臨魁学園物語――転校生とガチ恋をして、二人で幸せになる話――
13章 45週 持つべきものは家族と親友――お互いに救われた夏――
鈴木くんから、お父さんを県立病院で受け入れてくれることを聞いたその日の昼。
昼食のそうめんを作っていると、お父さんが帰ってきた。
「ただいま…」
昨日よりはまだ元気な声だったけど、いつもよりやっぱり暗いなって思った。
「お帰り、お父さん。丁度そうめん茹で上がるから、先に食べてよ。もう少し遅くなるかと思って、私と綸子の分しか茹でてなかったから、私の分は今から追加で茹でるし」
私は努めて明るくそう言うと、お父さんの顔も少し緩んで、
「すまないな、先にもらうよ。綸子、ご飯だって」
って言ってくれて、綸子を呼んでくれた。
「は~い、お姉ちゃん、ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」
私は茹で上がったそうめんを流水で締めて器に盛り、テーブルに持って行く。
「じゃ、先に食べててね」
私は、もう1把、つまり自分の分のそうめんを茹でようと、一旦キッチンへ。
もうひと束、素麺を出して茹でる。そうめんは細いからすぐに茹で上がって、水で締めて、さっき盛りつけた器に追加する。
「じゃ、私も戴くね」
めんつゆにショウガと青ネギの薬味を足して、そうめんをすくい、つゆにつけて口に運ぶ。
のどごしが良くて、美味しい。
食べ終わると、私はお父さんに「さっきね、昨日話していた男の子に会ってきたの」と話を始める。
「お、そうか。何か分かったかい?」
お父さんがそう聞いてくるから、私は、
「分かった…と言うか、その子のお父さんが勤める県立病院で看ても良いよって話になったの」
と答える。するとお父さんもそうだけど、綸子まで目を丸くした。
「え?看てもらえるのか?それはとっても有り難いね」
「足向けて寝られないね」
と口々に言っていると、ピコン!とライナーの通知が鳴る。誰かと思ってみてみると、鈴木くんだった。噂をすれば影。
「あ、えっと、検査結果の表と、紹介状を持ってきてほしいって。夜にライナーするよって言っていたのに、仕事が早いなぁ」
私は笑顔でそう言うと、綸子は、
「お姉ちゃんに気があったりして」
とからかってくる。私はそんな綸子に「確かに、彼からは『俺は大原更紗ファンクラブ会長だからね』って言われてはいるけど、どうなんだろうね?」と返す。
「いや、それは気があるでしょ。でも、慎吾さんはどうするの?」
いやいや、それは愚問でしかない。
「鈴木くんが私に気があったとしてもだよ、私は慎吾を裏切ることはしないから。鈴木くんと付き合うなんてことは考えたことはないし、これからも考えることはないよ」
と私が答えると綸子は、
「それなら良いんだけど…と言うか、もしそうなったら私が慎吾さんに告白するだけだからなぁ」
などとちょっと洒落にならないことを言う。
「…そう言えば、慎吾くんにはこのことを知らせたのか?」
私たちの会話にお父さんが割り込んでくる。
「…ううん。まだ話していないよ。余計な心配や迷惑をかけたくないもの」
「…そうか。でも、いつかは言わないといけないからな」
「分かってる。お父さんの入院する日が分かってから話そうと思っているよ」
「ん、そうか。じゃ、なるべく早く手続きするよ。明日、紹介状をもらいに行って、明後日には県立病院へ行こうと思う」
「わかった。じゃ、鈴木くんには明後日の朝に行くからよろしくって言っておくね」
「くれぐれも頼んだよ、更紗」
そう言うお父さんの顔は、昨日と打って変わって明るくなった。
おそらく、看てもらうところに見通しを持てたから、不安が軽減されたんだと思う。それは私や綸子も同じで、看てもらえる保証ができただけでも、とてもそれは有り難いこと。私たちはちょっと方向性が見えてきたことで、少しばかりホッとしていたのは確かだった。
お昼ご飯のあとは夏休みの課題をして、夕食は今日は綸子が作ると言うことでお任せした。その間、お父さんの入院のことが少し先は見えても不安は不安だから、そっちの方に意識が多く行ってしまって慎吾への連絡は後回しになってしまった。
だから、夕食を食べて、お風呂に入ったあと、21時近くになってようやく慎吾へ連絡をしようとスマホを取る。
いつもなら、昼にも何かしら連絡をお互いにすることが多いのだけど、今日はこれまで全く連絡がなかった。
「慎吾、今大丈夫?」
私はそうライナーで慎吾にメッセージを送り、ドライヤーをかけながら音ゲーアプリをオートで周回する。思いの外ハマってしまって、慎吾といつもランキングを競っている。今回は、私の推しがシナリオのメインキャラになっているから、しっかり特効を運良く無料ガチャで獲得したし、できる限り周回しているから今回は勝てる…はず。
ドライヤーをかけ終わり、自室に戻って課題を開く。でも、未だに慎吾からの返信はない。
「…?どうしたんだろう?」
これまでなら、私から送ったメッセージを見たら、ほぼ即反応してくれていたし、そうじゃなかったとしても、だいたいはお風呂に入っていたかで20分位で返信はあったのに、30分経っても返信が全くない。
だから、改めてライナーの慎吾とのトーク画面を開くけど、慎吾に既読マークがついていない。
「…?既読すらつかないなんて、珍しいな」
そう思いながら、今度は夏休みの課題を始める。でも、今度は慎吾に対する不安が大きくなっていく。
10分おきにライナーをチェックするけど、全く返信がないばかりか、既読がつかない。
「おかしい…」
私はたまらず、トーク画面から通話ボタンを押して、通話を試みる。
でも、呼び出し音は鳴るけど、一向に出てくれる気配がない。
「…もしかしたら、寝落ちしちゃったのかな」
私は一旦、そう思うようにした。また明日、話すことができればそれで良いんだから、明日話をしよう。
そう思って開き直ると、課題に再び向かって暫く課題に没頭する。
でもやっぱり、慎吾からのリアクションがないことに不安を感じているのは確かで、心の中のモヤモヤを感じながら、23時過ぎに床に就いた。
そして翌朝、7時に起きるけど、あまり寝られなかった。やっぱり、慎吾のことが心配だった。ふと思った時にライナーを見ても、慎吾の既読はいつまで経ってもつくことはなかったから。寝不足の身体であまり食欲は湧かないけどトーストを作る。綸子もお父さんもそれぞれ起きてきて、それぞれ飲み物を自分で用意してくれる。お父さんはコーヒーに3割くらいの牛乳。綸子は飲むヨーグルト、私は麦茶。
さて、食べようかと思って椅子に座ると、ピコン!とライナーの通知音。
「慎吾っ!?」
そう思ってロック画面の通知を見ると、相手は夢衣ちゃんだった。
『慎吾くんが、グループから退会…』
と言う1文が見えて、私は混乱する。
「え?何?どういうこと?」
慎吾が、グループからいなくなったってこと?
私は、夢衣ちゃんからのメッセージの前に、「楽しい仲間」のトークを開く。するとそこには、
『20XX年8月8日 0:32 慎吾がグループから退会しました』
という文字が表示されていた。
「どうして…?」
そんな私に、綸子が
「どうしたのお姉ちゃん、顔色悪いよ?」
と聞いてくるから、「う、うん、ええと、大丈夫だから」としか言えず、でも、心の中ではものすごく焦っていて、「ゴメン、朝ご飯あとで食べるから、私の分はここに残しておいてね。洗い物もするから」と行って自室に引きこもる。
もう一度だけ、「楽しい仲間」グループのトークを開くけど、やっぱり表示されている文字に間違いはなく、慎吾がこのグループから去って行ったことを冷たく告げていた。
そこで改めて夢衣ちゃんのトークを見る。
『慎吾くんが、グループから退会してしまいました。突然のことで私も驚いていますし、幸弘さんも『何も言わず突然何してんだ、あいつ?』と訝しんでいます。更紗さん、何か知りませんか?』
…夢衣ちゃんや矢野くんにも黙ってグループを退会しちゃったんだ…でも、どうしてなんだろう?私にはさっぱり分からなかった。だから、
「夢衣ちゃんおはよう。私も今確認したよ。でも、心当たりというか、そう言うのはちょっと思い当たらないの…ごめん。でも実はね、昨日、私から慎吾にメッセージ送ったんだけど、反応がなくて…」
と送る。少し間があって帰ってきた返事は、
『9時に、私の家に来ていただけませんか?幸弘さんと3人で話がしたいです』
だった。確かに、ここで文字だけのやりとりをしていても仕方がないから、私はその提案に賛成する。そして、慎吾とのトークもチェックするけど、相変わらず私のメッセージに既読はついていなかった。
「…どうしたの、慎吾?」
私は、お父さんの病気のことが進展して上を向き始めた気持ちが、また言いようのない不安感で下向きになっていることを自覚していた。
それでも朝ご飯を食べて、洗い物をしてから、綸子に
「ゴメン、夢衣ちゃんに呼び出されたから、ちょっと出かけるね」
と伝える。お父さんは私が洗い物をしている間に色々な手続きをしに会社の方へ行ってしまっている。綸子は扉を開けて、「うん、わかった。気をつけてね」と言う。
私は、黄色のキャミソールに薄手のカーディガン、デニムのショートパンツ、お気に入りのスニーカーを履く。そして、慎吾とサイクリングに行くようになった自転車に乗って、夢衣ちゃんの家へ向かった。
その間にピコン!とライナーのメッセージが届くけど、それは運転中に見てられなかったから、信号待ちで見る。
どうも、矢野くんや夢衣ちゃんからも個人的に慎吾へメッセージを送っているらしいけど、既読はつくけど一向に返信がないと言うことだった。
「…本当に、どうしたんだろう、慎吾は…?」
私は本当に心配になってきた。ちょっと頭がくらくらするような気がしたけど、それはきっと夏の直射日光のせいだろうと思った。
ちょっとそんな感じで体調が優れない感じになっていきながらも夢衣ちゃんの家に着く。いつ見ても、大きい家だなって思いながらインターフォンを押した。
「は~い」
穏やかな口調の夢衣ちゃんのお母さんの声に、私は「大原です」と返事をすると、お母さんは「いらっしゃい、夢衣から聞いているわ。入ってきてね」と明るく返ってきた。
私は玄関のドアを開けて中に入らせてもらう。夢衣ちゃんの部屋は2階だったから、そのまま上がっていく。
「Mei」という表札のあるドアを軽く2階ノックすると、「更紗さんですね?入ってきて下さい」という夢衣ちゃんの声がする。私は、そのまま部屋に入って「おはよう。ごめんね。色々動いてくれているみたいで」とまずはそう言って、もうすでに来ていた矢野くんと夢衣ちゃんに頭を下げた。
「大原、早く座って。これ、かなりまずいことになっていそうな気がするんだ」
矢野くんが私を早く座るように促す。その声は、いつものあっさりした感じではなく、真剣そのものだった。
「うん、ごめんね」
私は、小さなちゃぶ台のドアに一番近いところに座る。私と夢衣ちゃんが相対し、私の左横、夢衣ちゃんから見れば右横に、矢野くんが座っていた。
「まずいことって、どういうこと?」
座って居住まいを正した私は、まず矢野くんに聞いた。
「俺と夢衣からのメッセージにも返事はないってさっきライナーしたと思うけど、そのあと、俺と夢衣でそれぞれ通話を試みたんだ」
矢野くんはさらに深刻な顔をする。
「まず始めに、私から通話しようとしたんです。でも、いくら通話しても出てくれませんでした。だから、幸弘さんから通話してもらったのです」
夢衣ちゃんの言葉を、矢野くんが受ける。
「するとな、反応はあったんだよ…でも、全然話をしてくれないんだよ。ずっと黙ったまま。俺の方から、『おい、慎吾、どうしたんだよ?何があった?』とか、『何か言えよ。黙ってちゃ分からないから』とか言っても、ずっと黙ったままでさ…ちょっとしてから、泣き声が聞こえてきたと思ったら、通話切れたんだ」
私は、その矢野くんの話した内容に、言葉を失った。
どうして、慎吾がそんな状態になってしまったのか分からなかった。
そんな私の表情に、夢衣ちゃんが、
「本当に分からないですか、更紗さん。つい一昨日まであんなに楽しく過ごしていたのに、いきなりグループから抜けるなんて、おかしいです」
と言うものだから、私ももっと心配になる。だから、私も昨晩からのことを2人に告げた。
