大阪湾

ノベルバユーザー617307

繊細

実際のところ大阪湾は国際的な海運の要衝であり、漁業も盛んに行われている。また『大阪湾』と名前は付いているが、大阪府だけではなく兵庫県にも広く面し、和歌山県にも少しかかっているのだ、仮に大阪府がOKを出してもそれだけで話が通る訳ではない。極めて繊細で込み入った問題になってくるだろう。

 とは言え、それは政府が頭を痛めればいいことであり、自分には関係ない。保岡府知事がホッと胸をなで下ろしたとき。

「いいでしょう」

 城戸内副首相はうなずいた。

「日本国政府は王国サンリーハムの一時的な大阪湾滞在を許可します。今後はここ大阪府庁に外務省が特別窓口を設置致しますので、ご用の際にはそこを通していただければ」

 は? 外務省の特別窓口? 何やそれは。こっちは何も聞いてないぞ。どういうことや、勝手にそんなことを決めて……そこまで考えて、保岡府知事はハッとした。

 最初からそのつもりだったのだ。政府は最初からこうなることを見越していた。だから交渉の場に大阪府知事を立ち会わせたのである。説明の手間を省くために。これはもう決定事項、保岡府知事がいまさら何をどう言っても変更はないだろう。

 やられた。これが中央の政治のやり方か。城戸内副首相はいまサンリーハムの外務大臣と国防大臣に握手の仕方を教えている。三人とも笑顔の友好ムードだ。ここで自分一人が駄々を捏ねる訳にも行くまい。姑息だが有効な手管には違いない。保岡大阪府知事は一人歯がみをしながらも舌を巻いた。



 サンリーハムの親善使節団は、飛行駕籠に乗って大阪府庁前から飛び去った。来るときにバスに乗ってきたのは日本政府側の顔を立てたのだろう。見上げる保岡府知事の隣に城戸内副首相が立った。

「本日はご苦労様でした、知事」

 どの面さげてそんなことが言えるのか。保岡府知事はにらみつけてやりたかったが、そこは大人である、自分を何とか抑えて乾いた作り笑顔を向けた。

「できれば、もうこういうことはご勘弁願いたいですね」

「そうですね、できれば政府の側もそうしたいところなのですが」

「……はい?」

 嫌な予感を覚えた保岡府知事に、城戸内副首相は満面の笑みでこう言うのだ。

「とりあえず漁業者との交渉、海運業者との取り決めの変更など諸々に関しては大阪府が窓口となっていただけますか」

「え」

「ああそうだ、兵庫県と、あと和歌山県にも説明をしなくてはなりませんよね。これも知事にお願いします。大変でしょうが」

「いや、いやいやいやいや、ちょっと、何言ってんですか! 無茶を言わんでください、それはみんな政府の仕事でしょう。地方に政府の仕事押しつけてどうする気です、政府には政府の仕事をしてもらわないと」

 真っ青な顔で食い下がる保岡府知事に、城戸内副首相は残念そうに首を振った。

「今日の昼からずっと、アメリカと中国の大使が首相に面会させろと矢の催促でね。首相は公用を理由に何とかはぐらかしてはいるんですが、さすがに明日になっても会わないという訳には行きません。いまサンリーハムの問題は、文字通り世界を揺るがしているんですよ。あなたのおっしゃる通り、政府には政府の仕事があります。融通無碍ゆうずうむげに使える打ち出の小槌こづちを持っている訳ではない以上、我々は最優先課題から順番に取り組まざるを得ない。何でもはできないのです。おわかりいただけますね」

 優しく丁寧な口調の、しかし断固とした意思表示。これは副首相の個人的な判断ではなく、日本国政府の正式な決定である。あくまで従えないと言うのなら、行政の場から退くしかないだろう。

「……国民への説明はしていただけるんでしょうね」

 これが府知事の最後の抵抗。城戸内副首相は笑顔で大きくうなずいた。

「ええ、それは政府の仕事ですから」

灰色の花のつぼみを逆さにしたような特徴的な療治服を着た回復術士三人がレオミスの元を訪れたのは、翌朝の朝食前の時間帯。医療関係者は困惑しているものの、おそらく政府側から指示があったのだろう、様子を遠巻きに観察していた。

 三人の回復術士はレオミスの額、胸、へそに手を当て、呪文だろうか、極めて短い文言を繰り返し唱える。そして五分としないうちに手を放し、「お加減はいかがですか」と一人がたずねた。

