臨魁学園物語――転校生とガチ恋をして、二人で幸せになる話――
14章 46週~48週 それぞれのお盆と夏休みの後半。お父さんの入院と更紗の新しい出会い。
この前の話は、鈴木には言わないことにした。更紗と二人で話し合って決めたことなのだけれども、恨み言のように聞こえるだろうし、好意でしてくれたことを無碍にしてしまうと思ったからだ。
「いつか、笑い話にできるようになった時に話そうね」
そう更紗も笑って言ってくれた。
その日のライナーはなかなか終わらず、珍しく0時を回ってようやく落ち着いた僕達。2日間を埋めるのに必死だったと思う。
そして、さらに翌日も図書館で綸子ちゃんも交え3人で勉強していたら、またも大浦君と遭遇し、そのまま4人で午前中いっぱい勉強をすることになった。お昼は僕の家で母さんの作った冷やし中華。ごまダレが美味かった。
そして午後はゲーセンへ行って久しぶりに2人で音ゲー。女性プレイヤーが珍しいのか、見たことのない男達――どうも、夏休みと言うこともあって、遠征できていたみたいだ――が更紗に話しかけようかとしていたけど、待ち時間は常に僕の右腕に左腕を絡ませ、僕の右肩に頭を乗せてイチャコラしているように――と言うか、実際イチャコラしていたんだけど――振る舞っていたら、話しかけられなかった。尤も、「ちょっとベタベタしすぎでお前らのことを知っている俺たちでも妬けるわ」と社さんから言われて苦笑いしてしまったけど。
そんな感じでお盆前は過ごし、お盆は僕の家族が県外の親戚の家に年忌法要のため呼ばれているのもあって3日間会えずじまい。更紗の家は、事情を説明すると「会いに行くわ」と更紗のおじさんが言ってくれたらしく、2泊で大原宅に来てくれるということだった。つまり、僕がいない時と叔父さんが来る時が見事なまでにかぶってしまっていたのだった。
だけど、お盆休みで会えない間も、僕達はライナーでの通話を毎日していた。
「今日は、お墓参りに行ってきたよ。そのあとは、親戚みんなでバーベキューをしたんだ」
「えぇ~!バーベキュー!いいわね!」
更紗の声は、明るい。お父さんの入院が近いけど、「希望は捨てないから」と気丈に振る舞っているんだと思う。墓参りの話題をしてしまい、「ごめん!」と謝ったけど、「だって、それが親戚の家に行く目的の一つなんでしょ?それは仕方がないじゃない。それに、人はいつか亡くなってしまう。だから、そんな事で傷ついたりしないわ。大丈夫だから。まぁ、その代わりに、お土産は奮発してよね」といわれてしまい、「はい、喜んで!」と勢いよく返事をしてしまった。
僕は、数年ぶりの親戚の家で十三回忌の法要が行われた後のバーベキューで、同い年の親戚の娘、杏子ちゃんによく話しかけられた。そして、結構時間が経ちバーベキューの終わり頃になると、
「実はね、幼稚園の頃から慎吾くんのこと好きだったんだ」
と、告白されてしまい返答に困っていると晴兄が、
「あ、杏子ちゃんごめん。こいつ、めちゃくちゃ美人の彼女いるから。慎吾、見せてやったら?」
なんて言うものだから、鳩が豆鉄砲を食らった顔をした杏子ちゃんに、スマホのロックを解除して、壁紙を見せる。その壁紙をまじまじと見て、杏子ちゃんは発狂した。
「えぇぇぇぇぇぇぇ~~~~~~!」
メガネ美人の杏子ちゃんだけど、この叫び声を聞いたその場のみんなが杏子ちゃん…というか、僕達の方を向く。
「ど、どうしたんだ?そんな大声出して」
杏子ちゃんのお父さん、今回誘っていただいた親戚が、杏子ちゃんに聞く。
「あ、あ、すごい、美人。慎吾くんの、彼女…それに、すごいスタイルいい…」
口をパクパクする杏子ちゃんに、親戚は僕の方に視線を向けて、「スマホ見せて」という。
「あ、はい、どうぞ」
僕がスマホを親戚に渡すと、見た瞬間「ひゅ~ぅ!」と口笛を吹く。
壁紙の更紗は、いつもの公園でこっちを向いて、満面の笑みを浮かべてくれる。夏休み前の休みに、二人でゲーセンに行ったあとに撮ったものだ。その笑顔をしっかり見たいから、1ページ目は最低限のアプリしか表示していない。だから、何にも邪魔されない彼女の笑みを見ると、「慎吾、本当に彼女のこと好きなんだよな~」とよく言われる。
「うわ、確かに。こんな美人さんが慎吾くんの彼女なんだな。…杏子、残念だったな…」
おじさんは、がっくり肩を落として、娘の恋心がかなわなかったことを残念がる。
「…し、仕方ないね!年に1回でも会えれば良い方なんだから、毎日顔を合わせる子に敵うわけないし…」
まだ動揺しているみたいだけど、杏子ちゃんは少し冷静さを取り戻してそう元気に言う。目にはちょっと涙が光っているようだったけど、健気に笑顔を見せていた。
「ごめんね、杏子ちゃん」
僕がそう言うと、杏子ちゃんも頷いて「うん、また新しい恋を探すから…大学入ったらね」と言ってくれた。どうやら、東京の私立大学に指定校推薦で行くことになると言う話らしく、入学が決まったらコンタクトにするって言っていた。
杏子ちゃんは傷心なんだろうけど、すごくたくましいなと思う。自分だったら、暫く引きずると思った。
「そっか、杏子ちゃんは東京へ行くのか」
と、僕はしみじみと言う。すると、杏子ちゃんは聞いてきた。
「え?慎吾くんはどうするつもりなの?」
それには、僕は少し困り顔で答えた。
「実は、まだ決めかねているんだ。普通に考えれば、臨魁学園の大学部一択なんだ。エスカレーター式だから楽だし。でも、更紗…僕の彼女ね、今ちょっと家族の病気で辛い状態だから助けたいし、彼女の選択次第で、大学は変わると思う。県外の国立とかね」
「…そうなんだ。大変ね…。だけど、県外だとすると、どこへ行くの?」
「更紗のお父さんの故郷である九州の方になるかなって」
「そっか。真反対だね」
杏子ちゃんは、おそらく一縷の望みをかけて聞いてみたんだろう。彼女が行こうとする東京とは全く真反対の九州になるかもしれないと僕が答えると、端から見ても分かるくらい落ち込んでいたっけ。
「そうだよね。彼女さんの方が大事だよね」
と言って、少しうなだれていた。
あとで母さんは、「あの子がまさか慎吾のこと好きだったなんてね…。でも、あの子良い子だから、大学デビューしたら、良い彼氏見つけられると思うわ」って言っていたから、是非ともそうあって欲しいと思った。
だって、杏子ちゃんはちょっと地味に見えるけど、黒髪ロングが綺麗で眼鏡かけていても結構美人で素直だし、学校ではモテると思う。だから、杏子ちゃんには申し訳ないんだけど、幸せになって欲しいと願った。
叔父さんは、慎吾が親戚の家に泊まりに行った翌日、福岡からはるばるやってきてくれた。
「おう、弟よ。確かに顔色は良くなさそうだな。大丈夫か?」
叔父さんはそう言って、お父さんの肩を叩く。
「兄さん、まぁ、良くはないけど、極端に悪くもないよ。子ども達が気遣って食べやすいのを出してくれているし、職場も理解してくれてすぐ休職の手続きもしてくれたから」
お父さんは笑顔で叔父さんに言う。
「そうか。なら安心だ。更紗、綸子、お前達も大変だな。今が正念場だ。でも、玄佑も簡単に死ぬつもりはないと思うから、諦めたらいかんぞ」
真剣な表情になって、私と綸子に叔父さんはそう言ってくる。私も綸子も、その辺は覚悟を決めているから、
「勿論ですよ、叔父さん。私達も毛頭諦めるつもりはありません。まだまだ生きて、私達の子どもを抱いて欲しいと思っていますよ」
と私が笑顔で言うと、叔父さんの顔もほころぶ。
「そうか。それなら安心だ。心が弱ると、身体も弱る。みんな同じ気持ちで前を向いているなら、可能性はその分高くなると思うぞ」
「ああ、俺もそうあって欲しいと願っているよ、兄さん」
お父さんも真剣で、それでいて頬を緩ませて叔父さんに告げる。
「じゃ、今日は外へ食べに行くか?俺が奢るぞ。玄佑、どこか行きたいところはあるか?」
叔父さんなりの配慮なのだろう。美味しいものを食べて欲しいという気持ちや、入院したら、暫くそういうのは食べられないからと言って促してくる。
「う~ん、蕎麦が良いかな。最近、職場の人に教えてもらった店があってね。祥蔵兄さん、俺が運転するよ」
「分かった。くれぐれも、無理するなよ」
「勿論、そんなに食べないって。おろし蕎麦の一杯でも食べてみなよ。ハマるから」
そう言って二人は笑い合う。本当に、いつ見ても仲の良い兄弟だと思う。
その仲の良さは私達も負けていないと思うのだけど、お父さんと叔父さんはそれ以上だ。お互いに、お互いのことを言葉でも、態度でも気遣っていることが分かるんだもの。
「さぁ、更紗、綸子、いくぞ。美味しい蕎麦を食べよう」
お父さんの言葉に、私達も頷いて玄関を出る。お父さんの運転でそば屋さんに向かったわけだけど、助手席に叔父さん、後部座席に私と綸子が座っていたけれど、お父さんの運転は、体調が良くないとは言え問題なかった。
「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
蕎麦屋さんに入ると、お店の女将さんであろう女性が声をかけてくれた。
「4人です。よろしくお願いします」
一番先に入った私がそう告げると、女将さんは微笑みを浮かべたまま、「こちらへどうぞ」と言って、私達を座敷席に案内してくれた。
「ありがとうございます」
私はそう礼を言ってお父さん達を席に促し、みんな座る。
そして、それぞれお品書きを見て、注文を決めた。
お父さんの「おろし蕎麦が良いな」を皮切りに、「弟よ、それマジで美味いのか?なら、俺もそれにしようと思う。…大盛りってできるのかな?」と叔父さん。
「私は、卵とじ蕎麦かな」「じゃ、私はきつね蕎麦にするね」と私に綸子が次々声に出す。
「じゃ、女将さんを呼ぶからね」
お父さんがそう言って、女将さんを呼ぶと、「は~い」とすぐに注文を取りに来てくれた。
そして、お父さんが私達の注文を告げると、「それでは、承りました」と女将さんは厨房へと入っていった。ちなみに、叔父さんの「大盛り」は150円追加でできるみたいで、叔父さんは「じゃ、大盛りで!」と注文していた。
そして、お蕎麦がくるまでの間、私達は話を続けていた。
「それで、玄佑が入院している間、お前達はどうするんだ?」
叔父さんの言葉に、私は答える。
「彼氏の家に週3で行って、一緒に夕飯を食べることになっているの。それは、彼と付き合うようになって、今年に入ってから、彼のお母さんの提案で暫くお世話になっていたの。部活を引退してからは忙しさも一段落ついたからついこの前までは遠慮していたんだけど、今回のことを彼氏に話したら、『また来れば良いよ』って言ってくれたの」
「そうか…更紗、良い彼氏を持ったんだな。そして、彼氏の家族もいい人達みたいだ。良いじゃないか」
叔父さんは笑って私に話をする。そして、
「で、大学はどうするんだ?」
と聞いてくるから、それには「まだ決めてないんだ。このまま臨魁学園の大学部に進んで、慎吾や友人達と一緒にキャンパスライフを送りたい気持ちが強いんだけど…」と、ここまで言って私はちょっと口をつぐむ。
「…?言いにくいことでもあるのか?」
と叔父さんは聞くけど、私はうん、と頷く。
だって、万が一にでもお父さんに何かあったらなんて、こんなところで言いたくないもの。と、思っていると、私は知らないうちに厳しい顔つきになっていたみたいだった。その表情を見て何か察したのか叔父さんは、
「言いにくいなら、まあ敢えて聞かないわ」
と言ってくれた。その代わり、「綸子は彼氏いないのか?」とターゲットを綸子に変えたみたい。
「あ、う、うん。今は、いないよ」
綸子もちょっと歯切れが悪い。いきなり言われて驚いていたのもあるんだと思うけど、うん、そうだよね、今は友達以上の子がいるんだから。
「今は、ってことはそれなりの子がいるってことなんだな?」
お父さんが綸子の言葉にそう聞くと、綸子は顔を真っ赤にして、「うん」と答えた。
「そうか、綸子もそういう歳になったんだな」
と、お父さんは笑っている。
「え?お父さん心配じゃないの?」
綸子が笑っているお父さんに驚いて聞くけど、
「だって、お前は慎吾くんのことが好きだったんだろ?と言うことは、綸子が好きになるなら、同じような雰囲気をまとった子なんだろうなと。だから、しっかりした子だろうし、心配しないどころか、応援したいよ」
そう、本当に優しい笑顔で言うものだから、綸子は涙ボロボロ。「うん、うん」と頷きながら、「夏休みが終わってしばらくしたら、告白しようと思っているの。本当に、慎吾さんみたいないい人だし、優しいから」と言うから、叔父さんは、少し驚くことを言った。
「おい、更紗に綸子、更紗の彼氏って、しんごって言うのか。そんなにいい人間なら、俺も一度会ってみたいんだが、どうだ?」
私は目を丸くして驚く。綸子も同じだったけど、私と顔を見合わせる。綸子と目が合うと、私も落ち着いて頷くことができて、
「分かったよ。でも、実は今、彼は県外の親戚の家に行っていて、帰ってくるのは明明後日なんだって」
「うわ、それ入れ替わりか…う~ん」
叔父さんは少し考えて、
「じゃ、もう一泊増やすわ。彼氏に時間作れるか聞いてくれないか?」
とびっくりすることを言う。でも、叔父さんはどうしても慎吾に会いたいようだ。
叔父さんは独身。実は奥さんの不倫で離婚して、それから一人だと聞いている。そんな話を聞いているから、私も綸子も、浮気という行為に対して嫌悪感を持っている。
叔父さんは「時間に余裕があるから一泊増やすくらいは何でもない」とのことだ。だから私は納得して頷いて、「後で聞いてみるね」と返事をした。
そんなところで、お蕎麦がやってきた。
「さ、食べよう。美味しいぞ」
お父さんがそう言って、割り箸をみんなに配る。真っ先に配った張本人が割り箸を割って、お蕎麦についてきた出汁を大根おろしの上からかけた。それを見て、叔父さんもそれに倣って出汁を大根おろしにかける。
すると、大根おろしと出汁が合わさった香りがしてきた。
私と綸子は温かいお蕎麦だから、息をふ~っとかけながらお蕎麦を食べる。
美味しい!出汁の主張が強すぎなくて、お蕎麦の風味もしっかり感じ取れる。弾力もそれなりにあって、食べ応えがあるから私と綸子は普通盛りにして正解だったと思う。
私と綸子は顔を見合わせて、笑みを浮かべた。
「美味しいね!」
「ああ、おろし蕎麦も、大根が辛いけど、それが良い!」
叔父さんも美味しそうに食べると、「だろ、兄さん」とお父さんが珍しくどや顔をして、笑みを浮かべた。
私の卵とじ蕎麦は食べていくと、卵に絡んだ出汁の味がとても染みていて、そこにお蕎麦の味も広がって、絶品だった。それは、綸子も同じだったみたいで、「揚げって、こんなに美味しいんだね。お味噌汁にあまり入れないからそんなに思ったことないけど、この揚げはとっても美味しいよ」と驚いた表情で言った。
揚げって、確かに私達は料理であまり使わない。だから、そんなに揚げが美味しいことを今回私も一口もらって、知ることになった。
「本当に、このお店の蕎麦はどれも美味い!九州じゃ、こんな蕎麦はなかなかないからなぁ」
「やっぱりそっちは豚骨ラーメンだよな」
「あぁ、そうだな。週1で屋台に行ってしまうよ。お酒飲んだあとの締めとしては最高だよな」
「身体壊すぞ、俺みたいに」
兄弟で何を話しているんだろう…。私と綸子は苦笑い。
でも、そんな4人の時間は穏やかで、すっごく楽しい時間だった。
それから3日後、私と叔父さんはある意味因縁の喫茶店の「リスペクト」で慎吾と会った。
