臨魁学園物語――転校生とガチ恋をして、二人で幸せになる話――

鳥原波

3章 8日目~3週間 部活に模試に、初デート!?楽しい事に悩み事、交々(こもごも)な日々

 週明けの月曜日。新しい1週間の始まり。それは、日付のことだけではなく、学校生活のこともなんだ。
 大原さ…更紗さんとちょっと進んだ関係になってから初めて会う月曜日。いつものように朝起きて、朝ご飯食べて、顔を洗って寝癖を直し、歯を磨いて7時半には家を出るけど、実際の話、少し緊張している僕がいる。
 当たり前になった新しい習慣。そして、城西商店街の入り口付近に待っているのはセーラー服を着た更紗さん。学園の制服は、今日届くらしい。日曜日の夜にライナーで会話をしていたときに、春日先生から学校用アプリのアカウントに連絡があったんだ。
「更紗さん、おはよ」
「慎吾くん、おはよう」
 僕は自転車を降りて、彼女と挨拶を交わす。うん、一つ懸案が解決して更紗さんはスッキリした顔。清々しい笑顔にまた僕は見惚れる。
「どうしたの、慎吾くん?」
 更紗さんが僕に話しかける。
「あ、うん、なんだか、照れくさいなって思っちゃって…」
 ちょっとだけ進んだ関係にはなったのだけど、それだけにちょっと気まずい気持ちと告白したときのことが思い出されて恥ずかしい気持ちになる。
「実はね、私もちょっと気恥ずかしいかな」
 同じ事を思ってくれていた。
 先週は、あんなに緊張せずに、自然体でいろんな話をしたのに、今日は何故か言葉が出てこない。緊張しているのは間違いないし、何か話さなくちゃと思っているのも確か。
 でも、肝心な話題が出てこないんだ。どうしよう…と思っていると、
「ねぇ慎吾くん、昨日見つけた動画があるんだけど、学校に着いたら見て欲しいんだ」
と、更紗さんから話題を振ってきた。
「うん、いいけど何の動画?」
 僕は問いかける。
「うんと、バドミントンの練習動画なの。ちょっと意見を聞きたいから」
「うん、わかった。」
 僕は少しだけ緊張がほぐれる。じゃあ、僕からはいつもの音楽を。僕は自分のイヤホンを鞄から取り出し、スマホのイヤホンジャックに差して、次の信号で止まったら動画をすぐ見せる――というか、聞かせることができるようにする。
「じゃあ僕からは、昨日のお供の一曲。ちょっといつもと違うよ。今回は音ゲーからじゃないんだ」
「え?珍しい!」
 更紗さんは、僕の言葉に心底珍しそうに反応した。その大げさな反応に、僕は苦笑い。
「ちょっと~僕をなんだと思ってるのさ?」
 僕の問いかけに、更紗さんはちょっと首をかしげて考えてから、
「音ゲーが好きすぎて好きな子に布教活動をしている怪しいお兄さん的な?」
 なんて言ってのけてくれる。僕は、
「な~ん~だって~?」
と思わず口角を上げて笑いながら更紗さんにゆっくり問いかける。それがあまりにも怪しかったようで、
「その笑みが怪しいのよ~それ、逃げろ~」
と、更紗さんは笑いながら軽くダッシュする。セーラー服の膝上スカートが、彼女のダッシュとともにフワッと浮き上がって、見えそうになる。そのきわどい瞬間に、僕はドキドキして思わず凝視してしまうけど、頭をぶんぶん振って邪念を払う。
「更紗さん、待ってよ!」
 僕は顔を赤くしながら自転車に飛び乗って、更紗さんを追いかける。小学生の集団登校も一段落ついて、この時間の人通りはまばら。さらに歩道もそれなりに広いからそうやって追いかけっこもやろうと思えばできるわけで。
 ほんの10メートルほど走ったら、更紗さんは止まって追いかける僕の方を向く。
「ごめんごめん、冗談よ。慎吾くんの紹介してくれる曲、私が聞いていても心地よいのが多いから、自分の音楽に対する興味の範囲が広がっているのは確かよ」
 すぐに追いついて自転車から降りた僕にそう言う更紗さん、そんな嬉しいこと言ってくれると、もう反撃する気が起きなくなってしまう。
「まったくぅ…ホント冗談きついや」
 いつの間にか、最初に感じていた緊張はなくなっていた。もしかしたら、更紗さんも緊張をほぐしたくて、あえてそうしたのかもしれない。
「で、実際どんな曲なの?」
と更紗さんが聞くものだから、
「男性ボーカルの、めちゃ良い曲。これは僕は聞いてとっても感動したんだ。更紗さんも同じ気持ちになってくれると嬉しいな」
と言って、僕は更紗さんにイヤホンの片割れを渡す。
「ありがと」
 嬉しそうにイヤホンを手に取る更紗さんの顔に、僕はKOされる。
(んもう、可愛すぎるよぉ)
もう、本当に抱きしめたくなるけどこらえて、
「んじゃ、流すよ」
 曲を流し始めると同時に、僕たちは肩が触れあう距離で隣り合って歩き始める。
 これが、僕たちのルーティンになってきた。
 前奏は、アコースティックギターが主体でとても優しい音色で。男性ボーカルの声が同じように優しく響いてくる。歌詞がとても、胸に迫ってくる。演奏が終わると、その余韻がいつまでも感じられそうで、何度聞いても僕は目頭が熱くなる。
「この曲…」
 更紗さんも、僕を見上げる目に涙が光っている。
「なんていい曲なの!慎吾くんが感動したのも分かる。この曲、好きに決まっているじゃない!きっと、このアーティストの方って他にもたくさん、良い曲創っているんでしょう?」
 興奮気味に話す更紗さんに、僕は微笑んで、
「うん、そう言ってくれると思った。ホント、歌詞がいい感じで響いてくる良い曲だよね。それと、たくさん曲を書いているのはその通りで、これからもアルバムとか、CDでも欲しいけど、登録してるサブスクにアルバム追加しようかと思ってるんだ」
 そう言う僕に更紗さんは笑って、
「本当に、良い曲、素敵なアーティスト教えてもらって朝からとてもアガったわ!そう言えばサブスクって、月に1000円くらいだっけ?それなら、お小遣いの範囲でやっていけるよね。こんな良い曲たくさん聞けるなら、課金する価値はあると思う」
「うん、そうなんだ。月に大体8000円くらいもらっているけど、そのうちの3000円くらいはサブスクと、音ゲー課金で消えてるね。毎月、課金カード買ってるよ」
「私は、あまり課金とかしたことないなぁ。ライナーのスタンプとかでちょっとあるくらいで、それ以外は全然したことがないの」
「そっか、通販もしたことなかったんだよね。それだとネット関係でお金を使うのって、抵抗感じるよね」
「そうなの。だから、課金するときはちょっとドキドキするのよね」
「わかる。最初は確かにそうだった」
 いつの間にか話題が変わっているけど、僕はそれでもこうして二人で話ができることが嬉しくて。
「それにしても、慎吾くん、どうしてこの曲を知ったの?」
と、更紗さんから最初の話題に戻してくれる。僕は、
「晴兄から『これ、聞いてみろ。お前なら絶対ハマる。姉さんはイマイチだったけど』って教えてもらったんだ。聞いてみたら、うん、確かに転がるようにハマったね」
 なんてちょっと苦笑いを浮かべながら答える。
「いいお兄さんだね。初めて聞くアーティストだけど、本当に気持ちいい。私もハマっちゃった」
 どうも、僕たちの価値観って似ているところもあるようでそうしたところを大切にしていきたいと思うわけで。
 そして、いつものスクランブル交差点に差し掛かると、
「おはようございます、更紗さん、東条くん」
と、右から夢衣が、そして後ろからは
「おはよ~、夢衣、慎吾、大原さん」
と、幸弘が合流する。
「おはよ、夢衣、幸弘」「おはよう、夢衣ちゃん、矢野くん」
 いつも通りの朝。それがとても楽しい。

 時間は少し戻る。
 夢衣には、中田との一件が終わったその日のうちにライナーで連絡した。夢衣とは滅多にライナーをしないのだけど、この日は違ってた。
 中田がすまなかったと謝っていたことを伝えると、もう更紗さんや幸弘からそのことを含めてあの日の出来事が粗方夢衣に伝わっていたみたいで、「東条くん、ありがとう。私のために怒ってくれて。矢野くんも、あの直後に中田くんに怒っていたこと、始めて知りました。東条くんや矢野くんも、田中くんと同じ男なんだと思うと、それまで何にも思っていなかったのに、二人のことまで怖くなって、それまで通りに接することができなくなっていたんです。でも、これから前を向けそうです」と長文が返ってきた。
 そのメッセージを見て僕は、吹っ切った夢衣への気持ちを告白した。
「今は、更紗さんと一歩進んだ関係…友達以上になったけど、実は、以前僕は三上が好きだったよ。でも、そのことで距離が遠くなってしまったともう、無理なんだと諦めたんだ」
 すると、予想外の返事が返ってきた。
「知っていました。東条くんが私に好意を持っていたことは。そして、私のことをそれまで『夢衣』と呼んでいたのに、『三上』と呼ぶようになって、私への好意がなくなってしまったんだって寂しく思いました」
 そんな夢衣の返答に、複雑な気持ちになった。でも、好意を完全になくしたわけじゃない。だから、僕は夢衣に長文を返す。
「幼馴染みとしての好意は今でもあるよ。でも、更紗さんに一目惚れして、彼女の存在がとっても一番大きなものになった。勝手なお願いかもしれないけど、三上とは仲の良い幼馴染みでいたいと思う。三上と幸弘で、僕と更紗さんを支えてくれるとありがたいんだ」
と答えたら、やや間があって、
「はい、更紗さんから聞いてます。でも、私からも一つだけ言わせて下さい。あの事が起こるまでは、私も東条くんのこと好きだったんですよ。そのことを更紗さんにも言いました。それでも更紗さんは『ホント、この幼馴染みの皆って、自分の気持ちを素直に出してくれるいい人ばかりなの!?一緒にいて心地いい。夢衣ちゃんの慎吾くんを好きになるのも分かる。慎吾くんは本当に見返りなく困ったことがあったら助けてくれて、優しくて、勇気があるいい人なんだもの。この仲間に入りたい!私もグループ入れて欲しい』ってお願いがありました。ですから、これから更紗さんを私たち幼馴染みのグループに誘っていいですか?矢野くんには了解済みです」
とさらに長文が返ってきた。
 え?夢衣も僕のことが好きだったなんて…中学部に入ってすぐに告白していたらもしかして付き合っていたのかもしれなかったのかと、軽くショックを受けたけど、夢衣への想いを更紗さんの膝の上で昇華したから、所詮はタラレバの話だと受け止められた。そのこともあって僕は夢衣の最後の問いに『OK』とスタンプを送って、
「そうだったんだね。ありがとう、話してくれて。じゃ、更紗さんの招待、夢衣からお願いしてね」
と返事をした。
「はい、あ、東条くん、私のこと久しぶりに『夢衣』って呼んでくれましたね」
と言う返事とともに、ちょっと嬉しそうな顔をしているゆるキャラのスタンプを送ってきた。それは、中学部に入る前の、あの頃の関係にほんの少しだけど戻ってきたように思えたから、
「ああ、そうだね。これからそう呼ぶことにするよ。それくらいで更紗さんは怒らないだろうし」
「どうでしょうか。怒るかもしれませんよ(笑)グループに誘うついでに聞いてみますね」
 などとちょっと洒落にならないことを言いながら夢衣がメッセージを送ってきた。
「ん、お願い」
 そこで、夢衣とのやりとりは終わった。ちょっと待っていると、夢衣が更紗さんを「幼馴染みグループ」に招待した通知が届き、その数秒後には、更紗さんがそのグループに参加した通知も届く。それからさらに何秒かしたら、更紗さんからみんなに「招待ありがとう、これからよろしく!」というメッセージが届いた。僕たちは次々「ようこそ!」と返した。
 そして更に数分後、個別に更紗さんから「夢衣ちゃんから聞いたよ~。仲の良い幼馴染みに戻ったんだって?」なんてメッセージが届く。
「うん、まぁ少しだけだけど。三上のことを夢衣って呼んでも、いいかな?」
「ええ、もちろん。幼馴染みなのに、よそよそしい呼び方するのもどうかと思うから、私は全然構わないよ」
 やっぱり、僕の思ったとおりで夢衣の心配は杞憂だった。夢衣も冗談のつもりだったんだろうな、怒るかもしれませんよ、の後に(笑)がついていたし。うん、でも僕の気持ちを察して許してもらった更紗さんが本当に愛しくて、「ホント、ありがとう。好きだよ」と返す。すると、彼女からは、
「…なんて返せば良いんだろう…ライナーでこんな事言われたの初めてだから」
なんて返ってきて困らせてしまった。

 学校に着いて、四人で教室に入る。大木さんと中山さんが僕たちに気づくと更紗さんに近づいてくる。
「解決、おめでとう」「よかったね」
 どうも、グループライナーで週末のうちに話をしたんだろう。二人からの改めての祝福に更紗さんは笑みを浮かべる。
「本当に大変だったけど、良かった。改めて、紗友梨さん、和子さん、助けてくれてありがとう」
 そう言う更紗さんに、大木さんと中山さんは僕の方を見て言う。
「でも、一番お礼を言わないといけないのは、東条くんにじゃない?」「先週1週間、見ていて東条くんはすごく尽力していたし、二人はとってもいい感じだったと思うわ」
 …大木さんはいいとしても、中山さん何を言うんだよ…。つい、顔が赤くなる。
「うん、そうだね。慎吾くんにはとっても助けられたよ。だから、解決した後、二人で話をたくさんしたの」
 更紗さんがそう言ってくれるのは、やっぱり嬉しいことで。
「うん、僕の方も更紗さんに色々話したんだよね」
 つい、そんな事を口走ってしまう。
「え…?『慎吾くん』『更紗さん』…ってやっぱり二人はつきあい始めたの?」
 中山さんは耳ざとく、僕と更紗さんが下の名前で呼び合うことに気づいたようで、驚いている。
 二人には世話になったから隠すよりオープンにした方が良いと思った。二人とも、他人のプライベートなことをおおっぴらに言いふらすタイプではないし、僕たちを応援してくれているから、ここは正直に答えよう。
「いや、まだ付き合っているわけじゃないよ。今は、お試し期間なんだ」
「そうなの。…私の方からこの関係をお願いしたの。『好き』な感情が分からないから、ひとまず今の関係でいてほしいって。そうしたら、慎吾くんが下の名前で呼びたいって」
「うん、更紗さんが先に僕のことを慎吾くんって呼んでくれたからね」
 僕たちの言葉に、二人は納得したようで、納得できてないようで。
「それって、更紗さん結構東条くんのこと好きな気がするんだけど」
と少しばかり興奮気味に言う中山さん。でも、対照的に大木さんは至極冷静で、
「二人がそういう関係から始めようと言うなら、外野がとやかく言うことじゃないと思うよ、中山さん。二人が上手くいくように願っているわ」
と言ってくれた。中山さんは、「そうだね。ごめんね」と冷静に謝り、僕たちは「ありがとう」とハモって、お互い照れ顔になった。
 僕と更紗さんは、その後登校時の約束通り、彼女のスマホでバドミントンの練習動画を見る。初級者~中級者向けのステップの取り方の動画だったけど、確かに今の更紗さんが抱えている課題にちょうど良さそうな感じだった。でも、部活では更紗さんが夕食当番の時に個別ですることならできるだろうけど、もう少しじっくり取り組めるといいなと思うからちょっと提案してみる。
「今度の土曜、部活が終わったら市民体育館の1コート借りてその練習してみようか?」
 更紗さんは、その提案に乗り気になって、
「うん、そうしよう。お昼ご飯はどうする?」
「学校近くのファミレスで食べてから行こうか?」
「ええ、いいわよ。初めてのデートが市民体育館でバドミントンというのも私たちらしいかもね」
 『デート』という言葉に、僕は顔を赤くしてしまう。それは更紗さんも同じだったけど、耳ざとくその単語を聞いた角田さんをはじめとする女子数人が僕たちを取り囲んで「やっぱり、くっつくべくしてくっついたわね~」なんて茶化してくる上、そんな様子を見ていたであろう廊下から僕たちの様子を見ていた他クラスの男子連中が悲鳴を上げる。「え~!ショック…」「もう、俺たちにチャンスはないんだ…」「この世に神はいないんだ…」などとしょぼくれて自分の教室へ帰っていく。
「あはは…」
 僕はそんなみんなの様子に苦笑い。
「まだ正式なお付き合いじゃないけどね」
 更紗さんは角田さん達にそう言って、やはり、自分が「好き」という感情をまだしっかり認識できていないことを話す。でも、角田さんは
「うんうん、それでも、大原さんは東条くんに対して好意を持っていること自体は間違いないと思うからね。じっくり愛を育てていけばいいんじゃないかな?」
などと言う。確かに、一理あるんだけど、「愛を育てていく」なんて言葉は本当に照れてしまうなぁ、と思っているうちに始業時間のチャイムが鳴る。
「あ、スマホ片付けないと」「あ、僕も」
 僕たちは、急いでスマホをロッカーに片付けた。