 するとレオミスは軽々と上半身を起こし、笑顔でこう言ったのだ。

「お腹がすいたな」

 回復術士のリーダーと思しき一人が様子を見守っていた医師に近づき、「もう心配はございません。後はお任せ致しますので」と言うと、三人の回復術士はそのまま何事もなかったかのように病院玄関に赴き、飛行駕籠でサンリーハムへと帰って行った。

 その後、病院の医師たちはレオミスの精密検査を行ったのだが、何の問題もない至って健康体。入院させておく理由が皆無となってしまった。そこで点滴を外し、昼食を摂ってから退院するということで話はまとまる。

 ただこうなるとレオミスにとって昼までの時間が長い。何もすることがない。退屈だ。極めて退屈だ。

 しかしそんなとき、病室の外が騒がしくなった。「外だ! 外だ!」と声も聞こえる。レオミスはベッドを降り、部屋の窓から外を見てみた。

 上空を巨大な石の塊が移動しているのが見える。サンリーハムが海に降りるのだろう。大きな騒ぎにならなければいいが。そう思うレオミスの心の隅を、暗い影がよぎった。まさかそんなことは起きないとは思うが。思うのだが。それでも不安は収まらない。

 魔竜がこの世界まで押し寄せてくるなど、果たしてあり得る話なのだろうか?



 日本政府は朝八時より緊急の記者会見を行い、いま現在魔法王国サンリーハムが大阪上空に浮かび、この後大阪湾に降りることを発表した。驚いたのは国民だけではない。野党の国会議員も、兵庫県や和歌山県などの近隣自治体関係者も、寝耳に水の事態に大騒ぎとなった。

 特に国政政党の野党は怒り心頭で、著しい国会軽視であるとして首相の徹底糾弾をぶち上げた。漁業関係者や海運関係者は不安を口にして政府に補償を求め、また関空、伊丹、神戸空港の発着は一時的にすべて停止、または他港への振り替えとなり、利用者への影響の大きさが判明するのは翌日以降になると思われた。

 SNSではサンリーハムの着水とともに津波が起こるとデマが飛び交い、沿岸部の住民が自主避難する騒ぎに発展した。未知のウイルスによる伝染病や難民が押し寄せる可能性に恐れをなす者も少なくなかった。

 海外からは「日本政府はエイリアンに協力している」という一部過激な政治家の声がメディアで取り上げられ、主要国政府が困惑している様子が伝えられた。

 しかしそんな騒ぎを横目に見ながらサンリーハムの大阪湾への降下は実施され、結果的に何の被害も出さずに終わった。



 病院を出て、南港のフェリーターミナル横に仮設されたサンリーハム行きの船着き場へ中ノ郷の車で向かう途中、レオミスはこんなことを言い出した。

「できれば私の命の恩人に挨拶したいのだが」

「根木さんですか。まあ、いいでしょう」

 中ノ郷の車は車線を変更し、交差点を左に曲がった。窓の外を高層ビル街が流れて行く。この高さを、この数を、魔法を使わず建設したというのだからレオミスにとっては驚異的だ。

 サンリーハムではすべてが魔法を中心に回っている。人間に魔法の力を授けるのは精霊との契約である。十歳になった子供は魔法の適性を検査され、自分に合った精霊と契約する。精霊は契約主の生命力を削りながら――要は寿命を喰らって――魔力を供給するのだ。

 しかし、精霊と契約すれば誰でも超人になれる訳ではない。本人の生まれ持った特性によって驚異的な魔力を発揮できることもあれば、マッチを使わずに火を点けるので精一杯という場合もある。いや、人数的にはそちらの方が多いのかも知れない。

 あるいは、石切り場から切り出した石材を馬車に乗せることが得意な者が、建設現場で石材を積み上げることにも能力を発揮できるかと言えば、これも個人差が大きい。能力の大きさと得手不得手は必ずしも関連しないのだ。そういう意味では魔法社会は非合理的である。

 ただ、魔力の大きさや得手不得手の現出は血統によることがないというのがサンリーハムの常識。すなわち一部階級の家系に権力が集中しない、かなり純粋な能力主義社会であると言える。もちろんそれでも貧富の差はあるし差別もあるのだが、これは人間という生き物の生まれ持った性質なのだろう。

「着きましたよ」

 レオミスが思いにふけっている間に、車は工事現場に到着した。運転席から降りた中ノ郷が入り口の警備員に「根木一平太さんにお会いしたいのですが」と言い終わるよりも先に。