「さっきも夢衣ちゃんにメッセージで伝えたけど、慎吾にメッセージを送っても既読つかないし、通話しても出てくれないんだ。ほら」
私は、ライナーを起動して、慎吾とのトーク履歴を見せる。
『慎吾、今大丈夫?』
『通話がキャンセルされました』
を最後に、私はアクションを起こしてないし、慎吾からのリアクションはない。今も尚、既読はついていない。
「…大原、これ、マジでヤバいんじゃないか?もしかしたら、ブロックされているんじゃないか?」
矢野くんの言葉に、私は絶句する。
「え…?ブロック?」
夢衣ちゃんがそのあとを続ける。
「その可能性はあるかもしれません。私たちからのメッセージや通話には反応があるのに、更紗さんに対して反応をしないというのは、どう考えてもおかしいです。更紗さんに何かあったと考えるのが普通です」
「じゃ、確認してみよう。『ライナー ブロック』で検索して…」
矢野くんは、サッと検索をして、私にあることを提案する。
「慎吾にあいつが買いそうにない、俳優のスタンプでも送ってやってくれ。お金はいらないみたいだから、送るをタップするだけで分かるらしい」
私は、言われたとおりに操作すると、「すでに持っています」というメッセージが表示された。
「やっぱり、ブロックされてるな…」
矢野くんは、厳しい表情で私が示した画面を見て、夢衣ちゃんも真剣な表情で私の顔を見る。
「本当に、何もなかったのですか?理由なく、慎吾くんがそういうことをするとは思えません。面白おかしくそんな理不尽なことをするような彼氏じゃないと言うことは、何より今一番近くにいる更紗さんがよく分かっていると思います」
そう言われて、「確かにそうだよね…私が何か、慎吾が怒るようなことをしたっていうことだよね…?」と思い、昨日の私の行動をもう一回顧みる。
…そう、ただの1個、思い当たる出来事がある。
「鈴木君と、二人だけで会った。慎吾に何も言わずに。それしか考えられないよ」
すると、夢衣ちゃんと矢野くんは、目を見開いた。
「更紗さん、それって…」
夢衣ちゃんの表情が、珍しく赤みを帯び、目がつり上がる。そして、私に何か言おうとしたけど、私は夢衣ちゃんが言おうとしたことを即座に否定する。
「ちがう!浮気なんかじゃない!」
そう叫んでしまうけど、不機嫌な顔をする夢衣ちゃんと対照的に落ち着いた表情の矢野くんが、
「じゃなかったら、何だと言うんだ?夢衣、お前も落ち着いて話を聞こう。確かに大事な親友がそうなった原因がもし大原にあったとしても、原因を、真実をきちんと聞いてからじゃないとなんとも判断できないからな」
と言う。矢野くんのこの冷静な言葉に、私は感謝したけど、
「でも、真実の内容によっては、大原と絶交することも厭わないからな、そこは覚悟してくれ」
と続いた言葉に、私の心は恐怖で凍り付き、同時に血の気が引いていくのを感じた。だから、私の今から言うことが、彼らに受け入れてもらえるのか怖くなったけど、言わないと受け入れてもらえるものも受け入れてもらえない。
「実はね、お父さんの病気が、一昨日分かったの」
私が静かに言うと、二人は驚きの表情を見せる。
「胃がんみたいなんだけど、まだ確定してない。私たち、ここに引っ越してきて10ヶ月経ったけど、大きな怪我や病気したことなかったから、このあたりの病院って分からないんだ」
そこまで言うと、「あ…鈴木って…」矢野くんがあの事に気づいたようだった。
「だから、昨日鈴木君に相談したんだ」
夢衣ちゃんも矢野くんも、厳しい表情から少し眉が下がって私に同情するような顔になった。
「昨日、喫茶店で私と鈴木君の二人きりで会って、このあたりで、胃がんに強い病院はないかって相談したの。そうしたら、鈴木君のお父さんが勤める病院で観てくれるって言うことになったの」
そして、私一人で全部解決しようと思っていたから慎吾に相談しなかったことも伝えた。
「…」
沈黙。
それは、二人が私の話をきちんと冷静に理解しようとしてくれていたんだと思う。
どれくらい時間が経っただろう。夢衣ちゃんが口を開いた。
「分かりました。更紗さんが一方的に悪いわけではありません。でも、慎吾くんがいきなりブロックをするくらいですから、何か決定的な瞬間があったのかもしれません」
「俺もそう思う。あいつが大原と話をしないままブロックするのは、一発アウトなことをしてしまったんじゃないか?キスとか?」
矢野くんの最後の言葉に、「キ、キス!?私、そんな事してない!だって、私がキスをするのは慎吾だけだし!…あ、でも、お父さんを看てくれるって教えてくれたときに、思わず手を握ってしまったし、そんな私に鈴木君が私の肩をさすってくれた。…もしかして…?」とまで言ったところで私の顔から血の気がさぁっと引くのを感じ、頭がクラクラして、床に倒れ込んでしまった。
私が意識を手放す瞬間、「更紗さん!?」「大原!大丈夫か!?」と二人の慌てる声が聞こえたような気がした。
鈴木と更紗が逢瀬をしていたのを見てしまってから、時間の感覚は全くない。
家に帰ってからずっとベッドの上に座ったまま。ただ、トイレに行くときだけ部屋を出る。
その日に帰ってきてから、「慎ちゃん、お昼は?」と聞かれたけど、「いらない」と言っただけで母さんとの話はそれ以降していない。
「慎ちゃん、ご飯よ」
晩ご飯だから降りてくるように促すような母さんの声がした気がしたけど、僕はその声を無視した。と言うか、何もする気力が起きず、ただそこにいるだけだった。
「…」
ぼ~っとしながら、たまにスマホの写真アプリをまた見る。
ずっと下の方へスクロールすると、幸弘が盗撮した僕と更紗の観覧車でのキスシーンが僕の目を捉えて離さなかった。
「なんでかなぁ?僕は更紗に何か悪いことをしたのかなぁ?一昨日までは、本当にあんなに楽しくて、楽しくて、こんな日がずっと続いていくと思っていたのに…」
あのとってもとっても、幸せだった一瞬も、今は何も思えなくてただただ泣くだけだった。
鈴木が更紗の肩をさするあの瞬間を見てしまっては、もう、手遅れなんだろう。どうせ、あの後色々とよろしくやっていたんだろうと思うと、僕はもう更紗に対して信じる気持ちがなくなってしまった。
でも、好きだった気持ちは、大好きだった気持ちは、忘れられない。
「離れないよ」
と言ってくれたその言葉が脳内でリフレインする。
あぁ…まただ…。
僕の目からまた涙が流れてくる。
すると、誰かが2階に上がってきた。
「おい、慎ちゃん、晩ご飯食べないのかい?」
伊緒姉の声だった。でも、僕は声を出す気力が全くない。
「入るよ」
僕が「やめて!」と言う間もなく、伊緒姉は入ってきた。
「ってなんで電気をつけてないの?」
と言いながら、伊緒姉は手探りで僕の部屋の電気をつける。そして僕の顔を見ると驚き、
「…酷い顔してる…何?更紗ちゃんと喧嘩でもしたん?」
と入ってきたときの笑顔と打って変わって、厳しい表情になる。
「…」
僕はそれに対して答えを上手く言うことができなくて、ただ俯くだけ。
「別れた?」
伊緒姉はもう一歩踏み込んでことを言う。僕は、それにも答えられない。僕が一方的に彼女を切っただけだから。
「…まぁ、そういうこともあるよ。今はとにかく泣きな。泣いてスッキリすればいいさ。晴城にはまだ言わないでおくからさ」
伊緒姉は言いたいことを言うと、サッと部屋から出て行ってしまった。
「…」
僕は、伊緒姉が出て行ったドアを一瞥してから、またスマホを、ライナーのやりとりも見てしまう。
今は嫌悪感が強い、でも、大好きなんだよ…あぁぁぁ、僕は何を考えているのか自分でも分からなくなって、同じ思いがずっとグルグルと脳内を巡る。ただそれだけで時は進み、何も進展しないどころか、悪いことばかり考える。
もう一回スマホを見る。時刻はいつの間にか、0時を回っていた。
更紗をライナーでブロックした。でも、もし、更紗が僕が彼女をブロックしたと分かったら、他の手段を使うかもしれない。だから…。
僕は、スマホを操作する。
綸子ちゃんをブロックする。
お父さんもブロックする。
ひとまず、大原家のみんなをブロックした。これでまずはいいだろう。
大原家のみなさんには、本当に良くしてもらったのに申し訳ない気持ちはあるけど、更紗からの連絡を受けたくないから…。お母さんにも申し訳ないと思った。「ずっと一緒にいられるといいなと思います。天国からご了承いただけると、大変ありがたいです」と心の中で伝えたのに。
でも、次の瞬間僕はハッとする。まだだ、まだ連絡手段がある。
それが、グループ、「楽しい仲間」だった。
ライナーの仕様はよく分からないけれど、もしかしたら、ここから連絡が来ることがあるかもしれない。
夢衣や幸弘には申し訳ないけど、更紗の話は、言い訳は聞きたくないから…。
だから、「楽しい仲間」から抜けることを決意した。
楽しい仲間ではなくなってしまったから、もう僕は抜けるしかないんだから…。
だから、僕は、更紗をブロックしたのと同じように、迷いなく「楽しい仲間」から退会した。
…もう、朝か…。
僕は、一睡もしないままただ呆然としているだけだった。
「慎ちゃん、朝ご飯は?」
と母さんが階段を上ってきてドア越しに聞いてきたけど、僕は沈黙で返す。
ドアの外から少し大きめのため息が聞こえた。
「伊緒奈から聞いたよ。でも、私はにわかに信じられないのよね。あなたと更紗ちゃんが別れたなんてね。あんなに私たちが妬けるくらいに仲の良かったあなたたちに何があったのかは分からないけど…」
母さんは、一旦言葉を止めて、大きく息を吸ったようだ。
「でもね、もし、更紗ちゃんと話をしていないというのなら、しっかり話し合いなさい。あなたの性格的にね、あなたが暴走しただけのようにしか見えないの。私が言いたいのは、それだけ。食べる気がないなら、気の済むまでそうしてなさい。」
叱責とも取れる母さんの言葉も、今の僕の心は動かなかった。
それに、食欲も正直なかったから、僕はやっぱりそのまま呆けるだけだった。
分かってる。こんなことをしていても何もならないって。でも、本当に何もやる気がない。
僕は本当に今は、生ける屍だった。
そんなときに、ライナーの通知音が鳴った。
「夢衣…」
『慎吾くん、グループを突然抜けてどうしたのですか?』
僕は、既読だけつけてスルーする。
だけど、それを許さないように今度は幸弘からメッセージが届く。
『慎吾、どうした?何があった?』
これも、既読をつけるだけでスルーする。
だって、この二人に言えることはないから。更紗を切ったって、言うのも辛いから。僕は、そんな冷たい男なんだって自分で思うと、自分自身がイヤになってくる。
そんな僕に今度は着信。最初は夢衣から。
僕は、夢衣からの着信は出ない。好きだった娘にこんな情けない姿を知られたくないから。
冷たい自分の本性を知られたくないから。
そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、何度も夢衣から着信があったけど、無視されていることで相手を変えようとしたのか、今度は幸弘からかかってくる。
無視をしようと思っていたのに、何故か通話をタップしていた。…もしかしたら、どこかで助かりたい気持ちがあったのかもしれない…。
『おい、慎吾、どうしたんだよ?何があった?』
幸弘の心配そうな声。その声に、僕は少し罪悪感を感じる。だから、何も言えずにいると続いて、
『何か言えよ。黙ってちゃ分からないから』
懇願するような幸弘の声に、僕は本当にすまないと思うけれど、言葉にするよりも、涙が溢れてくる方が先だった。聞いて欲しいけど、聞いて欲しくない。そんなごちゃごちゃした感情が、僕をまた号泣へ導く。
そんな僕を聞かれたくなくて、通話終了ボタンをタップした。
そして、それから二人からの着信には出ないでおこう、そう思った。
目を覚ますと、私はベッドに寝かされていた。スマホで時計を見ると10時を少し回ったところ。倒れてから30分ほど経ったのかな。夢衣ちゃんのベッドの香りが心地いい。さすが、お嬢様だなと思いながら、身体を起こす。
「…夢衣ちゃん、矢野くん、ごめんなさい」
私を心配そうに見る二人に、私は謝った。
「ううん。大丈夫です。でも、いきなり倒れるからものすごく心配しましたよ。たしかに、来たときから顔色は良くないなって思っていたのですけど…」
