道路

ノベルバユーザー617307

道路

別の意味での恐怖が一平太の凍り付いた肉体を溶かした。いますぐあの怪獣に飛びかかろうかとも思ったものの、さすがに素手では無謀だとわかるくらいの判断力は残っている。何かないか。何か道具は、武器は。

 一平太の目にそれが映ったのは、単なる偶然だったのかどうか。ガス管の工事だろうか、さっきまで道路を掘削していたのであろう黄色いバックホー。エンジンもかかったままだ。やれる、これなら使える!

 迷わず乗り込み正面の二本のレバーを押し込む。右脇のボタン式のスロットルで高速を選択する。が、遅い。毎日バックホーを使っているのに、こんなに遅いと感じたことは初めてだった。

 それでもバックホーは着実に進む。何とか怪獣の背後までやって来た。怪獣は何かと争っているのか、まだこちらに背を向けたままだ。この距離ならアームの先端が届く。一平太はクローラー(無限軌道)を左右逆回転させながらボディを回した。
「行けえええっ!」

 うなる鋼鉄の腕が怪獣の顔面を殴り飛ばす。衝撃でバケット(ショベル)が飛んだ。怪獣の巨大な体が斜めになり、ゆっくりと、地響きを立てて倒れ込む。一平太はそのとき初めて、若い女が倒れていることに気付いた。白く長い髪の、変わった格好をした女。誰だろう、幼稚園の先生とも思えないが。

 しかしそんなことを考えていられたのもそこまで。怪獣が起き上がろうとしている。まさか、人間だったら首が飛ぶくらいの衝撃だったはずだぞ。これで死なないなんてアリかよ。動揺する一平太の目の前で、怪獣は立ち上がった。フラフラだ。けれどその目は殺意に輝いている。いったい、どうすればいい。パニックになりそうな一平太の耳に、突然声が聞こえた。

「助けてほしいかい」



 大型歩兵竜は殴り倒された。何だあれは、大きな鉄の腕のような物。人が操っているのか。薄れ行く意識の中で、だがレオミスは危険を察知していた。大型歩兵竜は出血で弱ってはいるが、ただ殴っただけで倒せるほど脆弱ではない。聖剣ソロンシードならトドメを刺せるというのに、魔力を使い果たしたこの体はもう動かない。ならば残された手は。

「……リュッテ」

 レオミスの顔の近くに小さな気配が立つ。

「今日はよく呼び出しがかかる日だね」

 精霊の軽口に反応していられる余裕はすでにない。レオミスは言った。

「頼みがある」

「いやいやいや、精霊との契約は神聖なモノだよ。あまりお安く考えてほしくないなあ」

「あの男に精霊の加護を与えてほしい。私の血なら好きなだけ持って行け」

「ああそうなの。じゃあ死んじゃうくらいもらっちゃおうかなあ」

「構わない……おまえが、希望なんだ……頼……む」

 レオミスはそのまま意識を失ってしまった。

「やれやれ、精霊使いの荒い。ま、今回限りの特別大奉仕ってとこかな」

 そうイタズラっぽく言い残すと、小さな気配は消えた。

「助けてほしいかい」

 一平太は思わず周囲を見回したが誰もいない。

「な、何や。誰や」

 しかし謎の声は冷静にツッコんで来る。

「キョロキョロしてる余裕あるのかな。あの化け物が君に襲いかかるのは、もう避けられない事実だよ」

 一平太は正面に視線を戻した。怪獣はこちらを見つめている。いつ飛びかかってきてもおかしくはないと思えた。

 謎の声は言う。

「もう一度訊くよ、助けてほしいかい」

「そら、まあ、助けてくれるんやったら有り難いけど」

「じゃあ特別に僕が一回だけ仮契約をしてあげよう」

「仮契約?」

「しばらくの間、君は精霊の加護を得る。その間、君はこの機械の天才操縦士となり、同時にこの機械は聖なる武器となるんだ」

 怪獣は口を開け、背中の翼を開いた。一平太の焦りも最高潮となる。

「わかった! もう説明はええから助けてくれ!」

「言質は取ったよ。もっとも本来なら契約の報酬を君からもらうはずなんだが、報酬は先払いですでにもらっているからね、君からはもらわない。それでは契約に基づき、天空と海洋と大地の三界の精霊王に代わって、この精霊リュッテが君に聖なる力を与えよう。それに見合った正しい働きを期待する」

