臨魁学園物語――転校生とガチ恋をして、二人で幸せになる話――

鳥原波

16章 51週~56週 お父さんの手術を乗り越え、1周年。そして、進路を決める。

 お父さんの手術は、私たちの最高の瞬間だった学園祭の1週間後の土曜日に行われた。
 お父さんの気分も体調も、私たちの幸せな時間を見てとても上がったようで、主治医からも、「頑張って、治しましょう!希望はあります!」と力強く言ってくれたから、お父さんも「はい!」と頷いて、私と綸子は勿論、慎吾や慎吾のご両親にも見送られて、手術室へ入っていった。
 手術中は勿論じっと待っているしかない。頼りの叔父さんも、今日はどうしても抜けられない出張が入ってしまっているので、大変申し訳ないが二人で付き添って欲しい、翌日には行くからということで、今日はいない。そういうこともあって、頼りになる人たちの中でも、一番近い身内がいないから、気が気じゃないからソワソワしてしまう。
 スマホで音ゲーアプリをポチポチしたり、友達――夢衣ちゃん、和子さん、紗友梨さん――にライナーでメッセージを送ってチャットしたりして気を紛らわせるけど、やっぱりそれも身が入らないんだ。だから「ゴメンね、ちょっと抜けるね」と告げて、一旦チャットから抜ける。そのあとの通知で、「はい、無理しないで下さい。またいつでも会話しに来て下さい」と夢衣ちゃんからのメッセージを見てありがたいなと思った。
 だって、お父さんが今、扉の向こうで意識なく手術を受けている。大丈夫だと言われていても、もし何かしらのミスがあったら、もし何かしらの要因で手術ができなくなったら、そんな悪い方に思ってしまうから。
 そんな私の心配をすぐ側にいる慎吾は察してくれて、「大丈夫だよ。もし、心配でするソワソワしちゃうなら、ちょっと売店でも行こうか?付き合うよ」と申し出てくれる。
 私はそんな慎吾の優しさに、「うん、ありがとう。一緒に来てくれる?」と頼った。
 それとともに慎吾は立ち上がると私の頭に大きな右手を乗せて、「じゃ、行こう」と私が立つと彼は右手をそのまま私の肩へと下ろして歩き出す。
「ちょ、恥ずかしいよぉ…」
 私の抗議には耳を貸さずに、慎吾は私を連れて行く。私の心音が、慎吾に聞こえてしまうんじゃないかってくらい、恥ずかしさと心配で高鳴っていた。
「大丈夫大丈夫、誰にも見られてないから」
 軽く慎吾は言うけど、監視カメラだってあるから、どこにでも目はあるようなものだよ?
 そう慎吾に伝えると、「それもそうか」と言うけど、慎吾は私の肩を抱いたまま。
 だから私は「どうして?」と聞いてしまうけど、慎吾の答えは私が想定したものよりも重かった。
「さっきからずっと上の空で、お父さんのことが心配なの、分かるよ。だからこそ、僕は更紗が心配なんだよ。そのままふらっとどこかへ行ってしまいそうで、そのまま僕の手から離れていくような感じがして、ちょっと、怖いんだ。だから、こうしてちゃんと更紗が『そこにいる』ことを感じたかったんだよ」
 そんな言葉を聞いて、私は、「重いよ、慎吾…どうしちゃったの」と更に聞いてしまう。
 すると慎吾はちょっと真剣な表情で、
「やっぱり、なまじあのコンテストで優勝してしまってから、なんか不安になるんだよね…これで、僕たちは学園公認の、学園で一番の彼氏彼女だと自他共に認められたから『絶対に別れちゃいけない』って、自分にプレッシャーがかかるというかさ…更紗を離したくないっていう思いがよりいっそう強くなったというか…」
と、話していくうちに真剣な表情が少しずつ暗くなっていく。私は、そんな告白をしてくれた慎吾に、クスッと笑う。そんな私に、慎吾は「ん?」と怪訝そうな顔をする。その鼻先に向けて人差し指を当てて、
「大丈夫だよ。私は今、慎吾と別れる要素なんて何一つ、1ミリもないよ。そんな不安がってたら、こっちが不安になっちゃう。ほら、元気を出す出す!」
 私はそう言いながら、空いている左手で、慎吾の背中をちょっと強めに「ぽん!」と叩いた。
 「うっ」と慎吾は少しうめくけど、抱き寄せていた右腕を離して、「それならいいんだけどね」と少し表情が戻る。そんな慎吾に、私のお父さんに対する心配よりも、慎吾のその重さが気になってしまって、私としてはそれで良かったんだと思う。
「ありがとう、慎吾。大丈夫だよ。慎吾になんの心配もしてないから。慎吾の私への優しさで、お父さんへの心配も少しほぐれたよ。でも、喉は渇いたから、売店に行って、炭酸でも買おうよ。奢ってね」
 そう言ってウィンクすると、慎吾は「ああ、ゴメン…なんか、変なところで小心なんだよな」と苦い顔で言うけど、すぐ笑顔になる。
「プレッシャーは、感じてもはねのける。そうしないとあと半年もしないうちに受験だよ?その前に共通テストだってあるんだからね。プレッシャーに負けないでよ」
 私の追撃に、慎吾は「うん、頑張る」と頷いただけで、ちょっと頼りない。でも、それだけ本気で気にしていたんだろうと思うと、それも仕方のないことなのかなと思った。
 学園祭のあの後から、会う友だち会う友だちみんなに「おめでとう」だの、「羨ましい、ウェディングドレス」だの、「いつまでも仲良くね」だのと言われると、慎吾の言うとおり、それはプレッシャーになるのかもしれない。…実は、私はそんなに感じていなかったのだけど、慎吾はそういう所で人の気持ちを敏感に察知していたから、余計に考えてしまったのだろうな、と思う。だから、そのプレッシャーは、私が助けて撥ね除けていこう、そう思った。
 そして、慎吾に新発売というポップが立っていたリンゴ炭酸のジュースを買ってもらって、手術室に戻る。その時は、慎吾は肩を抱かずに、手を繋いでくれた。
 手術時間は4~5時間と聞いていた。戻ってきたところでようやく1時間半が経過したところだけど、私は心の中で「大丈夫」と言い聞かせて普段通りすごそうと思うようになっていた。
 だから、そう思ってから時間が過ぎるのがいつも通りになって、慎吾と小声で話をしながら一緒に音ゲーしたり、学校の宿題で数学の分からないところを教えてもらったりした。音ゲーは最近腕前が上がってきて、今日はたまたま、慎吾がフルコンボできていない曲を慎吾の目の前でまぐれでフルコンボして、「おー、すごい!」と小声でハイタッチしたっけ。
 でも、そろそろ受験に対して真剣に取り組んでいかないといけないから、志望校が決まったら一旦ゲームアプリは全部削除(勿論、アカウントは残しておくよ)して、勉強に集中するつもり。
 数学は、相変わらず慎吾の助けが必要なんだけど、数学Ⅰの分野はだいぶん理解できてきて、マーク模試なら70点くらい取れるようになってきた。あとは、ⅡBCの分野を5,60点くらい取れるようになれば、へこみは少なくなるだろうけど、まだ30~40点台だから、これからも頑張っていかないとね。
 慎吾は、『大丈夫、まだ間に合う。更紗は筋が良いから、共テまでに十分それだけの点数を取れるようになるよ。僕が保証する』と言ってくれるから、自信がついてくる。一方慎吾も、苦手な英語の点数が上がってきている。と言っても、100点で40点くらいしか取れなかったのが、55点くらい取れるようになってきた感じ。それでもやっぱり自信にはなったようで、『更紗のおかげ。本当に感謝』と言ってくれる。
 お互いに集中して勉強しているうちに手術は終わったみたいで、綸子が「あっ、手術ランプ消えたよ」という言葉に私も慎吾も驚いて一気に勉強道具を片付ける。片付け終わると同時に、主治医の先生とお父さんが出てきた。
「お、おとうさん!」「おとうさん、おかえり!」
 眠っているお父さんに声をかけるけど、勿論返事はない。私と綸子は、主治医の先生に視線を向ける。すると、先生は暖かくにっこりと笑って、
「大丈夫だよ。悪いところはちゃんと切り取れた。リハビリすれば、すぐ社会復帰できるよ」
と言うから私は「良かったぁ」とホッとして、綸子と抱き合って喜んだ。慎吾も、
「良かったぁ~」
と、本当にホッとした表情で、抱き合っている私と綸子の背中を両手でポンポンと軽く叩いて喜びを表現していた。
「慎吾さん、ありがとうございます」
 綸子も半泣きで慎吾にお礼を言っていた。
 2,3日はICUにいて経過観察をすると言うことで、今日の面会はここまでだったけど、翌日からは30分だけ、ICU内で面会ができた。そして叔父さんも福岡から仕事終わり即夜行バスとJRで午前中のうちに来てくれて、「玄佑、よく頑張ったな」と言ってお父さんの右手を握ってたんだ。
 ICUを出たお父さんは、胃の切除もあって食欲があまりなくてはじめは結構やせてしまっていたけど、少しずつ病院食(思いの外美味しいらしい)を食べられるようになってきたら元気になってきた。
 それから叔父さんは1週間ほど有休を取って、ホテルに泊まりながらお父さんのお見舞いをしてくれた。本当に叔父さんには感謝している。

