臨魁学園物語――転校生とガチ恋をして、二人で幸せになる話――
17章 60週~75週 思い通りに行かないのが世の中だったりするけど、それでも前を向く。
11月も半ばに入り、模擬試験の数は減った。土日のその時間は、自分たちの勉強の時間にしてくれと言わんばかりに、共通テスト対策のテキストを学園の方から渡されて、今の授業はそれが殆どになりつつある。あと2ヶ月もすれば共通テストなのだから、それは勿論そうなんだろうけど、教職コースなのに、そんなんでいいのかなあという思いも少しはある。
でも、国公立に行くにせよ、私立に行くにせよ、このテストってやっぱり重要であることは確かだから、どうしてもこの時期はそうせざるを得ないんだと思う。
今年は特に、臨魁大学にそのまま行こうという生徒が例年より少ないこともあって、先生も進路指導に大変そうだ。例年7割くらいがエスカレーター式に上がるのに、今年は半分と聞いている。
その半分の子達は、だいたいが県外に行くようだ。ここで教員になるよりも、他県の方から倍率が低いからそこで確実に教員になるために、はじめから県外に行こうという算段らしい。
それは、教職コースのみならず、他のコースでもそうみたいだ。
啓一にライナーで「お前はどうするんだ?」と聞いたら、「俺は県外の体育大学に行くよ。実は、そこで実績を積んだらプロから声がかかるかもって言われていてな、優姫のこともあるからどうしようか悩んだんだけど、彼女の方から『私のことで、みすみすチャンスをふいにしないで、しっかり羽ばたいてください!来年ちゃんと追いかけます!』と言ってくれたから、決心がついたんだ」と言っていた。まぁ、啓一に関しては、事情が事情だから仕方ないかもしれないけど、少しばかり田舎のここでずっといるよりは、少しでも都会に出たいという気持ちもあるんだろうなと思う。
でも、僕はこの街が好きだし、ここで教員になろうと思っているから外に出る必要性はあまり感じない。確かに、外に出て見聞を広めたり、その土地の人々や全国からやってくる同輩とワイワイやりながら生活するのも悪いことじゃないし、むしろいい経験なんだろうと思う。
それでも、更紗との将来を考えた時に、それがベストではないことも事実。いくら元気になったとしても、お父さんのことが心配だから側にいたいという更紗の胸の裡を受け止めることが必要だった。
幸い、幸弘や夢衣も側にいるんだから、この4人で過ごすことができるのだから、これ以上の幸せはないと思っている。
そして、12月に入る。去年のこの時期は、更紗のお母さんのことを知ったり、クリスマスにはダブルデートをして楽しんだりしていたなぁと感慨深い季節なのだけど、ここまで来るとそんなことは言っていられない。
徐々に迫る共通テストに対し、ここに来て伸びていかなくなった点数に焦りを覚え始めた。伸びしろがそこまでだったと諦めたくないから足掻くけど、その足掻きとは、焦りとは裏腹に点数は伸びず水平に。問題集も悪い時は調子の良かった時よりも良くない点数になって、どうもよろしくない。
それは更紗も同じみたいで、
「最近、すごくプレッシャーだよね」
と二人で苦笑いするしかなかった。
正直、僕は焦っていると自覚している。そんなに焦る必要はないと分かっている。
だって、よほどのことではない限り、臨魁大学の合格は堅いからだ。
幸弘は推薦での合格通知書をもらって、クラスの誰よりも早く大学の進路を決めてしまっている。きっと僕は、そんな幸弘を見ていて少しばかり嫉妬というか、羨ましいのだろうと思う。
そんな思いは、更紗に知られると恥ずかしいから言わないのだけど…夢衣には分かっていたようだった。
幸弘が合格通知をもらったその日、夢衣から個人的にライナーが届く。
『大丈夫ですか?慎吾くん。なんだか、今日の顔がいつもと違っていたから思わず連絡してしまいました』
と言う、自分でも自覚していなかったことを言われて驚いた。
「なんか、僕の顔変だった?」
そう聞くと、夢衣から「はい」と『びっくりした』というスタンプが届く。そしてその後に、
『幸弘さんが合格したのが羨ましいのでしょうか?』
そんなメッセージが届く。それは、僕の胸を痛くするのに十分な言葉だったし、『見抜かれた』と素直に思わせる言葉だった。
「…夢衣には敵わないな。その通りだよ」
『でも、それは仕方がないことだと思いますけど…』
そう夢衣は言っても、やはり一芸に秀でたものを持つ幸弘を羨ましく思ってしまう訳で、
「そこはね、やっぱり自分が持ってない、できないことをできる幸弘が羨ましいし、その一芸で大学にすっと入れるというのが羨ましいんだと思うよ」
と、本音を漏らす。でも、その本音に対して夢衣は、
『…でも、幸弘さんもかなり悩んでいたんですよ。県外に行こうとも本気で思っていましたからね』
…知っているよ。だって、更紗と夢衣のいないところで、僕たちも話をしていたんだから。
「うん、幸弘本人から聞いているよ。かなり悩んだけど、やっぱり学費の援助があるから臨魁大にしたってね。弓道も好きだし、続けるにはそれが一番都合が良かったからな、とも聞いているよ」
僕がそう送ると、夢衣は『そうですね』と返してくる。
「とにかく、先に進路を決めた幸弘にはおめでとう、だよ。僕たちも続いていく、そう思いながらこれからの日々を送らないとね」
僕はもう、この話題はこれで終わろうと思ってそう夢衣に送った。
『はい、私も頑張ります。幸弘さんはこれから私達のサポート役をしてくれると思いますから、頑張っていきましょう』
夢衣からもそうメッセージが来て、一連の会話は終わった。
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12月に入って、すっかり寒くなってきた。去年はそんなに寒くなかったなと言う記憶があるだけに、体調管理をしっかりして、この前みたいに風邪を引かないようにしないといけないと思う。
そして、最近思うのは、陽が沈んで暗くなるのが早くなったなということ。
4人で一緒に勉強していると、17時にはもうほぼ真っ暗になる。
学校の図書室は18時に閉館するから、それからは4人で一緒に帰って、いつも通り月水金は家に帰って綸子と一緒に夕飯作り。火木土は慎吾の家に行って、お母さんを手伝って一緒に夕飯の流れだ。
ただ最近は、火木土の夕飯の後は、慎吾の部屋で綸子も一緒に2時間ほど勉強してからお母さんに送ってもらっている。
「少しでも時間を無駄にしないようにしたいから」
と言う3人の意思が、そうさせている。
そうそう、綸子は私達の姿を見て、臨魁学園に行きたいと言ってきた。成績も悪くないどころか、学年では180人のうち10~20番くらいにいるようで、もしかしたら私より頭がいいかもしれない。一概に比較できないけど、私は250人くらいいた中での40番前後だったから。
「今の成績だけを見れば、十分には入れますよ。でも、臨魁さんはなぜ入りたいかという志望理由も大切なので、そこはしっかり考えてくださいね」
と担任の先生から言われているようで、今、綸子はどのコースに行きたいか悩んでいるようだった。
「大浦くんとはどうなの?」
と私が聞くと、
「大浦くんは、臨魁学園はお金が厳しいから地元の公立に通うって。県イチで有名な、藤代高校を狙ってるんだ」
と、綸子は少し寂しい顔をしてきたから、
「あなたたちなら大丈夫でしょ?」
と元気づけると、綸子は笑って、「そうだね」と言った。そして、
「道は分かれても、それで終わりじゃないし。半年しか付き合ってないのに、自然消滅みたいなことしたくないからね」
と真面目な顔をした。
「うんうん、頑張りなさい、綸子。あなたは私よりも器用だから、どっちもできるわ」
私はそう言って綸子の左手を握ると、綸子も「うん、頑張る」と私の手を握りかえしてくれた。
でも、本音としては同じ高校に入りたいんじゃないかなって思う。だから、最終的には藤代高校を選ぶと私は読んでいるんだけど、それは来年になってからの話だろうな。
12月に入ってからも、模試は1回だけあった。マーク模試。おそらくこれが最後になるだろう模試で、私はとうとう数学で合計100点を出すことができた。目標達成。後は本番でこの成果を出すだけと、すごく自信がついた。
一方の慎吾は、英語がやはりネックになってリスニングとの合計でも半分に届かなかった。
結果を受け取った日の帰り道。いつものように並んで帰る私達。でも、私達の足取りと間を流れる空気は少し、重かった。
「やばいな…」
慎吾の顔は少しばかり引きつっていて、すごくプレッシャーを感じているようだった。
「慎吾、大丈夫だよ。まだ行けるから」
私が元気づけようとしても、今までなら「そうだね。がんばるよ」と柔らかい表情を向けてくれたのに、「ああ、そうだね」と言う表情は硬くて、私と目を合わせようとしない。
…これは、良くないよね…。
私まで不安になる。
一緒の大学に通えないかもしれない。慎吾が浪人するかもしれない。そんな恐怖がちょっと頭をもたげてくる。
でも、いいえ、と私は頭を振ってその考えを否定する。
「気を張り詰めすぎだと思うな。慎吾、今度、一緒にどこかでかけようよ。クリスマスに」
そう言っても真言は首を横に振る。
「いや、そんな暇はないよ。クリスマスじゃなくて、ベリー苦しみます、だ」
私は慎吾の言葉に一瞬「え?」と反応しちゃったけど、すぐに笑ってしまう。
「慎吾、それだじゃれのつもり?」
「…まぁ、ちょっと狙ってはいたけどと言うか、春日先生の受け売り」
「そうなんだね」
私はもう一回クスッと笑って、
「でも、それが言えるんなら大丈夫だよ。本当に少し息抜きしようよ。去年みたいにテーマパークへ行く必要はないんだよ。いつものゲーセンで、小1時間音ゲーして、喫茶店で話をしようよ。それだけでも十分だから」
そう言ってようやく慎吾は少しだけ表情を柔らかくしてくれた。
「うん、分かった。確かに、気を張り詰めさせているだけじゃ、逆効果だもんね。じゃ、クリスマスイブに行こうか。で、夜はうちでパーティだね」
「ええ、綸子とお父さんも行って良いでしょ?」
「勿論」
私は慎吾の左腕に両手を回して抱きつく。
「ありがとう。いつもお世話になって本当にありがとう。いつも家族を支えてくれて、ありがとう」
そんな私に、慎吾の顔は真っ赤だ。
「そんなにお礼を言われるのはちょっと照れるな。当たり前のことをしているだけなのに」
「だから、だよ。そういう所が慎吾の本当にいいところなの。だから、紗友梨さんも夢衣ちゃんも、そういう所が好きだったんだと思うよ」
「…でも、好きだと面と向かって言われた訳じゃないから、実感がないんだけど。でも、更紗が好きって言ってくれると幸せな気分になる」
慎吾も恥ずかしいことを言ってくるから、私も顔が真っ赤になる。
「うん、好きだよ、慎吾。だから、もう少し頑張ろう」
お互いの気持ちをまた今日も確認して、私の家の前で別れた。
そして、冬休みに入ってすぐの土曜日。私はいつもの城東商店街の前で慎吾と待ち合わせた。
今日の服は、黄色いタートルネックのフリースに白いセーター、下は裏起毛のスキニージーンズという感じ。慎吾は下は同じようにジーンズで、上はコートを羽織っていたからよく分からないけど、隙間から見えたのは緑系のタートルネックみたいだった。
「おはよう、慎吾。じゃ、行こうか?」
私が挨拶をすると、慎吾も笑顔で挨拶を返してくれる。そして、
「うん、おはよう更紗。ちょっと予定変更してもいい?」
と、珍しく最初から予定変更の提案をしてきた。
基本的にお互いに決めたらその通りにデートをして、時間があったらどこか行き当たりばったりに行くようにしていたんだ。
「どう変えるのかな?」
私が聞くと、慎吾はスマホをポチポチして、
「この映画、見たかっただろ?伊緒姉が職場の先輩から譲ってもらったけど、伊緒姉はアニメに興味あんまりないから、僕にって。『更紗と行ってきたら、息抜きだよ、息抜き』なんて言ってさ。一応、クーポン券はもうWeb登録してあるから、更紗さえ良かったら一番最初の時間にどうかと思ってさ」
と言ってくる。だから、私は頷いて、
「そういうことならOKだよ。行こう!私もこれは見てみたかったんだ。確かに、今日は息抜きだから、伊緒奈お姉さんに感謝だね」
と、行って慎吾に笑顔を向ける。そして、続けた。
「あれ?伊緒奈お姉さんの職場って…」
それに慎吾は頷いて答えた。
「そう、バイトしていたファミレスだよ。大事な戦力だから、折角なので正社員で迎えたいって言われて、伊緒姉も了承したんだって」
「そういうことだったんだね。すごいね、伊緒奈お姉さん」
「ああ、実力を認められての登用だから、伊緒姉もやる気出ちゃって、すごい今頑張ってる。一応完全週休2日だけど、シフトは色々あるみたいで不規則なのが厄介だって。バイトしている時は遅番が多かったから、今の生活に慣れるのにちょっと苦労してるっぽいよ」
そんなことを話ながら、私と慎吾は映画館に向かう。
映画館に入ってから時間を確認すると、15分後に開場するところがあったから、そこに席を取った。
「飲み物とか、ポップコーンはどうする?」
私が聞くと慎吾は、
「僕はコーラがいいかな。ポップコーンは任せるけど、買うなら塩がいいかな」
と答えるから、
「分かった~。じゃ、ポップコーンはMサイズで買っておくね。飲み物、私はメロンソーダにしようかな」
と言いながら、売店に二人で並ぶ。朝一番であまり人がいないおかげで、すぐに買うことができた。その足で、開場されたシアターに入り、指定した席に座った。
「この映画、前のも見に来たことあるの?」
私の質問に慎吾はうん、と頷いた。
「勿論だよ。2回見に行ったね」
「え?2回も?」
「うん、1回目だと見えなかった部分が、2回目だと見えることがあってね。今回もきっとすごいから、もう1回見に行こうと思っているよ」
慎吾の発言に私はちょっとだけ引いてしまう。正直、2回も見ることはあるのだろうかと思ってしまったからだ。
「でも、時期的に良くないよね~」
私が言うと、
「まぁね。でも、共通テストが終わる頃まではこの映画確実にやっていると思うんだよね。今日も今の時点でそんなに人は多くないけど、まだまだそれなりに入っているみたいだし、ラノベから始まったのに、漫画が売れまくって国民的アニメになるんだから、ラノベから読んできて良かったなと、1ファンとしては思う訳で」
なんて熱く返ってくる。そんな熱く語る慎吾の表情を見るのは久しぶりだったから、私は思わず頬が緩んでしまった。
「?どうしたの、更紗?」
「ううん、今の慎吾の表情がとっても良かったから、ああ、楽しみにしていたんだなって思いと、今日一緒に来ることができて良かったなって」
慎吾が不思議そうに私に問いかけたから、その様に答えると、慎吾はちょっと固まる。
「…暫くそんな顔していなかったから、正直ちょっと安心したよ、慎吾。最近そうした気持ちになれてなかったと思うから」
そう私が告げると慎吾は、目を丸くする。そして、
「そうだね。日々の勉強と上がらない成績に焦るばかりで、そんなところに気持ちを向けることはなかったからなぁ…ホント、伊緒姉には感謝だよ。こうしてリラックスできる機会をくれたんだから」
と言って、表情を柔らかくした。
「うん、良かったね。あ、始まるみたい」
シアターが暗くなり、映画が始まる。その前に、盗撮・録音禁止のあのカメラを追いかけるパトライトのCMが入り、相変わらずシュールだなと思っていると、実際始まった映画のアニメーションの美麗さに私は一気に引き込まれてしまった。
流れる水の情景に、風にそよぐ木々の表現がリアルだったし、いざ始まる人間模様とバトル。そのすべてが一つ一つ丁寧に描かれていて、慎吾も一緒に見とれていた。
2時間という時間は、あっという間に流れていって、映画が終わっても、私達は暫く無言だった。
シアターから出て、飲み物やポップコーンの入っていた紙コップを捨て、トイレに行く。女性用は数が少ないのか、少しばかり待たされたけど、慎吾は出口の近くで待っていてくれた。
そこで初めて、私達は口を開いた。
「すごい!」「面白かった!」
そして同時に、
「また見に行こう!」
とハモったんだ。
いつ見に行けるかは分からないけど、それはでもすぐになりそうな気がしていた。
そして、その後はゲームセンターへ行って音ゲー。社さんからは、
「お、余裕か?」
って言われちゃったけど、「クリスマスなんで、息抜きです」と答えると、「まぁ、息抜きは必要だよ。それに、地力落とさないようにしないとな」って笑顔で言ってくれて、私達はそれでいいんだと思えた。
「確かに、地力落ちてるなぁ」
慎吾は1クレジットやってみて、そう感じたみたい。確かに、前に言った時よりも好きな曲なのに小さなミスをポロポロしている感じに見えた。
「私も地力落ちてそうだなぁ」
と言いながら私もパスカードをかざしてプレイしてみたけど、本当に地力は落ちていた。2ヶ月ぶりだから仕方ないと思う。レベル9の曲がクリアできなくなっていたから。8はまだクリアできるから、すこし頑張れば勘は戻るだろうけど、もう暫く我慢の日々だから、今日は現状を把握しただけで十分だろう。慎吾も同じ考えだったようで、
「まぁ、仕方がないよ。合格決まったら地力戻せばいいんだし」
と、自分に言い聞かせていた。
小一時間ほどゲームを楽しんだらお昼前になっていたから、私と慎吾は喫茶店「リスペクト」で軽くランチ。
慎吾は喫茶店と言うこともあって、ミートソーススパゲティを、私はサンドイッチセットを頼んだ。飲み物は、慎吾はブラックコーヒー、私はカプチーノ。
食べながら、さっきの音ゲーのノーツの捌き方や、映画のワンシーンの感想など、他愛のない話をして楽しく過ごす。
受験生としてのプレッシャーを、今はただ、忘れたかった。慎吾も同じ気持ちだったと思う。
「それじゃ、そろそろ出ようか。一旦私の家に行く?それとも、もう慎吾の家にいっちゃう?」
私が聞くと、慎吾はちょっと思案する表情を浮かべてから、
「それなら、まずは更紗の家に行こう。それで、綸子ちゃんと一緒に僕の家に行く。そこで綸子ちゃんには冬休みの宿題をしてもらいつつ、僕らも勉強する。17時になったら、パーティーの準備。どう?」
整然とした慎吾の発言に、私は納得して頷く。
「さすがね。そして、受験生の志も忘れてない。でも、今日くらいは忘れても良いと思うけど」
「でも、やっぱり気は焦るから、少しでも安心したいなって。今日もこれだけはやったんだってね」
慎吾の言葉にやっぱり納得して頷いて、
「そうだね。うん、行こう。勉強道具持って行くね」
と、私達はまず、私の家に向かった。
「あれ?お姉ちゃんもう帰ってきたんだ?あ、慎吾さんこんにちは。どうしたんですか?」
不思議そうな顔をする綸子に私は、
「勉強道具を用意して。私も今準備するから。そしたら、慎吾の家に行くからね」
と告げると、綸子は一瞬ポカンとしたけど、すぐ笑顔になって、
「うん、分かった!」
と急いで自分の部屋に入っていった。私はそんな綸子を見送ると自分の部屋に向かう。勿論その前に、冷蔵庫から麦茶をコップによそい、慎吾に「ちょっと待っててね」と告げた。
慎吾は「勿論、待ってるよ」と言って、ダイニングの椅子に腰掛けて、スマホを取りだして私達を待つ。
更紗と綸子ちゃんを待つ間、ダイニングには僕一人。まぁ、そんなに時間もかからず二人はここに来ると思うから差して気にせず待つつもりだった。でも、ふと目に入った二人のお母さんの後飾り祭壇に、ふと思うことがある。
「そう言えば、最近まともにご挨拶していなかったよな」
