臨魁学園物語――転校生とガチ恋をして、二人で幸せになる話――

鳥原波

2章 2~6日目 嫉妬と、怒りと、悲しみと――それらを乗り越えた先に希望は見えた――

 ♪~~♪♪♪~♪~♪~♪~♪~~~
 7時。スマホのアラーム音で目が覚める。
 結局、爆睡してしまったようで夢なんて見た記憶がない。
 夢でまで会えるなんて言うのは贅沢すぎる望みだ。ちょっと残念ではあったけど学校に行けばまた隣の席で勉強することができる。
「よっし、今日も頑張っていこう!」
 僕はそう気合いを入れてベッドから抜け出してパジャマを脱ぎ、制服に腕を通す。鞄に入っている教科書類が今日の時間割と間違いないことを確認してから、部屋を出る。
「おはよ~」
 まだ寝癖のついた頭をなでながら、僕はリビングに入る。もう既に、父さんと晴兄は朝食を食べていた。
「お、おはよう」「お~、おはよ。今日もアオハル頑張れ~」
「ちょ、晴兄!」
 晴兄の声かけに僕は慌てながら、テーブルに座る。父さんはそんな僕を一瞥して、「なんだ?好きな人でもできたのか?」と言ってくる。それに僕は素直に「うん、まぁ」と答えてしまう。「転校生だってさ」という晴兄を僕は睨むけど、晴兄は涼しい顔だ。
 父さんは「そうか。お前も高校生だから、そんな恋愛するのも大事だと思う。俺からは特に言うことない。ま、頑張れくらいだな」と言ってくれる。高校の教員だから、そんな生徒もたくさん見てきた上での言葉なのだろう。
 僕は、「ありがとう」と言って、朝食に手を伸ばす。
 今日の朝食は、トーストとスクランブルエッグ、ゆでブロッコリーにトマトと至ってシンプル。それに味噌汁というところが統一感がなくて、いかにも母さんらしい。
「いただきます」
 まずはトーストを口にほおばり次にスクランブルエッグとブロッコリー。
 ん、やっぱり朝はパンの方が僕は好きだし、楽だ。何より、パンにしみたマーガリンが好きだったりする。
 あっという間に朝食を平らげて歯を磨き、寝癖を直すと、時間は7時半を回ったばかり。
 学園の始業は8時半。自転車で行くと、どんなにかかっても15分だから、まだ30分以上余裕なのだけれど、今日は早く家を出たくなった。それは、ある意味予感めいていた。
「早いけど、そろそろ学校行くね。行ってきます」
 僕はそう言って玄関を出る。伊緒姉以外の3人の「行ってらっしゃい」に背中を押された気分になる。伊緒姉はこの分だとまだ夢の中だろう。ニートではないが、「あまり働きたくないなぁ」という伊緒姉。週に3~4日、ファミレスでバイトをしているけど、夜遅い時間帯が多いから、朝はかなりぐうたらだ。昨日はバイトが休みだったから一緒に夕飯を食べたけど、夕飯時からバイトに入ることが多いから、そんな時間は何気に貴重だ。
 僕は自転車小屋に向かい、メットをかぶってロックを外して自転車にまたがる。
「よーし、Let's go!」
 僕は勢いよく自転車をこぎ出した。

 城西商店街の入り口を商店街に入る方とは逆の方向に曲がって、そのまま真っ直ぐ向かうと学校だ。
 快調に自転車をこいでいると、その前方に見慣れたセーラー服を見かけた。その両隣には、男子生徒が二人。
 …誰だよ…
 僕は、焦る。彼女に言い寄っているのだろうか、それとも、世間話をしているのだろうか。正直に言う。僕は嫉妬している。あの隣には、僕がいたんだ――
 僕は自転車の速度を落として、少しずつ3人に近づく。すると、話しかける男子生徒の表情――ちょっと嫌らしい感じで大原さんの顔や胸あたりをのぞき込んでいるような――が見えたし、そして何より、話しかけられた男子生徒の顔色を窺う大原さんの表情は少し困っているみたいだった。
 ――困ってる?ならば、助けないと!
 僕は少し自転車を漕ぐ力を強め、背中から声を掛けた。
「大原さん、おはよう」
 突然呼びかけられたせいか、びくっと一瞬肩を震わせたが、後ろを向いて声の主が僕だと分かると安心したように笑顔になった。
「あ、おはよう、東条くん。昨日はありがとう」
 大原さんは突然歩みを止めて2,3歩サッと後ずさる。急に止まったものだから、両隣にいた男子生徒達は2,3歩先に進んでしまう。その隙に、僕は自転車を降りて彼女の隣に収まった。
「あ、私、東条くんと一緒に行きたいから…ごめんなさい」
 大原さんはそう男子生徒達に告げる。その表情は、僕に向けたものと違って、とても硬い。やはり、あの二人は彼女に対してかなり失礼な言動をしていたのだろう。昨日中田に向けていたのと同じ目、表情だ。あまり関わって欲しくないという表情。
「どういたしまして。それにしても、偶然だね」
 男子生徒達がいなかったかのように話し出す僕。そんな僕を、二人の男子生徒達は少し苛ついたように見ていた。でも、そんなの気にしてはいけない。
「そうだね。東条くんもいつもこの時間なの?」
 大原さんがそう言うので、僕は正直に答える。
「いいや、いつもはもう15分くらい遅いんだけど、今日はなんだか早く行きたい気分だったんだ。でも、それで正解だった。今ちょっと困っていたんじゃない?」
「うん…まぁ、ね」
 大原さんの歯切れは悪い。何を言っていたんだ、あの二人は…?と思っていると、
「おい、お前邪魔すんなよ」
 二人の片割れが僕に向かって言ってきた。ブレザーの下襟についている校章の色を確認すると、僕と同じ緑、同じ2年生のようだ。(1年は赤、3年は青だ)
「邪魔?彼女、困っているように見えたけど?」
「困っているって、何を根拠に?俺たちはただ転校生に学校のことを何でも聞いて欲しいって言ってただけだ。それに、なれなれしく彼女に話しかけてるなんて、お前一体何様だよ?」
「何様ってね、同じクラスで席が隣。昨日から早速色々話させてもらってるんだけど、何かご不満でも?それとさ、もし本当にそんなことを言っているなら大原さんがこんな硬い顔にならないよ、ねえ、大原さん」
 大原さんに言われたことを確認してみる。すると彼女は厳しい顔になった。
 僕の返しと彼女の厳しい顔に、男子生徒は少し動揺しているようだったが、彼女は意にも介さず話してくれた。
「そうね。『このセーラー服姿、そそるね』『良い身体してるね』とか言われたわ。ホント、昨日の中田くんと言い、初対面の人間にそんなことを言う神経が分からないわ」
 だいたい予想したとおりの言葉に、僕はこの二人に憤りを感じ、さっきの嫉妬心もあって思いっきり毒づいてしまう。
「やっぱりそんな事だろうと思った、嘘は良くないね。君たちね、言動には注意した方が良いよ。下心ありありで声を掛けるから、迷惑と大原さんは感じるんだよ。そんなことを言う人とは彼女は付き合うつもりないようだから、そっちこそ、大原さんに近づかないでくれないかな?」
 僕はそうハッキリと二人に告げて睨むと、二人はバツが悪そうに「お前も同じだろうに」「覚えてろ」と三下が吐くような台詞を言って走って行ってしまった。
「は~あ、スッキリした」と大原さんは一つ大きな息を吐きながらそう言って顔を赤らめて「またまた助けられちゃったね」と言う。
「困っている表情をしていたから、助けたいと思った、それだけなんだけど、『お前も同じだろうに』って、失礼な奴らだなぁ」
 僕は、本心からそう言う。そんな僕に大原さんは赤い顔のまま笑ってくれた。
「ほんとほんと、失礼よね。昨日と言い今日と言い、東条くんって颯爽と現れて助けてくれる、ヒーローみたいなのに。…ありがとう。今日も一日よろしくね」
 そんな大原さんの言動が、とてつもなく尊く、愛おしい。
(大原さんのこんな表情、本当に尊い、それ以外に語彙力ない!)
 僕は真っ赤になって照れて、つい無言になってしまう。そんな僕の表情を見て、
「もしかしなくても、照れてる?」
 大原さんがツッコミを入れてくる。同じ笑顔でも、今度はちょっと悪戯っぽい感じで。
「ははは…(そんな表情、ずるすぎる!また惚れちゃうよ!)」
 僕は苦笑いしかできなかった。こんな時間がいつまでも続くと良いのに。なんて思っているところで、彼女の鞄が視界に入る。そこには、バドミントンラケットのグリップが見えた。
「あ、早速入ってくれるんだ、バド部」
 僕が言うと、大原さんは笑って、
「うん、楽しみ。昼休みにでも顧問の先生のところへ入部希望ですって言いに行こうかと思っているんだ」
「OK。それじゃ、一緒に行こうか。女バドの顧問はさいとう先生って言うんだ。西の塔って書いて、西塔。若い女性の先生だよ」
「ありがとう。西の塔で西塔って、逆に珍しいよね、普通にさいとうって言うとあの難しい漢字の方だと思うから」
「そうだね。」
 二人の楽しいおしゃべりの時間は瞬く間に過ぎて、学校手前の交差点に差し掛かる。
 この交差点は、臨魁学園の生徒が多いこともあってか、小さいながらもスクランブル式の交差点になっている。歩行者用信号はタイミングが良いか悪いか、赤だった。僕たちは立ち止まって、青になるのを待つ。
 そこに、右から腰まである髪の見慣れたクラスメイトが声を掛けてきた。
「あ、おはようございます、大原さん、東条くん」
 声の主は、三上だ。二人の時間を邪魔されてしまったけど、彼女であるならば機嫌を悪くする理由なんてない。…と言えると程大人なわけじゃなく、ちょっとだけね、やっぱり残念な思いは持ってしまう。
「あ、おはよう夢衣めいちゃん!」
 大原さんはもう三上のことを夢衣と呼んでいる。昨日、よほどライナーで盛り上がったんだろうな。
「もしかして、お邪魔だったかな?東条くんも、嫌だった?」
「「そんなことないよ」」と、僕と大原さんの返事が見事にハモる。僕たちは、顔を見合わせると思わず笑い出した。つられて三上も笑う。
 笑っているうちに、歩行者用信号は青に変わった。
「今日も良い天気で良かった。そういえば、体育って何するの?」
 大原さん三上に話しかける。三上は丁寧な物言いで答える。
「長距離走です。…私はとても苦手で憂鬱です」
 そう、三上は運動があまり得意な方ではない。だから文化部――手芸部なんだけど――に入っている。
 今体育は、11月の上旬にマラソン大会があるので、そのために長距離走をしている。三上は持久力もないから、彼女にとっては単に苦行でしかないことは確かだ。
「マラソン大会が近いからね。今は体育と言えばマラソンなんだ」
 僕たちの説明に大原さんは、
「そうなんだ。それはちょっと大変かも」
と人ごとのように独りごちるけど、真顔になって
「でも、最近あまり運動してなかったから、ちょうど良い運動になりそう」
 なんて気合いを入れていた。そして、
「自分のペースで頑張れば良いと思うわ。夢衣ちゃん、一緒に頑張ろう!」
 と、前向きな言葉を三上に掛ける。すると三上も
「はい、頑張ります!」
 と珍しいくらいのボリュームで大原さんに返事をした。
 信号が青に変わると、スクランブル交差点は臨魁学園の生徒が何人か渡ってくる。まだ少し早い時間だから、生徒もまばらだ。もう15分遅いと、本当にこの交差点はあふれかえるくらいになる。
 僕たち3人が交差点を渡り終えると、スクランブル交差点の方から声がした。
「お~い、慎吾~夢衣~大原さん」
 自転車に乗ってきた幸弘だ。幸弘も自転車から降りると、三上の隣に落ち着く。
「おはよう、幸弘」「おはよう、矢野くん」「おはようございます、矢野くん」
 僕たちは彼に挨拶して、4人並んで交差点から150m先の校門から学園に入る。
「じゃ、自転車置いてくる」
と言って、短い距離だけど自転車を漕いで僕と幸弘は自転車小屋に向かい、メットをハンドルに掛け、ロックをして、ダッシュで2人――もう、玄関で靴を履き替えてるはず――のところへ向かう。
「急いで、どうした?」
と幸弘が聞いてくるけど、「二人に追いついてから話すよ」とだけ僕は告げて、走る。
 玄関に着いて自分たちの靴箱のところへ行くと、二人はもう靴を履き替えてあったけど待っていてくれたようだ。僕たちは「ありがとう、待っていてくれて」と言いながら靴を履き替える。
「うん、だって、またさっきのようなことがあったら嫌だから…」
「さっき?」
 事情を知らない三上と幸弘に、教室への道すがらさっきの話をする。三上も顔をこわばらせていたし、幸弘も「なんでそんな連中ばかり声かけてくるのかね。というか、そういう連中だから声をかけるんだろうけど」と憤る。
「でも、東条くんのおかげで何とかなったから大丈夫。それに、学園の生徒はそんな人ばかりじゃないことは、東条くんや矢野くん、クラスのみんなを見ていれば分かるから」
と大原さんは言ってくれた。
 そのうち、教室に到着する。それぞれ、荷物を机に置いてから別に集合を促したわけじゃないけど、大原さんと僕の机の周りで四人で話の続きを始める。
「まぁ、教職コースの連中は確かにそんな奴はいないんだけどね…アスリートコースやアーティストコースはなんかそんな軽い連中もいるとは聞いてる。教室移動とかは要注意だね。なんせ、既に『美人転校生が教職コースに』という噂は学校中に流れたっぽいから、大原さんへアプローチする奴はこれから増えるかも」
 幸弘は、俺が不安に思うようなことを言ってくれる。
「だからなんですけど…一つ、提案があるんです」
と、三上が珍しく口を挟んできた。
「昨日のライナーグループでも話題になったのです。どう考えても、これからしばらくは色々大変かもしれないって」
「ふむ。そうかもね」
 僕は相づちを打つ。
「それで、教室移動とか、トイレとか一緒に誰かが行動すると良いねって話になったんだ」
と、三上の言葉を受けて、大原さんが続ける。
「基本的には紗友梨さん(大木さんのことだ)や和子さん、夢衣ちゃんはじめ女子が教室移動する時に一緒に行くことになったんだけど、それだけで大丈夫かな?って話にもなって」
「東条くんや矢野くんをはじめとする男子にもお願いできると良いかなって」
「抑止力ってことだね」
 幸弘の答えに大原さんと三上は頷く。
「どう、かな?」
 大原さんが僕たち男子を見上げて言う。そりゃ、返事は決まってるよ。
「もちろんだよ。僕に異存はない。だって、ヒーローみたいって言ってくれたんだ。その期待に応えるよ」
 さっきの言葉に大原さんは一気に赤くなって、照れたように両目を閉じて
「お願いします!」
と、言う声が教室に響いた。その声に昨日の話をしていたことを察したのだろう、既に学校に来ていた大木さんも僕たちの輪に加わる。
「あ、昨日のチャットの話だよね。うん、東条くん矢野くんがついてくれるとすごい助かる。他の男子にも二人がいない時にはお願いするつもりだけど、基本的にはあなたたち二人にお願いしたいの」
「でも、なんで俺もメインになるの?」
 幸弘が疑問を口に出す。
「一番は、やっぱり席が隣の東条くんにお願いするのが自然かなって思ってる。昨日一日でかなり仲良くなれたみたいだし。でも、東条くん一人に背負わせるのも大変だから、東条くんの幼馴染みでもある矢野くんにもお願いしたいなと思ったの。昨日の中田くんの一件もあるし。矢野くんはご不満?」
 大木さんの答えに幸弘も得心が行ったようで、ふっと口元を緩ませて「了解」と短く答える。
 そうこうしているうちに、時間も8時15分を回り教室の内外が騒がしくなる。やはり、教室の外は他のクラスの男子生徒が大原さんを一目見たいと扉近辺で壁を作っているみたいだ。
「大原さん、こっち向いて」
 あまり廊下の方を見ないように、逆の僕の席側に身体を向けるように促す。
「いや、確かにこれは大変かも」
 だって、教室の扉から教室に入りたいクラスメイト達が入りづらそうにしているんだもの。そんな連中に、鈴木と大木さんの正副クラス委員長コンビが教室から離れるように連中を諭す。
 でも、言うことを聞く生徒もいれば、聞かない生徒もいるのが当たり前で。
「教職コースの連中は良いよな、あんな美人をいつでも見ることができてよ。俺たちみたいな他のクラスはどうでも良いってか?」
 等という奴がいる。…よく見ると、さっき大原さんに声を掛けてた品のない奴だった。
「またあいつだよ」
 僕が教室の外に視線を移して大原さんに言う。彼女は少し首をすくめる。
「やっぱり、ああいう人たちは迷惑だよね」
と、首を横に振ってやれやれといった表情を浮かべた。
「どうする、慎吾、蹴散らすか?」
と幸弘がお伺いを立てるけど、ここは慎重に行動したい。
「もうちょっと様子を見よう。エスカレートしてくるなら、出番かもな」
「りょ」
 少し様子を見ていたけど幸いなことに、それ以上エスカレートすることなく渋々教室から去っていったみたいで教室の外は少しずつ静かになっていっている。
 実のところ、腕っ節にはあまり自信がない。小学校の時は少林寺拳法に通っていたけど、中学部に入ってから辞めてしまったし、喧嘩に使うなと厳命されていたから喧嘩になるとおそらく思うように動けないと思う。だから、エスカレートすることなく事態が収まったのは何よりで、委員長コンビに感謝だ。
「鈴木、大木さん、ありがとう」
 僕がやれやれといった感じで戻ってきた二人に声を掛ける。
 鈴木はサムアップして、「おぅ、東条貸し1な」なんて言ってくる。だから僕は、「今度何かおごるよ」と伝えると「お、サンキュー。じゃ、学食の昼飯で手を打つわ」と軽くやりとりして、鈴木は席に戻る。
「本当に、ありがとう。こんなこと、今まであったの?」
 大原さんも二人に礼を言って、素朴な疑問を口にする。それには大木さんが答えた。
「ううん。そもそも、この学園に転入すること自体が珍しいの。そして、更紗さんってあまり自覚してないようだけど、美人でスタイル良いからなおのこと話題に上ったんだと思うわ」
「う~ん、確かに今まであまり自覚したことなかったわ。前の学校ではそんなに色々言われていたわけじゃないし…。もっとも、前いたところは2年しかいなかったから、友達もあまり作らなかったのもあるかも」
 大原さんは右手にあごを乗せて前のことを思い出しながら話してくれる。
「意外ですね。すごく話しやすいと私は思うのですけど」
 三上が本当に意外そうに大原さんに話しかける。
「そうね…たぶん、前のところは本当に2年の期間限定だと言うことが分かっていたのも大きかったかも。2年で別れてしまうと分かっていて、大きく、深く交友関係を築いてしまうと、別れるのが辛いなって思ってたから、そんなに積極的に友達を作ってこなかったんだよね」
「なるほど…でも、今の大原さんからは考えられないな」
 僕は思ったことを口に出す。大原さんはそんな僕に
「うん、確かに今の私が地なんだと思う。それも、お父さんの転勤がここで一段落するからなんだよね」
と伝えてくれる。ということは、ここに根を下ろして、一緒に学園生活を送れるわけだ、それは僕にとっても嬉しいことで。だから
「そっかぁ、ずっといられるんだね、ここで」
「うん、もう引っ越ししなくていいんだぁと思うと、すごい気分が晴れやかなの」
 本当にそう話す彼女の表情が晴れやかで、キラキラ輝いている。
 僕は、そんな大原さんの表情をぼ~っと見ることしかできなかった。
 そして、始業のチャイムが鳴り、朝のSHが始まる。いつものように春日先生からの連絡事項が話され、SHが終わる。
 大原さんは、「ちょっとトイレ行ってくるね」と大木さんに声を掛けてトイレに行った。大木さんが先頭に立って、教室を出る。
 教室の外は、始業前ほどじゃなかったけど、何人か彼女を見に来た生徒がいたようで、「ちょっと通してね」と言う大木さんの声が聞こえた。
 …やっぱり、気になるな。
 僕は席を立って、ちょっと廊下をのぞき込む。トイレの方には、彼女たちと一緒に歩いている生徒が何人か見えた。男子生徒だけでなく、女子生徒もいるみたい。
「僕も、トイレに行ってくるか」
と言い訳を口にしてからトイレに向かう。入り口には、何人か誰かが出てくるのを待っているかのような集団がいた。
 トイレで用を済ませて出てくると、ちょうど大原さんと大木さんも出てきたところのようで、大木さんが「あら」といった様子で僕の顔を見る。
 集団の中には「おい、お前いけよ」「いやいや、そっちこそ」というひそひそ話が聞こえるが、そんな気弱なことでは、いつまでも話しかけられないと思う。だから、連中が気をもんでいる間に僕は大原さん、大木さんの側に並んだ。
「やっぱり、気になっちゃった?」
 大木さんの言葉に僕は反射的に「うん」と頷く。「さっき言われた手前ね」と付け加えたけど、きっと僕の顔は赤くなっていたと思う。でも、
「トイレは女の子同士で行くからいいのに」
と、大原さんには引かれてしまったっぽい。ですよね…。
「ゴメン、だよね。これから気をつけるよ」
 僕はしょぼくれて大原さんに言うと、彼女は、
「でも、心配してくれたんだよね。ありがとう」
と気遣ってくれた。その気持ちはとても嬉しかった。ところが、
「なんだよあいつ…なれなれしく話しやがって」
と言う声が後ろから聞こえる。たぶん、僕に対する言葉なのだろう。気にしたら負け。
「早く戻らないと、1限目始まるから、急ぎましょう」
 大木さんが後ろの声に何か察したのか、僕たちを促してくれた。だから、歩くスピードを上げて、一気に教室へ戻る。
「東条くん、あなたも当分気をつけた方がいいかもね。かなり男子生徒達から嫉妬されているわ。SH前にも、更紗さんと話しているあなたに対して『なんだよあいつは~』と批難めいた声が聞こえたし」
 戻ってから大木さんがそんなことを言ってくる。まぁ、それは言われるだろうなぁ。同じ立場なら、僕だって言ってしまうと思う。でも、この与えられたポジションは有効に使う。そう言う意味で、僕は一番有利なのは分かっているからそんな嫉妬に負けていられない。だから、
「うん、わかるよ~。でもね、嫉妬を怖がってたらヒーローの役目を果たせないでしょ?」
と言って、大木さんと大原さんに笑顔を向ける。大木さんは、
「うん、そう言うと思った。だから東条くんに任せて正解だったなって思うの」
 そして大原さんは、
「東条くんって強いね」
 と言ってくれる。
「そうかな?ありがとう」
 僕は大原さんにそう礼を言って、席に座った。

