ノベルバユーザー617307

地響

抗魔法鎧の装着もまだ半分程度のブラキオサウルスが、バックホーに突進した。すると相手はクローラーで回転しながらボディを回し、鋼鉄の腕を跳ね上げるように伸ばす。アームの先端のバケットがブラキオサウルスの顔面に見事ヒットした。この一撃であえなくノックダウンされた巨竜は大きな地響きを立てて倒れ込む。

 あのバックホーの動き、もしや根木一平太か。いったいどうやって結界を突破し、ここに侵入したのだ。疑問は尽きないが、いまはそれどころではない。

「ミャーセル! ガドラメル! ヒュードル!」

 名を呼ばれた三人の四方神は、何もない空間から姿を現すとバックホーを取り囲む。だが嵐のように暴れ回る赤いバックホーに圧倒されて直接的な手出しができない。

「これ、どうするにゃ~」

 困り顔のミャーセルに、ヒュードルがうなずいた。

「まず動きを止めよう。ガドラメル」

 緑の肌の巨漢は忌々しげに右手の平を前に向けると、「ハッ!」と息を吐いた。その瞬間、バックホーのボディ周りを水の玉が包み、それは直後に凍り付く。しかしバックホーはまだ動きを止めようとはしない。アームがガタガタと動き、氷を割ろうとする。

 ヒュードルは続けて言った。

「ミャーセル、中の人間を殺せ」

「あ~いにゃ~ん」

 ネコ耳娘は手にした長いムチを振るい、バックホーの真っ赤なアームに巻き付けた。

「ではおしまいにゃ~ん」

 ミャーセルの体が輝き、高圧電流が数秒間バックホーを襲った。仮にバックホーに精霊の加護があったところで、これでは運転手は消し炭となっただろう。やれやれ一安心、そんな顔を三名が見合わせたとき。

 赤いバックホーはボディを回転させ、氷を一気に打ち砕いた。そしてそのままの勢いで三名に襲いかかってくる。しなるアームは先端のバケットでガドラメルを打ち払い、返す刀でミャーセルを叩き落とす。さらにはヒュードルに突っ込んできたところを、有翼鳥頭の魔人は迎え撃った。

「風蓋ふうがい」

 猛烈な圧力の空気がバックホーにのしかかる。バックホーだけではない。その周囲に逃げた高圧の空気は施設の壁を破壊し、機器類は木の葉のように散り舞った。被害を出しながらも何とか敵の動きを止めた形だが、やはり精霊の加護を受けているのだろう、バックホー本体は破壊されない。

「ガドラメル、中の人間を引きずり出してくれ」

 もうこうなってはバックホーと動かす人間を切り離すしかない。強大な空気圧の中、駆け寄ったガドラメルが黒塗りされたバックホーの運転席のドアを開くと。

「おい、誰もいないぞ!」

 そう叫んだと同時に真っ赤なバックホーは動きを止め、さらには空気圧に負けたようにグニャリとひしゃげた。潰れた。そしてまるで砂でできていたかのように崩れ去り、完全に姿を消し去ってしまった。

「何だったんだ、いまのは」

 ヒュードルが思わずつぶやいたのも無理はない。竜の生産・調整施設はこの一件で壊滅的な打撃を受けた。もちろん施設はここ一つではないので大局に影響はないが、四方神は心理的にある種のトラウマを刻まれている。敵はいかなる手段を用いてここを攻撃したのか。今後もこの攻撃があるのか。どの程度の精度でこちらの策を見通しているのか。

 ハイエンベスタがこの世界に姿を現さなければこの攻撃もなかったのだろうが、いまさら尻尾を巻いて逃げ出す訳には行かない。あと少し。あと少しでハイエンベスタは次元回廊の支配者になれる。我らが皇帝陛下の御前に三つの世界が膝を折るのだ。ここまで来て後退するなどあり得るものか。改めて確認するまでもない、それはサクシエルを始めとする四方神全員の統一された意思。

 この屈辱は必ず晴らす。だがいまはジタバタしても始まるまい。サンリーハム側に何か変化が起きたからこその今回の攻撃。まずは守りを固め次の出方を見るのだ。



 サンリーハムとハイエンベスタの時差は十三時間、こちらはまだ昼間。

「ごくろうだったな」

 いつも訓練に使っている広場で、保岡府知事の肩に乗る赤いマスコット、コウの声に一平太はバックホーから降りた。青いバックホー、弁天松スペシャル三・〇二号機からである。その顔は困惑していた。