更紗はうちにはよく来るけど、逆にここに来ることはあまりなかった。まぁ、それは僕たちの生活習慣的に、うちを拠点にする方が楽だからと言うことが大きい。なので、特に受験勉強が本格化した2学期以降は、お父さんの退院時に寄らせてもらった以外では殆ど入ることがなかったから、今がいい機会だな、と思い後飾り祭壇の前に立つ。
そして、「色々ありましたが、更紗と僕は順調です。これからも見守ってください」と手を合わせて話しかける。だからといって返事がある訳でもなかったけど、その代わり背後から僕を呼ぶ声がした。
「慎吾、準備終わったよ。…ありがとう。お母さんにご挨拶してくれたんだね。最近来てなかったから、だよね?」
更紗がそう言うから、僕は「そうだよ」と頷いた。
「ありがとう。そんな気遣いがとても嬉しいんだよ」
笑顔の更紗は、とても眩しい。僕は更紗の方に振り向いて、「うん、やっぱりご挨拶しないとね」と言ってテーブルに戻り、残っていた麦茶を一気にあおった。
ちょっと照れくさくて、赤くなった顔を見られないようにと思ったんだけど、更紗にはお見通しだったようで、
「照れないの。さ、綸子も準備できたみたいだし、行こうよ」
と言われてしまい、僕は頭を掻くしかなかった。
3人で大原家を出て、一路僕の家へ。
その間に当然のことながら城東商店街を通るから、3人でちょっと買い出し。
今日のパーティーは、基本的に焼き肉。お店に行くのもいいんだけど、クリスマスだからケーキも食べようと言うことで、ホールケーキを注文していたから、取りに行くように母さんから言われていたんだ。
「えっと、このケーキ屋さんだね」
そこは、「ケーキの横尾」という、洋菓子店の老舗。東条家は毎年、このケーキ屋さんで買うことにしているお得意様だ。更紗と付き合いだした時に持っていったケーキ屋さんは最近できたもので、これはこれでいいんだけど、東条家としてはこっちの方が落ち着く味だ。
ただ甘いだけでなく、ホッとすると言うのかな、ふんわりとした感じが好きなんだ。
「あら、東条さんちの慎吾くんだね。いらっしゃい」
横尾さんの旦那さんが元気な挨拶をしてくるから、僕も背筋を伸ばして、
「こんにちは、予約のケーキできてますか?」
と問いかけると、横尾さんはOKサインを出して、
「勿論だよ。今持ってくるから待っててな」
と一度店内の厨房へ引っ込む。おそらく、そこに冷蔵されているのだろう。ちょっとの間で戻ってきた横尾さんの手には、四角い箱があり、
「これだな。いつもありがとう。お代はもらっているから、もういいよ」
と差し出してこられたから、僕はそれを受け取って、「ありがとうございます」という。そこで後ろにいる大原姉妹に気づいたのか、
「可愛い子連れているな、東条家の次男坊も隅に置けないな」
と言ってガハハと笑う豪快な横尾さん。そんな人がこんな暖かい味を作るのだから、人間見た目で判断してはいけない。
「ありがとうございます。次は卒業したら買いに来ますね」
「そんな卒業って3ヶ月も後じゃないか。もっと早く来てもいいだろうに。ま、卒業後のご褒美として買いに来てくれるんなら、それでいいけどな。期待してるよ」
僕の言葉にまた笑う旦那さんに、僕は笑って「はい、絶対に来ます」と答えて店を後にした。
そして、家に帰ったらすぐさま、更紗と綸子ちゃんは母さんに呼ばれてキッチンへ行ってしまい、小1時間ほど母さんを手伝っていた。二人で勉強をする約束だったけど、仕方がない。自室で一人勉強をすることにした。
英語の勉強。長文を読解する。長文を読みながら分からない単語を電子辞書で調べたり、解釈の難しい構文を、文例集で調べたりして過ごす。
最近は、大分そういうものがなくても読解が進められるようになってきたから、マーク模試の点数も上がっているのは自分でも分かっていた。だから、もっと取れるはずと思って、残り3週間をしっかり勉強していこうと思っている。それは更紗も同じだし、幸いというか、都合がいいというか、お互いの得意分野と苦手分野が保管し合える仲だから、お互いにもっと伸ばせるのだと思う。
正直、英語に関しては自分一人でやるよりも、更紗と二人の方が伸びる感覚があるから、それは間違いないけどね。
そうやって暫くしていると、階段をゆっくり上がってくる足音が二つ。そして、それは僕の部屋の前に止まると、ノックが三回。
「慎吾、できたよ~」「慎吾さん、始めましょう」
更紗と綸子ちゃんの声だ。お手伝いも終わり、今から始まるようだ。
「ありがとう、呼びに来てくれて」
僕はそう言いながら、部屋の扉を開ける。そこには、エプロン姿の二人がいた。
更紗は至ってシンプルな黄色のエプロン、綸子ちゃんは緑なんだけど、フリルがついている。ある意味対照的な二人のエプロン姿に、僕は少し見とれる。
「どうしたの慎吾?ぼ~っとしちゃって」
更紗の声に我に返るけど思わず、
「いや、二人とも可愛いなって思っちゃってさ。それと、お手伝いありがとう。楽しもうね」
と言ってしまった。二人はちょっと顔を赤くして、「もう、何よ」と言ってから、「早く降りてこないと慎吾の分なくなるよ~」と続けて僕の部屋のドアを閉めてしまった。
「おいおい、そりゃないでしょ」
僕は苦笑いをして部屋のドアを開け、リビングへと急ぐ。
更紗と綸子ちゃんはもう既に座っていて、準備万端だった。いつの間にか、晴兄と優來姉さんも来ていて、優來姉さんもエプロン姿だった。母さんと更紗達4人で和気藹々と作っていたんだろうなと思いながらテーブルに目を向けると、そこにはクリスマスらしくロティサリーチキン。そして、ポテトサラダにサーモンの刺身、唐揚げ、ミートソーススパゲティ、みんなの好物がそれぞれ並んでいた。
「さぁ、食べてね。デザートもあるから。もし余ったら、晴ちゃん優來ちゃん、更紗ちゃんに綸子ちゃんも持って帰っていいからね」
母さんの言葉に、4人は「残ったら、遠慮なく戴きます」と顔をほころばせる。そして、宴が始まった。
みんな思い思い喋りながら食べ進める。成年者はそれぞれシャンパンやワイン、チューハイを飲み、僕たち未成年者はコーラにオレンジジュース、リンゴジュース、シャンパンのようなシャンメリ、麦茶をそれぞれ飲む。だから、大人達は少しずつ酔っ払ってくる。
「でさ、更紗ちゃんと慎吾くんはどうするの、進路は?」
優來姉さんが絡んできたのはそんな最中。
「このまま臨魁大学へ進むつもりです。特に問題なく行けそうですし」
そう更紗が返す。それに優來姉さんはうんうんと頷いてから笑顔を見せて、
「二人がそう決めたのなら、それで良いと思うよ。私と晴城くんもそんな感じだったし。やっぱり、二人一緒にいたいもんね」
と言う。そっか、優來姉さんも晴兄も、高校時代からだっけ…。
「いや、中学からだぞ」
僕は思っていたことが口をついて出ていたようで、晴兄から訂正を受けた。
「あ、そうだったんだ。そう言われれば、そうなのかも」
まぁ、晴兄が中学校になった時には、僕はまだ小学校の低学年だったから、あまり覚えていなかったのかもしれないなぁ。
「ああ。そうかもしれないな。とは言え、君たちも油断は大敵だからね。しっかり励むように」
そこで、玄関のチャイムが鳴る。更紗のお父さんが仕事を終えてやってきたようだ。
「いらっしゃいませ。すみません、先に始めてしまっていて」
玄関から聞こえる父さんの声。更紗のお父さんを出迎え、リビングに案内した。
リビングに入ってきた二人に注目が集まる。更紗と綸子が口々に、
「お父さん、お帰り」「お父さん、お疲れ様!」
と言って出迎えるけど、
「お帰りって、更紗、いつからこの家はお前の家になったんだい?」
と言う更紗のお父さんの返事に、「え、あ、あれ?」と更紗は顔を真っ赤にするけど、
「いつもお世話になっているからだよ。1週間に3回夕食とかお世話になってて、手伝ったり、悩み事聞いてくれたり…もう、第2の家と言っても良いと思ってる」
そういう更紗は顔は赤いけど、真剣な表情だった。その言葉に、みんな笑顔になって、
「じゃ、この家に嫁に来ればいいのよね、早いところ。おばさん、大歓迎よ」
と母さんを皮切りに、父さんも、伊緒姉も、「そうそう、それはいい」と続いて、晴兄と優來姉さんからは、「卒業と同時に籍入れちゃえば?」なんて言葉まで言われるものだから、更紗は更に顔を赤くしてしまう。
「…恥ずかしいなぁ」
そう言って縮こまる更紗にお父さんは、
「更紗、正直に聞くけど、そうなってもいいんだね?」
と聞くと、更紗はお父さんに視線を向けて、「うん」と頷く。
以前お父さんと話をした僕、そして今の更紗。僕たちの考えていることは同じであることを、更紗のお父さんは把握した。だから、お父さんは笑顔になる。
「分かった。籍を入れるタイミングはいつでもいい。慎吾くんも同じことを思ってくれているからね」
更紗のお父さんがそう言うと、周りから「ひゅ~!」と歓声が上がる。
それを肴に、父親二人と晴兄、伊緒姉は乾杯をしてお酒を再度飲み始めた。
「孫は何人欲しいですか?」「何人いても良いけど、やっぱり欲しいですね」
と、父親二人の会話が盛り上がる中で、綸子ちゃんはちょっと複雑な表情をする。
「どうしたの、綸子ちゃん?」
僕が聞くと、彼女は「慎吾さんとお姉ちゃんが結婚するとなると、どこに住むのかなって。もし、私達の家に住むとなると私の居場所がないかもって思っちゃうんですよね」と言って、ちょっと下を向く。
すると、そこで、父さんが僕に向かって話をする。
「まぁ、そうだよね。どちらにせよ、大学に行くようになったら一人暮らしでもしたらどうかとは思っていたんだ。それなら二人で住んでみるのもいいかもしれないな。これまで見えてこなかったものが見えてくるかもしれないし」
そう言われて僕は「あ、ああ」といきなりのことでそれしか出てこなかったけど、更紗は乗り気だった。
「そうよね。確かに、ずっと一緒にいるけど、学校から帰ってからはこうして一緒に夕ご飯は食べるけど、そこまでだもんね。そこからの時間をどう過ごすか、どうやって過ごすかというのも考えていくといいわよね」
そこまで言われたら、僕もやった方がいいなと思えてきたけど、懸念材料もある。
「でも、住むところはどうする?二人でバイトして折半するとか?」
そう聞いてみると更紗もそこで「う~ん」と唸ったのを見て、母さんが助け船を出す。
「私の兄って、不動産経営して儲かっているのよね。その中から安く借りるなんてどうかしら?」
そうしてもらえるのなら、大変ありがたいなと思うけど、「まぁ、それは実際に合格してからの話だよね~}となって、この話はおしまい。でも、確かに合格が決まったらすぐ考えるべきことだなと思った。
そして、楽しいパーティーも終わりを迎える頃、母さんがいなくなっていることに気づく。
「?母さんは?」
僕が聞くとみんなも、「そう言えば」と母さんを呼ぼうとした時に、母さんは戻ってきた。
「どうしたんだ?急にいなくなって」
父さんが聞くと、母さんの手には立方体状の紺色の箱。
「あれ、母さんそれ…?」
晴兄が聞くと、優來姉さんも「あ、それ…」と笑顔になる。
「これ、貸してあげようと思ってね。指サイズが合うかは分からないけど、まぁ、合わなかったら合わせればいいし」
母さんはそう言って、更紗に「はい、これ。慎ちゃんからちゃんとしたのを貰うまでは、デートの時はこれをして男よけにしなさいね」と続けて箱を手渡した。
「…お母さん、これってもしかして?」
母さんは「うん」と笑顔を浮かべて、「婚約指輪よ。もう30年も前のデザインだから古くて申し訳ないんだけど」と言う。指輪を受け取った更紗は、「でも、受け取って良いのですか?こちらこそ申し訳ありません」と不安そうな表情になる。
「いいのよ。あくまでも貸すだけだから。なくさないでくれればいいの。優來ちゃんにも貸していたし。お母さんを亡くして辛かったのだから、それは綸子ちゃんもよ。だから、幸せになって欲しい。慎ちゃんを選んでくれたあなただから、私は力になりたいの。だから、それくらいはさせて欲しいの。勿論、綸子ちゃんも来るべき時が来たらお手伝いするわよ。お母さんの代わりというと偉そうに映ってしまうかもしれないけど…」
母さんの言葉に、更紗は勿論、綸子ちゃんも、二人のお父さんも本当に神妙な顔つきになって、「ありがとうございます」と一礼する。その目には、涙が光っているように見えた。
…でも、それなら本当に頑張らないと。ちゃんとこのまま臨魁大学に入り、4年で卒業し、そのまま教職に就く。一意専心、努力しないとという誓いを新たにし、そのことを更紗に彼女のお父さん、そして母さんに伝えると、「頑張りなさい。それだけの頑張りはできると信じているから」と母さんにも更紗のお父さんにも言われ、まず最初の入試でつまずいてなんかいられないなと更紗と二人で笑うのだった。
正月は、何事もなく過ぎていってしまった。
元旦は夜中に夢衣ちゃん、紗友梨さん、和子さんの4人に、綸子、矢野くん、そして慎吾の7人で初詣。去年みたいに和服に着替えることはなかったけれど、それでも楽しく初詣できた。その日の夜は、またまた慎吾の家で新年会。お父さんも交えて楽しい時間はあっという間に過ぎていった。
2日目、3日目は、祥蔵叔父さんが3ヶ月ぶりに来てくれて、この街を私達家族と慎吾で色々連れ回して楽しんだっけ。…あれ?私って受験生だよね…?綸子もそうだけど、
「おいおい、お前ら大丈夫か?」
なんて叔父さんにも苦笑いされちゃったっけ。
そんな正月が過ぎれば、すぐに補習が始まったし、受験生モードに再び突入して毎日をせわしなく送る。
でも、気になることが一つあった。
それは、例年以上にインフルエンザが蔓延していること。
一応、12月の始めに予防接種はしておいたから多少は安心なのだろうけど、あと1週間で共通テストだから、かかるならそれが終わってからの方がまだ都合がいい。
慎吾とはそんなことを話していたのだけど、その波は確実に私達の近くに這い寄ってきていた。
まずは、高等部での蔓延。1,2年生を中心に部活で広まったみたい。世界的大流行のあのコロナウィルスの時はみんな警戒していたけど、その波が収まってからは、油断しきっている感じはあった。だから、広まったんだろうなと思うし、それも仕方がない。でも、受験生にとっては広まるのは困るから、先生も協力して、1,2年生が3年の教室にできる限り行かないように配慮してくれた。
でも、それでも少しずつ3年にも広まってきた。1,2年との交流が多いアスリートコースや、陽キャの多いファッションビューティーコースから伝播したらしい。
少しずつ近寄るインフルエンザだけど、それは綸子の方も同じだったようで、休み明けから少しずつ増えていったらしい。
「こんな時期にインフルかかりたくないよぉ」
なんて言って、マスクを二重にし、アルコールの除菌ジェルまで用意して私も綸子も気をつけていた。
それは慎吾も同じだったようで、
「僕もかかりたくないからね」
と、同じようにマスクとアルコール除菌液を準備してくれて、これで少しはかかる確率を減らしていこうとしていた。
でも、やっぱりそれでも罹る時は罹ってしまう。
よりによって共通テストの3日前、綸子が帰宅後に「なんだか朝から熱っぽいんだ」と言うので、熱を計ったら38度を越えていた。
「え?もしかしてインフル?」
私は思わず、表情が険しくなる。でも、熱を出して苦しそうな妹を放ってはおけなかったから、まずはお父さんに連絡した後で、氷枕や氷嚢を用意して、綸子を取りあえず寝かせた。
「ゴメンね、お姉ちゃん。インフルだったらどうしようと思うけど、多分、インフルだよね…移してしまったら本当にゴメン」
そう謝るけど、「あれだけ用心していたのに罹ってしまったのなら仕方ないじゃない。予防接種してあるから大丈夫だと思うし」と私は気休めを言う。だけど、「私だって、予防接種受けたじゃない。なのにあまり効いてなさそうだから、お姉ちゃんが心配。もう出ていっていいよ。ちょっと距離をとろう」と言われて、確かに…と思ってしまった。
小1時間後にお父さんが仕事を休んで(11月からお父さんは復帰している。今までより勤務時間も短めにして貰ってるみたいだし、融通を利かせてくれている)、帰ってきてバトンタッチ。行こう、なるべく綸子とは距離をとった。
その後、お父さんが綸子を急患センターまで連れて行って検査して貰った結果、やっぱりインフルエンザだった。
「ああ、やっぱり」
と内心ショックを隠せずにいたけど、テスト当日に休む訳にいかないから、綸子には週末まで私には近づかないように言うしかなかった。
そして、共通テストの日を迎える。
この日は快晴。意外と気温も上がっていて、有り難い。去年は降った雪も、今年はあまり降らずに、道路に雪は全くない。だから、自転車で行こうと慎吾と話して決めた。開場は、臨魁大学。このまま上がる予定のところ。学園からさらに10分ほど走るけど、そんなに負担じゃない。
だけど、この日は朝から私の体調がおかしかった。
(あれ…?なんかイヤな感じ…)
と言う自覚はあったけど、インフルに罹っている場合じゃないし、何より慎吾と一緒に行くと決めているから、彼にも迷惑をかけたくなかった。
だから、体調のことはおくびにも出さずに家を出る。
「行ってきます」
綸子の部屋からは、「頑張ってねお姉ちゃん」と声が聞こえた。幸いにも熱は早めに下がったこともあり、来週の月曜日から学校に行って良いみたいだ。私はそんな綸子に「うん、頑張ってくる」と返して、家を出た。
いつもの商店街入り口で慎吾と合流。とは言っても、いつもより早いし、会場は遠いから、慎吾のお母さんが送迎してくれることになっていて、私がついた時には、既に慎吾のお母さんの車がそこに停まっていた。
助手席のウインドウが開いて、慎吾が「おはよう、更紗」と顔を出す。私は笑顔になって、「おはよう、慎吾」と言いながら、後部座席に乗り込む。乗り込んでから、「お母さん、ありがとうございます」とお礼を言った。
「いいのよ。さ、行くわね」
と言って、お母さんは発車する。少しして、お母さんがルームミラー越しに私の方を見た気がした。と思ったら、
「更紗ちゃん、大丈夫?なんだか顔色が優れないようだけど…」
と言われてしまった。私は既に顔に出ていたとは思わず驚いたけど、それは慎吾も同じだったようで、後部座席に身を乗り出すように覗き込んで、
「更紗、大丈夫?」
と心配してくれる。そんな二人に私は心配をかけたくなくて、
「大丈夫です!ちょっと緊張しているかも」
とはぐらかした。「それならいいんだけど…」とまだちょっとお母さんは腑に落ちてないようだったけれど、納得してくれたみたいだった。
「無理はしちゃいけない…んだけど、さすがに共通テストは無理しないと、だよね…」
と慎吾も言う。確かに、体調不良で共通テストを受けられなかったなんてことにはなりたくない。だから、無理してでも受けなくちゃいけない。だから、私はもう一度力こぶを作るように、「頑張ろう、慎吾」と声をかけた。
「お、頑張ろう、更紗」
お互いに励まし合いながら、試験会場に着いた。
前日の下見で分かっていたことだけど、私と慎吾は同じ棟にいるものの、受験室は3階と4階で違っており、夢衣ちゃんと矢野くんは私の隣の教室で受けることになっている。私と同じ教室なのは、角田さんくらいだった。
1時間目は地歴公民だ。私は地歴は世界史探求を、公民は倫理を選択していたから、その通りその2つを受ける。
実はちょっと暗記科目は苦手な方なんだけど、それでも善戦できたかな、と思う。倫理は考えながらやっていたから、何気に時間が足りなくなりそうで焦った。でも、こちらも問題はなかったと思う。
受験番号に抜けはないし、選択問題はない。そして、マークのズレも一つ一つ確認して回答もちゃんと問題用紙にメモをしていく。
うん、ここまでは問題はないね…と倫理が終わる1分前にこの日のために購入したアナログ腕時計(後々綸子にも使って貰う予定)を確認する。その瞬間――
(あ、あれ?)