「あーっ! あんた、あの招待状って何やねん! 俺ら着ていく服ないぞ!」

 と一平太が駆け寄ってきた。中ノ郷は頭をかく。

「いや、あれはですね。特にドレスコードもありませんし」

「んなこと言うても、恥かくんは俺と留美やんけ、そんなん無理や」

「いやあ、あなたには来ていただかないとイロイロとその、都合もありまして」

「都合って、こっちの都合はよ」

 そこまで言って、一平太は中ノ郷の向こうに立つレオミスに気が付いた。

「あ、あんた」

「昨日は本当に助かった。ありがとう」

「もう出歩いて大丈夫なんか。えらい頑丈やねんな」

 その言い方が何かツボにはまったのか、レオミスはぷっと噴き出す。笑われた意味はわからなかったが、一平太は気分を害しはしなかった。

「留美から聞いた。あんたがあの怪獣から幼稚園守ってくれたんやてな」

 レオミスは首を振る。

「いいや。私がもっと強ければ、もっと早くあの竜を倒せていれば、子供たちに怖い思いをさせることはなかった。申し訳ないと思っている」

「けど、アレ凄かったぞ。バックホーで殴られて立ってくるとか考えられへん。ホンマもんの怪物やろ」

「確かに。あそこまで強い相手と戦ったのは初めてだった。だからそれを倒した君を尊敬している」

 そう言われては一平太も照れくさい。

「いやあそれは、あのリュッタやっけ、リュッテやったかな。何か声だけ聞こえたけど、アイツのおかげやわ。俺一人で何とかするとか無理やったし」

「それを自覚できている時点で、君には英雄の資格がある。胸を張りたまえ。名乗るのが遅れたな、私はレオミス。レオミス・ケングリア」

「あ、ああ、俺は根木一平太。根木が苗字で名前が一平太」

「そうか。では一平太、またいずれどこかで」

「うん。元気でな、レオミス」

 そう言って二人は別れた。握手くらいはしといた方がよかったかなあと一平太は思ったが、そもそもいま自分の手は汗と泥まみれだ。もし縁があったらどこかで出会うだろう。そのときのことはまたそのとき考えればいい。

晩餐会ばんさんかいなど無視してもよかった。成人式に着た安物のスーツを引っ張り出して、わざわざ恥をかきに出てくる必要などなかったはずだ、まったく。

 そやけどなあ。根木一平太は思う。自分が出席しないことで、あのしょぼくれた中ノ郷が上司に叱られたりするのではないかと考えると、顔くらいは出してやってもいいのかも知れない。

 ……などと仏心を出したのは間違いだったのだろう。

 晩餐会の会場は大阪市内の某高級ホテル。幼稚園の制服を着た留美を連れた安物スーツの一平太には、近づくだけで勇気が要った。入り口で招待状を見せれば、確かに中には通してもらえたが、問題はその後だ。晩餐会って何をすればいいのかわからない。

 とにかく案内された部屋では、みんな手に手に小さなグラスを持ち、立ち話をしている。晩餐会ってご飯食べるんと違うんか。この時点で一平太にはカルチャーショック、もう部屋の壁際に立つしかなく、身動きが取れない。

 会場の真ん中には何故か新品で企業のロゴも名前も書かれていない、七トンクラスだろうか、かなり立派なバックホーが一台ライトアップされて飾られている。何のことやら意味がわからない。

 やっぱり来るんやなかったかなあ。いまからでも帰ってええやろか。一平太が疲れ切ったため息をついたとき。

「初めまして、根木一平太さんですね」

 顔を上げればシャンパングラスを手に持った、自分より少し年上くらいのまだ若い男。どこかで顔を見た記憶がある。どこだったか。

 そんな一平太の困惑を理解したのだろう、男は自分から名乗った。

「大阪府知事の保岡です」

「あっ、ああ!」

 なるほどテレビやポスターなどでよく見る顔である。しかし芸能人ではないのでいつも観てます、はおかしいし、一平太は特に保岡支持派という訳でもないので、応援してます、もおかしい。普通の人々はその辺を適当にごまかせるのだが、一平太にはそれができなかった。