 その言葉が終わると同時に、一平太の全身は白く輝く霧に包まれた、かと思うとそれが一瞬で一平太の体の中に吸い込まれる。

 精霊リュッテの声は言う。

「さあ、これで君は一時的に聖なる加護を得た戦士だ。あの怪物をやっつけてしまえ!」

「いや、そんなん言われてもどうしたら!」

 まるでそんな一平太に返事をするように、怪獣は大口を開いて襲いかかってきた。

「うわああーっ!」

 そのとき自分が何をしたのか、一平太は覚えていない。ただ、体は凄く軽かった。そして、バックホーの動きが信じられないくらいの速さだった。気が付けばバックホーはブーム(上腕部)とアーム(前腕部)との間に、怪獣の首を挟んで捕らえていた。

 口から血の泡を噴いて、怪獣は苦悶に満ちた声を上げる。一平太の耳には精霊リュッテの声が聞こえた。

「このまま首の骨を折ってしまえ」

「え、首の骨をか」

「おやおや、ここに来て情けが湧いてきたのかな。でもよく考えるんだ。君がコイツを殺さないと、君の大事な人が食い殺されるんだよ。それでいいのかい」

 一平太の脳裏には留美の笑顔が浮かんでいた。腹をくくる、しかないか。小さくため息をついてうなずくと、右側のレバーを操作した。アームとブームの間は狭くなり、そしてゴキッと首から音がして怪獣は動きを止めた。

「おめでとう! これで君も今日から竜殺しの英雄だ。胸を張りたまえ。あ、そうそう、そこに寝転がっている白い髪の女の子だけど、放っといたら死ぬから、良ければ治療施設にでも収容してやってくれないかな。これだけの力を与えたんだ、その程度の見返りはいいだろう」

 少女……というほど幼くもないし変わった格好はしているが、よく見れば全身ボロボロになっている。もしかしてあの怪獣と戦ったのだろうか。この幼稚園を守るために。留美を守ってくれたのかも知れない。ならば。

 そのとき、一平太の背後から聞こえてきた声。

「一平太ちゃん!」

 幼稚園の園舎の中から留美が飛び出してきて、一平太の足にしがみつく。

「一平太ちゃん! 一平太ちゃん! 一平太ちゃん!」

 一平太はしゃがみ込むと留美と向かい合い、笑顔で抱きしめた。

「大丈夫やぞ。怪獣はもうやっつけたから、もう何も怖いことないから」

 それを聞いて安心したのだろうか、留美は大声を上げて泣き始めた。一平太は留美を抱えて立ち上がり、園舎の中に居る先生たちに声をかけた。

「すんません、救急車呼んでもらえますか。ケガ人がおるもんで」

 だがそれを止める声があった。

「いや、救急車はもうすでに私が呼んでおりますので、先生方は子供たちのケアに尽力してください」

 いつの間にそこにいたのだろう、中年の、しょぼくれたスーツの男。男は値踏みをするように一平太をジロジロと見回すと、上着の胸ポケットから名刺を一枚取り出した。

「内閣情報調査室の中ノ郷と申します。お名前を聞かせていただけますか」

「……根木一平太ですけど」

「そうですか。では根木さん、今後政府の方から緊急で呼び出しがかかることが何度かあろうかと思いますが、どうぞその際、ご協力いただけますようお願い致します」

「政府? 何で政府が」

「今回あなたがやったのは、それくらいこの日本という国家にとって重要なことだったのですよ、いろんな意味でね」

 中ノ郷はそう言うと、口元に小さく、哀れむような笑みを浮かべた。


◇ ◇ ◇


 上空に浮かぶ魔法王国サンリーハムでは、摂政サーマインが玉座に座るリリア王の隣に立ち、魔導大臣を呼びつけていた。

「魔導大臣リューカーオン殿、調査結果を女王陛下にご説明なさい」

 痩せこけたフード姿のリューカーオンは、リリア王の前に進み出ると一礼し、こう述べた。

「千里眼部隊の探索によれば、レオミス剣士団長は重い傷を負っている模様ではありますが、現在地上の治療施設に収容されて、命に別状はないのでは、とのことです。回復術師が送り込めればなお良いのですが」