ちょっと目眩に襲われた。朝のイヤな感じが戻ってくる。いや、それ以上に、急に熱っぽい感じがしてきた。
(お、おかしい…な)
そう思いながら終了の合図を待つ数十秒は、これまでの中で一番長く感じたように思った。
そして、解答用紙が回収され、一度部屋を出る。
立ち上がった瞬間も目眩がする。頭がくらくらする。でも、とにかく出て、みんなが待つ控え室に行かないと…。
でも、よっぽど私の歩き方はおかしかったのだろう、同じ教室で試験を受けていた角田さんが「大丈夫?大原さん。フラフラしてるよ」と言って、私の左側を支えてくれる。
「ええ…なんか急に目眩がしちゃって…大丈夫、だと、思いたいけど」
「大丈夫じゃなさそうね。支えるから、早く控え室へ」
「ありがとう。悪いわね」
「困った時はお互い様だよ」
そして、控え室に行くと、慎吾と夢衣ちゃん、矢野くんのメンバーが先に戻っていた。南東先生や春日先生の姿もある。
「更紗、顔色めちゃ悪いよ。大丈夫?」
慎吾が私の顔を見るなり心配そうに覗き込む。
「うん…だいじょう、ぶだと、思いたい」
さすがにおかしいことは十分把握したみたいで、慎吾は「ゴメン、更紗、おでこ」と言って、私のおでこに手を当てた。慎吾の手がひんやりして気持ちいいなと思うのと同時に、慎吾が叫ぶように、「南東先生!更紗、熱あります!どうしましょう!?」と南東先生を呼んだ。
「えぇ?大原、大丈夫…じゃないな、その様子だと。いつから体調が悪かった?」
南東先生にそう言われて私は、
「朝はちょっと、イヤな感じが、するだけでしたが、今のようになったのは、倫理が終わる、直前です」
と返した。マスクはしていたけれど、もしかしたら、もしかするかもしれない。
「そうか、分かった」
と南東先生の言葉を聞いた瞬間、私の意識は不意に途切れた。
「更紗!」
彼女が倒れ込むのを見て、僕は思わず声を上げて彼女を抱き起こす。もう一回おでこに手を置くけど、やっぱり、熱い。
「もしかして…」
インフルエンザなのだろう、綸子ちゃんが罹ったってライナーで聞いていたから。
「ひとまず救急車を呼ぶ。サイレンは他の受験生に迷惑をかけるからならさないようにお願いする。本部に掛け合えば、その辺の案内とかはしてくれるはずだ。だが、東条、お前はちゃんとテストを受けなさい」
僕の心を見透かしたように、南東先生は言う。
「でも!」
と声を上げるけど、南東先生も、隣にいる春日先生も、首を横に振る。そして、口を開けたのは春日先生だ。
「ああ、大切な人がこんな状態だから気が気じゃないのは分かる。だがな、それをすると言うことは、残りの試験を放棄すると言うことなのはわかるよな?そうしたらどうなる?少なくとも共テ利用の大学は受けられなくなるというハンデを背負うぞ。それでもいいのか?」
そう言われると、ぐぅの音も出ない。試験を受ける機会が減るのは確かにハンデだ。臨魁大学に合格するのはほぼ確実とは言え、リスクは背負いたくない。だから僕は、不承不承ながら言うことを聞くしかなかった。
「大丈夫、大原はちゃんと副担に同乗してもらって、見てもらうから。安心しろとは言わないが、お前はお前でちゃんとベストを尽くしてこい」
南東先生にもそう言われてしまい、僕は「更紗をお願いします」としか言えなかった。
そして、共テに向き合うけど、やはり更紗のことが心配だ。1問マークするごとに彼女が気になるものだから、集中力なんてあったものではない。
なんとかマークしてメモはできたけど、国語にしても外国語にしても、しっかりと読み込めなかった分、いつもより結果が悪いだろうなと言う気がした。
そして、帰宅。もう19時を回っていた。心配なのは、更紗の容態。
共テの終了後にスマホをすぐさまチェックしたら、綸子ちゃんからライナーが入っていて、「お姉ちゃん、大丈夫だってお父さんが言っていました。ごめんなさい、私のインフルが移っちゃったみたいで…」と謝っていたけれども、誰のせいでもないから、
「それは仕方ないと思うよ。綸子ちゃんはだいぶ良くなったと思うけど、無理しないようにね」
と返事をしたら、綸子ちゃんからは、「はい」と短い返事とともに、ありがとうございまずとゆるキャラがお辞儀をしているスタンプが送られてきた。
「心配ね、更紗ちゃん。明日もこのままじゃ受けられないのよね…?」
母さんが夕飯を食べながらそう言うと、父さんが神妙な顔つきで、
「体調不良による試験欠席は、追試験の対象になるから大丈夫だよ。ただし、試験会場は関東と関西で1カ所ずつ、ここだと多分関西だと思う。それと、難易度は当然上がる。2週間後だから、さらなる準備が必要だね」
と言った。確かに、そういうことが書いてあった気がするけど本試験で全力を出そうとしている僕たちには、そんな当事者になる可能性をこれっぽっちも考えてなかった。でも、ちゃんと受けるチャンスがあるなら、更紗も僕と同等のチャンスの回数はあると言うことで、僕としても気分は軽くなる。
夕飯後、すぐに更紗にライナーを送ってみると、比較的早い時間に返事があった。
『ゴメンね、慎吾。試験は大丈夫だった?』
自分のことよりも僕のことを気にしてくれる更紗の言葉に、僕は安心させたくて、
「うん、大丈夫。全部受けてきたよ。ありがとう。更紗こそ大丈夫なの?」
と答えて、更紗の体調を聞く。すると、
『ええ。ぐっすり眠ってちょっと頭は冴えたかな。でも、まだ熱はあるし、今日はとにかく寝ること。明日の試験も休むようにって言われちゃった。仕方ないよね、インフルエンザだし』
と返ってくる。僕は、更紗に追試験を受ける権利があることを伝えると、彼女は、
『ええ、南東先生から聞いて、既に手続きしてもらったから。詳細は分かったら教えてくれるみたい。難易度は上がっちゃうけど、受けられないよりましだからね』
と言ってきたから、僕はその文面から彼女は多分、少し安堵の表情をしているのだろうと思い安心する。
「そうだね。更紗なら大丈夫。まずはきちんと身体を休めてね」
僕がそう送ると、更紗は、
『ありがとう。今日はもう寝るね。慎吾は明日も頑張って』
と返してくる。僕はそれに「うん、ありがとう。ゆっくり休んでね。明日は僕も頑張るよ」と伝えてから、『頑張る!』という文字の入った推しのスタンプを送る。彼女も、『頑張ってね』というスタンプとを送ってきてから、『お休みなさいZzz』というこれは彼女の推しのスタンプを送ってきた。
うん、大丈夫。そう安心すると僕も力が湧いてくる。今日のつまずいた分を明日の数学と理科2科目、そして情報でとり返そうと決意を新たにし、一通りそれらの重要項目をチェックしてから床に就いた。
二日目は、更紗が受けられないという寂しさはあったものの、昨日のように動揺はしていなかった。だから、いつも通りで過ごしていこうと思って受験会場に向かう前にちょっとだけスマホを見たら、更紗から『ファイト、頑張れ、慎吾』というメッセージが入っていた。
まだ多分熱が出ていて辛いだろうに、応援してくれる更紗にやっぱり愛おしい気持ちが出てくる。だから僕は、「うん、頑張る。ありがとう。更紗もお大事に。会えるのは来週の木曜くらいになるだろうけど、しっかり治してね」と返事をする。でも、次の更紗の返事を待たず、僕はスマホの電源を落とした。
それから1時間半後、数学その1の試験を終えて控え室に戻り、もう一度スマホを起動すると、更紗から『力こぶのスタンプ』が送られてきていた。だから、「ゆっくり寝てね。おやすみ」と返事をして、残りの試験を受ける。18時になってようやく最後の情報が終わり、長かった二日間が終わった。
更紗にはそれからはあえて何も告げず、彼女の方からアクションがあったら返事するようにしようと思い、ひとまずは翌日の自己採点に向けて、すべての教科・科目の問題用紙をカバンに突っ込んでまだ23時と少し早い時間だったけど、ベッドに潜り込む。
「さすがに疲れたな…。やっぱり本番の緊張感は半端ない。更紗、大丈夫かなぁ…」
なんて思いながら目を閉じた瞬間、スマホがピコン!と音を立てる。
僕は「ん?」と思ってスマホに手を伸ばしてとると通知を確認する。
「あ、更紗…ん?熱下がったって?」
僕はその嬉しい報告を聞いて、すぐに返事をする。
「良かったね、更紗。もう熱下がったんだ」
『うん、心配ありがとう慎吾。そっちも共テは大丈夫だった?』
「うん、昨日は正直動揺してたけど、今日は大丈夫だった。いつも通りだよ」
『え?宣言通り数学200点取れそうなんだ?』
そう、僕は今回の共テに向けて、目標点数として数学は両方とも満点の200点を目標にしていた。そして、今日はその手応えはあったんだ。
「もしかしたらいけるかも」
『やっぱりすごいね、慎吾は』
そうやって言う更紗に、僕は面と向かってないのに顔が赤くなる。
「更紗の応援のおかげだよ。ありがとう。2週間後の再試験の時は、逆の立場だね」
『うん…ちょぉ~っと不安だけどね』
確かに、少し難しくなると聞いているから、確かに不安になるだろうと思う。だから、
「そうだね。不安になると思うよ。それなら、僕も一緒に行こうか?」
と提案する。再試験は東日本と西日本で1カ所ずつしか会場が設けられないらしい。僕らは西日本だから、おそらく京都か大阪に会場が設けられるだろう。関西地区ならそんなに遠くないし、もらったお年玉で十分行ける範囲だ。
『え?いいの?』
画面の向こう側で、更紗の目が光った気がした。
「うん、まあ、父さん母さんが許してくれればだけど」
『そうね…私もお父さんに一緒に行ってもらおうと思ってはいるんだけど、この件、また明日相談して良い?』
と彼女が聞いてくるから、僕は勿論「OK。僕も相談してみるよ」と伝えて、今日の会話はおしまい。いくら熱が下がったと言っても、まだまだ彼女には休養が必要だ。
「明日の朝一で、母さんと相談しよう」
そう思いながら、今度こそ目を閉じて、眠りに就いた。
翌朝、目が覚めた僕は階段を降り、キッチンで朝食を作っている母さんに声をかけた。
「母さん、折り入って相談があるんだけど」
「あら慎ちゃんから相談なんて珍しい。更紗ちゃんのこと?」
「まぁね。更紗、一昨日インフルで倒れてしまって、共テ受けられなかったんだ。で、来週の土日にある追試験を受けることにしているんだけど、ついていって励ましたいなって」
母さんの表情は少し驚いたものになる。
「え?追試験って、どこでするの?」
「まだ分からないけど、きっと大阪か京都じゃないかと」
「う~ん…」
母さんは珍しく悩ましい顔をした。いつもは結構即断してくれるけど、なかなか言い出してくれないことに、僕はちょっと不安になる。
「慎ちゃん、気持ちは分かるけど、今回はパスしなさい」
そして出された母さんの結論に、僕は「え?」と絶句する。
「気持ちは分かるわよ。でもね、あなただって入試が控えてるの。一番早い試験って、その翌日でしょ?」
「…確かにそうだけど…」
「100%合格するアテがあるなら、別に良いわよ。でも、そこで万一インフルなりコロナをもらってしまったり、事故に遭ってしまったら、どうするの?きっと、更紗ちゃんも自分を責めるわよ。自分のせいでって」
「…」
結局親の承諾が取れなかったから、寂しい思いと苛立ちを抱えて一人で登校する。
その前に、更紗には「母さんに反対されちゃった…ゴメン、一緒に行けそうにないよ…」とメッセージを送っておいた。
登校の途中で通知が鳴ったから信号待ちの間にスマホを覗くと、「そうだよね。たぶん、私のお母さんでもそう言っていたと思うから大丈夫だよ。お父さんがついているから」と返ってきていた。
更紗は水曜日までは学校に行ってはいけない、いわゆる出席停止という措置なので寂しいったらありゃしない。久々に、イヤホンで音ゲー曲を聴きながら歩く。音ゲーやりたくなるけど、卒業までは我慢だ。どんよりとした曇り空は、これからの自己採点への不安と相まって、自分の心までも暗くしてしまう。
そしていつもの交差点までやってくると、幸弘と夢衣に会った。
「お、おはよ。二人とも、共テお疲れ」
僕がそう言うと、幸弘は右手を挙げて、
「おう、慎吾おはよう。お疲れ。大原は大丈夫とは聞いているけどどうなんだ?」
「幸弘さん、大丈夫ですよ。更紗さん、熱は下がったって」
「そうなんだ。ひとまず熱は下がったみたい。まだ頭痛は少しあるみたいだけど、木曜からは出て来ることができるはず」
夢衣と僕の報告に、幸弘は頷いて、「それなら、まだ良かったな、慎吾」と言う。
「そうだね。大事にならなくて良かった。でも、綸子ちゃんが心配だな」
と、僕は思っている。きっと彼女は、自分のせいでこんな事になったと責めているんじゃないかと…。それには、夢衣が答えてくれた。
「そのことですけど、慎吾くんの言うとおり綸子ちゃん、更紗さんが試験を受けられなかったことに対して泣いて詫びていたそうです。でも、更紗さんはそのことに対して「結局罹った自分が悪いんだし、綸子が謝ることじゃないよ」と言って、慰めたそうですよ。
それなら、きっとあの二人なら大丈夫だろうと思う。僕は安心して、「ありがとう夢衣、教えてくれて」と礼を述べた。
自己採点の結果は、予想通り。
国語はいつも通りだったけど、英語はいつもより30点低かった。やっぱり動揺してしまったのが大きかった。でも一方で数学は200点取れたし、物理、化学、情報もそれなりにいい点の80点くらいをキープできたから、全体として少し下がるものの自己ベストマイナス10点くらいで収まったから十分な出来だった。
でも油断は禁物。ちゃんと合格証書をもらうまでは、合格してないのだから。
そのことを夜、更紗に体調を聞くと同時にメッセージを送る。すると、
「それにしても慎吾すごいね、数学200点なんて。体調だけど、熱は下がったから木曜には学校へ行けそう。特別講座が始まっているから、半分自由登校みたいなものだよね?」
と返ってきた。僕は、
「そうだね。自分が受ける授業以外は基本どこにいても自由。家にいても良いし、図書室で自習しても良いし。いつものように、図書室で勉強するよね?」
と返すと、「OK」というスタンプが返ってきた。それから、
「追試験だけど、どうも京都みたい。南東先生から連絡が来たんだ」
とも伝えてきたから、僕は、
「一緒に行きたいんだけどね」
と送ると、
「またそんな事言ってる。大丈夫、一人で頑張るから」
と返ってくる。そう言われると信じるしかないんだけど、やっぱり心配は心配なので、
「分かった。でも、正直心配だよ」
と送る。それには、「どうして~?」と返ってくるから、「ナンパとかさ」と正直に返せば、「いやいや、さすがに試験の場ではないでしょ?」と言ってくるので、「いやいや、会場以外でもいくらでも声かけられるんじゃない?」と答える。すると、「大丈夫だよ。お母さんから最強のナンパ撃退アイテム借りているじゃない。試験の時以外はつけているから」と返ってきた。ああ、指輪のことを言っているのか…。
「そうだね。それで撃退できるなら、良いにこしたことはないね」
と、僕は折れた。
「うん、大丈夫だよ。心配してくれてありがと。でも、お父さんと行く予定だし、大丈夫だと思うよ、色んな意味で。確かに、慎吾が来てくれると勇気は出ると思うけど、慎吾も最初の試験が追試験の3日後でしょ?…私もそうだけど、そっちに集中して欲しいかなって」
相違言われたらひとまず僕の意見を引っ込める方が良いと思い、「了解。頑張ろうね」と返してこの日のやりとりを終えた。
でもその後の週末の夜、追試験の一週間前の夜。父さんから思いも寄らないことを告げられたんだけど、僕はそれを聞いて一計を案じることにしたんだ――
追試験の会場は、京都のとある国立大学で行われることになり、私は急遽、お父さんと電車の切符とホテルを手配した。でも、その翌日、お父さんから驚きの報告をされた。
「すまん、更紗。来週末、どうしても外せない商談が入ってしまったんだ。向こうの方が立場としては強いから、向こうに合わせるしかなくてな…」
って。でも、それは仕方ないから、「うん、大丈夫だよお父さん。私ももういい歳だからね。一人でホテルに泊まることくらい、どうってことないよ」と言ったけど、お父さんの心配は、「そこら辺は大丈夫だと思うが、女の一人歩きになるのがな…」と、慎吾と同じような心配をしていたみたい。
「そうかもしれないけど、できる限りふらつかずに大学とホテルの間は寄り道しないから。多分大丈夫だよ。だって、一時期住んでいたじゃない」
そう答えて、お父さんには納得してもらった。でも、綸子は「ホントに大丈夫?」と心配顔だ。
「大丈夫よ綸子。帰りに駅で何かお土産買ってくるからね」
そう言って微笑むと、綸子も笑顔になって、「うん楽しみにしてるね」と返してくれた。
でも、追試験の前日、私は一人で京都へ向かう。やっぱり下見はしておきたいから11時に家を出た。隣には、特講が午後からだからと駆けつけてくれた慎吾がいる。自己採点が終わった高3は、半分自由登校になっており、午前中だけ来る、午後だけ来る、1日いるのどれかを選択できる。
私は追試験の準備のため1日休み、慎吾は午後に数英の特講があるだけだから、午前中は時間があるので来てくれたんだ。
「昨日久しぶりに会ってちょっと思ったんだけど、更紗って少し痩せた?」
駅まで歩く道すがら、そんなデリカシーのない慎吾の質問には黙って答えない。代わりに、ちょっと強めに肘鉄を胸元めがけて叩きつけると、慎吾は「うっ」とうめいてから、「いや、太った?って言われるよりましじゃないかと…」なんて言う。だから、私は、
「い~え。女の子に体重の話をする時点でアウトです。もっと乙女心を勉強して下さい」
と冷たく言うと、慎吾は神妙な顔つきになって、
「はい、ごめんなさい。更紗様。それで、一つ質問よろしいでしょうか?」
と答えながら新たに質問してくるから、私は大仰に、
「ええ。よろしいですわよ」
と伝えると、
「2日目の試験が終わる時間は、元々の共テと同じ18時でよろしかったでしょうか?」
と丁寧に聞いてきた。私はうん、と頷いて、
「18時に終わるみたいね。どうかしたの?」
「ん?いや、そのあと答案用紙の回収とかで、会場を出るのは15分くらいだなって。周りはもう暗いからね、気をつけてね」
そんなやりとりをしているうちに、あっという間に駅に着く。予約した新幹線が来るまであと15分。もうホームにいた方が良さそうだ。
「それじゃ、慎吾、私、行くね」
そう言うと、慎吾は私が教えて購入した交通系ICカードを出してきて、「見送るよ。そのまま学校行くつもりだし」と言って一緒にホームへ来てくれた。
「ありがと」
私はそう言って、並んで階段を上る。
ベンチに腰掛けて「早く終わって、一緒にいろんなところにデートしたいよね」とか、「音ゲーも解禁して、二人でもっと上手くなっていきたいよね」なんて話をしているうちに、新幹線がやって来るアナウンスが聞こえてきた。
「新幹線がここにも通るようになるなんて、小さい頃は思ってもいなかったよ。ホント、格好いいよなぁ」
慎吾の言葉に私はクスッとして、
「そうね。でもあとは、京都や大阪まで乗り換えがないようになると良いんだけど」
と言うと、「そこはなんか、色々あるみたいだよ。僕達が40歳とか50歳くらいになったくらいでそうなる計画みたいだし」と慎吾が返す。私はちょっと驚いて、
「そんなにかかるんだ…」
と絶句していると、新幹線が停車し、ドアが開く。
「じゃ、行ってきます!」
私はドアから外を向いて軽く敬礼すると、慎吾も敬礼して、
「行ってらっしゃい!健闘を祈ってるよ!」
と返してくれた。
プシューとドアが閉まり、新幹線が動き出す。私は慎吾に手を振って、彼が見えなくなってから指定席に座った。
新幹線と在来線特急を乗り継いで、だ。いつもならお父さんがいるけど、今日はいない。一抹の不安を抱えながら電車に揺られる。時折慎吾とメッセージのやりとりをしては、目を閉じる。目を開けて、英語の参考書を開いて復習をする。
京都駅に着いたらすぐさま、次の電車に乗り継ぐため、ホームを探す。そして、案内板からホームを見つけて移動し、なんとか次の電車に乗り込むことができたんだけど、やっぱり人の数がこっちとは段違いだな、と思う。油断していると、人混みに押されてしまいそうだし、何より、人に酔いそうだった。
「早いところ、会場の大学行って、そして、ホテルへ向かおう」
スマホの地図アプリも活用しながら、久しぶりの京都を歩くけど、やっぱり住んでいたのがほんの数年だったから忘れていることもそれなりにあった。「あ、こっちからこっちへ行くんだね」と確認しつつバスに乗って会場へ向かう。
正門前には「令和×年度共通テスト追試験会場」という看板が掲げられており、私は背筋を伸ばす。そして、校内に立ち入って、試験会場図を見て確認。そして、その場所も確認が終わると時計は14時30分を指していた。
「あ…お昼食べ損ねてた」
そう、復習に熱中しすぎて、お昼ご飯を食べていなかった。そのことを自覚すると、お腹がちょっと鳴る。ああぁ、恥ずかしい。でも、周りに人がいなくて助かった。
このあたりの地理に自信がないから、近くに見えたコンビニエンスストアに入ってパンとサラダ、ウーロン茶を購入して、ひとまずリュックサックに詰めた。
今からホテルに向かえばチェックインの時間になっているはずだから、そこで食べてしまおうと思い、通りかかったタクシーを呼び止めてホテルに向かった。
15分ほど走ってホテルに着く。チェックインをすませると部屋に行き、荷物を下ろす。そして、すぐさま慎吾とお父さん、綸子にメッセージを飛ばした。
『お疲れ様!ゆっくり休んで明日に備えてね』『早めに寝て明日に備えるんだぞ』『お姉ちゃん、頑張って!』
それぞれ、三者三様、暖かいメッセージをくれて、勇気が湧いてくる。
購入したパンとサラダを一気に食べると、ちょっと眠気が襲ってきたから横になる。
…
ハッとして目を覚ますと、時計は夜の17時を回っていて、もうすでに、夜の帳が降ろされていた。
「あ~あ、寝ちゃった。…インフルの病み上がりで体力落ちてるからかなぁ。なんだか疲れちゃってたんだよね」
そう独りごちてから、カバンから国語の参考書を取り出して、確認をする。
明日受けるのは、国語と英語。地歴公民は受けているから免除で、10時くらいに会場に入っていれば問題ないとのことだったから、明日の朝もゆっくりしていられる。
集中。
うん、ほどよく集中して勉強できた。時計を確認すると、19時を回っていた。
「そろそろ夕食だね。でも、あまりお腹は減ってないかな。夕食バイキングで軽くつまむ程度にしよう」
そう思い、ホテルのレストランへ行く。たくさんの種類の食事が並んでいるけど、その中でも軽くつまめるご飯に唐揚げ、コールスローサラダをとり、飲み物はグレープフルーツジュース。デザートは…考えておこう。
そして、窓際の2人が合い向かいで食べるテーブルに一人腰掛け、夕食を頬張る。
そこに、所在なげにしている男の人が私の席を見つけたみたいで、「相席しても良いですか?」と聞いてくる。確かに、レストランは満員だったから、「どうぞ」と答えると、その人は「ありがとう。学生さん。入試かな?」と聞いてきた。
「はい、そうですね」
あまり個人的なところまでは言わないように少しはぐらかせて答える。その人は、「そっか、県外から受けに来たようだけど、大変だね。」と言ったきり、夕食を食べるのに一生懸命なのか、それ以上話をしてくることはなかった。
私は食べ終わると、「お先に失礼しますね」と言って、席を立った。男の人は、「はい、入試頑張ってね」と言って、微笑んだ。
その表情や仕草がなんだか慎吾を彷彿とさせて、なんか、少し申し訳ない気分になったけど、必要最低限の接触に止めたのは正解だったと思う。
その後も22時まで勉強し、シャワーを浴びて23時には床に就いた。
2日間は、あっという間に過ぎていった。
それはそうだ。60分や80分の試験時間に加えて、その間の休憩時間も含め、すべての日程が終わるのは、18時だから。
1日目はそれこそ終わると同時に大学を出て、ホテルへ直行。何事もなく夕飯を食べて、前日と同じように23時には寝た。
でも、2日目の終了後、会場の建物を出ようとした私に、男の人が2人話しかけてきた。
「昨日から君のこと気になっていたんだよね。一人なんでしょ?共テ終わったし、今から晩ご飯一緒に行かない?」
なんて声をかけられて、私は内心パニックになる。
(そっか、慎吾やお父さんはこれを心配していたんだね)
そう思うとふと冷静になる。試験後、教室を出る前にちゃんとアイテムを装備してある。
左手薬指に輝くそのアイテムを二人に見せ、言いたいことを言わせてもらう。
「生憎だけど、私には婚約者がいるのでその誘いを承る訳にはいきません。他を当たってください。それでは、失礼しますね」
そしてすぐに身を翻して早足で建物を出る。二人は指輪を見て驚いたようだったけど、気を取り直したみたいで、すぐに追いかけてくる。
「あんな上玉、諦めきれないぜ」「ああ。彼氏がいようが関係ない」
そんなことを言いながら、私に一歩一歩近づこうとする。…なんて浅ましい人たちなんだろう。そんな人たちに従う必要はないので、私は早足から更に加速して、走って正門へ向かうことにした。その時、スマホの通知音が鳴る。ちらっと見ると、慎吾から。それも、「どっちから出る?正門?」と聞いてきているから、ちょっと驚きつつ、正門へ向かった。
その間も、後ろから少しずつ二人組が迫ってきている。その距離、約5メートルくらい。
「ホント、しつこいなぁ」
私はそう言いながら正門を出ると、「更紗!」という聞き覚えのある声。
え?まさか?ホントに?