 叔父さんが帰ってからも、私と綸子は毎日、慎吾は月水金で見舞いをしていた。お父さんの顔色もずいぶん良くなって、検査の結果も良いみたい。だから、9月の終わりが見えてきたところで、退院がそろそろになるかもしれないと主治医の先生がお父さんに告げていた。
 10月に入ってすぐの検査で数値が良ければ退院だと聞いて、私と綸子は喜ぶ。慎吾も喜んでいたし、東条家のみなさんも「良かったねぇ」とホット胸をなで下ろしてくれた。
 そして、こちらの心配もなくなってきたから、小児外科の病棟に出向いて、邑ちゃんと話をする時間も確保できるようになる。彼女の方も大分回復してきたみたいで、年内には退院できるかもと言うことらしい。そうなると、お父さんの方が先に退院するから、その後はお父さんの体調と相談しながら、週に1,2度のお見舞いになるかなって相談すると、
「ママから聞いたけど、更紗お姉さんはこれから受験って大変な時期になるんでしょ?それなら私と話すより勉強する方が大切なんじゃない?」
と言う正論を言われてちょっと驚いた。「でも、これもまた夢へ向かう私にとって大切なことなんだよ」と言って、「どうして?」と聞かれたから、
「私、邑ちゃんみたいな入院しているけど、勉強を頑張りたいという子ども達の先生になりたいんだ。だから、邑ちゃんがどう考えて、どう感じているか、聞きたいと思っているの。だから、これからもお話しさせて欲しいな、せめて邑ちゃんが退院するまでは」と答えて、邑ちゃんは目を丸くしていたっけ。でも、
「退院した後もお話ししたいよ、私は」
と嬉しいことを言ってくれたから、私のライナーのIDと電話番号を教えちゃった。邑ちゃんは、スマホは持っていないけど、お母さんが持ってくるタブレット(使いすぎ防止のため、面会時間が終わると持って帰ってしまうんだって)でお友達とライナーをしているって。だから、明日からは邑ちゃんと離れてもライナーでお喋りができるようになるみたいだ。
 邑ちゃんとの時間も、すごく大事だし、楽しいから、これからも仲良くしていきたいと思っている。
 一方で学校の方は、学園祭の余韻も去って私達3年生はいよいよ受験に向けて本腰を入れていく。尤も、東大や京大、早稲田や慶応などの難関大学を受ける生徒達は、それは3年生になる前からずっと対策を始めている。学園のトップ層の大半が、そんな子達だ。
 でも、私や慎吾のようにそこまでの大学は狙ってない層は、これからが本番で本気を出す頃合い。だから、スマホのアプリも一旦削除して、再インストールしていないかお互い定期的にチェックすることで話はしているし、そして一番重要なこの学園にそのまま上がるのか、それとも他の大学を目指すのか、話し合いをして早く決めようとしている。
 どこにするかの鍵は、私の目標となった、特別支援教育がどこまで充実しているかと言うこと。チェックした大学の大半が、付属(附属)特別支援学校も運営しているから、病弱の特別支援教育を扱っているかどうかを中心に見ていた。
 すると、候補はいくつかに絞られ、その中の一つにやっぱり臨魁大学がある。
 だから、私と慎吾としては、臨魁大学にそのまま上がるのが理想かなって話にはなっている。矢野くんも以前話にあった弓道部の成績からインカレに臨魁大学として出てほしいというオファー(それも特待生待遇で授業料免除)があってそれを了承しているから、夢衣ちゃんもそのまま一緒に上がる。
 特に何もなければ、このまま仲良し4人組は、大学もそのまま変わらずいられるんだと思う。そのことを慎吾と帰り際に話すと、
「そうなんだよね。幸弘も最初は県外の国公立って言っていたくせに、気づけば臨魁大学だよ。まぁ、あの部活の成績を見たら、学園もほっときはしないよなぁ」
とため息をつきながら言う。
「弓道って、たいていは高校の部活で始める人が多いんでしょ?それであそこまで成績を残せるんだから、すごいって思うの」
と私が言うと、慎吾は真剣な瞳で、
「うん、だから、正直なところ嫉妬も入っているんだよね。5年以上やってもなかなか上手くならない自分と比較してさ」
と言うから、私は慎吾に「めっ」と言って、
「弓道は的に当てるから、自分との戦い。バドは自分とも勿論戦うけど、相手との戦い。そもそも全く毛色の違うスポーツで比較することが間違いだと思うよ。そんな嫉妬は引っ込めちゃってね」
と続けると、「そうか、そうだね」と慎吾は納得してくれた。
 そして、慎吾の家で綸子と夕食をご馳走になって食器をキッチンに運んで戻ろうとしたところでカレンダーが目に入ったんだ。
「あ、もうすぐ1年なんだね…」
 そう、私たちがこの街に引っ越してきてからもうすぐ1年だ。思わずそんな言葉が口をついて出た。
 私の言葉に慎吾は反応する。
「そう言えば、何日に引っ越してきたのかは今まで聞いたことなかったね。転校してきたのは、10月の第3月曜日だから…去年は16日だったのはちゃんと覚えているよ。更紗を初めて見て、初めて話をして、初めて一緒に帰った日。更紗が入ってきた瞬間からその日の一日は、今でも鮮明に思い出せるよ」
 慎吾は、どれだけ私のことを好きでいてくれるのだろう。そう言ってくれるのは、私も嬉しかった。
「慎吾さん、どれだけお姉ちゃんのこと好きなんですか…」
 綸子がちょっと呆れた口調で私が思ったことを言う。
「綸子も、私が思ったことを言わないでよ…」
「あれ?お姉ちゃん同じこと思ったんだ。愛されてるねぇ、うりうり」
 綸子は私の背中に左の肘を当ててくる。そんな綸子を止めながら、
「こら綸子やめて。慎吾、そう言えば話したことなかったね。えっと、来たのはね、その前の週の3連休の時だよ。9月の終わりに、京都の学校のみんなにお別れをして、1週間ずっと準備して、それから引っ越してきたんだ」
と慎吾に答える。すると慎吾は、
「やっぱり引っ越しって準備する方が大変?必要なものと不必要なものを分けなくちゃいけないんだよね…?」
と言うから、私も綸子も一緒になって頷いて、
「そう、それが一番大変だったなぁ。とは言っても、すでに2回引っ越ししていたからそんなに荷物は多くなかったんだけど、やっぱりそれでも悩んだんだよね」
「お母さんの持っていた道具とかは極力捨てたくなかったし。化粧品や姿見もどうかと思ったんですけど、やっぱりお母さんの一部がなくなる気がしたから悩んだけど、持ってきました」
「自分の分はさっさと片付けられたんだけどね」
と二人でそう慎吾やお父さん、皿洗いが終わって戻ってきたお母さん(伊緒奈お姉さんはバイトだった)に話をすると、
「そうだね。僕達もこの家に引っ越したときは、荷ほどきよりも荷造りに時間がかかった…というか、荷ほどきは時間をかけてできたから良かったけど、荷造りは予約した日までにある程度どうするか決めなくちゃいけなかったから、ちょっと悩んだよなぁ」
とお父さんが言うけど、お母さんは、
「何言っているのよ。荷ほどきの後始末なんて、ほぼほぼ私がやっていたじゃないの。荷造りも悩むだけ悩んで、あとは業者に丸投げしていたくせに」
とため息交じりに言って、お父さんは引きつった笑みで「は、ははは…」と笑うしかなかったみたい。慎吾は「そんなんだったんだ」とちょっとジト目になってお父さんを看ていて、思わず笑みがこぼれてしまう。こういう親子仲も良いよね。
「まぁ、それはとにかくとして、じゃ、今度の三連休の時に引っ越し1周年と二人が出会って1周年のパーティーでもしましょう。腕によりをかけて作るわよ」
 突如、お母さんからそんな提案をされて、私と慎吾、そして綸子はちょっとびっくりしてしまう。
「そんな……」
と私が絶句すると、
「だって、更紗ちゃんと綸子ちゃんがここに来てくれたから、慎吾も新たな出会いがあって、より成長したと思うの。二人…いや、お父さんも呼んで、快気祝いも兼ねてパーティーよ」
とさらに追撃がくる。
 その勢いに私も綸子もタジタジになって、
「よろしくお願いします。でも、私たちにも手伝わせて下さいね」
というより他がなかった。
 本当に、慎吾のお母さんは私たちのお母さんのように物静かなタイプではないけど、行動の端々に、私たちを娘としてみてくれる様子が見えて、そしてその醸し出す雰囲気がお母さんにとてもよく似ていて、とっても嬉しかった。
 そして、お母さんにいつものように送ってもらって家に入る。
「先にシャワー浴びて良い?お姉ちゃん」
 綸子がそうねだるから、私は「良いよ」と返事をする。
「…3連休、楽しみだね!」
 綸子の顔は、とても明るい。2学期に入って大浦くんととうとう付き合うことになった。だけど、他の女子からそれが原因でちょっと特定のメンバーから目をつけられているらしいのだけど、そこは綸子も上手く立ち回って、大浦君からその女子達に注意してもらったり、そのあとの反撃に備えて慎吾からあの暗くても撮れる隠しカメラを借りて鞄に忍ばせていたりして自衛している。大したものだな、と感心する。
「でも、連休だからデートくらいはするでしょ?」
と私が聞くと、綸子は頷いて、「勿論図書館デートの予定だよ。中間考査近いしさ。お姉ちゃんもそのつもりでしょ?」というものだから、「さすが綸子、お見通しね。とは言っても、矢野くんと夢衣ちゃんも一緒だけど。こっちも中間考査が近いからね」と麦茶をコップに注ぎながら彼女の言ったことを肯定する。
「そうなんだね。分かった。それじゃ、お先に」
 綸子は着替えとタオルを持って、脱衣所へと消えていった。
「ふぅ…」
 私はリビングの椅子に腰掛けて、麦茶を一口飲む。
 ちょっとした苦みの中にほのかに香る甘みが鼻腔をくすぐる。
「おいし」
 もう一回少し大きめに息を吐いて、もうちょっとで1年経つこの街での月日を振り返る。
 慎吾と出会った転校初日。中田くんにナンパされたところを助けてくれた。
 翌日も、また更に翌日も、思い出すのは慎吾に助けてもらったこと。紗友梨さんや和子さん、夢衣ちゃんにも励ましてもらっていたこと。
 バドミントン部に入って一生懸命汗を流したこと。
 慎吾の告白を、一度は断ったけど、2週間後に私から告白し直して付き合うことになったこと。
 初めて意見が合わなくて…というか一方的に私が慎吾を責めてしまってつきあい始めて間がないのに喧嘩してしまったこと。
 デートを重ねていったこと。年末の観覧車で初めてキスをしたこと。
 まともに積もった雪を初めて見て興奮したこと。
 2月の試合で負けたとは言え、準優勝したこと。
 3年になって、クラスが別れてしまったこと。
 可愛い後輩が入学してきた一方で、もう少しのところで襲われそうになったこと。そんなときに慎吾が助けてくれたこと。
 インターハイ予選では負けてしまったけど全力を出しきって後悔はなかったことや、修学旅行を大いに楽しんだりしたこと。
 …思い出したくないけど、必ず思い出さないといけない反省すべきこと。
 色んなことがあった。自分が傷ついたり、慎吾を傷つけてしまったこともあった。
 そして、学園祭のベストカップルとして、ウェディングドレスを着させてもらったこと。今も、このドレスは私の部屋のクローゼットにしまってある。…いつか、これを着て…と妄想することもある。
 そんな時間を過ごしていたんだ、思い出すだけですごくたくさん会って、この1年とっても充実していたんだな、と私は思った。