 放課後、部活に向かう前に購買へ。更紗さんの制服の受け取りのためだ。
「ようやくみんなと同じ格好になれるわ。楽しみ」
 更紗さんはそう言って微笑む。
「やっぱり目立ってたから嫌だった?」
 僕が聞くと、彼女は少し考えて、
「そこまで嫌じゃなかったけど、目立っていたことは確かだし、だから2日目にあんな話しかけられ方したんだと思うと、ちょっと目立たなくなるのはありがたいかも」
「確かに、そうだよね」
 廊下で並んで話していると、後方から僕にいくつか視線が突き刺さるのを感じるけど、まぁ、そんな視線は無視して、今日のこれからのことを話す。
「でも、制服どうやって持って帰る?」
 更紗さんはうーんと考えてから、
「結局自分で持って帰るしかないと思う。さっきライナーしたら、今日はお父さん、これから外せない会議で遅くなると思うからお迎えは無理かもって返ってきたの」
と言う。そして、購買で制服を受け取った。すると、
「思ったより重いなぁ。どうしようかな?」
と言うから、僕は「一回持たせて」と制服の入った紙箱を受け取る。
「確かに、これくらいの重さだった気がする。そう言えば、更紗さんの制服の下って、スカート?それともスラックス?」
 臨魁学園の制服は、ジェンダー対応しており、特に女子はスカートとスラックスから選べる。7割くらいはスカートを選んでいて、残り1割はスラックス。2割はスカートとスラックスを気分で履き替えているようだ。
「私は、どっちも選んだの。普段はスラックスにして、始業式や終業式、卒業式みたいな学校行事の時はスカートって使い分けるつもりなんだけど、変かな?」
「いいや、全然変じゃないと思う。どっちの更紗さんも見られるのは、僕としてはとても楽しみなんだけど」
「…なんだかその言い方、スケベっぽいなぁ」
 思わず口をついて出てしまった言葉に、更紗さんにはドン引きされてしまう。
「大変申し訳ありません」
 そんな反応をした更紗さんに、僕は頭を垂れて謝罪する。
「素直に謝ってくれたから、許してあげる」
 許してもらえたので、ホッとする。
「でも、マジこの服重いよね。これ、歩いて持って帰るの辛いと思う」
「そうね…」
 僕たちは、体育館までの廊下を歩きながら少し考え込む。
「そう言えば、今日は勉強会どうする?夕食の当番は妹だからできるから、できればお願いしたいのだけど」
 更紗さんがそう問いかけてくる。やっぱり、彼女の口から「母」の単語が出てこない。でも、今はまだそれを聞く勇気がなくて、
「うん、僕は大丈夫だよ。でも、更紗さんは、お迎え来てもらえそうにないんだよね?」
「そうなの、だから、慎吾くんが送ってくれるといいなぁって」
 そうだね、勉強会して帰るなら、送っていかないといけないと思う。だから、
「うん、分かった。送っていくよ…」
 僕はそう答えた瞬間に、悪戯っぽい表情を浮かべた更紗さん。その表情の意図を僕は察する。…やられた。
「荷物持ちをしてって事だよね?」
って聞いたら、更紗さんは頷いて、
「お願いできる?報酬は、私の家を教えちゃいます、と言うことで」
 そこまではっきり言われてしまえば、僕の選択肢はないわけで。
「了解したよ。制服持てば良いんだよね?」
「うん、よろしく。大変だと思うから、自転車は私が押していっていい?」
「それなら大原さんの鞄も持つよ。それで良いよね?」「お願いします!」
 なんてやりとりをしてから、いつものように部活をこなす。あと1ヶ月ほどで高校の秋季大会がある。全国選抜大会をかけた大会だ。僕たちはそこまで強豪ではないから、一つか二つ勝てればいい方なのだけれど、やはりベストを尽くして一つでも多く勝ちたいから、練習も自然と気合いが入ってくる。
 …でも、その前に全国模試があるんだけど。
 その勉強もしなくちゃいけないし、更紗さんはとにかく学校の進度に追いつく必要があるし、僕よりも彼女の方がよっぽど大変だ。だから、数学に関してはサポートしてあげたい。
 そんな思いでいると、僕の目は更紗さんの方に向いて、たまたま僕の方を向いた彼女と視線がぶつかる。更紗さんは声を出さずに、
「集中!」
と口パクで僕に伝えてくれたみたいだった。そうだ、今は少しでもシャトルを追わないと!
 僕は自分のいるコートに視線を戻して、ノック練習に勤しんだ。

 部活が終わって、いつもの自習室。この日も先週と同じように4人掛けの机が空いていたのでそこに並んで座る。
「じゃあ、今日もよろしくお願いします。今日はね、ここを教えてほしいの」
と更紗さんが開いた教科書の場所は、「底の変換公式」だった。
「対数の必須テクニックになる公式だよ。これはしっかり覚えて活用できないと後々困るからね。ちょっと、今日はこれだけで終わるかもしれない」
「そんなに難しい?」
「公式自体は覚えてしまえば、なんてことなくて、後は練習あるのみなんだけど、証明がわかりにくいと思う」
「そうなんだ」
 ちょっと難しい顔をする更紗さん。でも僕はほほえみかけて、
「証明そのものが理解できなくても、とりあえず公式が使えるようになればいいと思うよ。証明の理解はその後からでもいいと思う」
「うん、分かった」
 そして、まずは公式の証明を説明するんだけど、思った通りの部分で更紗さんは引っかかり、思わぬ時間を食ってしまった。
「両辺の対数をとるというのも今後何度か使うテクニックだし、底の変換公式もよく使うから、どっちもきちんと覚えてね」
「は~い、頑張って覚える」
 証明が終わって僕がアドバイスすると、チロッと舌を出して微笑む更紗さん。
 めちゃくちゃ可愛い。
「次は演習ね。時間計って頑張ろう!」
「うん、頑張る」
 そう言って僕はスマホから時計アプリを立ち上げてストップウォッチをセットする。
「え?もう計っちゃう?」
「あ、ごめん。準備しただけ。とりあえず、教科書の問題3問をやってから、時間は問題集の方で計ってみよう」
「うん、分かった」
 そして、更紗さんは教科書の問題をゆっくり解く。そしてある程度教科書で解けるようになったところで、問題集を試す。
「んじゃ、計るよ。よ~い,スタート」
 更紗さんは真剣な顔つきになって、問題を解き始める。
「これはまず、底を2で揃えて…」カリカリ…「この問題は5でいいのかな?」カリカリカリ…「え?何で文字?あ、でも、文字でも同じようにするといいのよね…」カリカリカリカリ…
「ふ~。できたわ」
 5問で6分。初めてにしては、早いほうだと思う。特に、文字が入った場合はその時点で諦めてしまう友達も多いのだけど、更紗さんは諦めずに食らいついていく。
 そう言うガッツのあるところ、僕は好きだよ。
「答えをチェックするね」
と僕は、自分の書いた答と更紗さんの答を見比べる。うん、全問正解!
「うわ、すごい、全部合ってる。特に、文字のところは諦めちゃう子も多いんだけど、よく解けたと思うよ!」
「良かったぁ。文字も結局数字と同じ扱いなんだよねと思ったら、ひらめいたの」
 安堵の笑みを浮かべる更紗さんに僕も笑いかけて、
「うんうん、Great Jobだよ。今日の課題はこれでクリアだね!」
 僕は、ちょっとだけ早いけど、勉強会を終わって帰ろうと促す。
 更紗さんも充実感があるのか、「うん、そうしよう。いい気分で帰るのって大事~」と言って、急いで教科書類を片付けに入る。
そして、二人で学習室を出て、声をかけるわけじゃないけど、目配せをして自販機に向かう。そんな瞬間が、心が通っている気がして嬉しい。
 僕はいつもの珈琲牛乳。更紗さんは飲むヨーグルト。
「ホッとするね」
 そんなことを言いながら笑い合って。
 そして、下校。今日は自転車小屋まで更紗さんが一緒に来て、僕は自転車のロックを外して更紗さんに自転車を引いてもらう。
 自分の鞄をいつも肩に担いでいる僕は更紗さんの制服を左手に持ち、更紗さんの鞄を右手に持って、荷物を運ぶ。そして更紗さんは僕の右で僕の自転車を押してくれる。
「この自転車、軽いんだね」
 僕の自転車を押す更紗さんはそう言って僕の顔をのぞき込む。
「あ、やっぱりそう思う?運転しやすい自転車だよ。ママチャリより何キロか軽いはずだし扱いやすいと思う」
「幾らしたか覚えてる?」
「う~ん、あまりよく覚えていないけど、5万はしなかったと思う」
「通販だから安かったとか?」
「あるかもしれないね」
 なんて会話をしながら帰る。制服を持つ手は重かったけど、更紗さんと話しながら帰る楽しさを思えば、そんなの、なんてことはない。
「こういう時、自転車だといいなぁって思うの。遅い時間だとゆっくり帰るより、早く帰った方が綸子くみこ――妹の事ね――も安心すると思うし」
 確かにね、今日みたいにお父さんも迎えに来ることができない状態で姉の帰りを待つ妹さんは、確かに心配なのだろう。
「そうだね、自転車通学については厳しくないから、自転車にしてもいいかも」
と僕が言うと、更紗さんは
「あ、でもそれだとイヤホンで音楽聴きながらは難しくなっちゃう」
と言うので僕は、
「まぁ、それはすぐ解決できるよ。完全ワイヤレスホンにすればいいんだ」
 更紗さんは自転車から手を離すわけにはいけないから、その代わりに目を大きく開いて、
「あ、なるほど。でも、高くない?」
なんて返してくれる。だから、
「う~ん、ちょっとお手頃価格のを探してみようかな?帰ったらサバンナでも見てみるよ」
 更紗さんはそんな僕に、
「ねぇ、それじゃあさ、土曜日の市民体育館のあとで電気屋さんでも行ってみない?」
と問いかけてきた。別に用事はないから構わないんだけど、
「いいけど、どうして?」
 すると、更紗さんはちょっと照れくさそうに、
「実は、夢衣ちゃんから聞いたんだけど、もうすぐ誕生日でしょ?」
 ああ、そうだった。10月30日が僕の誕生日、ちょうど一週間後の来週月曜日だ。更紗さんとの日々がとても大事で、自分のことを疎かにしてしまっていた。
「そう言えば、そうだったね」
「え?自分の誕生日を忘れてしまってたの?」
「だって…家族の中でもそんな話しあまりしてなかったし、それに、更紗さんと一緒にいる毎日が楽しいから、自分のことをあまり考えてなかったよ」
 たぶん、僕の顔は真っ赤になっていたんだろう。更紗さんはそんな僕の顔を見て微笑んで、
「ありがとう。本当に慎吾くんは、自分のことより私を優先してくれるんだよね。でも、たまには自分を優先しようよ」
と言う。僕が「そうだね」と同意すると、
「うんうん、でね、来週がお誕生日だから、プレゼントしたいなって思っているんだけど、せっかくだから、今話が出たワイヤレスイヤねっとつうはんでこうにゅうしたやすものだから、はホンなんてどうかなって」
 嬉しい言葉に、僕は笑顔になる。けど――
「意外と値が張る物だから、無理しなくていいよ。もしプレゼントしてもらうにしても、安物で全然構わないから」
と、遠慮して答える。そんな僕に更紗さんは、
「うん、確かに高いものは難しいけど、お小遣いの範囲で買えるのであればプレゼントしたいなって。それに、プレゼントするならデザインとかも気に入っているものの方が良いと思うから、一緒に見てもらえるといいと思うんだ」
と言うので、
「そうだね。その気遣いがとても嬉しい。うん、じゃ土曜日に行こう」
「ええ、ありがとう」
「礼を言うのはこっちだよ。本当にありがとう」
 二人で笑う。すると、更紗さんのスマホからライナーの通知音がした。
「あ、ちょっとごめんね」
 更紗さんは自転車を停めて、ライナーをチェックする。
「あ、お父さん仕事が終わったから迎えに来てくれるって。でも、ここからだと慎吾くんに送ってもらった方がきっと早いと思うから、そう答えておくね」
 正直、お父さんに来てもらってこの制服を預けたいとも思ってしまうけど、やはり更紗さんと一緒にいることが僕にとっては大事だから、「ああ、それでいいよ」と答える。
 更紗さんはライナーでその旨を伝えたようで、ちょっとしてお父さんから「じゃあ、気をつけて帰ってくるように。自分も20時半には家に着くから」と連絡があったみたいだった。
 更紗さんにスマホで時間をチェックしてもらうと、ちょうど20時を指すところだった。城西商店街まではあともうちょっと。商店街を抜けてから数分と考えても、お父さんよりは確実に早く帰ることができるだろう。
「お父さんよりは早く家に着いていた方が良いよね。ちょっとだけ急ごうか?」
 僕がそう言うと、更紗さんもうんと頷いて、
「うん、綸子にもお父さんよりは早く帰るからとさっきライナーしておいたんだ」
「い、いつの間に」
 その早業に僕は驚く。
「さっきの間よ。だって、家族のグループライナーだもん。さぁ、行きましょう」
「ああ、そっか。なるほどね」
 そして、城西商店街に入る。時間が時間だけに、半分以上の店がその日の営業を終えており、今開いている店の大半はお酒を提供している飲食店。あとは、衣料品や電気屋さんが開いているくらい。
「この辺に来ると、いつも良い匂いしてくるからお腹すいてくるんだよね」
と更紗さんは苦笑いをする。…確かに、いろんなところから良い匂いがする。特に焼き肉屋からはとっても食欲を刺激される匂いがしてくる。
「あ…やば…お腹鳴りそう」
 僕がそう言うと同時に、自分のお腹がぐぅ~と鳴ってしまう。
「あははは…男の子だもの、そうなるよね~。重たい荷物も持ってくれているし」
 更紗さんはそう言って笑顔を向けてくれる。
 僕はその顔に見惚れる。何度見ても、彼女の笑顔は今の僕にとって最高の癒やしだ。
「うん、ご飯早く食べたいかも」
「じゃあさ、うちでご飯食べて帰る?」
 え?更紗さんの家で?でも、良いのか?妹さんが作った料理でしょ?
「それはさすがに悪いよ。母さんには、家に帰って食べるって言っちゃったし」
 更紗さんは少し残念そうな表情を浮かべたけど、
「そうね。また次の機会でも良いかな」
「僕としては、更紗さんが夕食当番の時に夕食をごちそうして欲しいかな」
 …また本音が出る。すると、更紗さんは少し嬉しそうに、
「ああ、そういうことね。良いわ。どこかのタイミングでごちそうしてあげる」
と、夕食をいずれご馳走になる約束を取り付けたところで、いつの間にか商店街を僕たちは抜けていて、3階建てのアパートの前で止まる。
「ここよ、私の住んでいるアパート」
 築年数としては比較的新しいそうで、外装も綺麗なアパートだった。
「ようやく大体の荷物の整理ができたし、そろそろ友達も呼べるねって綸子と話してたんだ」
「そうなんだね。ホント、お疲れ様だよ。部活に勉強会にってただでさえ遅い日もある上、食事の準備も当番制だったり、荷物の整理だったり…尊敬する」
 僕は素直にそう言うと、更紗さんはちょっと顔を赤らめて、
「うん、早く慎吾くんをはじめ、夢衣ちゃんや紗友梨さん、和子さんを呼びたかったから、綸子と頑張っちゃった。あの子も早速できた友達呼びたいって言っていたし」
 嬉しいことを言ってもらって、僕は
「OK。それなら、そのうち上がらせてもらおうかな。楽しみにしてるよ」
「うん、じゃ、玄関前まで来てくれる?」
 自転車のスタンドを下げて自転車を停めた更紗さんは一度僕から自分の荷物を預かり、僕は自転車のロックをかける。
「お安いご用だ」
 彼女の部屋は2階の真ん中あたり。最後の階段が少し厳しかったけど、何とか持って上がる。
 更紗さんは玄関のドアを開け、「このあたりに置いてくれる?」と玄関マットの脇を指さした。
「了解」
僕は彼女の荷物を指定された場所に置く。すると、奥から声が聞こえてきた。
「お姉ちゃん、お帰り。あ…」
 妹さんが出てきた、更紗さんとは対照的にロングヘアを、サイドツインテにしている、姉妹だけあってよく似ている。可愛らしい妹だった。
「ただいま、綸子。あ、この人は…」
と、更紗さんが言いかけたところで、
「お姉ちゃんがいつも話している、彼氏候補の人?」
と妹さんは僕の方に視線を向けながらぼそっと言う。そんな言葉に更紗さんは諭すように、「綸子、お客さん目の前にそんなこと言わないの」と言うと、妹さんはもう一度僕の方を今度はしっかりと僕の顔を見る。すると、急に顔を赤らめて「あちゃ~」と舌を出した。
「あ、ごめんなさい。失礼でしたね。初めまして、大原綸子です。お姉ちゃんから話は聞いています。よろしくお願いします。」
 最初のちょっとぼそっとした言い方から打って変わって、表情も、話し方も柔らかく丁寧に話し出す妹さん。どんな話を聞いているのかがすごく気になるのだけど、それに関してはあまり顔を出さずに、
「初めまして。お姉さんのクラスメイトで隣の席で一緒に勉強している、更紗さんの彼氏候補の東条慎吾です。よろしくね」
と挨拶する。妹さんは、
「はい。東条さん、お姉ちゃんの話したとおり、スマートな方ですね。かっこいいかも」
と笑顔を見せてくれる。すると、
「はいは~い、慎吾くんも疲れていてご飯もまだだから、早く帰ってご飯食べてもらわなくちゃね」
 更紗さんがちょっと焦った表情で妹さんに諭すように話す。そんな更紗さんに妹さんは、
「あれ?こんなに遅くなったのにご飯も食べてもらわずに帰らせちゃうの?東条さん、晩ご飯食べていきませんか?」
と言って、さっきの話を蒸し返されたよう似感じる。どうしようか一瞬悩むけど、やっぱり最初言った言葉は守りたい。
「ありがとう。気持ちだけ受けとるよ。さっき、更紗さんとも話したんだ。僕は家に帰ってから食べるからまた今度ねって」
 僕がそう妹さんに言うと、ちょっと残念そうな顔をして、
「そうなんですね。分かりました。じゃあ、お姉ちゃんのことよろしくお願いします。お姉ちゃん、家では結構ずぼらなんで…お風呂上がりなんてしばらくバスタオル1枚でいますし」
 妹さんにそう言われた更紗さんが「こら綸子~!」と顔を真っ赤にしながら靴を脱いで妹さんに詰め寄る。やべ…バスタオル1枚の更紗さんを想像してしまい、僕も真っ赤になる。
「そ、それじゃ、今日のところは僕は帰るね。更紗さん、また明日いつものところでね」
 顔が真っ赤になっているところを見られたくなくて、妹さんの両頬を両手で捏ねている更紗さんに僕は帰ることを告げた。すると更紗さんは、僕の方に笑顔を向けて、でもその頬は真っ赤で。
「うん、それじゃまた明日ね。荷物、持って帰ってくれてありがとね!」
と答える。僕はゆっくりとドアを閉めて、階段を降りる。
(お母さんらしき人の影が見えない…どういうことなんだろう)
と思わず考えてしまう。その一方で、
(家では意外とずぼら…か)
 と、また頭の中でちょっとエッチな想像をして顔が赤くなる。
 自転車のロックを外し、こぎ出す。少し走ったところで、何度か見た青いセダンとすれ違う。すると、その車はキッと止まってハザードランプをつける。運転席の窓が開いて、運転していた男性が声をかけてきた。
「東条くん!」
 更紗さんのお父さんだ。僕は「はい!こんばんは!」と自転車から降りて自転車を押しながらお父さんの方へ近づく。
「すまない、制服の荷物持ちしてもらったんだってね。助かったよ。今日は外せない会議が夕方からあってねこれでも早く終わった方なんだ」
 ライナーで聞いたのだろう、お礼を言われて逆に申し訳なかった。
「お忙しいのですね。こちらこそ、結果的にご自宅を教えてもらうことになったので…」
 僕がそう答えると、お父さんは笑って、
「別に構わないよ。狭いところだが娘たちのおかげで粗方片付いたから、いつ来てもらっても良いよ。そう言えば、今帰るのだろう?ご飯は食べたのかい?」
と答えてくれる。僕は、
「ご飯は帰ってから食べるつもりなんです。帰り道で更紗さんに、玄関先で妹さんにも誘われたのですが、時間も時間ですし、うちの親も晩ご飯準備して待ってるんで」
と重ね重ね断ったことを報告すると、お父さんまで少し残念そうな顔をした気がした。
「…そうだね。やっぱり、君はとても良い子だよ。息子に欲しいくらいだ」
「そんな…」
 お父さんに認めてもらえて、誇らしい気持ちになった。
「それじゃ、気をつけて帰りなさい。また、更紗を迎えに行ったときにでも」
と、お父さんは車の中へ顔を戻そうとした。でも、聞くなら今だと思い、思い切って聞いてみる。
「はい、ありがとうございます。あ、一つだけ聞いて良いですか?」
「何だい?」
 お父さんはちょっと不思議そうな顔をした。
「この車…マニュアルですよね?」
 僕がそう聞くと、お父さんはふっと表情を緩めて、
「そうだよ」
と答えてくれた。嬉しくなってつい言葉が自然と出てくる。
「この車種のマニュアル、免許取ったらぜひ乗りたいと思ってるんです。僕のあこがれの車です」
 お父さんは僕の言葉に喜んだ顔をして、
「それは良いねぇ、車好きがあまり周りにいないから私も嬉しいよ。今日は遅いから無理だけど、また近いうちに話そうか?」
「はい、ありがとうございます!」
 今度、車の話をすることを約束して僕たちは別れた。
 結局家に帰り着いたのは20時45分を回ったところ。家族はちょっと心配したようだけど、帰る前にライナーで事情は分かっていたから、「こんなに遅くなるなら、帰る前にもう一回連絡入れないさいよ」と母さんからは文句言われただけで済んだ。晴兄と伊緒姉からは、『お熱いことで何よりだよ』と冷やかされたけど。
 急いで夕食を食べ、風呂に入って予習をするともう23時半近くになってしまっていた。
 僕のスマホはその間、ゲーム関係の通知だけでライナーは沈黙したまま。誰からも連絡がないのは珍しい。
 ちょっと遅くなってしまったけど、僕は更紗さんにメッセージを送る。
「今日はお疲れ様。今、いい?」
 そのままスマホを持ったまま、洗面所へ行って歯を磨く。すると、ピコッと通知音が鳴る。
『ごめんなさい、寝ちゃってた』
 どうやら起こしてしまったようで申し訳ない気持ちになる。
「あ…ごめん。なら明日でいいんだ」と、ぼくは『ごめんね』とスタンプを送る。
 でも、彼女からは、
『ううん、ちょっと目が覚めちゃったから、少しならいいよ。今日はありがとうね』
 それと『ありがとう』の可愛いスタンプが届く。
「どう致しまして。実は、帰り際にお父さんに会ったんだよ」
『うん、知ってる。お父さん話していたんだ。今度、男同士で車の話しようと約束したよって言っていたけど、ホント?』
「うん、僕が『その車、マニュアルですか?』って聞いたら車好きなの分かってくれたみたいで、嬉しそうに話しようと誘ってくれたんだ」
 歯磨きを終えて、自分の部屋に戻る。僕は机に座って、彼女からの返答を待った。
『そうなんだ。確かに、車の話って私や綸子じゃできないから』
と、『てへっ』と舌を出しているキャラのスタンプが届く。
「そうみたいだね。お父さん、周りで車の話ができる人がいないって嘆いてたし」
『うんうん、じゃぁさ、今度お父さんの相手してくれる?私や綸子だとできない話もあると思うし』
「了解」(敬礼しているスタンプ)
 一つ話題が終わり、話題が切り替わる。
『そう言えば、綸子の言ってたことなんだけど…忘れてくれないかな?』
「あ~更紗さんが家では結構ずぼらって事?」
 そう送ると同時に、「お風呂上がりにバスタオル1枚」のフレーズがよみがえって全身が反応する。
『忘れてよ~』(お願いします!のスタンプ)
「忘れたい…けど」(困った顔のスタンプ)
 そのあとの僕が言いたいことを何となく察したのか、
『…えっち…』(プンスカしているキャラのスタンプ)
なんて送ってくる。そして続けざま、
『慎吾くんも男の子だもんね…』(ジト目になっているキャラのスタンプ)
「ごめんなさい。寝て忘れる!明日以降話題にしないよ!」
『よ・ろ・し・く・ね?』
 伊緒姉と同じような、圧のあるちょっと怖い返答に僕は焦るけど、
「じゃ、そろそろ寝ることにしようか?」
と返事をすると、『私も眠くなってきたかな。お休み~』(おやすみのスタンプ)って返ってきたから、僕も「おやすみ!」(Good eveningのスタンプ)と送って、スマホをベッドに放り投げた。
 うっかり口を滑らせないように注意しないとな…。
 僕はそう思ってトイレに行き、ベッドに潜り込む。スマホでちょっとだけ音ゲーをしてから眠りに就いた。