 だが保岡府知事はそういったことを気にしないタイプらしい。一平太の隣の壁にもたれると、不思議そうに見上げている留美に笑顔を見せた。

「あなたたちが来てくれて助かりました。根木さんは今日の晩餐会の陰の主役ですから、もし来られなかったらイロイロととっ散らかるところでしたよ」

「えっ、陰の主役? 俺が? 何でですか」

「それがまた、おそらくあなたにとっては厄介で面倒臭い話なのですが」

 そこまで言いかけたとき。

「保岡さん、見つけましたよ」

 そこに立っていたのは苦り切った表情の二人。小柄でガッシリした頑固そうな人物と、大柄でポッチャリした髪の薄い人物。

「いったい何がどうなっているんです、政府に問い合わせても満足のいく返事がない。詳しいことはあなたに訊いてくれの一点張りだ。困るんですよ、勝手なことをされては」

 保岡は少々ウンザリした顔で何とか口元に笑みを浮かべ、壁から離れた。

「ああ、お二人ともおっしゃりたいことはわかってます。あちらで話しましょうか」

 そして一平太を振り返り「それじゃ」と一言残して三人で立ち去った。

 一平太がポカンとしていると、話しかけてくる声が。

「兵庫県の丹波知事と和歌山県の紀ノ川知事ですよ。サンリーハムが大阪湾に降りたことについて説明を求めているのでしょうな」

 近づいてきたのは内閣情報調査室の中ノ郷だ。

「保岡府知事から何かお聞きになりましたか」

「陰の主役がどうたらこうたら」

 不満を顔に表した一平太に、中ノ郷はうなずいた。

「昨日あなたが竜、歩兵竜と言うそうですが、それをバックホーで倒したことを日本政府もサンリーハム側でも非常に高く評価しておりましてね、急遽バックホーを千台かき集めてサンリーハムに輸出するという話が出ているのです」

 一平太は呆気に取られた。昨日の今日でもうそんな話になっているのか。ああ、なるほど。会場の真ん中に新品のバックホーが飾り付けられてるのはそういうことなのかと、ここでようやく理解した。中ノ郷は話を続ける。

「言うまでもなくサンリーハムは国連加盟国ではありませんし、そもそもバックホーは建設機械ですから、日本の武器輸出三原則に引っかかる訳でもありません。対価をどのように受け取るかという問題はありますが、まあその辺は官僚の得意とするところです。ただ」

 ここで中ノ郷は言葉を切った。その目が一平太を見つめる。

「ただ?」

 続きが気になる一平太に、中ノ郷はこう言うのだ。

「バックホーはサンリーハムの住人には未知の機械文明です。簡単に言えば、動かすためには先生が必要になります。とは言えそれで戦うともなれば、先生は誰でもいいという訳にも参りません」

「……ん? え、あれ。もしかして俺に先生やれって言うてます?」

 中ノ郷は少し哀れみを感じさせる笑顔でうなずいた。

「日本政府はその方向性で考えていますね。あなたは実戦で結果を残した英雄ですから、先生役には適任です」

「ちょ、ちょっと待ってくれ、俺にかって都合はあるし仕事もあるし」

「もちろんタダ働きをしろなどというつもりは政府にだってありません。月に手取りで四、五十万は出すと思いますよ」

「えっ!」

 この数字にはさしもの一平太も目を丸くする。思わず周囲を確認し、声を潜めた。

「し、四、五十万ってマジですか」

「そりゃあ国を代表して赴いていただく訳ですから、それなりの額は出しますよ」

 中ノ郷は当然だろうという顔をしているが、日本政府が何かにつけてケチだという話は一平太も聞いたことがある。マトモに信用していいのだろうか、そんな思いで中ノ郷の顔をのぞき込んでいると。

「おい」

 野太い声に一平太が目を向ければ、見上げんばかりに大柄で黒い髪が天を衝く、黒い鎧の男が眼光鋭く見下ろしていた。思わず「ひえっ」と声を漏らしそうになる一平太に、大男は殺気を込めてこう言った。

「レオミスが世話になったそうだな」

「いえ、お世話、というほどのお世話はしてないですけど」

 レオミスの知り合いか? 誰? 困惑する一平太に中ノ郷は事もなげに説明する。

「こちらは王国サンリーハムの黒曜の騎士団長、ゼバーマン・ザンドリアさんです。今日の晩餐会においでになったサンリーハムの大臣方の護衛隊長をされているそうで」

「は、はあ。そうですか。それは、ご苦労様です」

 他に何とも言いようのない一平太の言葉を聞いて、しかしゼバーマンはこめかみに血管を浮かせる。

「あぁん?」

「いや、え、何か、すみません、失礼なこと言いました、っけ」

 動揺して作り笑いを浮かべる一平太に、ゼバーマンは「フン」と鼻を鳴らせた。

「つまらん。竜殺しの英雄というからどんなヤツかと思ってみれば、クソだな」

 そう言い捨てて背を向けようとしたゼバーマンの足下に近づく小さな影。留美はゼバーマンのふくらはぎを蹴り飛ばすと、慌てて一平太の後ろに隠れて反抗的に舌を出した。しばしポカンとしていたゼバーマンだったが、次第にその顔が怒りに青白くなって行く。