 チャイムが鳴り、一限目の数学の授業が始まる。微分の授業だ。
「・・・で、この微分係数を求める計算を極限を用いてしてもらおうかな・・・」
 数学担当でもある春日先生が教室全体を見回す。数学が得意な僕にとっては、初歩中の初歩。
 いつ当てられても大丈夫、どんとこーい!といった感じで自然体でいると、先生と目が合った様な気がした。そして先生は口を開く。
「大原さん、できるかな?」
 僕ではなく大原さんに当たったから僕は焦った。あれ?コレは普通に僕に来るパターンかと思ったんだけどな。
 僕は、「は、はい」と少し焦った感じで返事をして、慌て気味に席を立った彼女をそっと見上げた。
 彼女は、不安な表情をしていた。誰かに助けて欲しそうな顔になっていた。
(よし、僕の出番だ)
 僕は彼女の左手の甲をシャーペンの尻で軽くつついた。
「?」
 彼女はちょっと驚いた顔をして下目がちに僕を見る。僕はノートを彼女に渡した。
 僕のノートを見て軽く頷くと、ノートを持ってホワイトボードに向かって歩き出した。
 黒のボードペンを取って、計算の過程を書く。寸分違わぬ計算を書き終えると、彼女はふ~と一息吐いて、自分の席に戻った。
 座った時、彼女は僕の方にノートを返してから手を合わせて、
「ありがと。助かった」
と言ってくれた。
「なぁに、どういたしまして」
と僕は返して、授業に戻った。
「あれ?大原はまだこのあたりやってなかったか?」
 春日先生の質問に、大原さんは「はい」とさっきより大きな声で返事をする。春日先生は、「そっか、ごめん。まぁ、極限の計算は最初難しいかもしれないけど、慣れれば大丈夫だから」
 僕と大原さんのやりとりを見ていた春日先生は、そう言って授業を続けた。

 授業が終わると、大原さんが話しかけてくれた。
「本当にありがとう。昨日も言ったけど、数学苦手だし、極限の計算も初めてだから全然分からなくて」
「あ、授業の進度が全然違ってた?」
 そう僕が聞くと、大原さんは困った顔で、
「そうなの。前の学校、今はまだ指数が終わったところだから、対数がまるまる抜けてるわ」
と学習空白部分を教科書で示しながら言ってくれる。
「それ、かなり不利になるなぁ…抜けているところ、僕が教えようか?」
 そう言うと、大原さんの表情は明るくなって、
「成績トップクラスの東条くんの解説なら大丈夫だと思う。お願いしていいかな?」
 まさかそんないい返事が来ると思ってなかったから、僕は彼女の顔を覗き込んでしまう。
「本当にいいの?」
「うん、だって昨日話してたじゃない。いつでも教えてあげるって」
「ああ、そうだったね。じゃあ、いつからやろうか?」
「う~ん、今日から早速と言いたいけど、どう?」
 僕に拒否権はありません、ええ、彼女の仰せのままに。でも、一つだけ確認したいことがある。僕は大原さんに尋ねた。
「いいんだけど、部活終わってからの話だよね?」
「うん、そうなるね」
「確かに、この学園って20時までは自習室が開いているから部活のあと1時間くらい勉強できる。でも、20時だと親御さん、心配しない?」
「…確かに。今日の夕食当番は妹だからそれはいいけど、お父さんに迎えに来てもらう方が良いかも」
 10月半ばの20時は、もう周りが真っ暗になるし、このあたりの治安は悪くないけどやっぱり女子生徒の単独行動は心配だ。うん、迎えに来てもらえるならば、僕は特に異論がないわけで。もちろん、ダメな時は僕が送って帰るつもりだ。
「放課後に一回お父さんと妹にライナー入れておくね」
「了解。僕も家族に遅くなるって伝えておくよ」
 そんな話をしていたら、角田さんはじめ女子数人が
「もう二人の会話に違和感ないよ~すごく馴染んでるね」
なんて言うものだから、僕は顔が赤くなる。大原さんはどうなんだろうと思って彼女の方を見ると、彼女はそこまで赤い顔はしてなくて、「え~でも、話しやすいことは確かだし」なんて言っている。
 僕はなんだか気恥ずかしくなると同時に、またもやトイレに行きたくなった。
「ちょっとトイレ行ってくる」
 僕は席を立って、トイレに向かおうとした。
 教室を出た瞬間、5,6人ほどの男子生徒の壁に行き先を阻まれる。僕たちが会話しているところを見ていたようで、彼らからは僕に対する怒気が感じられた。少し、恐怖を感じるけど臆しちゃいけない。
「ちょっと通してくれないかな、トイレに行きたくてね」
 僕はそう言うけど、壁はどいてくれない。
「なんでお前は彼女とあんなに喋ってるんだよ」「転校して2日目なのになんでそんなに仲良いんだよ」「見せつけんなよ」
 あ~あ、男の嫉妬もややこしいなぁ。僕はあえて涼しい顔をして言った。
「席が隣になった者の特権かな。だから何?」
「マジむかつくわ。涼しい顔してスカしてられるのも今のうちだ」
「今のうちねぇ…どういうことかな?」
「それは…」
と壁の誰かが言いかけた時、後ろから女子生徒の声。
「ねぇ、どうして東条くんをトイレに行かせないの?私と東条くんが喋っているのがそんなに嫌なの?でも、私が誰と喋ろうが、私の自由だよね?そんなことで嫉妬して東条くんに八つ当たりをするような人たちとは、私話したくない!自分のクラスに戻ってよ!」
 大原さん…。初めて見る、彼女の怒った顔も僕から見ればとても綺麗だった。僕のために怒ってくれているのは、とても嬉しい。一方で、彼女の必死な、怒気を孕んだ呼びかけは、彼らにとってかなり効いたようで、
「ごめんなさい…」「すみませんでしたぁ…」
と、一人また一人ふらふらと自分の教室へ戻っていく。すぐに、壁はなくなった。
「ありがとう、助けてくれて」
 僕が後ろを向いて大原さんに礼を言うと、彼女は怒った表情が緩んで、
「だって、いつも助けてもらってばっかりじゃフェアじゃないから。東条くんが困っているなら、私だって助けたい」
 その気持ちが、とても嬉しい。
「うん、本当にありがとう。大原さんが女神に見えたよ。じゃ、今度こそトイレに行ってくる」
 僕は照れ隠しにそう言うと、彼女は「女神って、からかわないでよ~」と言った後、「行ってらっしゃい」と送り出してくれる。僕は、ふっと視線を感じて廊下の右の方に顔を向ける。
 ――その時、教室の出口から程ない距離の階段の近くで、怒りの形相をした女子生徒がこちらを睨んでいたことに気がついた――

 昼休み。いつものように学食でお昼を食べて速攻で教室に戻ると、昨日と同じように大木さん、中山さん、三上と一緒に大原さんはお弁当を食べていた。
「戻ってくるの早いよね」
と昨日と同じツッコミを大木さんから受けたけど、「昼飯食べるのは早いよ。そのあとバスケ行ってるからみんな知らないだけで」とひとまず抵抗する。でも、
「そんなに大原さんとおしゃべりがしたいのよね?」
と言う中山さんの一言に見事撃沈する。
「あ、いや、だって、食べ終わったら、西塔先生の、ところへ行こうって、約束していたからね」
 ちょっとしどろもどろになって答える僕に大原さんも三上も含めて四人で笑う。
「てな訳で、待っている間、またあの、ラノベ読んでるよ。どうぞ、ごゆっくり~」
 照れ隠しをしながら僕はまた大木さんにどいてもらって今日は机の中からラノベを取り出して幸弘の椅子に座って読み始める。今日も珈琲牛乳が読書のお供だ。
 どうやら、さっきの一件があってから彼女を覗き見に来る生徒の数が減ったように思われる。それはそれでいいことだなと思いながらラノベを読んでいるうちに、四人の食事会は終わったようで、大原さんが僕を呼んでくれた。
「お待たせ!それじゃあ、行きましょう」
「オッケー」
 僕はそう返事して、二人で職員室に向かう。
 教室を出ると、数人の男子生徒が僕たちを遠巻きに見ていて、なんかひそひそ話をしているように見える。そして、視線の先にさっき見た女子生徒――やっぱり、怒っているような雰囲気だ――がこちらを睨んでいるように見えた。
 どっちも気にはなるけど、特に女の子の方は心当たりがない。怒った顔でなければ、相当可愛い部類の顔をしているのにとは思うけど。
「?どうしたの?」
 大原さんは僕の様子を怪訝そうに見て問いかけてくる。それに僕は
「ゴメン、何でもない」
 本当に、何でもなければいいんだけど…と思いながら二人で並んで歩いた。
 西塔先生はまだ年齢が26歳と若い先生で、エネルギッシュだ。そういうところ、大原さんと合うと思う。男女合同練習の時に何度か話をしているけど、練習方法とかもいい動画を探してきてくれているから生徒からの信用も厚い。
「西塔先生、少しお時間よろしいですか?」
「あら、東条くんいいわよ。どうしたの?」
「入部希望者を連れてきました」
 ちょうどご飯を食べ終わったばかりの先生に、僕は話しかける。先生は、「あら、こんな時期に?」と言いながら「誰かしら」と僕の後ろを覗く。大原さんの姿を確認すると納得した感じで、
「あ、転入生の子ね。バドミントン経験者?」
 その質問のタイミングで僕と大原さんは場所を入れ替わる。
「高校に入ってから始めました。一応一通り打てるようになりましたが、まだまだ経験が浅いので皆さんに食らいついていきたいです。よろしくお願いします」
「うん、分かったわ。じゃ、今日の部活の時に入部希望用紙渡すから、今日から一緒に練習していいわよ」
 西塔先生はあっさりと入部を承諾してくれた。早速今日から一緒に部活ができる。僕は大原さんの後ろで軽くガッツポーズを作った。
「「ありがとうございました」」
 僕と大原さんの声がハモる。またもやハモったそのタイミングに、僕たちは顔を見合わせて笑ってしまう。
「あらあら。もしかして二人でダブルス組むと面白かったりして~」
と西塔先生は冗談を言う。その冗談を真に受けたのか、
「混合ダブルスもやるんですか?」
と大原さんは質問する。西塔先生は、
「男女合同練習の時にすることもあるわ。今日の動きを見てからだけど、組んでみてもいいと思ってる。だって、そんなに息が合ってるんだもの」
とニヤニヤしながら僕たちを見る。西塔先生までからかうんですか?
 大原さんは「そうなんですね。今から楽しみです」と言って、「それでは、今日からよろしくお願いします」と挨拶し、職員室を出る。
 教室に戻る道中、「放課後が待ちきれないよ~」と言ってうずうずしている大原さんの表情がとても可愛くて、僕も楽しみになる。
 教室に戻ると、女子はほとんどいなくなっていた。あ、次体育だ。
「やば…次体育だね。更衣室で着替えるから急がないと」
「男子も更衣室で着替えるよね?」
「そうだね。でも、男子は第3体育館の更衣室で着替えなんだ。女子は第1」
 それくらいの距離なら、問題ないとは思うけどね、と付け加えていたら、
「大丈夫です。私と一緒に行けばいいですから」
と三上が声を掛けてきた。
「夢衣ちゃん!?待っててくれたの?」
と言う大原さんに、
「はい、待ってました。」
とあっけらかんと話す三上。教室に戻った時はほとんど気配感じなかったぞ…。
「三上、じゃよろしく頼む」
「はい、任せてください」
 三上とこんな話を連日するようになったのも久しぶりだ。大原さん効果が大きい。
 三人でまず一番近い第3体育館に移動し、一旦二人と別れた。体操服に着替えて外用運動靴を持ってグラウンドに出る。
 マラソンの練習は、男女合同になっている。だから、集合場所も同じだ。二人を待っていると程なく、姿を現した。この学園の体操服は準備できたみたいだった。
 やっぱり、体操服になるとスタイルが良いのが更によく分かる。豊かな胸にくびれた腰。正直、目のやり場に困るというのはこのことだ。
 現れた転校生のスタイルに釘付けになったのは僕だけではなく、男子のほとんど、女子も半分くらいは目が行っていたように思う。
 そのためか少し周りがざわめく。なかには、「すげー」という声も聞こえる。けど、授業始まりのチャイムが鳴ったので、みんな静かになって整列する。
 体育の藤岡先生が、今日のコースの確認と、目標タイムを設定する。
 男子は外周(学園の周りの歩道のことで、部活でもよく使われる1周約1.2kmのコース)を5周。女子は2.5周するとのこと。男子は通常の校門がスタートゴールになるけど、女子は通常の校門をスタートして、真反対にある通用門がゴールになる。
 男子が先にスタートして、先頭が半周過ぎたくらいで女子がスタートするのが慣例になっている。
「それじゃあ、男子~!校門前に並べ~!」
 男女合同で準備運動をした後、男子が呼ばれる。体育メイン担当の藤岡先生の声に、僕たちは校門へ並ぶ。厳しい先生だから、たらたらしていると怒られるので、キビキビ動く。すると、隣に幸弘が来た。
「やっぱりすごいよな、彼女。多分FかGだぞ」
 大原さんの胸のサイズのことを言っているのだろう。
「そうなの?すごいと思うけど僕はとにかく、目のやり場に困るよ」
 そんな僕の返しに「ふっ」と笑って、
「まだまだ甘いな、慎吾よ。眼福だぞ、眼福」
「そりゃあ、そうなんだけど…」
 なんて話している間に、
「それじゃあ、よ~い、どん!」
 先生の合図とともに、先生の手に握られたストップウォッチがピッと計測を開始する。
 なんだか、いつもより男子達の走る気合いが違う気がするのは、気のせいだろうか?大原さんにいいとこ見せようって魂胆かな?でも、僕はいたってマイペースでいつものペースを刻む。上位を狙うつもりはない。元々、長距離が得意じゃないというのも大きいうえ、陸上部の中長距離専門がはもちろんのこと、たくさん走り込むサッカー部や野球部が上位を占めるのが例年のことだから、今更気合いを入れてかっこいいところを見せる場では無いなぁという諦めがある。
 そうこうして僕が2つ目の角を曲がる頃には、先頭は半周を過ぎたみたい。そろそろ女子もスタートするだろう。それでも僕はマイペースを貫く。幸弘も単純に長距離を走るのは好きではなくて、僕の少し後ろでマイペースで走っていた。
 そして、4つ目の角を曲がってもうすぐ1周が終わる。速い男子は2周目の2つ目の角あたりに差し掛かるだろうか。僕は、藤岡先生の「はい、4分15」の声にいつものペースであることを確認して、走り続ける。
 2周目の終わりくらいに差し掛かると、一番遅い女子の集団に追いつく。そこにはだいたい三上がいて、僕はいつも彼女を横目に通り過ぎるのだけど、今日はいつもと違った。そこには大原さんも三上の横を並走していたからだ。
 僕は、スピードを落とすのもわざとらしいと思ったので、そのままマイペースで走り抜けようとする。ただ、「二人とも、頑張って」と声を掛けて。
 三上を見ると、まだ1周目の終わりだというのにかなり辛そうだった。でも、僕の声に少しだけ笑みを浮かべて。大原さんも僕の声に「ありがとう」とまだ余裕がありそうな声で言ってくれた。やっぱり顔を見たくて、ちらっと大原さんを横目で見たんだけど…顔のすぐ下にある双丘にも目が行ってしまう。
 …揺れてる…。走っている振動に合わせて上下に動くそれは、本当にど迫力以外の何物でも無く、幸弘が「眼福」というのも頷けた。でも――ああ、ダメだダメだ、僕は首を振って邪念を消そうとして前を向く。でも、見てしまった残像が消えない。
 幸弘も、すぐ後に「ファイト」と二人に声を掛けたようだった。僕は幸弘の方をちょっと向いてサムアップし、お互いのペースで残り3周を走り抜けた。でも、邪念はそう簡単に消えてくれなく、しばらく目の前で残像が揺れていた。
 ははは…大原さん、許して。

