逆さ十時
逆さ
「問題はナイフを刺した理由だ。これはトドメじゃない」
「では何だと言うのです」
「演出だよ」
「……演出?」
殻橋の不審な顔。射るような築根の視線と、原樹の不思議そうな間抜け面。
「演出とはどういう意味です。そのナイフで何を見せたかったと言うのですか」
殻橋の声のトーンが上がる。納得できていないようだ。オレは一口煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
「哀れな雛子は逆さになって、赤く輝く十文字」
「……何ですかそれは」
「もう忘れたのかよ。例の予言の一節だろ」
殻橋は思い当たったようだ。築根も思い出している。原樹は、まあいいや。
「おそらく犯人は緻密な計画を立てていたんだろう。そしてその計画通りに事は運んだ。無事に死体を逆さにぶら下げる事も出来た。だがそこで気付いたんだ。予言の内容を正確に表現するには、少し足りない事に。予言通りなら、逆さ十字は赤く輝いていなければならない。そこで犯人は、死体の胸を刺して血まみれにする事を思いついた。たぶん大量の血が噴き出すと思ったんだろう。だがもう死んで止まった心臓からは、それほどの血は吹き出て来なかった。魚の血抜きみたいな状態になってしまった。とてもじゃないが、赤く輝く十文字、てな具合には行かなかった訳だ。つまり、失敗したんだよ、犯人は」
「待て」築根が手を上げて止めた。「おまえはこう言いたいのか。この殺人は目的ではなく手段だと」
「まあそういう事だ。誰かに対するメッセージみたいなものかも知れん」
「くだらない」殻橋は鼻先で笑った。「人を殺して何のメッセージになるというのです。我々を脅迫でもするつもりですか」
「さあな。案外ラブレターだったりするんじゃねえの」
「五味。ふざけ過ぎだ」
築根が渋い顔をする。
「可能性の問題だよ。ところで、教祖様は来ねえのか。親戚なんだろ」
すると殻橋は、そんな事も知らないのか、と表情で語った。
「彼女はもう、この現場を見ていますよ。と言うか、第一発見者の一人です」
そして死体発見時の状況を語った。まるで自分がその場に居たかのような語り口だったが、よく聞けばコイツもただ報告を受けただけだった。
「なるほどね。つまり教祖様とお付き三人のアリバイは、アンタら給孤独者会議が保証してくれるって事か」
「我々は常に正しき者の味方です。告げるべき真実があるならば、何も隠す事はありません」
と、殻橋は胸を張った。おまえらの正しさなんか信用してないけどな。そう思いはしたが口には出さない。
「他に何か質問はありますか」
殻橋の言葉に、オレは築根を見た。首を振っている。原樹には聞いても仕方ない。
「いまのところ、ないみたいだな」
「そうですか、では休ませていただいてもよろしいですか。夜は苦手でしてね」
夜の帝王みたいな顔しやがって、よく言う。
「いいんじゃねえか。何か見つかったら連絡入れるって事で」
「そう願います。ともかく、この事件の犯人が見つかるまで、外には出られないと思ってください。では、ご協力をよろしく」
そう言い残して殻橋は背を向けた。大階段の方に歩いて行く。
「あいつら、わかってんのか。人が死んでるんだぞ。間違いなく刑務所行きだ」
理解に苦しむ、といった声で原樹がつぶやいた。
「ヤクザと宗教家にとっちゃ、刑務所なんぞ勲章だよ。死刑にでもならん限りはな」
「そんなのおかしいだろうが。狂ってる」
「気付くのが遅いし、オレに言われても知らんし」
携帯灰皿を出してタバコを突っ込む。今日はもう禁煙かな。
ロビーにはまだ給孤独者会議の道士たちと、日月教団の出家信者たちが残っている。オレは出家の婆さんの一人に声をかけた。
「なあ、アンタらの宗教って、葬式はあるのか」
婆さんは余程ショックだったのだろう、少し呆けた顔でうなずいた。
「はい、お葬式はあります。……ああっ、そうだわ、そうよ、お葬式の準備をしなきゃ」
急に元気になった婆さんは、他の出家信者たちを集め始めた。
「で、どうするよ」
オレの視線の先では、築根がまたしゃがみこんで、典前和馬の死体とにらめっこをしている。
「どうするって、何が」
「この死体だよ。下ろさねえのか」
「現場保存は捜査の基本だ」
「そりゃ明日にでも県警が来てくれるんなら保存も意味があるだろうが、この分じゃ、いつになるかわからんぞ。腐り出す方が早いかも知れん」
「警部補、これについては自分も五味に賛成です」原樹が珍しい事を言い出した。「遺族の感情もあるでしょうし、このままという訳には」
築根はしばらく考えていたが、やがて仕方ないという顔を見せた。
「……いいだろう。原樹、撮れるだけ写真を撮っておけ。特に索条痕と吉川線を念入りにな」
「はい」
「何だよ、わかってる事あるじゃねえか」
「さすがにそこまで能なしじゃないさ」
築根はそう苦笑いを浮かべた。
オレの手はまた無意識にタバコを探していた。危ない危ない。しかしそれにしても。
「ジローのヤツ、何してんだ」
ドアの向こうのエレベーターホールを振り返った。まだ降りてくる気配はない。
「胸の傷口から血が溢れていますが、血は下方向にしか流れていない。つまり、そこに吊り下げてから刺したという事です。しかも、あまり血が吹き出ていない。これはナイフを刺したとき、すでに彼は死んでいた、心臓は止まっていた事を意味します。すなわち、犯人はここに死体を吊り下げた後、万が一にも目を覚ます事のないように、トドメの一撃として胸にナイフを刺したと考えられる訳です。どうです、刑事さん。何か間違っていますか」
「ぬっ……ふーっ! ふーっ!」
とうとう原樹の脳みそは、オーバーヒートを起こしたらしい。マトモに喋る事もできなくなっている。築根はオレを見ていた。何だよ面倒臭えな、まったく。
「探偵さん、あなたは何か言いたい事がありませんか」
挑戦的に目を細める殻橋に、オレは一つ溜息をついて見せた。コイツも面倒臭え。
「ま、八十点だな」
殻橋の眉が寄る。
「ほう。減点理由は」
「このナイフが死因じゃないのはその通り。吊り下げてから刺したのもまったく正しい。すでに死んでたから勢いよく血が出なかったというのも意味のある指摘だ。ただ」
「ただ?」
オレはタバコを咥えて火を点けた。煙を吸い込むと頭がギュンギュン回ってくる。
和馬叔父様の死の様子を小梅さんから聞いて、私は部屋に閉じこもった。私のせいだろうか。私が悪いのだろうか。あのとき、確かに和馬叔父様は生きていた。私がもし和馬叔父様の近くから離れなかったら、こんな事にはならなかったのかも知れない。
でも、いったい誰が叔父様を殺したのだろう。あの給孤独者会議の人たち? 和馬叔父様が連れて来たのに?