「ああ。風邪でも引いたのか、大原?」
二人は本気で私の体調を心配してくれていた。
「うん…昨日の夜あまり眠れなかったから。寝不足だと思う」
私がそう言うと、二人は顔を見合わせて頷く。
「大原、お前はここで寝てろ。慎吾のところには、俺と夢衣で行ってくる」
「更紗さんが寝ている間に二人で話をしました。今、慎吾くんと更紗さんで話をしても、上手くいかないかもしれません。それなら、私と幸弘さんで二人の橋渡しをしたいと思いました。だから…」
二人の提案に驚く私。
「え?」
としか言葉が出ていない。寝起きで頭が混乱している。
「慎吾もあの様子を見ていると、かなり精神的に参っているように見えた。黙っているかと思えばいきなり泣き出すんだぞ。情緒不安定も甚だしい。あのまま一人にしているのも良くない気がする。だから、早くあいつの元に行ってやりたいんだ」
矢野くんのその言葉に、私は、
「一緒に行っちゃダメ?」
と食い下がってみると、夢衣ちゃんが、
「ダメです。更紗さんが一緒に行くことで、慎吾くんがどんな行動に出るか分かりません」
と即答し、矢野くんも、
「言い方は悪いけど、あいつが不安定になる要素はできる限り排除したいからな。大原は、いざとなったときに電話で参加してくれ。そうなったときは、こっちからかける」
と言うものだから、私は了承するしかなかった。
「それでは、申し訳ありませんが更紗さんはもう少しここで寝ていて下さい。また、連絡します」
と言われ、「うん、お願いします」と言うと、二人は「行ってくるね」と部屋を出て行く。
「…はぁ」
私は身体をそのままベッドに横たえ、両腕を目の上に置く。
「…何でこんな事になっちゃったんだろう…」
なんで、どうして?なんて疑問ばかり浮かぶけど、原因は分かっている。私だ。
私が、一人で何とかしよう、慎吾に迷惑かけないようにしようと思って一人で突っ走った結果だ。鈴木君に、「どうして慎吾に相談しなかった?」と言われたときに、帰ってからすぐ電話すれば良かった…でも、遅かったのだろうから…。その前に、鈴木君と会う約束ができた時点で慎吾に相談すれば良かったんだ。
「あー…失敗しちゃったなぁ…また慎吾を傷つけちゃった…それも、最悪な形で…」
独りごちる。また一つ、大きなため息。
私は何でこうなんだろう。慎吾を傷つけたくないのに、慎吾と幸せになりたいのに…。そうした行動が裏目に出る。あぁ…。
私は、自分が情けなくて涙が出てきた。
夢衣ちゃんのベッドと布団を汚すわけにいかないから、私はカーディガンで涙を拭く。
「ホント、私って、馬鹿だなぁ…」
そう思うけど、一方でもう考えたくないとも思って、二人の言うとおり寝ようと思い、きつく目を閉じた。でも、次の瞬間、スマホが着信を告げる。
「…慎吾の、お母さん…?」
意外な人からの連絡に私は驚きつつも、通話に出ることにした。
「はい、おはようございます。慎吾のお母さん…」
私の声はか細く、自分でも弱々しいと思った。
『更紗ちゃん…どうしたの?慎吾も様子が変だし、喧嘩でもしたのかと思ったのだけど、もっと状況は深刻っぽいね…』
お母さんの心配するような声が、私の記憶の中のお母さんの声とかぶって、つい泣きそうになる。
「ご、ごめんなさい…私が悪いんです…」
『え?更紗ちゃんが悪いって…話してもらっても大丈夫?』
お母さんに促されて、私はつい1時間ほど前に夢衣ちゃんと矢野くんに話したことをお母さんにも伝えた。
お母さんはたまに相槌を打って、私の話を聞いてくれた。
最後に、鈴木君の手を取ってお礼を言ったこと、鈴木君も、私を慰めるために肩を撫でてくれたこと、その瞬間を、見られたかもしれないことも話をした。
「だから…ごめんなさい。慎吾を傷つけたのは私です。全部、私が悪いんです」
私がそう締めくくると、お母さんは大きなため息をついた。それはそうだろう、私の独りよがりで自分の息子が傷つけられ、不安定になってしまったのだから。だから、私に対してすごく責めてくるだろうと思っていた。
でも、次に聞こえてきた怒りのこもった言葉は私の方が驚くものだった。
『やっぱり…だから、あんの大馬鹿は勝手に妄想して、悪いことばかり考えるから…ホント、更紗ちゃん、うちの愚息が申し訳ないわ。ごめんなさいなんて言わなくていいから。こっちが首根っこひっ捕まえて謝りに行きたいくらいよ』
「え…?」
本当に驚いて、そんな声しか出なかったけど、お母さんは話を続けた。
『あの子はね、小学校の時は結構周りを見下すことがあって、それがきっかけでいじめられたことがあったのね。そこで反省してから人に対して思いやりを持って接することができるようになってきたとは思うんだけど、同時に何か余計な心配をするようになってきたの』
…確かに、小学校時代のその話は慎吾自身から聞いたことがある。でも、余計な心配をするようになるって…。
「いじめの話は聞いたことがあります。でも、そんな心配性なところがあるのは初めて聞きました…」
私は、正直な気持ちをお母さんに言うと、
『あ、その話はもう慎ちゃんから聞いたんだ。そうなの。あの子は人の悪意や視線を気にするようになったみたいでね、人の顔色を見ることもあるの。だから、あなたとお友達の様子を見て、表情を見て、勘違いしたんだと思うわ。そう言う空気を察知してしまったら、悪い方に、自分にとって都合の悪い方向へ考えてしまうことがあるの』
という言葉が返ってきて、私は何も言えなくなる。
『もし、あなたが本当に別れ話を切り出して、慎ちゃんを傷つけて今の状態だって言うのなら、あの子があなたをブロックしてしまう気持ちも分かる。でも、勝手に勘違いして、妄想して自分が辛いからブロックしたというのなら、あの子の方が悪い。あなたは、悪くないのよ』
お母さんの言葉に、私は感謝すると同時に、やっぱり罪悪感が湧いてくる。
「いえ、やっぱり悪いのは私なんです。お父さんの病気が分かって、どこに受診すべきなのか分からないから鈴木君に連絡をしました。でも、その時に慎吾にちゃんと相談しておけば良かっただけの話なんです…。私が慎吾や、お母さんに心配や迷惑をかけたくなかったから、それを怠った。だから、悪いのは私です…」
そして、
「もし、これで慎吾が私のことを嫌いになってしまったとしたら、私はそれを受け入れますし、夢衣ちゃんや矢野くんにも迷惑をかけたから、二人から絶交されると思います。それも、受け入れます。だから、慎吾ばかり責めないで下さい。私も、責めて下さい…っく…」
そして、私は涙を流した。自分が情けない気持ちと、慎吾と別れなくてはいけない悲しさと、ごっちゃになってしまった。
でも、そんな私にお母さんは叱咤する。
『泣かないの!まだ終わったわけじゃない。だって、慎ちゃんと更紗ちゃん、話もまともにしていないんでしょ?そのまま別れたら、絶対に二人は後悔する。そのためにも、一度話し合わないとね!その場を何とかして設けるわ』
お母さんの救いの言葉に、私はお礼を言う。
「ありがとう、ございます…実は今、そちらに夢衣ちゃんと矢野くんが向かっています。二人にも助けてもらっているんです」
この私の言葉にお母さんはさすがに驚いて、
『え、そうなの?でも、それは助かるわ。二人なら話を聞いてくれると思うから。じゃあ、ちょっと二人を受け入れる準備をするわ。更紗ちゃんは、次の連絡を待って。何かしら、必ず連絡する。いいわね?』
有無を言わせないお母さんの言葉に、私は気圧された。
「はい、よろしくお願いします」
としか返事できなかったけど、お母さんは少しばかり安心したみたいだった。
『ええ。仲直りできたときに、更紗ちゃんにうちで晩ご飯を作ってもらえたらそれで良いわよ。じゃ、また後でね』
その言葉の後、私から「よろしくお願いします」の声で、通話は終わった。
「…持つべきものは親友だね。本当に、ありがとう。お願い…」
私は少しだけ安心してベッドに横になると、あっという間に眠りに落ちていった。
俺と夢衣は、慎吾の家に着いた。
俺は、夢衣と目を合わせて大きく「うん」と頷くと、俺からインターフォンを押す。
待つこと10秒で、「は~い」という声がした。
「おばちゃん、俺。幸弘だよ。慎吾、いるだろ?話したいんだけど、良い?」
俺は、慎吾の母ちゃんにそう話してみた。すると、インターフォン越しに、
『ええ、勿論いいわよ。上がって頂戴。慎ちゃんに話する前に、私と話をしてから行ってね。分かった?幸ちゃんに夢衣ちゃん』
慎吾の母ちゃんの言葉に、一旦「あれ?」とは思ったけど、まあ、作戦なりなんなりちょっとでも今の状態を知らせてくれるのならばありがたいと思い、その話を受けた。
「了解。じゃ、上がらせてもらうね」「おばさま、お邪魔します」
俺と夢衣は、慎吾の家に入る。玄関で靴を脱いで準備されていたスリッパを履き、まずはリビングへ向かった。
「お久しぶりです、おばちゃん。慎吾、どうなの?」
「私達、慎吾くんの様子が心配で見に来たのです。更紗さんと上手くいっていないみたいで…」
と口々に俺と夢衣が言うと、おばちゃんはうんうんと頷いた。
「ええ、知っているわ。ついさっきまで、更紗ちゃんと話をしていたの。慎ちゃんのあんぽんたんが、勝手に想像を暴走させて更紗ちゃん傷つけた挙げ句、あなたたちにまで迷惑かけているみたいで、ごめんなさいね、本当に。小学校の時…ううん。幼稚園の時からず~っと二人には迷惑ばかりかけてるなぁって思う」
「いや、そんなことないよおばちゃん。慎吾には、俺もずいぶん助けられているから」
「私もです。慎吾くんがいなかったら、今こうして楽しく高校生活を送れていません」
おばちゃんの言うことに、俺と夢衣はそれぞれ反論するけど、おばちゃんは少し悲しそうに、
「それでも、今はあなたたちにすごく迷惑かけてる。今から慎ちゃんの説得をするんでしょ?慎ちゃんと更紗ちゃんの二人だけではこじれそうだから、間に入ってもらうのよね。本当に助かる。子どもの喧嘩に親はしゃしゃり出たくないからね」
と言って、苦笑いを浮かべる。
「私達にとって大切な二人に、このまま険悪でいて欲しくありません。なんとかして仲直りして欲しいのです。それは、幸弘さんも一緒ですから」
夢衣は俺の言いたいことを代わりに言ってくれた。
「ありがとう二人とも。それじゃ、今の慎ちゃんの様子を教えるから、それを踏まえて話をしに行ってね」
そして俺たちは、慎吾の今の状態について聞いてみた。
食事はとっておらず、部屋にずっと閉じこもっているとのことだ。
「そんな…慎吾くん、かなりショック受けているのですね…」
夢衣がかなり心配そうな表情でそう言うが、おばちゃんは、
「でも、それって慎ちゃんの思い込みで、自分でドツボにはまっているだけだから、なんだかなとも思うのよね。そのあたりを踏まえて、話をして頂戴。話もまともに聞かないで卑怯な真似をしないでって」
と言っていた。確かにそうだな、と思うから、俺はそのあたりを突っ込んで慎吾に聞いてみようと思った。
俺と夢衣は、階段を上って慎吾の部屋へ向かう。トン、トンと規則正しい俺たちの足音は、きっと慎吾の耳に届いたことだろうと思う。
勝手知ったる他人の家。慎吾の部屋なんて、もうどれだけ通ったのか覚えていないくらい通っているのだから、真っ直ぐ部屋の前に立つと、おもむろにノックをする。
「慎吾、入るぞ」
そう宣言してドアノブを回す。東条家の部屋のドアは、トイレと風呂以外鍵をつけていないから、すんなりと扉は開いて、俺と夢衣は慎吾の部屋の中に入る。
「慎吾くん、失礼しますね」
夢衣もそう言って俺の後ろからひょっこり顔を出す。
慎吾の表情を見て、夢衣が息を飲むのが分かった。
それはそうだ。俺だってこんな慎吾を見るのは初めてだ。
「慎吾…」
ベッドに上半身を起こし、足は伸ばした状態で、スマホを握りしめて呆然としている慎吾。
一昨日のような生気溢れる表情ではなく、目は血走って、スマホを凝視している。丸1日食事も摂っていないのか、顔色も悪くて、本当に弱々しい。
「…」
黙ったまま、俺の方を向いた慎吾は暫く黙っていたけど、
「幸弘、惨めな僕を笑いにでも来たかい?」
と弱々しくも棘のある口調で話しかけてくるものだから、俺は思わず「ちょっと待てよ、笑いになんか来るわけないだろ」と語気を荒くしてしまう。