 体育が終わり、着替えを済ませて幸弘と教室に戻ろうと更衣室を出た。すると、男子更衣室前に大原さんと三上が待っていてくれた。
「さっきは励ましありがとうございました。おかげで頑張れました」
と丁寧に三上が僕たちに礼を言う。それを言うためにわざわざ待っていてくれるのは、彼女の義理堅いところだ。
「今日は女子3キロくらいだったから確かに夢衣にはちょっと辛かったよな」
 幸弘がそう言うと、三上は
「はい、そうですね。更に言うと、今日は体調があまり良くなかったので…」
「え?大丈夫か?」
 幸弘が心配の声を上げる。三上はそれに笑顔で応えた。
「大丈夫です。これも二人が励ましてくれたから」
 三上の力になったのなら、それはそれで嬉しい。大原さんはそんな僕たちの会話を見て
「幼馴染みなんだよね。いいなぁ~気心しれた古くからの友達って」
と言う。その表情は、心底羨ましそうで…。
「これからそうなればいいんじゃないかな?これからずっとこの街にいられるんでしょ?」
 なんてつい口から発してしまった。僕ははっとして口をつぐむけど、発した言葉はもう取り戻せない。
「おい慎吾、心の声ダダ漏れ」
と幸弘が突っ込むけど、大原さんは目を輝かせて、
「そうね…私もこの仲間に入れてもらえると嬉しいな。朝もそうだったけど、一緒にいるとすごく安心するんだ」
…嬉しいよ。そう言ってくれるなんて。
「歓迎します!」
 三上も嬉しそうにそう言って、大原さんに右手を差し出す。大原さんは「こちらこそ」と三上の右手を握った。
 かなり、僕たちと大原さんの距離が縮まったのをこのときかなり実感できた。
 四人で教室に戻って、次の授業の準備をしようと第3体育館から出ようとした時、
「…」
 あの女子生徒がちょうど入れ違いになったみたいで、僕たち――と言うか、大原さん――を見た瞬間憤怒の表情になったことに気がついた。

 そして、何事もなく1日の授業が終わって放課後、スマホを回収してから僕たちはお互いの家族と連絡を取り合い、大原さんは父親のお迎え、僕は普通に自転車で帰ることになった。一緒に帰れないのは残念だけど、仕方ないよね。
 そして、僕たちは部活に顔を出す。
 まずは、クラブハウスで着替える。もちろん男女で部室は別だけど、隣同士だ。
 僕は体操服とは別に、部活用のウェアを着用する。国内シェアNo.1のバドミントン・テニスラケットメーカーの緑のTシャツと白のショートパンツに身を包んで、僕は大原さんが出てくるのを待った。
「お待たせ」
 出てきた大原さんは、下は体操服のズボンだったけど、上半身は白いTシャツに身を包んでいた。Tシャツのサイズは合っているんだけど、どうしても体型が強調されて、僕には刺激が強すぎる…。
「どうしたの?」
(おっきいよぉ)
 思わず本心が出そうになる。そこを何とか手を口元に当てて冷静になろうとしていたら、彼女は笑い出した。
「もしかして、私のこの格好に何か妄想しちゃってるとか?」
「なっ…」
 僕の顔はボフンと真っ赤になった。頭が沸騰するかと思った。
「冗談よ、冗談」
「…冗談きついよ。でも、僕には刺激が強いのは事実だし」
 あ…本心が…。
「そうなんだ。あれ?でもお姉さんいるから慣れてるんじゃない?」
「小さい頃から見慣れた身内と、クラスメイトじゃ状況が違いすぎるって」
(それに、大原さんの胸は伊緒姉よりも迫力があるから余計に!)と思いはしたが、口にするのを何とかこらえる。大原さんは僕の心のつぶやきには気づかなかったようで、
「それもそうか」
 なんて笑っていると、僕たちが来るのが遅いのを見かねたのか芹沢が迎えに来た。
「お~い、早く~部活始めるよ!」
「あ、ごめん!今行く!」
と、僕たちは体育館に急いだ。そして、皆整列して大原さんの自己紹介を聞く。
「昨日転校してきた大原更紗です。バドミントンは前の高校で始めてまだ1年半くらいなのでそんなに上手くないかもしれませんが、精一杯頑張ります。よろしくお願いします!」
 男女20人の瞳が大原さんに集中する。男子は「マジかよぉ」といった感じで嬉しそうだし、女子も歓迎ムードだ。
 最初に、軽くアップ。男女一緒にするのがこの部のルーティンだ。
 次に、男女に分かれてフットワークの練習。大原さんはやったことがあるかどうか、女子部長の五十嵐則子に聞かれ、ちょっとシャドウ(ステップと振りの確認)をしてから、練習に入ったみたいだ。
 動こうとする瞬間にふっと両足を浮かせるようなステップをしている。うん、抜重ができているのなら、それだけでも良い感じだ。
 僕がぼーっと大原さんを見ていると、芹沢から「おい、東条!お前の番だぞ!」と突っ込まれる。僕は芹沢に「悪い!」と言いながら球を拾う。
 そんな感じで練習時間はあっという間に過ぎていった。大原さん、初心者で高校に入ってから始めた割には筋が良かったみたい。五十嵐さんと基礎打ちするところを見たけど、どれもきちんと打てている。強いて言えば、前後のフットワークがまだ不十分なんだけど、そこはこれからの練習で鍛えていけば良いと思った。
 部活が終わって部室で着替えている時、芹沢から
「いくら何でも、大原さんの事気にしすぎ」
と言われてしまったが、
「…やっぱりそう思う?すまん。どうしても気になって」
と僕が答えると、
「お前って、あまり女の子に興味なさそうだったのに豹変したよな。その態度で十分伝わってくるよ」
なんて返してくる。う~ん、そう見られてしまうのも当然だろう。
「…なるべく気をつけるよ。じゃ、お先に」
 と僕が着替えを終えて部室を出ると、女子部長の五十嵐さんが待っていた。
「あ、五十嵐さん。尋路待ってるの?」
 同じバド部の野山尋路を待っているようだった。昨日、二人で並んで話しかけたそうにしていたもんな。
「うん、そうなの。大原さんって、高校から始めた割には上手よね」
 小学校からやっている五十嵐さんでもそう思うなら、僕が思っていることも当然だ。
「うん、僕から見ても上手だと思うよ。大原さんはまだ中?」
 僕はそう返して、大原さんのことを尋ねる。五十嵐さんは頷いて、
「もうすぐ出てくると思うよ。転校して2日目なのに、すごく東条くんと距離近いんじゃない?」
と言ってくる。やっぱり、周りから見てもそう感じられるのか。いや、確かにこんなに距離が縮まっているとは自分でも思わなかったから、そう言ってくれるのは自分としては嬉しいわけで。
「う~ん、昨日からもうホント結構な頻度で行動を共にしたからだと思う。何かと頼ってくれて嬉しいし」
「なるほどね~」
 五十嵐さんは、納得したように微笑んで頷く。
「更に今から勉強でしょ?聞いたわよ。頑張るわね」
「学校の進度が全然違ってたらしいからその部分の穴埋めだよ。数学得意な僕に教えて欲しいって」
「さすが、学園トップクラス」
 そんなことを話しているうちに、男子部室から尋路が出てきた。
「おお、慎吾、マドンナをお待ちかね?」
 芹沢同様、いや、それ以上に軽い感じで尋路が僕に話しかける。ていうか、大原さんのことをマドンナって…と思いつつ、
「まぁ、そんなところ。今、五十嵐さんと話させてもらってたさ。ささ、後は若い二人に任せるよ」
 僕はそう言って尋路の両肩を掴んで、五十嵐さんの前に尋路を誘導する。
「それはこっちの台詞だっつーの、まぁいいや。そういえば、お前、もてない陰キャくん達から嫉妬されているみたいだな。ま、あの連中の嫉妬は無視すりゃいいからな」
「ん?…なんでそのこと知ってる?」
「同じクラスの陰キャから愚痴を聞いた。『なんだよあいつ~転校生独り占めしやがって』なんて言っていたから、言っておいたよ。『あいつ、性格素直で顔も悪くないし、教職コースでも模範生の一人だぞ。前々から思ってたけど、本気出せば彼女の一人や二人は簡単にできる奴だ。何で彼女作らないか知らないけど、昨日見た感じ絶対大原さんに気があるから、戦ってもお前に勝ち目ねーよ、諦めな』ってな」
「マジか。ありがとう、助かる」
「あまり女の子に興味なさそうな東条君が、昨日一緒に部活に来ているのを見て、『コレは絶対気がある』って分かってるから、私たちは応援するよ」
「ちょちょ、五十嵐さん、声大きい」
 僕は焦って口に人差し指を当てて『静かに』アピールすると、二人は笑って
「なんてね。じゃ、私たちは帰るね」「あとは新婚さんにお任せしますわ」
 なんて言って二人並んで歩き出す。どさくさ紛れに尋路、何言うんだよ。二人の背中を見送りながら、(女の子に興味ないわけじゃないんだ、中学部入ってから諦めて、女の子に興味がないふりしていただけ)と五十嵐さんの言葉に内心反論しているうちに、大原さんが出てきた。
「お待たせ」
 セーラー服に着替えた大原さんと並んで歩き出す。
「それじゃ、自習室へ行こう。図書館の隣にあるんだ。中央校舎から一直線だからわかりやすいよ。忘れ物していても教室へ取りに行けるから、ここで勉強してから帰る人も結構いるんだ」
 僕は大原さんに笑いかけて、第2体育館を通り抜ける。そのまま渡り廊下を過ぎてしばらくまっすぐ行けば、自習室だ。
「さぁ、着いた」
 自習室の扉を開けると、6人掛けの机が8つに4人掛けの机が8つ。80席あるうちの半分くらいは埋まっていて、あとはまばら。私語は常識的な範囲の大きさであればしても構わないので、それなりに賑わっている。
 僕たちは、二人並んで座れるところを探す。誰も使っていない四人掛けの机を見つけて、そこに座った。その間、あちこちから少しばかり視線を感じたけど、そりゃ、見慣れないセーラー服の美人が入ってきたら、そうなるよね。でも、ここは自習室だから、僕たちに目もくれず勉強する人の方が多い。そう言う意味では、とてもありがたい。
「それじゃ、始めていいかな?最初は、ここからなのよね」
と大原さんが数学の教科書を広げる。同じ机を共有して、隣同士に座るといつもの席より距離が近い。さっきみたいに、彼女から良い香りがしてきそうで…と言うか、軽く鼻腔をくすぐってくる。制汗剤も使ってるんだろう。
 教科書の内容は、ちょうど対数関数の最初、logの定義からだった。
「これね、logと書いてロガリズム。小さい数字aを底、大きい数字bを真数と言って、この値がcとすると、aのc乗がbになるといった感じだね」
 僕は、彼女のノートにlogのあと、aを赤、bを青、cを緑で書いて、aのc乗がbになる式と対応させる。
「うん、わかりやすいね。対応して覚えれば良いんだ」
「そうなんだ。更に言うと、aは1以外の正の数という条件が課されているから、何乗しても正の数になる。なので、bも正の数になるのは当たり前。つまり、真数は常に正となる。これを、真数条件というんだ」と、僕はノートにさらにa≠1,a>0,b>0と書き足す。
「なるほど、覚えやすいわ」
「まずは、この定義に沿って問題を解いてみると良いよ。まずは、指数に直してから考えるのが基本だから、指数の復習にもなるし。さぁ、何分で解けるかな?時間計るよ」
「え?え?時間計るの?」
「うん、最初何分かかったか覚えておけば、それから似た問題を解いた時に解く時間が短くなっているのを実感すれば、『早く解けるようになった~』って達成感が得られるでしょ?それと、テスト問題を解くのは時間との闘いだから、1問にどれだけ時間をかけるか考えるためにも、常に時間を意識するのが大事だと僕は思ってる」
「あ、そうかもね。さすがだね」
 僕の説明に納得して、大原さんは問題に向かう。僕はスマホの時計アプリを起動して、ストップウォッチをセットし、時計をスタートさせた。
 カリカリ…「う~ん、こうだよね」…カリカリカリ…「うん、できたと思う。OKだよ」
「どれどれ?」
 僕はストップウォッチを止めて、彼女の解答を確認する。
 うん、全部正解。ツボを押さえれば、ちゃんと解けている。
 苦手だという割には、それまで自分自身できちんと努力してきたんだろうと思う。
「おぉ、バッチリ。時間も2分くらいだから、これからやっていくたびに時間縮めて…そうだな、まずは5問を1分でできるようになると良いと思う」
「1問10秒ちょっとか、できるかなぁ?」
「できると思うよ。最初の説明をきちんと聞いて理解して解けていたから、あとは慣れの問題。この基本というのが後々重要になるから、この定義はしっかり覚えておかないとね」
「さすが、数学の先生目指しているだけあるわね」
「ん?僕は数学教師になるって言ったっけ?」
「いいえ、聞いてないけど、数学の成績が良いから、そうなのかなって勝手に思っただけなの。ゴメンね」
 チロッと舌先を出しておどける大原さんの表情が可愛いのなんの。真面目な顔と、この表情のギャップも本当にあざと可愛い。その表情に吊られるように、僕もふっと笑って、
「…ま、実際そうなんだけどね」
と言うと、
「あ、イジワル…」
と、今度は少しほっぺを膨らませる大原さん。そのギャップも愛しい。
「ごめんて。成績的には数学教師が第一候補なのは間違いないよ。でも、好きな教科的には歴史なんだけどね。正直、まだ迷ってる。来年の文理分けでどちらか決めるから、しっかり見定めたい」
 僕の言葉に意外そうな表情になる大原さん。
「歴史かぁ…私ただ単に暗記する科目は苦手な方なんだよね…数学も結構暗記の部分があるじゃない?だから苦手意識があるのかも」
「それは否めないよな~関連して覚えていく物だけど、暗記中心なのは確かかも」
と、ちょっと無駄話が過ぎたみたいで、スマホを見たらもう19時半を回ってしまった。
更に、サイレントにしていたから気づかなかったけど、通知の中に幸弘から「今暇か~?」とライナーが来ていたのを確認した。通知画面からそのまま「ただいま大原さんと自習室!またあとで!」と返信しておく。
「…半回ってるよ。ちょっとペース上げよう」
「あ、うん」
「じゃあ次は…」
 そんな感じで残り25分を対数の基礎に費やした。