私はその声の方に顔を向ける。そこにはやっぱり、慎吾の姿。
「慎吾!どうして?と言うか、助けて!」
私は慎吾の背後に回り、慎吾の肩に手を置く。その瞬間、正門から出てきた二人組も、私の姿を見る。
「?誰だ、この男…?」
「…彼氏かよ?」
その様子を見て、慎吾は「やっぱりここまで迎えに来て正解だった」と言うと、二人に向かって、「この子に手を出すな。僕の彼女だ。婚約者だ」と告げる。
二人は面食らったみたいで、少し動揺したけど、
「いやいや、嘘だろ?通りかかった人に頼んでいるだけじゃね?」「兄ちゃん、その娘俺たちに渡してくれよ」
と言うから、慎吾の身体に力が入るのが分かった。…ガチギレモードに入ってしまったみたいだ。その状態になった慎吾は、戦闘態勢になった証拠だから、私はあえて距離をとる。
「お前達…この子は僕の婚約者だって言ってるんだよ…絶対に渡さない」
先ほどとは違った低く力の入った声に、二人はかなり動揺するけど、「だからどうしたってんだよ!」と一人が慎吾の胸ぐらを掴もうと手を伸ばすと、慎吾はその手を取って軽くひねると「いって!」とその人は倒れた。
「てめぇ!」
もう一人が慎吾に襲いかかろうとするけど、慎吾がその人の目の前に手を広げるとひるんでしまったらしく、「うわっ!」と叫びながら慎吾の手を避けるようにしゃがみ込んでしまう。
「と言う訳で、これ以上何かしようとしないでくださいね。さ、行こう」
慎吾は軽蔑のまなざしを二人に向けた後、私の方を向く。その顔はもう殺気がなく私に会えたうれしさが勝っているのか、ニコニコしていた。
「うん、ありがとう迎えに来てくれて。でも、どうやって?」
私がお礼を言うと、慎吾は種明かしをしてくれた。
「更紗のお父さんが一緒に行けなくなったからどうしようという相談をね、父さん母さんにしたんだよ。で、『泊まるのはダメだけど、迎えに行くなら良い』と母さんに許可をもらってきた訳。帰りの切符は、お父さんがキャンセルした後で、その席を僕の方で…と言うか、父さんに取ってもらったんだ。だから、帰りの列車も隣同士だよ」
なんて用意周到な…お父さん、親同士で考えたんだろうなと思うと、ちょっとありがたいけど、それなら教えてほしかったなという気持ちもあって、複雑。
「それなら慎吾も教えてよぉ」
と言うけど、慎吾は涼しい顔で、「だって驚かせたかったし」って。もう、ホントに…。
「もう、これは罰よ、罰。私を最後まで無事に送り届けてよね!」
私がそう言うと慎吾は、
「勿論。任せて…と言いたいところだけど」
とちょっと困った表情を浮かべる。
「?」
私もちょっと慎吾の真意を測りかねて、首をかしげると、
「京都って初めてで、ここからどうやって帰ったら良いか分からないから、タクシー呼んでいい?」
と言うものだから、私は思わず「あははっ」って笑ってしまってから、「勿論良いよ。すぐ捕まえられると思う。あ、ほら、来たよ!」と伝える。
慎吾は、右手を挙げてタクシーを止め、「京都駅まで」と言いながら私を先に乗せてくれた。
タクシーの運転手さんは気さくで、「京都旅行?今から帰るの?」って聞いてきたから、「共テの追試だったんです。これから帰ります」と言うと、「そりゃ大変だったね~お疲れさん」って軽い調子で言ってもらった。
京都駅に着いて正面が、乗る特急が止まるホーム。私たちは切符を自動改札機に入れてホームに入り、電車が来るのを待つ。そして、特急に乗り込んだら、駅で買った夕食を食べる。勿論夕食購入と同時に、家族と東条家の皆さん、矢野くんに夢衣ちゃん、和子さんに紗友梨さん、そして、共テ本試の時に体調を気遣ってもらった角田さんへのお土産も買い込んでおいた。
夕飯を食べ終わったら、また眠くなってきた。
「?更紗、眠い?」
慎吾が聞いてくると私は頷いて、「うん、ちょっと、寝るね」と伝える。慎吾は、「分かった。乗換駅に着くちょっと前に起こすね」と言って私の頭を撫でる。
その暖かさに私は安心して、少しの間の眠りに就く。
夢を見た。
私と慎吾が、揃って合格発表を見る夢を。
二人とも合格して、お互い抱き合って喜んでいる。
そんな未来が来ることを、私は心から願っている――
でも、国公立に行くにせよ、私立に行くにせよ、このテストってやっぱり重要であることは確かだから、どうしてもこの時期はそうせざるを得ないんだと思う。
今年は特に、臨魁大学にそのまま行こうという生徒が例年より少ないこともあって、先生も進路指導に大変そうだ。例年7割くらいがエスカレーター式に上がるのに、今年は半分と聞いている。
その半分の子達は、だいたいが県外に行くようだ。ここで教員になるよりも、他県の方から倍率が低いからそこで確実に教員になるために、はじめから県外に行こうという算段らしい。
それは、教職コースのみならず、他のコースでもそうみたいだ。
啓一にライナーで「お前はどうするんだ?」と聞いたら、「俺は県外の体育大学に行くよ。実は、そこで実績を積んだらプロから声がかかるかもって言われていてな、優姫のこともあるからどうしようか悩んだんだけど、彼女の方から『私のことで、みすみすチャンスをふいにしないで、しっかり羽ばたいてください!来年ちゃんと追いかけます!』と言ってくれたから、決心がついたんだ」と言っていた。まぁ、啓一に関しては、事情が事情だから仕方ないかもしれないけど、少しばかり田舎のここでずっといるよりは、少しでも都会に出たいという気持ちもあるんだろうなと思う。
でも、僕はこの街が好きだし、ここで教員になろうと思っているから外に出る必要性はあまり感じない。確かに、外に出て見聞を広めたり、その土地の人々や全国からやってくる同輩とワイワイやりながら生活するのも悪いことじゃないし、むしろいい経験なんだろうと思う。
それでも、更紗との将来を考えた時に、それがベストではないことも事実。いくら元気になったとしても、お父さんのことが心配だから側にいたいという更紗の胸の裡を受け止めることが必要だった。
幸い、幸弘や夢衣も側にいるんだから、この4人で過ごすことができるのだから、これ以上の幸せはないと思っている。
そして、12月に入る。去年のこの時期は、更紗のお母さんのことを知ったり、クリスマスにはダブルデートをして楽しんだりしていたなぁと感慨深い季節なのだけど、ここまで来るとそんなことは言っていられない。
徐々に迫る共通テストに対し、ここに来て伸びていかなくなった点数に焦りを覚え始めた。伸びしろがそこまでだったと諦めたくないから足掻くけど、その足掻きとは、焦りとは裏腹に点数は伸びず水平に。問題集も悪い時は調子の良かった時よりも良くない点数になって、どうもよろしくない。
それは更紗も同じみたいで、
「最近、すごくプレッシャーだよね」
と二人で苦笑いするしかなかった。
正直、僕は焦っていると自覚している。そんなに焦る必要はないと分かっている。
だって、よほどのことではない限り、臨魁大学の合格は堅いからだ。
幸弘は推薦での合格通知書をもらって、クラスの誰よりも早く大学の進路を決めてしまっている。きっと僕は、そんな幸弘を見ていて少しばかり嫉妬というか、羨ましいのだろうと思う。
そんな思いは、更紗に知られると恥ずかしいから言わないのだけど…夢衣には分かっていたようだった。
幸弘が合格通知をもらったその日、夢衣から個人的にライナーが届く。
『大丈夫ですか?慎吾くん。なんだか、今日の顔がいつもと違っていたから思わず連絡してしまいました』
と言う、自分でも自覚していなかったことを言われて驚いた。
「なんか、僕の顔変だった?」
そう聞くと、夢衣から「はい」と『びっくりした』というスタンプが届く。そしてその後に、
『幸弘さんが合格したのが羨ましいのでしょうか?』
そんなメッセージが届く。それは、僕の胸を痛くするのに十分な言葉だったし、『見抜かれた』と素直に思わせる言葉だった。
「…夢衣には敵わないな。その通りだよ」
『でも、それは仕方がないことだと思いますけど…』
そう夢衣は言っても、やはり一芸に秀でたものを持つ幸弘を羨ましく思ってしまう訳で、
「そこはね、やっぱり自分が持ってない、できないことをできる幸弘が羨ましいし、その一芸で大学にすっと入れるというのが羨ましいんだと思うよ」
と、本音を漏らす。でも、その本音に対して夢衣は、
『…でも、幸弘さんもかなり悩んでいたんですよ。県外に行こうとも本気で思っていましたからね』
…知っているよ。だって、更紗と夢衣のいないところで、僕たちも話をしていたんだから。
「うん、幸弘本人から聞いているよ。かなり悩んだけど、やっぱり学費の援助があるから臨魁大にしたってね。弓道も好きだし、続けるにはそれが一番都合が良かったからな、とも聞いているよ」
僕がそう送ると、夢衣は『そうですね』と返してくる。
「とにかく、先に進路を決めた幸弘にはおめでとう、だよ。僕たちも続いていく、そう思いながらこれからの日々を送らないとね」
僕はもう、この話題はこれで終わろうと思ってそう夢衣に送った。
『はい、私も頑張ります。幸弘さんはこれから私達のサポート役をしてくれると思いますから、頑張っていきましょう』
夢衣からもそうメッセージが来て、一連の会話は終わった。
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12月に入って、すっかり寒くなってきた。去年はそんなに寒くなかったなと言う記憶があるだけに、体調管理をしっかりして、この前みたいに風邪を引かないようにしないといけないと思う。
そして、最近思うのは、陽が沈んで暗くなるのが早くなったなということ。
4人で一緒に勉強していると、17時にはもうほぼ真っ暗になる。
学校の図書室は18時に閉館するから、それからは4人で一緒に帰って、いつも通り月水金は家に帰って綸子と一緒に夕飯作り。火木土は慎吾の家に行って、お母さんを手伝って一緒に夕飯の流れだ。
ただ最近は、火木土の夕飯の後は、慎吾の部屋で綸子も一緒に2時間ほど勉強してからお母さんに送ってもらっている。
「少しでも時間を無駄にしないようにしたいから」
と言う3人の意思が、そうさせている。
そうそう、綸子は私達の姿を見て、臨魁学園に行きたいと言ってきた。成績も悪くないどころか、学年では180人のうち10~20番くらいにいるようで、もしかしたら私より頭がいいかもしれない。一概に比較できないけど、私は250人くらいいた中での40番前後だったから。
「今の成績だけを見れば、十分には入れますよ。でも、臨魁さんはなぜ入りたいかという志望理由も大切なので、そこはしっかり考えてくださいね」
と担任の先生から言われているようで、今、綸子はどのコースに行きたいか悩んでいるようだった。
「大浦くんとはどうなの?」
と私が聞くと、
「大浦くんは、臨魁学園はお金が厳しいから地元の公立に通うって。県イチで有名な、藤代高校を狙ってるんだ」
と、綸子は少し寂しい顔をしてきたから、
「あなたたちなら大丈夫でしょ?」
と元気づけると、綸子は笑って、「そうだね」と言った。そして、
「道は分かれても、それで終わりじゃないし。半年しか付き合ってないのに、自然消滅みたいなことしたくないからね」
と真面目な顔をした。
「うんうん、頑張りなさい、綸子。あなたは私よりも器用だから、どっちもできるわ」
私はそう言って綸子の左手を握ると、綸子も「うん、頑張る」と私の手を握りかえしてくれた。
でも、本音としては同じ高校に入りたいんじゃないかなって思う。だから、最終的には藤代高校を選ぶと私は読んでいるんだけど、それは来年になってからの話だろうな。
12月に入ってからも、模試は1回だけあった。マーク模試。おそらくこれが最後になるだろう模試で、私はとうとう数学で合計100点を出すことができた。目標達成。後は本番でこの成果を出すだけと、すごく自信がついた。
一方の慎吾は、英語がやはりネックになってリスニングとの合計でも半分に届かなかった。
結果を受け取った日の帰り道。いつものように並んで帰る私達。でも、私達の足取りと間を流れる空気は少し、重かった。
「やばいな…」
慎吾の顔は少しばかり引きつっていて、すごくプレッシャーを感じているようだった。
「慎吾、大丈夫だよ。まだ行けるから」
私が元気づけようとしても、今までなら「そうだね。がんばるよ」と柔らかい表情を向けてくれたのに、「ああ、そうだね」と言う表情は硬くて、私と目を合わせようとしない。
…これは、良くないよね…。
私まで不安になる。
一緒の大学に通えないかもしれない。慎吾が浪人するかもしれない。そんな恐怖がちょっと頭をもたげてくる。
でも、いいえ、と私は頭を振ってその考えを否定する。
「気を張り詰めすぎだと思うな。慎吾、今度、一緒にどこかでかけようよ。クリスマスに」
そう言っても真言は首を横に振る。
「いや、そんな暇はないよ。クリスマスじゃなくて、ベリー苦しみます、だ」
私は慎吾の言葉に一瞬「え?」と反応しちゃったけど、すぐに笑ってしまう。
「慎吾、それだじゃれのつもり?」
「…まぁ、ちょっと狙ってはいたけどと言うか、春日先生の受け売り」
「そうなんだね」
私はもう一回クスッと笑って、
「でも、それが言えるんなら大丈夫だよ。本当に少し息抜きしようよ。去年みたいにテーマパークへ行く必要はないんだよ。いつものゲーセンで、小1時間音ゲーして、喫茶店で話をしようよ。それだけでも十分だから」
そう言ってようやく慎吾は少しだけ表情を柔らかくしてくれた。
「うん、分かった。確かに、気を張り詰めさせているだけじゃ、逆効果だもんね。じゃ、クリスマスイブに行こうか。で、夜はうちでパーティだね」
「ええ、綸子とお父さんも行って良いでしょ?」
「勿論」
私は慎吾の左腕に両手を回して抱きつく。
「ありがとう。いつもお世話になって本当にありがとう。いつも家族を支えてくれて、ありがとう」
そんな私に、慎吾の顔は真っ赤だ。
「そんなにお礼を言われるのはちょっと照れるな。当たり前のことをしているだけなのに」
「だから、だよ。そういう所が慎吾の本当にいいところなの。だから、紗友梨さんも夢衣ちゃんも、そういう所が好きだったんだと思うよ」
「…でも、好きだと面と向かって言われた訳じゃないから、実感がないんだけど。でも、更紗が好きって言ってくれると幸せな気分になる」
慎吾も恥ずかしいことを言ってくるから、私も顔が真っ赤になる。