 そして、あっという間に1週間が過ぎて、土曜日の朝。
 実のところを言うと火曜日の朝、黒を基調としたブレザーの、新しい制服を着た更紗さんは、セーラー服を着ていたときと全く雰囲気が変わってとっても凜々しい雰囲気をまとっていて、僕はしばらく見惚れてしまっていた。「どうしたの?」と言われるまで、軽く口を開けて惚けてしまっていたみたいで、更紗さんはしばらく僕のその顔でしばらく笑いが止まらなかった。
 もちろん学校でも話題になって、「セーラー服の大原さんもとっても良いけど、学園制服の大原さんは格好いい」とクラス内外の男女から少しばかり注目を浴びていた。
 ただそれも、ほんの2,3日のことですぐに見慣れていったせいか、木曜にはほぼほぼいつも通りの状態に戻る。ちなみに、月曜日の約束通り、僕は火曜日以降あの話題については一切触れることなく過ごす事ができて、更紗さんも機嫌良くいてくれる。
 今日は午前中部活があり、そのあとは市民体育館でバドミントンコートを1面借りて一緒に練習する約束だ。
 朝8時半にいつも通り、いつもの場所で待ち合わせて学校に向かう。更紗さんは、先週伊緒姉からもらったTシャツを着ている。伊緒姉には少し大きめのサイズで買ったから、更紗さんには丁度いい。更紗さんは、本当に何を着ても似合う。伊緒姉からもらったTシャツはピンク生地に赤のプリントだけど、それがまたいつもと違う雰囲気をまとって、制服の格好いいから、とても可愛いに変化する。「めっちゃ似合ってる」と僕が言うと、「ありがとう。お姉さんにもお礼言ってもらえるかな?」と返してくれて、僕は「もちろん」と言いながら二人並んで歩き出した。
 そして、学園への道すがら、途中で幸弘に会った。
「お、幸弘、部活か?」
 僕が話しかけると、幸弘は右手を挙げて挨拶に答える。
「おう、慎吾。これから部活。お前達もだろ?」
 僕と更紗さんは、『もちろん』とハモる。そして、3人は笑う。
「ホント、息の合った二人だ。これでまだ付き合ってないなんて、嘘みたいだけどな」
「…一緒にいて心地良いのは確かなのだけど、それが好きって事とは違うように思うのだけど、どうかな?」
 更紗さんの言葉に、幸弘は応える。
「まぁ、『好き』の形は決まったものじゃないと思うけどな。大原さんが納得するまで考えれば良いと思う。慎吾はこの人と決めたら一途だから、ずっと待っててくれるよ」
「おい、幸弘…」
 僕は幸弘の台詞に焦って呼び止めて、話題を強引に変える。
「お前こそ、夢衣とはどうなってるんだ?見た感じ、まだアプローチしてないみたいだけど?」
 そう僕が言うと、幸弘は
「まぁ、少しずつな。俺も距離を取られていたから少しずつ距離を縮めるには、焦ってはいけないと思ってる。ただ、お前もそうだったと思うけど、ライナーでの会話は増えてきたよな」
 そうだ。あの事件の解決後、更紗さんが幼馴染みグループに入ってきたことでグループライナーが賑やかになった。それとともに、グループ名も「幼馴染み」から「楽しい仲間」と変わった。それと、夢衣から来る個人的なライナーが今週は2,3回くらい、この前読んでいたラノベの話題を中心に届くようになっている。それまでは、個人的なライナーは、全くなかったんだけど、それは幸弘も同じだったようだ。
「そうか、それなら良いんだ。僕も、できればアシストしたいと思ってるよ」
「ああ、それはありがたい」
「私もね。夢衣ちゃんは儚い印象があるから、強い人がついていると良いと思うし、それが矢野くんならなお良いと思う」
 僕たちのアシスト宣言に、幸弘は笑って、
「上手くいった暁には、4人でダブルデートだな。絶対叶えるよ」
と言う。その力強い宣言に、僕も勇気をもらえた気がした。
 そして、玄関前で幸弘と別れたあと、部活へ。今日は、男女合同練習日だ。

「だからといって、お前達イチャイチャしすぎだろ。これでまだ付き合ってないなんて嘘だろ?」
 部活後、部室で着替えていると尋路が僕に言ってくる。確かに、合同練習日だからと言ってほぼずっと更紗さんとペアで基礎打ちからフットワーク、筋トレの各トレーニングをしていてしまったから、そう思われてしまうのも仕方がない。かといって、イチャイチャしていたわけではないと思うのだけど。
「そんなにイチャついていたか?僕と更紗さん」
「まぁ、真剣に練習していたなぁとは思うよ」
 僕と尋路の会話に、芹沢も入ってくる。
「でも、頻度の問題かなぁ。尋路と五十嵐のペアですら、そこまでずっと一緒にいなかっただろ?なのに、お前と大原さんはほぼずっと一緒にいたから、そりゃ、イチャイチャしてると思われても仕方ないと思うけどね」
 芹沢にそう指摘されると、確かにずっと一緒にいすぎたなと反省する。
「それもそうか…すまん。次から気をつける」
「まぁいいって事よ。でも、お前と大原さんが組んだダブルス、そこそこ上手かったと思うぞ。二人とも中学や高校から始めた割には上手い方だから、俺と則子で組んで今度ミックスやってみないか?」
と、小学校低学年からやっている尋路に言われて悪い気はしなかった。「ああ、そのうち是非ともやろう」と言って、僕は部室を出る。
「それじゃ、お先に」
 部室を出ると、もうそこには更紗さんがいて、五十嵐さんとおしゃべりしながら待っていてくれた。
「あら、尋路は?」
 五十嵐さんが僕に問いかける。
「もうすぐ出てくるよ。五十嵐さんは、更紗さんと何話してたの?」
「これから、お昼ご飯食べて市民体育館でまた練習するって聞いたから、二人はタフだなって」
 そういう五十嵐さんに更紗さんは、
「月曜日に動画見てもらって、その練習を個別にしたいねってなったんだ。だから、今から行ってこようと思ってるんだ」
「それって、デートってこと?」
 五十嵐さんの言葉に、「そういうこと。月曜日に約束した時、『初デートが体育館でバドミントンだなんて、私たちらしいかもね』みたいなこと話したんだ」と更紗さんは少し顔を赤くして答えた。僕の顔はそれよりも赤くなっていたことだろう。
「ふ~ん、それで『まだ付き合ってない』なんて、説得力ないよね。前にも聞いたけど、大原さんは男の子と言うか、東条くんを『好き』になる気持ちがどんなものかを感じたいのよね?」
「ええ、そうなの」
「それって、人それぞれ違うから何とも言えないけど、私の場合は『尋路といることが何よりも楽しくて、心地いい』ということなんだよね。対等な立場でいるけど、その状態がとてもお互いに平和でいられることなんだよね」
 五十嵐さんは、自分なりの『好き』という感情を話してくれる。それは、僕も何となく分かる。でも僕の場合はそれだけじゃなくて、つい口を挟んでしまう。
「僕の場合は、それにプラスして、いろんな表情を見せてくれる更紗さんの姿にドキドキする。可愛かったり、格好良かったり、たまに見せる悪戯っぽい表情なんて、僕は特にドキドキして見惚れちゃう」
 思っていることを本人を目の前にして言ってしまったものだから、更紗さんは顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「慎吾くん、最近とっても私のことを可愛いとか好きとか言ってくれることが多くなったから、なんだか照れる…」
 更紗さんはそう言って五十嵐さんの後ろに隠れた。だから、そういう言動が一つ一つ可愛くて尊いんだって!
「大原さん、でもそう照れるってことは、あなた自身満更じゃないんだよね?」
と五十嵐さんが畳みかける。更紗さんは、
「うん、悪い気は、しないよ。最近の慎吾くんは本当に私への好意をストレートに言ってくれるから、つい嬉しくなる」
と言うものだから、五十嵐さんは、
「うんうん、そういう気持ちが、少しずつ『好き』という感情になっていくといいんじゃないかな?もっとも、私と尋路みたいに、もう5年も付き合っているとなかなかドキドキしたり照れるっていうことも減ってくるけど、やっぱり時折見せる格好いい表情とかは惚れ直すわよ」
と言って、更紗さんを自分の背中から引っ張り出す。
「さ、これからデートなら、さっさと行く行く!楽しんできなさい。一緒に行こうなんて無粋な真似はしないから」
 そう言いながら五十嵐さんは、更紗さんの背中を押して僕の目の前に連れてきた。
「じゃ、行こうか?」「うん、そうしよう」
 僕たちは顔を赤くしたまま、五十嵐さんに「それじゃあね」と手を振って歩き出した。
 次の月曜に、尋路から『その会話に俺も混ぜろよな』と残念そうに言われたのはまた別の話。

