妖怪村の異類婚姻譚-失せ物さがし-

ノベルバユーザー613549

9.

 やがて、周囲が明るくなってきた。

(……そろそろ、頂上かな……?)

 小姫の足はもう、限界だった。運動不足がたたって膝が震えている。
 少し先で待っていた乙彦が手を伸ばし、小姫の腕をつかんだ。力を入れて、一息に自分の隣に引き寄せる。

 足下から突風が吹きつけてきた。小姫はとっさに髪の毛を抑える。
 おそるおそる風の吹いてきた方角に目を向ければ、思わずのどから歓声がもれた。

「うわあ……!」

 眼下には幾重いくえにも連なる山肌が一望できた。それほど高くはない山だが、だからこそ、眼前に迫る木々や斜面の一つ一つが、手触りをもってそこに在ると感じる。
迫力に圧倒されてふらつくと、乙彦が背中に腕を回して支えてくれた。

「あ、ありがと……」
「……こっちなのです」

 親切なのかと思いきや、またもすぐに手を離して踵を返した。小姫が横に並ぶのを待って、崖の下を扇子で指し示す。

「あそこに、白い花が見えるのです」

 立ったまま真下に視線を向けるのはさすがに怖かった。小姫はしゃがんで、そっと前に体を傾ける。
 一メートルほど下だろうか。白く透き通る蓮に似た花が、そよ風に揺れていた。

「あれは、岩の神の置き土産なのです。十年蓄えた妖力で咲く、一輪しか存在しない花……。あの花を使えば、私の力を頼ることなく、ヒメは体を維持できるのです」

 乙彦はそう告げて、小姫をじっと見降ろした。扇子の影に口元を隠し、彼女の様子を観察している。

「あれが……」

 小姫は吸い寄せられるように、いつくばって右手を伸ばした。しかし、どんなに腕を伸ばしても、花のあるところまでは全然足りない。仕方なく、もう少し、もう少し、と徐々に身を乗り出していく。

 ようやく、花弁に指先が触れた。岩を握る左手に力を込め、小姫はまた少し腕を伸ばす。そうやって、がく・・伝いになんとか茎をつかもうとしたその時――。

 小姫を眺めていた乙彦の目に、酷薄な色が宿った。

「――きゃっ!?」

 次の瞬間、支えにしていた左腕が消え失せた。バランスを崩した小姫の体は、空中に投げ出されてしまう。

 崖から落下しながら、小姫は一縷いちるの望みをかけて、乙彦の方へ右手を伸ばした。しかし、彼は助けるそぶりを見せるどころか、身動き一つしない。

(乙彦――……?)

 絶望が、見つめる先の景色を白黒に塗り替えた。モノクロ写真のように静止した世界の中で、乙彦の口だけが動いて見えた。


  ――さ、よ、な、ら、と。


 その映像を最後に、小姫は意識を手放した。

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