「閉館5分前です。片付けて、帰宅しましょう」
 当直の先生の言葉に、「うぁ~」とかなりの生徒が背伸びをする。僕たちも部活で温まった身体が勉強して少し冷えたので、思わず背伸びする。
「お疲れ様、ありがとう」
「どういたしまして」
「ここ出て右に少し行くと、自販機あるよね?今日のことをこれだけで済ませるには足りないと思うけど、1本おごらせて欲しいんだ」
 大原さんからありがたい提案。のどはすっかり渇いていた。
「ありがとう。ゴメンね、気を遣わせて」
「ううん、今日もいっぱい助けてもらっちゃったから。…ホントは…」
 そのあとの大原さんの言葉は全然聞き取れなかったけど、顔を赤くしていたからきちんと言葉にするには恥ずかしかったのかな…?
「ホントは、何?」
 僕は思わず尋ねると、
「ゴメン、何でもない」
「…そっか」
 僕はあえてそれ以上突っ込まなかった。鞄にそれぞれの荷物を詰め、鞄を担いで並んで自習室を出る。
 通常の下校時刻である19時を過ぎると、廊下の蛍光灯は電気代節約のためもあってかそれまでの半分――1本おきに――しか点灯しない。少し暗い廊下を5m程歩くと、購買とその隣に自販機コーナー。
「はい、じゃあどれが良い?」
 大原さんの促しに、僕は迷いなく「コレ」と、いつもの珈琲牛乳を指さした。
「そういえば、昨日のお昼も今日のお昼も、それ飲んでなかった?」
「あら、よく見ていたね。正解」
「好きなんだ」
「そうだね、大原さんも飲んでみる?」
「そうね、そうしてみる」
 大原さんはお金を入れて僕の注文した珈琲牛乳を購入し、手渡してくれた。
「はい、どうぞ」
「ありがと」
 僕はストローを取り出して紙パックに突き刺し、少しずつ飲む。
「あ~美味しい。どう、大原さん」
 ちょうど自分の分を買い終わった大原さんも、ストローを紙パックに突き刺したところだった。
「こくっ、こくっ。ん、おいひい」
 大原さんの可愛い返事につい笑顔になる。
「良かった」
 二人で珈琲牛乳を一気飲みし、ゴミ箱に捨てた。そして、玄関に向かおうとした時急に、南校舎の真ん中あたり――僕らの教室付近――の蛍光灯が明るくなったのが見えた。
「え?」
 僕たちは驚いて、教室の方につい向かう。すると、反対側の階段へ向かうシルエットが見えた。少し遠かったけど、どうやらスカートを履いているようだから、女子生徒のように見えた。
「なんだろう?」
「誰か、忘れ物を取りに来たのかも」
 僕たちはその時は、それほど思わなかった。
「じゃ、帰ろうか。お父さん、校門近くで待ってるんでしょ?」
 僕の言葉に大原さんは「そうね。ちょっとライナー見てみる」と、自分のスマホをチェック。すると、「あ、もう着いてるって。校門から少し離れたところみたい」とちょっと驚いていた。
「あ、それは早く行ってあげないと」
「うん、お父さん、多分残業早めに切り上げてくれたと思うから急ぐね」
 少し小走り気味に僕たちは階段を降りる。残業を早めに切り上げてきてくれたお父さんのところへ一刻も早く行かなくては申し訳ないと、とにかく急いだ。
「自転車は大原さんと別れてから取りに行くから、とにかく先にお父さんと合流しよう」
「ありがとう」
 校門を出て約50m程。ハザードランプを点灯しているお父さんの車――おお、僕が将来乗りたい車だ――を見つけた。大きく目立つリヤウィングやエアロパーツが特徴的な、スポーツカーっぽいセダンだ。リアにメーカーチューン部門のエンブレムが見える。
「あ~この車、僕の憧れ。免許取ったら乗りたいんだ」
「え?そうなの?」
 なんて話ながら大原さんは助手席のドアを開ける。
「お父さん、ありがとう」
「うん、お帰り、更紗。あれ?一緒にいるのは…もう彼氏ができたのかい?」
 優しそうな声。
「え?いやいや、席が隣になったクラスメイト!…でも、昨日からすっごくたくさん助けてもらってる」
 ちょっと慌てた感じで大原さんはそうお父さんに説明する。そうだよね…クラスメイトだよね…と、軽くストレートをあごに受けた感じでショックを受けるけど、仕方ないよね。と思っていたところで、
「助けてもらっているのなら、お礼をしないとね」
と、シートベルトを外す音がして、運転席のドアが開く。
 170cm位の中年男性。目が細いけど、昔は身体鍛えてたんだろうなという感じで、余計な肉があまりない締まった身体。優しさと剛毅さを兼ね備えた風貌に、僕は畏敬の念を覚えた。
「こんばんは。更紗の父、玄佑げんゆうです。転校して2日だというのにたくさん助けていただいているようで、ありがとう」
 僕は大原さんのお父さんの丁寧な挨拶に、畏まった。
「東条慎吾といいます。大原さんとは、席が隣になって、仲良くさせていただいております。この2日間、自分が大原さんの役に立てているのであれば嬉しいです。よろしくお願いします」と、最敬礼。
 僕の言葉にお父さんは細い目を更に細めて、
「さすが教職コースの生徒さんだ。君のお父さんも教員のような感じだね。その歳でそんなに畏まった挨拶をする子はそういないよ」
「あ、はい。父は確かに国語の教員です。隣の市の公立高校に勤めています」
 大原さんは僕の言葉に驚いて、「そうだったんだ」と言う。
「うん、これからも娘をよろしく頼むよ。良いお付き合いをしてほしい。ほら、更紗。帰ろう」
「おとうさ~ん」
 恥ずかしそうに大原さんは助手席に乗ると、シートベルトを締めて、助手席の窓を開けた。ちょっと顔は赤いままで、
「東条くん、今日もありがとう。明日の朝も、同じ時間に登校する?」
 なんて聞かれたら、するに決まってるでしょ!
「もちろんだよ!」
「じゃあ、7時40分に、城西商店街の出口…昨日別れたところで合流しよう」
「いいよ、分かった」
「それじゃあね!バイバイ」
 大原さんがそう言うと、お父さんの車は一度ブオン!と軽く空ぶかしをして走り始める。大原さんは左手を2,3回振って引っ込めた。
僕は、
(…もしかしなくてもマニュアル?…お父さん、趣味が合いそう…。
 明日も一緒に行く約束しちゃった、やったぜ♪)
と一人残された歩道で少しばかり呆然としていたけど、明日の朝も一緒に投稿できる嬉しさを感じながら、自転車を回収して家路についた。
 もちろん、帰ってからライナーでしっかり幸弘から『大原さんと自習室でしっぽりやっていたのか!?』と大仰に突っ込まれ、「一緒に勉強しただけだよ!」と返答したら、『おお、この距離の縮まり方、エグいな。ところで、俺も一緒に勉強していいか?』「却下」『ひどい』などと話したことは言うまでもない。いや、お前そもそも僕と違って成績優秀なオールラウンダーなんだから、一緒に勉強する必要ないよね!?何のつもりかな?

 翌朝、二人で城西商店街の出口で「おはよう」と挨拶を交わして登校する。
「お父さんから、東条君のことを帰ってから結構聞かれちゃった。それで話したんだけど、そしたら東条くんのこと結構気に入ってくれたみたい。礼儀正しいし、私のことを優先して考えているから、すごくありがたいって」
 そう言われたのが嬉しいやら、気恥ずかしいやら。
「ありがとう。お父さんからそう言ってもらえたのはとても励みになるよ。あ、そうそう。お父さんのあの車って、もしかして、マニュアル?」
 僕の突然の質問に大原さんは「え?」と目を丸くして。
「車のことあまり詳しくないから分からない。ゴメン」
と謝ってくる。まぁ、それもそうだろうね。
「んじゃあさ、運転している時、左手忙しく動かしてる?」
「そうね。加速する時は特に左手動かしてたと思う」
「じゃ、マニュアルで確定だ。いいなぁ~」
「車好きなんだね。お父さんと話合うかも」
「そうだといいね。一回お話聞きたいなぁ」
 なんてことを話しながら、学校へ向かう。その途中で、「おはようございます」と三上が、そして後方から「お~い」と幸弘が合流するのも、昨日と同じ。このペース、自分にしっくりきた。
 登校して靴を履き替え、教室に向かう。すると、大原さんの机の前に、大木さんと中山さん――この2人が一番早く学校に来る――が厳しい顔で並んでいた。
「おはよう、紗友梨さん、和子さん。どうかしたの?」
 大原さんの挨拶に、二人は大原さんから机の上が見えないように立つ。
「?どうしたの?」
「更紗さんは見ない方がいいわ」
 厳しい表情のまま一歩前に出て、大原さんを制止しつつ告げる大木さん。中山さんは、
「東条くん、矢野くん、ちょっと」
と僕たちを呼ぶ。
 大原さんの机の前に立ち、見るとそこには
『私の彼を返して!このビ○チ!』
『他の男に媚び売ってそんなに楽しいですか?』
 などという罵詈雑言が並べられたA3サイズの紙が置かれている。
(なんで大原さんにこんなことを言うんだ…ふざけるな!)
 僕は身の毛がよだつほどの怒りに襲われ、肩を震わせる。
「落ち着け、慎吾」
 その様子を見て、幸弘は俺の肩に手を置く。そうだ、冷静になれ、冷静に…。
 僕はその紙を取り折りたたみ、それからグシャリと丸める。怒りを力に変えて、丁寧に丸めてやる。こんな呪いの言葉を吐く奴は、誰だ…そして、いつコレを置いたんだ。おそらく、僕の目はいつもより大きく見開かれ、力が入っていたのだろう。
「東条くんがガチギレしてるの、初めて見るかも…」
 中山さんが少しおびえた様子でそう言って、大原さんを呼ぶ。
「もう大丈夫。座っていいわ」
「…ありがとう。でも、いったい――」
 当然のごとく疑問を口にする大原さんに僕は告げる。
「女の嫉妬も大概だって事だよ…ぜってぇ許さねぇ。大原さんにこんな言葉を吐いた奴、絶対見つけて謝罪させてやるよ」
 ガチギレを起こしていた僕の様子に、大原さんも眉をひそめて少しおびえてしまっている。だってそうだろう。犯人に対する殺気を隠すことなく口にしてしまっていたから。
「更紗さん、本当にしばらく東条くんと矢野くんで護衛ついた方がいいかもしれない。今日初めてこんな事があったけど、これからエスカレートしてくる可能性もある。犯人が分かるまでは、できる限り複数人で見守ろう」
 大木さんの提案に、僕たちは頷く。大原さんは、「大げさだなぁ」とどこ吹く風だったけど、少しずつ冷静さを取り戻した僕は彼女に諭した。
「人の恨みって、怖いもの。今は紙切れ一枚で済んでいたとしても、恨みって募りに募ると本人に危害を与えるところまで行っちゃうでしょ?」
「…そうかも」
「だから、今のうちにそれができないことを知らしめておけば、当分は嫌がらせ程度で終わるかも。その間に犯人を捜せればいいんじゃないかな」
「…分かった」
「みんなも、心当たりな事が出てきたら、遠慮なく教えて」
 僕はその場にいたみんなに協力を要請した。みんなも、「もちろんだよ」と賛同してくれる。みんなが席に戻る時、「やるな慎吾、『おとこ』だよ」なんて幸弘がちょっとからかうけど、僕は真顔で「いや、それは当たり前だろ?」と、僕はもう、大原さんへの好意を隠すことはしなかった。おそらく、彼女も分かっているだろうから。

 午前中はそれ以外に特に何事もなく過ぎる。最初は遠慮がちだった大原さんの声かけも、僕が冷静になっている事が分かると、積極的になってきた。
 2限目後の休み時間、僕が「学食の食券を買いに、購買へ行ってくる」と席を立つと、「私も一緒に行く。英語のノート詰まりそうだから買いに行かないと」と大原さんも席を立った。それに呼応して、幸弘も席を立つ。
 僕は大原さんと並んで、そして幸弘は一歩下がった場所で周囲に睨みをきかせる。
 男子2人が少し殺気立っているのを察したのか、他の生徒達は廊下を歩いていると僕たちを見るやすぐに退いて進路を譲ってくれた。そんな様子に、
「ちょっと東条くん怖いなぁ」
 大原さんはそう言って僕の顔を覗き込む。僕は、その声に毒気を抜かれ、
「あ、やっぱり?朝のことを思い出してね、どうしても腸が煮えくりかえるというか…」
と返すと、気持ちが落ち着く。それとともに眉間にしわを寄せていた表情も穏やかになった。そんな僕を見て大原さんは聞いてくる。
「いったい、何が書いてあったの?」
 やっぱり知りたいんだろうな。
「知りたい?」「うん」
 さすがに、ビ○チは聞かせたくなかったので、「私の彼を返して」とか、「他の男に媚び売るな」みたいなところだけ紹介した。
「なにそれ?一方的な言い分ね…」
 大原さんもさすがに気分を害したようで苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「とは言え、私の彼を返してって言われても、誰のことなのか分からないわ。私まだ彼氏いないし。彼氏を取られたと思ってるのよね、その子」
 ふっと際どい発言。「まだ彼氏いないし」って気になる人いるって事だよね…?後ろの幸弘もハッと息をのんだようだった。
「彼氏って、誰なんだろ?東条くん…な訳ないよね?」
「…」
 少しショックで放心して無言になっている僕に、大原さんは怪訝な表情をする。
「どうしたの、東条くん?」
 それには、幸弘が代わりに答えてくれた。
「あ~大原さん、今自分で『まだ彼氏いないし』って言ったよね?『まだ』って事は気になる人がいるってことじゃない?」
 大原さんは幸弘の言葉に一気に「あ…」と顔を赤くする。
「そうじゃない、そうじゃないの!いや、実際そうなんだけど…でも、ああもう!上手く説明できないよぉ!」
 大原さんは慌てたのか真っ赤な顔のまま僕の肩をペしペし叩く。その仕草が何とも言えず可愛い。
「…でも、東条くん…」
 ひとしきり僕の肩を叩いたあとで大原さんは急に静かに呼びかける。その呼びかけに、僕たちは立ち止まった。すると、赤い顔の大原さんは僕の顔をまっすぐに見て、
「気になっている人がいるのは事実よ。でも、落ち込まないでね。あなたのことだから」
と僕に告げる。
「え…?」
 自分の瞳に生気が戻ってくるのが分かる。色を失いかけた景色に、色が戻ってきた。
「そんなわけだから…元気出して。早く用事済ませちゃおう」
 大原さんの微笑む姿に、僕は顔をぐしゃぐしゃにして、
「了解!」
と廊下を軽くダッシュしてしまう。
 そのあとしばらく舞い上がってたのは言うまでもなく。
 このやりとりもどこかで聞かれていたようで、『転校生は既に気になる男がいる。彼女を独り占めしている奴だ』という噂が放課後までに広まっていたことを、部活へ行った時に聞いた。男子部員、特に芹沢なからは、頭から背中から尻まで、どこかしら「いいねぇ、羨ましいねぇ」とベシベシ叩かれたことは大原さんには内緒だ。

 部活は今日も男女別だったけど楽しく過ごし、その後また自習室へ。浮かれてばかりもいられない。大原さんが問題を解いている間に考えていたのは、「犯人が、いつあの紙を置いたのか」ということだ。
 学校の生徒玄関の解錠時刻は7時半。その頃には大木さんと中山さんは自主練などをするから解錠直前には学校に来ている。だから、解錠時間後に紙を置くのは難しいだろう。となると、前日の夜…。
 昨日の記憶を呼び起こす。自習後、自販機へ行って――
 そこで、ハッとする。
 昨日の帰る直前、自販機で珈琲を飲んだ後に見た影。
「あいつか!?」
 つい、口に出てしまった。
「どうしたの?」
 大原さんが不思議そうに僕の顔を覗き込む。
「あ、ごめん。朝のこと考えていた。そして、一つの可能性を考えた。悪いけど、今日は僕がおごるから、昨日と同じように珈琲牛乳飲んでから帰らない?」
「うん、別にいいけど…って、あ」
 大原さんも思い当たったようだ。僕は頷いて、自分を落ち着かせるように告げた。
「でも、今日は様子を見るだけ。置いた瞬間を捕まえないとしらばっくれるだろうから」
「そうだね」
 大原さんも同意してくれたので、閉館5分前に自習室を出て、自販機コーナーに向かう。
「あれ?今日は珈琲売り切れか…あらら、ついてない」
「私、それなら飲むヨーグルトにするけど、どう?」
「了解。僕も同じのにする」
と、昨日の逆で僕がお金を入れて購入する。
 そして、ストローを紙パックに突き刺して飲み終わった頃、昨日と同じように、僕らの教室前の蛍光灯の光量が上がるのを確認した。
 スマホを取り出し、最大ズームの状態にして、壁からカメラ部分だけを出して様子を見る。すると、やはり昨日と同じような背丈の女子生徒が、教室から出て、僕らがいる方とは反対側の階段から降りていくところを捉えた。
 残念なことに、こっちを向かなかったので顔は判別できない。
「でも、一歩前進ってところだな」
「…明日は、私も中身見てもいい?」
 大原さんはそう僕に言う。
「…内容による。でも、今日のもあまり見せたくなかったから、明日はもっとエスカレートしてるかも。だから正直、僕は見せたくない。大原さん、自分から傷つけに行くような真似はしないで」
「そう…だよね。ゴメン」
 お互いの表情が暗いまま、学校を出る。
 昨日と同じ場所で大原さんのお父さんが待機していた。
 二人の暗い様子を見て「どうした?」と声をかけてくれたけど、さすがに心配をかけたくないので「2日連続だったからちょっと疲れたんだ」と大原さんの嘘に付き合う。
「それじゃ、二人とも今日は早く帰って寝たらどうかね?東条くん、なんなら家まで送ってあげるよ」
 憧れの車に乗せてもらえるという、とてもありがたい申し出ではあったけど、いくら治安が良いと行っても盗まれるリスクがある自転車を学校に放置したくなかったので固辞して自転車で帰ることにした。
「東条くん、また明日ね。気をつけてね!」「大丈夫、ありがとう。それじゃ」
 お互いに右手を振って、別れる。僕は自転車を取りに戻り、帰宅する。
 その間、『どうしたら早く解決するか』を考えた。一刻も早く捕まえるためには、犯行現場を押さえること。あの時間に来るからには、待ち伏せをしていればいいのかもしれないが、時間をずらされればアウト。それに、暗いからものを置くかどうかの判断も難しい。
 犯人の顔がくっきり見えればいいんだよな…。そうか…あれだ!と、一つひらめいた僕は帰宅後、晴兄に相談した。
 今朝あったことの顛末を話し、怪しいと思われる女子生徒の行動と、その場面を押さえるための方法を通販大手のサバンナを見ながら話し合い、来月の小遣いで返すことを約束して――来月買えるラノベや漫画は減ってしまったが――、ある物を購入してもらう。
 届くのは明日。実際には…金曜からすぐ使ってみよう。