「ごめん、幸弘。僕にはもう、何もないから…。隣に夢衣がいるお前が羨ましくなってね」
力なく、慎吾は笑う。
「何言ってるんだよ、慎吾…お前さ、何やってるか分かってる?」
そんな慎吾に俺は少しばかり柔らかくなって質問する。
「…?何?」
はぐらかす慎吾にまた俺はイライラするけど、夢衣がすかさず言った。
「更紗さんをブロックしたあげく、私たちのグループから抜けましたね。そのことです」
「…あぁ、そうか、そうだよね…」
慎吾は力ない目でため息をつく。
「グループを抜けた時点で、何かおかしいのは分かっていたのです。私も幸弘さんも、慎吾くんに対して何もしていなければ、何かあったとしたら、更紗さんしかありません。だから、ついさっき更紗さんに来ていただいて、話をしました」
すると、慎吾の目にぎらっとした光が差した気がした。その瞳は、とてもゆがんでいるように見えて、…ああ、こいつの勘違いも、かなり酷いな…何とかしないと…と思った。
「何を聞いたのかな?僕じゃなくて、鈴木と付き合うことにしたんだろ?一昨日までのあの日々は、全部嘘だった。そういうことなんだよな?」
慎吾は言葉を荒げる。そんな慎吾に俺はカッと頭が熱くなってくるけど、冷静な夢衣の声が部屋に響く。
「いいえ、違います!勝手な妄想で、更紗さんを貶めないで下さい、慎吾くん!」
夢衣を見ると、すごく泣きそうな顔をしている。涙がそこまで溢れてきているけれど、声も震えているけど、でも、絶対に涙を流そうとしないでいる姿に、俺はこんな時なんだけどキュンときてしまった。
「勝手な妄想?だって、君たちはあの場面を見ていないからな。これ見なよ」
慎吾はスマホをタップして、俺たちにその画面を見せる。
そこには、両手で鈴木の右手を取る大原の姿が映っていた。
「どう見ても、二人はこれから付き合うような絵面じゃないか。そうじゃないなら、なんなんだよ!君たちに説明できるのかい!?」
写真、撮ってたのかよ…。と、俺と夢衣はまじまじとそのスマホの写真を見る。確かに、それだけを見たら、それっぽく見える。でも、俺たちが大原から聞いた話では、絵面はそうでも、真実は違う。
「慎吾よ、冷静に話を聞くと約束してくれ。俺たちは真実を大原から聞いた」
俺は、真剣な眼で慎吾に懇願すると、慎吾は俺のただならぬ雰囲気を察したのか、ギラギラした見開かれた眼は、冷静さを取り戻して頷いた。
「大原、お父さんが入院するんだってよ…」
「なんだって…?」
慎吾の冷静な目は、今度は驚きで見開かれる。内心、コロコロ表情が変わっていくから、慎吾の百面相を一気に見ている感じがして可笑しくなってくる。でも、そんな事はおくびにも出さずに、俺は続ける。
「癌、だそうだ。分かったのは、よりによって海行ったあの日の翌日、つまり一昨日だ」
「…」
慎吾の顔は、今度はしかめっ面になる。あぁ、この表情は、少し後悔しているな…。
伊達に出会って15年、幼馴染みをしていない。だいたいの顔を見れば、こいつがどんな気持ちなのかわかるんだ。
「そして、昨日、大原は鈴木と会った。鈴木の親は、お前も知ってるだろ?」
「…あ…医者…あぁ…」
だんだん、状況が分かってきて、今度は、慎吾の瞳から力がなくなっていく。それは、自分のやっていたことが完全に筋違いで、大原に酷いことをしたということを悟ったんだろう。
「そうだ。大原は単に、鈴木にこの近隣でお父さんの病気に強い病院はどこにあるかって相談をしていただけだ。それが、真実だ」
俺が静かに締めくくると、慎吾は頭を垂れた。その状態に、心配顔の夢衣が、俺のシャツの背中をつまんでいた。
「慎吾くん、そういうことなのです。お願い、更紗さんを許して下さい」
夢衣がそう言って、慎吾に願った。
「でも、どうして更紗は何も言ってくれなかったんだ…?」
慎吾が当然思う疑問を口にする。その問いには夢衣が、
「出会ってからこれまで、慎吾くんにはたくさん助けてもらっていた、迷惑もかけていた。だから、身内のことについて、更紗さんは自分一人で解決したかったと言っていました。慎吾くんには、お父さんの入院が決まったら話すことにしていたそうです」
それを聞いても慎吾は頭を垂れたままだ。でも、そのうち嗚咽が聞こえてきた。
「僕は…僕はなんて馬鹿なんだろうな…。あの場面を見て、表情を見て、嬉しそうにしていたから…だから、あれはもう僕から更紗は離れていくんだって勝手に勘違いして、勝手にブロックして、勝手なことばかりして…そんなとき、更紗はとても辛いことになっていたのに、寄り添えなかった」
うわぁ~と慎吾は号泣する。
俺も夢衣も、慎吾が勝手にしたこととはいえ、その様子を見るのはとっても辛かった。
なんて、僕は馬鹿なんだろう…。そう思うと、自分がとても情けなくて…。
更紗をブロックしてはいけなかった。その前に、話を聞くべきだった。
自分勝手な自分を、今は殺したいと思うくらいだった。
自分への怒り、更紗への罪悪感、幸弘への感謝、夢衣への友愛…。いろんな感情が僕の胸に、頭に刺さっていて、もう何が何だか、感情の整理が追いつかなくて、泣き叫ぶことしかできなかったんだ。
しばらく泣いた。
更紗をブロックした後に泣いたときとは比べものにならないくらい強く、長く。喉から血が出てくるのではないかと言うくらい声が枯れるくらい泣いてしまっていた。
ひとしきり泣いた後、頭を上げる。
幸弘と夢衣が、僕を心配顔で見ていた。たぶん、今の僕の顔は本当に酷い顔をしていたことだろう。でも、こんな事になる種をまいたのは自分だ。だから、自分がその実を刈り取る必要がある。
「…ありがとう、幸弘、夢衣…」
ひとまず、そう二人に礼を言う。
すると、二人はホッとした顔をする。でも、次の僕の言葉に二人は驚いた。
「実は、大原家のみんなをブロックしていたから、そのブロックは解除するよ。でも、更紗に言って欲しい。僕をブロックして欲しいって。そして、退会したグループにも戻らない」
「え…?」
「どうして…ですか…?」
僕の真意を測りかねているようだったけど、僕は言う。
「こうなった責任は、全て僕にある。僕が勝手なことをした。その責任を取るよ。僕は更紗と別れる。そして、二人には迷惑をかけたし、かなり幻滅だったと思うから、今まで通りにつきあえるとは思えない。だから、僕は一人になるよ」
二人は僕の顔を見る。
「いや、それは違うだろ。俺はお前に幻滅なんてしてない。全て理解した上で、間違ったことをきちんと自分で昇華してさ、さすが慎吾だよ、と思ったよ。俺は、これまでもそうだし、これからもお前と幼馴染みでいるつもりだぜ」
幸弘がそう言ってくれる。とってもありがたい。
「そうです、慎吾くん。私も慎吾くんのことをとっても信頼しています。長い間築いてきた信頼関係です。手ひどい裏切りならともかく、ただの勘違いで揺らぐことはありません。だから、そんな事言わないで下さい」
夢衣も同じように言ってくれるのも、本当に嬉しかった。でも、
「二人のその言葉はとってもありがたいし、嬉しいよ。でも、一番大事にしていた更紗を、こんな形で裏切ってしまったんだ。僕は、更紗に顔向けができない。そんな辛いときに寄り添ってあげられなかった。そんな事になっていたことを知らずとは言え、更紗を突き放すことをしてしまった。…僕には、もう更紗の彼氏でいる資格はないんだ…。だから、グループにも戻ることはできない」
僕はきっぱりそう言うと、二人をまっすぐに見た。
二人の顔は、真っ青だった。
「本気か、慎吾…?」
幸弘のその言葉に僕は頷く。
「更紗もきっと、僕みたいな男が側にいるときっと不幸になる…。こんな自分勝手でさ、他人を平気で傷つけるような奴、更紗も嫌になっちゃったんじゃないかな…。だから、僕と別れて、別のいい男を捕まえて幸せになってくれた方が良いと思うんだ…それくらい、今回の僕の独りよがりなやり口は、自己嫌悪の極みなんだよ…」
僕がそう言うと、沈黙が僕達の周りを支配した。
その沈黙を破ったのは、僕の部屋の入り口からする意外な声だった。
「…親が出るのはどうかと思ったけど、そんな馬鹿なことを言っているんだったら出ないわけにはいかないじゃない」
その声の主は、母さんだった。
「なんで…?」
それは、どうして母さんがいるのかと言うこともあったけど、どういう意味なのか分からなかったのもあった。
「…やっぱり、慎ちゃんは独りよがりが過ぎるって思ってね。確かに今回は、更紗ちゃんにも非はあったと思うのよ。それは認めるし、誤解をしてブロックしてしまった慎ちゃんもお互い様だと思うのよね。でも、だから自分が罰を受けるようなことをするのは違うと思うの」
そう言いながら母さんは僕の部屋に入ってきて、僕のベッドの隅に腰を下ろした。
「そして、あなたたちは似てるなって。自分が悪いのだから、その罰は受けなくてはならないって発想、更紗ちゃんも言ってた。慎ちゃんに嫌われたのなら、別れるって言うなら別れる。幸ちゃん夢衣ちゃんからも絶交されても仕方ないって…。泣きながら言うの。慎ちゃん、あなたは同じことを言ったけど、悲しくないの?」
母さんは、そう僕に言う。更紗も同じことを考えているのなら…。
「悲しいよ。悲しいけど、お互いに別れるというのなら、別れるしかないんじゃないか?」
僕は、思わずふて腐れたように言ってしまう。すると――
パシッ!
乾いた音が、部屋に響いた。
左の頬が、ジンジンしてくる。
え?…叩かれた?
「慎吾くん!なんてことを…」
僕の頬を叩いた夢衣が、これまでになく怒った表情で僕を見る。その瞳には、涙が溜まっていて、頬に流れ出していた。普段から感情が表に出にくい彼女の、怒りの形相を、僕は生まれて初めて見た。
「話もしないまま、何も歩み寄ることすらしないで、このまま別れてしまっても本当にいいのですか?今までも、何かあったときにはしっかり話をして絆を深めてきた二人なのに、こんなことで何もしないまま別れてしまうのは、絶対に後悔すると思います!
私も幸弘さんも、慎吾くんと更紗さんのいつも仲の良く、醸し出す雰囲気が大好きで、私たちもそうありたいよねっていつも言っています。私たちの目標なのです。そんな二人には、こんな形で別れてほしくありません。きちんと話をしてから、どうするか決めて下さい!」
叫びにも似た夢衣の声が、僕の耳朶を打つ。
あぁ、夢衣の逆鱗に初めて触れた。夢衣にもこんな激情を持つことがあるんだ…。そう思うと、自分の言ったことが、なんてちっぽけだったのだろうと再び自己嫌悪に陥る。
「あ、言いたいこと全部夢衣ちゃんに言われちゃった。でも、そういうことよ。慎ちゃん、落ち着きなさい。あなたはまだ、更紗ちゃんと『終わっていない』のだからね。私が言いたいのはこれだけ。下に戻っているから、幸ちゃん夢衣ちゃん、話が終わったら私のところへ来てね。あと、疲れただろうから、コーラ置いておくわ。…飲み物を置きに来ただけなのに、しゃしゃり出てごめんなさいね」
母さんはそう言って、部屋から出て行った。
「うん、ありがとおばちゃん」「ありがとう、ございます」
二人は母さんにそう礼を言う。夢衣はもう、いつもの夢衣になって冷静な口調と表情になっていた。
僕は、自分の愚かさを恥じ入るばかりだった。だから、僕は投げ出していた足を折り曲げ、膝に頭をつけて縮こまる。
そして、また涙が自然と溢れてきた。
………あぁ………。
僕は、馬鹿だなぁ…と再び思う。僕が傷ついたと同じように、更紗も傷ついている。より、更紗の方がだよ。そんなときに、僕は何をしているんだろう。別れるなんて馬鹿なことを考えていたんだろう。
とにかく、話をしよう。話をした上で、これからどうしたいのか結論をつけるべきなんだ。
一時あった更紗への不信感や嫌悪感はもうほぼない。僕は…やっぱり更紗のことが好きなんだ。その想いは、再び燃え上がってくる。
だから、僕は姿勢を正し、ベッドの上で二人に向かって正座をする。
「ゴメン二人とも。更紗と話をしたい。だから頼む、更紗と話をさせて。どうするかはそれから、決める」
僕は二人に土下座する。
僕はずっと頭を下げていた。しばらくの沈黙の後、幸弘の声が僕の耳に届く。
「分かった。夢衣から大原に連絡してもらう。夢衣、頼んだ。でもまだ、大原は寝ているかもしれないから、どうする?」
え?更紗が寝ているって?