 学園を出て、ファミレスに向かう。スマホで時計を見ると、12時半を過ぎている。ファミレスまでは歩いて5分ほど。結構近い位置にあるから、学園の生徒もこんな土日に多数利用する。
 ファミレスに到着して僕は扉を開け、更紗さんを先に入れる。「ありがとう」と彼女は言って、店内へ入っていく。「何名様ですか?」という店員さんに「二人」と告げるけど、やっぱり土曜日の昼なので学園生徒はじめ、親子連れでそれなりに賑わっており、10分ほど待つ羽目になった。先にメニューを受け取り、「まぁ、仕方ないよね」と二人で苦笑いしながら、待機スペースのソファに並んで座って、お互いにスマホをチェック。
 ゲームアプリの昼通知が来ていたけど、取りあえずそれは無視してメニューを開きながら更紗さんの顔を見る。すると、ちょうど彼女もチェックが終わったようで僕の方を見て、視線がぶつかる。
「何食べるの?」
 更紗さんは僕に聞く。
「う~んとね、僕はカルボナーラ大盛りのランチセットかなぁ。更紗さんはどうする?」
 僕はメニューを渡して尋ねる。更紗さんはしばらくメニューを見て、
「さすが男の子。私は、8種類の野菜盛りサラダランチセットにするわ」
と答える。
「食べてからまた動くけど、大丈夫?」
「うん、大丈夫、大丈夫。このサラダ、お肉も入っているみたいだしバランスは悪くないと思うの」
「そっか」
 もう少しだけ待つと、「2名でお待ちの東条さま~」と呼ばれ、席に案内される。二人並んで座り、席についてすぐ店員さんを呼んで決めていたメニューを注文する。料理が運ばれるまでの間、僕たちはスマホでOurTubeのバドミントン動画を見て(もちろん、二人でイヤホンをシェアして)、もう一度ステップの取り方を確認する。
「フットワークを延々やっていくから、結構きついと思うね」
「あ、慎吾くんでもそう思う?」
「だから、上手く休憩を入れながら、あまり無理せずやっていこう」「ええ」
 料理が運ばれて、僕たちは食べ始める。いったんバドミントンの話題は置いておいて、僕の誕生日の話題になってから気になっていたことを今更ながら聞く。
「そういえばさ、更紗さんの誕生日はいつなの?今日の帰りに僕の誕生日プレゼントを見繕ってくれるから、僕もちゃんとお返ししたい」
 すると、更紗さんはもぐもぐと口を動かし、口の中の食べ物を飲み込んでから、
「結構先の話だよ。8月5日」
 と答えてくれた。来年の夏か…長いなぁ。
「ホント、先だね。夏休みか…受験生になるけど、海とか気持ちいい季節だね」
 僕の何気ない一言に、更紗さんは目を輝かせる。
「そうね。あまり海水浴に行ったことないから、行ってみたいかも」
 それなら、と僕は提案する。
「じゃ、来年の更紗さんの誕生日は海に行くと言うことで。二人だけでもいいし、もしもの話だけど、幸弘と夢衣がくっついていたら、二人も誘って四人で行こうよ」
 すると、更紗さんは笑顔を見せて、
「鬼が笑うよ」
 そんなことを言って、僕たちは笑って、昼食を平らげた。
 そしてファミレスを出て、少し離れた市民体育館へ、歩けば10分ほどの距離。
「やっぱりこういうときは自転車があるといいなぁ。さ~っと行けるから」
 更紗さんはそう言って、自転車を押している僕に「ゴメンね」と手を合わせるけど、
「いや全然。こうして一緒に歩いている時間が、僕はとても楽しいし、いつまでも続くといいなぁって思うときもあるんだ」
「…本当に、どれだけ私のこと好きなのよ…」
 更紗さんは僕の台詞に赤くなって照れ顔になる。
「学園の中で一番、いや、この世界で一番と言いたいね」
 臆面もなく言う僕に、更紗さんは、
「…バカ」
 なんて赤い顔のまま言うから、本当に可愛い。でも、今自分が言った台詞が相当恥ずかしかったことを自覚してしまい、慌てて話題を変える。
「そういえば、3週間後にある大会は、今から行く体育館でやる予定なんだ。だから、予行演習になると思うよ」
 そう、市民体育館は、今度の秋季大会の会場だ。この会場だけでなく、近くにある臨魁学園の体育館もすべての体育館を使って行われる。男子は学園、女子は市民体育館だと説明すると、
「会場離れていると、応援に行けないよね。残念」
と更紗さんは言う。僕は頷いて、
「距離があるから仕方ないね。でも、ライナーで情報交換はできるから、そこで応援するしかないと思う」「うん、分かったわ」
 なんておしゃべりしながら歩いて、体育館に到着。時間は14時近くになっていた。でも、自分の中ではだいたい予定通りだ。
 受付でバドミントンコート1面を2時間で借りて、ネットをセッティングする。
 僕たちから離れているところには、3台ほど卓球台が出ており、年配の方が7,8人ほどプレイしていた。
「それじゃ、まずは動画を見ながらフットワークの練習だね」
 僕たちは、一つ一つの動作を確認しながらフットワークの練習をする。中央から前、中央から右前、同じく左前…基本的な動きを、本番をイメージしながら足を運ぶ。
 30分ほどかけて15回1セットを交互に2セットずつやると、もう汗だくだし、足も結構張ってくる。
「更紗さん、大丈夫?」
 僕は結構疲れてきたので、更紗さんに尋ねる。彼女も結構キツいようで、
「いったん休憩していいかな?飲み物買ってくるけど、何がいい?」
と何気なく僕に気遣ってくれるから、僕はその言葉に甘える。
「普通に、スポドリがいいな。お金、後で渡すね」
「うん、分かった」
 更紗さんは体育館の外にある自販機に向かった。
「ふぅ」
と汗をタオルでぬぐって、彼女の帰りを待つ。そして、彼女のフットワークをしている姿を思い出す。…やっぱり揺れてたダメだとは思うけど、つい目が行ってしまっていたのは内緒だ。…でも、バレてたかもしれないけどって、そこじゃなくて、
「前の動きは、少し突っ込みすぎる時があるけど概ね問題なさそうだな」
なんて邪念を払いながら考えるんだけど…5分くらい待っても戻ってこない。ちょっと戻ってくるの遅くないか?ちょっと周りを見ると、いつの間にか卓球台は片付けられていて、体育館には今、僕一人しかいない。
「…遅い。探そう」
 僕は体育館から更紗さんが出て行った扉を開ける。少し歩けば、自販機コーナーがあるのだけど、その目の前にはソファが置いてあり、さっき卓球をしていた年配の方々が座っていた。その輪の中に、更紗さんがいる。その手には、頼んだスポーツドリンクと、おそらく更紗さん自身が選んだであろう水が握られていた。
 質の悪いナンパに引っかかったり、体調が急に悪くなったりしたわけじゃなかったことに僕は少しホッとして、その輪に近づく。
「お~い、更紗さ~ん」
 僕が呼びかけると、更紗さんは「あ、慎吾くんごめん!」と僕の方を向いて謝ってくれる。
「どうしたの?」僕が尋ねると、
「おや、この子の彼氏かね?」とちょっとふくよかな女性が僕を見て更紗さんに聞く。
「まだそんな関係じゃないんですけど、クラスメイトで席が隣なんです。部活も一緒で」
と更紗さんは答える。
「こんな別嬪さん、男がほっとくわけないからねぇ」なんて別の女性からいわれて更紗さんは「そんなことないと思いますけど」と照れ顔になる。
「いやいや、儂がもう50若ければのぅ」と別のスキンヘッドの親父さんがガハハと笑う。そんな親父さんの頭を最初に話した女性はスパーンとはたいて、「何言ってるんだい、このエロ親父!ほら、さっさと帰るよ。二人のお邪魔になっているだけじゃないか」
「何を、最初にこの子に話しかけたのはお前じゃないか」
 …夫婦喧嘩は他所でやってくれませんかね?なんて思いながら、僕と更紗さんは「ははは」と苦笑いをして、「それでは、練習に戻りますね」と言って体育館に戻る。
 僕たちの背中には、「二人とも、頑張りなさいよ~」「おい、そこの男の子、頑張って手放さないようにな!」と励ましの声が届く。僕たちはもう一度、年配の方々の方を向いてお辞儀をし、今度こそ体育館に戻った。
「ゴメンね、急にあのふくよかな人に『なんてきれいな子なんだろ』って話しかけられたの。上手く乗せられてしまって戻れなくなっちゃった」
 更紗さんはそう言って両手を合わせようとして、ペットボトルを両手に持っていたことに気づいて僕にスポドリを渡してくれる。
「ううん、いいよ。遅かったから心配したけど、悪いことが起きたわけじゃなかったから良かった」
 僕は更紗さんからスポーツドリンクを受け取って、「ありがとう」と言いながらキャップを外し、一口飲んだ。
「もうちょっと休んだら、練習再開しよう」
 更紗さんの言葉に僕は頷いて、「あとは後ろのフットワークだね。そのあとは自由に打とうよ」と言う。更紗さんも僕の言葉に頷いてくれた。
 そして、フットワークの練習が終わると借りている2時間のうち1時間が過ぎてしまった。
 僕たちはもう一度休んで、自由に打ち始める。
 更紗さんは女の子にしてはスマッシュが速く感じる。また、コントロールもかなり的確で、高校に入ってから始めたとは思えないくらいしっかり打てている。
 特に前に落とすカットやドロップが絶妙なところに決まると僕は何度か取り損ねる。正直、あなどれない。
 負けたくない思いがどうしても先走ってしまって、甘い球が来るとスマッシュやプッシュを思いっきり打ってしまい、更紗さんは「もう、大人げないなぁ」なんて不満を口にしてしまうけど、僕は「ごめん!つい」と返すと「いいよ。慎吾くんって、意外と負けん気が強いんだね」と言って、楽しそうにプレイしてくれる。体育の授業はマラソンしかしていないから、普段の運動の様子は部活でしか分からないのだけど、運動神経はかなりいい方だと思う。
 性別の違いはあるにせよ、良き競争相手としてバドミントンをしている。その一方で更紗さんと一緒にプレイするのは楽しくて仕方がなかった。
「ある程度打ったし、シングルスしようよ。21点2ゲームマッチでさ」
 僕が提案すると、更紗さんは頷いて、
「手加減なしだよね?」
と言うものだから、僕も「ああ、そのつもり」と返してジャンケンをする。
 勝ったのは更紗さん。僕はシャトルケースから取り出した新しいシャトルを彼女にラケットで打って渡す。フワッと浮いたシャトルは更紗さんが同じようにフワッとしたラケット捌きで受け取った。
「それじゃ、やろうか」
 僕たちはラケットを構える。
「ファーストゲーム、ラブオール、プレイ!」
 更紗さんの声が体育館に凜と響いて、彼女は大きくサーブを打った。
 僕は軽くステップを踏んで、シャトルに追いつき、斜めにハイクリアを打つ。打ってあらすぐにコートの中央付近に戻り、彼女がシャトルに追いついて打つ瞬間、フッと両足をほんの一瞬だけ宙に浮かせる。
 パシッと彼女のラケットから放たれたらシャトルは、ストレートのハイクリア。僕は宙に浮かせた右足を先に着地させてすぐ左後方に蹴り出す。そして、シャトルに追いつくと腰をひねって逆側へクリアを打った。
 更紗さんはちょっと意表を突かれたのか、前のめりになっていたが、何とか追いつこうとコートを走る。何とかバックハンドで追いつくと、シャトルをコートの前の方に落としてきた。
「うぉっ」
 結構山なりで緩やかなドロップショットだけど、コートの真反対にいた僕は追いつこうと必死にダッシュする。しかし、シャトルはネットに当たって僕のコート側に力なく落ちた。
「うわぁ、ナイスショット!」
 僕は思わず感嘆する。
「まぐれよ、まぐれ」
 ちょっと嬉しそうに、更紗さんは言う。いやいや、まぐれだけであれは打てない。
「でもね、ちゃんと練習しているからこそできるんだと思うよ」
「そう?ありがとう」
 なんてやりとりをしながらゲームをする。やはり、3年の経験の差と男女の体格とスタミナの差というものが徐々に現れてくる。先に肩で息をし出したのは、更紗さんだ。とはいえ、僕もだんだん息が上がってくる。この体力的に辛い時が我慢のしどころなんだけど、僕の悪癖である、疲れてくるとシャトルを感覚で打つことが、ミスを誘発する。
 最初は僕が優勢にゲームを進めていたのだけれども、ミスが増えてきて徐々に追いつかれそうになる。…自分にとっては悪い流れで、どんどん更紗さんの気合いが乗ってきているのが、サーブを打つ前のかけ声や、更紗さんがポイントを取ったときに上げる「やー!」の声の大きさに表れている。僕も負けじとサーブを打たれる前に大声で「ストップ!」と声を掛け、自分に気合いを入れる。
 そんな感じでゲームは進み、結局1ゲーム目は20-17で僕のゲームポイント。
 最後だから何かしら仕掛けたいと、僕はここでサーブを変える。それまでは通常のフォアでのサーブだったけど、バックにラケットを持ち替えて構える。すると、更紗さんに少し迷いの表情が見えた。女子のシングルスでバックサーブを打つ人はほとんどいないから困惑するのも分かる。前に落とすと見せかけて、速く、後方へサーブを僕は放つと、更紗さんはびっくりした顔をして跳ぼうとする。
 しかし、それは一瞬遅く、更紗さんのラケットの少し上をシャトルは通過し、コートの中に落ちた。1ゲーム目は、僕の勝ちだ。
「あ~あ、空振りしちゃった」
 テヘッといった感じで更紗さんは右の拳をこめかみに当てた。…その顔、可愛すぎます!
 でも、思いの外競っていたので、1ゲームするのに30分以上かかり、借りている2時間の10分前になる。2時間の約束でも、「2時間経った時点で、他人に譲り渡せる状態になる」ことが必要なので、実際片付けの時間は10分ほどほしいから、残念だけど、ここで打ち止めだ。
「あら、もう時間なんだ。更紗さん、片付けよう」
「あ、うん。分かった。でも、ちょっと悔しいなぁ。部活の時から思っていたけど、慎吾くんって結構ミス多いよね。それも単純ミス」
 僕たちはネットを外して畳み、ポールも一緒に器具室へ運ぶ。
「そうなんだよね。シャトルを見ているつもりで、見ていないんだろうね。悪癖なのは十分分かってるよ」
「それなら、ミスを減らしていかないと。」
「そうだね。疲れてきたときの視線に気をつけるのが、昔も今も課題。成長してない」
と、僕は苦笑してモップを2本出し、1本を更紗さんに渡す。
「ありがと」
と更紗さんは言って、使ったバドミントンコートの端からモップがけをする。僕は反対側からモップをかけ、中央で一緒になるようにペースを合わせた。
「やっぱり安物だから、羽ボロボロ落ちるよね」
 そう、ネット通販で購入した安物だから、羽そのものも揃ってない上、耐久力もなくて、実質45分くらいしか打ってないにもかかわらず4個くらい消費してしまった。
「安いのをどんどん使うか、高いのを少しでも長く使うかって、難しいね」
 更紗さんがそう言うので、僕は、
「コスパの面では、正直、どっこいどっこいな気がする。ただ、シャトルの飛びを考えると、高い方が良いかもしれないね。次は、部活でも使っている奴を買ってみようかな?」
 なんて言って、ほうきとちりとりでゴミを集めて、ゴミ箱に捨てる。
 そして、ラケット、シューズ、シャトルを片付けたバドミントン用のバッグを肩に担ぎ、アリーナから出るときには、一度180度身体を体育館内に向けて、「ありがとうございました」と二人揃って挨拶をしてからアリーナから出た。
 そして、少し自販機前のソファで少し話しながら休む。話した内容は、明日の次の日曜日に組まれた練習試合のこと、秋季大会の団体メンバーに選ばれるかどうか、選ばれなくても、個人戦は出してもらえるのかとか、バドミントンのことがメインだった。
 二人とも不安もあるけど、練習試合自体は楽しみだし、どんな結果になってもベストを尽くして頑張っていこうと話したんだ。
 その話がちょっと長くなって、30分くらい話をしてしまった。時間は16時半。
「今日は晩ご飯の当番じゃない?」
 僕が聞くと更紗さんは首を横に振って、「今日は綸子だから、ちょっと遅くなっても大丈夫。でも、最近暗くなるのが早くなってきたし、18時には帰っていたいかな」「OK」
 そんなやりとりをして、僕たちは最後の目的地である家電量販店へ向かう。城西商店街からほど近いところにあるので、帰りは楽なはず。元々は、地元で創業した家電量販店だけど、それなりに支店を増やしたところで、全国展開している家電量販店のグループ傘下に入ってしまった。それでも、サービス内容などはあまり変わっていないので、東条家は贔屓にしている。
「へぇ~、こんなお店があるんだね」
 地元中心の家電量販店だから当然、更紗さんは初めて足を踏み入れる。
 エントランスに入ってすぐにエアコンやテレビが数台ディスプレイされているが、その横にエスカレーターがあり、実際にあまたの商品が陳列されているのは2階と3階だ。
「ワイヤレスイヤホンってどこかな?」
 目的のものはどこなのか更紗さんは僕に問いかけてくる。僕はだいたいこの店の配置は覚えているので、
「2階だね。エスカレーター上がってから左に少し行ったところ」
「覚えてるの?」
「うん、ここは贔屓のお店だから、覚えているよ。あ、ちょっとエスカレーター上がったらポイント入れるから、ちょっと待ってくれる?」
「ええ、いいわ」
 そして、僕たちはエスカレーターを登り切って2階に到着する。目の前には、来店者ボーナスポイント進呈機があり、そこにスマホアプリから会員証を呼び出してバーコードを読み込み箇所に当てる。
 画面にルーレットが表記されて、回る。…1つも揃わず、1ポイント進呈された。
「何でもかんでもアプリなんだねぇ」
更紗さんは僕を見てしみじみ語る。僕は、
「そうだね。ほぼほぼアプリ一つで終わる時代になってきてるよね。それはいいかどうかは置いておくけど」
「そうよね。アナログなやり方も残してほしいもの」
 そう言って、僕たちは笑う。
 イヤホンコーナーにたどり着くと、僕たちはまず少し離れて相場をチェックする。大きい会社から出ている良い性能のものは、2万円や3万円もする一方で、それなりに聞く会社は3千円くらいから1万円くらいまで取りそろえている。
 僕は、音にそこまでこだわりがないから、ある程度綺麗に聞こえていれば問題ないので、安く手に入れられればと思っている。
 カラーバリエーションも、安い方が色が多い感じに見える。プレゼントとしてもらうのなら、自分が好きな色だと良いなぁと思っていたから、青系や緑系の色がないかと探す。
 すると、卵を横長にしたような形の青いケースのものを見つけた。
 あまり聞いたことのない会社だけど、デザインが気に入った。値段も3千円くらいでお手頃だし、何より薄い、水色に近い青という色に惹かれた。
 僕がそのイヤホンを手にとってパッケージをくまなく見ていると、更紗さんが僕の元に戻ってきた。
「あっちの方のイヤホン、高級メーカーの品みたいで、どれも高かったよ~ってあれ?慎吾くん、どうしたの?それ、気に入ったのかな?」
 更紗さんは真剣な目でパッケージを見ている僕の顔をのぞき込む。僕は彼女と目を合わせる。
「うん、気に入ったよ。値段もそんなに高くないし、良いと思う」
 そして、僕はその製品を更紗さんに手渡す。
「へぇ~このイヤホンのどこが気に入ったの?」
「まずは、色。水色っぽい青って、良いなぁって。後は充電器の形も他のと比べると曲線が多くて個性的でしょ?そこが気に入った点だね」
 すると更紗さんは笑顔になって、
「じゃぁ、これ、明後日プレゼントするね。楽しみにしていてね」
と言って、製品を持ったままレジへ向かう。僕は、
「ありがとう」と言ってからあることに気づいて更紗さんに話しかける。
「そう言えば、この店初めてで、ポイントカードまだないでしょ?作ってもらったらどうかな?」
「あ、そうね。作ってもらうわ」
 そんなやりとりをして、レジで更紗さんはポイントカードの説明を受けて新しくポイントカードを作成してもらう。その上で、改めてイヤホンを購入した。
「ありがとう、明後日が楽しみだよ」
 僕は更紗さんにお礼を言って、二人並んで下りのエスカレーターに乗る。
「いいえ、どう致しまして。それと、誕生日の日って、おうちではケーキとか食べたりするの?」
 そう言われると、何か期待してしまいそうなんだけど、
「晩ご飯は家で食べるよ。でも、ケーキは食べないかな。伊緒姉も晴兄も誕生日が来てもケーキを食べるような歳ではないから、僕も自動的にそんな感じになってる」
「でも、プレゼントはもらえるんでしょ?」
「高校生になった去年はスマホ決済で使えるギフトカードになったなぁ。たぶん今年も、1万円のギフトカードだと思う」
「そうなんだね。ありがとう」
 ちょっと何か言いたげな感じだったけど、そこで突っ込んで話をするのもどうかと思ったから、そこでは何も言わず帰路につく。
 時間は17時になるところ。今から帰れば18時には余裕で着く。
「送ってくよ」
 僕はそう告げて、更紗さんと店を出て並んで歩く。
「そう?ありがとう」
 更紗さんはイヤホンをラケットが入っているバドミントン用のバッグに入れて、それを背中に担いだ。
「今日一日、楽しかったぁ」
 そして、彼女はう~んと背伸びをしながらそんな嬉しいことを言ってくれた。それは僕も当然思うことで、
「僕も楽しかった。特に午後は二人でずっと好きなことをして、プレゼント買ってもらって、言うことなしの1日だったな」
 僕はそう言うと、更紗さんも笑顔になって、
「うんうん。今日1日一緒に過ごしてね、『好き』って言うのがすこ~しだけ分かった気がする。一緒にいて楽しい、バドミントンで手加減してくれないことも、私を認めてくれているようで嬉しかった。夢衣ちゃんや紗友梨さん、和子さん達と楽しく過ごす時間も本当に楽しいのだけど、慎吾くんと一緒に過ごす楽しい時間はね、彼女たちと過ごすよりも、もっと楽しくて、そしてね…」
 更紗さんは笑顔のまま、顔を赤くする。
「少し、ドキドキするんだ…」
 そう言ってくれる彼女の顔がとっても愛しい。更紗さんへの『好き』がまたアップデートされる。
「ありがとう更紗さん。自分の気持ちの変化を教えてくれて。僕も、そんな更紗さんのことをずっと見ていきたいと思っているから、もっともっと、同じ時を過ごしたいな」
「もう、またそんなこと言って」
 僕たちはお互いに照れ笑いをしながら歩いているうちに、アパートが見えてきた。
「それじゃ、今日はありがとう。また来週だね」
 僕が言うと、更紗さんは、
「そうね。明日は夢衣ちゃん、紗友梨さん、和子さんを家に呼んでいるからちょっとライナーとかも昼は返事できないと思うの、ごめんね」
「それは全然問題ないよ。楽しんでね」
「うん、ありがとう。やっぱり慎吾くんは、私の気持ちを優先してくれる。紳士だね」
「ははは」
 僕は、更紗さんの言葉に顔を赤くする。
「じゃ、今度こそ。バイバイ」
「うん、バイバイ」
 楽しい一日は、そこで幕を下ろした。