 僕と更紗が出会ってもうすぐ1年か。なんだか、あっという間だったんだけど濃密な時間をともに過ごせた気がする。それは、同じ方向を向いて色々と二人で行動していたからなのだろうなと思う。…あのとき以外は。
 でも、そのあたりは吹っ切れたし、今幸せなんだからそれでいい。ただ、やっぱり不安な気持ちもあるわけで…。ベストカップルとして別れてはいけないし、別れるつもりもないけど、何かの要因でそうなってしまうのが怖い。
 更紗のお父さんの手術の日、あまりにも緊張と不安でガチガチだった更紗は、本当に何もしなかったらどこかへ行ってしまいそうだった。だから、肩を抱いて存在を確認した。それを更紗は「重い」って言っていたけど、でも、僕の気持ちも汲んでくれて否定しなかった。
 それが、どれだけ僕としても励みになっただろう。
 お父さんの手術は無事成功して、更紗の緊張も少し解けたみたいで表情も明るくなってよかったなぁ~と胸をなで下ろした。
 そして、10月に入ると、その少し前に僕の家に話題になった、大原家がこの街に引っ越してきて1周年記念パーティーも近づいてくる。
 でも、その前にやるべきことがある。
 …共通テストの出願だ。
 10月の第1週の間が出願期間になっている。
 受けないという選択肢はない。受けないと国立大学は受けられないし、勿論、臨魁大学を受けるにしても、共通テストの点数で決まる入試形式もあるから、受けるチャンスを増やす意味でも、共通テストは必須だ。
 尤も、臨魁大学は内部進学だから、よほどの失敗をしない限りは合格するとは思う。だけど、油断は禁物だ。余裕でいたのに入試で失敗して臨魁大学ですら受からず浪人した先輩がいるということを春日先生から聞いているから、点数は大事なんだ。
 だからこそ、気を抜いてはいけないし、出願する書類も念には念を入れる。僕は理系だから、社会は1つに、理科を2つ。更紗は文系だから、社会は2つに理科を1つ。さらに、今年度から導入された情報にもチェックを入れて、書類に間違いがないか、まず僕と更紗でダブルチェック。それから、それぞれの担任の先生にもチェックしてもらった。
 書類に不備がなければそのまま学校から出願をしてくれるから、あとは受験料を納めてその納付した証明書を出願書類に貼ってから改めて提出すれば良い。
 更紗はお金を自分で用意すると思うけど、僕は母さんにお願いしないと。やはりキャッシュカードはまだ持たせてくれなくて、大学生になってからと言う約束だから、自分のお金(これまで貯めていたお年玉とか)を自由にできないもどかしさはある。でも、それは仕方がない。更紗は成人したけど、僕自身は成人まであと1ヶ月弱あるからね。
「取りあえず、一つ大変なのは終わったかな」
 僕が言うと、更紗は頷く。
「そうね。こう言うのって結構緊張するんだね。初めて書いたから、間違えないか不安だったよ」
 その言葉に僕も微笑んで、
「そうだね。僕も不安だった。でも、春日先生に『大丈夫、合ってるよ』って言われてやっと安心できたからね」
「うん、それは私も南東先生にそう言ってもらって安心したわ」
 そして僕たちは声を合わせて笑う。
 それから程なくして、更紗のお父さんは退院できた。
 その日は土曜日で、3連休の初日。実は、高3は模擬試験があったから、その日の16時くらいに退院の時間を設定してもらっていた。僕も一緒に行って、荷物持ちをすることになっている。病院への道すがら、
「いつもありがとね、慎吾。本当にこの1ヶ月半助かったよ」
 更紗の言葉に僕はちょっと照れつつも、
「更紗もお父さんがいないのに綸子ちゃんと二人で家を切り盛りして大変だったと思うよ。頑張ったね」
と返すと、更紗は「えへへ…」と照れ笑い。本当に笑顔が絶えない、良い関係をずっと続けられていて幸せだな、と思う。
 退院前に、更紗は邑ちゃんに挨拶するつもりらしくて、少しだけ時間を取らせてほしいと言っていたから、それは僕もお父さんも、綸子ちゃんも承諾している。なので、退院の時間より少しだけ早めに着くように、僕たちは病院へ向かっていた。
 15時半には病院に着いて、更紗は邑ちゃんのところへ。僕はお父さんのところへ向かう。
 個室の扉をノックして、「どうぞ」の声が聞こえてから入ると、そこには既に私服に着替えて帰る気満々のお父さんもいたけど、綸子ちゃんもいた。
「こんにちは、お父さん。退院おめでとうございます。綸子ちゃん、良かったね」
 そう告げると二人とも笑って、
「ありがとう、慎吾くん」「ありがとうございます、慎吾さん。お姉ちゃんは邑ちゃんのところですよね?」と言うから、僕は綸子ちゃんの言葉に肯定しつつお父さんに、「ここにあるカバンを持っていけばいいんですよね?」と確認する。
「そうだね、頼むよ慎吾くん」
 お父さんの言葉に僕は「はい」と返事して、着替えなどが入っているであろうボストンバッグを担ぐ。
 …意外と重い。行く時はこれくらいあったっけ?と思っていると、その僕の表情から察したのか、
「ゴメン、ちょっと重いな。購買で買った雑誌も入っているからね」
と言うお父さんの声に、僕は納得した。だから僕は、
「大丈夫ですよ。これくらいなんてことないです」
と返して、バッグを担ぎ直した。
 更紗の家に帰ると、お父さんは感慨深げに「ただいま」とリビングに向けて声をかけた。
 そこに眠っているお母さんに声をかけたのだろう。
「お帰り、お父さん」
 更紗と綸子ちゃんの声がハモる。二人とも、ホッとした顔をしていた。
 時間はまだ夕方だから、夕飯までまだ間があると言うことで僕は荷ほどきのお手伝いをした。
 と言っても、お父さんの部屋に本の類を並べるぐらいだった。お父さんの部屋はきちんと整理整頓されていて、どこに何を戻せば良いのかすぐ分かった。ただ、買った雑誌類についてだけ、お父さんに「ここで良いよ」と言ってもらって、10分もかからずに終わってしまった。服はお父さんが片付けるから、部屋の床に置いておいてほしいと言われたので、そうした。
 それから、僕とお父さんはリビングに戻って、お父さんはそこにいた更紗に麦茶を要求していた。
「慎吾も飲む?」と更紗に聞かれて、僕は勿論「ありがとう。お願いできる?」と答える。更紗もその答えに満足そうに頷いて、僕の分も麦茶をよそって持って来てくれた。