 コウはたずねる。

「どうだったな、自分の影を飛ばした感想は」

「すんごい変な気分。何か頭がふわふわしてる」

 一平太は額を押さえて苦笑いを浮かべた。しかしコウは笑う。

「その割に気持ちいいくらいの大暴れだったがな。この攻撃はハイエンベスタにはまったくの想定外だったろう。こちらに敵本土を直接攻撃する能力があるとわかったのだ、向こうも今後はイロイロと慎重にならざるを得まい」

 そういうものなのだろうか。一平太にはよくわからなかったが、先々のことが少し心配になった彼は首をかしげた。

「でもええんですか、精霊王の使者がサンリーハムの味方になっても」

 これにコウは鼻をフンと鳴らせた。

「もしハイエンベスタが海洋の精霊王から直接の指示を受けてこの戦争を始めたのならさすがに余もヤバいだろうが、おそらくそんな訳はないからな。これは精霊王から見れば三つの世界の住人間でのいざこざに過ぎん。余が力を貸すとか貸さぬとかは枝葉末節の話なのだ」

 だがこの答えに一平太は不満げだ。

「でもそれやったらいざこざが起きへんように精霊王が注意してくれてもええんやないんですか」

「言いたいことはわかる。だが、人間が足下のアリの都合をどれだけ考えて行動するかね。人間が人間の都合でしか動かぬように、精霊王も精霊王の都合でしか動かんのだよ」

 精霊王から見た人間が、人間から見たアリだと言われて少々ムッとしたものの、とりあえずの理屈は体感的に理解できた。

「ほんなら次はどうするんです」

 一平太の問いにコウはふうむと考え込む。

「皇宮の位置を探らねばならん」

「こーぐう?」

「魔竜皇国ハイエンベスタの王宮、皇帝がいるはずの場所だ」

「ああ、なるほど」

「ハイエンベスタの行動が皇帝の指示によるものなら、皇帝を説得すれば問題は解決する可能性もある」

 問題は元から絶つという考え方である。確かに、それができるのなら一番手っ取り早い。

「その場所がわかれへんのですか」

「先般のアメリカ・イギリス使節団が皇宮に赴おもむいたという話があったのでな、頭の中をのぞいてみたりしたのだが」

「そんなことできるんや」

「場所に関する記憶がゴッソリ消えておったよ。偶然などではあるまい。まったく用意周到な」

「そしたら打つ手なしかあ」

 残念そうな一平太に、コウはしばし考えるとこう言った。

「何一つまるで打つ手なしという訳ではないのだがな」

「げーんこーつやまのー、たぬきさんー」

 留美はまだ治療所にいた。体はもうほぼ異常なしなのだが、いま大阪のマンションに戻る訳にも行かない。つまりサンリーハム内に住居を構える必要がある。しかしいかに竜殺しの英雄で三兵団長の一角を担う一平太とはいえ、その日のうちに住居を見つけるのは難しかった。だからシャミルたちが走り回っている間、留美と一平太は治療所で暮らしているのだ。

 留美の目の前にはレオミスがいる。留美の世話をしているというよりは、手遊びの仕方を教わっているという方が正しい。

 レオミスの生家は裕福な貴族で代々剣士として王宮に仕えてきたが、地位は低かった。そこに生まれた宝玉の如く魔法の才能に満ちたレオミスには精霊との契約前から厳格な英才教育が与えられ、精霊リュッテとの契約からは瞬く間に出世の階段を駆け上り、周囲の期待に応えてこの若さで剣士団長の位に就いたのだ。

 それを後悔してはいない。誇りに思いこそすれ悲しいとも思っていない。ただ、子供として子供らしい遊びをした記憶がまるでないレオミスにとって、留美と接するのは新たな知見を得ることの連続だった。げんこつ山が何でたぬきが何なのかは知らない。ジャンケンはかろうじて理解したが、まだ勝ち負けの判断に戸惑う。それでもこの単純な手遊びが自分の心の奥底にある小さな傷を埋めてくれるのを感じていた。

「だっこしておんぶしてまたあした!」

 ジャンケンでは留美の三連勝である。大喜びの留美を見ているとレオミスの顔にも笑みが湧き出てくる。何と暖かで幸福な敗北だろう。自分が勝負事に負けて笑う日が来るなど、かつては想像もできなかった。