私の隣に慎吾、反対側に叔父さんが座る。
「初めまして。東条慎吾です」
慎吾の挨拶に、叔父さんは満足そうに頷く。
「良い面構えだな。人柄の良さがその顔に出ているよ。確かに、更紗が惚れたのも分かる」
「恐れ入ります」
慎吾は神妙な顔で、頭を下げて礼を言った。
「更紗とは、どうやって知り合ったんだい?」
そう聞く叔父さんに、慎吾は答える。
「更紗が転校してきて自己紹介をした時に、僕は一目惚れしたんです。そして運の良いことに、彼女の席を担任の先生が僕の隣に指定したんです。それだけでも正直嬉しかったのですが、初日から厳しい先生の課題を二人揃ってこなすことになったことから話が進んで、校内を案内することになって、さらに帰る方向が同じと言うことで一緒に帰ることになったんです。本当に信じられない1日でした。それから毎日を過ごしているうちに、やっぱり僕は更紗のことが大好きだと言うことを自覚して過ごしました」
「そうそう、それでね、初日のお昼のあとに、チャラ男に声をかけられたんだけど、慎吾と慎吾の親友の矢野くんに助けてもらったの。それに、翌日も別の男子が私の胸を見ながら話しかけていたところを助けてくれたし、また更に色々あって、本当に最初の1週間は助けられたの。でもね、慎吾は見返りを求めなかった。そういったところが私は彼を好きになっていったんだ」
私と慎吾で説明していくと、叔父さんの表情はどんどん緩んでいく。
「そうか、確かに、更紗の顔と身体を見て振り返らない奴はいないだろうからなぁ。でも、そうした連中よりも、慎吾くんを選んだのは絶対正解だ。そして、良い青春をしているのが分かるぜ」
そこで一旦言葉を切ってから、
「でもな、そんなに良い日々を送っていても、どこかで喧嘩もするだろうし、上手くいかない時があると思うんだ。そんなことを乗り越えていかないとな」
と続けた。私と慎吾はその言葉に顔を見合わせて、
「それ、つい先日ありました」「うん、もう少しで別れるところだったの。お互いのすれ違いだったんだけど…」
と言ってかいつまんで少し前にあった出来事のことを話すと、叔父さんは目を丸くした。
「そ、そうなのか…。それは、大変だったな。確かに、玄佑の病気のことで更紗も焦っていたのは分かるし、それで何とかしないといけないと思うことも当然だと思う。慎吾くんも、もっと頼って欲しかった気持ちもあるよな。…でも、今二人がそうやって仲良くいられたのなら、よかったと思う。でも、これからもそんな事があると思うから、今回のことをたまに思い出すといいかもな」
そういう叔父さんの言葉に、私たちは「はい」と神妙に頷いた。
それからは、楽しく慎吾も叔父さんも話をしていて――でも、二人が仲良くなるだろうなって言うことは全然心配していなかったのだけど、そんな楽しい時間もあっという間に過ぎていったんだ。
『リスペクト』を出たあと、私達と一緒に慎吾は歩いて私の家に向かい、見送ってくれた。
「俺は九州だからおいそれと来ることはなかなかできない。でも、独り身だし、仕事も休めないわけじゃないから、身動きは取りやすい。万一、何かあったら二人で話をして呼んでくれれば良い。だから慎吾くん、連絡先交換してもらっていいか?更紗とのことで悩んだら連絡してもらっていい」
その道すがら、叔父さんはそう慎吾に言う。
「はい、分かりました。何かあった時は、よろしくお願いします」
真面目な顔をして、返事をする慎吾。そんな慎吾に私は笑顔を向ける。
「大丈夫だよ叔父さん。何もないから。ね、慎吾?」
そう言うと、慎吾も私の顔を見て笑顔になり、
「そうだね。もう大丈夫だよ。でも、本当に僕たちでは解決できないこと、幸弘や夢衣に助けてもらっても難しい時は、やっぱり年長者の助けを借りなくちゃいけない。だから、そんな時は僕の親や、更紗の叔父さんにお願いすると思うから」
と私に伝えながら、叔父さんの顔を見て、
「そういう風に考えています。それでいいですか?」
と言った。
「ああ、それで構わないよ。まぁ、俺はこっちでどうしても解決できないような悩みを話してくれればいいからな。うん、君と今日会えて本当に良かったと思うよ。将来が楽しみだ」
そう叔父さんは答えてくれて、ニヤッと笑ったのが、印象に残っている。
更紗の叔父さんは言葉は少し荒いのだけども、更紗のことは勿論のこと、弟である更紗のお父さんや綸子ちゃん、更に僕にも気を遣ってくれる、とっても優しい人だった。
更紗の彼氏は俺の家族と同然といった感じだったし、だからこそ、僕も真剣に叔父さんと向き合って話ができたし、そのおかげで、僕は更紗と出会った時のことを思い出して、あの頃の初心を取り返していく。そんな中で、ある想いがあのときの僕の状態を客観的に見えて納得していた。
…ああ、多分なのだけど、僕と更紗があのとき喧嘩というか、別れる寸前までこじれたのは、慢心だったんだ…。
好きという気持ちは勿論あるのだけど、更紗が僕の元から去るはずがないという思い込みと、こんな美人の彼女の信頼を得ていつまでも一緒にいられるのだろうという慢心。そういったものが蓄積されて、ここに繋がったのかなぁ…なんて、今になって思っていた。
そんな慢心に気づかせて、初心を思い出させてくれたのだから。だから、更紗の家の前で、彼女の叔父さんに、改めて感謝を示した。
「叔父さん、ありがとうございました。今回こうしてお話しする機会を持つことで、僕は更紗と出会って抱いた気持ちを思い出しました。いつも側にいるからこそ、「好きだ」という思いを大切にしていかなくてはいけない、改めて思うことができました」
そう言うと、叔父さんはカラカラと笑って、
「それなら、俺もこうして九州から出てきた甲斐があったというものだよ。弟は勿論心配だ。ステージ3なんて言ったら、5年生存率も50%くらいだろ?楓さんも自己で突然亡くなってしまったのに、玄佑までいなくなったら、この二人は路頭に迷ってしまう」
そこで、真剣な表情になって、
「そうならないようにするのが俺の務めだと思っている。でも、やっぱり生きていて欲しいのだよ。でも、今日、君と話ができて、君とその家族のみなさんが、更紗と綸子、そして玄佑を支えてくれると分かったから、俺は安心して九州から見守っていられるよ。お金のことは俺に任せてくれれば良い。元嫁の慰謝料は全然使ってないからいくらでもとは言えないが、十分支えるだけのものはある」
そう言ってもらえたけど、最後の一言は十分に破壊力があった。
「え?慰謝料…?」
「あ、慎吾くんにはまだ話していなかったな。俺、バツイチなんだよ。原因は、元嫁の不倫。おかしいと思って探偵雇ったら、やっぱりそうだったから、元嫁と相手にがっつり請求したんだよ。それ以降、もう結婚したくないって思って独身なんだよ」
フッと短く息を吐いて叔父さんはそう言ってのける。でも、OurTubeの動画でそういう復讐劇のものを1回だけ見たことあるけど、精神的にすごく辛いことだよなと思う。更紗が浮気したらなんて思ったら…いや、実際そうじゃなくて誤解しただけで、僕はあんなに精神崩壊する一歩手前になってしまったのだから、実際にされていたら本当に壊れていただろう。
「…大変だったんですね」
そういうことしかできなかった僕の背中を、叔父さんはパン!と軽く叩く。
「まぁな、あのときは確かにキツかったさ。なんで俺がこんな目に遭わないといけないんだ、あいつのために、いつか生まれる子どものためにとせっせと働いていたのが馬鹿馬鹿しくなったしな。でも、喉元過ぎれば、と言うやつかな、それから5年経った今は、もうあっさりしたものよ。だから、慎吾くんもな、笑い話にできる時が来るさ。でな、話を元に戻すが、金銭面では俺が助ける。玄佑の入院の保証人にもなったからな。だから、こちらでの生活や心の支えになっていて欲しい。頼むよ」
最後の顔はとても真剣で、僕は、「はい!」と頷いた。
「良い返事だ。玄佑の病気が良くなったらな、次は正月に来たいと思ってるから、その時はまた会おうぜ」
叔父さんはそう言って、もう一回僕の背中を叩いた。
少し痛かったけど、その痛みとともに、叔父さんの手の温かさが伝わって、胸にまで染みてきた気がした。
それから数日。いよいよお父さんが入院する前日。私と綸子は真剣に料理をしていた。暫くはお父さんが病院食しか食べられないから、美味しいものを食べて欲しくて私達は必死だった。
「だし巻き卵に、ポテトサラダ…」
「唐揚げと、揚げとわかめ、豆腐の味噌汁。あとは、キャベツとキュウリのサラダかな」
私がだし巻き卵とポテトサラダとキャベツとキュウリのサラダを作り、綸子が唐揚げとお味噌汁を作ることになる。
「美味しいのを作ろう、お姉ちゃん。お父さんに元気をあげようよ」
「ええ、勿論よ。お願いね」
私はまず、ポテトサラダを作るために、ジャガイモを茹でてから潰しながら切ったタマネギと人参を加熱する。その間に、綸子は唐揚げを作るために鶏肉を一口大に切って、ショウガと醤油と一緒に保存用袋に入れて味を染み込ませた。
そして、クッキングヒーターの前に立つ役目を交代して、私はキュウリとハムを切ってジャガイモ人参タマネギに混ぜてマヨネーズを和え、ひとしきり混ぜ合わせてひと品目の完成。二品目はキャベツとキュウリを切って、シーチキンと和えるだけだから全然手間がかからない。
綸子の方は、唐揚げを揚げるための油を加熱しつつ、味噌汁の準備をしていた。そして、加熱が終わると唐揚げを揚げ始めた。
前々から思っていたけど、やっぱり私よりも綸子の方が要領が良いから、特に揚げ物のような料理を綸子は美味しく作れる。慎吾は私が作った唐揚げも美味しいと言ってくれるけれども、内心はちょっと悔しかったりする。
綸子が揚げて手が離せない間に、私は綸子が担当する予定だった味噌汁に取りかかる。お鍋に即席だしのパックを入れて水を入れ、加熱開始。乾燥わかめと、以前から刻んで冷凍していた薄揚げを入れてから、豆腐を切って、入れる。その頃には、唐揚げがイイ感じで揚がってきてそろそろ唐揚げが完成するタイミングで、炊飯器からご飯が炊きあがった音楽が流れた。
「じゃ、ご飯よそうね」
私はそう綸子に言って、「オッケー、お姉ちゃん。よろしくね」という答えが返ってくるのを背後に聞きながら、まずは軽くご飯を混ぜてそれからご飯を茶碗によそう。
「あとは、味噌汁だね、お味噌は私がやっておくから、お姉ちゃんは配膳よろしく!」
綸子の明るい声に、「了解。任せたわ」と返して、私はまずご飯を3人分並べ、それから後飾り祭壇にもお母さんの分を仏飯器に入れて飾った。
そして、他のおかずもそれぞれ菜箸やスプーンを差して、すぐに取れるように準備をした。あらかた準備が終わったところで、「お姉ちゃん、お父さん呼びに行って~。お味噌汁よそっておくから」という綸子の声に、私は「うん!ありがとね、綸子」「お互い様だよぉ」とやりとりして、部屋に籠もっているお父さん――明日の入院の準備をしてから、ちょっとお昼寝しているんだけど――を呼びに行った。
「お父さん、晩ご飯できたよ」「お、ありがとう。今行くよ」
お父さんの声はそれなりに元気で、すぐに部屋から出てきてくれた。顔色も幾分か良い。
私とお父さんがテーブルの席をつくのに合わせて、綸子がお味噌汁をテーブルに並べた。
「いただきます」
私達はそう合掌してご飯を食べる。でも、お互いに喋らない…と言うか、喋ることができない。
やっぱり、明日のことを、そしてその先のことを考えると気持ちは沈んでしまう。だから、どうしても言葉を発することを躊躇してしまう。
「更紗、綸子、ありがとう」
沈黙を破って、お父さんが話し始めた。
「どうしたの、お父さん。お礼なんて言うのは早いよ」
私はお父さんのその言葉に少し不吉なものを感じてしまって思わずそう言う。
「そうだよ、お父さん」
「いやな、楓のレシピで作ってくれる晩ご飯がいつも楽しみだったからね。ひとまずお礼を言わせて欲しい。そしてな、これは俺の決意なんだが…」
お父さんは、キリッと表情を引き締めて、
「俺はまたここに、更紗と綸子、そして楓の待つこの家に帰ってくるからね。面倒をかけるけど、慎吾くんと…東条家のみなさんにもご迷惑をかけてしまうけど、協力して欲しい。と慎吾くんのお父さんにもそう伝えておいたからね、ライナーで」
そう言ってくれた。そう、うちのメニューのほとんどは、お母さんが遺してくれたノートに書いてあったもの。お母さん、私たちと一緒に楽しみながら料理していたから、きっと私たちが結婚したときのためにと書き遺してくれていたんだと思う。
何故そう思ったのかというと、全く同じ内容のノートが2冊あったから。私と綸子、それぞれに書いてくれていたんだ。
こうして、お父さんの入院前夜の夕食は、静かに終わった。
翌日――この日から、実は夏休み後半の補習が始まる。綸子はまだ夏休み中だけど、私はお父さんと綸子に「行ってくるね。14時には帰るから」と行って家を出る。
お父さんの入院は、午後3時半。今日から補習も始まるけど、同時に学園祭の準備も始まるんだ。
いつものように、城西商店街の入り口で、慎吾と合流して登校する。
「今日も暑いね~」
私がうーん!と背伸びをしながら言うと、慎吾は首肯して、
「だね。朝からこんな暑いと、お父さんの入院する時間はかなり暑いよな」
と言う。だから、私もそれに対して、
「そうね。でも、病院に入っちゃえばそれなりに涼しいと思うから」
と返せば、「それもそうか」と慎吾は笑って答えた。
久しぶりの登校だけど、いつもの空気感で心地良い。でも、2週間前は、私達、別れる一歩寸前だったんだよね。そう思うと、今こうして一緒に歩いていられるのは、本当にみんなのおかげだと思ってしまう。
「まぁ、みんなから見たら、いつもの僕たちだと思うけどね」
そういう慎吾の顔は、ちょっと悪戯っぽい。
「慎吾のそんな顔、珍しいけど確かにそうだよね。みんなと会っていない時期にあんなことがあったから、みんなは知らないよね」
「だからこそ、いつも通り振る舞っていれば良いと思うんだ。な、更紗」
「ふふっ、そうね」
私達は、そう笑い合う。そのうち、いつものスクランブル交差点について、夢衣ちゃん、矢野くんと合流する。
「あ~ったりぃよな、補習なんて」
開口一番、矢野くんがそう言う。それには思わず私も慎吾も同意してしまった。
「そうだな、幸弘。課題は終わっているから良いけど、暑いのに学校へ行って勉強するのはキツいよな」
「うんうん、それに、学園祭の準備でしょ?午前中勉強してから準備するのって、準備時間削ってると思わない?」
私達の言葉に、我が意を得たりといった感じで矢野くんは、
「そうだろ、そうだろ?学園祭は、今年で最後だぜ?大学へ行ったら行ったでまた学園祭はあるけど、高校生としての学園祭は今年で最後だから、しっかりやりたいんだよな!」
と言うけど、涼しい顔で夢衣ちゃんがたしなめた。
「そうかもしれませんが、去年も一昨年も、ずっとこの時期に同じようにされていた先輩方に失礼かなと思いますよ。それに、それまでの先輩にできたことが、私達はできないっていわれたら、それは単に『私達は無能です』と言っているようなものではありませんか?」
…でも、意外と夢衣ちゃん最後の一言が手厳しかったから、矢野くんの表情が曇るけど、
「…いや、そんなつもりで言ったんじゃないんだけどな…夢衣~すまん」
「…私も言葉が過ぎました。申し訳ありません」
二人はすぐに謝って頭を下げる。こういうところが、二人の良いところなんだろうなと思う。