 そして、週が明けて月曜日。更紗さんが転校してきてちょうど2週間。そして、この日は僕の誕生日。17歳になった。
「慎ちゃん、誕生日おめでとう」
 晴兄、父さん、母さん、そして珍しく起きてきた伊緒姉まで僕におめでとうと言ってくれる。僕は皆に「ありがとう」と伝えて朝食を食べる。
 リビングから見える外の風景は、雨。せっかくの誕生日なのについてない。
 今日は自転車では行かない方が良いな。歩いて行こう。そう考えると、少し早めに出る必要がある。更紗さんとの待ち合わせ時間は、7時半ちょっと過ぎたあたり。今は7時20分。そろそろ出発しよう。
「じゃ、ちょっと早いけど行ってくるよ」
 僕はそう言って、家を出る。家族からの「行ってらっしゃい」を背中に受けて、傘を差してあめのひにいっしょ歩き出した。
 少しばかり粒の大きな雨が傘を叩く。ちょっと気が滅入りそうになるけど、更紗さんに会って、いつもの日常を送れるんだと思うと、気持ちは晴れやかになる。特に今日は僕の特別な日。更紗さんからワイヤレスイヤホンをプレゼントしてもらえるとっても嬉しい日なのだから、しけた顔なんかしていられない。少しばかり早めに歩を進めていつもの場所に先に着く。
 更紗さんを待っている間、今日一日の授業や部活の内容を考える。そのうち、更紗さんがやってきた。
「慎吾くん、おはよう。そして、誕生日おめでとう!」
「更紗さんおはよう、そして、ありがとう!」
 僕たちはお互いに笑顔を見せて挨拶をし、並んで歩き出す。
 雨が降る日にこうして一緒に登校するのは実は初めてなのだけど、雨が降るという事実だけがいつもと違うだけで、いつもと違う違和感に襲われる。
 それはたぶん、距離感。
 いつもなら、もう少し近い距離で並んでいるのに、傘を差していることで、いつもより並んでいる僕たちの距離が遠い。たった数十センチのことなのに、本当に遠く感じてしまう。
「雨の日に一緒に行くのは初めてだよね」
と更紗さんが声をかけてくれる。僕は頷いて、
「そうだね。結構良い天気が多かったからね。でも、傘を差しているから、更紗さんが遠く感じる」
と、さっき感じたことを素直に口に出すと、更紗さんは笑う。
「そんな大げさな。と言いたいところだけど、確かに違和感感じるね」
 僕は、我が意を得たりといった表情で
「でしょ?いつももっと近い距離で話をしているのに、遠いなぁって感じるんだ」
「…確かに、違和感の正体はそれなのかもしれないね。あと、慎吾くんが自転車を押していないのも、違和感ある」
「あ、それは確かにあるのかもしれないね」
 そんなことを言いながら登校する。
 登校して、靴を履き替え廊下を歩くようになると、いつもの距離感になる。お互いの腕同士がもう少しでふれあいそうな距離。これが、今の僕たちの距離感だ。
「うん、これが一番落ち着く」
 僕が言うと更紗さんも頷いて、
「そうね。安心できる距離だね」
 と言って微笑む。
 そして教室に入って授業の準備をしてから、僕たちはまた話し始める。
「そう言えば、幸弘と夢衣って遅くないか?」
 ふと気になったことを言うと、更紗さんは、
「夢衣ちゃん今日はお休みだよ。風邪引いちゃったんだって」
 ライナーで起きてすぐ聞いた情報なのだろう。グループライナーには、そんな情報は入っていなかったから、個人的なやりとりの中で知ったと言うことだろう。
「幸弘は知っているのかな?」
 僕が更紗さんに問いかけると、彼女は首を縦に振る。
「矢野くん、最近夢衣ちゃんに朝の挨拶を毎日するようになってきたらしくて、今日もその挨拶に『風邪引いて学校休みます』って夢衣ちゃん返したそうなの」
「なるほど…」
 であるならば、幸弘はもしかしたら夢衣の家に行ったのかもしれない。遅刻をする奴じゃないから、そこはちゃんと学校に来ると思うが、その前に夢衣の様子を見に行ったとしても、不思議じゃない。
「幸弘も、やっぱり夢衣が好きなんだよな。少しずつ距離を縮めてる」
 先週の様子を見て慎重そうに見えたけれども、心配だからどうしても行きたくなったんだろうな。
「そうね。夢衣ちゃんも迷惑じゃないことは確かだと思うの。だって、ライナーでさっき言ったように矢野くんが朝の挨拶をするようになったって伝えて来た時にね、嬉しそうなスタンプが送られてきたから。だから、矢野くんが夢衣ちゃんの様子を見に行っても不思議じゃないな」
「そうか。なら、夢衣のことは幸弘に任せよう。今日の連絡物や宿題とかも、放課後持って行ってもらえれば良いんじゃないかと思う。…それにしても」
 更紗さんは僕の最初の言葉に同意して頷くが、「それにしても」の言葉に不思議そうな顔をする。
「どうしたの?」
「夢衣って、身体が丈夫な方じゃないんだ。小学校の頃はよく休んでた。だから仕方ないんだけど、今でも年に2,3回は休んでるな。そう言えば、昨日は更紗さんの家に遊びに来たんだよね?」
「あ、そうなんだね。そうね、昨日午後1時くらいから和子さん、紗友梨さんと一緒に来て、5時くらいまで遊んでいたわ。帰る頃にはちょっと冷えてきていたから、もしかしたらそれで風邪を引いちゃったのかな?」
 更紗さんはバツの悪い顔をするけど、
「いや、更紗さんの家で遊んだことと夢衣の風邪は直接的な原因ではないと思うから、更紗さんが悪いことをしたなと思う必要はないと思うよ。きっと、夢衣もそう思ってる」
「だと良いけど」
 すると、そこに幸弘が入ってきた。時間は、朝のSHが始まる5分前。結構ギリギリだ。
「おはよ、幸弘。夢衣のところ行ってた?」
 僕の挨拶に幸弘は頷いて、
「ああ、さすがに心配になってな。風邪を引いたのは久しぶりだから、俺が常備しているエナジードリンク系のゼリー渡してきた。放課後も部活のあとに行くと伝えたら、夢衣も『ありがとう、お願いします』と言ってくれたよ。まぁ、連絡は春日先生から行くと思うけど、授業内容だけでも教えてあげたいと思ってな」
 僕は「そうすると良いと思う」と言ったけど、更紗さんは「私も行こうかな?矢野くん、一緒に行って良い?」と言うものだから、僕も一緒に行った方が良いのか、迷ってしまう。でも、幸弘のアシストをするなら、僕は行かずに幸弘と更紗さんの二人で行ってもらった方が良いのだろうか?そう悩んでいると、幸弘と更紗さんの間で話が進む。
「部活の後だけど、大原さんはそれで良いか?」
「うん、それで良いよ。慎吾くんはどうする?」
 そして、更紗さんは僕にどうするか聞いてくるから、
「…迷ってる。幸弘と夢衣の時間に僕が行くのもどうかと思う一方で、行かなかったら薄情かなと思ったりもしてる。どうすると良いんだろう?」
 僕が素直に迷いを話すと、幸弘は
「じゃあ、一緒に来てくれよ。何せ『楽しい仲間』なんだからさ」
 ライナーのグループ名を出されると、確かにそうなんだよな、と思わせてくれる。
「了解。じゃ、19時過ぎに、生徒玄関集合かな?」
「そんな感じだな、よろしくだ」
 そこでチャイムが鳴り、学園の1日が始まる。