 と、そこへ。

「何や留美、また勝ったんか」

 背後から一平太の声が聞こえた。いつの間に、まったく気付かなかった。剣士として不覚、と思う気持ちより先に顔に血が上ってしまう。何故だ。

「あ、一平太ちゃん!」

 留美は駆け寄り、一平太の脚に抱きつく。

「お仕事終わったん?」

「まだ終われへんねん。もうちょっと我慢してくれな」

「ええよ、別に。お姉ちゃんと遊ぶから」

 そう言いつつちょっとむくれる留美に、一平太は頭をかいた。

「いやあ、それがな、お姉ちゃんも仕事やねん」

「ええーっ」

 今度は本格的にむくれてしまう。

「悪い、ホンマごめん。ちゃんと晩ご飯までに戻ってこれるようにするから、一人で留守番しといて。な」

 口を尖らせ不審の目で見つめる留美に、一平太は手を合わせた。これにため息を返す留美四歳。

「しゃあないなあ、もう。ちゃんとケガせんと帰ってきてよ」

「わかってるって。『ご安全に』やもんな」

「そうやで。『ご安全に』やで」

 一平太とレオミスは留美に手を振りつつ背を向けた。一平太が小声で伝える。

「正装はええから貴賓室に集まるようにって、コウさんが」

「わかった」

「……大丈夫か? えらい顔赤いけど」

「う、うるさいっ。何でもないっ」

 レオミスは一人でズンズン歩き去って行く。一平太は首をかしげながら後を追った。



「認められる訳がないでしょう、そんなこと!」

 貴賓室に響き渡るのは摂政サーマインの声。その剣幕に圧倒されて一平太もレオミスもゼバーマンも言葉が出ない。

「とは言え、だ」

 リリア王の向かって左側、保岡大阪府知事の肩の上でコウは言う。

「ハイエンベスタの皇宮の位置がわからんのでは、こちらが有利に立ち回ることはできぬ。そのためにリリア王から首脳会談を持ちかけるというのは極めて合理的ではないか」

「だからといって王にハイエンベスタに赴けなどと、そんな恐ろしいことがよく言えたものですね」

 相手が精霊王の使者であることなど忘れ去ったかのように、サーマインは怒りを露わにしていた。対してコウは平然としている。

「しかしな、リリア王はこのサンリーハムの最高責任者であろう。責任者は責任を取るために存在するのではないか」

「そんなあざとい小理屈など知ったことですか! この国の王は国家の中心にして象徴、国家を護るとは王を護ることなのです。その王を戦争の最前線に連れ出すなんてサンリーハムに滅べと言うに等しい。到底受け入れられるものではありません」

「だが何もしなければサンリーハムは確実に滅ぶぞ。それはお主もわかっておるのだろう」

 図星だった。サーマインは悔しげな顔に怒りを浮かべながらも何も言えない。だがその怒りは驚愕に変わる。リリア王の一言で。

「私は、ハイエンベスタに参りたいと思います」

 これに激しくかぶりを振るサーマイン。

「なりません! なりませんぞ王よ!」

「静かになさい、サーマイン」

 覚悟を秘めた王の言葉に、サーマインは絶句するしかない。リリア王はコウを見た。

「私は死にに行く訳ではないのですよね」

「もちろんだ。黒曜の騎士団長と白銀の剣士団長を護衛に付ける」

 そしてコウはイタズラっぽく、ちょっと不満そうな顔の一平太に目をやると言った。

「蒼玉の鉄騎兵団長にはサンリーハムで留守番を頼むが、いざというときには働いてもらうのでそのつもりで」

 コウは再びリリア王に向き直るとたずねた。

「これでは不安かね」

「いいえ。安心です」

 笑顔のリリアに不安は見えない。けれど、そんな訳はないのだ。十二歳の女の子が気丈に振る舞い己を抑えて周囲の家臣のために微笑んでいる。その健気さがわかるが故にサーマインは断固反対の立場なのだが、同時に王の気持ちが誰よりわかっているのもサーマインだった。

「サーマイン」

 王は言う。

「私はもう兵も国民も、誰も死なせたくないのです。どうか、力を貸してください」

 いまのリリア王にそう請われて、いったい誰が断れよう。サーマインは敗北を受け入れるしかなかった。まったく。半年と少し前、玉座に着くことにすら怯えていたあのか弱い女の子が、よくもまあここまで強くなったものだ。まさに立場は人を作るということだろうか。

