【8/20(水)コミックス1巻発売!】 指一本触れられない鉄壁令嬢(※嘘です)と猛毒公爵の初恋リベンジ

猪谷かなめ

SS⑧:なにげに初デート・後編【Wサイン本企画8/31(日)まで】

 彼はリナの顔を見つめながら言う。

「俺の方から言っていいのかわからないが……いつか二人で行けたらと思っていた場所がある」

 その慎重な言い方に、彼の真剣さがリナにも伝わってきた。

「……それは、どこなの?」

 リナが問えば、彼は静かな声で答える。

「……君の生まれ育った場所が見たい」
「生まれ育った場所?」
「君がお母上と住んでいた、君の故郷だ」
「!」

 意外な言葉に驚いた。だが、とても嬉しい提案だった。

「何もない田舎だけれど、それでもいい?」
「もちろんだ。物珍しいものが見たいわけではない」
「そうよね」

 ふふ、と思わず笑みがこぼれる。
 かつて母と住んでいた場所。けして派手な思い出はないが、思い返せば心の温まる――そして、もう母のいない場所。

「いずれでいいんだ。今すぐというわけではない」

 彼は慎重にリナの表情を窺いながら言う。

「いえ、気を遣わないで。大丈夫だから。近々行きましょう」

 日帰りでは難しい距離なので、それなりに事前に計画を立てておかねばならない。

「……ちなみに、途中で泊まりになると思うんだけど、宿の部屋は――」
「宿はもちろん別々の部屋だ」
「……でしょうね」

 夫婦とはいえ、寝室はまだ別々だ。

 即答してから彼は、ふと悩むような顔をする。

「……もし、心細いようであれば、同じ部屋でも俺が寝ぼけて君に触れないように、一睡もしなければいいだけだ。だから――」
「寝ないの!?」

 それはさすがに気も身体も休まらないだろうから、別々の部屋に決定した。


       ◇◇◇


 それから数週間後、リナとエドガルドは、リナの生まれ育った地にやってきた。
 前日のうちに屋敷から移動して途中の宿場町で一泊し、朝から馬車で懐かしい村へと辿り着く。エドガルドとは縁のない、いたって普通の男爵領。王都から馬の休憩を挟みつつ、山を越えて片道六時間ほど北東に進んだ先にある。
 澄んだ川と小高い丘。羊を飼い、川魚を釣って暮らす人々の村。
 王都よりもそれなりに標高も高く、野鳥の分布も違うらしい。

「綺麗なところだな。……あとで採集してもいいか……?」

 植物好きのエドガルドからしても、面白いものがあるようだ。

(喜んでくれて良かった)

 やはり街より山派らしい。

 村の入り口で馬車から降りて、リナの顔を覚えている人たちに挨拶した。
 なんとなく泣きそうになりながら、かつて世話になったことへの礼を言う。そして村の共同墓地の、母の眠る場所も掃除してくれていることに感謝した。

「……お母上へ挨拶に行こう」
「そうね、まずは墓地がいいかしら。花束があるものね」

 彼に頼んで、屋敷から花束を持ってきたのだ。
 大きな花束を、大事そうに彼が持ってくれている。

「先に墓地へ行って、もう一度村の人たちに挨拶をして、それから帰り道に採集をしましょう。……帰りで大丈夫かしら?」

 空を見上げる。向かう先に、急速に灰色の雲が近づいてきているのだった。

「標高が高いと、天気は変わりやすいからな」
「……少し、早足にしましょうか」

 村の中を進み、リナの生家のあたりまで行く。
 少し離れたところから指を差した。

「あそこが、お母様と、小さい頃は祖父母もいた、私の実家よ。……今は違う家族が住んでいるから、中には案内できないけれど」
「……そうか」

 いくつかの家を通り過ぎていけば、リナたちが来たことに今気づいたらしい村人たちも、思い思いに手を振ってくれた。広い村にぽつりぽつりと家や畑が離れて存在しているので、リナたちの訪れに気付かない人もいるだろう。
 たまたま外にいた人も、リナたちが墓参りに来たであろうことは、貴族らしい服のエドガルドが花束を持っていることからも察せられたのだろう。ただ静かに受け入れてくれる。