もしそうじゃないなら、犯人はうちの教団の人になる。それはもっと考えづらい。確かに和馬叔父様は、誰からも好かれる人じゃなかったけど、誰かから恨まれていたとも思えない。恨まれるほど重んじられてはいなかったから。父様も、姉様も、和馬叔父様をあまり気にはかけていなくて、教団の中でも、これといった役職には就かせなかった。和馬叔父様は、それを不満に思っていた。
そう、逆なんだ。和馬叔父様が誰かを恨んで殺したのなら話はわかる。和馬叔父様には動機がある。でも、殺される理由が思いつかない。和馬叔父様が死んで、得をする人がいるだろうか。誰も思いつかない。だって居ても居なくても、誰も困らない人だったから。
……いや、一人いる。和馬叔父様の存在に困っていた人が、一人だけいる。私だ。強いて挙げればだけど、私は得をする。和馬叔父様がいなくなれば、私は教祖にならなくて済むかも知れない。
待って。もしかして、私に教祖の座を追われるって思った朝陽姉様が、和馬叔父様を殺したとか……ない。それはない。だってそんな事を理由に人を殺すのだったら、私を殺した方が確実だもの。和馬叔父様が死んでも、給孤独者会議の人たちが、特にあの殻橋さんが居るなら、たぶん何も変わらない。
あれ、という事は、私が叔父様を殺した可能性もないって事なのかな。まあ、私にはちゃんと記憶があるし、人を殺して気付かないなんて事は、あるはずがないのだけれど。
そんな事を思っていたとき、ドアがノックされた。
チェーンをかけたままドアを少し開けると、申し訳なさそうな碧さんが立っていた。
「すみません、夕月様。こんなときなんですけど、ちょっといいでしょうか」
「何かあったんですか」
「はい、えーっと、あ、何て言ったっけ、あの子」
すると碧さんの向こうから、五味さんがニョキッと顔を出した。
「悪い、ジローを見なかったか」
「ジロー君? ジロー君が居ないんですか」
「ああ、部屋には居ないし、他のところもざっと見たんだが、見当たらないんだ。スキンヘッドの連中も見てないって言ってるし、外には出てないはずなんだが」
「羽瀬川さんたちにも聞いてみたんですけど、知らないって言ってまして」
碧さんの補足に、私は一つ思い当たった。
「三階は探しました?」
「廊下と階段は。部屋は誰もいないですし」
そう、三階には出家信者の部屋はない。この建物は元ホテルをそのまま使っているので、鍵がなければどの部屋にも入れない。ただし。
「時計の間は?」
「あっ」
碧さんが声を上げた。私はドアを開けて廊下に出た。
「一緒に行きます。その方が話が早いでしょ」
時計の間とは、先代教祖典前大覚の私室らしい。何でも大覚は柱時計の収集が趣味だったらしく、五十近い数の時計を一部屋に集めたのだそうだ。
「父様は誰でも気軽に時計に触れられるようにって、部屋の鍵を外してしまったんです。でも、みんな恐れ多いみたいで近寄らなくて。結局父様が寝たきりになってからは、朝陽姉様と渡兄様と和馬叔父様、そして私の四人で管理する事になったんですけど、みんな時計になんて興味がないから、ほぼ放ったらかしで」
階段を上りながら、夕月はおかしそうに笑った。とりあえず見る限りでは、典前和馬の死の影響はないようだ。まあ、あの死体を見てないって話だからな。見てりゃ態度も変わったのかも知れん。
三階の階段室から廊下に入り、すぐ左手の部屋のドアの前に立つ。
「ここに居てくれるといいんですけど」
レバー式のドアノブに手をかけ、ゆっくりと引いた。開いた。部屋に入ってすぐ右の壁のボタンで照明を点ける。足下に車椅子が二台畳んで置いてある。視線を上げると、部屋の壁一面に所狭しと柱時計が並んでいた。どれも既に止まっているようで、時を刻む音は聞こえない。その静寂に染まった部屋の床、畳が敷き詰められた真ん中に、横たわったジローが寝息を立てていた。本当に居やがった。何でこんな部屋に入り込んだんだ。
「あら、可愛い顔して寝てるじゃない」
柴野碧の一段高いトーンの声が癇に障る。さすがに顔には出さないが。
「珍しいな、コイツが寝るなんて」
「寝るのが珍しいんですか?」
夕月が不思議そうにオレを振り返った。
「コイツは基本、事務所のソファか、自分のベッドじゃなきゃ横にはならない。それ以外で寝てるなんざ、初めて見るんじゃねえかな」
その説明に、夕月は興味深そうな顔をした。
「じゃあ、ここが気に入ったのかも知れませんね」
かも知れない。そうかも知れないのだが。
「しかし、あのハゲ坊主どもに文句をつけられてもアレだしな。おい、ジロー起きろ」
こっちは金がかかってるんだ。連中との無用のトラブルは避けたい。ところがジローは一瞬薄目を開けたと思ったら、また知らぬ顔で目を閉じてしまった。
「おいコラ、いま目開けただろ。ちゃんと見てたぞ」
けれどジローは目を開けない。
「あ、この野郎、無視すんじゃねえよ」
「まあまあ、落ち着きなって」
碧がオレの前に回って抑える。夕月も加勢する。
「そうですよ、こんなに気持ちよさそうに寝てるのに、可哀想です
「そうは言うがな」
「給孤独者会議の人たちには、私から話します。大丈夫ですから、このまま寝かせてあげてください」
夕月は一歩も引くつもりがないようだ。
「……ったく、しゃあねえな」
ここは一つ、負けておくか。そんなオレの考えを読んだのかどうかは知らんが、夕月は満面の笑みを見せた。
「ありがとう」そして碧を振り返った。「それじゃ、碧さんは毛布持ってきてあげて。私は給孤独者会議の人に話してくるから」
そう言って、夕月は部屋から走り出て行った。
「ホント、いい子よねえ。優しいし、しっかりしてるし」
碧がしみじみ言う。
「まあな、しっかりしてる感だけで言えば、教祖様より上かね」
「ああ、朝陽はちょっと抜けてるから」
その言葉を聞いたとき、オレはよほど不審な顔をしていたのだろう。碧はケラケラと笑った。
「あれ、言ってなかったっけ。あたしは朝陽と中学のときから友達なの。つまり教祖様の『ご友人枠』でこの教団に入れてもらったって訳。それでいまは夕月様の教育係」
「なるほどね。それでか」
碧はひとしきり笑うと、一つ溜息をついた。