 サーマインは頭を下げた。

「……御意のままに」



 その提案は日本時間の夜二十一時、ハイエンベスタ時間の朝八時に外交ルートを通じて伝えられた。具体的にはサンリーハムから日本政府へ、日本政府からアメリカとイギリス両政府へ、そして米英両政府からハイエンベスタへと伝わったのだ。

 サンリーハム王がハイエンベスタ皇帝との首脳会談を望んでいる。

 この情報が表に出て来たとき、否定的に報じるメディアはどこの国にもなかった。まさかこうも真正面から来るとは想定外だったハイエンベスタ側は、動揺を悟られぬよう即座に歓迎の意を表した。

 ただし、会談場所はアメリカ国内を希望する。サンリーハム・ハイエンベスタ両国にとって安全な場所を提示した、という建前だったが、ハイエンベスタがサンリーハムの代表団を国内に入れたくないのは明白である。

「さて、これはどう受け止めたものか」

 大地の精霊王の使者コウは、保岡大阪府知事の肩で腕を組む。そして己が依代である保岡にたずねた。

「ハイエンベスタ側の狙いは何だと思う」

「えっ、そりゃ皇宮の位置を知られたくないんじゃないですか」

 大阪府知事室の机でPCを操作しながら保岡は答えた。自分が知事室を留守にしている間に溜まった仕事を片付けているのだ。これは徹夜しなきゃ無理かなあ、思わずため息が出る。

「しかしこちらが提案しているのは首脳会談だ。これに応じてハイエンベスタ側から皇帝が出てくるのなら、皇宮の位置など二の次だろう」

 コウが疑問を呈するが、保岡は眠い目を擦りながらキーボードを叩いている。

「でもその皇帝が本物である保証はどこにもありませんし、皇宮の地下に何か秘密でもあれば、それが皇帝の命より優先されることもあり得るんじゃ」

「ふむ、なるほど。お主と話していると面白いな」

「こっちは面白くないですよ。ちょっと静かにしててくれませんかね」

 保岡は愚痴るしかなかった。

一時は第三国での開催も検討されたようだが、結局サンリーハムとハイエンベスタの首脳会談はアメリカのキャンプ・デービッドで行われることに決まった。

 もっとも国家間のトップ会談ともなれば場所が決まっただけで話が進む訳ではない。たとえば移動をどうするかだ。サンリーハムからアメリカまで、距離はあるが跳躍術士に運べぬほどではない。しかしこれにはアメリカが難色を示した。

 要は空港で待ち受けるメディアの前で飛行機から降りてくる国王を、アメリカの政府高官が出迎えるセレモニーが必要だというのだ。なるほど、友好ムードを演出するには明快である。

 ただセキュリティを考えるのなら、飛行機を使うより跳躍術士が跳ばした方がはるかに安全だ。少なくともミサイルで撃墜される危険はない。とは言え今回重要なのはハイエンベスタの皇帝を公の場に引っ張り出すことであるし、元より危険は承知の上である。釘浦首相の配慮もあり、移動は日本の政府専用機を使うとアメリカ側に伝えた。

 こういった大小諸々の取り決め事を片付け、すべての段取りが終わったのは会談の前々日。政府専用機に乗り込むのはリリア王、摂政サーマイン、レオミスとゼバーマン、そして日本政府サンリーハム特使の肩書きで保岡大阪府知事という顔ぶれになった。

「何で私がアメリカにまで」

 知事の執務室で保岡は頭を抱えた。ただでさえ大阪府知事の仕事が溜まっているというのに、日本政府からの要請という名の圧力で二泊三日のアメリカ旅行である。全然嬉しくない。

「まあそう気に病むな。人生は何事も経験だからな」

 右肩の上でコウがポンポンと頭をなでる。これが腹立つ。

「あんたねえ。誰のおかげでこんなことになってると思ってるんですか」

「すべてはハイエンベスタの野望のせいよな。わかるわかる」

「いやいや、いやいやいや」

 首を振る保岡だったが、コウは気になどしないようだ。

「とにかく今回の会談で何の結果も出なければ、この日本という国もただでは済むまい。お主は日本を代表するつもりで参加することだ」

「そもそもこういう場合のために総理大臣って仕事があるんですけど」

「ぐだぐだ言うな、諦めの悪い。ならば次は総理大臣を目指せ。そのための勉強だと思えばよかろう」

「気楽に言ってくれますね」

 保岡は大きなため息をついたが、もう国家間の約束として決まったことをそう簡単には動かせない。アメリカに行くしかないのだ。理屈としてわかってはいる。割り切れるかどうかを別とすれば。