「どうぞごゆっくり、男同士でね」
 そう言うと、更紗は一旦自分の部屋へ引っ込んでいった。綸子ちゃんも同様で、二人とも少し勉強をするらしい。
 …奇しくも、お父さんと二人きりになってしまった。
 このように、更紗のお父さんと二人になるのは初めてではなくて、病院で何回かあったけど、それらも更紗がトイレとかでほんの短い時間だった。今回は、それよりも長い時間二人で話をすることになりそうで、そう自覚するとよく知っている関係とは言え、なんだかちょっと気まずく思ってしまう。
「慎吾くん」
 お父さんの落ち着いた声に、僕は、「は、はい」と少し焦った声を出してしまう。
「どうしたんだい?緊張してる?」
 僕の心を見透かしたような声かけに、僕は思わず頷いてしまう。お父さんは「はは」と軽く笑って、
「もう、付き合いも1年近くになるのに、大丈夫だよ。別に怒ったりしていない。いや、それ以上にお礼を言いたくて、わざと更紗と綸子には自分の部屋に行ってもらったんだよ。なんとなく、娘達に聞かれるのは恥ずかしいというか、照れるというか…というのもあってね」
 お父さんの方から、二人に人払いを頼んでいたと知り、少し驚く。それも、お礼、さらに「というのも」も気になる…。
 僕がお父さんの真意を測りかねていると、お父さんは再び口を開く。
「私達家族がここに引っ越してきてもうすぐ1年。ずっと見てきて、慎吾くん、君は本当に、自分のことよりも更紗や綸子、私のことを想ってくれているのがよく分かったよ。
 引っ越してきて最初、君を初めて見た時から、正直言うと印象は悪くなかった。いいや、好印象だったよ。丁寧な口調、紳士的な更紗への接し方。そして、車好きで私の車と同じのに乗りたいと言ってくる少し夢見がちなところ。私はね、君のそういったところを気に入ったよ。
 更紗と喧嘩しても、自分が悪いと思ったところは素直に謝れるし、自分をすごくフレキシブルに変えていける。そんなところは、私も見習わないといけないなと思うくらいだ。
 本当に、更紗だけではなく、私達の心の支えになった。特に今回の入院、私も弱気になるところだったけど、あの学園祭でまたパワーをもらったんだ。どれだけ君は、そして、東条家のみなさんは、この私達家族を本当の家族同然に扱ってもらって、本当に頭が上がらない。ありがとう、慎吾くん」
 お父さんが頭を下げるから、僕は慌てて、
「お父さん、頭を上げてください。私はそんなたいしたことをしてないし、それが当然だと思っていただけなんですから」
と言うけど、お父さんは顔を上げると真剣な顔で、
「そう、その当然だと思ってできることがすごいんだよ?あまり言いたくないけど、最近の若い者って…うちの新入社員もそうなんだけど、淡泊というか、あまり人に対して興味がないというか…そんな感じの接し方で、あまり人と上手くやっていこうと思ってないというか…信頼関係を築くことが下手だなって思うんだ。その点、君や東条家のみなさんは正反対だ。しっかり見て、今何が必要か考えて判断して、接してくれている。それがどれだけ本当に安らぐか…。普段からそうしているから自覚はないのだろうけど、君や君の家族はそれだけ素晴らしいんだよ」
なんて手放しで家の家族含めて僕まで褒めてくれる。僕はそれにすっかり照れてしまった。だから素直に、
「そこまで仰ってくださるのは本当に、僕としても嬉しいことです。ありがとうございます」
と頭を下げる。するとお父さんは「そうやってすぐに謝辞も言えるところもまた良しだ」と言ってから、
「だから、次の連休初日のパーティーも、楽しみにしているよ。晴城くんには送り迎えで迷惑をかけるけど、よろしくお願いしますと伝えておいて欲しい」
と、来るパーティーを楽しみにしていてくれた。
「はい、必ず伝えます」
 僕がそう返事をすると、お父さんは柔らかい表情を一変させる。
「それでね」
 声のトーンも落として真剣な表情をするから、僕も身構えて、顔を少しお父さんの方に突き出し、「どうしましたか?」と同じくらい小声で聞く。どうやら、ここからが本題のように感じた。
「相談なんだが…慎吾くんはまだ成人してないんだっけ?」
「はい。今月末でようやく成人です。更紗とは3ヶ月近く遅いですね」
「そうか。で、相談というのはな、君は更紗と結婚をする意思はあるか、ということなんだ。どうだろう?」
 僕は目を見開いた。そんな相談をされるとは思わなかったんだ。でも、僕はあのときの誓いがあるから、
「学園祭でウェディングドレスの更紗を見た時に、僕は彼女に、『大原更紗という女性をずっと好きでいることを誓います!』と告げたのを見ていたと思います。それは勿論今も変わっていませんし、今回のお父さんの入院を通して、さらに絆が深まった気がしています。だから、いずれは僕自身は結婚できたら良いと思いますし、結婚したいです」
と告げた。するとお父さんはフッと柔らかい表情になって、
「そう言ってくれると信じていたよ。正直、今回の手術が成功したと言っても、5年生存率を考えると正直僕自身が不安でね。先月まさか娘のウェディングドレス姿を見ることになるとは思わなかったけど、でも、あの二人の姿を、今度はきちんとした式で見たいなと思ってる。だから、何年後になるかは置いておいて、そのことを誓ってくれたなら、それは僕として嬉しいね」
と言うから、僕はこくこく頷いて、「はい、またあの姿を見せられるよう頑張ります」
と僕は誓った。
 するとお父さんは身を翻して更紗のお母さんがまつられている飾り棚に向けて手を合わせると、「楓、更紗の相手が決まったよ。本当にいい青年だ。だから、安心してくれ。あとは、綸子だけど、俺の生きている間に彼氏ができると良いなぁ」と言う。その頬には、一筋、涙がこぼれていた。
 あ、綸子ちゃんのことは知らないんだと思うと、僕は「お父さん」と小声で話しかける。
「ん?」と僕の方を向いたから、「ここだけの話ですが、綸子ちゃんにも彼氏できましたよ。詳細は綸子ちゃんから聞いて下さい」と伝えると、お父さんは一言、「そうか」と言って、笑いながら涙をぬぐった。
 あぁ、こんな温かい人に、僕はなりたい。