 そして迎えた木曜の朝、少しずつ慣れてきた大原さんとの登校。ほんの数日前までは、一人で自転車をすっ飛ばして登校していたことを考えると、ものすごい大きな変化だと思う。この3日間、本当に朝が楽しみで仕方がない。
 今日は音楽や動画の話題。どんな曲が好きなのか、普段OurTubeでどんな動画を見るのか、お互いに有名どころは似たような感じだけど、細かいところは個性が出る。
 大原さんが好きなのは、動物のモフモフ動画。僕はレースゲームの実況動画。
 動画で聴く音楽も、大原さんはアイドルから演歌までジャンル広く。僕は音ゲー好きなので、そのコンポーザーさん達の作る楽曲が中心。
「お互い方向性全然違う~」
 なんて笑い合って信号待ちの時にそれぞれのスマホでつべのアプリを開いて履歴から自分がいいと思った物を教えあった。
「おぉ、可愛い~これは確かに癒やされるね」
「でしょでしょ?妹と晩ご飯食べた後しばらく見てから勉強するんだ」
と大原さんが昨日見ていたモフモフした猫の動画を見て、次に、
「あ、この曲好きかも」
 僕のスマホからイヤホンをつなぎ、右耳を大原さん、左耳を僕がかけて僕がオススメする曲をかけて一緒に歩いた。
 イヤホンはそんなに長くないから、結構肩と肩が触れそうなところまで僕たちは接近している。大原さんの体温を少し感じ、シャンプーの薫りが鼻腔をくすぐる。
(近いな、ちょっとドキドキする)
 と思いながらもかけている曲はテンポは決して遅くないんだけど、きれいな空気や川が流れていくような優しい感じの曲調のものだ。
「すごくきれい。こんな曲がゲームに入っているって事なの?」
「うん、そういうこと。こんな曲やユーロビートみたいな激しい曲とか高音の気持ちいいトランスとかをリズムに合わせてタップしたり、ホールドしたり、スワイプしたり。自分の腕前が上達するのがよく分かるゲームだから、音ゲーってハマるんだ」
「なるほどね。もうちょっといろんな曲を聞かせてもらったら、やりたくなるかも」
 …コレでまだ友達という感じなんだよな、大原さんにとっては。
 僕は、焦らない。だって、せっかく築いた信頼関係を損ねたくないから。
 そして、幸弘と三上が合流したところで、『作戦会議』と称して僕は昨日晴兄に買ってもらった物をスマホで見せた(スクショを送ってもらったんだ)。
「暗視カメラ?」
 大原さんはふ~んという感じでその画面を見る。
「現場を押さえるには現行犯だけど、しっかり映っていればカメラ映像でもいいんじゃないかと思ってね。思ったより安くて、夜通し録画できるのが売っていたよ」
 僕の話に幸弘は、
「確かにコレは強力な武器になりそうだ」
と言ってくれる。
「今日来るんですね。それで明日って、準備は大丈夫ですか?」
 三上がもっともな心配をするけど、
「うん、来たらすぐ、僕の部屋で実験しようと思ってる。いけると思うよ」
「まぁ、金曜日が不発でも、いずれ見られればいいから」
 なんて言い、設置場所を確認する。まぁ、本体の大きさとかをしっかり確認してからがいいのだろうけど、本体を辞書カバーに入れておき、カメラ部分だけ外向きにしておけば暗ければ分からないだろうとなった。
 そんな話をしている間に学校に到着。教室へ一歩一歩近づくたび、僕たちの雰囲気は少しずつ重くなる。今日はどんなことを書かれているのかが不安だ。
 教室には僕を先頭に入る。大原さんは3人目、三上の前。入ると、昨日と同じように大木さんと中山さんは大原さんの机の前にいる。今日も置いてあったのだろう。
「おはよう、大木さん、中山さん」
 僕が緊張した面持ちで彼女たちに挨拶すると、二人は「おはよう」と返してくれる。
「今日はどんな感じ?」
 僕が聞くと、大木さんは「うん」とだけ頷いて、机に目を落とす。
 そこには、おそらくホワイトボードマーカーで書かれたのだろう、やはりA3の紙に、昨日と同じような言葉が書いてある。
 大原さんは、「またなのね」と大きくため息をついた。
 僕は今日も丁寧に紙を畳んでから、ぐしゃりと握りつぶす。「あ…記録のために綺麗な状態で残した方が良かったかな?」と僕が言うと、中山さんが「大丈夫、写真を撮ってあるよ。それと、そのぐしゃぐしゃにしたのも頂戴。後で先生に報告に行くつもりだから。さすがに2日連続でとなると、見過ごせない」と言ってくれるので、「さすが中山さん、ありがとう」と礼を言った。
 大原さんには椅子に座ってもらい、中山さんと大木さんは職員室へ向かった。
「…う~ん、一体何だろうねぇ」
 僕が言うと、大原さんはまだ顔色が良くないけど、
「このクラスの皆がいい人で助かってる。どれだけお礼を言っても返せないくらい。本当に、申し訳ないな…」
と言って、笑ってくれる。でも、その笑みに力は無い。
「大丈夫、礼を言う機会はこれからもあるから今は、この状況の解決を優先しよう。大原さんが辛そうにしているのは、本当に、僕は見たくない」
「うん、ありがとう」
「やっぱり、あの子なのかなぁ?」
 昨日動画で撮ったあの女子生徒。僕は、幸弘に三上、教室に戻ってきた大木さん中山さんにその動画を見せる。
「あら、いつの間に二人そんな仲になっていたの?」なんて中山さんはからかうけど、動画を見ると「う~ん、あまり綺麗じゃないからわからないけど、うちのクラスの子じゃないわよね?」「うん、そう見える」と大木さんと確認する。
「何年生かもわからないんだよね?」
 みんな知らないようで、ちょっと場が重くなる。空気を変えたくて、
「ごめん、トイレ行ってくる」
と僕は席を立つ。大原さんも「私も一緒に行って良い?」というものだから、結局幸弘に三上も連れ立っていくことになる。
 廊下を出たら、階段のそばに女子生徒が僕たちを見たとたん、厳しい顔つきになって睨んでいるのが見えた。
 一瞬だけ見えた、赤い校章をつけたブレザーの
「…あの子だ」
 僕は彼女を視界の隅にとらえて、大原さん達にひそひそ話で告げる。
「あの子?」
 大原さんが怪訝そうな顔をして、小さい声で聞いてきた。
「うん、一昨日から、僕たちを睨んでいる子がいるんだ」
「そんな話、初めて聞いたわ」
 あまり心配かけたくないから言わなかったけど、ここで見てしまった以上は、情報を共有すべきだろう。
「初めて言った。ごめん、言うの遅くて。でも、動画の子と背格好が似てる気がする」
「もしかして、と言うことか、慎吾?」
 ぼくは、「ああ」とうなずいて、「続きはトイレの後で」とそれぞれ分かれてトイレに入る。
 必然的に出てくるのは男子の方が早いから、彼女たちが出てくるのを待ちながら、周囲に気を配る。あの子はここまでは来ていないようだ。
「校章見たけど、赤だった」
 僕がそう幸弘に告げると、幸弘は、
「…てことは、1年生だな」
「うん」
「一昨日見かけた?」
「ああ、最初に気づいたのは、一昨日の朝。あと昼、体育のあとと3回見た」
「偶然じゃないか?」
 幸弘はそう言うけど、
「偶然で1年生が2年の通常教室に来ることがあるか?」
と僕が指摘すると、幸弘は納得した表情で、
「それは、確かにほぼ無いわ。じゃ、体育の時は?」
「僕たちは5限が2年で、6限は1年が体育だ。すれ違うことは不自然じゃない」
 そこで、大原さんと三上が戻ってくる。
「お待たせ~」
「うん、待ってたよ。どうも、あの生徒は1年生だ」
「1年生…」
 大原さんと三上は意外そうな顔をした。
「どうしてなんだろうね?」
 大原さんは当然の疑問を口にする。
「それはわからない…さすがにね」
 教室に戻って、朝のSH。大原さんの件については、春日先生にクラス外へは秘密にしてもらった。クラスの皆にも、あまり言わないでおく。犯人と思わしき1年女子生徒のことは、憶測でしかないため春日先生にも伏せている。
 これで、もう何日か様子を見なくちゃな。警戒はしなくてはいけないけど、普段通り過ごすことも大事だ。
「あ、そうそう。今日と明日は私が夕食当番だから、早く帰らないといけないの。18時には学校を出たいと思ってるんだけど、いい…かな?」
 昼休みの大原さんの言葉に、僕はふっと表情を緩ませて「了解。一緒に帰ろう」と答える。学校にいるより、早く帰った方が大原さんにとっても精神衛生上良いと思うし。それにしても、何故大原さんの家は彼女や妹が夕食を作っているんだろう?お母さんも、お仕事忙しいのかな?
 放課後すぐ、部活は「出席・但し18時下校」と二人でライナーグループのアンケートフォームに記入する。その時、「そういえば、まだライナーのIDって、交換してなかったよね。今のうちに交換しちゃおっか」と大変ありがたい提案を大原さんからしてくれた。「喜んで」ともちろんOKを出し、晴れて連絡先を交換できた。「お父さん以外で友達登録する、最初の男の人だよ」というとても素敵な台詞に僕は「光栄です!」と最敬礼したら「もう、大げさだなぁ」と言いつつも、彼女の顔は少し赤くなっていた。
 部活に行くと、今日は男女合同の活動日ではなかったけど18時下校とわかっているので二人で別メニュー。全員で基礎打ちのあと、二人でフットワークの練習と外周を3周で帰ることになった。
 フットワークの時、「抜重のあとの一歩目のステップを大きめに、戻る時はサイドステップで戻る、走って戻るかは相手の出してきたシャトルの速さに合わせてすこしでも余裕を持って追いつけるように動こう」とアドバイスすると、大原さん自身も「そこなんだよね。頭ではわかっているんだけど、つい動きが細かくなるんだよね」と本人も問題点は自覚していたみたいだった。
 そして、3日ぶりに一緒に帰る。今日は早く帰ると言うことで自習室での勉強もお休みだ。
「…明日が不安ね」
 明日、また机の上に何か置かれていそうで怖いのだろう。それは、当然の反応だと思う。
「そうだね。でも、行ってみないとわからない。何もないかもしれない。何かあるかもしれない」
「そうね。不安になってもどうしようもないことかも」
「とにかく、今日僕が実験してみるから、明日早速仕掛けてみようと思う」
「うん、よろしくお願いするわ。いつもありがとう」
 この4日間で、どれだけ彼女と話したのだろう。彼女から感謝され、感謝したことだろう。僕は、正直早いところ彼女に告白したい。でも一方で、断られたらどうしよう、と言う気持ちもある。昨日、「気になっているから」と言われたから、良い返事も期待したいと思ってしまう。本当、いろんな感情でない交ぜになっているけど、一つだけ確かなことは、この東条慎吾は、一目見たときから大原更紗という女子を好きになったと言うこと。距離を取られたことで僕への気持ちがなくなってしまったことを察知し、「好き」という感情を諦めてしまうようになった僕が、その感情を一気に解放するきっかけになった大原さんを離したくはない。
 僕がこんな気持ちで歩いていることに知ってか知らずか大原さんは柔らかな表情で僕に質問してきた。
「そうだ、東条くん、聞いていい?あなたの好物って何?」
って聞いてきた。僕はちょっと考えて、
「う~ん、やっぱり唐揚げかな」
と答えると、大原さんは「わかった」と言って、
「じゃ、また明日ね!」
といつものスーパーへと僕に手を振りながら入って行ってしまった。
「じゃあね!」
僕も手を振り返すと、自転車にまたいで家路を急ぐ。
 急に、好きな食べ物を聞くなんて、何だろう?
 そう思いながら、家に帰り自転車を停め、玄関の扉を開ける。
「ただいま」「お帰り、荷物届いているわよ」「ありがと」
と、玄関に置いてあった件の暗視カメラの入った箱を自分の部屋に持って行った。
 箱のガムテープをベリベリはがして、中身を取り出す。予想通り、かなり小さいカメラだ。暗闇の中だと、絶対に見つからない感じだ。
 最初だから、充電もそんなにないだろうから、128GBのSDカードを入れ、試す前までUSBを使って充電する。
(これがうまくいけばいいんだけどな)
 僕はそう思いながら夕食を食べ、晴兄と作戦会議。最初思っていた辞書カバーよりは、うまい具合にデニム調のペンケースに仕込むことができそうだったから、それに仕込んでみることにした。
 そして、時間は21時を少し回る。スマホがピコッと鳴り、ライナーが来たことを僕に告げる。
 誰?ユーザー名はSarah…あ…大原さんだ。
『こんばんは。忙しかったらゴメンね。どう、カメラは届いたの?』
「大丈夫だよ!うん、届いた。晴兄と相談して、こんな感じで仕込んでみた」
と送信したあと、カメラを仕込んだペンケースを撮影して、そのまま送信する。
 少しの間があって、通知音が鳴った。
『へぇ~思っていたよりも小さいね。これでどれくらい綺麗に写るのかな?』
「そこだよね、問題は。今からしばらく、ちょっと暗いところ…僕の部屋の前あたりを1時間くらい撮ってみようと思う。で、寝てる間にリチャージして、明日持って行くよ」
『ありがとう、わかった。ところで、東条くん。明日のお昼、楽しみにしててね』
 いきなり変わる話題。明日のお昼…?
「?どうしたの?明日のお昼?」
『明日、購買で食券買わなくて良いからね』
 何となく、想像できた。でも、その言葉はあえて出さずに、
「それって、めちゃくちゃ期待して良いやつ?」
と返してみた。すると、
『うん、そう。あまり期待されるとプレッシャーだけど、期待してて』
「了解」そして、「よろしく!」というスタンプも送る。
『それじゃ、また明日ね!』
 『お休みなさい』という可愛いスタンプが直後に届いた。
「うん、おやすみ~」
 そして、スマホは沈黙する。初めてライナーで大原さんと会話したことが嬉しい。そして、明日が楽しみになる。とは言え、朝が心配なんだけど…。
 僕は、暗視カメラを部屋の外にセットして、するべき予習はいつもの通りこなす。
 23時を過ぎる頃にはほぼ予習が終わって、セットしたカメラを部屋に持って入る。そして、スマホに入れておいたアプリを起動して、カメラに入っているはずのデータをチェックする。
 カメラの画像は思いの外白く周りを写しており、部屋から出てきた逆光の僕の顔もそれなりによく見えている。この分であれば、犯人特定もできるレベルではないかと思われた。
「これならいけそうだね」
 僕は安心してデータをスマホに写してカメラからは消去し、カメラを再び充電する。
「明日、セットしてすぐ特定できると良いんだけどな」
 そう思いながら、床に就いた。

 夜は明けて金曜日の朝、いつものように城西商店街の入り口で大原さんと待ち合わせ、いつものようにたわいのない会話をしながら学校へ向かう。
 こんな生活も4日目になって、すっかり慣れてきた。
 でも、朝教室に入るときの緊張感は半端なく…
 しかし、今日は大木さんも中山さんも大原さんの机の前ではなくそれぞれの机で自主練していた。
「おはよ~。あれ?もしかして、今日はなかった?」
 僕が二人に聞くと、二人は
「おはよう、東条くん、更紗さん、夢衣さん、矢野くん。今日はなかったの」
「今日も置かれているんじゃないかと思っていたんだけど、肩すかしを食らったわ」
「でも、それは僥倖では?」
 二人の言葉に、幸弘が言う。
「そうよね、明日以降もないといいんだけど」
「だよね。でも、東条くんの言うとおりだった。『行ってみないとわからない。何もないかもしれない。何かあるかもしれない』。本音を言うと、結構怖かった。でも、良かったと思う」
 大原さんの告白に、中山さんは、
「そうね。やっぱり一番当事者が辛いから、今日何もないのは良かったと思うわ」
と言う。
「今日は良かったけど、油断できないね」
と僕が言うと、大木さんは
「そうね。同感。でも、犯人を特定するために、良い案持ってきたんでしょ?」
と僕に言ってくる。なので僕は
「おお、そうなんだ。これなんだけど」
と、件のカメラを見せる。そして、昨日自分が家で撮った動画も少しの間だけ見せた。
「いいんじゃない?今日早速仕掛けようよ」
 中山さんが言うので、放課後に実際仕掛けることにした。
 午前中1回だけ例の女子生徒は見かけたけど、いつもなら怒りの表情なのに、今日の表情は違っていた。怒りの表情ではなく、どちらかと言えば悲しい顔に見えた。
 何故、これまでと表情が違うのだろう?