「二人の空気感も良いよね」
慎吾がさらっと感想を言うと、二人は少し照れながらも、
「慎吾にそう言ってもらえるのは嬉しいことで」
「はい、ありがとうございます。慎吾くん。でも、二人もいつ見てもお揃いで良いなって、私達も思っていますよ」
と言ってくれるから、逆に私達の方も照れてしまう。
「ありがと、夢衣ちゃん、矢野くん」
私達4人は、一緒にいると本当に心が安らぐ。この感覚は、いつまでも大事にしていきたい、そうずっと思っている。
教室に入ると、私は角田さん――学園祭のクラス準備のとりまとめをしている――に「角田さん、ちょっといい?」と話しかけた。
「ええ、いいわよ、どうしたの?」
屈託のない笑顔を向けてくれる彼女は、陽キャらしい雰囲気を纏っている。
「うん、今日なんだけど、補習終わったら帰らせてもらいたいの。学園祭の準備を手伝えないのは申し訳ないんだけど…」
すると珍しいといった感じで驚く角田さん。
「え?どうしたの?更紗がそう言うってことは、何かしらちゃんとした理由があると思うんだけど、話してもらえる?」
そう聞いてくるから、私もきちんと素直に「実は今日、お父さんが入院するんだ。その付き添いに行きたいから」とお父さんの病状のことを合わせて伝える。すると、角田さんは更に驚いた表情をする。でも、すぐにフッと笑顔になって、
「そう…その理由なら仕方ないね。そんな大変な状態なら、文句は言えないよ。無理のない範囲で手伝ってね。でもね、料理上手な更紗には期待しているんだから、そこは頼んだわよ」
と言う。そう、うちのクラスは軽食を提供することになっていて、これからメニューと衣装作りをするらしい。何気に夢衣ちゃんが裁縫が得意なので、夢衣ちゃん衣装係を請け負っている。私は弁当を作っていることから調理係になっていた。
「明日からは、ちゃんと行くよ。でも、少しだけ早めに帰らせて欲しいんだ。お父さんのお見舞いに行きたいから」
私が更にお願いすると、角田さんは「もちろん」と頷いてくれた。
補習が終わると、私と夢衣ちゃん、矢野くんは教室を一旦出る。理系のクラスへ出向いて、慎吾と一緒にご飯を食べるためだ。
「慎吾、どう?」
私は慎吾に、そう問いかける。
「ああ、更紗。なにが?」
私の問いかけに「ん?」と言った感じで慎吾が答えるから、
「今からお昼ご飯食べられるかどうか。あと、そのあと一緒に帰れるかってことよ」
と言うと、慎吾は「ああ」と頷いて、
「僕からも事情を話したら分かってもらえたよ。大木さんと中山さんが更紗も大変なんだからねって責任者の飯田に働きかけてくれていたよ。まぁ、僕は実際はスタッフだから今はそれほど大きい役割もないから、抜けられやすいんだ」
そう、理系はお化け屋敷をするみたいで、ある程度役柄とかは決まっている。でも、勿論肝心の中身は慎吾ですら私に教えてくれない、完全なシークレットだから、ある意味楽しみでもある。
「そうなんだ。当日、一緒に入っても良い?お化け屋敷はまあまあ好きだから」
そういうと慎吾は笑顔で頷いてくれた。そして、「ゴメンね、席使うね」と言って、そこの3人の席を借りると寄せ合って、4人が座れるスペースを確保すした。
「話し合いは13時半から始めるから、それまではいて良いよ」
と、紗友梨さんから言われて、昼食スタート。
昨日の残り物がメインだけど、たまには良いかと冷食の肉団子と弁当用のナポリタンを詰めておいた。
「はい、慎吾。今日はよろしくね」
そう言って私はお弁当箱を渡す。
「いつもありがとう、更紗」
丁寧な返事を慎吾は返してくれて、弁当箱を開く。
「今日も美味しそう」
慎吾の笑顔に、私も満足する。
「うん、冷食も入っているけど、食べてね」
「勿論だよ」
そう言いながら慎吾は少しずつ箸を進めていく。
そして、慎吾はあっという間に弁当を平らげて、「ごちそうさま。いつも美味しい弁当を、
ありがとう。いつも手作りは大変なんだから、冷凍食品もどんどん使えば良いと思うんだ」と、私にお礼と労いの言葉をくれる。
「私も、いつも美味しいって言ってくれてありがとう。冷食はまぁ、使っても1つか多くても2つまでにしようと思うよ。今日はね、お父さんのことがあって朝少しバタついたから、ちょっと多めになっちゃった」
私が言うと夢衣ちゃんが、
「それで良いと思います。私もよく使いますからね」
と言って、それに矢野くんも続けて、
「そうそう、冷食ばかりなのもよくはないけど、たまに使う分には全然良いと思うよ。特に、俺たち学生は時間ないし。と言うか、高校生で自分の弁当を作ってくるこってホントレアだし、頑張り屋さんだと思うよ」
と言うものだから、それで良いんだ、と思うことができた。
「ありがとう、二人とも」
私はそう二人にもお礼を言って、最後の一口を口に入れた。
それから少し、3人に加えて紗友梨さん、和子さんも交えて談笑。
理系のお化け屋敷と、私達文系の喫茶店について少し情報交換。とは言えまだ動き出したばかりだから、決まっていることは多くはないんだけどね。勿論、どちらも中身については言いっこなし。
「どんな服なのか、楽しみにしてる」と紗友梨さんが言えば、「そっちも、どれだけ怖い屋敷になるか、戦々恐々と完成を待ってるぜ」と矢野くんも言う。
そんなひとときがとても楽しいのだけど、教室の時計に目をやると、もう13時20分を差している。
「そろそろ帰らないと。慎吾、行こう」
私はそう言って、席を立つと、慎吾も席を立って、スマホを取りに行く。私も一旦教室を出てスマホと荷物をとってから、もう一度理系教室へ行くと、慎吾も帰り支度が整っていたようで、「OK、更紗、行こう。大木さん、中山さん、すまないね」と言うと紗友梨さんと、「うん、その見返りは、文系の喫茶店を奢ってもらえれば良いことにするから」と言う和子さんに慎吾はたじたじになって、「あはは…まぁ、仕方ないよな」と苦笑いするだけだった。
そして、私と慎吾は教室を出た。空調のかかっていた教室から廊下に出ると、むわっとした熱気が全身を包む。
「じゃ、みんなまた明日」
そう言って、私達は玄関へ。そして、帰路につくけど、実のところ、私達は少し緊張していた。
だって、身内が入院するのに、心配だったり、今後への不安が出てくるから。
「お父さん、大丈夫かな?」
思わず弱音がでてしまう。そんな私に慎吾は、
「大丈夫だよ。お父さんだって、更紗に綸子ちゃんが心配だから、生きて帰ってくるって強い心を持っているんだからさ。僕たちも同じように思わないと」
と言って、私の心に活力をくれる。
「そうだね。しっかりしなきゃ」
「でもね…」
気合いを入れる私に更に何か言いたげな慎吾だけど、私は彼の言いたいことが分かったから、機先を制する。
「弱気になったら、いくらでも愚痴を言えば良い。胸の内に隠さず、悩みはしっかり共有する、だよね?」
そう言われて慎吾は「その通りだよ」と言って、私の頭をポンポンする。
そして、いつもの商店街入り口で一旦慎吾と別れて家に帰る。慎吾は一旦帰ってから着替えてうちに来てくれる算段だ。
「ただいま」
そう言って玄関で靴を脱ぐと、
「お帰り、お姉ちゃん」「おかえり、更紗。まだ時間があるからゆっくり準備しなさい」
二人の声が聞こえてきた。綸子とお父さんの準備はもう整っている。
「うん、ありがとう。今、すごく暑かったから、シャワー浴びてもいい?上がってちょっとしたら慎吾も来ると思うし」
私がその様にお願いすると、二人とも頷いてくれた。
カバンを置いて着替えを用意し、シャワーを浴びる。汗でまあまあべたついた身体がさっぱりになったら、下着姿のままドライヤーで髪を乾かす。何気に冬から半年以上髪をあまり切らなかったから、後ろの方は結構伸びてきた。その分ドライヤーのセットに時間がかかる。もう少しで終わるかな、と言うところで、呼び鈴が鳴る。
「お姉ちゃん!」
綸子が呼ぶから、私は「分かってる」と少し大きな声で綸子に告げてドライヤーを終える。
そして、ジーンズにグレーのTシャツを着てから、玄関に顔を出すと、既に綸子が慎吾を玄関から中に案内しているところだった。
「慎吾、ありがとう」
私が言うと、慎吾は頷いて、
「うん、大丈夫。お父さんは?」
と言う。私はひとまず自室にいるお父さんを呼んだ。
「おお、慎吾くん、ありがとう。助かるよ、これだけ荷物あるからね」
お父さんは、これから旅行にでも行くんだろうかというくらい、ボストンバッグいっぱいに荷物が入っており、さらにノートパソコンが入っているようなカバンもある。
「結構な量ですね」
「ああ、パジャマに下着、タオル類…この辺り5日分くらい詰めたからなかなかにいっぱいになったよ。すまないが、よろしく頼むね」
「承知しました。それと、このカバンは、ノーパソですか?」
「ああ。一応引き継ぎは簡単にしたんだけどね、それでも緊急のことがあったら俺が対応した方が良い場合もあるからね。それに…」
「それに?」
「スマホで見るよりも、パソコンで画面を見た方が見やすいからね。SNSは特にね」
「あと、F1も、ですね」
「ああ、そうだね。今はサマーブレイク中だけど、9月に入ればそれが楽しみの一つだよ」
慎吾とお父さんは軽くそう会話を交わしてから、リビングで少しくつろぐ。
そして、時計の針が14時半を指したあたりで、
「そろそろ行くとするか。さ、行こう。そろそろ、下にタクシーが来るはずだ」
と、お父さんは私達を促した。
「ええ、わかった」
私はそう言って慎吾に目配せし、視線に気づいた慎吾も席を立って、お父さんのバッグを持ってくれた。
タクシーに4人で乗り込んで、一路病院へ。「お見舞いですか?」とタクシードライバーは言うけど、「自分が入院するんだ。付き添ってもらってるんだよ」と言うお父さんの言葉に「それは失礼しました。でも、良いお子様達ですよね。良いご家族だと思います」と謝罪と私達を褒めてくれて、悪い気はしなかった。
病院に入ると、最近建て替えたんだと慎吾から聞いていたのもあって、すごく綺麗な建物だった。受付でお父さんが「本日から入院予定の大原です」と紹介状を提出すると、少し間があってから「5階東病棟のナースセンターへ行ってください。そこで詳しい説明rがあります」と案内され、私達は5階へと向かう。
そこは、外科と小児外科が配置されていた。
お父さんがナースセンターに行くと、私達の姿に気づいた看護師がお父さんを病室に案内する。今回入院するのは個室みたいで、じっくりと治療に専念したいお父さんがお願いしたそうだ。
私達は荷物を病室に置くと、一旦病室から出る。お父さんの主治医から色んな話を受けるみたいだけど、ひとまず自分自身が受け入れてからみんなに話したいというので、私達はそれまで売店へ行くことにした。
その階のエレベーターへ向かうと、一人の小さい子が同じくエレベーターの前に立って、エレベーターが来るのを待っていた。
入院しているのだろう、病院の入院着に身を包み、頭にはニット帽、そして、点滴をしている。その点滴を引いている腕は細くて、すごく、痛々しかった。
「…」
その子を見ていると、気になる。どうして、入院しているのか、なんの病気なのか。
一緒にエレベーターに乗って、1階に降りる。
降りてから歩く方向も一緒だったけど、足取りが多少弱々しくて、私達の歩く速さについて行けずに離れていってしまう。
そして、売店に近づくにつれて人が多くなり、その子の気配が感じられなくなってしまった。だから、しきりに後ろを向いて、その子がどこにいるかを確認してしまっていた。それに気づいた慎吾が、「?どうしたの、更紗?さっきから後ろを気にしてさ」と、私に問いかけてきたから、今一緒に降りてきたおそらく女の子のことを素直に話す。
「さっきエレベーターで一緒になった子がいたでしょ?何となく気になっちゃって…」
すると、綸子も真顔で、
「うん、実は、私も気になっちゃったんだよね…だって、私達よりもまだ幼いんだよ?多分小学生くらいじゃないかな。それなのに、病気で入院しているんだよ…」
と言う。そんな私達に慎吾は、
「そうだよな…あんなに幼いのに、痩せて点滴して、辛そうに歩くから、気になるよね」
そう言っているうちに売店に着いたから、私達はそれぞれ欲しいものを見に別れる。慎吾はお父さんから頼まれたF1の前半戦の総集編が記された雑誌。綸子はお父さんのうっかりで忘れてしまった歯磨きと歯ブラシ、そしてコップ。私は、ミネラルウォーターを3本ほど。2000円もらったから、あまった分は3人で好きなものを買って良いよと言われている。
5分ほどすると、みんな買うものが揃ったから、計算に強い慎吾が軽く暗算して、「800円くらいは余るから、アイスくらいは買えそうだよ」と言うことで、各々好きなアイスも一緒にカゴに入れてレジへ。狙ったとおり、2000円で100円くらいのおつりで全部買うことができた。
そして、売店の側にある休憩と飲食のできるスペースで、3人座ってアイスを食べる。
「うん、メロン味美味しい」「ソーダも良いね」「やっぱりチョコだよ、チョコ」
私はメロン、綸子はソーダ、慎吾はチョコ味とそれぞれ思い思いに話すけど、その顔はおいしさでほころぶ。
だけど、ふっと視線を通路側に移したところであの子が売店から出てきたところが見えたから、慎吾と綸子に静かにつぶやく。
「あの子、見つけたよ」
私が言うと、綸子が私の視線の先にその子がいることを確認する。
「ほんとだ…どうする、お姉ちゃん?」
「さすがに、話しかけるのはどうかなって思うから、どの病室か確認するだけにしたいかな。慎吾も良い?」
私と綸子の会話をじっくり聞いていた慎吾は、首を縦に振って「いいよ」と言ったから、私達は一気にアイスを食べて、あの子を追った。
一回分、エレベーターに遅れたけれど、隣のエレベーターがすぐ来てくれたから、さほど遅れずにすんだ。エレベーターの扉が開くと、その目の前5メートルくらいに、ゆっくりと歩く女の子の姿が見えた。
「こんなにぞろぞろとあの子の後を追うと怪しくない?僕と綸子ちゃんはお父さんに買ったのを持って行くから、更紗が様子を見に行くといいかな。なんなら、ナースセンターで臨魁学園の名前を出すと、もしかしたらOGがいるかもしれないから、教職コースで入院している子どもの勉強はどうしているのか知りたいと言うと、何かしら教えてもらえるかも」
と言う慎吾の提案を受けて、私はその通り行動する。
女の子が病室に戻ったのを見届けると、私はナースセンターに向かう。昼の時間帯だから、それなりに人数がいる。
「あの…少しだけお伺いしたいことがあるのですが…」
私がおずおずとナースセンターに話しかけると、一番手前のロングヘアをポニーテールにした看護師さんが反応してくれた。名札には、「大木」とある。
「はい、どうしましたか?」
私は勇気を出して話を始めた。
「私、臨魁学園の教職コースの3年生で、教員になろうと思っています。実は、今、父がここの西病棟に入院することになってその手伝いに来たのですけど、買い出しに出たときに、ここに入院してるお子さんを見て、ここに入院しているお子さん達は、どう勉強しているのかなと疑問に思ったんです」
ここまで言うと、看護師さんはちょっと目を大きく見開くと、私を手招きしてナースセンターの反対側にあるレストスペースに促してくれた。
「臨魁学園の生徒さんなのね、それも教職コースなら、妹のことを知っているんじゃない?大木紗友梨って言うんだけど」
…びっくり。紗友梨さんのお姉さん!