 そう思う一日だった。




 お父さんが退院して2日経った、3連休の最終日。この日は私達大原家の引っ越し1周年記念と言うことで、慎吾の家にお呼ばれされていた。本来なら私達の方から招待するべきなんだと思って、慎吾のお母さんにもあの後「やっぱりいいですよ」と断ろうとしたのだけど、お母さんの方から、「だってお父さんも退院したばかりで色々あって余裕ないでしょ?だから、息抜きと思ってきてくれればいいのよ。それでも、と思うなら、お手伝いしてくれればそれでいいから」とも言ってくださったから、私と綸子でそうしようという結論になった。
 パーティーの時間は本当に楽しくて、お父さんも、慎吾のお父さんも無事に退院できたのが嬉しかったみたいで大いに話が盛り上がっていたし、そこに慎吾と晴城お兄さんも入っていって、あと1月半くらいあるF1の展望について、4人で熱く語り合っていた。
 私も私で、お母さん、伊緒奈お姉さん、優來お姉さん、綸子の5人でガールズトークに勤しんで、とっても楽しい時間を過ごすことができた。
 やっぱりお父さんが入院している間というのは、慣れていても安心して心から笑うということができなかったから、この日は久しぶりに心の底から笑うことができたと思う。綸子もそれは同じだったみたいで後から、「本当に楽しかったなぁ。あんなに笑ったの久しぶりだよ」と言っていた。