 放課後。部活の後の勉強会は、朝の幸弘との約束のためしないことになっていて、僕と更紗さんは幸弘を玄関で待つ。確かに、11月が目の前と言うこともあり、日が落ちるのも早くなってきているし、その分空気が冷えてくるのも早くなっているように感じた。特に今日は一日中雨が降っていたから、尚更暗くなるのが早かかったし、空気も冷たかった。
「ちょっと肌寒くなってきたね」
 僕が更紗さんに話しかける。すると彼女は、
「そうね。夢衣ちゃん明日には回復すると良いんだけど…」
と、ちょっと元気がない。
「もしかして、昨日遊ばなければ良かったとか、後悔とか、負い目感じてる?」
 僕が聞くと、更紗さんはちょっと難しい顔をして頷く。
「そうね…。4人で一緒にキッチンでわいわいしていた時は暑いなって思っていたけど、いざ帰るときになって外に出たらちょっと寒かったから…それで風邪引いちゃったのかなって思ってしまう」
「朝も言ったけど、それだけを原因にして、自分を責めないで欲しいな。自分を責めて苦しい表情かおをしている更紗さんを、僕は守りたいけど、あまり見ていたくない」
 僕の言葉に更紗さんは少しばかり目を見開いて、それから一旦まぶたを閉じる。
「そうね…自分を責めてばかりいても、起きてしまったことがなくなるわけじゃないものね。反省して、次に生かせば良い、いつも部活で言われていることね」
「うん、そうだね。更紗さんは、夢衣の身体がそんなに丈夫ではないことは、今日初めて知った。だから、これからは夢衣の体調を気遣うように気をつける、それで良いと思うんだ」
「…ありがとう。慎吾くんのその言葉、とっても納得できた」
 そんな会話をしているうちに、幸弘がやってくる。
「すまん。道場の鍵を職員室に戻しに行っていた分、遅れてしまった」
「ああ、大丈夫だよ」「うん、大丈夫だよ」
 やっぱり、僕と更紗さんの言葉がハモってしまい、僕たちは「えへへ…」と笑いながら顔を赤らめる。
「お~い、そこ。見せつけんなって」
 幸弘の突っ込みに、二人で両手を合わせて軽く詫びる。
「まぁ、いいや。さ、行こう」
 幸弘の声に、僕たちは頷いて靴を履き替え、玄関を出る。更紗さんを中央に、男二人が彼女の左右にポジションを取って、夢衣の家に向かう。
 夢衣の父親は小さいながらも会社の社長で、家もそれなりに大きい。でも、箱入りかというとそうでもなく、幼稚園からずっと僕や幸弘は同じクラスだったこともあり仲良く過ごしていた。
「へぇ~そこまで来たら、幼馴染みだけど、腐れ縁と言っても言いくらいなんじゃない?」
 僕たちが夢衣との関係の長さを話すと、更紗さんはそう言って笑っていた。
「まぁ、確かに腐れ縁と言っても言い過ぎじゃないな。皆で教職コースに入ったこともある意味奇蹟だし。夢衣って、幼稚園の先生になりたくて教職コースに入ったんだっけ?幸弘、そうだよな?」
 僕が幸弘に聞くと、「そうだな、『幼稚園の先生になりたいです』って小6くらいで聞いた記憶がある。あと、小学校の教員にもなれると良いのかなって言っていたな」と答えてくれた。
「さすが矢野くん、そうよ。昨日、夢衣ちゃん、和子さん、紗友梨さんと遊んでいたときに、その話題が出て、夢衣ちゃんはそう答えていたよ」
 更紗さんは、幸弘に対して感嘆して答える。幸弘は、「ありがとな」と更紗さんに笑いかけた。
「そっか…じゃ、更紗さんは文系か理系か決めた?」
と僕が聞くと、「まだ決まってないのよね」とちょっと困った顔。
「でも、それは慎吾くんも同じよね?」
 更紗さんは図星を突いてくる。幸弘は「まだ決めてなかったのかよ」と言うが、
「だって、数学か地歴かって全く方向性違うからね」
「そうね。文系か理系かで全然違うしね。私も理科と英語で揺れ動いてるし」
 どちらにせよ、文系と理系で分かれた段階で、クラスが別れてしまう可能性があるので、できれば一緒にいたいと思うのだけど。
「幸弘は、やっぱり文系か?」
 決まっているような雰囲気の幸弘に聞くと、「そうだな。夢衣もおそらく文系だろうし」と答える。楽しい仲間としては、文系にしたい気持ちもあるけどやはり数学も捨てがたい。もう少し考える必要がある。
「そう言えば、もうすぐ全国模試があるね」
 更紗さんが言うと、「そうだな、何で休みの日2日間も使うんだよ、たりぃ」
 幸弘がぶーたれる。
 僕も確かにそうだね、と同意して、「今回から5教科だもんな。それは2日もかかるよ」とまじめに答える。すると更紗さんが、
「その日まであと4日だよね、明日と明後日、明明後日と、4人で勉強会できないかな?」
なんて提案してきた。夕食当番は良いのか?
「更紗さん、夕食当番は?」
「うん、大会が終わるまでの平日は綸子にしてもらうことになっているから大丈夫。部活を早めに出してもらうわけにはいかないかな?」
 更紗さんが勉強を今は優先したいようなので僕は、
「その分、模試が終わってからしごかれる気がするけど、西塔先生や南東先生(男子の顧問だ)に相談してみようか?」
と提案した。更紗さんは僕の顔を見て、「あ、それが良いかも。明日のどこかで職員室に行こうよ」といってくれるので、僕は幸弘に
「それで良いか?18時くらいに集合して、1時間か1時間半ほど勉強してから帰るようにするのはどうだろう?」
と提案すると、幸弘も頷いて、
「良いと思う。夢衣も嫌とは言わないと思うけど、後で聞いてみよう」
 と話しているうちに、夢衣の家に到着する。
 幸弘がインターフォンを鳴らす。『は~い』と出てきたのは、声からするとお母さんだ。
「あ、こんばんは。矢野です。今日の授業内容と宿題を渡したいと思ってきました。俺の他に東条と、大原がいます」
『あ、わざわざありがとうね。玄関まで入ってきて』
 夢衣のように心優しく、おだやかなお母さんのお誘いに、僕たちは「失礼します」と玄関まで入っていく。
「いらっしゃい、夢衣呼んでくるね。今日一日休んでだいぶん良くなったみたいなの」
 夢衣の母は夢衣を呼びに2階へ上がっていく。しばらくして、ピンクのフリルのついたパジャマの上にカーディガンを着た夢衣が降りてきた。
「皆さん、揃ってありがとうございます。矢野くん、朝はありがとう。あのゼリーと風邪薬飲んでお昼まで寝ていたらすっかり良くなりました。あと、東条くん、お誕生日、おめでとうございます」
 夢衣が幸弘に微笑む。僕は「ありがとう」と返事すると幸弘も口角を上げて、
「元気になったなら良かった。だけど、あまり長居しない方が良いから、用件を手短に伝えるよ。まずは、今日の授業のノートのコピー。あまり字が綺麗じゃないから見難いかもしれないけどな」
 そう言いながら部活の前に購買のコピーサービスでコピーしたと思われる紙の束を渡す。さらに、
「今度の模試の過去問。国数英がある。どうも明日明後日で解説があるみたいだから、今日明日でやった方が良いかも。あとは、タブレットに宿題1つ行ってると思う」
 もう一つ紙の束を渡して、幸弘の用件は終わる。
「矢野くん、本当にありがとうございます。お手数をおかけしました。タブレットは、先ほど確認して、もうやり終わりました」
「さすが」と僕が言うと、「単に、暇だっただけですよ」と夢衣は笑う。そして幸弘は、
「やっぱり夢衣はしっかり者だな。それと、宿題持ってくるのは前からやっていることだから、気にしなくて良い。それにな、慎吾が大原さんの力になっているように、俺も夢衣の力になりたいと思っているから」
 幸弘の本音が僕にも伝わってくる。横にいる更紗さんに視線を向けると、彼女も僕に視線を合わせて頷いた。夢衣の表情も顔色自体はまだあまり良くないけど、雰囲気はとても良いと思った。
「矢野くん、重ね重ねありがとうございます。私はいつも、矢野くんはもちろんですけど皆に助けられてばかりですね」
 そんな夢衣の自虐的な言葉に、更紗さんが反応する。
「そんな事ないよ。夢衣ちゃんにはとっても助けられているから。昨日だって、ケーキ作りの時は夢衣ちゃんいなかったらあんなに美味しくできなかったもの」
 夢衣は更紗さんの方を向いて、微笑む。
「ありがとうございます、更紗さん。そう言えば、作ったケーキは慎吾くんにまだ渡してないのですか?」
 え?僕にケーキを?
「聞いてないよ?どういうこと?」
 僕は思わず聞いてしまう。すると、更紗さんは僕の方を見て、
「あ、このあと私の家に来て、ケーキを持って帰ってもらおうと思ってたの。昨日の4人で遊ぶというのは、もちろん女子会というのもあったんだ。でも、ケーキって私実は作ったことないから、慎吾くんの誕生日にケーキを作りたいと紗友梨さんに相談したら夢衣ちゃんと和子さんがそういうのが得意って聞いたの。だからね、昨日集まって作ったんだ。それが思いの外美味しかったから、今日の朝早起きして慎吾くんのためのケーキを作って、冷蔵庫に入れておいたの」
と、とっても、とっても嬉しいことを言ってくれた。
「うわぁ、本当に?すごく嬉しいよ。たぶん、うちはケーキとか買ってないと思うからありがたく頂戴する!夢衣もありがとう、更紗さんの力になってくれて!」
 夢衣は僕の礼に微笑んで、
「お口に合うと良いのですけど。味は保証します」
と言った。幸弘は、「もう、本当に付き合ってしまえば良いのに」と僕たちに言うけど、一番言わないといけないことをハタと思い出して、夢衣に提案する。
「夢衣、明日から学校来られそうか?」「今の体調なら、たぶんいけると思いますよ」
「じゃあ、提案だけど、明日から3日間、このメンバーで模試に向けて放課後に勉強会をしないか?ちょっと楽しい仲間で勉強会というのも悪くないと思うのだけど、どうだろう?」
 夢衣は少し考えるけど、やっぱり微笑みは絶やさないままで、
「ええ、分かりました。私も数学や理科を教えてもらえるとありがたいかなと思います。逆に、国語や英語で教えられるところは教えたいと思います。よろしくお願いします」
と言ってくれた。
「じゃあ、決まりだね。明日からよろしく。それじゃ、あまり長居してまた夢衣の体調が悪くなるといけないから、そろそろ俺たちは帰るわ。夢衣、お大事に」
 幸弘がそう言って僕たちに帰ろうと促す。僕たちも頷いて、
「夢衣、お大事に」「夢衣ちゃん、また明日ね。お大事に」と言って玄関を出る。
 そんな僕たちに、夢衣は胸元で右手を振って「また明日。行けそうならグループチャットで呼びかけますね」と言ってくれた。
 夢衣の家を出ると、幸弘と僕たちの帰る方向は逆になる。だから、今日はここでお別れだ。雨はいつの間にか止んで、傘を差さなくて良い状態になっていた。
「皆で来て正解だった。楽しかったし、俺一人で行ったんじゃ、間が持たなかったと思う。あと、滅多に言えないことを言う勇気をもらった」
「俺も夢衣の力になりたいって言った奴?」と僕が聞くと、「そうだよ」と幸弘は顔を赤くして答えた。
「矢野くんって、スケベなんだと思っていたけど、本当にあれはほぼ演技だったんだね。夢衣ちゃんに対する態度が、ぶっきらぼうだけど温かいね」
 なんて更紗さんが言うと幸弘はさらに顔を赤くしたようで、照れながら
「ああ、そういうことにしておいてくれ。じゃ、また明日な」
と足早に僕たちの前から去って行く。僕たちは顔を見合わせて、
「帰ろうか」「そうね」
と並んで歩き出した。スマホで時計をチェックすると、もうすぐ19時45分を差すところだった。ここから更紗さんの家までは、おそらく20分くらい。僕が家に帰り着くのは、20時半を過ぎるくらいになるかも。
「ごめんね、付き合わせちゃって」
 更紗さんは僕に手を合わせる。でも、
「大丈夫だよ。迷っている僕を、更紗さんが誘ってくれたんだ。優柔不断だった自分が恥ずかしいよ」
と僕は逆に謝る。
「うん、ありがとう」
 更紗さんは、笑顔を向けてくれる。この話はここまでにして、話題を変える。
「明日からの勉強会だけど、内容はどうする?対数の続きをするか、対数の部分は捨てて、全体的な質問会にしても良いと思うんだけど」
 更紗さんはう~んと考えて、
「対数の続きをお願いしようかな。あと、矢野くんはどの教科が得意なのかな?」
「幸弘は全教科できるよ。数学も50番くらいにいる。他の教科もそんな感じで、オールラウンダー。本人一番得意なのは社会全般でそれこそ1桁順位に入るくらいだから、文系と決めているのは、社会の教員になるからだと思う」
「へえ~そうなんだ。矢野くん、すごいね」
 感心した感じで更紗さんが言うものだから、僕は思わず嫉妬する。
「…どうせ僕は数学しかできない尖った奴だよ…」
 卑屈になった僕の言葉に、更紗さんはちょっと目をつり上げて、
「そんな事、私言ってないわ。だって、尖っているのも個性なんだもの。初めて会った日、私言ったと思う。一芸に秀でているって、すごいと思うって。だからもちろん、慎吾くんのこともリスペクトしてる。だから、そんな自分を卑下しないで」
「あ、うん、ごめん」
「慎吾くんは、もう少し自分に自信を持つことも大事かな。本当に、たまに卑屈になってしまうところを直して欲しいかも」
「…肝に銘じます」
 そこで、僕たちはふっと笑う。城西商店街も目の前。あと5分ほどで更紗さんの家だ。
「さ、早く家に来て。ケーキ渡したいから」
「オッケー」
 僕たちは、更紗さんの家へ急ぐ。家に着くと、更紗さんは「ただいま」の声もおざなりにして、キッチンに急ぐ。少し間があって、大きい箱と小さい箱を持った更紗さんが玄関に現れた。
「家に帰ってから開けてね。明日、感想聞かせて」
 ちょっと顔を赤く染めて、更紗さんは言い、2つの箱を手渡してくれる。大きい方はケーキ、小さい方はプレゼントのワイヤレスホンだろう。一昨日買ったときは、包装のない状態だったけど、更紗さんが綺麗にラッピングしてくれたのだろう。僕は「ありがとう」と満面の笑みを浮かべて礼を言うと、
「…そんな満面の笑みでお礼言われると、ちょっと恥ずかしいなぁ。夢衣ちゃん、味の保証はすると言ったけど、何せ初めて作ったら、あまり自信ないんだ」
 なんて珍しく弱気になって言うものだから、つい逆襲したくて、
「あれ?さっき僕に自信を持ちなさいといった人の台詞じゃないなぁ」
と、口を滑らせてしまう。すると更紗さんは、
「あ、確かに…もう」
と、ちょっと自分に呆れつつ、僕の胸をトントンと両手で叩く。
「あはは…」
 僕はちょっと照れ笑いをしていると、綸子ちゃんが出てきた。
「こんばんは、東条さん。今日もおうちでご飯ですよね…?」
「そうなんだ、ごめんね」
 更紗さん曰く、「綸子は、慎吾くんのことが気になる」みたいだ。だから、僕が更紗さんの家に寄るたびに、「ご飯どうですか?」と綸子ちゃんは誘ってくれるとのこと。
 今日も僕が断ると、綸子ちゃんはまた残念そうな顔をするから、いい加減僕も罪悪感を感じるようになってきた。
「今は模試とか、大会前で忙しいんだけど、それが終わったらどこかでご馳走になるよ。その時はよろしくね」
と、綸子ちゃん伝えると、彼女はぱっと顔をほころばせて、「約束ですよ」と言ってくれる。
「綸子、ごめんね、今慎吾くん言ったように模試や部活で忙しくなるから、夕食当番多くなっちゃって」
 更紗さんが綸子ちゃんに謝ると、綸子ちゃんは、
「うん、仕方ないよ。私は帰宅部で時間はあるから、お姉ちゃんはお姉ちゃんで頑張ってくれれば良いと思う。二人で助け合っていかないとね」
 転校当初に生意気な妹と聞いていたけど、どうして、全然違う、お姉ちゃん思いの良い妹じゃないか。
「ありがとう、綸子。慎吾くんもそろそろ帰らないと遅くなっちゃうね」
 更紗さんは綸子ちゃんに礼を、僕に帰りを促す言葉を発する、
 僕はスマホの時計を確認して、「あ、確かに」と反応し、
「うん、そうだね。ケーキ食べなくちゃいけないから、帰るね。今日もありがとう。また明日ね。綸子ちゃんも、またね」
「うん、気をつけてね!」「東条さん、夕食のこと、約束ですからね!またね!」
 二人の元気な別れの挨拶に元気をもらって、僕は帰路につく。
 帰ってから箱を開け、ケーキを取り出すと、生クリームが乗ったシフォンケーキが出てきて、その一番上にはチョコプレートに、Happy Birthday Shingo !のチョコペンの文字が書かれていた。そんな美味しそうなケーキを見た家族は、
「愛されているねぇ~」「おいしそう」なんて囃し立てるものだから、僕は耳まで真っ赤になってしまった。
 ケーキの味は、夢衣が自信を持って言っただけあって、お店のものと遜色ないくらい、とっても美味しかった。

 翌日の朝、昨日の雨はすっかり上がり、秋晴れの空の下。いつもの場所で僕は更紗さんを待つ。早く昨日のお礼がしたくてじれったかった。それに、夢衣からも「今日は学校行きます。皆さんのおかげです。ありがとうございます。放課後も、よろしくお願いしますね」とグループチャットにメッセージが入ってきたのも、気持ちが上がる一つの要因だった。
 少しばかり更紗さんを待っていると、彼女が僕を見つけて駆け寄ってくれる。ちょっと息を弾ませる更紗さんの紅潮した顔が、僕をドキドキさせるけど、
「更紗さん、おはよう。昨日はとっても嬉しいプレゼントありがとう。ケーキ、とっても美味しかったし、イヤホンも早速充電して、いつでも使えるよ」
 早く言いたかったお礼を言う。すると更紗さんは、
「美味しかったって言ってくれるの、とても嬉しい。本当に作った甲斐があったわ。こちらこそ、ありがとう。イヤホンも、早速使ってみる?」
「うん、そのつもり。今日は、何が聞きたい?お礼と言ってはなんだけど、更紗さんの好きなジャンルで聞こうと思うんだ」
 すると更紗さんはう~んと考えて、
「私、何気にジャズやボサノバのような喫茶店の雰囲気のするジャンルが一番好きなんだよね。慎吾くんのおかげで、クラブミュージックって言うの?そういうのも気にはなっているんだけど、ジャズ系聞いてみたいかな」
と言う。僕はうんと頷いて、更紗さんにイヤホンの左用を渡す。そしてOurTubeを起動し、更紗さんと一緒に動画を探す。
「これ、私最近聞いて良かったと思うんだよね」
と言われた動画を選択し、スマホを胸ポケットに入れて僕たちは歩き出す。
「うぁ、確かにこれ良いかも。本当に、カフェで二人向かい合いながらゆっくり聞きたい!」
 ピアノとサックスの音が心地よい。確かに、喫茶店で顔を見合わせながら聞いているとすごく良い雰囲気になれそうな感じだった。
「でしょ?最近自分が探した中では一番のヒットだと思う」
「納得」
 そんなことを言って笑いながら僕たちは学校に向かい、いつものスクランブル交差点で、夢衣と幸弘が合流する。
「今日は18時に自習室集合と言うことで、もっとも、僕と更紗さんは顧問の許可を取ってからだけど」
と僕が言うと、幸弘と夢衣がそれぞれ、
「そうだな。俺も一応顧問には言っておくよ」「私は、17時45分には部活が終わるので、先に席を取って待っていますね」
と言って、放課後の算段をしながら校門をくぐった。
 放課後――。それぞれ部活の顧問から許可を得て、18時過ぎの自習室には僕等四人の姿があった。
「それじゃ、やりますか」
 僕の声を合図に、皆がそれぞれ苦手な所を見始める。
 そのうちに自然と、僕と更紗さん、幸弘と夢衣のカップリングが出来、それぞれの弱点を補強し合うようになっていた。
「対数関数のこの部分なんだけど、どういう意味?」「それは・・・これがこういう事になるから・・・」「ふむふむ、それで?」「こうなるんだ」「あ、なるほど!」そして、更紗さんはノートとにらめっこ。一方の僕は、英語に四苦八苦。さすがに構文が分からなくなったので、更紗さんに聞く。
「ここの文ってさ、どう訳したら良いのかな?」「それはね、ここがこの後にかかってきてるから・・・」「ああ、そうすると・・・こう訳せばいいって事かな?」「そうそう!でも、こう訳するともっと分かりやすいよ」
 更紗さんはかなり物わかりが良くて、飲み込みが早い。
 僕がほんの少し、基礎と標準的なことを教えてあげるときちんとできるのだから苦手と言うよりは、単純に演習不足だったのかなと思う。
 美人・スタイル抜群・文武両道で性格も良いなんて、本当に完璧すぎる女の子の更紗さんと、僕は逆に、要領が良い方じゃない・尖っているところがある・運動神経も普通…と自分を卑下して自信をなくしてしまいそう。でも、それは昨日も更紗さんに指摘されたばかりだから、そう言うマイナス方向に自分を考えていくことは、なるべくしないでいきたいと思っている。
 時々、気になって幸弘たちの様子を盗み見するけど、向こうもなかなか良い雰囲気だ。
 英語の問題に取り組んでいる幸弘が、考え込むように数学の問題で止まっている夢衣の様子を見て「夢衣、大丈夫か?」と助け船を出している。そんな二人を見ていたら、
「慎吾君。なに見ているの」
 更紗さんが話しかけてきた。
「いや、別に。向こうもなかなかいい雰囲気だなって」
「そうね。でも、そんな様子を見ている暇があったら、慎吾くんも手を動かしましょ」
「だね」
 僕はバツの悪い顔をして英語の問題をにらめっこする。
 あっという間に時間は過ぎて、19時を過ぎる。今度は、僕は古典の問題に取り組み、更紗さんは生物、幸弘は数学、夢衣は世界史に取り組む。やっぱり僕は、古典の問題を更紗さん便りに解く。「慎吾くんは、決定的に覚えている単語が少ないと思う」という更紗さんの指摘に納得する。
「と言うことは、しっかり単語を覚えることを平行してやっていくと良いと言うことだね」
と僕が尋ねると更紗さんは、
「そうね。単語だけだと長文対策にならないから、バランス良く、ね」
「うん、ありがとう」
 一方で、夢衣は幸弘に世界史を聞いていた。幸弘は、頼られているのが嬉しいのか、今日一番いい顔で答えていた。
 そして、またまたあっという間に閉館の時間になる。あれ?19時半には帰るつもりだったのに、結局最後までいてしまった。
「時間が過ぎるの、早いね。でも、そうなるんじゃないかって思ってたんだ」
 更紗さんも苦笑いをしながらスマホを見る。そして「お父さんのお迎え来たみたい。もう目の前にいるって」と僕に伝えてくれる。
「そうなんですね。更紗さん、よろしくお願いします」
 夢衣が更紗さんに言う。夢衣は、更紗さんのお父さんに家まで送ってもらうことになっていて、久しぶりに僕と幸弘の二人だけで帰ることになる。
「じゃ、あまり待たせてはいけないから、すぐに出よう」
 幸弘の言葉に僕たちは頷いて帰り支度をして自習室を出る。
 校門から少し離れたところに、青いスポーツカーのようなセダンが止まっている。
「あれか、大原さんのお父さんの車は」
 幸弘が意外そうな顔をする。
「そうなんだよ、僕の好きな車だから、嬉しくてね」
「大原さんのお父さん、若いなぁ」
 幸弘が感心していると、
「まあ、実際若いからね。まだ40歳になったばかりだし」
と更紗さんは言う。
「そうなんだ。俺の親父なんてもう50だぞ」
「私のお父様は、48ですね。更紗さんのお父さん、若いと思います」
「僕のところは53かな。いや、若いね」
 幸弘と夢衣、そして僕までもが口々に羨ましそうな物言いをすると、更紗さんは
「そう言うと、お父さん喜ぶと思うわ」
と言って、口元をほころばせる。
「さぁ、夢衣ちゃん乗って。慎吾くん、矢野くん、また明日よろしくね!」「東条くん、矢野くん、また明日よろしくお願いします。お気をつけて」
 女性陣二人は僕たちに手を振って、更紗さんのお父さんの車に乗る。
 お父さんは、僕たちに窓から右手を挙げて合図する。僕たちは会釈して、車が見えなくなるまで見送った。
「さぁ、帰ろうか、幸弘」「そうだな、慎吾」
 僕たちは自転車を小屋から出して、家路につく。
「良い感じだよ、お前と夢衣」「ありがとうな。お前達も、いつになったら正式に付き合うんだよ」「もう少し先になりそう。一歩ずつだよ」「それは、俺も一緒だけどね」
と言った会話をしていると、すぐに分かれ道であるスクランブル交差点に着いてしまう。
「じゃ、また明日」「お互い気をつけて帰ろうぜ」「Yes, Thank you Guys !」「Keep Pushing, each other」とピットとのやりとりのように最後は会話してハイタッチをしてから僕たちは別れた。