(……エドの服が黒いから、余計に故人をしのんでいる感じがするわね)

 リナの服装も、落ち着いた色のものだ。
 しかし、墓参りの後でなら、もう少し軽やかな気持ちで話せるだろうから、村人たちが大げさに歓迎したりせず、ただ穏やかに受け入れてくれるのが今はありがたかった。

「共同墓地は、この丘の先にあるの。……母のお墓は、祖父母の隣にしてもらえたわ」
「そうか」

 ゆっくりと歩いていきたいところだったが、それなりに距離はあるし、とうとう雨が降り始めた。

「まだ晴れてるのに……!」
「……晴れていても、雨に降られることはあるな」

 お天気雨、というやつだろうか。

 リナはじっと空を睨む気持ちで無言で手をかざし、二人を守るために防御魔法を発動した。
 ――白く丸い球体の結界が、二人を包みこむ。
 ぱちぱちと、ちいさな雨粒が触れるたびに、音を立てて弾かれていく。

「……そうか、防御魔法で弾けるのか」

 彼が目を丸くした。

「そうよ。傘いらずで良いでしょ?」

 リナが得意げに笑いかければ、「すごいな」と彼も笑みを返す。

 それから、リナは防御魔法と雨の境目さかいめをじっと見つめた。

「晴れている時の『にわか雨』なら――もう少ししたら、良いものも見られるかもしれないわ」
「なんだ?」

 リナは答えずにそのまま静かに先を進んだ。エドガルドもついてくる。
 それから頃合いを見て、「私を見ていてね」と彼に言った。

 リナが自分の防御魔法コーティングと雨の境目さかいめを指差せば、彼は言われたとおりに、リナが雨と触れ合う場所を見つめる。
 太陽の位置を気にしながら、リナは彼から少し離れてみた。

「――どうかしら?」

 ふいに、彼が何かに気付いて目を丸くする。

 今、リナは太陽の光を浴びている。雨粒のベールを纏いながら。

 ――だから、防御魔法の丸い結界に沿って、跳ね返る雨粒が整列し、太陽光を反射して、きらきらと等身大の虹を描くのだ。

「虹か……! すごいな」
「ふふ。ちゃんと見えてる?」
「ああ、とても……とても綺麗だ」

 感嘆するように彼が言う。
 無事にお披露目できて、リナは嬉しくなった。

「噴水の周りとかでも虹ができるのを知ってる? それと同じなの」
「……ああ、たしかに、子どもの頃に如雨露じょうろや霧吹きで作ったことがあるな」

 園芸用の道具で幼少から遊んでいたのだろう。彼らしい発言だ。

「しかし、君の場合は――」

 彼は何かを言おうとしてリナを見つめ、言葉に迷ってから、苦笑した。

「……今まで見た中で一番美しい。本当に、言葉に尽くせない」
「ふふ、ありがとう」

 防御魔法の新しい一面を見せられて、リナとしても満足だ。

「運にもよるんだけれど……今日は見られてよかったわ。太陽の光が強くないと難しいの」

 周囲の空は晴れて見えるのに雨に降られるような、「お天気雨」だったのが幸いしたのだろう。噴水や霧吹きで虹を作るときだって、晴れているか、別の光源が無いと駄目なのだ。