 そして、10月の末には慎吾が成人。18歳の誕生日を迎えたから、去年と同じようにケーキを手作りして慎吾の家に持っていき、みんなで食べた。綸子と協力して作ったこのケーキは、みんな大絶賛してくれて、本当に良かった。
 その間、実は週末のたびに模擬試験が入っていた。マーク模試が2回連続の後、記述模試も2回連続。そんなに模試をたくさんしなくちゃいけないものなのかなって不思議には思うけど、「データはたくさん取ることが大事。自分の得意不得意がある程度把握できるし、特にマーク模試で目標点を決めておくことで、本番にどれだけ取れるかの指標になるからと南東先生が授業中に言っていたこともあり、やりたくない気持ちを飲み込んだ。それに、「そりゃ、誰だってやりたくないと思うよ。でも、やらないとこの先の見通しも立たないからね」と慎吾に言われると、「あ、その通りかもしれないなぁ」と思って納得してしまう。
 だから、なんとかその4週間を気合いで乗り切ってから、ケーキを作ったんだ。
 そして11月に入る。この日は去年と同じようにいつもの4人で自学しに図書館へ行っていた。
(少しずつ、日が短くなってきたなぁ)
 そんなことを思いながら図書館から外を見る。
 既に太陽は明日までのしばしの休息に入り、銀色に輝く満月が東の空に見えた。
「慎吾、もうすぐ閉館だよ」
 私は隣に座っている慎吾にシャーペンの尻で彼の肩を突つきながら言った。慎吾はその言葉に、左手をかざして時計を覗く。彼のスマートウォッチを真似して、私も夏休みが終わる直前からスマートウォッチを購入した。同じ機種にしたのは、やっぱり色々と教えてくれるだろうと思ったから。その狙いは過たず、スマホとの同期の仕方や、初期画面の設定など、色々教えてくれたなぁ。
 私も彼に倣って時計をかざすと、時計の針は18時の3分前を指している。
「あら、本当だ。最近暗くなるのが早いから、時間の感覚が変になるね」
「そうよね」
 私の返事に慎吾はうなずくと、矢野くんとと夢衣ちゃんに視線を移した。
 彼等は、私の言葉を聞いてか、鞄に勉強道具を片付け始めていた。
 鞄にノートを放りこんで、矢野くんが慎吾に話しかけてきた。
「慎吾、帰りに本屋に寄らないか?」
「ああ、いいよ。更紗、一緒に来るかい?」
 いきなり話を振られてちょっとびっくりしたけど、
「ええ、もちろん。私も丁度行きたかったの。夢衣ちゃんも来るよね?」
 私は、たった今片付け終わった夢衣ちゃんに話を振った。
「はい、ご一緒させていただきます」
「決まりだな。それじゃ、行こうか」
 矢野くんがそう言うと、
「閉館時間です。また明日、頑張っていきましょう。忘れ物がないように気をつけてくださいね」
と言う司書の先生からのちょっと暖かいアナウンスが図書館に響く。
 私達はそれに従って速やかに図書館から出、玄関へ向かった。
「で、幸弘。何で本屋に行くんだ?」
「俺が毎月買っている雑誌の発売日と、おまえが言っていた漫画やラノベが出る日だろ?」
「あ、そうか!今の今まで忘れてた!サンキュー、幸弘」
 慎吾の反応に、後ろで並んで話していた私達はその様子を見てくすくす笑ってしまう。
「なんだよう」
 慎吾は私達の態度がちょっと気に入らないのか、拗ねた口調で聞いてきた。
「いえ、珍しいなって思ったんです。慎吾君でも、自分の好きなことを忘れることもあるのですね」
 夢衣ちゃんが珍しくそんなことを言うものだから、逆に説得力がある。
「う~ん、そうだなあ。まあ、僕にもそういうことがあるって。尤も、最近は電子書籍も読むようになったから紙媒体で買ことが減っていたから意識がちょっとなかったね」
「そっか。私はまだ紙で読むことしかしてないからなぁ」
 慎吾の言葉に私がそう言うと、
「私もまだ紙ですね。次のページをめくるわくわく感がありますから」
と夢衣ちゃんが、そして、
「…そもそも俺はあまり漫画とか小説とか読まないし、調べ物は電子書籍ではなかなかないから、紙だよ」
と矢野くんもリアル派ということで、
「電子書籍読んでるのって、僕だけ?はぁぁ~」
と慎吾は不貞腐れてしまう。そんな慎吾の肩に私は手を置いた。
「まぁ、それは好き嫌いもあるし、長所短所あるから仕方ないかなって。ただ、やったことないだけの私が言うのもなんだけど、大学入ったら、きっと使うと思うよ、電子書籍。さ、早く買って帰ろうよ」
 明るく私が言うものだから、慎吾もさっと明るい顔になって、
「オッケー。行こうか」
 内ばきから、普段愛用しているスニーカーに履き替え、学校から出る。そのままみんなで他愛のないお喋りをしながら東へ歩いて、城西商店街に入っていった。商店街のほぼ中央に位置している本屋が、私達が普段愛用している所だった。
 私達はそろって本屋に入るとそれぞれ行きたい場所に向かった。慎吾は漫画・小説の新刊コーナーへ。
 矢野くんは夢衣ちゃんと各種雑誌のコーナーへ。そして私は、慎吾に着いていくけど、目的はその隣にある参考書コーナー。
 私は、苦手な共テ数学の赤本を手にとって、さっさとレジに向かった。
 お金を支払って、漫画コーナーに再び向かうと、
「まったく、人の都合を考えないでぽんぽんと出すよな~」
そう言いながら慎吾は財布に手をやり、いくら入っているのか確かめていたけど、ちょっと厳しい顔になる。
「慎吾、なに買うの?」
「うわっ!びっくりしたぁ」
 私がいつの間にか背後に来て、耳に息が届くほどの近距離で話しかけたものだから、慎吾は驚いちゃったみたい。
「更紗ぁ、驚かすなよぉ…って、更紗の方はもういいの?」
「ええ、もう済んだわ」
 そう言って彼女は包装された袋を僕に見せた。
「何の本?」
 別に秘密にすることではないから、正直に私は答える。
「共テの数学の赤本。。それで、慎吾は何を買うの?」
「赤本かぁ。そうだね、過去問を見るのはとても大事だからね。分からなかったら教えるし。で、僕は、これとこれは絶対に買うよ。読むだろ?」
 私はその表紙を見て、この間慎吾から借りて、返すときに「いつ、続き出るのかな?」と言う程ハマったラノベの続刊であることを知り、私は目を輝かせる。
「うん!貸して貸して!」
「近いうちに貸すよ。なるべく早く読むから、待ってて」
「ええ!」
「じゃあ、今日はこれとこれとこれを・・・」
 慎吾は、ラノベ二冊と、三冊出た漫画の中で特にお気に入りのものを手にとると、レジに向かった。
 そこには、矢野くんと夢衣ちゃんが雑誌を買っていた。
「用事は済んだのか?」
 矢野くんが慎吾に問いかける。慎吾はそれにうなずいて答えた。
「ああ。でなけりゃ、レジに来ないって」
「それもそうだな」
 矢野くんに続いて慎吾も支払をキャッシュレスで済ませ、入ったときと同じ様に本屋から出ていく。
「なら、俺は夢衣を送っていく。じゃあな、慎吾に大原。」
「また明日、お会いしましょう。さようなら」
 矢野くんと夢衣ちゃんが並んで僕らに手を振る。
「ん。また明日」
「じゃあね」
 私と慎吾もそれに答えて手を振り、それぞれ逆の道を歩き始めた。
 小さな街頭だけが照らす道を歩き、私の住むアパートの前で別れる。
「じゃあ、またね」
「うん。また、8時にいつものところで」
 慎吾と私はまた手を振り、私はアパートの自室へ戻る。
 部屋に入る前、私は空を見上げた。
 いつの間にか満月は分厚い雲に覆われ、まっ暗で、星がまったく見えない。すぐにでも降ってきそうな雰囲気だった。
「あら…雨が降りそう…慎吾大丈夫かな?」
 傘を持っていない慎吾のことを思いながら家の中に入ると、雷鳴が響いた刹那、大粒の雨が降り始めた。
「慎吾…」
 私も傘を持って走ろうと思ったけど、思いの外激しい雨なのと夕食の準備があるから行くことができなかった。
 無事に帰り着きますように、そう思うしかなかった。