「はい!紗友梨さんには転校初日からすっごいお世話になっていました!お姉さんなんですね」
お姉さんはうんと頷いて、「明花梨と言います。で、本題なんだけど、この病院は、院内学級って言うのがあるのね」
「院内学級…」
勿論聞いたことはあるし、教職コースだから、総合的な学習の時間でそれらのことについて調べてみたこともあった。特別支援教育だ。
「そう、だから、勉強すること自体はできるのね。尤も、今は夏休みだから授業はないんだけどね。9月になったら普通に授業はあるわよ」
「ちゃんと時間割もあるんですか?」
私の質問に、明花梨さんは「うーん」とうなって、
「あるとは聞いているけど、その子の体調によってできる人できない日があるし、検査もあるから予定通りできないこともあるんだって」
それは、事実なのだろう。そして私は最後に聞く。
「さっき売店に向かっていたこの事がすごく気になっちゃって…それで、こちらに来てみたんです。もし、機会があればお話しできると良いなと思うんですけど、無理ですよね」
明花莉さんは私の顔をじっと見て、
「邑ちゃんか…。あの子ね…入院が長くなって、ちょっとふさぎ込んでる。保護者の方は良い方なんだけど、お忙しいようで、土日しか面会に来られないのよね…私の一存ではここにいる子と関わりになれるかは決められないし、もし、機会が持てそうなら、保護者の方に話をしておくわね」
と言ってくれた。
あまり長い時間拘束するのも申し訳ないので、この話はだいたい5分くらいで終わった。
「ありがとうございます。とても参考になりました」
「いいえ。お父さんが入院するの、大変だと思うけど面会はこまめにしてあげてね。やっぱり、面会回数が多い方が患者さんの元気にもなると思うから」
そう笑顔で言う明花梨さんに、私も笑顔になる。
「はい、できる限り毎日来ますね」
そして、お父さんと慎吾、綸子の待つ病室へ戻った。
あの日、戻ってすぐお父さんに話していたから、数日後に「例のお子さん、話をしてくれるって」いうライナーが来たことを、学園祭の準備中に入ってきて知った。
学園祭の準備は順調で、一通りメニューをみんなで考え、レシピを調べて「これで行ってみようか?」と話し、次の土日で材料を買って試食してみようとなっている。
私は家族の事情があるから、みんなは19時まで頑張るところを17時半で帰らせてもらっている。私は病院へ向かう。慎吾は毎日ではないけど、2日おきくらいで来てもらっているから、帰りに別行動になるのは、なんだか変な気分だった。
慎吾からライナーで、「更紗と別々に帰ると、『フラれたんか?』なんて行ってくる奴――啓一なんだけどさ、あいつには事情を話したら『そっか、大変だな。俺にできることはないかもしれないが、何かあったら言ってくれ』ってさ。本当に、ありがたいなって思うよ」って連絡が入っていてなんだか中田くんらしいなって思った。あれから変わった中田くんは、本当に仲間思いの頼れる存在で、サッカー部も最後の選手権まで出るそうだ。全国大会に行こうと頑張っているなんて、本当にすごいなって思った。
そんな慎吾からの連絡に、私はフッと思わず笑っちゃったけど、周りがサポートしてくれるのは、本当に感謝だ。
病院について、まずはお父さんのところへ。お父さんの手術の日はまだ決まっていないけれど、9月の頭、学園祭が終わってからみたいだった。
「できるなら、お前の学園祭を見てから手術したいなって思って、予定をずらしてもらったんだ。1週間くらいならなんとかと言ってくれたし、よほど調子が悪くなければ、学園祭当日に外出をしてもいいっても言われたし」
とのことだったけど、正直病気の進行は若いと早いって聞くから私は心配だから、「大丈夫なの?」と聞くと、「ああ、それくらいなら大丈夫だから、医者も許可してくれたんだとおもうよ」なんて返ってくるから「それもそうか」と納得させられてしまった。
そして、肝心の女の子のことになると、
「更紗、失礼のないようにな。親御さんがここに来て、『お願いします』と言ってくれたけどね」
と言って、私に釘を刺す。勿論、言葉を選びながら話をしようと思っている。
私は、「うん、分かってる」と言って「じゃ、行ってくる」と病室を出た。
西病棟の小児外科は今、夕食が終わったみたいで食器が片付けられていく。その中に一人、あの女の子がいた。
「邑ちゃんだね。初めまして。大原更紗です。よろしくね」
この子の名前は有村邑と言った。邑ちゃんは、私の顔を見ると一瞬固まったけど、どうやら明花梨さんと親御さんから話を聞いたようで、すぐ笑顔を私に向けてくれた。
「更紗お姉さんですね。よろしくお願いします」
と、可愛い笑顔で私に挨拶する。でも、その顔色はあまり良くない。
「レストルームでお話しできる?少し、お話しできるかな?」
私が聞くと、邑ちゃんはこくんと頷いてくれた。今日は、点滴をしていないから少し動きやすそうだったけど、足取りは重たい。
レストルームの椅子に向かい合って腰をかけると、邑ちゃんから聞いてきた。
「私のこと、どうして知ったんですか?」
それに私は思い出しながら答えた。
「この前の月曜日、お父さんが隣の西病棟に入院することになってね、売店に買い出しに行こうとした時にあなたを見たの。実は、下りのエレベーターで一緒だったのよ。覚えてる?」
邑ちゃんはちょっと小首をかしげるけど、首を振って、
「誰か一緒にいたなとは思いましたけど、お姉さんだったかまでは覚えてなかったです」
と丁寧に答えてくれた。
10分くらいお話ししていると、だいぶ打ち解けてきた。でも、病状のこともあるからあまり長くはお喋りできないから、今日は自分と邑ちゃんの自己紹介程度で終わった。
「また明後日くらいにお話しできるかな?」
私が聞くと、邑ちゃんは柔らかい表情で、
「ええ、大丈夫ですよ。体調次第ですけどよろしくお願いします」
と言ってからクスッと笑ってくれた。
「どうしたの?」
と聞くと、邑ちゃんは、
「お姉さんができたみたいで、ちょっと嬉しいなって。一人っ子なんで」
と笑顔の後で少し寂しそうだった。でも、私は努めて明るく、
「そっか…ありがとう。またお話しするのを楽しみにしてるからね」
と言って、席を立った。
「はい、私も楽しみにしています!」
次の約束をして、私たちは別れたんだけど、その約束は結局果たせずじまいだった。
二日後、その日は日曜日で、お父さんが入院して7日目だった。土曜日に喫茶店のメニューは試してOKが出たからこの日は午前中だけ準備を手伝って、午後から綸子と一緒にお見舞いに行った。
そこで邑ちゃんの病室に向かうと、「面会謝絶」の看板が立てかけられていた。
居ても立ってもいられず、ナースセンターへ行き、明花梨さんの姿を探す。ナースセンターの後ろの方に明花梨さんの姿を見つけたけど、忙しそうにしていてこちらを見てくれない。でも、私が立ち尽くしているのを見た他の看護師さんが私に「どうしたの?」と話しかけてくれたから、「邑ちゃんが…」と言うと、厳しい表情をして、「うん、ちょっと今は面会できない状態なの」と言われる。
だから、「危ないと言うことですか?」と聞いたら、そうと頷いて、「でも、何とかするから、祈っていて」と言われたので、忙しいところで迷惑をかけるわけには行かないと思い、お父さんの病室に戻って彼女の無事を祈るしかなかった。
「邑ちゃん、心配だね…とにかく今は祈ることしかできないね…私達も聞いているだけで辛いけど、一番辛いのは他ならぬ、邑ちゃん本人だからね」
綸子の言葉に私は頷くだけで、本当に「お願いします、神様」と祈った。お父さんや綸子も、一緒に邑ちゃんの回復を祈るばかりだった。
邑ちゃんの無事を祈りながら待つこと2日、回復したと言うことを聞き、ホッと胸をなで下ろした。その日のうちに面会が認められたので、部屋に会いに行く。この時は、慎吾も一緒だった。
「邑ちゃん、いい?」
私がカーテン越しに話しかけると、少し元気のない声だったけど、「はい、いいですよ」と可愛い声がして、私はその声に安心感を持ちながら、カーテンを開いた。
そこには、彼女のご両親もいて少し驚いたけど、「あぁ、大原さん。後ろにいるのは彼氏さん?ありがとうございます。少し、話されますよね。5分ほどなら大丈夫だと思うので、私たちは一旦席を外しますね。邑、辛くなったらナースコール呼んでね」と言ってお二人は出て行った。
「回復して良かった」
私が最初にそう言うと、邑ちゃんはクスッと笑って、
「この前の約束すっぽかしちゃってごめんなさい」
と言う。
「それは、いいのよ。こうしてまた話ができたからね」
私はそう言って、邑ちゃんに微笑む。
「はい。更紗お姉ちゃん。お姉ちゃんと話したいから、頑張って良くなったんだよ」
邑ちゃんの言葉に、私は驚く。だって、まだ1回しか話してないんだから。
「まだ1回しか話していないのに?」
私がそう言うと、邑ちゃんはうんと頷いて、
「だって、私に興味を持って話したいって言ってくれたから。夏休みに入ると学校の友だちは全然お見舞いに来てくれないし、毎日暇だったんだ。そんなときに更紗お姉ちゃんが私と話したいって言ってくれて、とっても嬉しかったんだよ」
そういう邑ちゃんの顔は寂しかったけど、でもうれしさも同居していた。それから2日に1回のペースで私は邑ちゃんのお見舞いに行く。
そして、話をしていくうちに邑ちゃんの置かれている状況を理解していく。
彼女は、悪性リンパ腫という病気で入院していると言うこと。
治療していくうちにあっという間に痩せてしまったこと。
お友達がなかなか見舞いに来てくれなくて、落ち込んでいたこと。
少しずつ良くなっていく兆候があったのに、この前急に悪くなったこと。
意識を取り戻してから、すごく怖かったこと。
そんななかで私と会うことで早く元気になりたいし、最近は実際になってきていると思ったこと。
私の方は、お父さんが入院して、妹と二人で生活していること。
それでも、彼氏である慎吾の家族が協力してくれていること。
私は先生になりたいのだけど、どの教科を専攻していこうか迷っていること。
でも、そんな私に慎吾はすぐに結論を出す必要はないと励ましてくれること。
そんなことを話していると、邑ちゃんは少しずつお年頃に近づいていることもあるのか、男女交際について興味津々という感じだった。
「元気になって退院して、大きくなったら更紗お姉ちゃんみたいになりたいな。そして、素敵な彼氏を作るの」
って屈託なく笑う邑ちゃんに、私は「できるよ、絶対。諦めないで頑張っていこうね」と言う。
そして、その屈託のない顔を、「はい!」と言って可愛く頷く邑ちゃんの顔を見て、自分の中で、すとんと心に落ちるものがあった。
(私は、こういうところで病気を抱えた子ども達と一緒に成長していきたい)
つまり、特別支援教育を専攻しようと思い至ったのだ。
勿論、教科の勉強も教えられると良いと思っているけど、主にそういう病気や障害のある子ども達を教えていきたいと思った。
そのことを慎吾に話すと、「勿論、いいんじゃないかな。僕は特別支援のことはよく分からないんだけど、それ以上に、どの教科にしようかと悩んでいた更紗が、どういう先生になりたいのか迷っていた更紗が、自分の方向性を見いだせた。それが何よりだよ」と、喜んでくれた。
こうして、私達の慌ただしい夏休みは終わりを告げ、2学期の始まりとともに受験生として最後のお祭り騒ぎ――学園祭を迎えることになった。
「いつか、笑い話にできるようになった時に話そうね」
そう更紗も笑って言ってくれた。
その日のライナーはなかなか終わらず、珍しく0時を回ってようやく落ち着いた僕達。2日間を埋めるのに必死だったと思う。
そして、さらに翌日も図書館で綸子ちゃんも交え3人で勉強していたら、またも大浦君と遭遇し、そのまま4人で午前中いっぱい勉強をすることになった。お昼は僕の家で母さんの作った冷やし中華。ごまダレが美味かった。
そして午後はゲーセンへ行って久しぶりに2人で音ゲー。女性プレイヤーが珍しいのか、見たことのない男達――どうも、夏休みと言うこともあって、遠征できていたみたいだ――が更紗に話しかけようかとしていたけど、待ち時間は常に僕の右腕に左腕を絡ませ、僕の右肩に頭を乗せてイチャコラしているように――と言うか、実際イチャコラしていたんだけど――振る舞っていたら、話しかけられなかった。尤も、「ちょっとベタベタしすぎでお前らのことを知っている俺たちでも妬けるわ」と社さんから言われて苦笑いしてしまったけど。
そんな感じでお盆前は過ごし、お盆は僕の家族が県外の親戚の家に年忌法要のため呼ばれているのもあって3日間会えずじまい。更紗の家は、事情を説明すると「会いに行くわ」と更紗のおじさんが言ってくれたらしく、2泊で大原宅に来てくれるということだった。つまり、僕がいない時と叔父さんが来る時が見事なまでにかぶってしまっていたのだった。
だけど、お盆休みで会えない間も、僕達はライナーでの通話を毎日していた。
「今日は、お墓参りに行ってきたよ。そのあとは、親戚みんなでバーベキューをしたんだ」
「えぇ~!バーベキュー!いいわね!」
更紗の声は、明るい。お父さんの入院が近いけど、「希望は捨てないから」と気丈に振る舞っているんだと思う。墓参りの話題をしてしまい、「ごめん!」と謝ったけど、「だって、それが親戚の家に行く目的の一つなんでしょ?それは仕方がないじゃない。それに、人はいつか亡くなってしまう。だから、そんな事で傷ついたりしないわ。大丈夫だから。まぁ、その代わりに、お土産は奮発してよね」といわれてしまい、「はい、喜んで!」と勢いよく返事をしてしまった。
僕は、数年ぶりの親戚の家で十三回忌の法要が行われた後のバーベキューで、同い年の親戚の娘、杏子ちゃんによく話しかけられた。そして、結構時間が経ちバーベキューの終わり頃になると、
「実はね、幼稚園の頃から慎吾くんのこと好きだったんだ」
と、告白されてしまい返答に困っていると晴兄が、
「あ、杏子ちゃんごめん。こいつ、めちゃくちゃ美人の彼女いるから。慎吾、見せてやったら?」
なんて言うものだから、鳩が豆鉄砲を食らった顔をした杏子ちゃんに、スマホのロックを解除して、壁紙を見せる。その壁紙をまじまじと見て、杏子ちゃんは発狂した。
「えぇぇぇぇぇぇぇ~~~~~~!」