「こ……このガキぃ!」

 しかし怒り狂ったゼバーマンの手が留美を捕らえることはなかった。突然雲もない空から会場の外に地面を震わせる落雷があり、直後ハープを思わせる不気味な音色が響いたからだ。その音を、ゼバーマンは知っていた。

「バザラス!」

 中空に右手を伸ばせば、出現する長大な黒い槍、魔槍バザラス。揺らめく炎のような刃を下段に構えると、ゼバーマンは吼えた。

「竜殺しの英雄殿の力は必要ない! そこでおとなしくすっ込んでいろ! 護衛隊、続け!」

 会場の外に駆け出すゼバーマンを追って、サンリーハムの護衛たちが走り出て行く。少し遅れて自動小銃を持った自衛隊員が会場の入り口を固めた。

 いったい何が起こったのか。一平太を始めとする晩餐会の参加者は外に目をやり、そして息を呑んだ。全身を金色の鎧で覆った小型の肉食恐竜の群れ。一平太が戦った相手よりはるかに小さいが、数は五匹や十匹ではない。

 しかしその魔竜の軍勢を前にして、ゼバーマンは怯む様子すら見せない。まるでそよ風の吹く草原でも歩くかのようにスタスタ無防備に前に出ると、釣られて飛びかかってきた三匹の竜へ魔槍バザラスを水平に一閃した。直後、口から目から尻の穴から、炎を噴き出し燃え尽きる竜。

「さあトカゲども! 灰になりたくばかかって来い!」

 この怒鳴り声に、竜の群れは明らかに気圧され怯んだ。それを見てゼバーマンはさらにバザラスを一閃、五匹を屠って追い打ちをかける。護衛隊の面々も一人一匹が限界だとは言え、次々に竜を灰へと化して行った。

 派手に登場した魔竜の群れだったが、ただ殺されるだけの雑魚でしかなかった、晩餐会場で推移を見つめる人々がそう思ったのも無理はなかったのかも知れない。いや、最前線に立つゼバーマン自身さえそんな風に思っていた節がある。

 彼は敵の竜を次々に燃やしながら群れの中央を突破しようとした。前回の襲撃のときのように大型歩兵竜が後方で指揮を執っている可能性が捨てきれない。ならば最初に頭を潰しておかないと、無意味に戦いを長引かせることになる。隊を預かる者としては妥当な判断だった。

 果たして、歩兵竜の群れを切り裂き最後尾まで達したゼバーマンは、指揮官と思しき大型の竜を発見した。だが、背が低い。歩兵竜ではなかった。

 それはいわゆるアンキロサウルス型の鎧竜よろいりゅう。全身を緑色の抗魔法鎧に覆われた四足歩行で、長い尾の先には堅牢な塊がある。しかし炎の魔法で敵の内側から焼き尽くすゼバーマンには関係ない。その指揮官鎧竜に対し、魔槍バザラスを一閃させた。

 だが。

 四足歩行の鎧竜は炎のカケラすら噴き出さなかった。その意味を一瞬で悟るゼバーマン。

「コイツ、抗魔法餐物さんぶつを食ったのか!」

 そう思ったとき、すでに相手は水平回転していた。尾の先端の塊が、ゼバーマンの頭部を襲う。魔槍バザラスでその攻撃を受けはしたものの、いかにゼバーマンが無双の戦士であろうと人としての肉体的限界はある。彼の体は宙を舞い、数メートル飛んで地面に叩き付けられた。

 魔槍バザラスの庇護がなければゼバーマンの首から上は消滅していたかも知れない。額を流血に染め、それでもバザラスを杖に立ち上がろうとするゼバーマンはまさに武人であったし、超人の域に達しているとさえ言えた。だがそれでも、この鎧竜には勝てない。