「それで。一緒に落ちた大型歩兵竜はどうなりました」

 サーマインの問いに、リューカーオンは再び頭を下げる。

「はい、こちらはすでに打倒され、絶命しております。どうやら地上の者たちが解剖し、分析しようとしている模様ではあります」

「ふむ……よろしい、情報収集は今後も継続してください。では次に天文地形大臣アートラ殿、これへ」

 次に出て来たのは恰幅の良い赤髪の男。サーマインは一礼したアートラにこうたずねる。

「非常に困惑すべき事実があるようですね。リリア王にご説明ください」

 アートラは非常に疲れた顔で話し始めた。

「まず、太陽には黄道という通るべき通路が天空にございます。これは季節によって変わるのですが、ここに来てからの太陽の角度といい移動する速さといい、従来サンリーハムで観測されていたものとまったく違うのです」

 ここでサーマインが口を挟む。

「観測場所が移動したからではないのですか」

「それはもちろん考えました。しかし世界のどこに行こうが、同じ太陽を観測している以上、同じ計算式は使えるはずです。なのに、ここの太陽には計算式が当てはまらないのです。まったく、これっぽっちも」

 サーマインも、そしてリリア王も興味深く見つめている。アートラは一度コホンと咳払いし、話を続けた。

「さらに、このサンリーハムの下に広がっている巨大な街の地形が問題です。サンリーハムにあるあらゆる地形情報を探してみても、このような地形の場所は、どんな国にもありません。リューカーオン殿からいただいた地上の文化情報と照らし合わせてみた結果、まったく未知の文明を持った、まったく未知の国家という結論になります。我々の世界に、こんな国家は存在しないのです」

 眉間に皺を寄せたサーマインが言葉の続きを促す。

「それはつまり、いったい何がどうなっていると言いたいのですか」

 アートラは言う。

「まったくもって考えづらいことなのですが、いまこのサンリーハムの城塞は、我らの世界ではない、異世界の上空に浮かんでいるとしか思えません」

「異世界ですと。そんな馬鹿な。隠れ里のおとぎ話でもあるまいに」

 サーマインの反応は、いたって常識的なものだったろう。しかしリューカーオンとアートラの二人の大臣には、他に答えようがないのである。

 困惑したサーマインは、女王の判断を仰ぐことにした。

「女王陛下は何かご意見がございますか」

 するとしばらく考えて、十二歳の女王リリアはこう口にした。

「下界の王宮に親善使節を送ることはできないのでしょうか」

 これにリューカーオンが一歩前に出る。

「お恐れながら陛下、地上の人間に対する情報がまだ少なすぎます。我らと対話不能な蛮族であった場合、さらなる混乱を呼び寄せることにもなりましょう。もう少し慎重に様子を見てはいかがかと」

「それではレオミスを見殺しにすると申すのか」

 女王にこう言われてしまっては、もう反論もできない。

 リリア王は言った。

「外務大臣ケネットに命じます。ただちに親善使節団の人選を行い、こちらに害意のないことを下界の王に伝えなさい」

 外務大臣ケネットは一歩前に進み、深々と礼をした。

「ははっ、ご命令とあらば」

 と、そこに玉座の間の守衛が上げる声が聞こえた。

「国防大臣サヘエ・サヘエ様、ご到着にございます」

 人間三人分はあろうかという背の高い大きな扉が開き、サヘエ・サヘエが玉座の間に入って来た。そして女王リリアの正面に立つと一礼する。

「ご報告に上がりました。城塞内に攻め込んだ歩兵竜は全頭一掃されましてございます」

 玉座の間におお、と安堵のため息が広がる。

 それが消えるのを待たず、外務大臣ケネットはサヘエ・サヘエの前に歩み寄った。

「お疲れのところ大変に申し訳ないが、サヘエ・サヘエ殿にもご参加いただけまいか、下界への親善使節に」

「親善使節、ですと」

 サヘエ・サヘエの豊かな白い口ひげが困惑に歪んだ。

真っ白な天井。知らない部屋。レオミスは自分が寝台に寝かされているようだと気付いた。何かよくわからない透明な管が一本左腕に繋がっているが、とりあえず毒ではないらしい。気分は最悪だが、それより気になるのは、あの大型歩兵竜はどうなったかだ。