「うん、好きだよ、慎吾。だから、もう少し頑張ろう」
お互いの気持ちをまた今日も確認して、私の家の前で別れた。
そして、冬休みに入ってすぐの土曜日。私はいつもの城東商店街の前で慎吾と待ち合わせた。
今日の服は、黄色いタートルネックのフリースに白いセーター、下は裏起毛のスキニージーンズという感じ。慎吾は下は同じようにジーンズで、上はコートを羽織っていたからよく分からないけど、隙間から見えたのは緑系のタートルネックみたいだった。
「おはよう、慎吾。じゃ、行こうか?」
私が挨拶をすると、慎吾も笑顔で挨拶を返してくれる。そして、
「うん、おはよう更紗。ちょっと予定変更してもいい?」
と、珍しく最初から予定変更の提案をしてきた。
基本的にお互いに決めたらその通りにデートをして、時間があったらどこか行き当たりばったりに行くようにしていたんだ。
「どう変えるのかな?」
私が聞くと、慎吾はスマホをポチポチして、
「この映画、見たかっただろ?伊緒姉が職場の先輩から譲ってもらったけど、伊緒姉はアニメに興味あんまりないから、僕にって。『更紗と行ってきたら、息抜きだよ、息抜き』なんて言ってさ。一応、クーポン券はもうWeb登録してあるから、更紗さえ良かったら一番最初の時間にどうかと思ってさ」
と言ってくる。だから、私は頷いて、
「そういうことならOKだよ。行こう!私もこれは見てみたかったんだ。確かに、今日は息抜きだから、伊緒奈お姉さんに感謝だね」
と、行って慎吾に笑顔を向ける。そして、続けた。
「あれ?伊緒奈お姉さんの職場って…」
それに慎吾は頷いて答えた。
「そう、バイトしていたファミレスだよ。大事な戦力だから、折角なので正社員で迎えたいって言われて、伊緒姉も了承したんだって」
「そういうことだったんだね。すごいね、伊緒奈お姉さん」
「ああ、実力を認められての登用だから、伊緒姉もやる気出ちゃって、すごい今頑張ってる。一応完全週休2日だけど、シフトは色々あるみたいで不規則なのが厄介だって。バイトしている時は遅番が多かったから、今の生活に慣れるのにちょっと苦労してるっぽいよ」
そんなことを話ながら、私と慎吾は映画館に向かう。
映画館に入ってから時間を確認すると、15分後に開場するところがあったから、そこに席を取った。
「飲み物とか、ポップコーンはどうする?」
私が聞くと慎吾は、
「僕はコーラがいいかな。ポップコーンは任せるけど、買うなら塩がいいかな」
と答えるから、
「分かった~。じゃ、ポップコーンはMサイズで買っておくね。飲み物、私はメロンソーダにしようかな」
と言いながら、売店に二人で並ぶ。朝一番であまり人がいないおかげで、すぐに買うことができた。その足で、開場されたシアターに入り、指定した席に座った。
「この映画、前のも見に来たことあるの?」
私の質問に慎吾はうん、と頷いた。
「勿論だよ。2回見に行ったね」
「え?2回も?」
「うん、1回目だと見えなかった部分が、2回目だと見えることがあってね。今回もきっとすごいから、もう1回見に行こうと思っているよ」
慎吾の発言に私はちょっとだけ引いてしまう。正直、2回も見ることはあるのだろうかと思ってしまったからだ。
「でも、時期的に良くないよね~」
私が言うと、
「まぁね。でも、共通テストが終わる頃まではこの映画確実にやっていると思うんだよね。今日も今の時点でそんなに人は多くないけど、まだまだそれなりに入っているみたいだし、ラノベから始まったのに、漫画が売れまくって国民的アニメになるんだから、ラノベから読んできて良かったなと、1ファンとしては思う訳で」
なんて熱く返ってくる。そんな熱く語る慎吾の表情を見るのは久しぶりだったから、私は思わず頬が緩んでしまった。
「?どうしたの、更紗?」
「ううん、今の慎吾の表情がとっても良かったから、ああ、楽しみにしていたんだなって思いと、今日一緒に来ることができて良かったなって」
慎吾が不思議そうに私に問いかけたから、その様に答えると、慎吾はちょっと固まる。
「…暫くそんな顔していなかったから、正直ちょっと安心したよ、慎吾。最近そうした気持ちになれてなかったと思うから」
そう私が告げると慎吾は、目を丸くする。そして、
「そうだね。日々の勉強と上がらない成績に焦るばかりで、そんなところに気持ちを向けることはなかったからなぁ…ホント、伊緒姉には感謝だよ。こうしてリラックスできる機会をくれたんだから」
と言って、表情を柔らかくした。
「うん、良かったね。あ、始まるみたい」
シアターが暗くなり、映画が始まる。その前に、盗撮・録音禁止のあのカメラを追いかけるパトライトのCMが入り、相変わらずシュールだなと思っていると、実際始まった映画のアニメーションの美麗さに私は一気に引き込まれてしまった。
流れる水の情景に、風にそよぐ木々の表現がリアルだったし、いざ始まる人間模様とバトル。そのすべてが一つ一つ丁寧に描かれていて、慎吾も一緒に見とれていた。
2時間という時間は、あっという間に流れていって、映画が終わっても、私達は暫く無言だった。
シアターから出て、飲み物やポップコーンの入っていた紙コップを捨て、トイレに行く。女性用は数が少ないのか、少しばかり待たされたけど、慎吾は出口の近くで待っていてくれた。
そこで初めて、私達は口を開いた。
「すごい!」「面白かった!」
そして同時に、
「また見に行こう!」
とハモったんだ。
いつ見に行けるかは分からないけど、それはでもすぐになりそうな気がしていた。
そして、その後はゲームセンターへ行って音ゲー。社さんからは、
「お、余裕か?」
って言われちゃったけど、「クリスマスなんで、息抜きです」と答えると、「まぁ、息抜きは必要だよ。それに、地力落とさないようにしないとな」って笑顔で言ってくれて、私達はそれでいいんだと思えた。
「確かに、地力落ちてるなぁ」
慎吾は1クレジットやってみて、そう感じたみたい。確かに、前に言った時よりも好きな曲なのに小さなミスをポロポロしている感じに見えた。
「私も地力落ちてそうだなぁ」
と言いながら私もパスカードをかざしてプレイしてみたけど、本当に地力は落ちていた。2ヶ月ぶりだから仕方ないと思う。レベル9の曲がクリアできなくなっていたから。8はまだクリアできるから、すこし頑張れば勘は戻るだろうけど、もう暫く我慢の日々だから、今日は現状を把握しただけで十分だろう。慎吾も同じ考えだったようで、
「まぁ、仕方がないよ。合格決まったら地力戻せばいいんだし」
と、自分に言い聞かせていた。
小一時間ほどゲームを楽しんだらお昼前になっていたから、私と慎吾は喫茶店「リスペクト」で軽くランチ。
慎吾は喫茶店と言うこともあって、ミートソーススパゲティを、私はサンドイッチセットを頼んだ。飲み物は、慎吾はブラックコーヒー、私はカプチーノ。
食べながら、さっきの音ゲーのノーツの捌き方や、映画のワンシーンの感想など、他愛のない話をして楽しく過ごす。
受験生としてのプレッシャーを、今はただ、忘れたかった。慎吾も同じ気持ちだったと思う。
「それじゃ、そろそろ出ようか。一旦私の家に行く?それとも、もう慎吾の家にいっちゃう?」
私が聞くと、慎吾はちょっと思案する表情を浮かべてから、
「それなら、まずは更紗の家に行こう。それで、綸子ちゃんと一緒に僕の家に行く。そこで綸子ちゃんには冬休みの宿題をしてもらいつつ、僕らも勉強する。17時になったら、パーティーの準備。どう?」
整然とした慎吾の発言に、私は納得して頷く。
「さすがね。そして、受験生の志も忘れてない。でも、今日くらいは忘れても良いと思うけど」
「でも、やっぱり気は焦るから、少しでも安心したいなって。今日もこれだけはやったんだってね」
慎吾の言葉にやっぱり納得して頷いて、
「そうだね。うん、行こう。勉強道具持って行くね」
と、私達はまず、私の家に向かった。
「あれ?お姉ちゃんもう帰ってきたんだ?あ、慎吾さんこんにちは。どうしたんですか?」
不思議そうな顔をする綸子に私は、
「勉強道具を用意して。私も今準備するから。そしたら、慎吾の家に行くからね」
と告げると、綸子は一瞬ポカンとしたけど、すぐ笑顔になって、
「うん、分かった!」
と急いで自分の部屋に入っていった。私はそんな綸子を見送ると自分の部屋に向かう。勿論その前に、冷蔵庫から麦茶をコップによそい、慎吾に「ちょっと待っててね」と告げた。
慎吾は「勿論、待ってるよ」と言って、ダイニングの椅子に腰掛けて、スマホを取りだして私達を待つ。
更紗と綸子ちゃんを待つ間、ダイニングには僕一人。まぁ、そんなに時間もかからず二人はここに来ると思うから差して気にせず待つつもりだった。でも、ふと目に入った二人のお母さんの後飾り祭壇に、ふと思うことがある。
「そう言えば、最近まともにご挨拶していなかったよな」
更紗はうちにはよく来るけど、逆にここに来ることはあまりなかった。まぁ、それは僕たちの生活習慣的に、うちを拠点にする方が楽だからと言うことが大きい。なので、特に受験勉強が本格化した2学期以降は、お父さんの退院時に寄らせてもらった以外では殆ど入ることがなかったから、今がいい機会だな、と思い後飾り祭壇の前に立つ。
そして、「色々ありましたが、更紗と僕は順調です。これからも見守ってください」と手を合わせて話しかける。だからといって返事がある訳でもなかったけど、その代わり背後から僕を呼ぶ声がした。
「慎吾、準備終わったよ。…ありがとう。お母さんにご挨拶してくれたんだね。最近来てなかったから、だよね?」
更紗がそう言うから、僕は「そうだよ」と頷いた。
「ありがとう。そんな気遣いがとても嬉しいんだよ」
笑顔の更紗は、とても眩しい。僕は更紗の方に振り向いて、「うん、やっぱりご挨拶しないとね」と言ってテーブルに戻り、残っていた麦茶を一気にあおった。
ちょっと照れくさくて、赤くなった顔を見られないようにと思ったんだけど、更紗にはお見通しだったようで、
「照れないの。さ、綸子も準備できたみたいだし、行こうよ」
と言われてしまい、僕は頭を掻くしかなかった。
3人で大原家を出て、一路僕の家へ。
その間に当然のことながら城東商店街を通るから、3人でちょっと買い出し。
今日のパーティーは、基本的に焼き肉。お店に行くのもいいんだけど、クリスマスだからケーキも食べようと言うことで、ホールケーキを注文していたから、取りに行くように母さんから言われていたんだ。
「えっと、このケーキ屋さんだね」
そこは、「ケーキの横尾」という、洋菓子店の老舗。東条家は毎年、このケーキ屋さんで買うことにしているお得意様だ。更紗と付き合いだした時に持っていったケーキ屋さんは最近できたもので、これはこれでいいんだけど、東条家としてはこっちの方が落ち着く味だ。
ただ甘いだけでなく、ホッとすると言うのかな、ふんわりとした感じが好きなんだ。
「あら、東条さんちの慎吾くんだね。いらっしゃい」
横尾さんの旦那さんが元気な挨拶をしてくるから、僕も背筋を伸ばして、
「こんにちは、予約のケーキできてますか?」
と問いかけると、横尾さんはOKサインを出して、
「勿論だよ。今持ってくるから待っててな」
と一度店内の厨房へ引っ込む。おそらく、そこに冷蔵されているのだろう。ちょっとの間で戻ってきた横尾さんの手には、四角い箱があり、
「これだな。いつもありがとう。お代はもらっているから、もういいよ」
と差し出してこられたから、僕はそれを受け取って、「ありがとうございます」という。そこで後ろにいる大原姉妹に気づいたのか、
「可愛い子連れているな、東条家の次男坊も隅に置けないな」
と言ってガハハと笑う豪快な横尾さん。そんな人がこんな暖かい味を作るのだから、人間見た目で判断してはいけない。
「ありがとうございます。次は卒業したら買いに来ますね」
「そんな卒業って3ヶ月も後じゃないか。もっと早く来てもいいだろうに。ま、卒業後のご褒美として買いに来てくれるんなら、それでいいけどな。期待してるよ」
僕の言葉にまた笑う旦那さんに、僕は笑って「はい、絶対に来ます」と答えて店を後にした。
そして、家に帰ったらすぐさま、更紗と綸子ちゃんは母さんに呼ばれてキッチンへ行ってしまい、小1時間ほど母さんを手伝っていた。二人で勉強をする約束だったけど、仕方がない。自室で一人勉強をすることにした。
英語の勉強。長文を読解する。長文を読みながら分からない単語を電子辞書で調べたり、解釈の難しい構文を、文例集で調べたりして過ごす。
最近は、大分そういうものがなくても読解が進められるようになってきたから、マーク模試の点数も上がっているのは自分でも分かっていた。だから、もっと取れるはずと思って、残り3週間をしっかり勉強していこうと思っている。それは更紗も同じだし、幸いというか、都合がいいというか、お互いの得意分野と苦手分野が保管し合える仲だから、お互いにもっと伸ばせるのだと思う。
正直、英語に関しては自分一人でやるよりも、更紗と二人の方が伸びる感覚があるから、それは間違いないけどね。
そうやって暫くしていると、階段をゆっくり上がってくる足音が二つ。そして、それは僕の部屋の前に止まると、ノックが三回。
「慎吾、できたよ~」「慎吾さん、始めましょう」
更紗と綸子ちゃんの声だ。お手伝いも終わり、今から始まるようだ。
「ありがとう、呼びに来てくれて」
僕はそう言いながら、部屋の扉を開ける。そこには、エプロン姿の二人がいた。
更紗は至ってシンプルな黄色のエプロン、綸子ちゃんは緑なんだけど、フリルがついている。ある意味対照的な二人のエプロン姿に、僕は少し見とれる。
「どうしたの慎吾?ぼ~っとしちゃって」
更紗の声に我に返るけど思わず、
「いや、二人とも可愛いなって思っちゃってさ。それと、お手伝いありがとう。楽しもうね」
と言ってしまった。二人はちょっと顔を赤くして、「もう、何よ」と言ってから、「早く降りてこないと慎吾の分なくなるよ~」と続けて僕の部屋のドアを閉めてしまった。
「おいおい、そりゃないでしょ」
僕は苦笑いをして部屋のドアを開け、リビングへと急ぐ。
更紗と綸子ちゃんはもう既に座っていて、準備万端だった。いつの間にか、晴兄と優來姉さんも来ていて、優來姉さんもエプロン姿だった。母さんと更紗達4人で和気藹々と作っていたんだろうなと思いながらテーブルに目を向けると、そこにはクリスマスらしくロティサリーチキン。そして、ポテトサラダにサーモンの刺身、唐揚げ、ミートソーススパゲティ、みんなの好物がそれぞれ並んでいた。