「朝陽に助けてもらおうと思ったんだけど、でもね、朝陽を助けようとも思ってたんだよ。まあ実際には、あたしなんか助けになってないけど」
「そりゃな。簡単に助けられるような状況じゃねえわな」
「そう。お父さんが死んで、教祖になったら婚約者が死んで。そしたら今度は叔父さんだもんね。いくら何でも死にすぎ。体も心も追いつかないっつーの」
そう寂しそうに笑った。
「誰か居ないのかよ、いまの教祖様を助けられるヤツは」
ちょっとした興味本位だったが、碧は一瞬考えて、こう言った。
「居ると言えば居るよ」
「何だ、居るのか」
「うん、若先生」
「若先生? 天成渡か」
「そう。朝陽が下臼と婚約するって話になったときも、何で若先生じゃないの、って信者仲間で議論になったくらいだから。みんなビックリしてたよ。下臼って嫌なヤツでさ。いつも偉そうで、みんな大嫌いだったのに、何であんなのと婚約したのか。普通、若先生選ぶよね、って」
「そういう目はあったのか」
「だって初代教祖の息子ってだけでも、血筋的に問題ないじゃん。おまけに信者からの信頼も厚いし。誰が考えても、いいカップルなんだけど……なんだけどなあ」
碧は腕を組んで、うーむと考えた。
「あれがなきゃなあ」
「アレってなんだよ」
「ほら、居るじゃん。若先生のところに必ずくっついてる、コバンザメみたいな女。風見麻衣子」
オレは今朝方の胸倉をつかまれた件を思い出して、「ああ、アレな」と答えた。
「そう、あれ。あれがくっついて離れない以上、若先生と朝陽が一緒になるのは難しいね。でもあの女、若先生のお気に入りだし。おまけに手話通訳まで出来るから」
「引き離すのは無理ってか」
「そういう事。ホント邪魔な女。気は強いしケンカっ早いし、可愛げのない」
碧は心底からの嫌悪感を顔に表わし、それを隠そうともしない。だがその顔が不意に笑った。
「それじゃ、あたしは毛布取ってくるから、あんたは部屋に戻りなよ。一人じゃ寂しいかも知れないけどさ」
部屋から出て行こうとする碧に、オレは慌てて追加の質問をした。
「なあ、教祖様は中学生のとき、どうだったんだ、その、霊能力は」
「そりゃ凄かったよ。無くした物とか霊視でバンバン見つける、霊感ビンビンの凄い霊能者だったんだから」
「それから、ずっとか」
「ずっとじゃないよ。霊能者は大人になると力が落ちるらしいし。それで朝陽の霊能力も随分落ち着いたんだけど、でも、もしかしたら最近、またあの頃みたいに戻ってきたんじゃないかな。やっぱり血筋とか環境とかあるんだね」
そう言って一度オレの顔を見つめると、もう質問はないと見たのだろう、碧はドアを開けて外に出て行った。
部屋にはオレとジローの二人きり。ぶん殴るなら、いまだ。とは言え。
ジローは気持ちよさそうに寝息を立てている。警戒心ゼロって顔だ。
「ったく、しゃあねえな」
また同じ事をつぶやいて、オレは部屋を出た。
エレベーターホールで上昇ボタンを押す。しかし二階で誰か乗っているのか、止まったままなかなか動かない。扉の上の階数表示を見つめながら、オレは考えた。
予言があった。そして人が殺された。犯人は誰だ。
常識的に考えるなら、一番怪しいのは予言者だ。予言をし、その予言通りの結果を作り出す。典型的なマッチポンプだが、予言が当たる事に何らかの意味や価値があるのなら、一番確実で合理的とも言える。だが今回の殺人事件の場合、予言者にはアリバイがある。……いや、そうだろうか。
和馬の死体が発見されたとき、典前朝陽は給孤独者会議の道士たちと揉み合っていた。それは事実なのだろう。だが和馬は、その場でその瞬間に殺された訳ではない。検視されていないから死亡時刻はわからないが、殺されてから発見されるまでに、タイムラグがあるはずだ。その時間差にアリバイをはめ込めば、殺す事は不可能じゃない。つまり和馬を殺して、あの場所に死体を逆さに吊り下げて、それから玄関に向かう事も理屈の上では可能だ。ただし。
「誰にも見つからなきゃ、の話だ」
そうオレがつぶやいたとき、チャイム音が鳴った。エレベーターが到着したのだ。扉が開く。
「五味。こんなところで何してるんだ」
中に居たのは築根と原樹。ああそうか、和馬の部屋は二階だったか。
「いや、ちょっと野暮用でね。そっちはもう終わったのか」
「一応な。部屋には乱闘した痕跡があった。あそこで殺された可能性は高い」
築根にうなずきながら、乗り込んで振り返った。三人とも同じ階だから、オレがボタンを押す必要はない。扉が閉まり、エレベーターは上昇を始める。無言で階数表示を見つめながらこう思った。
何で聞こえなかったんだ。
二階の和馬の部屋から一階のあの場所に死体を下ろすには、エレベーターを使ったはずだ。大階段を使って下ろすなんて事は出来ない。ロビーには道士どもがウヨウヨしていたのだから。
一階エレベーターの正面に、事務所入り口はある。奥まったエレベーターホールは、ロビーから見づらい。少なくとも玄関付近に居るヤツからは見えない。死体の移動には最適だ。だがエレベーターが到着すれば、チャイムが鳴る。誰も気付かないなんて事は……違うな。逆だ。
チャイムが鳴った。五階に到着したのだ。築根が降りる。原樹が降りる。そして最後に降りて、オレは言った。
「話を整理しようぜ」
築根と原樹の部屋にオレも入った。原樹は迷惑そうな顔をしたが、構いやしねえ。部屋に入ると真っ直ぐ窓に向かった。見える景色はオレの部屋と変わらないな。近隣に明かりはまったく見えない。街灯すらない。ずっと遠くに街の明かりが見えるだけだ。まさに陸の孤島。
「それで」その声に振り返ると、築根が部屋の真ん中で仁王立ちしていた。「何がわかった」
ああ、タバコが吸いてえ。だが今夜はおあずけだ。話す事を話して、さっさと寝ちまおう。
「典前和馬が、二階の自室で殺されたと仮定する」
オレは窓辺に座り込みながら話し始めた。
「その死体を、一階のあの現場まで運ばなきゃならん訳だが、どうやって運んだか」
「そりゃエレベーターだろう」
あぐらをかいた原樹が、当たり前だという風に答えた。
「だがエレベーターが一階に到着すれば、チャイムが鳴る。普通なら、スキンヘッドの誰かが気付くはずだ。なのに誰も死体の移動を見ていない。何故だ」