メガネ美人の杏子ちゃんだけど、この叫び声を聞いたその場のみんなが杏子ちゃん…というか、僕達の方を向く。
「ど、どうしたんだ?そんな大声出して」
杏子ちゃんのお父さん、今回誘っていただいた親戚が、杏子ちゃんに聞く。
「あ、あ、すごい、美人。慎吾くんの、彼女…それに、すごいスタイルいい…」
口をパクパクする杏子ちゃんに、親戚は僕の方に視線を向けて、「スマホ見せて」という。
「あ、はい、どうぞ」
僕がスマホを親戚に渡すと、見た瞬間「ひゅ~ぅ!」と口笛を吹く。
壁紙の更紗は、いつもの公園でこっちを向いて、満面の笑みを浮かべてくれる。夏休み前の休みに、二人でゲーセンに行ったあとに撮ったものだ。その笑顔をしっかり見たいから、1ページ目は最低限のアプリしか表示していない。だから、何にも邪魔されない彼女の笑みを見ると、「慎吾、本当に彼女のこと好きなんだよな~」とよく言われる。
「うわ、確かに。こんな美人さんが慎吾くんの彼女なんだな。…杏子、残念だったな…」
おじさんは、がっくり肩を落として、娘の恋心がかなわなかったことを残念がる。
「…し、仕方ないね!年に1回でも会えれば良い方なんだから、毎日顔を合わせる子に敵うわけないし…」
まだ動揺しているみたいだけど、杏子ちゃんは少し冷静さを取り戻してそう元気に言う。目にはちょっと涙が光っているようだったけど、健気に笑顔を見せていた。
「ごめんね、杏子ちゃん」
僕がそう言うと、杏子ちゃんも頷いて「うん、また新しい恋を探すから…大学入ったらね」と言ってくれた。どうやら、東京の私立大学に指定校推薦で行くことになると言う話らしく、入学が決まったらコンタクトにするって言っていた。
杏子ちゃんは傷心なんだろうけど、すごくたくましいなと思う。自分だったら、暫く引きずると思った。
「そっか、杏子ちゃんは東京へ行くのか」
と、僕はしみじみと言う。すると、杏子ちゃんは聞いてきた。
「え?慎吾くんはどうするつもりなの?」
それには、僕は少し困り顔で答えた。
「実は、まだ決めかねているんだ。普通に考えれば、臨魁学園の大学部一択なんだ。エスカレーター式だから楽だし。でも、更紗…僕の彼女ね、今ちょっと家族の病気で辛い状態だから助けたいし、彼女の選択次第で、大学は変わると思う。県外の国立とかね」
「…そうなんだ。大変ね…。だけど、県外だとすると、どこへ行くの?」
「更紗のお父さんの故郷である九州の方になるかなって」
「そっか。真反対だね」
杏子ちゃんは、おそらく一縷の望みをかけて聞いてみたんだろう。彼女が行こうとする東京とは全く真反対の九州になるかもしれないと僕が答えると、端から見ても分かるくらい落ち込んでいたっけ。
「そうだよね。彼女さんの方が大事だよね」
と言って、少しうなだれていた。
あとで母さんは、「あの子がまさか慎吾のこと好きだったなんてね…。でも、あの子良い子だから、大学デビューしたら、良い彼氏見つけられると思うわ」って言っていたから、是非ともそうあって欲しいと思った。
だって、杏子ちゃんはちょっと地味に見えるけど、黒髪ロングが綺麗で眼鏡かけていても結構美人で素直だし、学校ではモテると思う。だから、杏子ちゃんには申し訳ないんだけど、幸せになって欲しいと願った。
叔父さんは、慎吾が親戚の家に泊まりに行った翌日、福岡からはるばるやってきてくれた。
「おう、弟よ。確かに顔色は良くなさそうだな。大丈夫か?」
叔父さんはそう言って、お父さんの肩を叩く。
「兄さん、まぁ、良くはないけど、極端に悪くもないよ。子ども達が気遣って食べやすいのを出してくれているし、職場も理解してくれてすぐ休職の手続きもしてくれたから」
お父さんは笑顔で叔父さんに言う。
「そうか。なら安心だ。更紗、綸子、お前達も大変だな。今が正念場だ。でも、玄佑も簡単に死ぬつもりはないと思うから、諦めたらいかんぞ」
真剣な表情になって、私と綸子に叔父さんはそう言ってくる。私も綸子も、その辺は覚悟を決めているから、
「勿論ですよ、叔父さん。私達も毛頭諦めるつもりはありません。まだまだ生きて、私達の子どもを抱いて欲しいと思っていますよ」
と私が笑顔で言うと、叔父さんの顔もほころぶ。
「そうか。それなら安心だ。心が弱ると、身体も弱る。みんな同じ気持ちで前を向いているなら、可能性はその分高くなると思うぞ」
「ああ、俺もそうあって欲しいと願っているよ、兄さん」
お父さんも真剣で、それでいて頬を緩ませて叔父さんに告げる。
「じゃ、今日は外へ食べに行くか?俺が奢るぞ。玄佑、どこか行きたいところはあるか?」
叔父さんなりの配慮なのだろう。美味しいものを食べて欲しいという気持ちや、入院したら、暫くそういうのは食べられないからと言って促してくる。
「う~ん、蕎麦が良いかな。最近、職場の人に教えてもらった店があってね。祥蔵兄さん、俺が運転するよ」
「分かった。くれぐれも、無理するなよ」
「勿論、そんなに食べないって。おろし蕎麦の一杯でも食べてみなよ。ハマるから」
そう言って二人は笑い合う。本当に、いつ見ても仲の良い兄弟だと思う。
その仲の良さは私達も負けていないと思うのだけど、お父さんと叔父さんはそれ以上だ。お互いに、お互いのことを言葉でも、態度でも気遣っていることが分かるんだもの。
「さぁ、更紗、綸子、いくぞ。美味しい蕎麦を食べよう」
お父さんの言葉に、私達も頷いて玄関を出る。お父さんの運転でそば屋さんに向かったわけだけど、助手席に叔父さん、後部座席に私と綸子が座っていたけれど、お父さんの運転は、体調が良くないとは言え問題なかった。
「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
蕎麦屋さんに入ると、お店の女将さんであろう女性が声をかけてくれた。
「4人です。よろしくお願いします」
一番先に入った私がそう告げると、女将さんは微笑みを浮かべたまま、「こちらへどうぞ」と言って、私達を座敷席に案内してくれた。
「ありがとうございます」
私はそう礼を言ってお父さん達を席に促し、みんな座る。
そして、それぞれお品書きを見て、注文を決めた。
お父さんの「おろし蕎麦が良いな」を皮切りに、「弟よ、それマジで美味いのか?なら、俺もそれにしようと思う。…大盛りってできるのかな?」と叔父さん。
「私は、卵とじ蕎麦かな」「じゃ、私はきつね蕎麦にするね」と私に綸子が次々声に出す。
「じゃ、女将さんを呼ぶからね」
お父さんがそう言って、女将さんを呼ぶと、「は~い」とすぐに注文を取りに来てくれた。
そして、お父さんが私達の注文を告げると、「それでは、承りました」と女将さんは厨房へと入っていった。ちなみに、叔父さんの「大盛り」は150円追加でできるみたいで、叔父さんは「じゃ、大盛りで!」と注文していた。
そして、お蕎麦がくるまでの間、私達は話を続けていた。
「それで、玄佑が入院している間、お前達はどうするんだ?」
叔父さんの言葉に、私は答える。
「彼氏の家に週3で行って、一緒に夕飯を食べることになっているの。それは、彼と付き合うようになって、今年に入ってから、彼のお母さんの提案で暫くお世話になっていたの。部活を引退してからは忙しさも一段落ついたからついこの前までは遠慮していたんだけど、今回のことを彼氏に話したら、『また来れば良いよ』って言ってくれたの」
「そうか…更紗、良い彼氏を持ったんだな。そして、彼氏の家族もいい人達みたいだ。良いじゃないか」
叔父さんは笑って私に話をする。そして、
「で、大学はどうするんだ?」
と聞いてくるから、それには「まだ決めてないんだ。このまま臨魁学園の大学部に進んで、慎吾や友人達と一緒にキャンパスライフを送りたい気持ちが強いんだけど…」と、ここまで言って私はちょっと口をつぐむ。
「…?言いにくいことでもあるのか?」
と叔父さんは聞くけど、私はうん、と頷く。
だって、万が一にでもお父さんに何かあったらなんて、こんなところで言いたくないもの。と、思っていると、私は知らないうちに厳しい顔つきになっていたみたいだった。その表情を見て何か察したのか叔父さんは、
「言いにくいなら、まあ敢えて聞かないわ」
と言ってくれた。その代わり、「綸子は彼氏いないのか?」とターゲットを綸子に変えたみたい。
「あ、う、うん。今は、いないよ」
綸子もちょっと歯切れが悪い。いきなり言われて驚いていたのもあるんだと思うけど、うん、そうだよね、今は友達以上の子がいるんだから。
「今は、ってことはそれなりの子がいるってことなんだな?」
お父さんが綸子の言葉にそう聞くと、綸子は顔を真っ赤にして、「うん」と答えた。
「そうか、綸子もそういう歳になったんだな」
と、お父さんは笑っている。
「え?お父さん心配じゃないの?」
綸子が笑っているお父さんに驚いて聞くけど、
「だって、お前は慎吾くんのことが好きだったんだろ?と言うことは、綸子が好きになるなら、同じような雰囲気をまとった子なんだろうなと。だから、しっかりした子だろうし、心配しないどころか、応援したいよ」
そう、本当に優しい笑顔で言うものだから、綸子は涙ボロボロ。「うん、うん」と頷きながら、「夏休みが終わってしばらくしたら、告白しようと思っているの。本当に、慎吾さんみたいないい人だし、優しいから」と言うから、叔父さんは、少し驚くことを言った。
「おい、更紗に綸子、更紗の彼氏って、しんごって言うのか。そんなにいい人間なら、俺も一度会ってみたいんだが、どうだ?」
私は目を丸くして驚く。綸子も同じだったけど、私と顔を見合わせる。綸子と目が合うと、私も落ち着いて頷くことができて、
「分かったよ。でも、実は今、彼は県外の親戚の家に行っていて、帰ってくるのは明明後日なんだって」
「うわ、それ入れ替わりか…う~ん」
叔父さんは少し考えて、
「じゃ、もう一泊増やすわ。彼氏に時間作れるか聞いてくれないか?」
とびっくりすることを言う。でも、叔父さんはどうしても慎吾に会いたいようだ。
叔父さんは独身。実は奥さんの不倫で離婚して、それから一人だと聞いている。そんな話を聞いているから、私も綸子も、浮気という行為に対して嫌悪感を持っている。
叔父さんは「時間に余裕があるから一泊増やすくらいは何でもない」とのことだ。だから私は納得して頷いて、「後で聞いてみるね」と返事をした。
そんなところで、お蕎麦がやってきた。
「さ、食べよう。美味しいぞ」
お父さんがそう言って、割り箸をみんなに配る。真っ先に配った張本人が割り箸を割って、お蕎麦についてきた出汁を大根おろしの上からかけた。それを見て、叔父さんもそれに倣って出汁を大根おろしにかける。
すると、大根おろしと出汁が合わさった香りがしてきた。
私と綸子は温かいお蕎麦だから、息をふ~っとかけながらお蕎麦を食べる。
美味しい!出汁の主張が強すぎなくて、お蕎麦の風味もしっかり感じ取れる。弾力もそれなりにあって、食べ応えがあるから私と綸子は普通盛りにして正解だったと思う。
私と綸子は顔を見合わせて、笑みを浮かべた。
「美味しいね!」
「ああ、おろし蕎麦も、大根が辛いけど、それが良い!」
叔父さんも美味しそうに食べると、「だろ、兄さん」とお父さんが珍しくどや顔をして、笑みを浮かべた。
私の卵とじ蕎麦は食べていくと、卵に絡んだ出汁の味がとても染みていて、そこにお蕎麦の味も広がって、絶品だった。それは、綸子も同じだったみたいで、「揚げって、こんなに美味しいんだね。お味噌汁にあまり入れないからそんなに思ったことないけど、この揚げはとっても美味しいよ」と驚いた表情で言った。
揚げって、確かに私達は料理であまり使わない。だから、そんなに揚げが美味しいことを今回私も一口もらって、知ることになった。
「本当に、このお店の蕎麦はどれも美味い!九州じゃ、こんな蕎麦はなかなかないからなぁ」
「やっぱりそっちは豚骨ラーメンだよな」
「あぁ、そうだな。週1で屋台に行ってしまうよ。お酒飲んだあとの締めとしては最高だよな」
「身体壊すぞ、俺みたいに」
兄弟で何を話しているんだろう…。私と綸子は苦笑い。
でも、そんな4人の時間は穏やかで、すっごく楽しい時間だった。
それから3日後、私と叔父さんはある意味因縁の喫茶店の「リスペクト」で慎吾と会った。
私の隣に慎吾、反対側に叔父さんが座る。
「初めまして。東条慎吾です」
慎吾の挨拶に、叔父さんは満足そうに頷く。
「良い面構えだな。人柄の良さがその顔に出ているよ。確かに、更紗が惚れたのも分かる」
「恐れ入ります」
慎吾は神妙な顔で、頭を下げて礼を言った。
「更紗とは、どうやって知り合ったんだい?」
そう聞く叔父さんに、慎吾は答える。
「更紗が転校してきて自己紹介をした時に、僕は一目惚れしたんです。そして運の良いことに、彼女の席を担任の先生が僕の隣に指定したんです。それだけでも正直嬉しかったのですが、初日から厳しい先生の課題を二人揃ってこなすことになったことから話が進んで、校内を案内することになって、さらに帰る方向が同じと言うことで一緒に帰ることになったんです。本当に信じられない1日でした。それから毎日を過ごしているうちに、やっぱり僕は更紗のことが大好きだと言うことを自覚して過ごしました」
「そうそう、それでね、初日のお昼のあとに、チャラ男に声をかけられたんだけど、慎吾と慎吾の親友の矢野くんに助けてもらったの。それに、翌日も別の男子が私の胸を見ながら話しかけていたところを助けてくれたし、また更に色々あって、本当に最初の1週間は助けられたの。でもね、慎吾は見返りを求めなかった。そういったところが私は彼を好きになっていったんだ」
私と慎吾で説明していくと、叔父さんの表情はどんどん緩んでいく。
「そうか、確かに、更紗の顔と身体を見て振り返らない奴はいないだろうからなぁ。でも、そうした連中よりも、慎吾くんを選んだのは絶対正解だ。そして、良い青春をしているのが分かるぜ」
そこで一旦言葉を切ってから、
「でもな、そんなに良い日々を送っていても、どこかで喧嘩もするだろうし、上手くいかない時があると思うんだ。そんなことを乗り越えていかないとな」
と続けた。私と慎吾はその言葉に顔を見合わせて、
「それ、つい先日ありました」「うん、もう少しで別れるところだったの。お互いのすれ違いだったんだけど…」
と言ってかいつまんで少し前にあった出来事のことを話すと、叔父さんは目を丸くした。