「さぁ、食べてね。デザートもあるから。もし余ったら、晴ちゃん優來ちゃん、更紗ちゃんに綸子ちゃんも持って帰っていいからね」
母さんの言葉に、4人は「残ったら、遠慮なく戴きます」と顔をほころばせる。そして、宴が始まった。
みんな思い思い喋りながら食べ進める。成年者はそれぞれシャンパンやワイン、チューハイを飲み、僕たち未成年者はコーラにオレンジジュース、リンゴジュース、シャンパンのようなシャンメリ、麦茶をそれぞれ飲む。だから、大人達は少しずつ酔っ払ってくる。
「でさ、更紗ちゃんと慎吾くんはどうするの、進路は?」
優來姉さんが絡んできたのはそんな最中。
「このまま臨魁大学へ進むつもりです。特に問題なく行けそうですし」
そう更紗が返す。それに優來姉さんはうんうんと頷いてから笑顔を見せて、
「二人がそう決めたのなら、それで良いと思うよ。私と晴城くんもそんな感じだったし。やっぱり、二人一緒にいたいもんね」
と言う。そっか、優來姉さんも晴兄も、高校時代からだっけ…。
「いや、中学からだぞ」
僕は思っていたことが口をついて出ていたようで、晴兄から訂正を受けた。
「あ、そうだったんだ。そう言われれば、そうなのかも」
まぁ、晴兄が中学校になった時には、僕はまだ小学校の低学年だったから、あまり覚えていなかったのかもしれないなぁ。
「ああ。そうかもしれないな。とは言え、君たちも油断は大敵だからね。しっかり励むように」
そこで、玄関のチャイムが鳴る。更紗のお父さんが仕事を終えてやってきたようだ。
「いらっしゃいませ。すみません、先に始めてしまっていて」
玄関から聞こえる父さんの声。更紗のお父さんを出迎え、リビングに案内した。
リビングに入ってきた二人に注目が集まる。更紗と綸子が口々に、
「お父さん、お帰り」「お父さん、お疲れ様!」
と言って出迎えるけど、
「お帰りって、更紗、いつからこの家はお前の家になったんだい?」
と言う更紗のお父さんの返事に、「え、あ、あれ?」と更紗は顔を真っ赤にするけど、
「いつもお世話になっているからだよ。1週間に3回夕食とかお世話になってて、手伝ったり、悩み事聞いてくれたり…もう、第2の家と言っても良いと思ってる」
そういう更紗は顔は赤いけど、真剣な表情だった。その言葉に、みんな笑顔になって、
「じゃ、この家に嫁に来ればいいのよね、早いところ。おばさん、大歓迎よ」
と母さんを皮切りに、父さんも、伊緒姉も、「そうそう、それはいい」と続いて、晴兄と優來姉さんからは、「卒業と同時に籍入れちゃえば?」なんて言葉まで言われるものだから、更紗は更に顔を赤くしてしまう。
「…恥ずかしいなぁ」
そう言って縮こまる更紗にお父さんは、
「更紗、正直に聞くけど、そうなってもいいんだね?」
と聞くと、更紗はお父さんに視線を向けて、「うん」と頷く。
以前お父さんと話をした僕、そして今の更紗。僕たちの考えていることは同じであることを、更紗のお父さんは把握した。だから、お父さんは笑顔になる。
「分かった。籍を入れるタイミングはいつでもいい。慎吾くんも同じことを思ってくれているからね」
更紗のお父さんがそう言うと、周りから「ひゅ~!」と歓声が上がる。
それを肴に、父親二人と晴兄、伊緒姉は乾杯をしてお酒を再度飲み始めた。
「孫は何人欲しいですか?」「何人いても良いけど、やっぱり欲しいですね」
と、父親二人の会話が盛り上がる中で、綸子ちゃんはちょっと複雑な表情をする。
「どうしたの、綸子ちゃん?」
僕が聞くと、彼女は「慎吾さんとお姉ちゃんが結婚するとなると、どこに住むのかなって。もし、私達の家に住むとなると私の居場所がないかもって思っちゃうんですよね」と言って、ちょっと下を向く。
すると、そこで、父さんが僕に向かって話をする。
「まぁ、そうだよね。どちらにせよ、大学に行くようになったら一人暮らしでもしたらどうかとは思っていたんだ。それなら二人で住んでみるのもいいかもしれないな。これまで見えてこなかったものが見えてくるかもしれないし」
そう言われて僕は「あ、ああ」といきなりのことでそれしか出てこなかったけど、更紗は乗り気だった。
「そうよね。確かに、ずっと一緒にいるけど、学校から帰ってからはこうして一緒に夕ご飯は食べるけど、そこまでだもんね。そこからの時間をどう過ごすか、どうやって過ごすかというのも考えていくといいわよね」
そこまで言われたら、僕もやった方がいいなと思えてきたけど、懸念材料もある。
「でも、住むところはどうする?二人でバイトして折半するとか?」
そう聞いてみると更紗もそこで「う~ん」と唸ったのを見て、母さんが助け船を出す。
「私の兄って、不動産経営して儲かっているのよね。その中から安く借りるなんてどうかしら?」
そうしてもらえるのなら、大変ありがたいなと思うけど、「まぁ、それは実際に合格してからの話だよね~}となって、この話はおしまい。でも、確かに合格が決まったらすぐ考えるべきことだなと思った。
そして、楽しいパーティーも終わりを迎える頃、母さんがいなくなっていることに気づく。
「?母さんは?」
僕が聞くとみんなも、「そう言えば」と母さんを呼ぼうとした時に、母さんは戻ってきた。
「どうしたんだ?急にいなくなって」
父さんが聞くと、母さんの手には立方体状の紺色の箱。
「あれ、母さんそれ…?」
晴兄が聞くと、優來姉さんも「あ、それ…」と笑顔になる。
「これ、貸してあげようと思ってね。指サイズが合うかは分からないけど、まぁ、合わなかったら合わせればいいし」
母さんはそう言って、更紗に「はい、これ。慎ちゃんからちゃんとしたのを貰うまでは、デートの時はこれをして男よけにしなさいね」と続けて箱を手渡した。
「…お母さん、これってもしかして?」
母さんは「うん」と笑顔を浮かべて、「婚約指輪よ。もう30年も前のデザインだから古くて申し訳ないんだけど」と言う。指輪を受け取った更紗は、「でも、受け取って良いのですか?こちらこそ申し訳ありません」と不安そうな表情になる。
「いいのよ。あくまでも貸すだけだから。なくさないでくれればいいの。優來ちゃんにも貸していたし。お母さんを亡くして辛かったのだから、それは綸子ちゃんもよ。だから、幸せになって欲しい。慎ちゃんを選んでくれたあなただから、私は力になりたいの。だから、それくらいはさせて欲しいの。勿論、綸子ちゃんも来るべき時が来たらお手伝いするわよ。お母さんの代わりというと偉そうに映ってしまうかもしれないけど…」
母さんの言葉に、更紗は勿論、綸子ちゃんも、二人のお父さんも本当に神妙な顔つきになって、「ありがとうございます」と一礼する。その目には、涙が光っているように見えた。
…でも、それなら本当に頑張らないと。ちゃんとこのまま臨魁大学に入り、4年で卒業し、そのまま教職に就く。一意専心、努力しないとという誓いを新たにし、そのことを更紗に彼女のお父さん、そして母さんに伝えると、「頑張りなさい。それだけの頑張りはできると信じているから」と母さんにも更紗のお父さんにも言われ、まず最初の入試でつまずいてなんかいられないなと更紗と二人で笑うのだった。
正月は、何事もなく過ぎていってしまった。
元旦は夜中に夢衣ちゃん、紗友梨さん、和子さんの4人に、綸子、矢野くん、そして慎吾の7人で初詣。去年みたいに和服に着替えることはなかったけれど、それでも楽しく初詣できた。その日の夜は、またまた慎吾の家で新年会。お父さんも交えて楽しい時間はあっという間に過ぎていった。
2日目、3日目は、祥蔵叔父さんが3ヶ月ぶりに来てくれて、この街を私達家族と慎吾で色々連れ回して楽しんだっけ。…あれ?私って受験生だよね…?綸子もそうだけど、
「おいおい、お前ら大丈夫か?」
なんて叔父さんにも苦笑いされちゃったっけ。
そんな正月が過ぎれば、すぐに補習が始まったし、受験生モードに再び突入して毎日をせわしなく送る。
でも、気になることが一つあった。
それは、例年以上にインフルエンザが蔓延していること。
一応、12月の始めに予防接種はしておいたから多少は安心なのだろうけど、あと1週間で共通テストだから、かかるならそれが終わってからの方がまだ都合がいい。
慎吾とはそんなことを話していたのだけど、その波は確実に私達の近くに這い寄ってきていた。
まずは、高等部での蔓延。1,2年生を中心に部活で広まったみたい。世界的大流行のあのコロナウィルスの時はみんな警戒していたけど、その波が収まってからは、油断しきっている感じはあった。だから、広まったんだろうなと思うし、それも仕方がない。でも、受験生にとっては広まるのは困るから、先生も協力して、1,2年生が3年の教室にできる限り行かないように配慮してくれた。
でも、それでも少しずつ3年にも広まってきた。1,2年との交流が多いアスリートコースや、陽キャの多いファッションビューティーコースから伝播したらしい。
少しずつ近寄るインフルエンザだけど、それは綸子の方も同じだったようで、休み明けから少しずつ増えていったらしい。
「こんな時期にインフルかかりたくないよぉ」
なんて言って、マスクを二重にし、アルコールの除菌ジェルまで用意して私も綸子も気をつけていた。
それは慎吾も同じだったようで、
「僕もかかりたくないからね」
と、同じようにマスクとアルコール除菌液を準備してくれて、これで少しはかかる確率を減らしていこうとしていた。
でも、やっぱりそれでも罹る時は罹ってしまう。
よりによって共通テストの3日前、綸子が帰宅後に「なんだか朝から熱っぽいんだ」と言うので、熱を計ったら38度を越えていた。
「え?もしかしてインフル?」
私は思わず、表情が険しくなる。でも、熱を出して苦しそうな妹を放ってはおけなかったから、まずはお父さんに連絡した後で、氷枕や氷嚢を用意して、綸子を取りあえず寝かせた。
「ゴメンね、お姉ちゃん。インフルだったらどうしようと思うけど、多分、インフルだよね…移してしまったら本当にゴメン」
そう謝るけど、「あれだけ用心していたのに罹ってしまったのなら仕方ないじゃない。予防接種してあるから大丈夫だと思うし」と私は気休めを言う。だけど、「私だって、予防接種受けたじゃない。なのにあまり効いてなさそうだから、お姉ちゃんが心配。もう出ていっていいよ。ちょっと距離をとろう」と言われて、確かに…と思ってしまった。
小1時間後にお父さんが仕事を休んで(11月からお父さんは復帰している。今までより勤務時間も短めにして貰ってるみたいだし、融通を利かせてくれている)、帰ってきてバトンタッチ。行こう、なるべく綸子とは距離をとった。
その後、お父さんが綸子を急患センターまで連れて行って検査して貰った結果、やっぱりインフルエンザだった。
「ああ、やっぱり」
と内心ショックを隠せずにいたけど、テスト当日に休む訳にいかないから、綸子には週末まで私には近づかないように言うしかなかった。
そして、共通テストの日を迎える。
この日は快晴。意外と気温も上がっていて、有り難い。去年は降った雪も、今年はあまり降らずに、道路に雪は全くない。だから、自転車で行こうと慎吾と話して決めた。開場は、臨魁大学。このまま上がる予定のところ。学園からさらに10分ほど走るけど、そんなに負担じゃない。
だけど、この日は朝から私の体調がおかしかった。
(あれ…?なんかイヤな感じ…)
と言う自覚はあったけど、インフルに罹っている場合じゃないし、何より慎吾と一緒に行くと決めているから、彼にも迷惑をかけたくなかった。
だから、体調のことはおくびにも出さずに家を出る。
「行ってきます」
綸子の部屋からは、「頑張ってねお姉ちゃん」と声が聞こえた。幸いにも熱は早めに下がったこともあり、来週の月曜日から学校に行って良いみたいだ。私はそんな綸子に「うん、頑張ってくる」と返して、家を出た。
いつもの商店街入り口で慎吾と合流。とは言っても、いつもより早いし、会場は遠いから、慎吾のお母さんが送迎してくれることになっていて、私がついた時には、既に慎吾のお母さんの車がそこに停まっていた。
助手席のウインドウが開いて、慎吾が「おはよう、更紗」と顔を出す。私は笑顔になって、「おはよう、慎吾」と言いながら、後部座席に乗り込む。乗り込んでから、「お母さん、ありがとうございます」とお礼を言った。
「いいのよ。さ、行くわね」
と言って、お母さんは発車する。少しして、お母さんがルームミラー越しに私の方を見た気がした。と思ったら、
「更紗ちゃん、大丈夫?なんだか顔色が優れないようだけど…」
と言われてしまった。私は既に顔に出ていたとは思わず驚いたけど、それは慎吾も同じだったようで、後部座席に身を乗り出すように覗き込んで、
「更紗、大丈夫?」
と心配してくれる。そんな二人に私は心配をかけたくなくて、
「大丈夫です!ちょっと緊張しているかも」
とはぐらかした。「それならいいんだけど…」とまだちょっとお母さんは腑に落ちてないようだったけれど、納得してくれたみたいだった。
「無理はしちゃいけない…んだけど、さすがに共通テストは無理しないと、だよね…」
と慎吾も言う。確かに、体調不良で共通テストを受けられなかったなんてことにはなりたくない。だから、無理してでも受けなくちゃいけない。だから、私はもう一度力こぶを作るように、「頑張ろう、慎吾」と声をかけた。
「お、頑張ろう、更紗」
お互いに励まし合いながら、試験会場に着いた。
前日の下見で分かっていたことだけど、私と慎吾は同じ棟にいるものの、受験室は3階と4階で違っており、夢衣ちゃんと矢野くんは私の隣の教室で受けることになっている。私と同じ教室なのは、角田さんくらいだった。
1時間目は地歴公民だ。私は地歴は世界史探求を、公民は倫理を選択していたから、その通りその2つを受ける。
実はちょっと暗記科目は苦手な方なんだけど、それでも善戦できたかな、と思う。倫理は考えながらやっていたから、何気に時間が足りなくなりそうで焦った。でも、こちらも問題はなかったと思う。
受験番号に抜けはないし、選択問題はない。そして、マークのズレも一つ一つ確認して回答もちゃんと問題用紙にメモをしていく。
うん、ここまでは問題はないね…と倫理が終わる1分前にこの日のために購入したアナログ腕時計(後々綸子にも使って貰う予定)を確認する。その瞬間――
(あ、あれ?)