 11月に入り、1日2日と2時間4人でみっちり学習をした。真剣に取り組む中にも、楽しいひとときだったと断言できる。さらに翌日は文化の日の祝日。だけど、全国模試があって僕たちは登校する。
「この前も言ったけど、休みの日に模試をするのって、マジでたりぃな」
 幸弘がそう言うと、皆笑って「そうだね」「ちょっと休ませてくれても良いよね」なんて言う。でも、僕はこの前の話の後から考えていたことがある。
 それは、この模試の結果次第で文系か理系か決めようということだ。
「好き」なだけでは仕事として続けていくことは難しいよと父さんから言われていることもあり、成績も加味した結果として、理系に、数学教師に考えが傾いている。でも、更紗さんがどうしたいのか分からないから、知りたいというのもあり、まだ悩んでいた。
「慎吾くん、どうしたの?考え事?」
 僕がどちらにしようか迷って黙ってしまっている事に気づいた更紗さんが、僕に声をかけてくれる。
 …本音を聞くならこの模試の間かもしれない。
「うん、考え事してた。明日の試験が終わったら、話、聞いてくれる?」
 僕が更紗さんに聞くと、彼女は頷いて、
「うん、分かった。あの公園で話す?」
と聞くけど、最近は本当に寒くなってきたから風邪を引くと良くないので、
「いや、僕の家に来てくれる?おやつ用意しておくから」
「分かったわ。明日終わってからね。17時半までなら大丈夫よ」
「じゃ、お願いね」
 僕たちはそう会話して、模試に挑む。1日目は国語、英語、地歴、公民だ。地歴以外は苦手教科でびっしりだ…だからといって諦めるつもりはないから、ベストを尽くそうと思う。
 国語は、自分が思っているよりもできたと思うし、英語も更紗さんとの勉強会でやった構文がばっちり出て、正答できたと思う。なかなか順調っぽい感じだった。
 ちょっとしたきっかけで、できるようになることがあるのは部活でもそうだし、もしかしたら、勉強もそうなのかもしれない。ただ単に、数学が得意と言うだけでそれにあぐらをかいていただけで、文系の勉強をやろうとしなかっただけなのではないか、そう思えるようになった。
 そのことを、帰り道で更紗さんに伝える。すると彼女はちょっと驚いたように言った。
「そうね慎吾くん、多分、そうなんだと思うわ。私も同じ。得意教科ばかりやって、苦手からはちょっと逃げるような感じでいたのだと思う。慎吾くんも、そう思わない?私も、慎吾くんに数学を聞くようになってから、数学が何となく分かってきて、ちょっと好きになってきたわ。だから、私たちって、そういう所はよく似てるんだと思う」
「そうか、更紗さんも、そういう所は同じだったんだね。なんだか、意外なんだけど。更紗さんは、何事にも前向きに取り組んでいるから、苦手なものから逃げているというのが、ホント、意外」
「…勉強もそうなんだけど、実はね、料理も。だいたいのものは作れるけど、実は揚げ物はちょっと苦手。最初に慎吾くんにお弁当で作った唐揚げも、綸子と一緒に作ったんだ。あの子は、揚げ物上手だから。最近、私が作っているお弁当って、揚げ物ほとんどないでしょ?実は、最近の揚げ物は冷食だったし。」
 …思い出してみる。と言っても、最近は部活と勉強で忙しかったのもあって平日の夕食当番は綸子ちゃんなので、お弁当はもらっていない。ただ、弁当をもらっていた少し前を思い出してみても、確かに揚げ物はあまりなかったと思う。
「そうなんだね。でも、作ってきてくれるだけ、とってもありがたいから、メニューに関しては何にも文句はないよ」
「慎吾くん、ありがとう。でも、苦手は克服しないとね」
 なんて二人で笑う。前からそうだったけど、特に最近は何でも話ができてきているように感じる。お互いに自分の弱いところもさらけ出すことができるのは、それだけ信頼関係が構築できたからだと思うし、そのことは、好感度を上げていると思う。
 僕は、彼女への「好き」を止められない。
「うん、そんな風に前向きに取り組もうとする更紗さんが本当に好き」
 思わず、彼女にそう伝えてしまう。すると、更紗さんは顔を赤くして、
「うん…そう言ってくれるのが、私、最近嬉しくなってきた。ドキドキする。私も、慎吾くんのこと、好きになってきたんだと思う。一緒にいて心地いいのに、ドキドキするのって、きっと、そういうことなんだと思うの」
 どんどん、更紗さんの感情もアップデートされているようで、心から納得して「好き」という感情を理解するまであと一息のように感じられた。
「そう思ってくれるようになって、僕も嬉しい。また明日だね」
 気づけば、いつもの商店街の前。僕は更紗さんと別れる。
「ええ、また明日。もう少し頑張りましょう」
「うん、あ、更紗さん、明日のお菓子のリクエストある?今買って帰ろうと思う」
 ちょっとだけ更紗さんは考えて、
「え~っと、ポテチと炭酸があれば十分かな」
と言うので、商店街の中のスーパーに入る。「私も一緒に見ていい?」と言うから、実のところ、もうちょっと一緒にいたかった僕は「うん、リクエストしてね」ち嬉しそうに言う。
 カゴを持って並んで買い物をする僕たちは、いったいどんな風に見えるのだろう。恋人同士に見えるのだろうか?だとしたら、とても嬉しいのだけど。
「私たち、どんな風に見えるのかな?」
 更紗さんも同じことを考えていたようだ。
「…正直に言うとね、恋人同士に見えるといいなって思う」
 僕は答える。
「………もう…そう言うんじゃないかって思ってた」
 更紗さんは小さい声でそう言ってから、
「だから、悪い気はしないわ」
と言ってくれた。そんな更紗さんに、僕は照れ笑い。
 結局、ポテチはコンソメ味とのりしお味を、炭酸はコーラとなんちゃってエナジードリンクを買って、店を出る。
「じゃ、今度こそ、また明日だね」「ええ、明日も頑張ろう」
 そう言って、僕たちは別れた。
 帰って勉強してから、「楽しい仲間」で30分ほどグループチャットをしてから、寝る。明日も充実した1日になるように願いを込めて、瞳を閉じた。
 翌日の模試は、数学と理科2科目(4科目から選択だ)という理系のための日。数学が得意な僕と、理科が得意な更紗さんにとっては、気合いが入る。一方で、理系科目が苦手な夢衣にとっては苦痛の日だと思う。
「数学は、結構パターンがあるんだけどね」
と僕は言うが、「確かに、昨日教えてもらいましたけどかなり難しかったです。やっぱり、東条くんはすごいなって改めて思いました」なんて夢衣が言う。確かに、1日目のあと夢衣が幸弘に質問してたけど、流石の幸弘も答えられないから僕の所に持ってきたんだ。でも、あっさり解説してしまったものだから、二人は目を丸くしていたっけ。
「確かに、慎吾くんは数学すごいよね。私も尊敬してるの、そういう所」
と更紗さんまでも褒めてくれる。
「確かに、慎吾のそういうところは流石だと思う。あとは国英さえ伸びればいいんだけどな」
と幸弘の的確な言葉に僕は「お前は僕の担任の先生かよ!?」と苦笑いを浮かべるしかないのだけど、試験前に4人でリラックスできたのであれば、僕が道化師になってもいいのだろうと思う。
「さ、そろそろだね」
と、もし監督の先生が入ってきたから、みんなは自分の席に戻る。
 試験用紙が配られて、試験が始まる。
(よっし、やってやるぜ!)
 数学の1問目を開いて、気合いを入れた。