「そ、そうなのか…。それは、大変だったな。確かに、玄佑の病気のことで更紗も焦っていたのは分かるし、それで何とかしないといけないと思うことも当然だと思う。慎吾くんも、もっと頼って欲しかった気持ちもあるよな。…でも、今二人がそうやって仲良くいられたのなら、よかったと思う。でも、これからもそんな事があると思うから、今回のことをたまに思い出すといいかもな」
そういう叔父さんの言葉に、私たちは「はい」と神妙に頷いた。
それからは、楽しく慎吾も叔父さんも話をしていて――でも、二人が仲良くなるだろうなって言うことは全然心配していなかったのだけど、そんな楽しい時間もあっという間に過ぎていったんだ。
『リスペクト』を出たあと、私達と一緒に慎吾は歩いて私の家に向かい、見送ってくれた。
「俺は九州だからおいそれと来ることはなかなかできない。でも、独り身だし、仕事も休めないわけじゃないから、身動きは取りやすい。万一、何かあったら二人で話をして呼んでくれれば良い。だから慎吾くん、連絡先交換してもらっていいか?更紗とのことで悩んだら連絡してもらっていい」
その道すがら、叔父さんはそう慎吾に言う。
「はい、分かりました。何かあった時は、よろしくお願いします」
真面目な顔をして、返事をする慎吾。そんな慎吾に私は笑顔を向ける。
「大丈夫だよ叔父さん。何もないから。ね、慎吾?」
そう言うと、慎吾も私の顔を見て笑顔になり、
「そうだね。もう大丈夫だよ。でも、本当に僕たちでは解決できないこと、幸弘や夢衣に助けてもらっても難しい時は、やっぱり年長者の助けを借りなくちゃいけない。だから、そんな時は僕の親や、更紗の叔父さんにお願いすると思うから」
と私に伝えながら、叔父さんの顔を見て、
「そういう風に考えています。それでいいですか?」
と言った。
「ああ、それで構わないよ。まぁ、俺はこっちでどうしても解決できないような悩みを話してくれればいいからな。うん、君と今日会えて本当に良かったと思うよ。将来が楽しみだ」
そう叔父さんは答えてくれて、ニヤッと笑ったのが、印象に残っている。
更紗の叔父さんは言葉は少し荒いのだけども、更紗のことは勿論のこと、弟である更紗のお父さんや綸子ちゃん、更に僕にも気を遣ってくれる、とっても優しい人だった。
更紗の彼氏は俺の家族と同然といった感じだったし、だからこそ、僕も真剣に叔父さんと向き合って話ができたし、そのおかげで、僕は更紗と出会った時のことを思い出して、あの頃の初心を取り返していく。そんな中で、ある想いがあのときの僕の状態を客観的に見えて納得していた。
…ああ、多分なのだけど、僕と更紗があのとき喧嘩というか、別れる寸前までこじれたのは、慢心だったんだ…。
好きという気持ちは勿論あるのだけど、更紗が僕の元から去るはずがないという思い込みと、こんな美人の彼女の信頼を得ていつまでも一緒にいられるのだろうという慢心。そういったものが蓄積されて、ここに繋がったのかなぁ…なんて、今になって思っていた。
そんな慢心に気づかせて、初心を思い出させてくれたのだから。だから、更紗の家の前で、彼女の叔父さんに、改めて感謝を示した。
「叔父さん、ありがとうございました。今回こうしてお話しする機会を持つことで、僕は更紗と出会って抱いた気持ちを思い出しました。いつも側にいるからこそ、「好きだ」という思いを大切にしていかなくてはいけない、改めて思うことができました」
そう言うと、叔父さんはカラカラと笑って、
「それなら、俺もこうして九州から出てきた甲斐があったというものだよ。弟は勿論心配だ。ステージ3なんて言ったら、5年生存率も50%くらいだろ?楓さんも自己で突然亡くなってしまったのに、玄佑までいなくなったら、この二人は路頭に迷ってしまう」
そこで、真剣な表情になって、
「そうならないようにするのが俺の務めだと思っている。でも、やっぱり生きていて欲しいのだよ。でも、今日、君と話ができて、君とその家族のみなさんが、更紗と綸子、そして玄佑を支えてくれると分かったから、俺は安心して九州から見守っていられるよ。お金のことは俺に任せてくれれば良い。元嫁の慰謝料は全然使ってないからいくらでもとは言えないが、十分支えるだけのものはある」
そう言ってもらえたけど、最後の一言は十分に破壊力があった。
「え?慰謝料…?」
「あ、慎吾くんにはまだ話していなかったな。俺、バツイチなんだよ。原因は、元嫁の不倫。おかしいと思って探偵雇ったら、やっぱりそうだったから、元嫁と相手にがっつり請求したんだよ。それ以降、もう結婚したくないって思って独身なんだよ」
フッと短く息を吐いて叔父さんはそう言ってのける。でも、OurTubeの動画でそういう復讐劇のものを1回だけ見たことあるけど、精神的にすごく辛いことだよなと思う。更紗が浮気したらなんて思ったら…いや、実際そうじゃなくて誤解しただけで、僕はあんなに精神崩壊する一歩手前になってしまったのだから、実際にされていたら本当に壊れていただろう。
「…大変だったんですね」
そういうことしかできなかった僕の背中を、叔父さんはパン!と軽く叩く。
「まぁな、あのときは確かにキツかったさ。なんで俺がこんな目に遭わないといけないんだ、あいつのために、いつか生まれる子どものためにとせっせと働いていたのが馬鹿馬鹿しくなったしな。でも、喉元過ぎれば、と言うやつかな、それから5年経った今は、もうあっさりしたものよ。だから、慎吾くんもな、笑い話にできる時が来るさ。でな、話を元に戻すが、金銭面では俺が助ける。玄佑の入院の保証人にもなったからな。だから、こちらでの生活や心の支えになっていて欲しい。頼むよ」
最後の顔はとても真剣で、僕は、「はい!」と頷いた。
「良い返事だ。玄佑の病気が良くなったらな、次は正月に来たいと思ってるから、その時はまた会おうぜ」
叔父さんはそう言って、もう一回僕の背中を叩いた。
少し痛かったけど、その痛みとともに、叔父さんの手の温かさが伝わって、胸にまで染みてきた気がした。
それから数日。いよいよお父さんが入院する前日。私と綸子は真剣に料理をしていた。暫くはお父さんが病院食しか食べられないから、美味しいものを食べて欲しくて私達は必死だった。
「だし巻き卵に、ポテトサラダ…」
「唐揚げと、揚げとわかめ、豆腐の味噌汁。あとは、キャベツとキュウリのサラダかな」
私がだし巻き卵とポテトサラダとキャベツとキュウリのサラダを作り、綸子が唐揚げとお味噌汁を作ることになる。
「美味しいのを作ろう、お姉ちゃん。お父さんに元気をあげようよ」
「ええ、勿論よ。お願いね」
私はまず、ポテトサラダを作るために、ジャガイモを茹でてから潰しながら切ったタマネギと人参を加熱する。その間に、綸子は唐揚げを作るために鶏肉を一口大に切って、ショウガと醤油と一緒に保存用袋に入れて味を染み込ませた。
そして、クッキングヒーターの前に立つ役目を交代して、私はキュウリとハムを切ってジャガイモ人参タマネギに混ぜてマヨネーズを和え、ひとしきり混ぜ合わせてひと品目の完成。二品目はキャベツとキュウリを切って、シーチキンと和えるだけだから全然手間がかからない。
綸子の方は、唐揚げを揚げるための油を加熱しつつ、味噌汁の準備をしていた。そして、加熱が終わると唐揚げを揚げ始めた。
前々から思っていたけど、やっぱり私よりも綸子の方が要領が良いから、特に揚げ物のような料理を綸子は美味しく作れる。慎吾は私が作った唐揚げも美味しいと言ってくれるけれども、内心はちょっと悔しかったりする。
綸子が揚げて手が離せない間に、私は綸子が担当する予定だった味噌汁に取りかかる。お鍋に即席だしのパックを入れて水を入れ、加熱開始。乾燥わかめと、以前から刻んで冷凍していた薄揚げを入れてから、豆腐を切って、入れる。その頃には、唐揚げがイイ感じで揚がってきてそろそろ唐揚げが完成するタイミングで、炊飯器からご飯が炊きあがった音楽が流れた。
「じゃ、ご飯よそうね」
私はそう綸子に言って、「オッケー、お姉ちゃん。よろしくね」という答えが返ってくるのを背後に聞きながら、まずは軽くご飯を混ぜてそれからご飯を茶碗によそう。
「あとは、味噌汁だね、お味噌は私がやっておくから、お姉ちゃんは配膳よろしく!」
綸子の明るい声に、「了解。任せたわ」と返して、私はまずご飯を3人分並べ、それから後飾り祭壇にもお母さんの分を仏飯器に入れて飾った。
そして、他のおかずもそれぞれ菜箸やスプーンを差して、すぐに取れるように準備をした。あらかた準備が終わったところで、「お姉ちゃん、お父さん呼びに行って~。お味噌汁よそっておくから」という綸子の声に、私は「うん!ありがとね、綸子」「お互い様だよぉ」とやりとりして、部屋に籠もっているお父さん――明日の入院の準備をしてから、ちょっとお昼寝しているんだけど――を呼びに行った。
「お父さん、晩ご飯できたよ」「お、ありがとう。今行くよ」
お父さんの声はそれなりに元気で、すぐに部屋から出てきてくれた。顔色も幾分か良い。
私とお父さんがテーブルの席をつくのに合わせて、綸子がお味噌汁をテーブルに並べた。
「いただきます」
私達はそう合掌してご飯を食べる。でも、お互いに喋らない…と言うか、喋ることができない。
やっぱり、明日のことを、そしてその先のことを考えると気持ちは沈んでしまう。だから、どうしても言葉を発することを躊躇してしまう。
「更紗、綸子、ありがとう」
沈黙を破って、お父さんが話し始めた。
「どうしたの、お父さん。お礼なんて言うのは早いよ」
私はお父さんのその言葉に少し不吉なものを感じてしまって思わずそう言う。
「そうだよ、お父さん」
「いやな、楓のレシピで作ってくれる晩ご飯がいつも楽しみだったからね。ひとまずお礼を言わせて欲しい。そしてな、これは俺の決意なんだが…」
お父さんは、キリッと表情を引き締めて、
「俺はまたここに、更紗と綸子、そして楓の待つこの家に帰ってくるからね。面倒をかけるけど、慎吾くんと…東条家のみなさんにもご迷惑をかけてしまうけど、協力して欲しい。と慎吾くんのお父さんにもそう伝えておいたからね、ライナーで」
そう言ってくれた。そう、うちのメニューのほとんどは、お母さんが遺してくれたノートに書いてあったもの。お母さん、私たちと一緒に楽しみながら料理していたから、きっと私たちが結婚したときのためにと書き遺してくれていたんだと思う。
何故そう思ったのかというと、全く同じ内容のノートが2冊あったから。私と綸子、それぞれに書いてくれていたんだ。
こうして、お父さんの入院前夜の夕食は、静かに終わった。
翌日――この日から、実は夏休み後半の補習が始まる。綸子はまだ夏休み中だけど、私はお父さんと綸子に「行ってくるね。14時には帰るから」と行って家を出る。
お父さんの入院は、午後3時半。今日から補習も始まるけど、同時に学園祭の準備も始まるんだ。
いつものように、城西商店街の入り口で、慎吾と合流して登校する。
「今日も暑いね~」
私がうーん!と背伸びをしながら言うと、慎吾は首肯して、
「だね。朝からこんな暑いと、お父さんの入院する時間はかなり暑いよな」
と言う。だから、私もそれに対して、
「そうね。でも、病院に入っちゃえばそれなりに涼しいと思うから」
と返せば、「それもそうか」と慎吾は笑って答えた。
久しぶりの登校だけど、いつもの空気感で心地良い。でも、2週間前は、私達、別れる一歩寸前だったんだよね。そう思うと、今こうして一緒に歩いていられるのは、本当にみんなのおかげだと思ってしまう。
「まぁ、みんなから見たら、いつもの僕たちだと思うけどね」
そういう慎吾の顔は、ちょっと悪戯っぽい。
「慎吾のそんな顔、珍しいけど確かにそうだよね。みんなと会っていない時期にあんなことがあったから、みんなは知らないよね」
「だからこそ、いつも通り振る舞っていれば良いと思うんだ。な、更紗」
「ふふっ、そうね」
私達は、そう笑い合う。そのうち、いつものスクランブル交差点について、夢衣ちゃん、矢野くんと合流する。
「あ~ったりぃよな、補習なんて」
開口一番、矢野くんがそう言う。それには思わず私も慎吾も同意してしまった。
「そうだな、幸弘。課題は終わっているから良いけど、暑いのに学校へ行って勉強するのはキツいよな」
「うんうん、それに、学園祭の準備でしょ?午前中勉強してから準備するのって、準備時間削ってると思わない?」
私達の言葉に、我が意を得たりといった感じで矢野くんは、
「そうだろ、そうだろ?学園祭は、今年で最後だぜ?大学へ行ったら行ったでまた学園祭はあるけど、高校生としての学園祭は今年で最後だから、しっかりやりたいんだよな!」
と言うけど、涼しい顔で夢衣ちゃんがたしなめた。
「そうかもしれませんが、去年も一昨年も、ずっとこの時期に同じようにされていた先輩方に失礼かなと思いますよ。それに、それまでの先輩にできたことが、私達はできないっていわれたら、それは単に『私達は無能です』と言っているようなものではありませんか?」
…でも、意外と夢衣ちゃん最後の一言が手厳しかったから、矢野くんの表情が曇るけど、
「…いや、そんなつもりで言ったんじゃないんだけどな…夢衣~すまん」
「…私も言葉が過ぎました。申し訳ありません」
二人はすぐに謝って頭を下げる。こういうところが、二人の良いところなんだろうなと思う。
「二人の空気感も良いよね」
慎吾がさらっと感想を言うと、二人は少し照れながらも、
「慎吾にそう言ってもらえるのは嬉しいことで」
「はい、ありがとうございます。慎吾くん。でも、二人もいつ見てもお揃いで良いなって、私達も思っていますよ」
と言ってくれるから、逆に私達の方も照れてしまう。
「ありがと、夢衣ちゃん、矢野くん」
私達4人は、一緒にいると本当に心が安らぐ。この感覚は、いつまでも大事にしていきたい、そうずっと思っている。
教室に入ると、私は角田さん――学園祭のクラス準備のとりまとめをしている――に「角田さん、ちょっといい?」と話しかけた。
「ええ、いいわよ、どうしたの?」
屈託のない笑顔を向けてくれる彼女は、陽キャらしい雰囲気を纏っている。
「うん、今日なんだけど、補習終わったら帰らせてもらいたいの。学園祭の準備を手伝えないのは申し訳ないんだけど…」
すると珍しいといった感じで驚く角田さん。
「え?どうしたの?更紗がそう言うってことは、何かしらちゃんとした理由があると思うんだけど、話してもらえる?」