「アレは死んだよ」

 誰もいないのに声が聞こえる。顔の近くに小さな気配。精霊リュッテだ。

「君が指名したあの男が、例の鉄の腕を使って大型歩兵竜を倒したんだ。もちろん、僕の手助けがあってのことだけどね」

「……子供たちに被害は」

「なかったさ。それが君の希望だったろ、言葉にはできなかったようだけど」

「……礼を言う」

「フン、まったくさ。いっぱいお礼を言ってほしいね。君の血を全部抜き取ってやろうかと思ったけど、そうしなかったんだから」

 レオミスの口元に小さな笑みが浮かぶ。

「おまえがこんなに優しいヤツだとは思わなかった」

「何をいまさら。僕は優しさと善性の塊に決まってるじゃないか」

「だといいんだが」

 そうつぶやいて顔を左右に動かしてみた。カーテンに仕切られて何も見えないが、とりあえず他人の気配は感じない。

「ここはいったいどこなのだろう」

 リュッテが答える。

「この国の治療施設だよ。病院と呼んでいたっけかな」

「なるほど、私は病人扱いという訳だ」

「大量の血を君の中に流し込んでいたよ。さすがに人間の血液だと思うけどね」

 これにはレオミスも目を丸くした。

「血を流し込んだ? そんなことをして大丈夫なのか」

「大丈夫かどうかは自分の体に聞いてみることだね。しかし驚いたよ、この国には回復術士すらいない。信じられないほど魔法が未発達だ。過去に魔法があった痕跡は僅かに見つかるけど、ほとんど魔法というものを使わずに文明を築いたとしか考えられない」

「そんなことが可能なのだろうか」

「あの建物の群れを見ただろう。ここでは可能なんだろうさ」

 レオミスはため息をついて目を閉じた。

「いったい、ここは何なのだ。私たちはどこへ来てしまったのだろう」

 その問いに対するリュッテの返答はない。レオミスはまた眠りに落ちていた。



 前後に飛行術士を置いた王国サンリーハムの王宮専用飛行駕籠が、大勢の人の行き交う通りに空から降り立ったのは、日の暮れかけた夕刻。目の前にはサンリーハムの王宮ほどではないにせよ、確かに城に見える建物がある。

 駕籠から降り立ったのは国防大臣サヘエ・サヘエと外務大臣ケネット、あとは文官と武官が二名ずつ。周囲には人だかりができ、何やら小さな四角い板を手にかざしている。

 サヘエ・サヘエが城を見上げた。

「ここがこの国の王宮なのか」

 これに文官の一人が答える。

「王宮らしきところは二箇所ございまして、千里眼が申しますにはこちらの方が賑わっているとのことでございます」

 ケネットは親書の入った長細い箱を抱えていた。

「まあとにかく入り口に向かいましょう。行けば何かわかるでしょうから」

 そう言ったところに、後ろから話しかける声が。

「失礼します、お客様」

 見れば若い女が笑顔で立っている。

「こちらのアトラクションをご利用でございますか」

「アトラク……ション?」

 サヘエ・サヘエが首をかしげると、女は飛行駕籠に目をやり困った表情を浮かべる。

「あまり大きなお荷物の持ち込みは制限させていただいておりまして、大変に申し訳ございませんが、チケットを拝見させていただいてもよろしいでしょうか」

 ケネットが細い眉を寄せる。

「チケットとは何かね。我々はこちらの王宮に用があって参ったのだが」

 女は目が点になっている。

「王宮……でございますか。あの、こちらはテーマパークのアトラクションでございまして、誰かが住んでいる訳ではございませんが」

 サヘエ・サヘエとケネットは顔を見合わせる。

「どうやら王宮ではないようですな」

「そうとわかれば長居は無用、次に参りましょう」

 二人は文官・武官を引き連れて飛行駕籠に戻る。やがて飛行駕籠は浮き上がり、音もなく上昇を始めた。目を丸くして唖然と見上げるテーマパークのクルーと客たちをそこに残したまま。



 二つ目の王宮らしき場所に着いた頃にはもう日が落ちていたが、建物は明るい照明に映えていた。サンリーハムの王宮とは異質な文化の建築物ではあったが、要塞としての規模は大きく、古の歩兵陸戦主体の戦争を考えるならば、かなり頑強な構造を持っていると思われる。