 3限目が体育だったので、カメラ単体での録画も可能だから、一回テストでカメラの録画を回してみた。まぁ、録画データをスマホで見るのは放課後になってしまうけど、あくまでも実験だから、どんな風に移っているかはその時のお楽しみだ。
 そして、お昼休みになる。幸弘にはいつもなら食券を買いに行く2限目後の休み時間の時に、「今日は学食行かないから」と言っておいた。「なんで?」と聞かれて、幸弘には隠すことじゃないから、「大原さんから食券買わなくていいからねとライナーもらった。お弁当作ってくれたみたい」と素直に話すと、「…なん、だと…大原さんの手作りお弁当?というか、いつの間に連絡先交換したんだし!?マジでお前達、距離の縮まり方がエグ過ぎるだろ」と興奮された。
 教室を出る前に「いいよなぁ、幸せな奴は」と、僕に呟いて、幸弘はさっさと学食へ行く。いや、お前もスケベトークを抑えれば彼女の一人や二人、すぐできると思うのだけどな。
 大原さんは自分の弁当箱と、少し大きめの弁当箱を取り出し、大きい方を僕の机の上に置いてくれた。「いつも助けてくれているお礼。一緒に食べましょ?」なんて言ってくれるものだから、教室では、そんな僕たちに「あらあら。東条くんも隅に置けないわね」なんて悠長な声を上げる大木さんや角田さんたち女子生徒の声。そして外からは「うわ、マジかよ…」「終わった…」「なんて裏山」なんて声が聞こえたり、「なんでだよぉ、ちくしょー」と駆けだしてしまう男子生徒の様子が見えたりする。
 僕たちはちょっと顔を赤くする。そして、どちらから言ったわけじゃないけど、机を差し向かいにして弁当箱を広げた。大木さんや中山さん、三上といったここ数日大原さんと一緒に弁当を食べていた女子達は、僕たちに気を遣ったのかちょっと離れたところで三人でお弁当を広げていた。
「さ、食べてみて」
 蓋を開けると、まずはおかず。昨日僕が伝えた好物の唐揚げに、レタス、ミニトマト。そして、キャベツとニンジン、ピーマンのバター炒め。下段には、たまごふりかけの乗ったご飯。
「うわ、美味しそう。いただきます!」
 ぱくっとまずはバター炒めを口にほおばる。バターの風味が口の中に染みて、美味しい。
「ん、美味しい!」「よかった」
 僕が笑顔でそう言うと、大原さんも笑顔で答えてくれる。
「唐揚げも美味しいよ」「お弁当用だから、ちょっと味を濃いめに作ってみたの」
 その様子を見ていたクラスメイトたちは、「東条、嬉しすぎて顔がフニャフニャだよな」「ああ、でも、その気持ち分かるわぁ」「そこ、羨ましがらない!」などという話をしているけどお構いなし。
 僕は「美味しい、美味しい」と言いながら、大原さんの手作り弁当をバクバク食べて、あっという間に弁当箱は空っぽになる。
「ごちそうさまでした。ありがとう!」
 僕がすごく満足した顔で大原さんにお礼を言うと、まだ4分の1ほど残っている彼女は、
「食べるの早いね。でも、美味しく食べてくれて良かった」
と、微笑んで言ってくれた。
「うん、本当に美味しかった。お弁当作ってきてくれて本当にありがとう。こんなお弁当を食べられたの、すごい幸せ」
「そこまで褒めてくれるなんて。私も嬉しいよ。これからも、たまに作ってきて良いかな?」
と、大変ありがたい申し出を受けたので、
「もちろん。美味しい大原さんのお弁当が食べられるなんて、本当に嬉しいよ」
と答える。
 お互いに赤い顔をしていたのだろう。今日はなぜか早く教室に戻ってきていた幸弘に、
「お前達、見せつけてんなよ~。見てるこっちも恥ずかしいぞ」
 などと言われてしまい、さらに二人で真っ赤になっていた。

 この日の放課後も、「出席・但し18時下校」の一文を部活のグループライナーのフォームに二人でチェックし、部活へ行こうとする。
 その前に、件のカメラのチェックをした。昼間撮ってみた動画も、特に問題なく見ることができたし、このカメラが効果を発揮するだろうという確信を僕たちは持った。
 僕のスマホアプリから、録画設定をして、これから生徒がいなくなるまで――大体、5時間くらいあれば十分だろうタイマーをセットして――録画をする。
 明日は土曜日で、学校は休み。但し、部活は午前中あるから部活に行く前に教室に行って回収すれば良い。…また落書きがあったら、処理をしてから行けばいいし。その時間も考慮して、部活は9時集合となっているが、8時半前に学校に着くようにしようと、大原さんと約束した。
 もちろん、部活へ行くのも一緒だ。落書きを見ないようにしてほしいのだけど、「私もやっぱり少し見た方が良いと思う。どんなひどい言葉が書いてあっても、私は受け止める」なんて、すごく強がっている。でも、僕自身そんなことを望んではいないし、何より大原さんを傷つけたくないんだ。
「だから、見るのは基本なしだって。大原さんが傷つく姿を僕は見たくないって前も言ったじゃないか」
「そうだけど…」
「よくわとにかく明日、僕が先に教室に入って中を確認して、僕から合図があったら教室に入ってほしい。それでいい?」
「うん…わかった」
 大原さんは不承不承、了解してくれた。
 この日の部活も二人で別メニュー。基礎打ちに軽くフットワークとパターン練習をしたら、いい時間だった。
「時間経つの、早いね」
「そうだね。やっぱり楽しいからかな?」
「私と二人で楽しくできているから?」
「うん、それが一番大きいかも」「私もそうなんだけど」
と笑いながら部活を終えて帰路につく。二人でいることが、なんだか当たり前になってきて僕は本当に、こんなに彼女とこんなに距離が近くなって良いのだろうかと逆に不安になる。
 いつものように、大原さんには一足先に校門を出てもらって、僕はダッシュで自転車を取りに行き、彼女に追いつく。でも、今日は意外な人物がいつの間にか隣にいた。
「あ、三上…」
 そう、三上が彼女の隣で話をしていた。
「あ、東条くん。ごめんなさい。部活終わりで帰ろうと思ったら、玄関前で二人の姿見えたんです。少しの間だけ、ご一緒させてもらって良いですか?」
 三上は元々感情を表に出すタイプではない。でも、僕と話をする三上は、やはり男と会話するというのは、彼女にとっては苦手なようで、少し強張っている。
 …中学1年のある時を境に、そんな風になってしまったのだけど…僕はそれが何故なのか知らないし、そして、あんなに近かった彼女が遠くなってしまったことを感じて、僕は幼稚園時代から育てていた感情を諦めてしまった。
「……うん、いいよ。大原さんも、もちろん良いよね?」
 僕は、少し間をおいて答えた。大原さんは珍しく、怪訝そうに僕を見たけど、
「ええ、もちろん」
と言って、三人で帰る。左に三上、真ん中に大原さん、右に僕が歩道に並んで。今日の体育は三上はこの前より体調が良かったから、無理せず3キロ完走できたし、大原さんは部活効果もあって走るペースを上げていると言っている。確かに、僕が追い抜いていくときも、三上の表情はこの前より良かったように見えたし、大原さんのペースも上がっている。三上と大原さんは今日は別々に走っていて僕が大原さんに追いつくのも、実は少ししんどかった。
 ほんの150メートルのところではあったけど、いつも朝、三上が合流する交差点に差し掛かる。
「それでは、更紗さん、東条くん、また来週です」
「夢衣ちゃんは、明日とか部活ないの?」
「ええ、手芸部は土日の部活はないんです。学校祭の前は少しだけありますけど、今の時期ではありませんから」
 三上はそう言って、「更紗さん、またあとでライナーしますね」と僕たちと別れた。気づけば、三上も大原さんのことを更紗さんと言っていた。だいぶあっちは仲が深まっているなと感じる。
 そして、二人で帰る道すがら、
「そういえば、まだ聞いたことなかったけど、前の学校ってどんな感じだったの?」
 僕は聞いてみた。彼女はうーんとちょっと考えながら、
「うん、公立の学校で、風紀はあまり良くなかったな。それだけじゃなくて生徒指導部の先生がやたら厳しくて、校内が結構ピリピリしている感じだった。最初、中3のオープンスクールで見たときはそんな感じしなかったんだけどね」
と答えてくれたけど、あまり思い出が多くはないという感じだった。
「そっか。それに、2年で転勤が決まっていたから、あまり友達作りたくなかったんだよね?」
「そうね、それなりに普通に友達とうまくやってはいたけれど、何となく気疲れして充実した生活は送っていなかったと思うな、今にしてみれば」
「ごめんね。なんだかあまり思い出したくなかったかな?」
 僕が謝ると、大原さんは手で制して、
「そんなことないよ。悪い思い出ばかりじゃなかったし、バドミントンはあの学校に入って上手くなれたから良かったと思ってる」
と言ってくれる。そして続けて、
「この学校に来てからはね、確かに今変なことが起きているけど、それを除いたら、今がとても充実してるって実感してるの」
と、笑顔で言ってくれる。その笑顔がまぶしくて、僕はやっぱり彼女のことが好きなんだと毎日確認してしまう。
 それに、気づけば、大原さんが転校してきて最初の1週間が終わったんだ。
「早いね。大原さんが転校してもう1週間だよ」
「そうね、気づけばあっという間だったね。最初はやっぱり不安だったけど、クラスの皆、特に紗友梨さんや和子さん、夢衣ちゃんを中心に良くしてくれるし…」
 そして、僕に視線を向けてはっきり言ってくれた。
「何より東条くんが一番助けてくれてる。本当に、この1週間あなたへの感謝を忘れたことはないの。あなたの隣の席になって、良かった。…ずっと、隣の席にいてくれると良いなぁって思うのは、贅沢かもしれないけど」
 その言葉に、僕はとても嬉しい気持ちになる。
「1週間で、そんな気持ちになってくれたの、とても僕は光栄に思うよ」
 僕たちはそのあと、いつものように会話しながら、そして1つのイヤホンを二人でシェアしながらお互いのオススメを1曲ずつつべで流して帰る。そんな時間が、楽しくてホッとする。
 そして、いつもの別れる商店街の入り口に着いてしまう。明日は部活が朝からあるから、「また明日ね」「うん、8時10分頃に、ここで」と約束を取り交わして別れた。

 翌朝、大原さんと一緒に学校へ行く。今日は部活だけだから、最初からトレーニングウェアで登校だ。
「おはよう。いつも見慣れた制服じゃないから、なんだかちょっと新鮮」
 大原さんは、僕のトレーニングウェア――緑のロングTシャツに白文字で「臨魁学園 バド部」のプリントがされたシャツを見てつぶやく。
「これ、年に1回くらい『買わない?』ってアンケート来るんだ。1枚1500円ほどだから、負担でなければ。あと、何なら1枚あげようか?」
「うん、ありがと。でも、大きいんじゃない?」
「実は、伊緒姉がほしいと言ってきたから、2枚伊緒姉用に買ったんだ。買うだけ買わせておいて、本人着た形跡がないから、言えばもらえるんじゃないかなと」
「そうなんだね。ちなみに色は?」
「確か、生地はピンクで、文字は赤だったはず」
「その色なら好きだから、お願いできる?」
「了解だよ」
 そんな他愛もない会話をしながら、僕たちは校門から校舎へ入り、教室へ。
 まずは僕が最初に入って、大原さんの机を確認する。
(…今回も、紙が置いてある。でも、どちらかと言えば手紙みたいだ)
 これまでと違って、きちんと折りたたまれているそれは、謝罪文だった。
”水曜木曜と、大変な過ちをしてしまいました。申し訳ありません”から始まり、”私の彼が一方的に私に別れを切り出したこと”、”でも、大原さんは彼と付き合うことはしてないからどうしてなのかやっと最近知ったこと”が書いてあり、最後は、”できるなら、私はやり直したいです”と言う願いが書かれ、末筆に”三津屋優姫”という署名があった。
 何故?…それは、本人に聞いてみないとわからないよな…でも、この内容は逆に見てもらった方が良いよな。
 僕は、大原さんに合図をして、教室に招き入れる。
「どうなの?」
「謝罪文だよ」と僕は机の上の紙を大原さんに渡す。彼女はその紙を見て、
「え?どういうことなんだろう?それに、やり直したいのにって言われても、誰かわからないから何とも言えないよね」
 大原さんは、困った感じでつぶやく。
「だよね。どうしたらいいんだろう?」
 僕がそう言うと、大原さんは少し困った顔で、
「でも、なんだか今日のこの手紙、気になるね。できるなら、何とかしてあげたいかも」
と言う。僕も、彼女に同意を示す一方、やはりされたことの重大さがあるわけだから、
「それもそうだね。でも、最初の書き込まれた紙の内容はあまりにもひどかったから、ちょっと一言言ってあげないと僕の気は済まない。だから、ビデオの確認をして、どんな子かみたいと思う」
 僕は大原さんを促して紙を折り畳んだ。畳むだけで、捨てはしない。
 そして、暗視カメラの方を見てみる。スマホから操作して、録画データを呼び出す。バッテリーは十分に保っていたようで、まだ読み込めるだけの余裕があった。そして、中のデータを確認する。いつもなら20時前、録画開始から3時間ちょっとあたりをスマホでゆっくり再生する。数分見ていると、廊下が明るくなり、それとともに教室に入る生徒――どう見ても、女子生徒だ――の姿が映し出された。
 記憶と照合しても、確かに、あの1年の女子生徒のようだった。
「この子、どこのクラスの子なんだろうね…?」
 大原さんが口を開く。僕も女子の知り合いはあまりいないから、よくわからないけど、
「先生に報告して、探してもらうのが良いかもしれないね」
「そうね」
と、部活の前に春日先生に報告に行った。
「そうか、このデータ、俺も預かっていいか?こっちでも聞いてみる。わかり次第、教えるから」と春日先生も調査に乗り気になってくれたので、データを渡す。
「これで一歩さらに前進だね」
と、犯人の正体がそろそろ掴むことができそうなことに、少し安堵したけど、
「でも、大変なのはこれからかもね」
と大原さんは気を引き締める。そうだね。自分もしっかりしないといけない。
 ここで油断して全てを台無しにしてしまうかもしれないから。
 そして、僕たちは部活へ向かった。
 練習中は集中していたつもりだけど、やはりいつもよりミスが多い。芹沢からは「ちょっと集中力ないんじゃね?」なんて言われる始末だった。こりゃこのままだと、来月の秋季大会もメンバーから漏れてしまうかもしれないと思うと、それは何とかして避けないといけない。両の頬を自分の手で叩き、気合いを入れ直す。
 部活が終わる直前、春日先生がやってきて、「部活後、ちょっと職員室に」という話をもらった。
 僕と大原さんは、春日先生の呼び出しに従って職員室に入り、春日先生に声をかけた。
三津屋みつや優姫ゆうきは、1年の普通コースの子だ。名前検索してクラス確認して、担任に当たってデータの顔を確認してもらった。その子で間違いない」
 そんな子が何故大原さんに…?
「部活は、サッカー部でマネージャーだそうだ。で、最近中田と付き合っていると噂を聞いたよ」
 サッカー部…中田…。そう聞くと、ざわりと胸騒ぎがした。…何か、繋がった気がする。であれば、僕たちがするべき事は、三津屋だけでなく、中田とも話をすることだ。
「先生、すみません。あとは僕たちだけで解決したいです。結果報告はきちんとしますから、任せてくれないでしょうか?」
 僕は硬い表情で聞く。でも、春日先生は柔らかい表情で、
「任せた。色恋は教師がしゃしゃり出るより、本人達で解決してくれた方が良い。まぁ、色々大変かもしれないけど、東条に任せる。…大原を守ってやれ」
 春日先生からの言葉に、僕は顔が熱くなる。
「春日先生、私、守られてばかりでクラスの皆…特に東条くんには迷惑かけっぱなしで…」
 大原さんは、少し涙目で春日先生に話す。その言葉に、春日先生は僕に向ける目よりももっと優しい視線で答えた。
「大原、お前はまだこの学校に入って1週間。だいぶ慣れたと思うが、気が張り詰めているところで、いきなりこんな事になっているのは、本当にしんどいはずだ。
 この学園は、確かに優秀な生徒が多いけど、中には自分の能力に酔いしれて天狗になり、他の生徒を同等に扱えない――つまりは見下す奴だったり、周りが優秀で自分はそれほどでもなかったことに気づいて卑屈になってしまう奴だったりと、良いやつばかりだけではない。だから、こういったことも時には起こりえるんだ。
 教職コースは、適性を見てクラス分けされるから、まぁ、ちょっと卑屈になってしまうのはいるけどそこまでねじ曲がる子はいないけどね。
 だから、しんどいときは、クラスの皆を頼れば良い。自分一人で何とかしようと思わないように。こうしたいと思うことを、周りに話してから行動に移せ。それが、今の大原には必要なこと。いいね?」
 大原さんは優しく諭されて、目に涙が溜まっていた。鼻水も出かかっているのか、ぐすっと鼻をすする音もする。
「はい、ありがとう、ございます…」
 大原さんは、それだけ言うと「失礼します」と駆け出すように職員室を出ようとする。
「あ…」
と僕は大原さんを追おうと春日先生に後ろを向ける。
「東条、行ってこい!」
 春日先生の声に背中を押され、僕は「はい!」と弾けるように彼女を追いかけた。
 大原さんは、階段を駆け上がって僕らの教室へ駆け込む。
「大原さん、大丈夫?」
 僕は彼女に呼びかけた。すると、彼女は僕の方を向いて
「うん、大丈夫」
と言ってくれたけど、その顔を見て僕はドキッとした。
 流れる涙をぬぐおうとせず、泣き笑いで僕に答えていたんだ。
「そうだよね…辛かったよね…」
 僕が言うと、大原さんは首を振って。
「うん、辛かった。でも、今涙が出るのはそれだけじゃないの…」
「それだけじゃない…?」
「嬉しいの。皆が助けてくれていることが。春日先生の言葉を聞くまでは、本当に『申し訳ない』と言う気持ちが先に出てきていたんだけど、春日先生の言葉を聞いて、本当に『ありがとう』という気持ちが出てきて…こんな気持ちになって何故か涙があふれてきたんだ」
 そこで大原さんは一呼吸置く。
「しんどいときに、ちゃんとその気持ちを出して、助けてもらうことができる、とてもありがたい環境に自分がいるんだということが自覚できて、嬉しかったから」
「…そうだね。このクラスの良いところだと思うよ」
 僕は、それだけしか言えなかったけど、大原さんは、一歩一歩僕との距離を詰める。
「だから、東条くん、一つ、お願いしていい?」
 綺麗な瞳から流れる涙をぬぐわないまま、大原さんは僕の顔を見つめる。
「ちょっとだけ胸、貸してくれる?今の気持ちを全部はき出してしまいたいから」
 大原さんの予想外の申し出に、僕は頭がショートする。
「う、うん、ああ…いい、よ」
としどろもどろになって返事をするだけで精一杯の僕に、大原さんは涙を流したまま、僕の胸元に顔を埋めて。
「うわぁ、ああっ!」
 嗚咽の声を上げた。僕は固まってしまって、両の腕も彼女の背中に回せないまま、彼女が泣き止むまで直立不動のままでいることしかできなかった。
 しばらく――と言っても、3,4分くらいだろう――僕の緑のロングTシャツの胸元は、大原さんの涙で濡れていた。大原さんは泣き止むと、笑顔になる。
「ありがとう、あ~、すっきりした!」
 大原さんの笑顔は今日イチで、素敵だった。嫌な気持ちを全部涙で出し切ったみたいで本当にすっきりした笑顔。
「すっきりしたのなら、何よりだよ」
 僕は、ついさっきまで僕の胸元で泣いていた姿と少し汗も混じった彼女からの香りに脳みそがやられたのではないかと錯覚しながらも、そう言ってホッとする。
「うん、だいぶ楽になったわ。今ならなにがあっても切り抜けられるくらいの自信がある」
「うん、前向きな大原さんを見てると、僕もそう思えてくる。じゃあ、帰ろうか?」
「そうだね、そうしよう」
 僕たちは、教室を出て玄関に向かう。玄関では、ちょうどサッカー部が練習を終えたのか、玄関で上履きに履き替えている。
 その中で、僕と大原さんの姿を見て反応した生徒が二人いた。
「ちっ…冴えねぇ奴…うまいことやりやがってよ…俺はただのかませ犬かよ」
 などと言う中田。そして、その隣に
「…先輩…」
 と中田に声をかけるマネージャー。やはり、あの子だ。
 そんな風に僕が二人の姿を見ていると、大原さんは女の子に声をかけた。
「三津屋さん…だね?あとでお話ししたいことがあるんだけど、いい?ここで待ってる。あ、中田くんも一緒に来てもらえると嬉しい。よろしく」
 三津屋は大原さんから名前を呼びかけることを全然想定していなかったようで、驚いて固まっている。でも、2,3回ほど瞬きしたあとで、こくんと一回うなずいた。そんな彼女に、
「マネージャー、早くしろよ。にしても、まさか大原から話しかけてくれると思わなかった。分かったよ」
と中田が声をかける。彼女は「は、はい」と飲み物の入ったタンクを持って中田の後をついて行く。
「…すごい行動力だね」
 サッカー部の連中がいなくなった玄関で、僕は大原さんに声をかけた。
「ごめんね、帰るときに。でも、気になっちゃって。偶然だけど、この機会を逃したくないって思っちゃったんだ」
「ううん、問題ないよ。僕も一緒にいるよ」
「お願いね」
 と、しばらく玄関で待っていると、別の方向から弓を持った男子生徒が近づいてくる。幸弘だ。明日は試合なのだろうか?
「お、幸弘。弓持って帰るということは、明日試合?」
「ああ、慎吾、そうだよ~大原さんも一緒に今帰るところか?」
「そうだよ、矢野くん。弓道の弓って、長いね」
 大原さんは、幸弘と元々長身の幸弘よりもさらに長い弓を見て驚いている。
「そうなんだよ。明日試合だから持って帰らないといけないんだけど、自転車だと何気に不便なんだよな。こんな時は、アーチェリー部の連中が羨ましいよ。コンパクトに分解できるらしいから」
 幸弘は大原さんに説明する。
「で、こんなところで何してるん?誰か待ってる?てか、俺?」
「いや、すまんがお前じゃないんだ」
と、僕は幸弘にこの午前中の話をする。(但し、大原さんが僕の胸に顔を埋めて泣いていたことは伏せておく)
「なんと、もう犯人が見つかったわけ?」
「自分から名乗り出てくれたから分かったの。それで、たまたまここでさっき出会っちゃって。私が手紙のことで話したいと呼びかけたら、応じてくれて、来るのを待ってるんだ」
「そうか…」
 幸弘はなにやら少し考えて――。
「中田も来るというのなら、俺も一緒に話を聞いて良いか?」
と、予想外の一言。別に反対する理由はないけれども、
「どうして?」
と、僕は思わず聞いてしまう。
「いや、いい加減、奴に引導を渡そうと思ってな」
「引導…?」
 大原さんが怪訝な顔で幸弘を見る。僕も、何故そんなことを言うのかわからずにいると、
「おそらくその時は俺、慎吾に謝らないといけないと思ってる」
「?」
と、僕の頭の中は?マークでいっぱいになる。その時、
「お待たせしました。先輩も一緒に来ています」
と、三津屋が姿を現した。その隣には、中田がいる。
「…」
 奴はふてくされた顔をして、大原さんの隣にいる僕を睨んでいる。
「場所を変えよう。玄関出たところの広場の隅あたりでどう?」
 僕が提案すると、皆うなずいた。