「どういうことだ、幸弘。更紗が寝ているって言うのは」
その僕の問いに対して答えたのは夢衣だった。
「更紗さん、昨日あまり眠れなかったみたいで今私のベッドで寝ていただいています。私たちが家を出てから1時間ちょっとですから、もう少ししたら連絡しても良いと思いますが、一旦帰って呼んできましょう。慎吾くんも全然寝てないみたいですから、今のうちに少し休んでください」
そう言われて少し驚いたけど、納得して頷く。
「では、一旦帰ります。帰り道で更紗さんに連絡をして一緒に連れてきますね』
「お願いします」
僕は、夢衣に丁寧にお願いをした。
でも、自罰的思考は、なかなか頭から離れない。悪いのは僕で、更紗は悪くない。だから、僕は罰を受けるべきなんだ…。
少しずつ戻ってきた気持ちは、一人になることでまたも悪い方へと梶を切っていこうとしていた。
慎吾くんの部屋を出て、階段を降りました。
私たちは、リビングで話し合いの結果を待っているおばさまのところへ行きます。
「おばさま、一旦帰ります。更紗さんを迎えに行きますね」
おばさまは、ホッとした表情を見せていただきました。
「分かったわ、夢衣ちゃん。幸ちゃんもありがとうね」
「それで、更紗さんへの連絡なのですが、私たちが家に戻る直前に電話しようと思っています」
「あ、そうなのね。分かったわ。じゃ、私の方からは、今から15分くらい後にもうすぐ夢衣ちゃん立ち戻るからねってライナーしておくわね」
お母さんの言葉に、私たちは「お願いします」と答えて「おじゃましました。また後で」と慎吾くんの家を出ました。
私は、幸弘さんの横で歩くときは手を繋いだりはあまりしませんが、今回はとっても不安で、思わず幸弘さんの手を取ってしまっていました。
「?どうした、夢衣?」
幸弘さんのやさしそうな声が私を安心させてくれましたが、不安なのはやっぱり不安なので、
「一山越えましたけど、もう一山、上手くいってもらえるといいのですけど…慎吾くんのあの性格ですから、まだちょっと不安で」
そう、慎吾くんは考えを改めていただけました。でも、二人が話し合った上で元の鞘に収まってもらえるのか、それだけが不安です。
私の不安をよそに、幸弘さんはフッと微笑みます。
「大丈夫だと思うよ。お互いの誤解は解けたんだよ。あとは、二人が直接会うことで完全に雪解けになる。俺はそう思うよ。夢衣も心配性だな」
そう言われると、確かにそう思えてきました。それに、
「そうですね。慎吾くんは、惚れた相手にはとっても弱いこと、思い出しました。以前、更紗さんに言ったこと、思い出しました」
と幸弘さんに告げると、「だろ?」と我が意を得たりといった感じで頷きました。
ここでようやく、私は笑うことができました。
やっぱり、私は幸弘さんのことを好きになって良かった。こうして不安なときに元気づけてもらえますし、優しく私を包み込んでもらえます。
慎吾くんも紳士で優しい。確かに、小学校の時のあの人を見下した結果、いじめられていた時代はあったけど、あのあとから慎吾くんは変わって誰にでもすごく優しくなりましたから。そして、小5の運動会で私が転んだときにかけてくれた言葉に、私は慎吾くんのことを好きになりました。でも今となっては過去の話です。幸弘さんと一緒に歩む道を、これからもかみしめていきたいという思いを新たにしました。
「幸弘さん、これからもお願いしますね」
突然の私の言葉に、幸弘さんはちょっと面食らったようです。
「ちょ、どうしたんだ、夢衣?」
少し照れ顔になる幸弘さんに私は、
「ううん、何でもありません」
と、言いました。たぶん、悪戯っぽい表情をしていたと思います。
それからも私たちは手を繋いだままだいぶ暑くなった街を歩いて家まで帰ります。
「そろそろ、更紗さんに電話してみましょう」
あといくつか角を曲がれば、家に帰る3分くらい前ですけど、私はスマホを取り出してライナーを起動、更紗さんへ通話します。
コール2回目で、更紗さんは出ました。
『夢衣ちゃん、ありがとう!』
更紗さんの声は、さっきとは打って変わって明るくなっていました。おそらく、おばさまの連絡が行ったからだと思います。
「いいえ。でも、これからですよ。もうすぐ戻りますから、一緒に慎吾くんの家に行きましょう」
『ええ、分かった。待ってるね』
声色が結構戻っていることが確認できましたから、私は安心しました。どうも、そのことは私の表情から察したみたいで、
「その分だと大丈夫だな、大原は」
と幸弘さんは通話を終えた私に話しかけてきましたから、
「二人とも、前向きになれたみたいですね。後は、上手くいくことを祈るだけです」
私は幸弘さんの顔を見て、力強く頷きました。
そして、家に帰るともう玄関に更紗さんはいました。
「夢衣ちゃんありがとう。気持ちいいベッドでぐっすり眠れたよ!慎吾と話させてもらえるんだし、本当に二人と慎吾のお母さんには感謝だよ」
私たちにそう言って頭を下げる更紗さんに、私たちはホッとしました。
「それじゃ、行くか。大原は自転車押していくよな?」
幸弘さんがそう聞くと、更紗さんは「うん」と頷きました。
「正直、慎吾とどう話をしていくことができるかは、不安で、ちょっと怖いけど、でも、話をしてお互いの気持ちを確かめ合わないとどんな結果にせよ前に進めない、そう思うから」
先ほどまでの弱々しい更紗さんとは打って変わったいつもの姿に、私は(この分なら、これなら大丈夫でしょう。慎吾くんも無碍に更紗さんを否定することはしないと思いますし)と安堵しました。
更紗さんは自転車を押しながら、私たちと話をします。
お父さんのことは、最後まで希望は捨てないと、だから同じように、慎吾くんとのことも、希望を持って話したいと。
「お互いに冷静になれたのだから、大丈夫です。私たちもサポートしますから」
そして、20分後、再び東条家の玄関の呼び鈴を押しました。
慎吾の家の呼び鈴を、夢衣ちゃんが押してくれると、私は緊張してきた。
慎吾のお母さんは、さっきもらったライナーのメッセージ…。
『慎吾も反省しているみたいだから、あとは二人で心の底から思っていることを話し合ってね。大丈夫よ、安心してね』
という言葉にすごく勇気づけられたけど、やっぱり緊張しちゃって…。
そのうち、お母さんがインターフォンに出てくる。
『お帰り二人とも。そして、更紗ちゃん、入ってきてね』
いつもと同じような口調のお母さんの声がした。
「お邪魔します」
私はそう言って、玄関に入る。靴を脱ぎ、まずはリビングに入るけど、やっぱり緊張は解けなくて…。
「いらっしゃい、更紗ちゃん。本当に、うちのバカ慎吾がゴメンね。全く…これで本当に別れたら、私、慎ちゃんタコ殴りにするところよ…」
お母さんは、ちょっと洒落にならないことを言いながら笑うから、私は「あはは…」と乾いた笑いしかできなくて。
でも、私のそんな表情を見て、「うん、その表情なら大丈夫ね。だいぶメンタルやられていたと思うから、結構回復できたみたいで何よりよ」とお母さんは言ってくれたから、私も少し安心する。
そして、準備してもらっていたコーラを一気に飲み干してから、
「じゃ、行ってきます」
と、私は席を立った。
「ええ、行ってらっしゃい」「じゃ、俺も」「私も行きますね」
お母さんは席を立たず、矢野くんと夢衣ちゃんが席を立った。
二人のサポートはとても有り難い。
トン、トンと3人で階段を上がる。先頭は矢野くん、次に私、最後に夢衣ちゃん。
「慎吾、入るぞ」
ノックもなしに矢野くんは扉の前からそう言うと、ドアを開けた。
「…!?」
矢野くんが、少し驚いた表情を見せる。私は何故そんな表情をしているのか、ドアが邪魔で中の様子がよく分かっていなかったから、私は慌てて部屋の中に入ろうとした。
すると、部屋の真ん中で慎吾が正座をしていた。
「慎吾…」
その慎吾の表情は、神妙で、何度も泣いたのかいつもの慎吾とは全然違っていて本当に暗かった。
「更紗…申し訳なかった…。勝手なことをしてしまった…。許してもらえないと思うから、このまま別れることになっても受け入れるよ…」
部屋に入ってきた私を確認すると、そう言って弱々しく頭を垂れる慎吾。
え?別れる?何言ってるんだろう…?
経ったままの私は思わず、慎吾の前に座る。同じように正座をしてしまった。
「おい、慎吾…いきなり言うことがそれかよ…?」
非難めいた言葉を矢野くんは言うけど、私は一度、矢野くんの方を向いて口に人差し指を当てて「しー」をした。
矢野くんは、私のジェスチャーを見て、「分かった」と一歩下がってくれた。
改めて、私は慎吾の方を向く。
「慎吾、私の方こそ、ごめんなさい。鈴木君とのことは、前もって慎吾に相談するべきだった。お父さんが病気って分かって、死んじゃうかもしれない、綸子と二人きりになっちゃう。そうなったらどうしようって思ったら、何が何でも生きて欲しいから、慎吾そっちのけにして何とかしようと一人で暴走しちゃった。二人で会ってたところ、見ちゃったんだよね。ショックだったよね…」
私は、そう言って、慎吾の反応を見る。慎吾はスマホを操作して、写真を見せてくれた。
「うん、ショックだったよ…まさか、そんな事になっていると思わなかったから、まさか鈴木とデキたのかなんて思ってしまったよ…冷静に考えれば、何かの間違いだったってことに気づいたのにな…だから、僕も暴走してしまった…本当に、申し訳ない」
そう言いながら、慎吾は無言でスマホを操作して、私と鈴木君の写真を、慎吾は削除した。そして、続ける。
「…更紗を傷つけた…こんな奴、イヤだよな…勝手にこのシーンを見て、更紗は鈴木の元に行ってしまったのかもしれないって勝手に思って、勝手に怒って、勝手にブロックして…自己嫌悪の塊だ。だから、僕は更紗と別れなくてはいけないと思ってる」
削除してくれたと言うことは、誤解は解けたんだと解釈したのに、それとは裏腹な慎吾の言葉。私は何で?って思う。
「…慎吾の勝手じゃないよ…私が勝手なことをしたから、慎吾に誤解を与えてしまったんだよ。慎吾を傷つけたのは、私の方。本当に、ごめんなさい…」
そう言いながら、悲しくなって涙があふれ出しそうになる。
そんなときに、意外な方向から凜とした声がする。
「慎吾くん、あなたは更紗さんのことを嫌いになったのですか?」
夢衣ちゃんだ。
「嫌いになったから別れたいのですか?好きだけど、自分勝手な論理を振りかざして別れたいというのであれば、それは間違っています!話をすると言ったじゃないですか、その上で、結論を出すといったじゃないですか!話をするというのは建前で、本音は別れるということだったのですか!さっき話したではありませんか!話をした上で決めるって。話が違います!」
夢衣ちゃんの鋭い言葉が、慎吾の胸をえぐるように見えた。今まで聞いたことのない声で夢衣ちゃんが叫ぶから、私も心臓がキュッとしてしまう。隣にいる矢野くんも、頷いている。
「慎吾、お前は自分の責任は自分で取ろうと頑なになりすぎる。でも、お前の本心はどこにあると言うんだ?」
矢野くんも、慎吾に厳しい言葉をかけた。それにぐっと慎吾は黙り込んで、正座したまま頭をずっと下げる。そして、しばらくみんな沈黙していると、そのうちすすり泣く声が聞こえてきた。
「慎吾…」
私は、慎吾の泣き声に同調してしまって、ちょっと泣きそうになっているのを実感する。
すると、がばっと慎吾が顔を上げた。
涙でグチャグチャな顔をしているけど、
「そんなの…そんなの…嫌いじゃないよ!大好きだよ!好きで好きで、たまらないよ!でも、こんなことしてしまって、彼氏失格だろう?本当は、別れたくないよ!一緒にいたいよ!いつの日か、更紗が言っていたように、二人で幸せになりたいよ!だけど、だけど…」
心からの叫びだと思った。いつも本心だと思っているけど、ここまで慎吾が心の奥底から言葉を発しているのは、初めて見たと思う。でも、やっぱり、「だけど」と言う言葉と、そのあとに続くだろう「自分のせい」という言葉がストッパーになっているみたいだった。
そんな慎吾を見るのは辛かったんだけど、その時、私の後ろから風が入ってきたように感じた瞬間――
バキィッ!