築根の表情がわずかに変わった。さすがに理解が早い。
「典前朝陽が玄関で揉めたというのは」
オレはうなずく。
「そう、陽動だ。典前朝陽が玄関前で道士共の注目を集めていた、その瞬間を狙って、和馬の死体の移動は行われた」
築根の顔が険しくなる。
「それはつまり、典前朝陽には共犯者が居たという事になる」
やっぱりコイツも朝陽が怪しいと考えていたか。
「ああ、もしかすると、殺人の実行犯も朝陽じゃないかも知れない」
「十分にあり得るな」
しかし原樹はキョトンとした顔で築根を見つめた。
「え、犯人はスキンヘッドじゃないんですか」
一瞬の変な間を置いて、築根はたずねた。
「どうしてそう思う」
「いや、だって死体にあんな細工するのは腕力が必要ですし、一人じゃ無理だ。いまここにいる出家信者には、爺さん婆さんと若い女しか居ません。第一、あの連中が来てから事件は起きたんですよ。犯人は、あいつらしか居ないでしょう」
築根は困った顔で、こめかみを押さえている。
「動機は」
「へ?」
「なぜ給孤独者会議が和馬を殺さなきゃならない。理由は。意味は」
「それは、その、逮捕して白状させれば」
「話にならん」
築根ににらまれて、原樹はデカイ体を小さくした。そして何故か恨めしそうにオレを見つめる。知るか。とは思うものの。
「確かに、起きた現象だけ見れば、給孤独者会議は有力な容疑者だ」
「そ、そうだろ、なあ」
原樹の顔が明るくなった。
「おい、五味」
困惑する築根を手で制して、オレは言葉を続けた。
「だが、それとまったく同じ理由で、有力な容疑者になり得る連中が他にも居るだろ」
原樹は再びキョトン。築根も思い当たらないらしい。
「他に? 誰だそれは」
まったく、コイツらはおめでてえな。
「決まってんだろ。オレたちだよ」
「あっ」
築根は納得したようだ。だが原樹は首を振る。
「いやいやいや、待て待て。おまえはともかく俺たちは刑事だぞ、そんな」
「いまどき刑事が無辜の善人だとか思ってるヤツはいねえよ。警官が起こした事件がどれだけ新聞に載ってるか、知らん訳じゃあるまい」
原樹もようやく理解したのか、苦々しい顔で押し黙った。
「それに、だ」
ああ、タバコが吸いてえ。いや、残りの本数を思い出せ。ここは我慢だ、我慢。
「今回の事件は、給孤独者会議の連中が起こしたにしちゃ、おかし過ぎるんだ」
「どこがおかしい」
築根の挑むような視線。せっかくの美人なのに、このクソ真面目なところは何とかならんもんかね。
「予言があった。で、それをなぞるように殺人が行われた。これっていわゆる『見立て殺人』の類いだよな」
「確かにそうだ」
「だが実際問題、見立て殺人の意味って何だ。ただ殺すだけでもリスクがあるのに、それに加えて、死体をわざわざ飾り付けてるんだぞ。何で死体を壁に吊るす必要がある。しかも逆さまに。常識的に考えれば馬鹿げてる。給孤独者会議に、あるいは日月教団に、死体を飾り立てる宗教的な意味でもあるんなら理解出来るが、現場の連中の反応を見る限り、そんな教義も習慣もないはずだ」
静まりかえったロビー、葬式を忘れていた信者たち、そこにあったのは拒絶だ。築根はうなずいた。
「自分たちに理解出来るものなら、あんな反応はしない、か」
「もしあの見立てに意味があるとするなら、それでいて宗教に関係がないのなら、逆さに吊るした事は重要じゃない。考えられるのは一つ。それは見る事、誰かにあの死体を見せる事それ自体だ」
オレのその言葉に、築根はハッと気付いた。
「メッセージって、そういう事か」
「犯人は、おそらくあの死体を誰かに見せたかった。それに成功したのかはわからん。給孤独者会議にせよ、日月教団の信者にせよ、全員が見た訳じゃないだろうからな。だが見せたいという意思はそこにある。ならばいったい、和馬の死体の何を見せたいのか。それは当然、予言が実現した事実だろう。典前朝陽の予言は当たる。それを見せつけたかったに違いない。だとすれば、給孤独者会議は容疑者から外れる。連中は予言を否定する立場だ。予言の実現をサポートするはずがない。それどころか、給孤独者会議に見せつけたかった、と考えれば一応話は通じる」
「なるほど、教団買収への抵抗として、典前朝陽が予言をして……いや待てよ」
「ああそうだ。それもちょっとおかしい。どうせ殺すんなら身内じゃなく、殻橋邦命を殺した方が話が早いんだからな」
「身内を殺さなければならなかった理由があるという事か」
築根は腕を組んで考え込んだ。オレは一つ溜息をついた。
「とりあえず、いまオレに言えるのは、この程度で限界だな。もう頭がスッカラカンだ」
原樹が不満げに鼻を鳴らす。
「何だよおい、結局犯人はわからないのか」
「当たり前だろ。ホームズじゃあるまいし、こんな少ない情報で真相なんかわかってたまるか」
築根は唸っている。頭がフル回転しているのだろう。その目がオレを見た。
「そもそも典前朝陽は、この事件の首謀者なのか」
「わからんよ。無関係じゃないのだけは確かなんだが」
オレは立ち上がった。今夜はもう部屋で眠りたい。
「殻橋にどこまで話すかは、アンタらに任せる。何にせよ明日だ。今日は寝ようぜ」
すると突然、原樹が立ち上がり、猛然とオレに近づいて来た。
「よし、俺も一緒に行こう」
「な、何だよいきなり。アンタの部屋はこっちだろうが」
だが原樹はオレの腕をつかむと、聞こえるか聞こえないかの小さな声でこう言った。
「眠れる訳ないだろうが!」
まったくコイツだけは面倒臭えな。それをオレが口にする前に、「では警部補、おやすみなさい」と言いながら、原樹はオレを小脇に抱えて部屋を出た。ポカンとした顔の築根を残して。
「では何だと言うのです」
「演出だよ」
「……演出?」
殻橋の不審な顔。射るような築根の視線と、原樹の不思議そうな間抜け面。
「演出とはどういう意味です。そのナイフで何を見せたかったと言うのですか」
殻橋の声のトーンが上がる。納得できていないようだ。オレは一口煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