 翌日、関西空港に到着した政府専用機にリリア王一行が乗り込んだのは十六時過ぎ。出発は十七時過ぎでワシントンDC到着は現地時間の十八時頃、日本時間では翌午前六時頃となる予定。

 機内ではゼバーマンとレオミスが魔法で機体をチェック、特に異常は認められなかった。

「……尻の据わりが悪い」

 座席に着いたゼバーマンだったが、貧乏揺すりの激しさが心理状態を表している。

 レオミスは通路を挟んだ斜め後ろで座席に身を預けて目を閉じていた。

「諦あきらめて腹をくくれゼバーマン。陛下に聞こえるぞ、みっともない」

「だがなレオミス。こんな無防備な状態、攻撃してくれと言ってるようなもんだ。少なくとも俺が敵ならそうする」

「おまえは敵ではないし、敵はおまえではない」

「んなこたあわかってる。俺が言いたいのは」

 思わず声が大きくなったゼバーマンを叱りつけるのは、後ろから歩いてきた摂政サーマイン。

「静かになさい。遠出をする前日の子供ではないのですよ」

 ゼバーマンは目を丸くする。

「摂政殿はリリア王と貴賓室におられたのでは」

「あなた方に任せっきりでは不安がありますからね。私自身がこの飛行機械を調べているのです。その方があなたも安心でしょう」

 そう言いながら前方へと歩いて行く。ゼバーマンは口を尖らせてつぶやいた。

「自分だって尻の据わりが悪いんじゃねえか」

 それを聞いて小さく笑みを浮かべたのはレオミス。

 ちなみに保岡大阪府知事は彼らの会話など聞こえない機体後部の座席にいた。

「何か納得行かない」

「まーだ文句を言うとるのか、お主は」

 呆れるコウに、保岡は言い返す。

「いやそうじゃなくて、精霊王の使者をこんな一般席に乗せて大丈夫なんですか、ねえ」

 なるほど理屈である。本来的なことを考えるなら貴賓室でもおかしくはない立場だ。しかしコウは興味なさそうに答えた。

「余は別に構わんが。人間の価値観で良いの悪いのなどどうでもいいし、だいたいこの星の上ならこんな機械などなくてもどこへでも行けるからの」

「じゃ何で乗ってるんですか」

「何か面白そうだったからな」

「こ、このぉ」



 そして十七時過ぎ、政府専用機は予定通り関西空港を離陸し、十二時間半ほどをかけてワシントンDCのダレス国際空港へと無事到着した。

 やや傾いた陽を受けながらリリア王がタラップに現れると、報道陣からどよめきが上がる。無数のカメラと好奇の視線をものともせず、凜とした十二歳の少女王は階段を下り、待機していた国務副長官に自ら右手を差し出した。



「まったく、この世界の人間は何故こうも形式的なことが好きなのか」

 高級ホテルの一室で、サーマインは窓から夕闇を眺めてつぶやく。空港でのセレモニーの後、一行は黒塗りの大型セダンに乗せられ交通規制のされた道路を走り、このホテルに到着した。

 宮廷跳躍術士のサン・ハーンは事前にこちらに到着している。セキュリティを重んじるなら空港からこの部屋に直接跳んでもよさそうに思うのだが、車を走らせて沿道の人々に手を振るのをアメリカ人は当然と考えているようだった。

「サーマイン様、陛下のご夕食の準備が整いましたが」

 報告に来た用人頭に顔を向けると、サーマインは「すぐ参ります」とうなずいた。

 リリア王の部屋に入ると、サン・ハーンと共に先行してニューヨーク入りしていた使用人たちが食卓をしつらえて、リリア王はその前に座っていた。何とも眠そうな顔で。

「毒見は終わっていますね」

「はい、すべて」

 用人頭と短い会話を交わすと、サーマインはリリア王の側に立った。

「陛下、食欲はございますか」

「あります。でも今日はくたびれました。人の目とは、ああも疲れるものなのですね」

「時差もございますからね。今日は無理せずお召し上がりになれる分だけ召し上がって、すぐにお休みください。明日はもっと疲れるかも知れませんので」

「はい、そうします」

 リリア王はそう答えると、小さくアクビをした。



 やがて陽は完全に落ち夜となったが、世界の政治の中心たるこの街は眠らない。それでも人々が目をやるのは美しい夜景やライトアップされた名所であり、静まり返ったホテルの壁を見上げる者は誰もいなかった。

