【8/20(水)コミックス1巻発売!】 指一本触れられない鉄壁令嬢(※嘘です)と猛毒公爵の初恋リベンジ

猪谷かなめ

45_秘策②



 夕食の時間までリナは部屋で休ませてもらった。
 身体の奥の、妙な不安は消えない。動悸がして、胸の奥と頭の中が騒がしい気がするのに、走り出したいような気の高ぶりではなく、どうにもずしりと重いのだ。

(慣れないお屋敷で、緊張しているのかしら、私……)

 熱はないので風邪などではないだろう。
 シルビオと歓談しながら夕食を摂り、入浴を済ませる。身体を温めても妙な不安感は消えず、とりあえず疲れている気がするから早く休もう、と思っていたのだが、屋敷のメイドたちに「シルビオ様の寝室はこちらです」とそのまま流れるように案内が始まって、面食らった。

(し、寝室……!)

 屋敷の使用人たちからすれば、いずれ夫婦になる仲で、しかももう屋敷にまで来ているのだから、そういうものだと思うのかもしれない。まだ婚前とはいえ、かつてはシルビオと夫婦だったので、繊細な乙女のような扱いをしてほしいわけでもないが――

(どうしましょう……おやすみの挨拶はしたほうがいいのかしら)

 夕食後、まだおやすみと言わずに別れた。リナが入浴に向かったのは知っているだろうが――その後のことは何も打ち合わせていない。寝るのにはまだ早い時間だから、もしかしたら少しおしゃべりがしたいかもしれないし、夜間のお菓子パーティーをしながらチェスやトランプ遊びをしたいかもしれない。
 なので、たとえリナがもう休むのだとしても、何も言わずに勝手に自室で寝てしまうのは薄情な気がする。

(だって、二人で暮らしてみたいっておっしゃっていたんだもの)

 二日後のパーティーの後はまたリナは実家に一旦戻るつもりだ。思い出を作るなら夜だって欠かせない。
 もしかしたらシルビオはそんなことを考えずにもう寝る気でいるかもしれないが――挨拶にだけは行ったほうがいいのかもしれない。夫婦生活に必要なのは対話のはずだ。

 リナは使用人たちが案内するままについていき、彼の寝室の扉の前に立った。

(最初の結婚のときも、すごく緊張したのよね……)

 リナの屋敷に彼が住んでいた時、夜には互いに触れ合えるか試し――そして防御魔法で弾いてしまっていた。結婚式でキスもできなかった相手と一晩同じ部屋で過ごすなんてことは、初恋相手と手すら繋いだことのなかったリナからすれば、あまりに段階を飛ばしすぎていて、まるで崖から飛び降りるくらいの覚悟が必要だった。――次第に申し訳なさの方が勝ちすぎていき、年頃の乙女としての緊張など忘れていったが。

(今日はどうなるのかしら……今、防御魔法は出るのかしら)

 もしそういう雰囲気になったとき、今のリナはどうなるだろうか。
 意識して発動しているわけではないから、自分でもよくわからない。

 ノックをするとすぐに返事があった。

「リナ、来てくれたんだね。さあ入って。夜のお茶会でもする? トランプも用意してあるよ」

 彼は嬉しそうだった。先ほどリナが考えていたような思い出の作り方で、ほっとする。
 夫婦となる相手とは、同じ速度で進み、同じものを見ていたい。シルビオは寄り添ってくれる人だ。以前と変わらない彼であることに安心した。

 彼の寝室に入ると、二人掛けのソファーにシルビオと二人で座ることになった。真横にシルビオがいるのは少し緊張するが、寝室なのだからソファーとテーブルがあるだけでも十分だ。メイドたちが夜のティータイムの用意をしてくれる。さすがに重たいサンドウィッチやケーキは無く、お菓子はクッキーだけだった。

(あ……)

 そのクッキーたちの中に、昼間に噛めなくて苦労した『黒鈍色の謎の粒』が練り込まれた黒胡麻ごまクッキーがかなり混ざっているのを見て、一瞬身構える。

(またセサミクッキー! あの硬いやつ!)

 しかしリナが昼間一枚しか食べなかったのだから、それが余るのも当然だ。屋敷の料理人の手製であれば、バランスを考えて他の味のものを増やして皿に盛り直すだろうが、シルビオの手作りともなれば、最後の一枚になるまで勝手に使用人たちで食べたり処分したりしないだろう。

(そうよ、残すのは良くないわ……)

 リナはその噛めないクッキーを手に取った。一枚くらいは食べるのが礼儀だろう。あいかわらず黒胡麻ごまの味のクッキー生地の部分はおいしい。黒鈍色の粒は噛めないので飲み込む。紅茶もおいしい。クッキーはまだ余っている。

 どことなく天敵のような気持ちでクッキーからそっと視線を外して紅茶を飲んでいると、
「リナは表情がよく変わるから面白いね」
 と、すぐ隣に座るシルビオは楽しげに見つめてくる。

「苦手だったら残していいんだよ」
「いえ、ちょっとわたくしの歯が非力なだけですわ」
「ふふ、そうだね、硬くてごめんね」

 シルビオはわかっていて入れているようである。

「……入れないと駄目なんですか?」
「君の身体に必要なものだから。これが僕のとっておきの秘策だよ」

 何やら効能でもあるのだろうか。ハーブのクッキーと似たようなものだろうか。

「秘策って……あ、もしかして、わたくしの防御魔法を改善するための薬だったりしますか?」
「そうだよ。秘策って言っても、結構わかりやすかったでしょう?」
「なるほど……」

 最初の頃は、魔法研究所の人たちにも協力してもらって、いろいろな薬を飲んだものだ。魔力の質を高める薬や、魔力の出力を一定にする薬など――結局どれも『暴走している鉄壁令嬢』に意味は無かったが。

(あれ? 私、なにか忘れてない……?)

 思い出そうとするが、思考がうまくまとまらない。今日はこの屋敷に来てから、どうにも調子が悪い気がする。
 動悸は緊張のせいだとしても、何かがずっと、リナの中で騒いでいる。
 妙な不安感だけが上滑りしているような――それでいて、その正体を突き止めようにも、膜に覆われたようにぼやけている。自分の中の核に、鮮烈さがないような――そう、自分の奥底から湧き出るはずの魔力が、うまく感じ取れないような。

(……?)

 自分の中になにかが巣食っている。そして今、自分は弱っている。

(もしかして、私、吐いたほうがいい……?)

 なぜこうなったのか理由はわからないが、内側に入り込んだものを追い出すには、何かしなければいけない気がした。



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