ちょっと目眩に襲われた。朝のイヤな感じが戻ってくる。いや、それ以上に、急に熱っぽい感じがしてきた。
(お、おかしい…な)
そう思いながら終了の合図を待つ数十秒は、これまでの中で一番長く感じたように思った。
そして、解答用紙が回収され、一度部屋を出る。
立ち上がった瞬間も目眩がする。頭がくらくらする。でも、とにかく出て、みんなが待つ控え室に行かないと…。
でも、よっぽど私の歩き方はおかしかったのだろう、同じ教室で試験を受けていた角田さんが「大丈夫?大原さん。フラフラしてるよ」と言って、私の左側を支えてくれる。
「ええ…なんか急に目眩がしちゃって…大丈夫、だと、思いたいけど」
「大丈夫じゃなさそうね。支えるから、早く控え室へ」
「ありがとう。悪いわね」
「困った時はお互い様だよ」
そして、控え室に行くと、慎吾と夢衣ちゃん、矢野くんのメンバーが先に戻っていた。南東先生や春日先生の姿もある。
「更紗、顔色めちゃ悪いよ。大丈夫?」
慎吾が私の顔を見るなり心配そうに覗き込む。
「うん…だいじょう、ぶだと、思いたい」
さすがにおかしいことは十分把握したみたいで、慎吾は「ゴメン、更紗、おでこ」と言って、私のおでこに手を当てた。慎吾の手がひんやりして気持ちいいなと思うのと同時に、慎吾が叫ぶように、「南東先生!更紗、熱あります!どうしましょう!?」と南東先生を呼んだ。
「えぇ?大原、大丈夫…じゃないな、その様子だと。いつから体調が悪かった?」
南東先生にそう言われて私は、
「朝はちょっと、イヤな感じが、するだけでしたが、今のようになったのは、倫理が終わる、直前です」
と返した。マスクはしていたけれど、もしかしたら、もしかするかもしれない。
「そうか、分かった」
と南東先生の言葉を聞いた瞬間、私の意識は不意に途切れた。
「更紗!」
彼女が倒れ込むのを見て、僕は思わず声を上げて彼女を抱き起こす。もう一回おでこに手を置くけど、やっぱり、熱い。
「もしかして…」
インフルエンザなのだろう、綸子ちゃんが罹ったってライナーで聞いていたから。
「ひとまず救急車を呼ぶ。サイレンは他の受験生に迷惑をかけるからならさないようにお願いする。本部に掛け合えば、その辺の案内とかはしてくれるはずだ。だが、東条、お前はちゃんとテストを受けなさい」
僕の心を見透かしたように、南東先生は言う。
「でも!」
と声を上げるけど、南東先生も、隣にいる春日先生も、首を横に振る。そして、口を開けたのは春日先生だ。
「ああ、大切な人がこんな状態だから気が気じゃないのは分かる。だがな、それをすると言うことは、残りの試験を放棄すると言うことなのはわかるよな?そうしたらどうなる?少なくとも共テ利用の大学は受けられなくなるというハンデを背負うぞ。それでもいいのか?」
そう言われると、ぐぅの音も出ない。試験を受ける機会が減るのは確かにハンデだ。臨魁大学に合格するのはほぼ確実とは言え、リスクは背負いたくない。だから僕は、不承不承ながら言うことを聞くしかなかった。
「大丈夫、大原はちゃんと副担に同乗してもらって、見てもらうから。安心しろとは言わないが、お前はお前でちゃんとベストを尽くしてこい」
南東先生にもそう言われてしまい、僕は「更紗をお願いします」としか言えなかった。
そして、共テに向き合うけど、やはり更紗のことが心配だ。1問マークするごとに彼女が気になるものだから、集中力なんてあったものではない。
なんとかマークしてメモはできたけど、国語にしても外国語にしても、しっかりと読み込めなかった分、いつもより結果が悪いだろうなと言う気がした。
そして、帰宅。もう19時を回っていた。心配なのは、更紗の容態。
共テの終了後にスマホをすぐさまチェックしたら、綸子ちゃんからライナーが入っていて、「お姉ちゃん、大丈夫だってお父さんが言っていました。ごめんなさい、私のインフルが移っちゃったみたいで…」と謝っていたけれども、誰のせいでもないから、
「それは仕方ないと思うよ。綸子ちゃんはだいぶ良くなったと思うけど、無理しないようにね」
と返事をしたら、綸子ちゃんからは、「はい」と短い返事とともに、ありがとうございまずとゆるキャラがお辞儀をしているスタンプが送られてきた。
「心配ね、更紗ちゃん。明日もこのままじゃ受けられないのよね…?」
母さんが夕飯を食べながらそう言うと、父さんが神妙な顔つきで、
「体調不良による試験欠席は、追試験の対象になるから大丈夫だよ。ただし、試験会場は関東と関西で1カ所ずつ、ここだと多分関西だと思う。それと、難易度は当然上がる。2週間後だから、さらなる準備が必要だね」
と言った。確かに、そういうことが書いてあった気がするけど本試験で全力を出そうとしている僕たちには、そんな当事者になる可能性をこれっぽっちも考えてなかった。でも、ちゃんと受けるチャンスがあるなら、更紗も僕と同等のチャンスの回数はあると言うことで、僕としても気分は軽くなる。
夕飯後、すぐに更紗にライナーを送ってみると、比較的早い時間に返事があった。
『ゴメンね、慎吾。試験は大丈夫だった?』
自分のことよりも僕のことを気にしてくれる更紗の言葉に、僕は安心させたくて、
「うん、大丈夫。全部受けてきたよ。ありがとう。更紗こそ大丈夫なの?」
と答えて、更紗の体調を聞く。すると、
『ええ。ぐっすり眠ってちょっと頭は冴えたかな。でも、まだ熱はあるし、今日はとにかく寝ること。明日の試験も休むようにって言われちゃった。仕方ないよね、インフルエンザだし』
と返ってくる。僕は、更紗に追試験を受ける権利があることを伝えると、彼女は、
『ええ、南東先生から聞いて、既に手続きしてもらったから。詳細は分かったら教えてくれるみたい。難易度は上がっちゃうけど、受けられないよりましだからね』
と言ってきたから、僕はその文面から彼女は多分、少し安堵の表情をしているのだろうと思い安心する。
「そうだね。更紗なら大丈夫。まずはきちんと身体を休めてね」
僕がそう送ると、更紗は、
『ありがとう。今日はもう寝るね。慎吾は明日も頑張って』
と返してくる。僕はそれに「うん、ありがとう。ゆっくり休んでね。明日は僕も頑張るよ」と伝えてから、『頑張る!』という文字の入った推しのスタンプを送る。彼女も、『頑張ってね』というスタンプとを送ってきてから、『お休みなさいZzz』というこれは彼女の推しのスタンプを送ってきた。
うん、大丈夫。そう安心すると僕も力が湧いてくる。今日のつまずいた分を明日の数学と理科2科目、そして情報でとり返そうと決意を新たにし、一通りそれらの重要項目をチェックしてから床に就いた。
二日目は、更紗が受けられないという寂しさはあったものの、昨日のように動揺はしていなかった。だから、いつも通りで過ごしていこうと思って受験会場に向かう前にちょっとだけスマホを見たら、更紗から『ファイト、頑張れ、慎吾』というメッセージが入っていた。
まだ多分熱が出ていて辛いだろうに、応援してくれる更紗にやっぱり愛おしい気持ちが出てくる。だから僕は、「うん、頑張る。ありがとう。更紗もお大事に。会えるのは来週の木曜くらいになるだろうけど、しっかり治してね」と返事をする。でも、次の更紗の返事を待たず、僕はスマホの電源を落とした。
それから1時間半後、数学その1の試験を終えて控え室に戻り、もう一度スマホを起動すると、更紗から『力こぶのスタンプ』が送られてきていた。だから、「ゆっくり寝てね。おやすみ」と返事をして、残りの試験を受ける。18時になってようやく最後の情報が終わり、長かった二日間が終わった。
更紗にはそれからはあえて何も告げず、彼女の方からアクションがあったら返事するようにしようと思い、ひとまずは翌日の自己採点に向けて、すべての教科・科目の問題用紙をカバンに突っ込んでまだ23時と少し早い時間だったけど、ベッドに潜り込む。
「さすがに疲れたな…。やっぱり本番の緊張感は半端ない。更紗、大丈夫かなぁ…」
なんて思いながら目を閉じた瞬間、スマホがピコン!と音を立てる。
僕は「ん?」と思ってスマホに手を伸ばしてとると通知を確認する。
「あ、更紗…ん?熱下がったって?」
僕はその嬉しい報告を聞いて、すぐに返事をする。
「良かったね、更紗。もう熱下がったんだ」
『うん、心配ありがとう慎吾。そっちも共テは大丈夫だった?』
「うん、昨日は正直動揺してたけど、今日は大丈夫だった。いつも通りだよ」
『え?宣言通り数学200点取れそうなんだ?』
そう、僕は今回の共テに向けて、目標点数として数学は両方とも満点の200点を目標にしていた。そして、今日はその手応えはあったんだ。
「もしかしたらいけるかも」
『やっぱりすごいね、慎吾は』
そうやって言う更紗に、僕は面と向かってないのに顔が赤くなる。
「更紗の応援のおかげだよ。ありがとう。2週間後の再試験の時は、逆の立場だね」
『うん…ちょぉ~っと不安だけどね』
確かに、少し難しくなると聞いているから、確かに不安になるだろうと思う。だから、
「そうだね。不安になると思うよ。それなら、僕も一緒に行こうか?」
と提案する。再試験は東日本と西日本で1カ所ずつしか会場が設けられないらしい。僕らは西日本だから、おそらく京都か大阪に会場が設けられるだろう。関西地区ならそんなに遠くないし、もらったお年玉で十分行ける範囲だ。
『え?いいの?』
画面の向こう側で、更紗の目が光った気がした。
「うん、まあ、父さん母さんが許してくれればだけど」
『そうね…私もお父さんに一緒に行ってもらおうと思ってはいるんだけど、この件、また明日相談して良い?』
と彼女が聞いてくるから、僕は勿論「OK。僕も相談してみるよ」と伝えて、今日の会話はおしまい。いくら熱が下がったと言っても、まだまだ彼女には休養が必要だ。
「明日の朝一で、母さんと相談しよう」
そう思いながら、今度こそ目を閉じて、眠りに就いた。
翌朝、目が覚めた僕は階段を降り、キッチンで朝食を作っている母さんに声をかけた。
「母さん、折り入って相談があるんだけど」
「あら慎ちゃんから相談なんて珍しい。更紗ちゃんのこと?」
「まぁね。更紗、一昨日インフルで倒れてしまって、共テ受けられなかったんだ。で、来週の土日にある追試験を受けることにしているんだけど、ついていって励ましたいなって」
母さんの表情は少し驚いたものになる。
「え?追試験って、どこでするの?」
「まだ分からないけど、きっと大阪か京都じゃないかと」
「う~ん…」
母さんは珍しく悩ましい顔をした。いつもは結構即断してくれるけど、なかなか言い出してくれないことに、僕はちょっと不安になる。
「慎ちゃん、気持ちは分かるけど、今回はパスしなさい」
そして出された母さんの結論に、僕は「え?」と絶句する。
「気持ちは分かるわよ。でもね、あなただって入試が控えてるの。一番早い試験って、その翌日でしょ?」
「…確かにそうだけど…」
「100%合格するアテがあるなら、別に良いわよ。でも、そこで万一インフルなりコロナをもらってしまったり、事故に遭ってしまったら、どうするの?きっと、更紗ちゃんも自分を責めるわよ。自分のせいでって」
「…」
結局親の承諾が取れなかったから、寂しい思いと苛立ちを抱えて一人で登校する。
その前に、更紗には「母さんに反対されちゃった…ゴメン、一緒に行けそうにないよ…」とメッセージを送っておいた。
登校の途中で通知が鳴ったから信号待ちの間にスマホを覗くと、「そうだよね。たぶん、私のお母さんでもそう言っていたと思うから大丈夫だよ。お父さんがついているから」と返ってきていた。
更紗は水曜日までは学校に行ってはいけない、いわゆる出席停止という措置なので寂しいったらありゃしない。久々に、イヤホンで音ゲー曲を聴きながら歩く。音ゲーやりたくなるけど、卒業までは我慢だ。どんよりとした曇り空は、これからの自己採点への不安と相まって、自分の心までも暗くしてしまう。
そしていつもの交差点までやってくると、幸弘と夢衣に会った。
「お、おはよ。二人とも、共テお疲れ」
僕がそう言うと、幸弘は右手を挙げて、
「おう、慎吾おはよう。お疲れ。大原は大丈夫とは聞いているけどどうなんだ?」
「幸弘さん、大丈夫ですよ。更紗さん、熱は下がったって」
「そうなんだ。ひとまず熱は下がったみたい。まだ頭痛は少しあるみたいだけど、木曜からは出て来ることができるはず」
夢衣と僕の報告に、幸弘は頷いて、「それなら、まだ良かったな、慎吾」と言う。
「そうだね。大事にならなくて良かった。でも、綸子ちゃんが心配だな」
と、僕は思っている。きっと彼女は、自分のせいでこんな事になったと責めているんじゃないかと…。それには、夢衣が答えてくれた。
「そのことですけど、慎吾くんの言うとおり綸子ちゃん、更紗さんが試験を受けられなかったことに対して泣いて詫びていたそうです。でも、更紗さんはそのことに対して「結局罹った自分が悪いんだし、綸子が謝ることじゃないよ」と言って、慰めたそうですよ。
それなら、きっとあの二人なら大丈夫だろうと思う。僕は安心して、「ありがとう夢衣、教えてくれて」と礼を述べた。
自己採点の結果は、予想通り。
国語はいつも通りだったけど、英語はいつもより30点低かった。やっぱり動揺してしまったのが大きかった。でも一方で数学は200点取れたし、物理、化学、情報もそれなりにいい点の80点くらいをキープできたから、全体として少し下がるものの自己ベストマイナス10点くらいで収まったから十分な出来だった。
でも油断は禁物。ちゃんと合格証書をもらうまでは、合格してないのだから。
そのことを夜、更紗に体調を聞くと同時にメッセージを送る。すると、
「それにしても慎吾すごいね、数学200点なんて。体調だけど、熱は下がったから木曜には学校へ行けそう。特別講座が始まっているから、半分自由登校みたいなものだよね?」
と返ってきた。僕は、
「そうだね。自分が受ける授業以外は基本どこにいても自由。家にいても良いし、図書室で自習しても良いし。いつものように、図書室で勉強するよね?」
と返すと、「OK」というスタンプが返ってきた。それから、
「追試験だけど、どうも京都みたい。南東先生から連絡が来たんだ」
とも伝えてきたから、僕は、
「一緒に行きたいんだけどね」
と送ると、
「またそんな事言ってる。大丈夫、一人で頑張るから」
と返ってくる。そう言われると信じるしかないんだけど、やっぱり心配は心配なので、
「分かった。でも、正直心配だよ」
と送る。それには、「どうして~?」と返ってくるから、「ナンパとかさ」と正直に返せば、「いやいや、さすがに試験の場ではないでしょ?」と言ってくるので、「いやいや、会場以外でもいくらでも声かけられるんじゃない?」と答える。すると、「大丈夫だよ。お母さんから最強のナンパ撃退アイテム借りているじゃない。試験の時以外はつけているから」と返ってきた。ああ、指輪のことを言っているのか…。
「そうだね。それで撃退できるなら、良いにこしたことはないね」
と、僕は折れた。
「うん、大丈夫だよ。心配してくれてありがと。でも、お父さんと行く予定だし、大丈夫だと思うよ、色んな意味で。確かに、慎吾が来てくれると勇気は出ると思うけど、慎吾も最初の試験が追試験の3日後でしょ?…私もそうだけど、そっちに集中して欲しいかなって」
相違言われたらひとまず僕の意見を引っ込める方が良いと思い、「了解。頑張ろうね」と返してこの日のやりとりを終えた。