 その壁を登る影が五つ。人の姿、いや、確かに上半分は人の形をしていたが、下半分は楕円形が二つつながり、そこに棒のような脚が八本。人間と蜘蛛のケンタウロスとでも呼ぶべき真っ黒な姿が音もなくホテルの壁を登っていた。

 だがその脚が止まる。壁に垂直に立つ大柄な、こちらは人間の姿。手には異形の槍を持って。

「何者だ、と聞いて答える訳はないな。何が目的で誰の差し金だ、と聞いても答えぬだろう。つまり捕まえる意味がない。全員ブチ殺すのもやむを得まい」

 魔槍バザラスを構えるゼバーマンがそこにいた。

 蜘蛛のケンタウロスたちは静かに横に広がったかと思うと、口に当たる部分から一斉に白い糸を吐きかけた。しかしそれがゼバーマンに触れようとする端から、赤い火を放ち燃え尽きる。

 ゼバーマンはもはや言葉もなく、ただ口元に笑みを浮かべながら前に出た。次の瞬間、ケンタウロスは三体が胴を切断され、炎を上げながら落下する。ゼバーマンは小さく舌打ちした。

「木偶でくか」

 残る二体のケンタウロスはゼバーマンに飛びかかってきたが、これも簡単に斬り倒され燃えながら落下した。

「レオミス、こっちは終わった。そっちはどうだ」

 リリア王の寝室前でレオミスはつぶやく。

「こちらは異常なしだ。ケガはないか」

 息一つ乱さず、ゼバーマンは遙か下にちらつく小さな火を見つめた。

「ケガなんぞあるか。相手は中身のない木偶だ。こっちの睡眠時間を削るための嫌がらせだよ」

 こんなことをするのもできるのもハイエンベスタ以外にありはしないのだが、かと言ってハイエンベスタの仕業であるとの証拠もない。そして相手はそれを絶対に認めないだろう。まったく面倒臭い、いまからハイエンベスタに攻め込んだ方が簡単なんじゃないかとゼバーマンは思った。

二時間半のドライブの後、キャンプ・デービッドの山荘へと黒塗りの大型セダンで到着したリリア王一行を、アメリカ史上何人目かの女性副大統領、ミネラ・コールらが出迎えた。空は晴れやかだが、気分まで同様とはなかなか行かない。

 笑顔のまぶしいミネラ副大統領は公平な仲裁者であるかの如く振る舞っているが、彼女の考えていることはアメリカの利益が第一であり、それはすなわちハイエンベスタに有利な交渉を意味する。決して気を許して良い相手ではない。

 そう考えて緊張していた保岡大阪府知事だったが、現状の厳しさを誰より理解しているはずのリリア王と摂政サーマインに、見ている限り固さは感じられない。これは生まれながらに背負った物の差なのか、それとも踏んだ場数が違うのだろうか。

 昨夜ハイエンベスタの皇帝がワシントン入りしたというニュースは目にしなかったように思っていたのだが、どうやら少し遅れて来るらしい。それも直接この山荘へと。なるほど、リリア王には飛行機と車を使わせて『普通』を印象づけ、ハイエンベスタの皇帝には『特別』をイメージさせる訳だ。セコいと言えばセコいが、わかりやすい印象操作だと保岡は感心した。

 それから三十分ほど待っただろうか、突然窓の外が暗くなったかと思うと、黒雲の中から四頂部にドラゴンの羽を模した飾りが付いた黒い大きな立方体が降りてきた。サンリーハムの魔法に慣れている者なら飛行駕籠かごを転移させたのだろうと察しが付くが、そうでない大衆は「これこそが魔法だ」と感じるに違いない。

 黒い立方体の中からは、まず緑色の肌の巨漢ガドラメルとネコ耳娘が現れ周囲を見回す。そして安全が確認されたのだろう、立方体の内側に声をかけると、黒いフードつきのローブをまとった小柄な人物に手を引かれて姿を見せたのは、ストライプのスーツを着た十五歳くらいの物憂げな瞳の少年。その後ろに撫で付けられた髪の色は鮮烈な濃紺。これが皇帝なのか。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品