慎吾が目の前から吹っ飛んだ。慎吾はかなり強い力で殴られたみたいで、真後ろのベッドに慎吾は背中をぶつけて、脱力する。
目の前には、肩で息をしている矢野くんがいた。
「ちょ、矢野くん!やりすぎ!」
矢野くんは、本当に怒っていた。私の言葉なんか耳に入っていなかったように無視して、脱力している慎吾のTシャツの襟元を両手で掴んで前後に揺する。
「お前は!まだ!そんな事を!言うのかっ!だけど、だけどって、どれだけお前は馬鹿なんだ!慎吾、大原はな、お前に傷つけられたかもしれない、でも、大原だって慎吾を同じように傷つけてしまったんだ。お相子なんだよ。そして、大原は謝罪している。おまえも謝罪した。それで良いんじゃないのか!まだそれ以上に罰を受ける必要がどこにあるんだ!お前達がこんな形で別れるのは、俺も夢衣も本意じゃないんだよ!それこそ、『楽しい仲間』じゃなくなってしまう!俺たちは、それだけはどうしても避けたいんだよ!さっき夢衣も話していたのに、何でお前は分かってくれないんだよ!分かってくれよ!分からないなら、その硬い頭、かち割ってやるよ!」
矢野くんも、本音を怒鳴って吐露する。あぁ…私は…いや、私たちはなんて、本当にいい親友を持ったんだろう…。
慎吾の左の頬は赤く腫れてしまっていた。流れる涙もそのままだ。でも、その眼には絶望ではない、何かが宿っていたように見えた。
「あぁ…きっつぅ…久しぶりに、幸弘のパンチを浴びたなぁ…小6以来か?」
慎吾は左の頬をさすりながらそう言う。
「お相子か…それ以上に罰を受ける必要があるのか、か…そうだよね…。…今度こそ、目が覚めた…」
慎吾は起き上がってもう一度、私の前で正座をする。矢野くんは、その雰囲気を悟って、夢衣ちゃんの横に移動してくれた。
そして、慎吾は口を開いた。
「更紗…本当にごめんなさい。目が覚めたよ。悪い夢からね。もし、良かったら、もう一度やり直して欲しいです。やっぱり、僕は更紗のことが好きだから」
もう何度目かの、慎吾から聞く「更紗のことが好き」という言葉。だけど、今日のこの言葉は、慎吾から初めて告白されたときよりも、遊園地の観覧車で言われたときよりも、何よりも、すごく尊いものに聞こえた。
私は、その言葉がすぅ~っと胸に沁みてきて、気づいたら、溜まっていた涙が勝手に流れてきていた。そして、気づけば私は慎吾の頭を両手で抱き寄せ、慎吾に頬ずりをしていた。
「ありがとう、慎吾。これだけのことがあったのに、それでも好きだと言ってくれて。私も、勿論慎吾のことが好きなんだよ。鈴木君は眼中にないの。だけど、お父さんのことについてはすっごく感謝しているから、何かしらお返しはしなくちゃいけないと思っている。でも、それだけだから」
そして、もう一言付け加える。
「これからも、一緒にいて欲しい。一緒に幸せになりたい!…ダメ?」
すると、慎吾も私の背中に腕を回してきて、
「もちろんだよ!一緒にいたい、幸せになりたい!だから、一つだけ約束して」
私はうん、と頷く。
「もう、一人で悩まない。悩んだときは慎吾に相談する!そういうことだよね!」
言いたいことはわかっていたから、先回りして言うと、
「そう、そうなんだ。勿論僕も、悩んだから真っ先に更紗に相談するからね」
と慎吾は言ってくれたから、二人の想いは通じ合っていることを、久しぶりに確認できた。
だからそのあとは、しばらくこのままの格好で、二人で何故か泣けてきて、お互いの顔や背中を撫でながら、静かに涙を流した。
「二人とも、良かったです」「ああ、やっぱり二人はそれで一つなんだよ。じゃ、邪魔者は下行って、おばちゃんに報告してくるわ」「どうぞ、ごゆっくり。心行くまで話をし終わったら、降りてきて下さいね。仲直りした二人を、おばさまに見ていただきましょう」と、矢野くんと夢衣ちゃんは階段を降りていき、残されたのは私と慎吾の二人。
しばらくそのままでいたけど、どちらともなく離れる。
そして、慎吾はスマホを取り出した。
「じゃあ、ブロックを解除するね。実は、更紗だけじゃなくて、綸子ちゃんにお父さんもブロックしてた。滅多に連絡しないから、二人はたぶん気づいてないと思うけど、でも、二人には直接会って謝罪したいと思うから、そのうち機会を設けさせてもらえるかな?」
そう言いながら、慎吾は私たちへのブロックを次々解除し、最後に私が招待して、慎吾は『楽しい仲間』のグループに再加入した。
その通知音が私のスマホから聞こえてくる。
やっと、元に戻ったんだ…。
「お帰り、慎吾」
私は嬉しくて、慎吾にキスをした。
更紗と抱き合っている間、僕も更紗もずっと泣きっぱなしで、お互いの存在を確かめ合うようにお互いに背中をさすったり、頭を撫でたりしていた。
そして、幸弘と夢衣は僕達に一言残して階段を降りていったんだけど、それでも僕達はまだまだ抱き合っていた。
更紗の香りや温もり。
もう、二度と離してなるものかと思う。
しばらくそう思っていたら、ほぼ同時に身体が離れる。僕は、更紗にスマホを取り出しながら、「じゃあ、ブロックを解除するね。実は、更紗だけじゃなくて、綸子ちゃんにお父さんもブロックしてた。滅多に連絡しないから、二人はたぶん気づいてないと思うけど、でも、二人には直接会って謝罪したいと思うから、そのうち機会を設けさせてもらえるかな?」と言って、大原家全員のブロックを次々解除する。
「楽しい仲間に招待してくれない?」
僕は更紗にお願いすると、更紗は「うん」と軽く頷いて、僕を『楽しい仲間』に招待してくれて、グループに再加入することができた。
「お帰り、慎吾」
更紗は、僕にキスをしてくれる。
僕は、もう一度更紗を抱き寄せて結構長い時間のキス。
「あぁ…長い2日間だったね…」
唇を離した僕はそう言って、改めて更紗の髪を撫でる。
「ゴメンね、慎吾」
「ううん、僕の方こそゴメン、本当に、ゴメン。でも、もう、大丈夫だよね」
「うん、大丈夫だよ」
そして、通常に戻った空気感をかみしめる。
「お父さんの入院はいつ頃になりそう?」
僕がそう聞くと、更紗は首を振る。
「ちょっと分からない。でも、今日はお父さん、紹介状をもらいに行って、明日には県立病院に行くつもりって言っていたから、その時にいつ入院になるか分かるよ」
「そっか…じゃ、入院前に今回のこと話していいかな?早く話をして、安心して入院してもらう方がいいと思うんだ」
すると更紗は力強くうん、と頷いて、
「それじゃ、今日の夜にでも話してしまわない?ファミレスで食事しようよ」
さすが、即断即決。こうした方が良い、というその思考は、更紗の良いところだし、見習いたいところだ。でも、それが諸刃の剣になることがある…今回のように。
でも、今は僕とちゃんと相談して決めようとしてくれるから僕は笑顔になって更紗に返事をする。
「うん、分かった。…っ痛」
僕が左の頬を撫でると、更紗はびっくりして、
「あ…痛いよね。腫れて痣になってる…」
更紗は僕の顔を確認すると、
「ゴメンね、慎吾。ゴメンね、私のせいで、痛かったよね」
と言うけど、僕は笑って、
「実は、最初に二人が来たときに夢衣にも実はぶたれてね…。左頬、頑張ったよ」
と言うから、更紗も思わず笑ってしまって、
「もぅ、あんなに頑なにしていたからそんな事になったんでしょ?でも、私もそんな慎吾をこれからももっと大切にしたい」
と言ってくれた。だから僕も、
「そうだね。僕も更紗を大切にするよ」
と、今度は僕の方から更紗の頬にキスをする。更紗はちょっと照れて、
「ありがと、慎吾。あぁ、そうだ。一つだけ、本当に鈴木君とは何にもなかった証明、できるよ」
とそんな事言うから、僕は頭が「?」になる。
「?どうやって?」
そんな僕に更紗は、耳元に口を寄せてきて、
「私の初めて、慎吾に捧げるからね」
とボソッと言うものだから、僕はさらに鳩が豆鉄砲を食らった顔になってしまう。
そして、更紗の言っていることを反芻して顔がかぁ~っと赤くなる。
…いや、実は僕だってまだしたことがないから…。
「…僕もまだだからね」
と言うだけで、顔を赤くしたまま固まる。そんなことを言いつつ同じように顔が真っ赤になっている更紗も、「そうなんだ」と言ってしばらく沈黙が流れる。
「でも、今、こんな雰囲気でするよりも、もっとちゃんと落ち着いてからね」
僕はそう言うと、更紗も、
「分かった」
と、その話は終わり。顔を赤くしたまま、僕達は手を繋いでリビングへと降りていった。
「お、降りてきたな。早速手を繋いでお熱いもんだ」
幸弘がそう言って、早速僕達をからかう。でも、
「さっきは熱くなってすまなかったな。頬、痛いだろ?」
と、僕の身を案じてくれるところは、さすが親友だ。
「ああ、確かに痛いけど、それはお前にやられただけじゃないから…夢衣にも馬鹿なことを言ってぶたれたし、自己嫌悪で今日、僕の頬は再起不能だよ」
「それ、笑いながら言う台詞じゃないと思いますよ」
僕の冗談に、夢衣は真に受けたようでちょっと真剣な顔だけど、幸弘は笑う。
「はっは。まぁ、確かにそうだよな。今日は大原も慎吾も、二人で大いに反省したら良いと思うよ。夢衣、俺たちは二人が元に戻って良かったよな」
「はい!良かったです。本当に…」
夢衣は、そう幸弘に言われて真剣な顔を崩してちょっと涙ぐんでいた。大切な幼馴染みと親友が別れなくて良かったというのは、本当に嬉しかったのだろう。
「さぁ、二人は元通りになってくれたわね。このまま別れてたらホント慎ちゃんをタコ殴りにして土下座させてでも謝らせてたわよ」
と母さんが僕の頭をむんずと掴んで頭を下げさせる。
「母さん、痛いって」
僕はそう言って頭を下げたままでいると、
「お母さん、もう元に戻れましたから、もうそれくらいで慎吾を許して下さい。あと、解決したから今回のことを、うちのお父さんと綸子に話をしたいと思うんです。ファミレスで話をするのに、慎吾も一緒にいて欲しいんですけど、いいですか?」
更紗がそう言って母さんに許可をもらった。母さんはあっさり、「いいわよ~。こっちは知っていてそちらが知らないのはフェアじゃないからね。いくらでも慎ちゃん貸し出すから、煮るなり焼くなりして頂戴」と言う。それに更紗は、
「前にも同じこと言われたような気がするんですけど…」
と苦笑いを浮かべるけど、「ありがとうございます。じゃ、今日の晩お借りしますね」と言って、早速綸子ちゃんとお父さんにライナーを送った。
それから母さんも含めて5人でしばらく話をした。
更紗のお父さんの病気のことからスタートして、「それなら、入院が決まったらまた更紗ちゃんと綸子ちゃんは週3でも4でも来ればいいからね。毎日でもいいけど、気を遣っちゃうでしょ?二人だけだと何かと暗くなっちゃうと思うから、そうならないようにフォローしていきたいって思っているの」という母さんに、更紗も「はい、ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」と答えて、お父さんが入院したら、少なくとも火、木、土でうちに来ることになった。
そして、今回のことの反省会。お互いに一言言うことがなかったよね、と二人でも結論づけていたけど、でも、家族の一大事にそんなところまで思考できるなら、逆にどれだけ老成しているのよと母さんに言われ、確かにそうだよな…やっぱり僕が悪いよな、という結論になりかけた。だけど、「でも、二人で幸せになりたいと言ったのは私だから、私もそこでちゃんと考えないといけなかったんです」という更紗の言葉で、「まぁ、そう言うなら、そういうことにしておきましょ」と母さんはあっさり折れてくれて、喧嘩両成敗という結論になり、幸弘も夢衣も胸をなで下ろしていたな。…正直、母さんはそう誘導していたようにも感じるんだけどね。
そして、いつしか大学の話になる。
僕と更紗は、同じ大学に行くつもりだ。でも、それが臨魁学園になるのか、それとも他の大学にするのか、九州の大学のオープンキャンパスは行ってみたけれど、まだ結論は出ていない。
「まだまだ、二人で考える時間はあるから、ゆっくり考えれば良いと思うわよ。なんにせよ、共通テストの出来で左右される部分があると思うから、最終的にはそこで決まると思う。でも、それまでどう頑張るかは、あんた達次第だからね。あと…」
母さんは一旦言葉を止めるけど、
「基本的に、うちは県外に行くなら国公立しか出せるお金はないと思ってね。臨魁は国立よりちょっとだけ高いくらいだし、家から通えるから問題ないわ。伊緒奈も晴城も働いているからうちの家計も余裕ができたけど、私たちの老後のことがあるからね、もう少し貯めたいの」