「むしろ、これから幸運を授かりそうに見えるぞ」
「縁起が良さそう? お守りみたい?」
「ああ、まるで虹に守られているようだ」

 彼の発想に笑ってから――お守りという言葉に、ふと思い出す。

「……そういえば、初めて防御魔法を使いたいと思ったのは、お母様と外を歩いていた時だったわ」

 身体の弱い母との散歩中に、雨が降り出してきてしまい、「お母様が風邪をひいちゃう! 傘よりもっと強いもので私がお母様を雨から守れればいいのに!」と思ったのだ。

 それを励みに魔法の鍛錬を頑張った結果、小雨だけはどうにか弾けるようになったのが、子ども時代のリナだった。

「お母上はその気持ちを喜んだだろう。……魔法が無くとも、雨が降ろうとも、君といると、いつだって世界は輝いて見える」

 さらりと言われて、照れてしまう。
 相槌に困りながら、地面をちらりと見つめた。 

「……虹に見惚れすぎて、足を滑らせないよう気をつけてね。それに――」

 リナは彼が持ってくれている花束に目をやる。
 雨に打たれたら、せっかく屋敷から持ってきた花束が折れてしまうところだった。
 母の墓前に供えようと二人で用意したものだ。

 彼は「しっかり守るから安心してくれ」と神妙な顔で頷いてくれる。

 そうして二人でゆっくりと歩き、丘の上の、共同墓地に辿り着いた。
 芝生と白い墓石の並ぶ、静かな場所だ。
 気付けば雨は完全に止んでいて、遠くの空まで水色を取り戻し始めていた。

 雨に濡れた芝生の道を歩き、母の名前の刻まれた墓石の前で足を止める。
 そっとリナはしゃがみこんだ。

「……遅くなってごめんなさい、お母様」

 ――本当は、あの頃、母の葬儀に駆け付けたかった。
 あんな父でなければ、自分がもっと早くに大人になっていれば、と何度も思った。
 埋葬まで無事に終わったことを、かつて母とリナによくしてくれていた近所の人からの手紙で知った。

 悔しさと安堵と同時に――それ以来、母の墓前に立つのが怖くなった。
 泣き出して、すがってしまうような気がして。
 気持ちがくじけてしまうような気がして。

 あんな家に行きたかったわけじゃない。あんな父や兄のいる家で、貴族の人間になりたかったわけじゃない、と叫びたかった。
 だが、それでは送り出してくれた母の気持ちに応えられない。

 ――リナにより良い教育を、より多くの選択肢を、と。

 母はリナの魔法の才能を喜んでいた。
 リナが成長していけることを期待していた。なにより、母は病気で、自分がそう長くないことを理解していたのだろう。祖父母も他界していて、母を喪えばリナは一人になる。それが心配で、魔法の才能を口実にしてでも、「もう一人の親」に託したかったのだろう。

 そしてリナも、自分が貴族の家に迎えられれば、母への支援はより豊かになるだろうと――使えるものはすべて使いたいと思った。
 だから、母が父に「この子には魔法の才能が有ります」と手紙を書くのを承諾したのだ。

(だけど――)

 リナが侯爵家に迎えられてすぐに、母は安心したのか、力尽きたように亡くなってしまった。
 残された時間がこれほど短いとわかっていたなら、侯爵家に行かずに最期までそばにいたかったのに。

 ――ごめんなさいお母様、と心の中で何度も泣いた。

 その悔しさと悲しみに負けそうだった時――彼と出会ったのだ。
 学園の大樹の上で泣いていたリナを、彼が見つけてくれた。

 そして今へと続いている。

「……お母様、私は幸せに暮らしています。……だから、安心なさってくださいね」

 ずっと贈りたかった言葉を、ようやく母に伝えられた。
 今日まで続く、彼との思い出があるから、胸を張って母の墓前に来れたのだ。

 しばらく墓石の母の名前を見つめてから立ち上がり、後ろで待つエドガルドを振り返る。

「エド、私と出会ってくれてありがとう」

 彼の瞳は優しかった。

「……それは俺の台詞だ」

 両腕を伸ばせば、静かに抱きしめられる。それから、彼が持っていてくれた花束を、そっと墓前に置いた。

 リナの一番好きな花――彼がくれた、水色の花だった。



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