 時間は14時を回る頃。模試は無事終わった。昨日の勢いそのままに、結構上手く解けた気がする。スポーツに「流れ」というものがあるように、こうした模試をはじめとする試験などにも、もしかしたら「流れ」があるのかもしれない。
 今回は、本当に波に乗って解ける問題が多かった気がするから、次…期末試験になると思うけど、それも同じようにできるといいと思った。
 更紗さんも、数学は確かに難しかったようだったけど、彼女の言葉を借りれば「これまでで一番回答欄を埋められたし、解けたという実感がある」と言うくらいの出来だったようで、すごく嬉しそうにしていたし、僕に「一緒に勉強してくれたおかげだよ、ありがとう」と言ってくれた。そんな更紗さんの表情が、堪らなく愛しかった。
 模試が終わった開放感でいつもの4人で校門を出ると、幸弘が提案してきた。
「ちょっとファミレスでドリンクバーでも飲んでから帰らないか?」
 珍しい事もあるもんだ。でも、僕と更紗さんは昨日から約束していた事もあって、断ろうかと一瞬思ったけれど、それは、せっかく誘ってくれた幸弘には悪いので、「ちょっと待ってくれないか、幸弘。更紗さん、昨日の話だけど、しばらく4人で過ごす事になるかもしれないけど、良い?」と聞いてみる。
 更紗さんは、昨日の話を思い出すと「うん、良いよ」と答えてくれたので、僕は幸弘と夢衣に逆提案する。
「すまん、昨日更紗さんと、僕の家で少し話をしようと約束したんだ。でも、しばらくなら問題ないから、4人で僕の家に来ないか?幸弘は先週も来たけど、夢衣は4年半ぶりになるかな?母さんも喜ぶよ」
 僕の提案に、幸弘も夢衣も、頷いてくれた。
「幸弘も夢衣も、遠回りになってゴメンな」
 僕が謝ると二人は
「別に良いよ。4人で慎吾の家とは言え、学校じゃないところで一緒に過ごすというのは初めてだしな」「そうですね。東条くんのお母さんに会えるのも楽しみですし、4人でワイワイするのも本当に楽しいですから、どこでも良いですよ」
と言ってくれる。
「でも、ポテチ2袋とペットボトル500ml2本は少ないから、もうちょっと買い足していくといいかな?」
 更紗さんが提案してくれたので、4人で昨日言ったスーパーに向かい、更にチョコレートの大袋と乳飲料ジュースの1.5lペットボトルを買い足して、僕の家に向かう。
「ただいま~友達連れてきた」
と僕が玄関に入って誰宛でもなく言うと、リビングから母さんが出てきた。
「あら慎ちゃん、お帰り。あらあら。幸弘くん、いらっしゃい。後ろにいるのは、夢衣ちゃん!?すごい久しぶりじゃない!そして、もう一人の美人さんもいらっしゃい。早く入りなさい」
と、母さんはみんなをリビングへ促す。
 みんな、玄関から上がると靴をそろえてからリビングへ向かう。
 リビングに入ると、母さんが昨日僕と更紗さんで買ったおやつを持ってきてくれて、マシンガンのようにしゃべり出す。
「あらあら、こんな大人数できてくれるなんて。特に夢衣ちゃんは4年半ぶりだし、更に可愛い女の子ももう一人いるし。慎ちゃんも隅に置けないわね」
 なんて、分かっているくせに母さんは僕をからかうように言う。ただ、この前更紗さんが家に来てくれた時は伊緒姉とは会ったけど母さんには会っていないので、これが初対面だ。
「お母さん、初めまして。大原更紗と言います。こちらに転校して3週間が経ったのですが、慎吾くんとはとても仲良くさせていただいてます。よろしくお願いします」
「あらあら、丁寧なご挨拶、ありがとうね。話には聞いていたけど、こんな美人な子が慎ちゃんの彼女なの?慎ちゃんには勿体ないわよね~」
「ちょ、母さん…まだそこまでの関係じゃないんだけど…」
 僕は、調子よく喋る母さんを止めようとするけど、止められない。
「でも、ほとんどそんな感じにしか見えないけど?」
「ええ…ちょっと私の方でお願いしているんです」
「どうして?好きなんでしょ?」
 母さんの言葉に、更紗さんは「好きという感情を理解したい」ことの話をする。すると母さんは、「なるほど。じゃあ、慎ちゃんは更紗ちゃんを離さないように好きな気持ちをぶつけていかないとね」と言ってくる。そこに幸弘と夢衣が「慎吾は、もう毎日のように彼女に『好き』と言ってますよ。聞いているこっちが恥ずかしくなるくらい」「更紗さんも満更じゃないようですし」と茶化す。
「おい!」と僕が真っ赤になると「でも、事実だろ?」と言われて沈黙する。「夢衣ちゃんまで…」と更紗さんも同じように顔が真っ赤だ。母さんはうんうん頷いて、「それなら安心かな。この二人は。でも、幸弘くんと夢衣ちゃんは、いつくっつくのかな?」
と言われてしまい、今度は二人が顔を真っ赤にする番だった。幸弘は分かるけど、夢衣までそんな反応になるのは意外だった。
「でも、まあ、ゆっくりしていってね。自分たちでおやつを買ってきたのなら、私からは今は何もしないけど、足りなくなったら言ってね」
 母さんとの会話はそこで終わり、母さんはリビングから出て行った。気を利かせてくれたのだろう。
「…」
 ちょっとだけ、気恥ずかしくて気まずい空気が流れるけど、僕は気を取り直す。
「で、何の話しをするんだっけ、幸弘?」
 幸弘がどうしてファミレスに僕たちを誘ったのか、その真意を問いただすと、
「うん、勉強会の話なんだが、このまま続けていっても良いかなって思ったんだ。ただ、俺たち運動部はもうすぐ秋季大会があるから、明後日から2週間は練習漬けの日々で勉強どころではないよな。でも、秋季大会が終わったら2週間後には期末試験が始まるし、それに向けて勉強したいなと思ったんだ。だって、3日間放課後のあの時間、やっててどうだった?俺はやって良かったと思うよ。一人より2人、4人でやると楽しいと思ったんだ」
と、勉強会を継続したいという願いだった。
 僕も、それはとてもありがたい申し出だ。やって良かったと思うし、僕もできるなら続けていきたい。たぶん、更紗さんも同じ思いを持っていると思う。なんせ、転校してから早いうちに、僕と2人の勉強会を始めていたのだから、問題ないと思う。
 だから、僕は更紗さんに尋ねる。
「更紗さんはどうかな?僕は全然構わないと思ってる」
 更紗さんも大きく頷いて、
「私は大会終わったら週に2回は夕食当番が入るけど、それ以外の日なら良いよ。夢衣ちゃんも良いよね?」
 夢衣も頷く。うん、みんな同じ気持ちなのは、とっても嬉しい。
「じゃ、決まりだな。大会が終わった次の週から、当面の間18時集合、しばらく勉強会だ」
 幸弘の宣言に、みんな「オー」と声を上げて、笑いあう。
「さて、それじゃ、俺の用事は済んだから、おやつを適当につまませてもらうよ。夢衣はどうする?」
「私も、ちょっとおやつを戴きますね」
 二人は、ポテチを頬張る。「うすしおがないのが残念だけどな」と幸弘は言う。それには「すまん、僕と更紗さんの好きなのしか買ってなかったからね」と僕は返すと、夢衣も、「元々お二人でおうちデートする予定だったから、仕方ないですよ矢野くん」と言う。
「夢衣ちゃん、おうちデートって…」
 更紗さんが珍しく夢衣に突っ込む。いや、確かにそう言われて僕も「おいおい、夢衣~」と言ってしまったけど、夢衣にしては珍しく悪戯っぽい表情を浮かべて、
「東条くんも更紗さんも、そのつもりだったのでしょう?だったら良いじゃないですか。二人が早く、ちゃんとお付き合いするように願っていますね」
「夢衣にしては、かなり突っ込んだ物言いするな。どうした?」
 幸弘が夢衣に言うと「私も、東条くんのお母さんや矢野くんと同じ気持ちですよ。二人の仲の良い姿を見ていると、私も少しずつ、そういうのが良いなって思っていて、同時に、東条くんと矢野くんに対する感じも、苦手ではなくなりました」と夢衣も少しずつ男子に対する苦手意識が少し緩和されているように見えた。
「ありがとう、夢衣」
 それからしばらく、四人でスマホを開いて更紗さんと夢衣のやっているゲームアプリを教えてもらい、僕と幸弘も始めてみる。いろんなキャラクターの顔が器の中に複数入っていて、同じキャラをつないで消していくというパズルアプリ。結構楽しいかもしれない。
 早速フレンド登録もして、お菓子を啄みながら楽しく過ごした。
 約束通り、1時間経つと幸弘と夢衣は連れだって帰る。
「楽しかったです。また来週ですね。いよいよ部活が大変だと思いますけど、頑張ってください」「じゃ、また来週な。お互いレギュラー取れるように頑張ろうぜ」
と、二人はそれぞれそんな事を言って、玄関をあとにした。家に残った僕と更紗さんは、二人が玄関を出て行くと、もう一度リビングに戻った。
 リビングに戻ると、僕と更紗さんはソファーに座って隣り合う。さっきはテーブルを4人で囲むように椅子に座っていたから、急に距離感が近づいてドギマギする。
「…それで、どんな話をしたくて誘ってくれたのかな?」
 更紗さんは、僕の顔を見上げて早速本題に入る。僕は、彼女のきれいな瞳を見つめながら、「うん」と頷いて答える。
「文系・理系のコース分け。そろそろ決めようと思っているんだけど、この模試の結果で決めようと思ってる。僕も更紗さんもまだ悩んでいるなら、どこかで決心しなくちゃいけないと思うんだ。もちろん、自分が信じた道を進みたいと思うから、もしも文系理系で別になって、そして3年のクラスが違ってしまったとしても、それは仕方ない事だから。もちろん、同じクラスになれるのが一番嬉しいけど…ね?」
 数日前から思っていたことを、更紗さんにぶつける。更紗さんは、僕の言葉に沈黙して前を向いて考え込む。
 真剣な表情で悩む更紗さんに僕は何も言えず、しばらく僕たちの間に沈黙が流れる。横顔がとてもきれいで、その表情に目が離せない。でも、僕は沈黙に耐えられなくなって、逃げ出したくなる。でも、真剣に考えている更紗さんから逃げるのは良くないと思い、自分を奮い立たせる。
 正直、更紗さんが考えていた時間は一分に満たない時間だっただろう。でも、僕にはそれが5分や10分に感じられた。
 そして、更紗さんは前を向いたまま口を開いた。
「うん、今もすっごく悩んでる。こうやって考えても、なかなか答えが出ないの。慎吾くんみたいに本当に得意な教科があるわけじゃないし、英語か理科とある意味文理反対の教科をと思うから尚更悩んでしまうんだね…」
 更紗さんは、そう言って下を向いてしまう。あの事件以来、久しぶりに弱々しい彼女の姿を見る。
「そうなんだ…ゴメン、悩んでいるのに結論を急ぐようなことを言ってしまって」
 僕は更紗さんに謝る。
 でも、更紗さんは首を横に振って、僕の顔をもう一度見て、
「いつか結論は出さないといけないから、いつまで悩んでいても仕方ないと思う。だから、この模試の結果で決めるというのは、ありなんだと思う。でも、一つだけ聞いて良い?文系と理系で違うと、絶対違うクラスになっちゃうの、この学園のクラス分けって?」
「あ…それはそうなんじゃないかな…」
 僕も、その情報は不確かだ。バド部の先輩には、教職コースはいないので分からない。
「矢野くんか夢衣ちゃんに一度聞いてみよう?」
 更紗さんが提案してくれたので、僕は頷いて、ライナーのグループチャットに「3年になったらクラス分けってあるか聞いたことある?文系と理系で分かれるとか」と打って、反応が返ってくるのを待つ。そういえば、二人はまだ一緒に帰っている途中なのかもしれないと思った刹那、更紗さんが僕のコメントを見て、
「二人ご一緒な所ゴメンね、の一言くらいあっても良かったかなぁ」
と言う。
 はい、そうですね。僕は「そうだったね」と反省すると、更紗さんがさっとスマホを操作して「一緒に帰っている途中に邪魔しちゃったかな?ゴメンね。私もまだ、慎吾君の家でおうちデート中」なんてコメントを追加し、ソファーの前の背の低いテーブルにスマホを置く。僕もそれに倣ってスマホを置いた。
「更紗さん、もしかして先の意趣返し?」
 さっき夢衣から「二人でおうちデート」と言う言葉に赤くなってたから、そうかなと思って聞くと、更紗さんはチロッと舌を出して悪戯っぽい表情をし、
「うん、それもあるかな」
とあっけらかんに言うものだから、僕は思わずぶっと吹き出してしまった。
「やっぱり」
 更紗さんも口を開けて笑い、二人でしばらく笑いが止まらなかった。すると、そこで二人のスマホから同時にライナーの通知音がして、ほぼ同時にお互いのスマホを手に取る。この瞬間も、なんだか可笑しくて、僕は笑ってしまった。
『…意地悪な事言わないでください。(プンスカしているキャラのスタンプ)』
と夢衣からのコメントだ。続けて、
『確かに二人で帰っているけどな。夢衣の先輩に教職コースの人いるから、今聞いてもらってる。しばらく待っててくれ』
と幸弘からもコメントが届いた。
 夢衣からのコメントに、画面の向こうで夢衣が顔を赤くしてあたふたしているような絵を思い浮かべたようで、更紗さんが笑いを押し殺していた。
「たまには、こういうのも良いよね?」
と更紗さんは僕に肯定してほしそうに言う。
「ああ、夢衣ってああ見えてからかうと照れるんだよな。今日くらいは良いと思うよ」
「ありがと。しばらく待っているんだったら、何かしてる?」
「あ、この前F1ってどんなのか見ようねって約束したよね、今からちょっとだけ見ない?昨日の夜というか、今日の早朝4時くらいにプラクティスがあったから、結果だけでも一寸見たい」
「そういえば、そんな約束していたね。良いわ」
 更紗さんの了承をもらった僕は、テレビのリモコンを手にとって電源を入れ、リモコンにあるアプリボタンを押す。
「アンドロテレビって、そういえばアプリ入れられるんだね。うちのテレビもリモコンの形一緒だから同じメーカーだと思うけど、そういうの見た事なかったな」
 更紗さんはそう言って感心する。
「そう、アンドロOS使っているから、僕が使ってるスマホに近い感覚かな。タッチパネルじゃないところは不便だけど」
と僕は言う。そんな僕に更紗さんは、
「こういうのも使えるようになると、大画面で見られるようになるから便利ね。綸子とモフモフ動画見るのに使おうっと」
と言って、僕が操作しているところをじっと見ていた。そうやっておだてられると悪い気はしない。アプリが立ち上がって、目的の動画を選んで決定ボタンを押す。程なく、その動画が再生された。
 音量が普段のままなので、全体的な音量も大きくエンジン音がうるさく聞こえる、僕は「ちょっとゴメン、うるさいね」と言って音量を下げる。
「こんなに大きい音がするの?」
「そうだね。昔のF1はもっとうるさかったよって父さん言っていたけど、これでも十分うるさい気がするね」
 僕はそう言って、基本流線型のフォーミュラカーがピットから出て行くところを見る。
「えっと、今出てきた中で5台目の青い車、あれが日本人選手が乗っている車だよ。今年の車は遅くて、かなり苦労していたけど、最近は速くなって結構上位に顔を出すことが増えてきたんだ」
「ずっと同じ車で戦っているのに速くなることがあるの?」
 更紗さんは僕の説明に不思議そうな顔をして聞いてくる。
「そう、ぱっと見た目はよく分からないけど、何戦かごとにアップデートって改良を重ねていくんだ。それが上手くいくと急に速くなることがある。あのオレンジの車なんて、その良い例だよ。最初はホント遅くて下位に沈んでいたのに、大幅アップデートをした直後からものすごく速くなっていきなり表彰台争いまでするようになったんだよ。彼らの技術は、すごい。ドライバーも体力的にものすごく厳しいからね。ある意味、化け物の集団だよ」
 僕の説明に更紗さんはぽかんとする。
「…ごめん、好きなことになるとこうやって熱くなるの、直さないとね」
 僕が謝ると更紗さんは、
「ううん、それはそれで、良いと思うよ。慎吾くんの説明、聞いてて何となく分かるし。それに、好きなことなんだから、熱くなるのは当たり前だと思う。今説明している慎吾くんの表情…」
とそこまで言って、いったん黙る。
「僕の表情、何?」
 黙ってしまうからつい聞いてしまうと、更紗さんは顔を真っ赤にして、
「真剣な中にわかりやすく説明したいという思いからなんだと思うけど柔らかい表情してて、結構、格好良かった…」
 そんな言葉に、僕も顔が、いや多分耳まで真っ赤になったと思う。
「さ、更紗さん…こっちが照れちゃうよ…」
 赤い顔をして微笑む表情に思わず抱きしめたくなるけど何とか我慢した。
 そんな会話をしていると、フォーミュラカーはタイムアタックに入っていく。
 僕は軽くフリープラクティスについて説明したあとは、あまり余計な口を挟まず画面と更紗さんを交互に見ていた。彼女は、解説も聞きながら見ていると、1台が別の1台の進路を阻むような場面が出て、そのしばらくあとに、
『****』(ピー)
と画面にドライバーのコメントが英語で表示され、声も流れる。「あ、ピー音ってこのことなんだね、どんな場面でそんなこと言うのかと思った。どうも怒ってるみたいだけど、どうして怒ってるの?」
「ああ、それは、今はレースじゃなくて練習だから、ある程度きちんとタイムを出していきたいわけ。なので、タイムアタックつまり、時間の計測ね、それをしている車を優先するのがルールになっているから、遅い車はアタック中の車がタイムに影響しないように道を空けるんだよ。邪魔をするというのは気づかなかったり、ピットから『今○○が来るから進路を開けるように』と言ったコミュニケーションがなかったりすると、起こりがちなことなんだ」
「へぇ~そうなんだ。レースだともちろん、先に行かせたくないから邪魔するよね?」
「うん、それはもちろん。それに関しては、2年前の最終戦でとんでもないバトルがあってね…」「え?それってとんでもないことなの?」「そうそう。アレは興奮したよ」
 なんて言いながら、10分ほど見ていると、ライナーの通知音が再び鳴る。夢衣からだ。
『やっぱり、3年生は文系と理系に分かれるようです。もしかしたら、私たちも別れちゃうかもしれないですね…』
と来た。やっぱりね…。
 僕と更紗さんはほぼ同時に、『夢衣、ありがとう(ありがとうのスタンプ)』『夢衣ちゃんありがとう(Thank youの可愛いスタンプ)さっきはゴメンね(手を合わせている同じキャラのスタンプ)』
「う~ん、そうかやっぱり。そりゃ、文系と理系じゃ教科の授業数が全然違うから、そうなるよね。同時に受けられる授業って、情報と総合、あとはロングホームくらいだもんな」
 僕は致し方ないと言う表情で更紗さんを見る。更紗さんは、ちょっと深刻な顔をするけど、すぐ笑顔になって、
「じゃ、模試の結果で考える、ということで良いかな?」
と聞くから、僕も「良いよ」と答える。僕も、もう少し時間をかけよう。でも、人生の先輩でもある父さんから聞いた言葉は、更紗さんに伝えようと思い、
「僕の父さんは言っていたんだ。『好き』なだけでは仕事として続けていくことは難しいよって。だから、その言葉も一緒に考えて、クラスが別れちゃっても、僕は更紗さんのことが本当に大好きだから、物理的な距離が離れちゃっても、気持ちは変わらないから」
 僕は、力強く真剣に更紗さんに好意を伝える。更紗さんも、僕の言葉に頷いて、
「そうやって私に好意を伝えてくれる慎吾くんを、私は信頼してる。もうちょっとだけ、お互い待ちましょう。」
「分かった。お互い納得するまで考えよう。ただ、僕は正直、理系に傾いてるよ」
「うん、参考にするね」
 そのあとは、F1を見て更紗さんに僕の好きなものの理解を少し深めてもらう。明日の早朝に予選、明後日の夜中に決勝となり、そこまでは流石に見られないから、同じように時間をずらしてみることになることも説明したら、「こういうときに時差って感じるよね。すごいね」と言って、「日本人選手にも頑張ってもらわないとね」と活躍を期待してくれた。
 レースと違って淡々と進むプラクティスはすぐ飽きると思って、15分ほど見たら一気にスキップして最終結果だけ見た。
「意外と面白いかもしれない。これまで見たことをないものを知って、自分の視野を広げるのって、やっぱり良いことなんだと思う、慎吾くんありがとう」
 更紗さんは肯定的に受け止めてくれた。とてもありがたいことだった。だから僕も、
「どういたしまして。今度は更紗さんの好きなことを教えてもらってさ、一緒に見るか何かできると良いんだけど、どう?」
と言って、同じように知らないことを知ることができると良いなと告げると、更紗さんは、
「それなら、大会が終わったら私の家で晩ご飯食べよう。ご飯の前に、私の趣味を教えてあげるから」
「うん、ありがとう…って、今は教えてくれないんだ」
 すると、更紗さんは悪戯っぽい笑みを浮かべて、
「今は秘密ね。ご飯食べる時に教えてあげる」
と言う。僕はそんな更紗さんの表情にKOされて、
「分かった。それまで我慢するよ」
と了承する。ふと時計を見ると、16時半を回っていた。
「ちょっと早いけど、今日はもう帰ろうかな。今日は私が夕食当番だし」
 更紗さんはそう言って、ソファーから立ち上がる。本音はもうちょっと一緒にいたいけど、夕食当番というのであれば仕方ないので、
「了解。送っていくよ」
「ありがとう」
と、鞄を持って玄関へ向かう。その時に、更紗さんは「お母さん、ありがとうございました」と向かいの和室でビデオを見ていた母さんに挨拶した。母さんはビデオをいったん止めて、玄関まで出てくる。
「更紗ちゃん、今日はありがとね。慎ちゃんに限らず、うちの子たちは個性が強い方だと思うから、ちょっと大変かもしれないけど、よろしくお願いね」
「あ、はい。でも、一緒にいて楽しいですし、転校してきた最初の一週間は、本当にたくさん助けてもらいました。だから、私も慎吾くんを助けたいと思っています。伊緒奈さんからTシャツを戴いた時にも歓迎していただきましたし」
 そんな更紗さんの言葉に母さんはほほえみを絶やさないで、
「良かった。これからも、慎ちゃんのことよろしく頼むわね。何かあったら、相談してくれれば良いから」
「はい、ありがとうございます」
 僕は置いてきぼりになって、二人の会話を呆然と聞くだけだった。
「ほら、慎ちゃん、何をぼ~っとしてるの?送っていくんでしょ?ちゃんとしなさい!」
 母さんにそう言われて、僕はハッとする。
「そ、それじゃ、行こうか」
「ええ。行きましょう。それでは、失礼します」
 僕たちは、玄関を出て一路更紗さんの家に向かう。
「そういえば、明日は練習試合だったね。3連休なのに、ずっと学校だよ」
 僕はそう言って苦笑いする。更紗さんは、
「そうだった。綸子はこの連休中友達を呼んだり、遊びに行ったりしているから、ある意味羨ましいなぁ」
 更紗さんは妹の行動を思い出して羨ましがる。
「確かに、休みはないのはきついし、綸子ちゃんが楽しんでいるのを側で見てると羨ましいよね」
「そうね。でも、明日の練習試合って、次の試合のことを考えたら結構重要だと思うし、頑張らないとね」
「そうだね。明日は楽しみながらも、結果が求められると思うからね」
 僕たちは、今日までの勉強モードから、部活モードに入る。
「ええ、明日からも頑張っていきましょう!」
 まだまだ、忙しい日々は終わりそうにない。

コメント

  • 鳥原波

    綸子ちゃんはあげられません(笑)にゃも懐かしいですね~ヒロイン食わない程度に次も活躍してもらいます!Twitterで、AI生成した妹も上げようかなぁ…(ヒロインは上げましたよ)
    ネットの名前はね、そのままはやっぱりダメだろうと思って(笑)
    そう、二人「で」幸せになるので、その過程をお楽しみください。次章は、3章の翌日から始まるので、また濃い日常を描いていきます!

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  • ノベルバユーザー617419

    綸子ちゃん…結婚して…(byあずまんがのにゃも先生)
    「妹」で「料理上手」で「気遣いのできる」ってヒロイン食っちゃそうw
    あとネットショップ「サバンナ」と動画「オウ!チュウーブ」笑ってしまいました(大事なことよ)
    そしてぇ癒されました2人「で」幸せになる物語!甘々な時間って人を育てるのよ♪
    次回も楽しみに待ってます☆

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