「哀れな雛子は逆さになって、赤く輝く十文字」
「……何ですかそれは」
「もう忘れたのかよ。例の予言の一節だろ」
殻橋は思い当たったようだ。築根も思い出している。原樹は、まあいいや。
「おそらく犯人は緻密な計画を立てていたんだろう。そしてその計画通りに事は運んだ。無事に死体を逆さにぶら下げる事も出来た。だがそこで気付いたんだ。予言の内容を正確に表現するには、少し足りない事に。予言通りなら、逆さ十字は赤く輝いていなければならない。そこで犯人は、死体の胸を刺して血まみれにする事を思いついた。たぶん大量の血が噴き出すと思ったんだろう。だがもう死んで止まった心臓からは、それほどの血は吹き出て来なかった。魚の血抜きみたいな状態になってしまった。とてもじゃないが、赤く輝く十文字、てな具合には行かなかった訳だ。つまり、失敗したんだよ、犯人は」
「待て」築根が手を上げて止めた。「おまえはこう言いたいのか。この殺人は目的ではなく手段だと」
「まあそういう事だ。誰かに対するメッセージみたいなものかも知れん」
「くだらない」殻橋は鼻先で笑った。「人を殺して何のメッセージになるというのです。我々を脅迫でもするつもりですか」
「さあな。案外ラブレターだったりするんじゃねえの」
「五味。ふざけ過ぎだ」
築根が渋い顔をする。
「可能性の問題だよ。ところで、教祖様は来ねえのか。親戚なんだろ」
すると殻橋は、そんな事も知らないのか、と表情で語った。
「彼女はもう、この現場を見ていますよ。と言うか、第一発見者の一人です」
そして死体発見時の状況を語った。まるで自分がその場に居たかのような語り口だったが、よく聞けばコイツもただ報告を受けただけだった。
「なるほどね。つまり教祖様とお付き三人のアリバイは、アンタら給孤独者会議が保証してくれるって事か」
「我々は常に正しき者の味方です。告げるべき真実があるならば、何も隠す事はありません」
と、殻橋は胸を張った。おまえらの正しさなんか信用してないけどな。そう思いはしたが口には出さない。
「他に何か質問はありますか」
殻橋の言葉に、オレは築根を見た。首を振っている。原樹には聞いても仕方ない。
「いまのところ、ないみたいだな」
「そうですか、では休ませていただいてもよろしいですか。夜は苦手でしてね」
夜の帝王みたいな顔しやがって、よく言う。
「いいんじゃねえか。何か見つかったら連絡入れるって事で」
「そう願います。ともかく、この事件の犯人が見つかるまで、外には出られないと思ってください。では、ご協力をよろしく」
そう言い残して殻橋は背を向けた。大階段の方に歩いて行く。
「あいつら、わかってんのか。人が死んでるんだぞ。間違いなく刑務所行きだ」
理解に苦しむ、といった声で原樹がつぶやいた。
「ヤクザと宗教家にとっちゃ、刑務所なんぞ勲章だよ。死刑にでもならん限りはな」
「そんなのおかしいだろうが。狂ってる」
「気付くのが遅いし、オレに言われても知らんし」
携帯灰皿を出してタバコを突っ込む。今日はもう禁煙かな。
ロビーにはまだ給孤独者会議の道士たちと、日月教団の出家信者たちが残っている。オレは出家の婆さんの一人に声をかけた。
「なあ、アンタらの宗教って、葬式はあるのか」
婆さんは余程ショックだったのだろう、少し呆けた顔でうなずいた。
「はい、お葬式はあります。……ああっ、そうだわ、そうよ、お葬式の準備をしなきゃ」
急に元気になった婆さんは、他の出家信者たちを集め始めた。
「で、どうするよ」
オレの視線の先では、築根がまたしゃがみこんで、典前和馬の死体とにらめっこをしている。
「どうするって、何が」
「この死体だよ。下ろさねえのか」
「現場保存は捜査の基本だ」
「そりゃ明日にでも県警が来てくれるんなら保存も意味があるだろうが、この分じゃ、いつになるかわからんぞ。腐り出す方が早いかも知れん」
「警部補、これについては自分も五味に賛成です」原樹が珍しい事を言い出した。「遺族の感情もあるでしょうし、このままという訳には」
築根はしばらく考えていたが、やがて仕方ないという顔を見せた。
「……いいだろう。原樹、撮れるだけ写真を撮っておけ。特に索条痕と吉川線を念入りにな」
「はい」
「何だよ、わかってる事あるじゃねえか」
「さすがにそこまで能なしじゃないさ」
築根はそう苦笑いを浮かべた。
オレの手はまた無意識にタバコを探していた。危ない危ない。しかしそれにしても。
「ジローのヤツ、何してんだ」
ドアの向こうのエレベーターホールを振り返った。まだ降りてくる気配はない。
「胸の傷口から血が溢れていますが、血は下方向にしか流れていない。つまり、そこに吊り下げてから刺したという事です。しかも、あまり血が吹き出ていない。これはナイフを刺したとき、すでに彼は死んでいた、心臓は止まっていた事を意味します。すなわち、犯人はここに死体を吊り下げた後、万が一にも目を覚ます事のないように、トドメの一撃として胸にナイフを刺したと考えられる訳です。どうです、刑事さん。何か間違っていますか」
「ぬっ……ふーっ! ふーっ!」
とうとう原樹の脳みそは、オーバーヒートを起こしたらしい。マトモに喋る事もできなくなっている。築根はオレを見ていた。何だよ面倒臭えな、まったく。
「探偵さん、あなたは何か言いたい事がありませんか」
挑戦的に目を細める殻橋に、オレは一つ溜息をついて見せた。コイツも面倒臭え。
「ま、八十点だな」
殻橋の眉が寄る。
「ほう。減点理由は」
「このナイフが死因じゃないのはその通り。吊り下げてから刺したのもまったく正しい。すでに死んでたから勢いよく血が出なかったというのも意味のある指摘だ。ただ」
「ただ?」
オレはタバコを咥えて火を点けた。煙を吸い込むと頭がギュンギュン回ってくる。
和馬叔父様の死の様子を小梅さんから聞いて、私は部屋に閉じこもった。私のせいだろうか。私が悪いのだろうか。あのとき、確かに和馬叔父様は生きていた。私がもし和馬叔父様の近くから離れなかったら、こんな事にはならなかったのかも知れない。
でも、いったい誰が叔父様を殺したのだろう。あの給孤独者会議の人たち? 和馬叔父様が連れて来たのに?