 飛行駕籠から降りたサヘエ・サヘエとケネットは、目の前を歩いていた老人に話しかけた。

「失礼、ここは王宮ですかな」

「へ? 大阪城やけど」

「……つまり王宮ではない」

「太閤さんのお城やから王宮とは言わへんわな」

 どうやらまた違ったようだ。サヘエ・サヘエとケネットは顔を見合わせ、どうしたものかと相談していると。

「王国サンリーハムの皆さんでしょうか」

 かけられた声に振り返ってみれば、しょぼくれたスーツ姿の中年男が一人。

「初めまして、内閣情報調査室の中ノ郷と申します」



 何でや、こんなもん知事の仕事やないやろ。保岡やすおか大阪府知事は勤務時間外だというのに走り回る府庁職員を見ながら、不満を顔に浮かべていた。

 若さとハンサムフェイスと決断力。それを期待されて府知事となった彼であり、その府民の期待には曲がりなりにも応えてきたと自負している。だが突然巨大な城塞が大阪上空に出現し、その親善使節団と日本政府の交渉の場を府庁内に用意しろと外務省に言われても、正直なところ「はぁ?」である。

 そんなものは外務省が外務省の責任において用意すべきであろう。百歩譲っても自衛隊駐屯地とか、使節団を迎えられる場所は他にあるはずだ。

 政府は大阪府民を始めとする国民に対して、この事態をまだ説明していない。大阪府には内密に党のチャンネルを通じて最低限の説明はあったものの、だからといって府知事の頭を飛び越える形で府庁職員を動かすに近い真似を受け入れろというのは無理な話だ。

 知事としては受け入れたくない。しかし彼の所属党が国政与党との交渉で受け入れを承諾してしまった。党としては与党に貸しを作ったつもりなのだろうが、府庁職員にも生活はあるし体力だって無尽蔵ではないのだ、そうそうお気楽に使われてはたまらない。

 ましてやその外交交渉の場に知事も立ち会えなど、ふざけるなと言いたいところ。都道府県知事は都道府県民の代表として地方行政を担う立場であって、政府の小間使いではない。何で政府の言うがままに従わねばならんのか。

 などと思いはするけれど、力尽くで撥ね付ける訳にも行かないのが大人の世界である。やれやれ、まったく。何でこんなことせなあかんねん。保岡府知事が何度目かのため息をついたとき。

「知事、サンリーハムの親善使節の方々がお見えになりました」

 ついさっき保岡府知事から突然この厄介な仕事の担当を命じられて、即答で了承した課長が額に汗をかきながら報告する。少なからぬ罪悪感を覚えながら、保岡府知事は笑顔で「わかりました」と言葉を返した。

政府がチャーターしたリムジンバスが庁舎の玄関前に停まり、しょぼくれたスーツ姿の男が先導して使節団が降りてくる。内閣情報調査室の人間が同行しているとの話は聞いていたが、この先頭の男がそうなのだろうか。

 使節団は国防大臣に外務大臣、そして文官と武官が二名ずつと事前情報にはあった。確かにバスから降りてきたのは六人。服装の感じは古いヨーロッパ風、あるいは中央アジア風なのか。その辺りの文化には疎い保岡府知事ではあったが、異世界からの訪問者というのは、正直いまだに信じられはしないものの、まるっきりの嘘ではないと思わせるだけの説得力はある。

 親書でも入っているのか、細長い箱を抱えた痩せた老人が前に出た。

「この地域を任された責任者の方ですかな」

 日本語が話せるというのは摩訶不思議だが事実らしい。保岡府知事も一歩前に出て笑顔で答える。

「大阪府知事の保岡と申します。国家の使節団をお迎えするにはいささか役者不足かもしれませんが、日本政府の責任ある立場の者がいまこちらに向かっております。それまでの間、ご勘弁ください」

「私は王国サンリーハムの外務大臣ケネット、こちらは同じく国防大臣サヘエ・サヘエにございます。これだけの巨大都市の治政を任されるとは素晴らしいですな」

 なるほど、先に名乗るのが礼儀であるといった文化はないのかも知れない。握手もしないようだ。おそらく他にも異なる文化があるに違いない。政府の人間が到着するまで、迂闊なことをして怒らせないようにしないと。保岡府知事は少し胃が引きつったような気がした。



「一平太ちゃん、もうお化け、けえへんかな」

 風呂から上がった留美が、髪を拭かれながら言った。家に帰ってきてから五回はたずねている。お化けとはあの『怪獣』のことだ。よほど恐ろしかったのだろう。一平太は留美の前にしゃがみ込むと、満面の笑顔を見せた。

「けえへんよ。それにもし来ても、俺がやっつけるから大丈夫やて」

 そうは言いながら、一平太のハラワタは煮えくり返っていた。クソ、クソ、クソ! あのクソ怪獣が、留美にトラウマ植え付けやがって! 誰があんなもん送り込んだんか知らんけど、絶対に許さへんからな! 