 外に移動し、広場の隅で大原さんと三津屋、中田が大きい岩にベンチよろしく座る。僕と幸弘は立って様子を見る。
「話というのは…?」
 三津屋が大原さんに聞く。
「分かっているでしょ?お手紙ありがとう。名前も書いてあったから、あなただよね?」
 僕は、大原さんの声に回収したカメラとスマホを見せる。もちろん、データを再生することはせず、見せようと思えば見せられるよというポーズだけだったけど、三津屋は頷いた。
「すみません…本当に申しわけありませんでした」
「文句があるなら、直接言えば良かったのに」
「だって…2年生の教室まで行くのは勇気がありましたし、それに、行ったとしても休み時間はいつも誰かが一緒で話しかけられる雰囲気ではありませんでしたから…」
「何、こいつ大原に何かしてたの?うわ、引くわ~」
 中田が鬱陶しい茶々を入れる。
「中田、黙れ。お前には後で話がある」
 幸弘が珍しく凄んで中田を睨む。中田はその顔に怯んで沈黙した。
「あなたの彼って、中田くん?」
 さらに大原さんの質問に、三津屋はうなずいた。
「はい、そうです。いえ、…そうでした。あなたが転校するまでは」
「転校するまで?」
 僕がつい口を出してしまうと、三津屋はうなずいて、
「あなたが転校してきた日に、先輩から『転校生とつきあうから、今日で終わりな』と言われてしまって…突然のことで私は呆然としてしまいました。悲しくて、悲しくて…」
 三津屋の目に、涙が浮かんできていた。
「でも、その日の部活に先輩は来なくて、どうなったのかわかりませんでした。ライナーで聞いても未読でスルーされましたし。そして、翌日に様子を見に行ったら、大原先輩は、先輩じゃない男の人と楽しそうに話をしてるし、どういうことなんだろうって。大原先輩は、先輩とつきあうことになったはずなのにって。そうしたら、怒りの感情が止められなくなりました」
 三津屋の声は少しずつ小さくなる。
「でも、木曜日にわかったんです。先輩が大原先輩にけんもほろろにフラれた事を、クラスメイトの噂話で聞いて、先輩にも直接聞いたんです。先輩は、『こっちからフッたよ』と言ってましたけど」
 三津屋はそこで泣き出した。
「そんな、怒りで、書き殴ってしまったことを、後悔して、でも、私の心はぐちゃぐちゃになって。でも、私は部活のマネージャーだから、毎日顔を合わせるから、先輩にフラれた事が辛くて、もう、この怒りが誰に対する怒りかも、わからなくなって。ごめんなさい…。もう、恨みはないけど、先輩に戻ってきてほしくて、どうすれば良いか分からなかったから縋る気持ちで手紙にしました…」
 うわぁっと大泣きに泣く三津屋の姿に、さっきの大原さんが少しだけかぶる。
 それと同時に、僕はこれまでよりも強い怒りを覚えた。それは、彼女に対してではなくて――。
「中田ぁ…ちょっと立てよ」
 大原さんが、中田に呼びかけた僕の顔を見ると、「東条くん、落ち着いて」と話しかけてくれた。おそらく、あのガチギレした表情をしていたと思うだから、大原さんはそう言ってくれたのだろう。
「何でお前の言うことを聞かなくちゃいけないんだよ」
「いいから立ちやがれ!」
 中田はやはり、僕の言うことを聞くのは嫌なのだろう。でも、そんなことを許すわけにはいかないから、僕は珍しく大きな声で口汚く命令して、右手で奴の左腕を持って引っ張り上げる。
 大原さんと三津屋は、僕の形相に、二人のただならない気配を察して立ち上がって少し距離を取った。
「うぉ…なんだてめぇ…喧嘩売る気か?弱いくせによ」
 中田の言葉を無視して、僕は左手で中田の胸ぐらを掴んだ。そこから奴は逃げようとしたけど、思いの外強い力で掴まれていたのだろう、逃げ出せず焦っていた。
「お前…女の子の心を弄ぶのも、いい加減にしろよ。そんなにお前は自分がかっこいい人間で、自分の周りには可愛い女の子がたくさんいて当然とでも思っているのか?お前のそんな自分勝手な言動で泣いている女の子がたくさんいることを知らないんだろ…。いや、知ってて知らないふりしてるんだろ?」
「だったら、なんだよ?」
 前の時以上に、僕は奴に言いたいことをぶちまける。
「お前のような腐った奴はな、スポーツマンの片隅にもおけないんだよ。よくアスリートコースにいられるよな?アスリートコースで何を習っているんだ?今の世の中、お前のやっている事なんか、SNSに流されたら簡単に炎上する案件だよな。それは一番気をつけないといけないって習っているはずだよな」
「…俺は、そんなことどうでもいい。自分が最優先だ!それの何が悪いんだ?」
 中田の反論には全く論理性がない。感情論が全てのその言い様に怒りがまたこみ上げる。
「自分を最優先して、女の子をとっかえひっかえすることがそんなに大事なことなのか?それはただ単に、一人の女の子を幸せにする気概も、自信もないようにしか見えないんだけどな。お前、デートとかで『幸せ』とか言ってもらえたことがあるのか?女の子は、自分のステータスをアップさせるためだけに存在するアクセサリーなんだな?」
「…」
 僕の剣幕に黙る中田。そこに突然、幸弘の声がした。
「中田よ、夢衣に手を出したこと、覚えてるか?」
 幸弘の発した言葉の内容に、僕の力は急に抜ける。三上に、手を、出した…?
「夢衣はな、俺と、慎吾の幼馴染みだよ。お前はしつこく言い寄って、夢衣はそれに折れてしまったんだよな。そして、つきあい始めて2日目に、無理矢理キスしようとして拒否られて、それでお前は怒って『そんなことすらヤらせてくれないならお前はいらない』ってフッたよな。忘れたとは言わせない。その一部始終をたまたま俺は見てしまったからな。その後、俺がお前に何をしたか、何を言ったか覚えているか?」
 中田は力の抜けた俺の手をほどくと、岩に腰掛けた。
「ああ、お前に殴られて、『夢衣に手を出すな。また手を出すことがあったらお前をあらゆる手段を使って潰す』て言っていたよな。だから、あいつにはもう手を出していないだろ?だったらいいじゃないか」
 その瞬間、僕は吠えていた。

 僕の初恋を、奪った奴が目の前にいる…。

 三上から距離を取られたと言うことは、僕も男として距離を取られる存在に見られるようになったと思って、三上は僕にそういう気がないということなんだよなと、諦めた…。それは全て、この節操のない奴によって引き起こされていたことを今になって初めて知って。
 僕は、中田に殴りかかろうとしたけど、後ろから羽交い締めにされる。
「幸弘ぉ…離せよ…こいつのせいで、三上が…夢衣が僕たちですらあんなに距離を取るようになってしまうくらいトラウマ植え付けられたんだろぉがぁ!僕は、僕は…」
 幸弘は、僕を締め付ける力をさらに強くする。
「知ってたよ、俺は。お前が昔から夢衣のこと好きだったの。そして、諦めたのも。だから、夢衣のことをそれからずっと『三上』って呼ぶようにしたんだってのもな。ああ、すべてこいつの仕業だよ。すまなかった、慎吾。やっぱり、お前には話しておくべきだった」
 やっぱり、幸弘にはお見通しだった。そりゃ、15年も一緒にいれば、考えていることなんて大体わかってくる。そして、幸弘は続けて僕に話す。
「でもな、お前がいくら今、怒りにまかせてこいつを殴ったところで、過去を取り戻すことはできないし、夢衣の態度が今すぐ昔に戻るわけじゃない。そして何より、こんなどうしようもない奴を殴る価値はびた一文たりともない。お前が損するだけだ」
 そう言われて、自分の無力感に苛まれて僕は全身から力が抜けた。その様子を見て、幸弘は僕を離し、中田に対峙する。
 一方僕はすとんと膝から崩れ落ち、腕も地面について四つん這いになる。そして、目から涙があふれ出した。
「うっ、ぐぅ…」
 この涙は、何の涙なのだろう…悔しさなのか、悲しさなのか、怒りなのか…それこそ、三津屋が言っていたように「いろんな感情がぐちゃぐちゃになって」、いたことは確かだった。
「うっ、ちくしょう…」僕は右の拳を地面に打ち付ける。すると、その手を優しく抱き留めてくれる存在が、目の前にしゃがみ込む。
「あ…」
 その手の主は、大原さんだった。「そうだったんだね…」と視線を僕に向けてる。
「夢衣ちゃん、東条くんや矢野くんと話すときはそこまでじゃないけど、距離取っているし、男の人を避けてるなって思ってた。夢衣ちゃん、私から見てもすごく可愛いし、実は学校でももてるんじゃないの?と思っていたけど、そんなことがあったんだね」
 そして、大原さんは続けて
「東条くんがどうして幼馴染みなのに夢衣ちゃんのことを『三上』って呼ぶんだろうって前から不思議に思ってたけど、好きだった気持ちの裏返しだったんだね」
 僕は、大原さんの顔を見ることができなかった。今一番好きな、大好きな彼女を差し置いて、昔好きだった女の子のことでこんな醜態をさらしてしまったのだから。
「でもね、東条くんが私にしてくれたこの一週間のことは、そうだったからと言ってなしになるわけじゃないから。私は、あんなに真摯にいろんな事を受け止めてくれた東条くん…慎吾くんを、信頼してるよ」
 大原さんは、僕のことを初めて名前で呼んでくれた。でも、それよりも、信頼してくれることが何より嬉しくて。一旦止まった涙が逆に涙があふれてくる。
「ぐすっ…大原、さん…ごめ…ん、ぐすっ…」
「謝る必要なんてないわよ。ほら、今度は私の膝を貸してあげる。これで、おあいこだね」
 僕は、彼女に誘われるまま、地面に正座した大原さんの両の膝に顔を埋める。正確には、膝より少し高い太もも。思いの外引き締まっているけど、適度に柔らかかった。でも、僕自身はそんなことよりも自分の三上に対してまだ残っていた恋心を昇華するように、静かに、泣く。そんな僕の頭と背中を、大原さんは撫でてくれた。それは、とても優しくて、僕はしばらく涙を止められなかった。

 後で聞いた話だけど、中田と幸弘は僕が大原さんの太ももに顔を埋めて泣いていると、毒気が抜かれたみたいになったようだ。
「けっ…見せつけやがって」
 中田が毒づくと、幸弘は、
「こうやって信頼関係を築いてさ、エッチなこと抜きでお互いをいたわり合える間柄って、尊いよなぁ…お前はそんなこと今までなかっただろうよ。お前の頭はそのまま下半身に直結していたからな」
と中田に嫌味を言う。中田は、そんな嫌味に反論しなかったらしい。
「………矢野………少し、分かった気がする」
「何が分かったんだ?」
「俺に対して言っていたことだよ。彼女になることは、即エッチなことをすることだと確かに思っていたし、そうならない時は、やたらとイライラしていた。でも、それはただ単に自分の欲求が全てで、女の子の事を考えていなかった、と言うことだよな」
 幸弘は意外そうな顔をして、
「全く、今頃気づいたのかよ」
と言う。中田の顔は、真剣になって
「思いやりって、今の東条と大原のためにある言葉なんだなって事に気づいた。初めてこんな気持ちを抱いたかも」
と幸弘に言う。幸弘は、
「お前の口からまさかそんなことを聞けるとは思わなかった。何か悪い物でも食ったか?」
と冗談を言い、中田は「んなわけねーだろ」と突っ込む。それに笑って幸弘は、
「ただ、お前が変わるきっかけになるんならいいと思うぞ。でも、そんな相手はいるのか?」
と中田に告げる。すると、その様子を見ていた三津屋が
「ここにいます!私、中田先輩のことしか見てないですから。」
と叫んだ。
「でもさ、三津屋さん。一つだけ聞いていい?どうして、中田が良いわけ?」
 幸弘が意地悪そうに聞くと、三津屋は一気に幸弘に静かに話した。
「…中田先輩、寂しそうだからです。私は、地元の中学からこの学校に上がってきたので中田先輩の噂をはじめは知りませんでした。そして、マネージャーとして半年ずっと一緒にいたんですけど、部活は一生懸命練習している姿ももちろん格好良くて、上手でそこが好きになったことは確かです。でも、先輩の噂を聞いてからずっと見ていても、彼女ができて満足している様子が見えませんでした。そして、すぐに何か不満に思うことができたら別れてしまって、満たされているようには全然見えませんでした。部活は充実しても、それ以外ではいつも、すごく寂しそうにしていたんです」
 一度そこで言葉を切って中田を見る。中田は少し顔を強張らせて、
「そんな風に見えていたのか、俺」とつぶやく。三津屋は続けて、
「だから私で満たされるならと思って…何度もアタックして、1ヶ月前にようやく彼女にしてもらえて、嬉しかったんですよ、私。この1ヶ月」
 目に涙を浮かべつつも笑顔で言う三津屋に、幸弘は茶化すように口笛を吹いて、
「何だ、お前のことしっかり見てくれている人がそばにいるじゃないか。中田よ、この子を大事にすることができたら、お前は変われるよ。絶対に離すなよ」
と中田の背中をたたいた。中田は不意打ちに「ゲホッ!」と咳き込んで、
「わかった…」
 と言った中田は、三津屋の手を取って、
「人を思いやると言うことが俺は全くできていなかったんだな…そんな事にようやく気づけた。優姫、ありがとな。すぐには変われないかもしれないが、少しずつ変わろうと思う。手伝ってくれ」
「はい、私はこれからも、先輩だけを見ています」
 二人は再び、恋人に戻ったようだった。その頃には、僕は泣き止んで大原さんと二人、立ち上がっていた。それに気づいた三津屋さんは、
「大原先輩、本当に、申し訳ありませんでした。二度としません。厚かましいお願いだと分かっているんですけど、何かあったら相談してもよろしいですか?」
と大原さんにそう言う。大原さんは笑顔になって、「もちろん、私で良ければ。相談してね」とちゃっかり二人でライナーのIDを交換する。そして三津屋さんは僕にも、
「先輩、大原先輩にひどいことしてすみませんでした。先輩と大原先輩、お似合いだと思います。今の見ていて、とても感動しちゃいました。私と中田先輩も、お二人みたいになれるよう、頑張ります」
 と言って、小さくお辞儀をした。最後に中田は僕に、
「今まで、すまなかったな。三上にも悪いことをした、すまなかったと伝えてくれるか?」
と、全く別人のようになっていた。
「分かったよ。中田、今のお前の顔、今までと別人だわ。イケてるぞ」
と幸弘が茶化すと、
「おお、俺努力するわ。矢野、お前のおかげだ。もちろん、東条と大原のバカップルぶりにも礼を言うわ」
なんて、中田は言いやがる。
「バカップル言うなよ」
と僕は突っ込むけど、
「でも実際、その要素はあるぞ。俺たちの目の前であんなに見せつけてるんだからな」
と返すものだから、僕は顔を赤くするだけで。
「だから、お前はそういうところが冴えないんだよ、東条。じゃ、またな」
 憑き物が落ちたような清々しい笑顔で、中田と三津屋は僕らの前から去っていった。