と笑って言っていたっけ。まぁ、僕もそのあたりは分かっているつもりだから、別にそうでも良いんだけどね。
幸弘と夢衣は、臨魁学園にする予定になりつつあるそうだ。幸弘は国立にするつもりだったらしいけど、元々の成績の良さと弓道の結果が良かったことから学園の特別奨学金をもらえるとのことで、せっかくならそれに乗っからせてもらおうと言うことになったらしい。
夢衣は勿論、幸弘についていくから臨魁学園で一緒に行くと断言していた。
あまりにも話し込んでしまったものだから、母さんは、「ああ、もうお昼ね。みんな、今から作るから食べてから帰りなさい」って言ってくれる。でも、それに更紗と夢衣は、「じゃ、手伝います。お昼は何を作りますか?」
と尋ねると母さんは、
「ちょっと時間が遅めになっちゃったから、ざるそばなんてどうかしら?すぐできるしね」
と言う。二人はうん、と頷いて、
「それじゃ、出汁つゆ作って持って行きますね」「私は、わさびをおろすのと、ネギを刻みますね、おばさま」
と提案するから、母さんは、「あら、じゃあお願いするわね。男二人はゆっくりしてなさい。男同士で話したいこともあるでしょ?こっちもクッキング女子会するから」と言って、二人をキッチンへ案内した。
幸弘と二人だけになったリビングで、僕たちはちょっと話す。
「元通りになって良かったよ」
「ああ、だが、お前としてはわだかまりはもうないのか?」
「…100%ないと言えば嘘だね。とは言っても、95%だよ。残り5%は時が解決するだろうし、やっぱり更紗のことが好きで堪らないから、問題ないよ」
「だな。お前の大原に対する気持ちの強さは、他の誰にも負けてないからな」
僕たちはふっと笑う。
「大学なんだけど、もしかしたら別れるかもしれない。そうなったとしても、これからも色々助けて欲しいと思ってるよ」
僕がそう言うと幸弘は、
「それはこっちの台詞だ。できれば臨魁学園で4人仲良く学園生活を送りたいという気持ちは強い。でも、進路に関してはそれぞれの考えがあるからな。お前達の決めたことに文句は言わないからな」
「ああ、助かる。Thank you, Guys」
僕は、そう言って右手を挙げると、幸弘はいつものように同じく右手でハイタッチ。
それが僕たちの友情の証だった。
そして、更紗の作った出汁と夢衣が用意してくれた薬味、そしてゆで加減絶妙な母さんの3人が協力して作ったそばは、本当に美味しくて、みんなで「美味しい、美味しい」と言いながらあっという間に平らげて、みんな笑顔だった。
⒕時過ぎになって、私は自分の家の扉の鍵を開ける。
私は昼食を食べる前に、綸子にお昼は慎吾の家で食べるってライナーを送る。その前に話があるからって夕方の外食のことも報告しておいた。綸子は「わかったよ~久しぶりの外食、外食」と嬉しそうだったし、お昼食べて帰ることについては、「うん、わかった。こっちはこっちでちゃんと食べておくね」と返ってきたから、「ゴメンね。よろしくね」と私も返しておいたんだ。
お父さんにも同じ内容のライナーを送ったら、「了解。朝、様子がちょっとおかしいなと思ったから、その話かな?」と見透かされていたのには驚いたけど…。
⒕時くらいに家に帰って(サイクリングがてら、慎吾に送ってもらった)、玄関に入るともうお父さんは帰っていたようで、すでにお父さんの靴があった。
「ただいま~」
私はそう言って自室に戻る。すると、ちょうどリビングには綸子とお父さんがいて、二人とも麦茶を飲んでいた。
「あ、お帰りお姉ちゃん。なんだか明るいね」
「更紗、お帰り。何かいいことあったのかい?」
二人とも、私の雰囲気を察したのか、二人も穏やかな表情になる。
「ええ。まあね。まぁ、その話は、後でよろしく」
私はそう言って、お父さんへ尋ねる。
「お父さん、紹介状書いてもらえた?」
「ああ、ちゃんともらえたよ。明日県立病院へ行ってくる」
そんな返事をもらえたから、私は安心して、「良かった。じゃ、後で慎吾含めて4人で外食、よろしくお願いします。慎吾は慎吾で夕食代は出すっていっているから」と言って自室へ戻った。
そして、昨夜の寝不足と慎吾と仲直りできた安心感が全身を襲い、あっという間にベッドに突っ伏すと、そのまま寝息を立ててしまったんだ…。
「お姉ちゃん、起きて。もう夕方だよ」
いつの間にか夕日が部屋に入ってきていて、そんな時間になって綸子に起こされた。
「あぁ、すごい寝ちゃった。ゴメン綸子。ありがと」
「うん。大丈夫だよ。さ、お父さんも準備できているからね。どうする、着替える?」
綸子にそう言われて一回服を確認するけど…。うん、替えよう。
「そうね。今日も暑かったし、普通の汗や変な汗も出ていたから、シャワー軽く浴びてから行っていい?」
すると、綸子は少し目を細める。
「お姉ちゃん、今何時だと思う?」
スマホで時計を確認すると、もう17時45分。帰り際に、18時で約束していたから、シャワーを浴びていく時間はない。私は綸子の視線に気づいて、
「…うん、我慢する。あ、でも汗拭きのウェットタオルはあったから、さっと拭いて着替えるよ」
と言うと、それには綸子も頷いて、「うん、分かった。お父さんにももうちょっと待ってって言っておくね」と言って、先に玄関へ出て行った。
「さて、と」
私は先に着替えを準備してから服を脱ぎ、汗拭きのウェットタオルで全身を拭く。色々と今日は大変な1日だったから、暑さで出た汗や冷や汗で結構身体は気持ち悪かった。
ウェットタオルで拭いた全身は、それに含まれる成分もあって結構スッキリした。夕食後にお風呂に入ったら、きっと気持ちよく眠れると思う。
そう思いながら着替え――今度は、スポーツブラの上に、ライトグリーンのTシャツと、青のキュロットスカートにして、玄関を出る。
すでにエンジンがかけられていたお父さんの車の車内は、エアコンのおかげで十分涼しくなっていた。アイドリングストップも大事だけど、熱中症を起こす方も良くないから。
「じゃ、行くぞ」
お父さんは車を発進させて、一路ファミレスへ向かう。
「これから、こんな機会はしばらくないからね。今日はゆっくり話をしながら食べよう」
とお父さんは言ってくれた。
ファミレスに着くと、すでに慎吾は一人で私たちの到着を待っていてくれた。
私はすぐに駆け寄って、「慎吾、ゴメン、遅れて」と手を振りながら話しかけると、慎吾は「なんてことないよ。今着いたところだし」とテンプレを返してきた。
「本当は?15分くらい待ってた?」
と私がちょっと突っ込んで聞いてみると意外なことに、
「いや本当に今来たところだよ。着いて1分か2分くらいしか経ってないよ」
と慎吾は返してきたから、「そうなんだ。珍しい」と思わずつぶやいてしまった。
「実は、あの後安心しちゃったのか、すぐ眠くなって寝ちゃったんだ。で、起きた、と言うか母さんにたたき起こされたのがついさっき。急いで身支度して来たよ。じゃ、入ろうか?こんばんは、お父さん、綸子ちゃん。お父さん、お話は伺いました」
慎吾はそう言って、私の後ろで追いついた二人に挨拶をした。
「ああ、慎吾くん、そうだね。迷惑をかけることになるかもしれないけど、今後ともよろしく頼むよ」
「慎吾さん、そんなに寝てしまうって、何かあったのですか?というか、直前まで寝ていたって、お姉ちゃんと一緒…だし、その頬…」
綸子の問いに、慎吾は「まぁ、後で話すよ」と言うけど、私は、「慎吾もお昼寝しちゃったんだね。私も帰ってからすぐ寝ちゃったんだよね」と言うと、慎吾も驚いていた。
「じゃ、話は後で。今はとりあえず入ろう」
お父さんの言葉に促されて、私たちはファミレスに入る。夏休みとは言え平日だから、多少席に余裕はあった。待たされることもなく席に案内された。
まずは、メニューをのぞき込んでそれぞれ料理を頼む。
お父さんは、「俺は、ご飯半分の和食膳にするよ。みんな、ドリンクバー頼むよね?」と言って、私達が頷くのを確認した。
綸子は、「私は、サンドイッチ。食後にイチゴパフェね」とおどけながら。
そして私は、「私は、サラダうどんに、食後はチョコレートパフェにするよ」と私もちょっとおどける。
最後に慎吾が「じゃ、僕は和風たらこスパゲティの大盛りで。食後は、オレンジシャーベットかな」と遠慮がちに言うことで、注文確定。しばらく待っている間は特に何ごともなく普通に世間話をして過ごす。
そして、あの可愛い猫のような料理を運ぶロボットが、今回も私達の料理を運んできてくれた。
「やっぱり、この子可愛い~」
と綸子が言うものだから、私も釣られて「そうね、やっぱり可愛いね」という。
慎吾も、そうだね、と頷いてみんな笑顔。
そして、夕食は穏やかに進んだんだ。美味しいよね、と言いながら食べる夕食はお父さんとしばらく一緒にできないと思うから、一抹の寂しさもあったことは間違いないし、それは綸子も感じていたと思う。
そして、夕食が終わってデザートが運ばれてくると、私と慎吾は少し緊張してきた。
示し合わせたわけじゃないけど、言うならこの時だろうというのは、お互いに感じていたんだと思う。
「あのね、お父さん…」
私はちょっと重く口を開けた。
「ん?どうした?」
体調が不安だろうに、明るい声で返事をするお父さん。それに対して、私はちょっと緊張した顔だったから、お父さんも少し顔を緊張させる。
「実はね、慎吾とすんでの所で別れそうだったの…。慎吾にお父さんのことをすぐに相談しなかったから、鈴木くんと会っているところを見られちゃって、それも、私が鈴木くんと親しげにしているように映っちゃったようで…それで…」
私はそこでちょっと口ごもる。自分の不甲斐ない行動で、慎吾を傷つけたことをしっかり話さないといけないのに、ちょっと涙目になってしまった。
そんな私を見て、慎吾が後を継いでくれた。
「僕の方から、更紗は勿論ですが、綸子ちゃんやお父さんをブロックした挙げ句、仲間のグループからも抜けてしまったんです…。そこから、色々と、幸弘や夢衣といった親友達の助力もあって、こうして仲直りできました。すみません。僕が悪いんです」
また自責の言葉を吐く慎吾の手に、私は手を重ねて、
「私も悪かったの。一人でなんとかしないとって思って、慎吾が見聞きしたら決して快くはないやり方だったと思うから」
と言うと、お父さんは勿論、綸子もすごく驚いていた。
「まぁ、お姉ちゃん今朝の様子おかしかったから、何かあったのかなと思ったけど、そんなことがあったんだ…」
「そうか…そんなことがね」
ちょっとこの場の空気がどんよりと暗くなる。でも、それを吹き飛ばすように、お父さんは笑ってくれた。
「でも、もう仲直りできたんだろう?それならそれで良かったじゃないか」
って言ってくれて、私はホッとする。慎吾も同じようにホッとしたようだった。
そして、もう少し細かい経緯を私達は話した。
慎吾が頬を2回も殴られたことを聞いて、綸子が慎吾の頬を見て涙ぐんでいたっけ。
そして、私達が話し終わると、お父さんは穏やかな顔をして、私達を諭してくれた。
「二人が付き合うと言うことは、勿論、仲良く過ごすことが一番なんだけど、たまには意見の相違があって、それが二人の仲を悪くすることがあることだってあるものだよ。その時に、どう対処するかが別れるか、仲直りできるかの分かれ道なんだと思うよ。今回は、二人だけだったら、解決できなかったかもしれない。でもね、二人にはとっても信頼できる親友がいた。それが良い方向に進んでくれたんだと思う」
お父さんはそこで一旦言葉を切って、水を飲む。
「だから、今回のことを教訓にして、きちんと冷静に話し合っていくようにしていきなさい。二人がこれからも幸せに過ごしていこうというなら、喧嘩になりそうな時ほど、冷静にすることだよ。自分も、楓とは仲が良い時は良かったけど、今回の二人みたいな喧嘩をして、別れる直前までいったことがあるんだよ。大学生の時だけどね。でも、お互いに友人を呼んで間に入ってもらって、しっかり話をしたら、誤解だった。だから、こんなの何度も経験したくないけどお互いに幸せになるために通る道なのかもしれないね」
そこまで言うと、私も慎吾も神妙に頷くことしかできなかった。
「これからも、更紗と幸せに過ごすために、そうしていきたいと思います」「私も。ホント、今回のことはお互いの信頼関係にひびが入ってしまったから、お互いのことを思いやって過ごしていこうと思ったわ」
私達の言葉にお父さんは頷いてくれた。そして、私と綸子の顔を見て、もう一度話しかける。