 可能ならば絶叫したいところだったが、そんなことをすれば留美が怯えるのでできない。一平太は怒りのやり場に困っていた。

 カタン。

 そこに聞こえたのは聞き慣れた音。玄関ドアの新聞受けに何かが投函されたのだ。時計を見れば午後八時を過ぎている。こんな時間に郵便配達もないだろうし、また広告でも放り込まれたのだろうか。

 とは言え今日の今日だし、気にはなる。髪を拭き終われば、パジャマに着替えるのは留美一人でできるはずだ。タオルを洗濯機に放り込んでから一平太は玄関ドアに向かった。新聞受けには一平太と留美の名前が宛名に書かれた緑色の封筒。差出人の名前はないが、表に『ご招待状同封』とだけある。

 何の招待状や、また詐欺か何かか。開封せずに捨ててしまってもいいような気もしたものの、昼間会った内閣情報調査室の中ノ郷の姿が一平太の脳裏をよぎる。一応は開封してみようか、そう思い直した一平太は、封筒を乱暴に破り明けた。中から出て来たのは。

「……晩餐会の招待状?」

「一平太ちゃーん。何それ」

 足下に抱きついてきた留美に、招待状を見せた。

「いや、何って言うか、何やろな、これ」

 政府主催の晩餐会への招待状。何でこんな物が自分のところに。一平太は不穏な胸騒ぎを感じていた。

 物腰穏やかで上品な高齢の紳士。初対面である保岡府知事の目にはそう映った。だが魑魅魍魎ちみもうりょうの跳梁跋扈ちょうりょうばっこする中央政界で、内閣副首相にまで上り詰めた人物である。迂闊に胸襟きょうきんなど開けば、内臓を引きずり出されるやも知れない。保岡府知事は眉につばを付けたい気分で襟を正した。

きどうち内閣副首相を先頭に府庁入りしたのは統合幕僚副長と外務次官。あとは外務省職員が数人。王国サンリーハム側のメンバーに対応した人選なのだろうが、何とも微妙である。事態の異常性を思えば、外務大臣や防衛大臣を連れて来ても良かったように保岡府知事には思えた。これはやはりメンツなのか、それともセキュリティ面を考慮したのだろうか。

「大変にお待たせして申し訳ありませんでした。親善使節の皆様にも保岡大阪府知事にもご負担をおかけしたことお詫び申し上げます。さてそれでは会談を始めたいのですが、もし親書などご持参でしたら、まず受け取らせていただきます」

 府庁第二会議室で城戸内副首相の発した言葉に、サンリーハムの外務大臣ケネットが立ち上がり、テーブルの上で細長い箱を開けた。中には茶色い巻紙が、細いリボンで真ん中辺りを止められている。ケネットは言った。

「こちらを国政の最高責任者の方に進呈致します。書いてある内容はたいしたことではありません。我ら王国サンリーハムの城塞がこの地の上空に姿を現したのは不幸な偶然であり、こちらには何ら敵意のないこと、および我らが元の世界に戻るまでの間、サンリーハムをしばらくこの地に留め置く許可がいただきたいという要請です」

 親書を受け取った城戸内副首相は優しげな笑顔でこう返す。

「意図を公式に文書化することで意味を持たせられるのはこの国でも同じことです。地域の和を乱さない誠実な隣人であれば、我らとて受け入れるにやぶさかではございません。ただし、受け入れるにしても具体的に、どう受け入れればよろしいのでしょう。ご希望はございますか」

 これに白いひげ面のサヘエ・サヘエが答える。

「聞けばこの都市のすぐ近くに穏やかな海があるとか。できますればサンリーハムをそちらに下ろしたいと考えておりますところ。ご許可願えますかな」

 城戸内副首相は少し首をかしげてこう問うた。

「サンリーハムの長径はどれくらいになりますか」

 サヘエ・サヘエが即答する。

「およそ三百セクトになります」

 すると城戸内副首相は壁際に立つ内閣情報調査室の中ノ郷に目をやった。中ノ郷は小さく会釈しこう言う。

「十キロ弱です」

 城戸内副首相は口元を押さえた。これは悩みどころだな、と保岡府知事は思う。確かに大阪湾の広い部分になら、それくらいの大きさの物体を置くことは不可能ではない。ただし海運や漁業権といった面倒臭い部分を考慮に入れなければの話だ。

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