる。
 私はピットを抱き上げると顔を摺り寄せる。三角の耳がピクっと動き、黒曜石のような丸い瞳を私に向けてくる。
 
「おまえは本当に可愛いわ。純粋で無垢な瞳は私を安心させてくれる」

 抱きしめたピットの体温が心地よかった。

「ねぇ、ピット聞いてくれる?私の見た怖い夢の話」
「くぅん」

 ピットを抱いたまま、私は窓辺へ座ると、夢の話をしたのだった。
 どうか正夢になりませんように、と祈りを込めて。

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