そう聞いてくるから、私もきちんと素直に「実は今日、お父さんが入院するんだ。その付き添いに行きたいから」とお父さんの病状のことを合わせて伝える。すると、角田さんは更に驚いた表情をする。でも、すぐにフッと笑顔になって、
「そう…その理由なら仕方ないね。そんな大変な状態なら、文句は言えないよ。無理のない範囲で手伝ってね。でもね、料理上手な更紗には期待しているんだから、そこは頼んだわよ」
と言う。そう、うちのクラスは軽食を提供することになっていて、これからメニューと衣装作りをするらしい。何気に夢衣ちゃんが裁縫が得意なので、夢衣ちゃん衣装係を請け負っている。私は弁当を作っていることから調理係になっていた。
「明日からは、ちゃんと行くよ。でも、少しだけ早めに帰らせて欲しいんだ。お父さんのお見舞いに行きたいから」
私が更にお願いすると、角田さんは「もちろん」と頷いてくれた。
補習が終わると、私と夢衣ちゃん、矢野くんは教室を一旦出る。理系のクラスへ出向いて、慎吾と一緒にご飯を食べるためだ。
「慎吾、どう?」
私は慎吾に、そう問いかける。
「ああ、更紗。なにが?」
私の問いかけに「ん?」と言った感じで慎吾が答えるから、
「今からお昼ご飯食べられるかどうか。あと、そのあと一緒に帰れるかってことよ」
と言うと、慎吾は「ああ」と頷いて、
「僕からも事情を話したら分かってもらえたよ。大木さんと中山さんが更紗も大変なんだからねって責任者の飯田に働きかけてくれていたよ。まぁ、僕は実際はスタッフだから今はそれほど大きい役割もないから、抜けられやすいんだ」
そう、理系はお化け屋敷をするみたいで、ある程度役柄とかは決まっている。でも、勿論肝心の中身は慎吾ですら私に教えてくれない、完全なシークレットだから、ある意味楽しみでもある。
「そうなんだ。当日、一緒に入っても良い?お化け屋敷はまあまあ好きだから」
そういうと慎吾は笑顔で頷いてくれた。そして、「ゴメンね、席使うね」と言って、そこの3人の席を借りると寄せ合って、4人が座れるスペースを確保すした。
「話し合いは13時半から始めるから、それまではいて良いよ」
と、紗友梨さんから言われて、昼食スタート。
昨日の残り物がメインだけど、たまには良いかと冷食の肉団子と弁当用のナポリタンを詰めておいた。
「はい、慎吾。今日はよろしくね」
そう言って私はお弁当箱を渡す。
「いつもありがとう、更紗」
丁寧な返事を慎吾は返してくれて、弁当箱を開く。
「今日も美味しそう」
慎吾の笑顔に、私も満足する。
「うん、冷食も入っているけど、食べてね」
「勿論だよ」
そう言いながら慎吾は少しずつ箸を進めていく。
そして、慎吾はあっという間に弁当を平らげて、「ごちそうさま。いつも美味しい弁当を、
ありがとう。いつも手作りは大変なんだから、冷凍食品もどんどん使えば良いと思うんだ」と、私にお礼と労いの言葉をくれる。
「私も、いつも美味しいって言ってくれてありがとう。冷食はまぁ、使っても1つか多くても2つまでにしようと思うよ。今日はね、お父さんのことがあって朝少しバタついたから、ちょっと多めになっちゃった」
私が言うと夢衣ちゃんが、
「それで良いと思います。私もよく使いますからね」
と言って、それに矢野くんも続けて、
「そうそう、冷食ばかりなのもよくはないけど、たまに使う分には全然良いと思うよ。特に、俺たち学生は時間ないし。と言うか、高校生で自分の弁当を作ってくるこってホントレアだし、頑張り屋さんだと思うよ」
と言うものだから、それで良いんだ、と思うことができた。
「ありがとう、二人とも」
私はそう二人にもお礼を言って、最後の一口を口に入れた。
それから少し、3人に加えて紗友梨さん、和子さんも交えて談笑。
理系のお化け屋敷と、私達文系の喫茶店について少し情報交換。とは言えまだ動き出したばかりだから、決まっていることは多くはないんだけどね。勿論、どちらも中身については言いっこなし。
「どんな服なのか、楽しみにしてる」と紗友梨さんが言えば、「そっちも、どれだけ怖い屋敷になるか、戦々恐々と完成を待ってるぜ」と矢野くんも言う。
そんなひとときがとても楽しいのだけど、教室の時計に目をやると、もう13時20分を差している。
「そろそろ帰らないと。慎吾、行こう」
私はそう言って、席を立つと、慎吾も席を立って、スマホを取りに行く。私も一旦教室を出てスマホと荷物をとってから、もう一度理系教室へ行くと、慎吾も帰り支度が整っていたようで、「OK、更紗、行こう。大木さん、中山さん、すまないね」と言うと紗友梨さんと、「うん、その見返りは、文系の喫茶店を奢ってもらえれば良いことにするから」と言う和子さんに慎吾はたじたじになって、「あはは…まぁ、仕方ないよな」と苦笑いするだけだった。
そして、私と慎吾は教室を出た。空調のかかっていた教室から廊下に出ると、むわっとした熱気が全身を包む。
「じゃ、みんなまた明日」
そう言って、私達は玄関へ。そして、帰路につくけど、実のところ、私達は少し緊張していた。
だって、身内が入院するのに、心配だったり、今後への不安が出てくるから。
「お父さん、大丈夫かな?」
思わず弱音がでてしまう。そんな私に慎吾は、
「大丈夫だよ。お父さんだって、更紗に綸子ちゃんが心配だから、生きて帰ってくるって強い心を持っているんだからさ。僕たちも同じように思わないと」
と言って、私の心に活力をくれる。
「そうだね。しっかりしなきゃ」
「でもね…」
気合いを入れる私に更に何か言いたげな慎吾だけど、私は彼の言いたいことが分かったから、機先を制する。
「弱気になったら、いくらでも愚痴を言えば良い。胸の内に隠さず、悩みはしっかり共有する、だよね?」
そう言われて慎吾は「その通りだよ」と言って、私の頭をポンポンする。
そして、いつもの商店街入り口で一旦慎吾と別れて家に帰る。慎吾は一旦帰ってから着替えてうちに来てくれる算段だ。
「ただいま」
そう言って玄関で靴を脱ぐと、
「お帰り、お姉ちゃん」「おかえり、更紗。まだ時間があるからゆっくり準備しなさい」
二人の声が聞こえてきた。綸子とお父さんの準備はもう整っている。
「うん、ありがとう。今、すごく暑かったから、シャワー浴びてもいい?上がってちょっとしたら慎吾も来ると思うし」
私がその様にお願いすると、二人とも頷いてくれた。
カバンを置いて着替えを用意し、シャワーを浴びる。汗でまあまあべたついた身体がさっぱりになったら、下着姿のままドライヤーで髪を乾かす。何気に冬から半年以上髪をあまり切らなかったから、後ろの方は結構伸びてきた。その分ドライヤーのセットに時間がかかる。もう少しで終わるかな、と言うところで、呼び鈴が鳴る。
「お姉ちゃん!」
綸子が呼ぶから、私は「分かってる」と少し大きな声で綸子に告げてドライヤーを終える。
そして、ジーンズにグレーのTシャツを着てから、玄関に顔を出すと、既に綸子が慎吾を玄関から中に案内しているところだった。
「慎吾、ありがとう」
私が言うと、慎吾は頷いて、
「うん、大丈夫。お父さんは?」
と言う。私はひとまず自室にいるお父さんを呼んだ。
「おお、慎吾くん、ありがとう。助かるよ、これだけ荷物あるからね」
お父さんは、これから旅行にでも行くんだろうかというくらい、ボストンバッグいっぱいに荷物が入っており、さらにノートパソコンが入っているようなカバンもある。
「結構な量ですね」
「ああ、パジャマに下着、タオル類…この辺り5日分くらい詰めたからなかなかにいっぱいになったよ。すまないが、よろしく頼むね」
「承知しました。それと、このカバンは、ノーパソですか?」
「ああ。一応引き継ぎは簡単にしたんだけどね、それでも緊急のことがあったら俺が対応した方が良い場合もあるからね。それに…」
「それに?」
「スマホで見るよりも、パソコンで画面を見た方が見やすいからね。SNSは特にね」
「あと、F1も、ですね」
「ああ、そうだね。今はサマーブレイク中だけど、9月に入ればそれが楽しみの一つだよ」
慎吾とお父さんは軽くそう会話を交わしてから、リビングで少しくつろぐ。
そして、時計の針が14時半を指したあたりで、
「そろそろ行くとするか。さ、行こう。そろそろ、下にタクシーが来るはずだ」
と、お父さんは私達を促した。
「ええ、わかった」
私はそう言って慎吾に目配せし、視線に気づいた慎吾も席を立って、お父さんのバッグを持ってくれた。
タクシーに4人で乗り込んで、一路病院へ。「お見舞いですか?」とタクシードライバーは言うけど、「自分が入院するんだ。付き添ってもらってるんだよ」と言うお父さんの言葉に「それは失礼しました。でも、良いお子様達ですよね。良いご家族だと思います」と謝罪と私達を褒めてくれて、悪い気はしなかった。
病院に入ると、最近建て替えたんだと慎吾から聞いていたのもあって、すごく綺麗な建物だった。受付でお父さんが「本日から入院予定の大原です」と紹介状を提出すると、少し間があってから「5階東病棟のナースセンターへ行ってください。そこで詳しい説明rがあります」と案内され、私達は5階へと向かう。
そこは、外科と小児外科が配置されていた。
お父さんがナースセンターに行くと、私達の姿に気づいた看護師がお父さんを病室に案内する。今回入院するのは個室みたいで、じっくりと治療に専念したいお父さんがお願いしたそうだ。
私達は荷物を病室に置くと、一旦病室から出る。お父さんの主治医から色んな話を受けるみたいだけど、ひとまず自分自身が受け入れてからみんなに話したいというので、私達はそれまで売店へ行くことにした。
その階のエレベーターへ向かうと、一人の小さい子が同じくエレベーターの前に立って、エレベーターが来るのを待っていた。
入院しているのだろう、病院の入院着に身を包み、頭にはニット帽、そして、点滴をしている。その点滴を引いている腕は細くて、すごく、痛々しかった。
「…」
その子を見ていると、気になる。どうして、入院しているのか、なんの病気なのか。
一緒にエレベーターに乗って、1階に降りる。
降りてから歩く方向も一緒だったけど、足取りが多少弱々しくて、私達の歩く速さについて行けずに離れていってしまう。
そして、売店に近づくにつれて人が多くなり、その子の気配が感じられなくなってしまった。だから、しきりに後ろを向いて、その子がどこにいるかを確認してしまっていた。それに気づいた慎吾が、「?どうしたの、更紗?さっきから後ろを気にしてさ」と、私に問いかけてきたから、今一緒に降りてきたおそらく女の子のことを素直に話す。
「さっきエレベーターで一緒になった子がいたでしょ?何となく気になっちゃって…」
すると、綸子も真顔で、
「うん、実は、私も気になっちゃったんだよね…だって、私達よりもまだ幼いんだよ?多分小学生くらいじゃないかな。それなのに、病気で入院しているんだよ…」
と言う。そんな私達に慎吾は、
「そうだよな…あんなに幼いのに、痩せて点滴して、辛そうに歩くから、気になるよね」
そう言っているうちに売店に着いたから、私達はそれぞれ欲しいものを見に別れる。慎吾はお父さんから頼まれたF1の前半戦の総集編が記された雑誌。綸子はお父さんのうっかりで忘れてしまった歯磨きと歯ブラシ、そしてコップ。私は、ミネラルウォーターを3本ほど。2000円もらったから、あまった分は3人で好きなものを買って良いよと言われている。
5分ほどすると、みんな買うものが揃ったから、計算に強い慎吾が軽く暗算して、「800円くらいは余るから、アイスくらいは買えそうだよ」と言うことで、各々好きなアイスも一緒にカゴに入れてレジへ。狙ったとおり、2000円で100円くらいのおつりで全部買うことができた。
そして、売店の側にある休憩と飲食のできるスペースで、3人座ってアイスを食べる。
「うん、メロン味美味しい」「ソーダも良いね」「やっぱりチョコだよ、チョコ」
私はメロン、綸子はソーダ、慎吾はチョコ味とそれぞれ思い思いに話すけど、その顔はおいしさでほころぶ。
だけど、ふっと視線を通路側に移したところであの子が売店から出てきたところが見えたから、慎吾と綸子に静かにつぶやく。
「あの子、見つけたよ」
私が言うと、綸子が私の視線の先にその子がいることを確認する。
「ほんとだ…どうする、お姉ちゃん?」
「さすがに、話しかけるのはどうかなって思うから、どの病室か確認するだけにしたいかな。慎吾も良い?」
私と綸子の会話をじっくり聞いていた慎吾は、首を縦に振って「いいよ」と言ったから、私達は一気にアイスを食べて、あの子を追った。
一回分、エレベーターに遅れたけれど、隣のエレベーターがすぐ来てくれたから、さほど遅れずにすんだ。エレベーターの扉が開くと、その目の前5メートルくらいに、ゆっくりと歩く女の子の姿が見えた。
「こんなにぞろぞろとあの子の後を追うと怪しくない?僕と綸子ちゃんはお父さんに買ったのを持って行くから、更紗が様子を見に行くといいかな。なんなら、ナースセンターで臨魁学園の名前を出すと、もしかしたらOGがいるかもしれないから、教職コースで入院している子どもの勉強はどうしているのか知りたいと言うと、何かしら教えてもらえるかも」
と言う慎吾の提案を受けて、私はその通り行動する。
女の子が病室に戻ったのを見届けると、私はナースセンターに向かう。昼の時間帯だから、それなりに人数がいる。
「あの…少しだけお伺いしたいことがあるのですが…」
私がおずおずとナースセンターに話しかけると、一番手前のロングヘアをポニーテールにした看護師さんが反応してくれた。名札には、「大木」とある。
「はい、どうしましたか?」
私は勇気を出して話を始めた。
「私、臨魁学園の教職コースの3年生で、教員になろうと思っています。実は、今、父がここの西病棟に入院することになってその手伝いに来たのですけど、買い出しに出たときに、ここに入院してるお子さんを見て、ここに入院しているお子さん達は、どう勉強しているのかなと疑問に思ったんです」
ここまで言うと、看護師さんはちょっと目を大きく見開くと、私を手招きしてナースセンターの反対側にあるレストスペースに促してくれた。
「臨魁学園の生徒さんなのね、それも教職コースなら、妹のことを知っているんじゃない?大木紗友梨って言うんだけど」
…びっくり。紗友梨さんのお姉さん!