もしそうじゃないなら、犯人はうちの教団の人になる。それはもっと考えづらい。確かに和馬叔父様は、誰からも好かれる人じゃなかったけど、誰かから恨まれていたとも思えない。恨まれるほど重んじられてはいなかったから。父様も、姉様も、和馬叔父様をあまり気にはかけていなくて、教団の中でも、これといった役職には就かせなかった。和馬叔父様は、それを不満に思っていた。
そう、逆なんだ。和馬叔父様が誰かを恨んで殺したのなら話はわかる。和馬叔父様には動機がある。でも、殺される理由が思いつかない。和馬叔父様が死んで、得をする人がいるだろうか。誰も思いつかない。だって居ても居なくても、誰も困らない人だったから。
……いや、一人いる。和馬叔父様の存在に困っていた人が、一人だけいる。私だ。強いて挙げればだけど、私は得をする。和馬叔父様がいなくなれば、私は教祖にならなくて済むかも知れない。
待って。もしかして、私に教祖の座を追われるって思った朝陽姉様が、和馬叔父様を殺したとか……ない。それはない。だってそんな事を理由に人を殺すのだったら、私を殺した方が確実だもの。和馬叔父様が死んでも、給孤独者会議の人たちが、特にあの殻橋さんが居るなら、たぶん何も変わらない。
あれ、という事は、私が叔父様を殺した可能性もないって事なのかな。まあ、私にはちゃんと記憶があるし、人を殺して気付かないなんて事は、あるはずがないのだけれど。
そんな事を思っていたとき、ドアがノックされた。
チェーンをかけたままドアを少し開けると、申し訳なさそうな碧さんが立っていた。
「すみません、夕月様。こんなときなんですけど、ちょっといいでしょうか」
「何かあったんですか」
「はい、えーっと、あ、何て言ったっけ、あの子」
すると碧さんの向こうから、五味さんがニョキッと顔を出した。
「悪い、ジローを見なかったか」
「ジロー君? ジロー君が居ないんですか」
「ああ、部屋には居ないし、他のところもざっと見たんだが、見当たらないんだ。スキンヘッドの連中も見てないって言ってるし、外には出てないはずなんだが」
「羽瀬川さんたちにも聞いてみたんですけど、知らないって言ってまして」
碧さんの補足に、私は一つ思い当たった。
「三階は探しました?」
「廊下と階段は。部屋は誰もいないですし」
そう、三階には出家信者の部屋はない。この建物は元ホテルをそのまま使っているので、鍵がなければどの部屋にも入れない。ただし。
「時計の間は?」
「あっ」
碧さんが声を上げた。私はドアを開けて廊下に出た。
「一緒に行きます。その方が話が早いでしょ」
時計の間とは、先代教祖典前大覚の私室らしい。何でも大覚は柱時計の収集が趣味だったらしく、五十近い数の時計を一部屋に集めたのだそうだ。
「父様は誰でも気軽に時計に触れられるようにって、部屋の鍵を外してしまったんです。でも、みんな恐れ多いみたいで近寄らなくて。結局父様が寝たきりになってからは、朝陽姉様と渡兄様と和馬叔父様、そして私の四人で管理する事になったんですけど、みんな時計になんて興味がないから、ほぼ放ったらかしで」
階段を上りながら、夕月はおかしそうに笑った。とりあえず見る限りでは、典前和馬の死の影響はないようだ。まあ、あの死体を見てないって話だからな。見てりゃ態度も変わったのかも知れん。
三階の階段室から廊下に入り、すぐ左手の部屋のドアの前に立つ。
「ここに居てくれるといいんですけど」
レバー式のドアノブに手をかけ、ゆっくりと引いた。開いた。部屋に入ってすぐ右の壁のボタンで照明を点ける。足下に車椅子が二台畳んで置いてある。視線を上げると、部屋の壁一面に所狭しと柱時計が並んでいた。どれも既に止まっているようで、時を刻む音は聞こえない。その静寂に染まった部屋の床、畳が敷き詰められた真ん中に、横たわったジローが寝息を立てていた。本当に居やがった。何でこんな部屋に入り込んだんだ。
「あら、可愛い顔して寝てるじゃない」
柴野碧の一段高いトーンの声が癇に障る。さすがに顔には出さないが。
「珍しいな、コイツが寝るなんて」
「寝るのが珍しいんですか?」
夕月が不思議そうにオレを振り返った。
「コイツは基本、事務所のソファか、自分のベッドじゃなきゃ横にはならない。それ以外で寝てるなんざ、初めて見るんじゃねえかな」
その説明に、夕月は興味深そうな顔をした。
「じゃあ、ここが気に入ったのかも知れませんね」
かも知れない。そうかも知れないのだが。
「しかし、あのハゲ坊主どもに文句をつけられてもアレだしな。おい、ジロー起きろ」
こっちは金がかかってるんだ。連中との無用のトラブルは避けたい。ところがジローは一瞬薄目を開けたと思ったら、また知らぬ顔で目を閉じてしまった。
「おいコラ、いま目開けただろ。ちゃんと見てたぞ」
けれどジローは目を開けない。
「あ、この野郎、無視すんじゃねえよ」
「まあまあ、落ち着きなって」
碧がオレの前に回って抑える。夕月も加勢する。
「そうですよ、こんなに気持ちよさそうに寝てるのに、可哀想です
「そうは言うがな」
「給孤独者会議の人たちには、私から話します。大丈夫ですから、このまま寝かせてあげてください」
夕月は一歩も引くつもりがないようだ。
「……ったく、しゃあねえな」
ここは一つ、負けておくか。そんなオレの考えを読んだのかどうかは知らんが、夕月は満面の笑みを見せた。
「ありがとう」そして碧を振り返った。「それじゃ、碧さんは毛布持ってきてあげて。私は給孤独者会議の人に話してくるから」
そう言って、夕月は部屋から走り出て行った。
「ホント、いい子よねえ。優しいし、しっかりしてるし」
碧がしみじみ言う。
「まあな、しっかりしてる感だけで言えば、教祖様より上かね」
「ああ、朝陽はちょっと抜けてるから」
その言葉を聞いたとき、オレはよほど不審な顔をしていたのだろう。碧はケラケラと笑った。
「あれ、言ってなかったっけ。あたしは朝陽と中学のときから友達なの。つまり教祖様の『ご友人枠』でこの教団に入れてもらったって訳。それでいまは夕月様の教育係」