「うぇ…38度…4分…」
 僕は、朝6時半の起き抜けにあまりにも身体がだるくて熱っぽいものだから、熱を測ってみるとこの体温。11月初旬にしては激しかった昨日の雨に降られて思いっきり身体が濡れたことにプラスして一気に冷え込んだ空気にどうもやられてしまったみたいだった。
「昨日のライナーでは大丈夫って言ったのに、ザマァないな…」
 そう、昨日帰って暫くしたら、更紗から「雨すごかったけど大丈夫だった?」ってライナーが入っていたから、「うん、大丈夫。心配してくれてありがとう」と返事したんだけど、今の状態だと学校は当然休まないといけない。
「ひとまず下に降りるか。何か食べないと」
 そう呟いてから、だるい身体を叱咤しながら僕は廊下を降りてリビングへ。リビングではもう既に母さんが朝食の準備をし終わっていた。
「おはよう、慎ちゃん。あら、顔色が冴えないわね。大丈夫?」
 そう聞かれてしまったら、素直に答えるしかない。
「昨日の雨にやられたみたい…熱があるんだ」
「何度?」
「8度4分」
 僕が顔をしかめて言うと母さんは頷いて、
「分かったわ、ゆっくり休みなさい。欠席連絡は、あなたからするんだよね?」
 そう確認してきた。僕は頷いて、
「うん。タブレットの連絡用アプリで連絡できるからそれでやるよ。とにかく今は、軽く朝ご飯食べて寝たい」
 と言って、目の前にあるトーストをカフェオレにつけて飲み込みやすくしながら食べる。
「後でおかゆ持って行くわね」
 母さんがそう言ってくれるから、僕は頷いて一気に残りのトーストもかき込むと、「じゃ、おやすみなさい」と言って、部屋に戻った。
 そして、ベッドに転がり込むとまずは学校へ欠席連絡。「発熱(38.4)」と欠席理由と測った体温をメモして送信ボタンをタップ。それからタブレットを横にやってから、スマホを取りだして、「楽しい仲間」に「ゴメン、風邪引いて休むよ」とメッセージを残してからもう一度眠りに就いた。
 次に目が覚めたのは、それから2時間が過ぎた9時少し前。僕はのそのそとスマホを取る。
 するとそこには、3人からの返信があった。
「大丈夫か?お前が風邪なんて珍しいな。学校終わったら3人で見舞いに行くぜ」
「慎吾くん、大丈夫ですか?心配です」
「慎吾、分かったわ。でも、心配だから後で家に行くからね。あなたに拒否権はないからね」
と、それぞれの返信を見て、僕はまだまだ身体も頭も辛いのだけど思わず「クスッ」と笑ってしまった。来てくれるのはいいんだけど、移してしまわないか心配だな…。
 ひとまずのどが渇いたので、一度キッチンに降りて冷蔵庫からスポドリを取って自室に戻り、ペットボトルのキャップを取って一口。
「ふぅ…」
とため息をつくと、熱っぽかったからだがほんのちょっとだけ楽になった気がする。でも、気がするだけだから油断はできない。
「もうちょっと寝るかぁ」
 僕は、ベッドに再び潜り込むと、普段の疲れも少しはあったためか寝息を立て始めるまでさほど時間はかからなかった。