「はい!紗友梨さんには転校初日からすっごいお世話になっていました!お姉さんなんですね」
お姉さんはうんと頷いて、「明花梨と言います。で、本題なんだけど、この病院は、院内学級って言うのがあるのね」
「院内学級…」
勿論聞いたことはあるし、教職コースだから、総合的な学習の時間でそれらのことについて調べてみたこともあった。特別支援教育だ。
「そう、だから、勉強すること自体はできるのね。尤も、今は夏休みだから授業はないんだけどね。9月になったら普通に授業はあるわよ」
「ちゃんと時間割もあるんですか?」
私の質問に、明花梨さんは「うーん」とうなって、
「あるとは聞いているけど、その子の体調によってできる人できない日があるし、検査もあるから予定通りできないこともあるんだって」
それは、事実なのだろう。そして私は最後に聞く。
「さっき売店に向かっていたこの事がすごく気になっちゃって…それで、こちらに来てみたんです。もし、機会があればお話しできると良いなと思うんですけど、無理ですよね」
明花莉さんは私の顔をじっと見て、
「邑ちゃんか…。あの子ね…入院が長くなって、ちょっとふさぎ込んでる。保護者の方は良い方なんだけど、お忙しいようで、土日しか面会に来られないのよね…私の一存ではここにいる子と関わりになれるかは決められないし、もし、機会が持てそうなら、保護者の方に話をしておくわね」
と言ってくれた。
あまり長い時間拘束するのも申し訳ないので、この話はだいたい5分くらいで終わった。
「ありがとうございます。とても参考になりました」
「いいえ。お父さんが入院するの、大変だと思うけど面会はこまめにしてあげてね。やっぱり、面会回数が多い方が患者さんの元気にもなると思うから」
そう笑顔で言う明花梨さんに、私も笑顔になる。
「はい、できる限り毎日来ますね」
そして、お父さんと慎吾、綸子の待つ病室へ戻った。
あの日、戻ってすぐお父さんに話していたから、数日後に「例のお子さん、話をしてくれるって」いうライナーが来たことを、学園祭の準備中に入ってきて知った。
学園祭の準備は順調で、一通りメニューをみんなで考え、レシピを調べて「これで行ってみようか?」と話し、次の土日で材料を買って試食してみようとなっている。
私は家族の事情があるから、みんなは19時まで頑張るところを17時半で帰らせてもらっている。私は病院へ向かう。慎吾は毎日ではないけど、2日おきくらいで来てもらっているから、帰りに別行動になるのは、なんだか変な気分だった。
慎吾からライナーで、「更紗と別々に帰ると、『フラれたんか?』なんて行ってくる奴――啓一なんだけどさ、あいつには事情を話したら『そっか、大変だな。俺にできることはないかもしれないが、何かあったら言ってくれ』ってさ。本当に、ありがたいなって思うよ」って連絡が入っていてなんだか中田くんらしいなって思った。あれから変わった中田くんは、本当に仲間思いの頼れる存在で、サッカー部も最後の選手権まで出るそうだ。全国大会に行こうと頑張っているなんて、本当にすごいなって思った。
そんな慎吾からの連絡に、私はフッと思わず笑っちゃったけど、周りがサポートしてくれるのは、本当に感謝だ。
病院について、まずはお父さんのところへ。お父さんの手術の日はまだ決まっていないけれど、9月の頭、学園祭が終わってからみたいだった。
「できるなら、お前の学園祭を見てから手術したいなって思って、予定をずらしてもらったんだ。1週間くらいならなんとかと言ってくれたし、よほど調子が悪くなければ、学園祭当日に外出をしてもいいっても言われたし」
とのことだったけど、正直病気の進行は若いと早いって聞くから私は心配だから、「大丈夫なの?」と聞くと、「ああ、それくらいなら大丈夫だから、医者も許可してくれたんだとおもうよ」なんて返ってくるから「それもそうか」と納得させられてしまった。
そして、肝心の女の子のことになると、
「更紗、失礼のないようにな。親御さんがここに来て、『お願いします』と言ってくれたけどね」
と言って、私に釘を刺す。勿論、言葉を選びながら話をしようと思っている。
私は、「うん、分かってる」と言って「じゃ、行ってくる」と病室を出た。
西病棟の小児外科は今、夕食が終わったみたいで食器が片付けられていく。その中に一人、あの女の子がいた。
「邑ちゃんだね。初めまして。大原更紗です。よろしくね」
この子の名前は有村邑と言った。邑ちゃんは、私の顔を見ると一瞬固まったけど、どうやら明花梨さんと親御さんから話を聞いたようで、すぐ笑顔を私に向けてくれた。
「更紗お姉さんですね。よろしくお願いします」
と、可愛い笑顔で私に挨拶する。でも、その顔色はあまり良くない。
「レストルームでお話しできる?少し、お話しできるかな?」
私が聞くと、邑ちゃんはこくんと頷いてくれた。今日は、点滴をしていないから少し動きやすそうだったけど、足取りは重たい。
レストルームの椅子に向かい合って腰をかけると、邑ちゃんから聞いてきた。
「私のこと、どうして知ったんですか?」
それに私は思い出しながら答えた。
「この前の月曜日、お父さんが隣の西病棟に入院することになってね、売店に買い出しに行こうとした時にあなたを見たの。実は、下りのエレベーターで一緒だったのよ。覚えてる?」
邑ちゃんはちょっと小首をかしげるけど、首を振って、
「誰か一緒にいたなとは思いましたけど、お姉さんだったかまでは覚えてなかったです」
と丁寧に答えてくれた。
10分くらいお話ししていると、だいぶ打ち解けてきた。でも、病状のこともあるからあまり長くはお喋りできないから、今日は自分と邑ちゃんの自己紹介程度で終わった。
「また明後日くらいにお話しできるかな?」
私が聞くと、邑ちゃんは柔らかい表情で、
「ええ、大丈夫ですよ。体調次第ですけどよろしくお願いします」
と言ってからクスッと笑ってくれた。
「どうしたの?」
と聞くと、邑ちゃんは、
「お姉さんができたみたいで、ちょっと嬉しいなって。一人っ子なんで」
と笑顔の後で少し寂しそうだった。でも、私は努めて明るく、
「そっか…ありがとう。またお話しするのを楽しみにしてるからね」
と言って、席を立った。
「はい、私も楽しみにしています!」
次の約束をして、私たちは別れたんだけど、その約束は結局果たせずじまいだった。
二日後、その日は日曜日で、お父さんが入院して7日目だった。土曜日に喫茶店のメニューは試してOKが出たからこの日は午前中だけ準備を手伝って、午後から綸子と一緒にお見舞いに行った。
そこで邑ちゃんの病室に向かうと、「面会謝絶」の看板が立てかけられていた。
居ても立ってもいられず、ナースセンターへ行き、明花梨さんの姿を探す。ナースセンターの後ろの方に明花梨さんの姿を見つけたけど、忙しそうにしていてこちらを見てくれない。でも、私が立ち尽くしているのを見た他の看護師さんが私に「どうしたの?」と話しかけてくれたから、「邑ちゃんが…」と言うと、厳しい表情をして、「うん、ちょっと今は面会できない状態なの」と言われる。
だから、「危ないと言うことですか?」と聞いたら、そうと頷いて、「でも、何とかするから、祈っていて」と言われたので、忙しいところで迷惑をかけるわけには行かないと思い、お父さんの病室に戻って彼女の無事を祈るしかなかった。
「邑ちゃん、心配だね…とにかく今は祈ることしかできないね…私達も聞いているだけで辛いけど、一番辛いのは他ならぬ、邑ちゃん本人だからね」
綸子の言葉に私は頷くだけで、本当に「お願いします、神様」と祈った。お父さんや綸子も、一緒に邑ちゃんの回復を祈るばかりだった。
邑ちゃんの無事を祈りながら待つこと2日、回復したと言うことを聞き、ホッと胸をなで下ろした。その日のうちに面会が認められたので、部屋に会いに行く。この時は、慎吾も一緒だった。
「邑ちゃん、いい?」
私がカーテン越しに話しかけると、少し元気のない声だったけど、「はい、いいですよ」と可愛い声がして、私はその声に安心感を持ちながら、カーテンを開いた。
そこには、彼女のご両親もいて少し驚いたけど、「あぁ、大原さん。後ろにいるのは彼氏さん?ありがとうございます。少し、話されますよね。5分ほどなら大丈夫だと思うので、私たちは一旦席を外しますね。邑、辛くなったらナースコール呼んでね」と言ってお二人は出て行った。
「回復して良かった」
私が最初にそう言うと、邑ちゃんはクスッと笑って、
「この前の約束すっぽかしちゃってごめんなさい」
と言う。
「それは、いいのよ。こうしてまた話ができたからね」
私はそう言って、邑ちゃんに微笑む。
「はい。更紗お姉ちゃん。お姉ちゃんと話したいから、頑張って良くなったんだよ」
邑ちゃんの言葉に、私は驚く。だって、まだ1回しか話してないんだから。
「まだ1回しか話していないのに?」
私がそう言うと、邑ちゃんはうんと頷いて、
「だって、私に興味を持って話したいって言ってくれたから。夏休みに入ると学校の友だちは全然お見舞いに来てくれないし、毎日暇だったんだ。そんなときに更紗お姉ちゃんが私と話したいって言ってくれて、とっても嬉しかったんだよ」
そういう邑ちゃんの顔は寂しかったけど、でもうれしさも同居していた。それから2日に1回のペースで私は邑ちゃんのお見舞いに行く。
そして、話をしていくうちに邑ちゃんの置かれている状況を理解していく。
彼女は、悪性リンパ腫という病気で入院していると言うこと。
治療していくうちにあっという間に痩せてしまったこと。
お友達がなかなか見舞いに来てくれなくて、落ち込んでいたこと。
少しずつ良くなっていく兆候があったのに、この前急に悪くなったこと。
意識を取り戻してから、すごく怖かったこと。
そんななかで私と会うことで早く元気になりたいし、最近は実際になってきていると思ったこと。
私の方は、お父さんが入院して、妹と二人で生活していること。
それでも、彼氏である慎吾の家族が協力してくれていること。
私は先生になりたいのだけど、どの教科を専攻していこうか迷っていること。
でも、そんな私に慎吾はすぐに結論を出す必要はないと励ましてくれること。
そんなことを話していると、邑ちゃんは少しずつお年頃に近づいていることもあるのか、男女交際について興味津々という感じだった。
「元気になって退院して、大きくなったら更紗お姉ちゃんみたいになりたいな。そして、素敵な彼氏を作るの」
って屈託なく笑う邑ちゃんに、私は「できるよ、絶対。諦めないで頑張っていこうね」と言う。
そして、その屈託のない顔を、「はい!」と言って可愛く頷く邑ちゃんの顔を見て、自分の中で、すとんと心に落ちるものがあった。
(私は、こういうところで病気を抱えた子ども達と一緒に成長していきたい)
つまり、特別支援教育を専攻しようと思い至ったのだ。
勿論、教科の勉強も教えられると良いと思っているけど、主にそういう病気や障害のある子ども達を教えていきたいと思った。
そのことを慎吾に話すと、「勿論、いいんじゃないかな。僕は特別支援のことはよく分からないんだけど、それ以上に、どの教科にしようかと悩んでいた更紗が、どういう先生になりたいのか迷っていた更紗が、自分の方向性を見いだせた。それが何よりだよ」と、喜んでくれた。
こうして、私達の慌ただしい夏休みは終わりを告げ、2学期の始まりとともに受験生として最後のお祭り騒ぎ――学園祭を迎えることになった。
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コメント
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コメントを書く鳥原波
ありがとうございます!闘病生活については、やっぱり強い思いが必要だと思いますし、そのあたりの描写が伝わって良かったです。新キャラの邑ちゃんは、更紗の人生の指針となる存在なので、今後も少し顔を出す予定です。次こそ、学校祭です。ラストの描写は決めているので、あとはそこにめがけてどう話を持って行くか、ですね~。楽しみにしていてください!
ノベルバユーザー617419
からあげ…だし巻き…ポテサラ…味噌汁…めっっっちゃ上手そうですやん!(明日つくろう…)闘病生活は何よりも関わった方への感謝、(仕事や)父親としての責任などが生きようという想いに繋がる描写が良かった!
そして新キャラ邑ちゃん!学園祭と並行してイベント進の?(ハラハラ)
次回にも楽しみにしています♪