「なるほどね。それでか」
碧はひとしきり笑うと、一つ溜息をついた。
「朝陽に助けてもらおうと思ったんだけど、でもね、朝陽を助けようとも思ってたんだよ。まあ実際には、あたしなんか助けになってないけど」
「そりゃな。簡単に助けられるような状況じゃねえわな」
「そう。お父さんが死んで、教祖になったら婚約者が死んで。そしたら今度は叔父さんだもんね。いくら何でも死にすぎ。体も心も追いつかないっつーの」
そう寂しそうに笑った。
「誰か居ないのかよ、いまの教祖様を助けられるヤツは」
ちょっとした興味本位だったが、碧は一瞬考えて、こう言った。
「居ると言えば居るよ」
「何だ、居るのか」
「うん、若先生」
「若先生? 天成渡か」
「そう。朝陽が下臼と婚約するって話になったときも、何で若先生じゃないの、って信者仲間で議論になったくらいだから。みんなビックリしてたよ。下臼って嫌なヤツでさ。いつも偉そうで、みんな大嫌いだったのに、何であんなのと婚約したのか。普通、若先生選ぶよね、って」
「そういう目はあったのか」
「だって初代教祖の息子ってだけでも、血筋的に問題ないじゃん。おまけに信者からの信頼も厚いし。誰が考えても、いいカップルなんだけど……なんだけどなあ」
碧は腕を組んで、うーむと考えた。
「あれがなきゃなあ」
「アレってなんだよ」
「ほら、居るじゃん。若先生のところに必ずくっついてる、コバンザメみたいな女。風見麻衣子」
オレは今朝方の胸倉をつかまれた件を思い出して、「ああ、アレな」と答えた。
「そう、あれ。あれがくっついて離れない以上、若先生と朝陽が一緒になるのは難しいね。でもあの女、若先生のお気に入りだし。おまけに手話通訳まで出来るから」
「引き離すのは無理ってか」
「そういう事。ホント邪魔な女。気は強いしケンカっ早いし、可愛げのない」
碧は心底からの嫌悪感を顔に表わし、それを隠そうともしない。だがその顔が不意に笑った。
「それじゃ、あたしは毛布取ってくるから、あんたは部屋に戻りなよ。一人じゃ寂しいかも知れないけどさ」
部屋から出て行こうとする碧に、オレは慌てて追加の質問をした。
「なあ、教祖様は中学生のとき、どうだったんだ、その、霊能力は」
「そりゃ凄かったよ。無くした物とか霊視でバンバン見つける、霊感ビンビンの凄い霊能者だったんだから」
「それから、ずっとか」
「ずっとじゃないよ。霊能者は大人になると力が落ちるらしいし。それで朝陽の霊能力も随分落ち着いたんだけど、でも、もしかしたら最近、またあの頃みたいに戻ってきたんじゃないかな。やっぱり血筋とか環境とかあるんだね」
そう言って一度オレの顔を見つめると、もう質問はないと見たのだろう、碧はドアを開けて外に出て行った。
部屋にはオレとジローの二人きり。ぶん殴るなら、いまだ。とは言え。
ジローは気持ちよさそうに寝息を立てている。警戒心ゼロって顔だ。
「ったく、しゃあねえな」
また同じ事をつぶやいて、オレは部屋を出た。
エレベーターホールで上昇ボタンを押す。しかし二階で誰か乗っているのか、止まったままなかなか動かない。扉の上の階数表示を見つめながら、オレは考えた。
予言があった。そして人が殺された。犯人は誰だ。
常識的に考えるなら、一番怪しいのは予言者だ。予言をし、その予言通りの結果を作り出す。典型的なマッチポンプだが、予言が当たる事に何らかの意味や価値があるのなら、一番確実で合理的とも言える。だが今回の殺人事件の場合、予言者にはアリバイがある。……いや、そうだろうか。
和馬の死体が発見されたとき、典前朝陽は給孤独者会議の道士たちと揉み合っていた。それは事実なのだろう。だが和馬は、その場でその瞬間に殺された訳ではない。検視されていないから死亡時刻はわからないが、殺されてから発見されるまでに、タイムラグがあるはずだ。その時間差にアリバイをはめ込めば、殺す事は不可能じゃない。つまり和馬を殺して、あの場所に死体を逆さに吊り下げて、それから玄関に向かう事も理屈の上では可能だ。ただし。
「誰にも見つからなきゃ、の話だ」
そうオレがつぶやいたとき、チャイム音が鳴った。エレベーターが到着したのだ。扉が開く。
「五味。こんなところで何してるんだ」
中に居たのは築根と原樹。ああそうか、和馬の部屋は二階だったか。
「いや、ちょっと野暮用でね。そっちはもう終わったのか」
「一応な。部屋には乱闘した痕跡があった。あそこで殺された可能性は高い」
築根にうなずきながら、乗り込んで振り返った。三人とも同じ階だから、オレがボタンを押す必要はない。扉が閉まり、エレベーターは上昇を始める。無言で階数表示を見つめながらこう思った。
何で聞こえなかったんだ。
二階の和馬の部屋から一階のあの場所に死体を下ろすには、エレベーターを使ったはずだ。大階段を使って下ろすなんて事は出来ない。ロビーには道士どもがウヨウヨしていたのだから。
一階エレベーターの正面に、事務所入り口はある。奥まったエレベーターホールは、ロビーから見づらい。少なくとも玄関付近に居るヤツからは見えない。死体の移動には最適だ。だがエレベーターが到着すれば、チャイムが鳴る。誰も気付かないなんて事は……違うな。逆だ。
チャイムが鳴った。五階に到着したのだ。築根が降りる。原樹が降りる。そして最後に降りて、オレは言った。
「話を整理しようぜ」
築根と原樹の部屋にオレも入った。原樹は迷惑そうな顔をしたが、構いやしねえ。部屋に入ると真っ直ぐ窓に向かった。見える景色はオレの部屋と変わらないな。近隣に明かりはまったく見えない。街灯すらない。ずっと遠くに街の明かりが見えるだけだ。まさに陸の孤島。
「それで」その声に振り返ると、築根が部屋の真ん中で仁王立ちしていた。「何がわかった」
ああ、タバコが吸いてえ。だが今夜はおあずけだ。話す事を話して、さっさと寝ちまおう。
「典前和馬が、二階の自室で殺されたと仮定する」
オレは窓辺に座り込みながら話し始めた。
「その死体を、一階のあの現場まで運ばなきゃならん訳だが、どうやって運んだか」