 その光景を見つめる一平太は逡巡していた。彼らを見殺しにしていいのか。自分も戦いに参加しなくて本当にいいのか。ゼバーマンは必要ないと言ったが、それでも。

 いつの間にか固く握りしめていた一平太の拳に、小さな震える手が触れた。視線を落とせば留美が一平太の左手に縋り付いている。

「お化け怖い……」

 これで一平太の心は決まった。両手を留美の肩に置くと、しゃがみ込んで笑顔を見せる。

「心配すんな、留美。俺がお化けをやっつけて来るから」

「ほんま?」

「ほんまや。俺は留美には絶対嘘つかへんやろ?」

 留美はしばらく迷っていたが、小さな頭をこくんとうなずかせた。一平太は留美の頭に手を置いた。

「よし、ここで見とけよ。俺は絶対負けへんからな」

 そう言って一平太は駆け出した。外にではない。会場の真ん中に飾られている新品のバックホーにだ。

晩餐会場の真ん中に飾り付けられていたバックホーに一平太は駆け寄った。だが、起動キーが刺さっていない。

「誰か! このバックホーのキー持ってませんか!」

 一平太が周囲を見回しながら声を上げると、背後から返事があった。

「クシシシシ、キーならあるぞい」

 振り返れば、白髪のモジャモジャ頭にモジャモジャヒゲの、小柄なツナギ姿の老人が、指先でキーをクルクル回しながら近づいてくる。

「あ、すんません、そのキー貸してください」

 手を伸ばす一平太だったが、老人はキーを手に隠し、渡そうとはしなかった。

「クシシシシ、このキーが欲しければ、まずワシの話を聞いてもらわねばならん」

「いや、そんな場合やなくて」

「だーまらっしゃい!」

 老人は怒鳴ると、片手でバックホーをポンと叩いた。

「よいかね、このバックホーはこれまでおまえさんの運転してきた普通のバックホーとは訳が違う。このワシが手塩にかけてチューニングした特別製じゃ。駆動部の反応速度は平均で五倍、走行速度など最高時速四十キロが出るモンスターマシンなのじゃ」

 ここで老人はニッと笑う。

「おまえさんが何も考えずにこのバックホーを走らせたら、外に出るまでに五人はひき殺しておったろうな」

 これにはさすがに言葉が出ない一平太。その様子を確認してから、老人はキーを差し出した。

「クシシシシ、わかったら安全運転で外に出ることじゃ。いいか、くれぐれも仲間を殺してはいかんぞ」

 一平太はうなずき、キーを受け取る。

「わかった。恩に着る」

 キーを差し込みエンジン起動。改造されているとは言え、操作方法は通常のバックホーと変わらないらしい。上がっている左側のレバーを下ろし、クラクションで周囲の注意を引き、そして正面の二本のレバーを前にそっと押し込む。頼む、間に合ってくれ。一平太は祈るような気持ちでバックホーを前進させた。



 外で戦う護衛隊は小型歩兵竜の群れに囲まれていた。護衛隊は魔槍バザラスを杖にかろうじて立ち上がったゼバーマンを護るように立っている。それでも歩兵竜を退けるだけなら何とかなった。問題はあの鎧竜である。ノッシノッシと近づいてこられると、抗あらがいようのない護衛隊では後退するしかない。

「おまえら、俺は放っておけ! 歩兵竜の数を削ることを優先しろ!」

怒鳴るゼバーマンであったが、それに従う護衛隊員はいない。この辺りはいろんな意味で日頃の行いであり、人徳であるのだろう。とは言え、このまま後退を続けていれば、大臣たちのいる会場にまで戻ってしまう。それだけは何としても避けたい。ではどうする。護衛隊の面々が顔に緊張感を浮かべたそのとき。

 背後から響くガガガガガッという轟音。それがクローラーの地面を噛む音だと知る者は護衛隊にいなかった。謎の音に思わず振り返れば、そこには会場方向から走ってくる鋼鉄の腕。

 一平太の操るバックホーは地面を削るように急ブレーキをかけると、停止を待たずにボディを回転、振り回したバケットで歩兵竜を五、六匹、一気に殴り飛ばした。そしてブームを左右に振りながら歩兵竜を追いかけ回せば、次々に殴り飛ばし、跳ね飛ばし、踏み潰して行く。

 こうなると歩兵竜も陣形など整えている場合ではない。逃げ回るので精一杯、そこを護衛隊から攻撃されると、いとも簡単に数を減らして行った。

 しかし歩兵竜たちが背を向けて逃げ去ったその先には、あの鎧竜がいる。ゆっくりと、だが着実に前進してくるそれを食い止めなければ勝利はない。

 一平太は一度バックホーを止め、ゼバーマンに声をかけた。

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