 次に気がついたのは、少し下が騒がしくなっている音を聞いてからだった。
 どうやら、更紗達がやってきたみたいだった。
「まったく、本番前だったから良かったけどね~まぁ、風邪だから大丈夫だと思うから部屋に行ってみる?」
という母さんの声がすると、階段を上がってくる複数の足音がする。
「慎吾、起きてる?入っていい?」
と、更紗の声がしたから、「いいよ」と答えると、ガチャって音がして更紗を先頭に、幸弘と夢衣が入ってきた。
「大丈夫、慎吾?やっぱり昨日の雨にやられちゃったんだよね?ごめんね、家まで来てもらわずにまっすぐ帰ってもらってたらそんなことにならなかったと思うの…」
 更紗がすまなさそうに言うから、僕は努めて明るく、
「ううん、大丈夫だよ更紗。こういう季節の変わり目って風邪引きやすいから、早かれ遅かれ熱出してたと思うし。更紗のせいじゃないからね」
と言うと、それに幸弘も夢衣も頷いて、
「そうだ。大原が悪く思う必要ない。慎吾は大原のことが大事だから家まで送った。結果的に雨に降られただけ。俺も同じ立場ならそうする。尤も俺は、昨日雨が降り出したら夢衣が『ここで雨宿りしましょう。お母さん呼びますから』と夢衣のお母さんに来てもらってしまったから、何とも情けないけどな」
と自分を卑下する。そこに夢衣が、
「そんなこと思わないでください、幸弘さん。更紗さんもです」
とピシャリと言うから、みんなそこで一旦黙ってしまった。
 少しばかり変な空気になったけど、僕は、
「まぁ、明日には行けるように身体治すからね」
と言うと、みんなも頷いてくれた。
「でも、今日は木曜日だから、私と綸子はここで夕飯食べるよ。もうすぐ綸子も来ると思うし、お母さん手伝うからね」
 更紗はそう言って、笑顔になる。それに幸弘が、
「…たまには俺たちも食べてみたいよな、ここで」
 なんて言うものだから、夢衣まで「私も食べてみたいです」と追従する。
「…卒業したら、みんなでパーティーしようか、ここで」
 ちょっとした圧を感じて僕はそう言うと、「それ、いいね」とあっさり話が決まってしまった。でも、その前にちゃんと進路が決まってからだよねと言うことになり、改めてみんなの進路の話になる。
 幸弘は特別奨学生扱いで臨魁学園の大学部、臨魁大学の教育学部への入学がほぼ内定。月末には出願して形だけの面接で決まるようだ。
 夢衣も、やっぱり幸弘と一緒が良くて臨魁大学の教育学部は同じだ。ただ、彼女は幼稚園教諭になりたいし、できれば保育士の資格も取りたいようで、専門は幼児教育になるとのことだった。
 …そうすると、僕も更紗も、決めなくちゃいけない。
 色々調べた。オープンキャンパスにも行った。そして、色々話をした。
 風邪を引いた頭の中でちょっとフワフワした感じはあるけれど、それでも、僕は結論を出す。
「僕も、いや、僕たちも臨魁大学に行くよ。更紗のお父さんも心配だから、県外に行くのは止めようって、ついこの前話をしたところなんだ」
 そう、それは引っ越し1周年パーティーのあと少しして、学園からの帰り道に二人で話し合って決めた。
「うん、やっぱり、お父さんが心配。手術して、良くなったよ。でも、再発しないとは限らない。それに、ここで再発しちゃったら、次はないかもしれないって思うと、ここに心配の種を残したままここを離れるのはイヤ。万一県外に行ってお父さん倒れてそのまま亡くなったりしたら、いくら叔父さんがお金を出すと言っても、それは申し訳ないと思うんだ。だから、ここに残るの」
 僕と更紗の決心に、幸弘と夢衣は頷く。
「それはそれだ大歓迎だね。また4年一緒にいられる」
「でもですよ幸弘さん、みんな専攻が違いますから、一緒に受けられる授業は限られるかもしれませんよ?」
 幸弘の言葉に夢衣が突っ込む。最近この二人はそんな感じの夫婦漫才に似た雰囲気だ。でも、それが二人の距離感で、リズムなんだろう。それはそれで見ていて楽しい。
「そうだね。確かに専攻はみんな違うね。幸弘は社会。夢衣は幼稚園と保育士。更紗は特別支援。僕は数学。バラバラだ。でも、どこかで同じ授業を取る時間もあるだろうし、昼は基本4人で学食かどこかで食べるんだろうから、夢衣の言うとおり、一緒にいる時間は限られるだろうけど、そんな中でも楽しく生活ができれば良いと思うんだ」
 僕がそう言いきると、みんな「確かに」と力強く頷く。
「でも、県外の大学…福岡だっけ?あっちも良さそうだったんだろ?」
 幸弘がそう言うけど、
「まぁ、施設や設備も確かにいいけど、臨魁も同じくらいいいし、慣れ親しんだところって言う安心感が大きいな。確かに高等部とはキャンパスは違うけど、名前がやっぱりね。でも、一番は更紗の気持ちを大切にしたいんだ。この数年取っても辛い思いをしてきた更紗。自分の思うようになかなか生きられなかった更紗に、輝いて欲しいから」
と僕が言うと、更紗の顔は真っ赤になるし、幸弘と夢衣の表情はニヤニヤしたものになって僕に、
「そういう慎吾くんも、とっても輝いてますよ。だから、他の女の子からもモテるんです。自覚してくださいね。更紗さんから目を逸らしちゃダメですよ」
と夢衣から忠告を受けるわ、
「お前…格好付けるのも大概だぞ。大原が慎吾に惚れ直したんじゃねぇか?」
と幸弘からからかわれた。
「まぁ、風邪を引いているから、本音のストッパーが外れていたんだよ」
と言って、僕は笑う。そんな僕に更紗は急に首根っこに両手を巻き付けて、僕に抱きついた。
「もう、本当に慎吾は格好いいんだから…これで風邪引いてなかったらいくらでキスしちゃうところだよ。でも、移っちゃダメだから、これで勘弁してね」
と。僕の頬にキスをした。その様子を見て二人は、
「まったく、見せつけやがって」「して欲しいですか、幸弘さん?」「まぁな」「では、後でしましょう。私の家に来てくださいね」「オッケー」
 そんな会話を重ねていた。…それもそれで見せつけてるよな~と思ったけど、ひとまずその本音はなんとかストッパーを効かせて口から出るのを防ぐ。
 それから暫く話をして、幸弘と夢衣は帰り、更紗は一旦僕の部屋から出て綸子ちゃんをリビングで待ち、母さんを手伝って夕食の準備をした。
 念のため、僕は夕飯を部屋に持って来てもらって、一人で――と思ったら、「寂しいでしょ?」と言われて更紗と一緒に食べた。
 二人で過ごす時間は、どれだけ過ごしてもとても楽しくて、この人を好きになって良かったと何度も思う。それは更紗も同じようで、
「ホント、慎吾といると飽きないのよね。楽しいよ」
と言ってくれるのが僕も嬉しい。

 でも、この夕飯がたたったのか、僕が2日後には元気になったけど、更紗は見舞いに来てくれた翌日から3日間、熱を出して学校を欠席して家で寝て過ごしてしまった。…僕の風邪が移ってしまったと思う。
「ゴメン、更紗」
 そうライナーを送ると、
「ううん。私もマスクなしで行ったのは不用心だったわ。すぐ治すから、待っててね」
と健気な返事が返ってくる。

 とにもかくにも、本番までまだ時間がある時で良かった…。
 不幸中の幸いと呼べる事態だったけど、進路をしっかり決められたから後はそれに向かって邁進するのみ。
 いくら行きやすい楽な道とは言え、手を抜いたら足下をすくわれるから、これからの1日をしっかり過ごさなくちゃいけないと、誓いを新たにした。

コメント

  • 鳥原波

    いつもありがとうございます!この物語を通じて、夢衣はかなり強くなったし、綸子は策士になったし、何より慎吾くんはもう絶対に後には引けない状況になった訳で…。みんなの絆の強さを体感して欲しいと思ってます。前の話では、あと2話と言いましたが、次では終わらないです。次とその次でひとまず完結し、エピローグで締めることにしました。その後は気力次第でスピンオフ書いていきたいですね!

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  • ノベルバユーザー617419

    父親が無事に病気をのりこえて良かったぁ☆主人公と父親の会話もアツかった。もし!IFがあるならF1で熱く語り合う「家族」の会話も期待です☆それと夢衣ちゃんも綸子ちゃんもいい性格してるのがチラホラ…
    夢衣ちゃん…幸弘君を家にまねいて(父母をまえにして)「ハイ」しか言えない状況を作ってたり
    綸子ちゃん…引っ越しの荷物の整頓の時(父親不在)姉妹でGと奮闘…姉も引くほど性格豹変してたりと
    想像(妄想)が膨らみますなぁ♪閑話に期待
    2人のハッピーエンドにむけてラストスパート!楽しみにまってまぁ~す☆


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