でもその後の週末の夜、追試験の一週間前の夜。父さんから思いも寄らないことを告げられたんだけど、僕はそれを聞いて一計を案じることにしたんだ――
追試験の会場は、京都のとある国立大学で行われることになり、私は急遽、お父さんと電車の切符とホテルを手配した。でも、その翌日、お父さんから驚きの報告をされた。
「すまん、更紗。来週末、どうしても外せない商談が入ってしまったんだ。向こうの方が立場としては強いから、向こうに合わせるしかなくてな…」
って。でも、それは仕方ないから、「うん、大丈夫だよお父さん。私ももういい歳だからね。一人でホテルに泊まることくらい、どうってことないよ」と言ったけど、お父さんの心配は、「そこら辺は大丈夫だと思うが、女の一人歩きになるのがな…」と、慎吾と同じような心配をしていたみたい。
「そうかもしれないけど、できる限りふらつかずに大学とホテルの間は寄り道しないから。多分大丈夫だよ。だって、一時期住んでいたじゃない」
そう答えて、お父さんには納得してもらった。でも、綸子は「ホントに大丈夫?」と心配顔だ。
「大丈夫よ綸子。帰りに駅で何かお土産買ってくるからね」
そう言って微笑むと、綸子も笑顔になって、「うん楽しみにしてるね」と返してくれた。
でも、追試験の前日、私は一人で京都へ向かう。やっぱり下見はしておきたいから11時に家を出た。隣には、特講が午後からだからと駆けつけてくれた慎吾がいる。自己採点が終わった高3は、半分自由登校になっており、午前中だけ来る、午後だけ来る、1日いるのどれかを選択できる。
私は追試験の準備のため1日休み、慎吾は午後に数英の特講があるだけだから、午前中は時間があるので来てくれたんだ。
「昨日久しぶりに会ってちょっと思ったんだけど、更紗って少し痩せた?」
駅まで歩く道すがら、そんなデリカシーのない慎吾の質問には黙って答えない。代わりに、ちょっと強めに肘鉄を胸元めがけて叩きつけると、慎吾は「うっ」とうめいてから、「いや、太った?って言われるよりましじゃないかと…」なんて言う。だから、私は、
「い~え。女の子に体重の話をする時点でアウトです。もっと乙女心を勉強して下さい」
と冷たく言うと、慎吾は神妙な顔つきになって、
「はい、ごめんなさい。更紗様。それで、一つ質問よろしいでしょうか?」
と答えながら新たに質問してくるから、私は大仰に、
「ええ。よろしいですわよ」
と伝えると、
「2日目の試験が終わる時間は、元々の共テと同じ18時でよろしかったでしょうか?」
と丁寧に聞いてきた。私はうん、と頷いて、
「18時に終わるみたいね。どうかしたの?」
「ん?いや、そのあと答案用紙の回収とかで、会場を出るのは15分くらいだなって。周りはもう暗いからね、気をつけてね」
そんなやりとりをしているうちに、あっという間に駅に着く。予約した新幹線が来るまであと15分。もうホームにいた方が良さそうだ。
「それじゃ、慎吾、私、行くね」
そう言うと、慎吾は私が教えて購入した交通系ICカードを出してきて、「見送るよ。そのまま学校行くつもりだし」と言って一緒にホームへ来てくれた。
「ありがと」
私はそう言って、並んで階段を上る。
ベンチに腰掛けて「早く終わって、一緒にいろんなところにデートしたいよね」とか、「音ゲーも解禁して、二人でもっと上手くなっていきたいよね」なんて話をしているうちに、新幹線がやって来るアナウンスが聞こえてきた。
「新幹線がここにも通るようになるなんて、小さい頃は思ってもいなかったよ。ホント、格好いいよなぁ」
慎吾の言葉に私はクスッとして、
「そうね。でもあとは、京都や大阪まで乗り換えがないようになると良いんだけど」
と言うと、「そこはなんか、色々あるみたいだよ。僕達が40歳とか50歳くらいになったくらいでそうなる計画みたいだし」と慎吾が返す。私はちょっと驚いて、
「そんなにかかるんだ…」
と絶句していると、新幹線が停車し、ドアが開く。
「じゃ、行ってきます!」
私はドアから外を向いて軽く敬礼すると、慎吾も敬礼して、
「行ってらっしゃい!健闘を祈ってるよ!」
と返してくれた。
プシューとドアが閉まり、新幹線が動き出す。私は慎吾に手を振って、彼が見えなくなってから指定席に座った。
新幹線と在来線特急を乗り継いで、だ。いつもならお父さんがいるけど、今日はいない。一抹の不安を抱えながら電車に揺られる。時折慎吾とメッセージのやりとりをしては、目を閉じる。目を開けて、英語の参考書を開いて復習をする。
京都駅に着いたらすぐさま、次の電車に乗り継ぐため、ホームを探す。そして、案内板からホームを見つけて移動し、なんとか次の電車に乗り込むことができたんだけど、やっぱり人の数がこっちとは段違いだな、と思う。油断していると、人混みに押されてしまいそうだし、何より、人に酔いそうだった。
「早いところ、会場の大学行って、そして、ホテルへ向かおう」
スマホの地図アプリも活用しながら、久しぶりの京都を歩くけど、やっぱり住んでいたのがほんの数年だったから忘れていることもそれなりにあった。「あ、こっちからこっちへ行くんだね」と確認しつつバスに乗って会場へ向かう。
正門前には「令和×年度共通テスト追試験会場」という看板が掲げられており、私は背筋を伸ばす。そして、校内に立ち入って、試験会場図を見て確認。そして、その場所も確認が終わると時計は14時30分を指していた。
「あ…お昼食べ損ねてた」
そう、復習に熱中しすぎて、お昼ご飯を食べていなかった。そのことを自覚すると、お腹がちょっと鳴る。ああぁ、恥ずかしい。でも、周りに人がいなくて助かった。
このあたりの地理に自信がないから、近くに見えたコンビニエンスストアに入ってパンとサラダ、ウーロン茶を購入して、ひとまずリュックサックに詰めた。
今からホテルに向かえばチェックインの時間になっているはずだから、そこで食べてしまおうと思い、通りかかったタクシーを呼び止めてホテルに向かった。
15分ほど走ってホテルに着く。チェックインをすませると部屋に行き、荷物を下ろす。そして、すぐさま慎吾とお父さん、綸子にメッセージを飛ばした。
『お疲れ様!ゆっくり休んで明日に備えてね』『早めに寝て明日に備えるんだぞ』『お姉ちゃん、頑張って!』
それぞれ、三者三様、暖かいメッセージをくれて、勇気が湧いてくる。
購入したパンとサラダを一気に食べると、ちょっと眠気が襲ってきたから横になる。
…
ハッとして目を覚ますと、時計は夜の17時を回っていて、もうすでに、夜の帳が降ろされていた。
「あ~あ、寝ちゃった。…インフルの病み上がりで体力落ちてるからかなぁ。なんだか疲れちゃってたんだよね」
そう独りごちてから、カバンから国語の参考書を取り出して、確認をする。
明日受けるのは、国語と英語。地歴公民は受けているから免除で、10時くらいに会場に入っていれば問題ないとのことだったから、明日の朝もゆっくりしていられる。
集中。
うん、ほどよく集中して勉強できた。時計を確認すると、19時を回っていた。
「そろそろ夕食だね。でも、あまりお腹は減ってないかな。夕食バイキングで軽くつまむ程度にしよう」
そう思い、ホテルのレストランへ行く。たくさんの種類の食事が並んでいるけど、その中でも軽くつまめるご飯に唐揚げ、コールスローサラダをとり、飲み物はグレープフルーツジュース。デザートは…考えておこう。
そして、窓際の2人が合い向かいで食べるテーブルに一人腰掛け、夕食を頬張る。
そこに、所在なげにしている男の人が私の席を見つけたみたいで、「相席しても良いですか?」と聞いてくる。確かに、レストランは満員だったから、「どうぞ」と答えると、その人は「ありがとう。学生さん。入試かな?」と聞いてきた。
「はい、そうですね」
あまり個人的なところまでは言わないように少しはぐらかせて答える。その人は、「そっか、県外から受けに来たようだけど、大変だね。」と言ったきり、夕食を食べるのに一生懸命なのか、それ以上話をしてくることはなかった。
私は食べ終わると、「お先に失礼しますね」と言って、席を立った。男の人は、「はい、入試頑張ってね」と言って、微笑んだ。
その表情や仕草がなんだか慎吾を彷彿とさせて、なんか、少し申し訳ない気分になったけど、必要最低限の接触に止めたのは正解だったと思う。
その後も22時まで勉強し、シャワーを浴びて23時には床に就いた。
2日間は、あっという間に過ぎていった。
それはそうだ。60分や80分の試験時間に加えて、その間の休憩時間も含め、すべての日程が終わるのは、18時だから。
1日目はそれこそ終わると同時に大学を出て、ホテルへ直行。何事もなく夕飯を食べて、前日と同じように23時には寝た。
でも、2日目の終了後、会場の建物を出ようとした私に、男の人が2人話しかけてきた。
「昨日から君のこと気になっていたんだよね。一人なんでしょ?共テ終わったし、今から晩ご飯一緒に行かない?」
なんて声をかけられて、私は内心パニックになる。
(そっか、慎吾やお父さんはこれを心配していたんだね)
そう思うとふと冷静になる。試験後、教室を出る前にちゃんとアイテムを装備してある。
左手薬指に輝くそのアイテムを二人に見せ、言いたいことを言わせてもらう。
「生憎だけど、私には婚約者がいるのでその誘いを承る訳にはいきません。他を当たってください。それでは、失礼しますね」
そしてすぐに身を翻して早足で建物を出る。二人は指輪を見て驚いたようだったけど、気を取り直したみたいで、すぐに追いかけてくる。
「あんな上玉、諦めきれないぜ」「ああ。彼氏がいようが関係ない」
そんなことを言いながら、私に一歩一歩近づこうとする。…なんて浅ましい人たちなんだろう。そんな人たちに従う必要はないので、私は早足から更に加速して、走って正門へ向かうことにした。その時、スマホの通知音が鳴る。ちらっと見ると、慎吾から。それも、「どっちから出る?正門?」と聞いてきているから、ちょっと驚きつつ、正門へ向かった。
その間も、後ろから少しずつ二人組が迫ってきている。その距離、約5メートルくらい。
「ホント、しつこいなぁ」
私はそう言いながら正門を出ると、「更紗!」という聞き覚えのある声。
え?まさか?ホントに?
私はその声の方に顔を向ける。そこにはやっぱり、慎吾の姿。
「慎吾!どうして?と言うか、助けて!」
私は慎吾の背後に回り、慎吾の肩に手を置く。その瞬間、正門から出てきた二人組も、私の姿を見る。
「?誰だ、この男…?」
「…彼氏かよ?」
その様子を見て、慎吾は「やっぱりここまで迎えに来て正解だった」と言うと、二人に向かって、「この子に手を出すな。僕の彼女だ。婚約者だ」と告げる。
二人は面食らったみたいで、少し動揺したけど、
「いやいや、嘘だろ?通りかかった人に頼んでいるだけじゃね?」「兄ちゃん、その娘俺たちに渡してくれよ」
と言うから、慎吾の身体に力が入るのが分かった。…ガチギレモードに入ってしまったみたいだ。その状態になった慎吾は、戦闘態勢になった証拠だから、私はあえて距離をとる。
「お前達…この子は僕の婚約者だって言ってるんだよ…絶対に渡さない」
先ほどとは違った低く力の入った声に、二人はかなり動揺するけど、「だからどうしたってんだよ!」と一人が慎吾の胸ぐらを掴もうと手を伸ばすと、慎吾はその手を取って軽くひねると「いって!」とその人は倒れた。
「てめぇ!」
もう一人が慎吾に襲いかかろうとするけど、慎吾がその人の目の前に手を広げるとひるんでしまったらしく、「うわっ!」と叫びながら慎吾の手を避けるようにしゃがみ込んでしまう。
「と言う訳で、これ以上何かしようとしないでくださいね。さ、行こう」
慎吾は軽蔑のまなざしを二人に向けた後、私の方を向く。その顔はもう殺気がなく私に会えたうれしさが勝っているのか、ニコニコしていた。
「うん、ありがとう迎えに来てくれて。でも、どうやって?」
私がお礼を言うと、慎吾は種明かしをしてくれた。
「更紗のお父さんが一緒に行けなくなったからどうしようという相談をね、父さん母さんにしたんだよ。で、『泊まるのはダメだけど、迎えに行くなら良い』と母さんに許可をもらってきた訳。帰りの切符は、お父さんがキャンセルした後で、その席を僕の方で…と言うか、父さんに取ってもらったんだ。だから、帰りの列車も隣同士だよ」
なんて用意周到な…お父さん、親同士で考えたんだろうなと思うと、ちょっとありがたいけど、それなら教えてほしかったなという気持ちもあって、複雑。
「それなら慎吾も教えてよぉ」
と言うけど、慎吾は涼しい顔で、「だって驚かせたかったし」って。もう、ホントに…。
「もう、これは罰よ、罰。私を最後まで無事に送り届けてよね!」
私がそう言うと慎吾は、
「勿論。任せて…と言いたいところだけど」
とちょっと困った表情を浮かべる。
「?」
私もちょっと慎吾の真意を測りかねて、首をかしげると、
「京都って初めてで、ここからどうやって帰ったら良いか分からないから、タクシー呼んでいい?」
と言うものだから、私は思わず「あははっ」って笑ってしまってから、「勿論良いよ。すぐ捕まえられると思う。あ、ほら、来たよ!」と伝える。
慎吾は、右手を挙げてタクシーを止め、「京都駅まで」と言いながら私を先に乗せてくれた。
タクシーの運転手さんは気さくで、「京都旅行?今から帰るの?」って聞いてきたから、「共テの追試だったんです。これから帰ります」と言うと、「そりゃ大変だったね~お疲れさん」って軽い調子で言ってもらった。
京都駅に着いて正面が、乗る特急が止まるホーム。私たちは切符を自動改札機に入れてホームに入り、電車が来るのを待つ。そして、特急に乗り込んだら、駅で買った夕食を食べる。勿論夕食購入と同時に、家族と東条家の皆さん、矢野くんに夢衣ちゃん、和子さんに紗友梨さん、そして、共テ本試の時に体調を気遣ってもらった角田さんへのお土産も買い込んでおいた。
夕飯を食べ終わったら、また眠くなってきた。
「?更紗、眠い?」
慎吾が聞いてくると私は頷いて、「うん、ちょっと、寝るね」と伝える。慎吾は、「分かった。乗換駅に着くちょっと前に起こすね」と言って私の頭を撫でる。
その暖かさに私は安心して、少しの間の眠りに就く。
夢を見た。
私と慎吾が、揃って合格発表を見る夢を。
二人とも合格して、お互い抱き合って喜んでいる。
そんな未来が来ることを、私は心から願っている――
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コメント
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コメントを書く鳥原波
ありがとうございました♪いろいろと共感していただけたのがとてもうれしく思います!さて、いよいよ次で一通りの完結を迎えます。年内アップの予定です!
ノベルバユーザー617419
今回も山あり谷あり(ちょっぴりオチあり)それらを2人「で」乗り越える話に元気をいただきました☆
あと何気に共感するとこがいっぱい♪
映画を「また」見に行く (ウンいくいく)
「ベリー苦しみます」 (ウン言った言った)
音ゲーのレベル下がったら?(ウンつぎ来るスケジュール立てるわ)
(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ウンウンそのとぉ~り!うなずきながら読ませたいただきました☆
そして更紗と食事をした謎の人物…(わくわく)
次回も楽しみに待ってます♪