 そして、僕たちは先に解決したことを春日先生に伝えてから帰路につく。先生からは、
「なんつ~スピード解決。それも、中田の女癖の悪さも矯正ってどんなマジック使ったんだ、お前達?」
て言われたけど、さすがにいくら先生相手でも自分たちのプライバシーの部分は守りたいので、その辺は隠して言わせてもらったら、
「一番肝心な部分がよく分からんが…」「そこは、僕らのプライバシーなんで」「分かったよ。でも、お前達に任せて良かった。ああ、データは全部削除しておけよ」「了解です」
なんてやりとりがあったけどね。
 そして、校門を出ると時計はもう14時を指していた。お昼は皆帰ってから食べると言うことで、家路を急ぐ。
「丸く収まって良かったね!」
「そうだね。中田も変われるのなら、これであいつも他の女の子に声をかけまくることがなくなるわけで、かなり平和になるよ」
と僕と大原さんは喜ぶ。一方で、幸弘は顔をむすっとして
「にしても、お前達は臆面もなくイチャイチャしてるよな~。あんなところで男を膝の上で泣かせられるのってすげぇよ~羨ましいぜ」
 なんていうものだから、僕と大原さんは顔を赤くする。
「でもね、私も東条くんの胸で泣いちゃったから」
「そういえば、おあいこって言っていたけど、そういうことだったのか。くぅ、妬けるねぇ」
「でもな幸弘。お前、謝る以外に、まだ僕に言ってないことあるだろ?」
 僕は、羽交い締めされているときの会話で気になったことを聞こうと、幸弘にカマをかける。
「ん?何?」
「お前『も』、三上が、夢衣が好きなんだろって。だから、中田に『また手を出したら潰す』って脅して、それ以上あいつだけじゃなくて取り巻きも近づかせないようにした。僕に言わなかったのも、諦めた僕がまた夢衣にアプローチするかもと思ったから。違うか?」
 僕の一言に、大原さんも驚いたみたい。「さすが幼馴染み」と目を丸くする。
 そんな僕の一言に幸弘は、顔を赤くして頷く。
「そうだよ。俺、やっぱり夢衣しか考えられない。お前が諦めてくれてよかったよ。取り合いになりたくなかったし」
「だよな。取り合いになりたくないのは僕も同じだよ。結果オーライかもね。で、スケベトークは他の女子が自分に近づかないように敢えて言っているって事だよな」
「…その通りだよ」
 僕と幸弘は、笑い合う。
「お互いに、すごいよね、何て言うか、信頼以上の何かを感じるわ」
「ま、ソウルメイト?みたいな」「魂で繋がっているかもね」
 大原さんの指摘に、ほぼ同時に同じような意味で返すものだから、三人で大笑い。
「でも、本当に、ここに夢衣ちゃんも入ると良いなぁって思う。朝だけじゃなくて、いつでもね」
 大原さんの言葉に、幸弘は「そうなるように努力するさ。そのうち、見ててくれ」と言って、いつも合流する交差点で僕たちと別れた。
「まさか、こんなに早く解決するなんて、思ってもみなかった」
 大原さんは、実感を込めてそう言う。僕も、
「今日ほどあんなに感情が忙しく変わった日はないよ。まさしく、What a day!なんて日だ」
「あれ?英語苦手なのに、英語言うんだね」
 大原さんが茶化すけど、
「あ、実は僕と幸弘はF1が好きでさ。知ってる?F1って」
「ううん、知らないなぁ。ごめん」
「そうだよね。知らないのは仕方ないよ。F1て、自動車レースなんだけどレース中に結構ドライバーとピットの間の無線でのやりとりが英語であって、公式のまとめつべ動画で英語字幕つくからそれで覚えたり、ライナーのスタンプで覚えたり。幸弘とレース中結構やりとりして応援したりしてる」
「ふぅん、さすが矢野くんとソウルメイト。好きな物も似ているんだね」
 大原さんはあまり興味なさそうにそう言うけど、僕は、
「でも、サブスク登録してアプリ入れていれば、1週間以内ならいつでも見られるから。今度一回見てみる?日本人選手も活躍しているし」
と興味を持ってほしくて言ってみる。すると、
「あ、そうなんだ。一回見せてもらっても良い?」
「お安いご用だよ」
 ちょっと興味が出たような大原さんは僕の返事に笑って、
「ふぅん、でもそういうので英語を覚えるのもありだよね」
「でも、実践には向かないかも。結構、ピー音も多いし、専門用語多いし」
「ピー音?」
 大原さんは今度はキョトンとする。
「つまり、放送禁止用語。ドライバーも人間だから、頭に血が上ってつい言ってしまうんだよね。そこはさすがに放送前に検閲してピー音になるから…」
「うわ、それは…」
 大原さんは苦笑い。そんなめまぐるしく変わる表情が、やっぱり僕をドキドキさせる。
「でも、追い抜きのシーンとか見てると興奮するから、今度…11月の模試が終わったら見せてあげるよ」
と思いがけず話題になったF1の話が終わると、少し沈黙する。そして、城西商店街の看板が見えてきたとき、
「そういえばさ…」
 僕は、意を決して話しかける。
「大原さんに、伝えたいことがあるんだけど、ちょっと長くなるかもしれないから、3時半に、商店街手前の公園でまた会えない?」
 僕の真剣な表情でする提案に、大原さんも真剣にうん、と頷いて、
「わかった。お昼食べてからまた会いましょう。また後でね」
「うん」
 僕たちは一旦別れて家に帰る。「遅かったね」と母さんは言ってお昼の焼きうどんをレンジで温めて用意してくれた。
 遅い時間のお昼ご飯をさっと食べ、着替える。黒のジーンズに青いデニムシャツ、その上に薄手の白いニットセーターに身をまとい、僕はもう一度出かける。出かける前に、「今から出るけど、ゆっくりで良いよ」と大原さんにライナーを送っておく。
「んじゃ、ちょっと出かけてくる」
「あら、慎ちゃん珍しい。デート?」
と言うぶかぶかのセーター1枚に身を包んだだけの伊緒姉の言葉に、「まぁ、そんなとこ」と言って返事を待たずに玄関を出る。ドアの向こうでは、「え?え?マジで?」という伊緒姉の声が聞こえた気がした。
 自転車のロックを外してこぎ出そうとした瞬間、伊緒姉がドアを開けて、
「ちょっと、彼女できたなら紹介しなさいよ!」
なんて言うものだから、「そういえば、伊緒姉、僕が前に買ったバド部のTシャツ、この前話したあの子にあげていい?なら、後で連れてこれたら連れてくるけど」て返したら、即答で「あげるから絶対に連れてきな~」と返ってきた。
 僕は右手親指をサムアップして了解の意を告げると、公園に向かってこぎ出す。
 ものの5分で公園にたどり着くと、時間はまだ15時20分。時計チェックついでにライナーもチェックすると、「分かった、もうちょっと待ってて」という大原さんからの通知があった。
 10分ほど待つと、大原さんが息を切らせて走ってきてくれた。
「ごめんなさい、待たせちゃって」
と言う大原さんは、白地のタートルネックシャツにモスグリーンのニットセーター、灰色のテーパードパンツ。そして、白のスニーカー。初めて見る私服に、ちょっとドキドキする。
「ううん、15時半て言ってたのに、僕が10分も早く来たから問題ないよ。その服、似合ってるね」
 僕が言うと、大原さんも、
「ありがとう。慎吾くんも、いつもとなんか雰囲気違うかも」
と言ってくれる。いい意味?悪い意味?どっちかなぁと迷って悪い方で聞いてしまう。
「え?似合わない?」
「そんなことないよ。いつもかちっと制服着こなしてるけど、慎吾くんがデニムシャツをちょっとセーターから出しているところとか見えると、意外とおしゃれで柔らかい感じがするの」
 僕はちょっと合点がいって、
「…なるほどね。ありがとう。そうだ、何か飲む?」
 と聞いて、大原さんと自販機で飲み物を買う。アプリで自販機と接続してジュースを買う僕に、「え?こんな便利な機能あるの?」と大原さんは驚いていた。
 僕は大原さんの分もアプリで購入した。ただ、どうしてもお金は払うねと言って聞かなかったから、一回接続解除して大原さんがお金を投入してからアプリで購入した。
「お金入れて買ってもスタンプ貯まるなら、私もこのアプリ入れようかな」
と大原さんもアプリストアを開いてそのアプリをインストールし、公園のベンチに座って話の続きを始める。
「とても大事なこと、今から話すね。もう気づいてると思うけど」
 僕は大原さんに笑いかけながら話す。緊張はするけど、それ以上に受け入れてもらえる自信の方が大きくて。
「僕は、大原更紗さん、あなたが好きです。君が転校生として教室に入ってきたその時から、僕の心は君でいっぱいになった。一目惚れだった。だから、春日先生が僕の隣にしてくれたときはとても嬉しかったし、その後の会話一つ一つがとってもドキドキしていた」
 言葉が、止まらない。
「いろんな会話をする中で、大原さんの表情がころころ変わって、その表情の一つ一つが僕にはとても眩しかったり、尊かったり、ドキッとしたり、そのたびに僕はやっぱりあなたが好きだと言うことを自覚したんだ。そして、一緒に一週間過ごしてその想いは募るばかりで、力になりたくて、君を助けていきたいと一生懸命になって。困っている大原さんの顔を見るたび助けて眩しい笑顔を守りたい、ずっと見ていたいと思っている。だから――」
 僕は、真剣な表情になって、最後の一言を告げる。
「僕と、つきあって下さい。よろしくお願いします!」
 大原さんは、僕の視線をしっかり受け止めて――一瞬目をそらす。
「ごめんなさい。ちょっと、時間くれるかな?」
 僕は大原さんの思わぬ返事に「え?」と目が点になる。
 大原さんは、
「もちろん、慎吾くんが私のことを好きだと言ってくれることは嬉しい。慎吾くんの真摯に接してくれる姿に気になりはじめたのは、火曜日の朝のあの二人から私を守ってくれた時から。そして、あの落書き騒ぎも一緒に解決してくれている間も、慎吾くんの下心のない、見返りを求めない姿勢に私を大切に思っていることが本当に伝わってきた。でも、実はね…」
 大原さんはそう言って、ちょっと深刻な顔をして僕を見つめる。
「私は、人を好きになったことがなくて…」
と話し出す。
「転校が何度もあったおかげで、私は友達を作ることはできても、転校で離れ離れになってもうお話しができなくなる思うと本当に悲しくて仕方がなかった。だから、最後の方は自分から積極的に友達を作ることもしなかったし、まして、男の子を好きになるという気持ちにならなかった」
 大原さんは、少し遠い目をして、
「でも、今言ったように、慎吾くんのことがすごく気になるのは事実なのだけど、それが慎吾くんのことが好きという気持ちなのかが、分からないの。だから、しばらく、時間がほしいです。今のこの気持ちが、あなたのことを好きだという感情なのかを確かめたいから」
 そして、決心したような強い目をして、僕に最後の一言を伝えてくれた。
「だから、今のまま、接してほしいです。数学を教えてほしい、バドミントンも一緒にやりたい、お礼に、たまにお弁当をつくって一緒に食べたいし、一緒に登下校したい。そんな日々を過ごす中で、この感情が本物か一緒に探ってほしい」
 …最初の言葉を聞いたとき、僕は絶望しそうになったけど、大原さんの言葉を聞いているうちに、自分のやってきたことは全然間違いじゃなかったし、僕の好意が彼女に伝わって、いい印象を持ってくれていることを実感して、希望を持つことができた。だから、僕は彼女を離したくなくて――
「…ありがとう。僕の気持ちを受け止めてくれた上で、今のままでいていいと言ってくれて。人を好きになったことがないなら、そう思ってしまうのも何となく分かる。だから、お試し期間と言うことでお互いのことをもっと知っていきたい。その過程で、好きと言う感情を理解して、その相手が僕であれば本当に嬉しい」
 僕は、もうこの気持ちを止められない。
「僕は、大原さんに自分のことを好きになってもらいたい。だから、大原さんのことを、更紗さんって呼んでもいいかな?大原さんも、僕のことを下の名前で呼んでくれているから」
 大原さんは、グイグイ押し始めた僕をまっすぐに見つめて、
「ええ、いいわよ。よろしくね、慎吾くん」
と言ってくれる。お付き合いをするには中途半端な関係かもしれないけど、一つ進んだ関係にはなれたと思う。
「ありがとう更紗さん。早速で申し訳ないんだけど、今から僕の家に来れる?」
「どうして?」
 不思議そうに聞く更紗さんに、
「朝のTシャツの話ね、伊緒姉に言ったら『あげるよ』と返事してくれたから、伊緒姉のいるうちに回収してもらえるといいかなって思ったんだ。伊緒姉、今日は6時からバイトだから」
「そうなんだ。うん、分かった。いいわよ、行きましょ。この前話聞いたときに、会ってみたいなあって実は思ってたの」
「良かった」
 僕たちは公園を出て、並んで歩く。
 出会ってたった一週間だけど、こんな関係になれたことはとても嬉しい。恋人同士にはなれなかったのは残念と言えばとっても残念なことなのだけど、告白した上でひとまず今のこの距離感を保っていけるというのであれば、僕としては異論はない。
 確かに、別の誰かを彼女が好きになってしまう可能性もあるけれど、でも、更紗さんが一番気になっている男子が僕である以上、その一番を僕は譲りたくないし、譲るものかと逆に燃えてきた。
 だから、いつか、更紗さんの方から「慎吾くんが好き」と言ってもらえるよう、努力していく。
 この一週間、僕は男子生徒からの嫉妬を受け続け、更紗さんは三津屋さんからの嫉妬の炎を受けた。そして、自分が感じた嫉妬や怒り、悲しみ…自分自身も正直ストレスがあったと思うし、それは更紗さんも同じだ。二人でこれらを全て乗り越えたから、二人でこれからもいろんな困難を乗り越えて、いずれはちゃんと恋人同士になれれば最高だ。
 …この後、伊緒姉さんは連れてきた更紗さんを見て「めっちゃ可愛いし、胸あたしより大きいし、こんな娘が慎ちゃんの彼女になるの?」「いや、まだそんな関係じゃないんだけど」「ええ~?でも、可能性はあるのよね?」「…否定しないけど」なんて興奮してしまい、僕がたじたじになっている様子を見て更紗は「あははは…パワフルなお姉さんだね。でも、お姉さんもスタイルいいと思うけど」と言い、伊緒姉から「ありがとう、更紗ちゃん、あなたはいい子だぁ」と抱擁を受けていた。
 そして、伊緒姉から無事Tシャツを譲り受け、城西商店街の入り口まで更紗さんを送って、別れるとき、
「じゃ、また来週よろしくね、バイバイ!」
と明るい顔で手を振る彼女に、僕も「じゃあね」と手を大きく振り返した。
 夜は少しだけどライナーでバドミントンの話をして、練習動画を教えて。
 そして、「また明日話そうね」という言葉とともに「お休みなさい」のスタンプを送り合って。
 いろんな感情が入り交じった大変な1日は、幕を閉じた。

コメント

  • 鳥原波

    ありがとうございます。
    名前あるキャラについては、できる限り幸せになってほしいと思ってます。
    次も楽しんでいただけるよう頑張ります!

    1
  • ノベルバユーザー617419

    良いぃ♪
    「ざま」で終わらず「解決」なのが良い♪そして…
    悶えました(*ノωノ)これこそ恋愛モノの癒しよ!
    「また来月ぅ待ってるね」

    1
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