「そりゃエレベーターだろう」
あぐらをかいた原樹が、当たり前だという風に答えた。
「だがエレベーターが一階に到着すれば、チャイムが鳴る。普通なら、スキンヘッドの誰かが気付くはずだ。なのに誰も死体の移動を見ていない。何故だ」
築根の表情がわずかに変わった。さすがに理解が早い。
「典前朝陽が玄関で揉めたというのは」
オレはうなずく。
「そう、陽動だ。典前朝陽が玄関前で道士共の注目を集めていた、その瞬間を狙って、和馬の死体の移動は行われた」
築根の顔が険しくなる。
「それはつまり、典前朝陽には共犯者が居たという事になる」
やっぱりコイツも朝陽が怪しいと考えていたか。
「ああ、もしかすると、殺人の実行犯も朝陽じゃないかも知れない」
「十分にあり得るな」
しかし原樹はキョトンとした顔で築根を見つめた。
「え、犯人はスキンヘッドじゃないんですか」
一瞬の変な間を置いて、築根はたずねた。
「どうしてそう思う」
「いや、だって死体にあんな細工するのは腕力が必要ですし、一人じゃ無理だ。いまここにいる出家信者には、爺さん婆さんと若い女しか居ません。第一、あの連中が来てから事件は起きたんですよ。犯人は、あいつらしか居ないでしょう」
築根は困った顔で、こめかみを押さえている。
「動機は」
「へ?」
「なぜ給孤独者会議が和馬を殺さなきゃならない。理由は。意味は」
「それは、その、逮捕して白状させれば」
「話にならん」
築根ににらまれて、原樹はデカイ体を小さくした。そして何故か恨めしそうにオレを見つめる。知るか。とは思うものの。
「確かに、起きた現象だけ見れば、給孤独者会議は有力な容疑者だ」
「そ、そうだろ、なあ」
原樹の顔が明るくなった。
「おい、五味」
困惑する築根を手で制して、オレは言葉を続けた。
「だが、それとまったく同じ理由で、有力な容疑者になり得る連中が他にも居るだろ」
原樹は再びキョトン。築根も思い当たらないらしい。
「他に? 誰だそれは」
まったく、コイツらはおめでてえな。
「決まってんだろ。オレたちだよ」
「あっ」
築根は納得したようだ。だが原樹は首を振る。
「いやいやいや、待て待て。おまえはともかく俺たちは刑事だぞ、そんな」
「いまどき刑事が無辜の善人だとか思ってるヤツはいねえよ。警官が起こした事件がどれだけ新聞に載ってるか、知らん訳じゃあるまい」
原樹もようやく理解したのか、苦々しい顔で押し黙った。
「それに、だ」
ああ、タバコが吸いてえ。いや、残りの本数を思い出せ。ここは我慢だ、我慢。
「今回の事件は、給孤独者会議の連中が起こしたにしちゃ、おかし過ぎるんだ」
「どこがおかしい」
築根の挑むような視線。せっかくの美人なのに、このクソ真面目なところは何とかならんもんかね。
「予言があった。で、それをなぞるように殺人が行われた。これっていわゆる『見立て殺人』の類いだよな」
「確かにそうだ」
「だが実際問題、見立て殺人の意味って何だ。ただ殺すだけでもリスクがあるのに、それに加えて、死体をわざわざ飾り付けてるんだぞ。何で死体を壁に吊るす必要がある。しかも逆さまに。常識的に考えれば馬鹿げてる。給孤独者会議に、あるいは日月教団に、死体を飾り立てる宗教的な意味でもあるんなら理解出来るが、現場の連中の反応を見る限り、そんな教義も習慣もないはずだ」
静まりかえったロビー、葬式を忘れていた信者たち、そこにあったのは拒絶だ。築根はうなずいた。
「自分たちに理解出来るものなら、あんな反応はしない、か」
「もしあの見立てに意味があるとするなら、それでいて宗教に関係がないのなら、逆さに吊るした事は重要じゃない。考えられるのは一つ。それは見る事、誰かにあの死体を見せる事それ自体だ」
オレのその言葉に、築根はハッと気付いた。
「メッセージって、そういう事か」
「犯人は、おそらくあの死体を誰かに見せたかった。それに成功したのかはわからん。給孤独者会議にせよ、日月教団の信者にせよ、全員が見た訳じゃないだろうからな。だが見せたいという意思はそこにある。ならばいったい、和馬の死体の何を見せたいのか。それは当然、予言が実現した事実だろう。典前朝陽の予言は当たる。それを見せつけたかったに違いない。だとすれば、給孤独者会議は容疑者から外れる。連中は予言を否定する立場だ。予言の実現をサポートするはずがない。それどころか、給孤独者会議に見せつけたかった、と考えれば一応話は通じる」
「なるほど、教団買収への抵抗として、典前朝陽が予言をして……いや待てよ」
「ああそうだ。それもちょっとおかしい。どうせ殺すんなら身内じゃなく、殻橋邦命を殺した方が話が早いんだからな」
「身内を殺さなければならなかった理由があるという事か」
築根は腕を組んで考え込んだ。オレは一つ溜息をついた。
「とりあえず、いまオレに言えるのは、この程度で限界だな。もう頭がスッカラカンだ」
原樹が不満げに鼻を鳴らす。
「何だよおい、結局犯人はわからないのか」
「当たり前だろ。ホームズじゃあるまいし、こんな少ない情報で真相なんかわかってたまるか」
築根は唸っている。頭がフル回転しているのだろう。その目がオレを見た。
「そもそも典前朝陽は、この事件の首謀者なのか」
「わからんよ。無関係じゃないのだけは確かなんだが」
オレは立ち上がった。今夜はもう部屋で眠りたい。
「殻橋にどこまで話すかは、アンタらに任せる。何にせよ明日だ。今日は寝ようぜ」
すると突然、原樹が立ち上がり、猛然とオレに近づいて来た。
「よし、俺も一緒に行こう」
「な、何だよいきなり。アンタの部屋はこっちだろうが」
だが原樹はオレの腕をつかむと、聞こえるか聞こえないかの小さな声でこう言った。
「眠れる訳ないだろうが!」
まったくコイツだけは面倒臭えな。それをオレが口にする前に、「では警部補、おやすみなさい」と言いながら、原樹はオレを小脇に抱えて部屋を出た。ポカンとした顔の築根を残して。
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