「そうだ。学校の宿題になっていなかったから話す機会がなかった、更紗と綸子の名前の由来を話しておこうか。今回のことと関連があるかなと思うから。慎吾くんも良いかい?」
スマホを見るともう20時を回っていたけど、慎吾は「もちろんです」と深く頷いてくれた。
「更紗は分かると思うが、綸子もこの漢字で本来の読みかたは『りんじ』と言うんだ。ともに、布生地の名前だよ」
私の名前は分かっていたけど、綸子の名前も布生地が由来なんだと始めて知った。
「有名な曲に、『縦の糸はあなた、横の糸は私…』という歌詞があるだろう?楓がとても好きな曲なんだ。そして、縦の糸と横の糸をきちんと編むと布になる。そう、自分と楓が作った大切な子どもだから、生地のように美しく育って欲しいと言うのが一つ」
一つ、と言うことは、二つ目がある。私は黙って聞く一方で、綸子は「じゃ、まだあるんだね?」とお父さんに聞くと、お父さんは微笑んで、
「そう、もう一つはお前達にも、そういう、共に歩んでくれる大切な人ができて、人生を豊かに暖かく歩めるようにという願いも込めたんだよ」
と言うものだから、私と慎吾は勿論だけど、綸子もその込められた願いに感動してしまって、「私達、お父さんとお母さんの子どもで本当に幸せだよ~。お母さん、もっと生きてて欲しかったよ~」とワンワン泣き出しちゃうから他のお客の手前恥ずかしかったけど、その気持ちは痛いほどよく分かるし、実際私も両目に涙が溜まっていたし、慎吾も「お父さんとお母さんの愛情をすごく感じるよ…」と鼻をすすって涙を浮かべていたから、お互いの涙を指でぬぐっていた。
そして、夕食も終わって私達は慎吾を家まで送る。
「明日は、僕も一緒に病院まで行って良いですか?」
と慎吾はお父さんに聞いたけど、お父さんは首を振って、「明日は大丈夫だよ。入院が決まったらその時はお願いしようかな。小間使いにして申し訳ないけど、荷物持ちになってくれると有り難いからね」と言われてた。でも、それには慎吾も納得して「じゃあ、決まったらお父さんからでも良いですし、更紗からでも良いので、日付教えてください」とお願いしていたっけ。
でも、私も綸子も、お父さんのことで心配はあったから、それを少しでも和らげたくて、慎吾と一緒に過ごさせて欲しいとお願いした。慎吾は一も二もなく頷いて、「そうだね。3人で図書館にでも行こうか?」と提案してくれたから、私達は有り難くその話に乗せてもらうことにした。
そして翌朝、お父さんは県立病院へ。私と綸子、慎吾は3人で図書館へ行って勉強。
お父さんのことが心配でやっぱり私達は落ち着かなかったけど、少しずつ夏休みの課題を進めていく。
「ここはどうすれば良いのかな、お姉ちゃん」
綸子が数学の問題を聞いてきた時は、私は慎吾に丸投げしてる。英語や国語は勿論、私の領域なんだけど。でも、綸子自身もオールラウンドに全教科そこそこできるから、心配はしていないんだけどね。
そうして勉強していると、一人の男の子が私たちに近づいてくるのが見えた。
「あれ?大原じゃん…こんなところで勉強か?」
その顔に、私は見覚えがなかったし、慎吾に目配せして「知ってる?」って眼で聞くけど、慎吾は目を閉じて首を横に振り、「知らない」って言う感じだった。なら、知っているのは綸子だけだ。
「あ、大浦君。偶然だね。そっ。私は勉強中。大浦君はどうしたの?」
「うん、ちょっと自由研究の資料を探しに来たんだ」
「理科の?」
「ううん。社会。俺、社会が好きだから」
「そうなんだ。私も社会は好きだから、自由研究は社会にしようとは思っていたんだ。最近の戦争について調べようかなって思っていたんだ」
すると、大浦君と言われた子は、
「ああ、俺もそれを調べようと思ってね。それじゃ、時折情報交換していい?連絡先教えてくれるとありがたいんだけど」
とグイグイ綸子に話すけど、綸子も満更じゃないようで、
「うん、分かった。いいよ。ライナーでいいよね」
と、ライナーを起動してQRコードから彼を友達登録した。
「大原、ありがとう。それじゃ、よろしくな。そう言えば、ずっと二人だけで話していたけど、もしかして、向かいはお姉さん?」
大浦君は私の方を見ながら聞く。
「うん、そうだよ。お姉ちゃん、クラスメイトで今は席が隣なの…と言うか、2学期に入ったら席替えになると思うけど」
綸子が言うとすかさず大浦君が挨拶をする。
「すみません。二人だけで盛り上がってしまって。クラスメイトの大浦泰史です。妹さんと隣の席で話すようになりました。意外と話が合って楽しいです!」
はじめに謝罪して、それから今綸子と話することが楽しいといっている彼に、私はいい印象を受けた。綸子の彼氏になるのはこういう子がいいかもしれないな…と言うか、やっぱり姉妹だなって思う。
その態度や話す内容、嬉しそうな表情が、顔かたちは全然違うんだけど、醸し出す雰囲気が、とても慎吾に似ているんだ。だから、綸子も同じなんだろうな、彼女の表情がとっても柔らかいんだもの。
あの、佐々や時岡の二人の話をしていたときのような表情の硬さはなく、本当にリラックスして話している。
…この二人が上手くいくといいんじゃないかなって思う。
そのことを、お昼前に図書館から出たときに慎吾に話すと、慎吾も、
「うん、まぁ、僕と雰囲気が似ているかどうかは分からないけど、大浦君って、礼儀正しくて綸子ちゃんにお似合いな気がしたよ」
と言う。そんな私たちの話を聞いてか、綸子は顔を赤くして縮こまってしまった。
「あら?綸子、照れてる?」
私がそう聞くと、綸子は首をぶるぶると振って、「ううん!そんなことないよ!」と言いながら、一人だけ先にずんずん歩いて行ってしまって、私と慎吾は必死でなだめて家に帰って、素麺を茹でてお昼ご飯にした。
そのあと、お父さんが帰ってきて、入院の日取りが決まった。
「お盆は医師も看護師も休みを取るから手薄になるから、お盆明けの19日になったよ。更紗、綸子、慎吾くん、一緒に来てくれるかい?」
その日から実は、午前は補習、午後は学園祭の準備が始まるんだけど、準備に関しては、申し訳ないけど休ませてもらうしかないな。
「私は大丈夫だよ。お姉ちゃんと慎吾さんは?」
実は、海に行った日の帰りから綸子も慎吾のことを『慎吾さん』と言うようになった。勿論、「いつまでも東条さんと言うのはなんだか他人行儀だから」と私が綸子に提案したんだ。
「学園祭の準備の初日なんだよね。でも、なんとなするよ。家族の一大事だもの」
私はそう言って頷くと、慎吾も同じく「荷物持ちしますから、大丈夫です!」と言ってくれた。
色々と大変だった3日間。みんなで乗り越えた。別れる一歩手前になってしまったけど、その危機を乗り越えた私たちの絆はさらに深まったと思う。そして、綸子にもパートナー候補が現れたみたいなのは、私たちにとってもとても明るい兆しだ。
だから、お父さんのことも絶対大丈夫、絶対に生還する。そう思って今は少しでも身体にいいものを食べてもらったり、マッサージしたりして、とにかくあと10日間くらいはそうやって過ごしていきたいと思う。
それは慎吾も同じ気持ちみたいで、「F1の話とか、何かと楽しい話をライナーで父さんや幸弘も混ぜてグループ作ってやってみようかな」なんて話す。…でも、今ってサマーブレイク中でGPは8月終わりまでないって慎吾自身言っていなかったっけ?
まあ、いいわ。とにかく、みんなで幸せになるために、みんなで綺麗な布を編むように、素敵な人生を送るように、これから慎吾と一生懸命に過ごしていくことを、改めて誓った。
昼食のそうめんを作っていると、お父さんが帰ってきた。
「ただいま…」
昨日よりはまだ元気な声だったけど、いつもよりやっぱり暗いなって思った。
「お帰り、お父さん。丁度そうめん茹で上がるから、先に食べてよ。もう少し遅くなるかと思って、私と綸子の分しか茹でてなかったから、私の分は今から追加で茹でるし」
私は努めて明るくそう言うと、お父さんの顔も少し緩んで、
「すまないな、先にもらうよ。綸子、ご飯だって」
って言ってくれて、綸子を呼んでくれた。
「は~い、お姉ちゃん、ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」
私は茹で上がったそうめんを流水で締めて器に盛り、テーブルに持って行く。
「じゃ、先に食べててね」
私は、もう1把、つまり自分の分のそうめんを茹でようと、一旦キッチンへ。
もうひと束、素麺を出して茹でる。そうめんは細いからすぐに茹で上がって、水で締めて、さっき盛りつけた器に追加する。
「じゃ、私も戴くね」
めんつゆにショウガと青ネギの薬味を足して、そうめんをすくい、つゆにつけて口に運ぶ。
のどごしが良くて、美味しい。
食べ終わると、私はお父さんに「さっきね、昨日話していた男の子に会ってきたの」と話を始める。
「お、そうか。何か分かったかい?」
お父さんがそう聞いてくるから、私は、
「分かった…と言うか、その子のお父さんが勤める県立病院で看ても良いよって話になったの」
と答える。するとお父さんもそうだけど、綸子まで目を丸くした。
「え?看てもらえるのか?それはとっても有り難いね」
「足向けて寝られないね」
と口々に言っていると、ピコン!とライナーの通知が鳴る。誰かと思ってみてみると、鈴木くんだった。噂をすれば影。
「あ、えっと、検査結果の表と、紹介状を持ってきてほしいって。夜にライナーするよって言っていたのに、仕事が早いなぁ」
私は笑顔でそう言うと、綸子は、
「お姉ちゃんに気があったりして」
とからかってくる。私はそんな綸子に「確かに、彼からは『俺は大原更紗ファンクラブ会長だからね』って言われてはいるけど、どうなんだろうね?」と返す。
「いや、それは気があるでしょ。でも、慎吾さんはどうするの?」
いやいや、それは愚問でしかない。
「鈴木くんが私に気があったとしてもだよ、私は慎吾を裏切ることはしないから。鈴木くんと付き合うなんてことは考えたことはないし、これからも考えることはないよ」
と私が答えると綸子は、
「それなら良いんだけど…と言うか、もしそうなったら私が慎吾さんに告白するだけだからなぁ」
などとちょっと洒落にならないことを言う。
「…そう言えば、慎吾くんにはこのことを知らせたのか?」
私たちの会話にお父さんが割り込んでくる。
「…ううん。まだ話していないよ。余計な心配や迷惑をかけたくないもの」
「…そうか。でも、いつかは言わないといけないからな」
「分かってる。お父さんの入院する日が分かってから話そうと思っているよ」
「ん、そうか。じゃ、なるべく早く手続きするよ。明日、紹介状をもらいに行って、明後日には県立病院へ行こうと思う」
「わかった。じゃ、鈴木くんには明後日の朝に行くからよろしくって言っておくね」
「くれぐれも頼んだよ、更紗」
そう言うお父さんの顔は、昨日と打って変わって明るくなった。
おそらく、看てもらうところに見通しを持てたから、不安が軽減されたんだと思う。それは私や綸子も同じで、看てもらえる保証ができただけでも、とてもそれは有り難いこと。私たちはちょっと方向性が見えてきたことで、少しばかりホッとしていたのは確かだった。
お昼ご飯のあとは夏休みの課題をして、夕食は今日は綸子が作ると言うことでお任せした。その間、お父さんの入院のことが少し先は見えても不安は不安だから、そっちの方に意識が多く行ってしまって慎吾への連絡は後回しになってしまった。
だから、夕食を食べて、お風呂に入ったあと、21時近くになってようやく慎吾へ連絡をしようとスマホを取る。
いつもなら、昼にも何かしら連絡をお互いにすることが多いのだけど、今日はこれまで全く連絡がなかった。
「慎吾、今大丈夫?」
私はそうライナーで慎吾にメッセージを送り、ドライヤーをかけながら音ゲーアプリをオートで周回する。思いの外ハマってしまって、慎吾といつもランキングを競っている。今回は、私の推しがシナリオのメインキャラになっているから、しっかり特効を運良く無料ガチャで獲得したし、できる限り周回しているから今回は勝てる…はず。
ドライヤーをかけ終わり、自室に戻って課題を開く。でも、未だに慎吾からの返信はない。
「…?どうしたんだろう?」
これまでなら、私から送ったメッセージを見たら、ほぼ即反応してくれていたし、そうじゃなかったとしても、だいたいはお風呂に入っていたかで20分位で返信はあったのに、30分経っても返信が全くない。
だから、改めてライナーの慎吾とのトーク画面を開くけど、慎吾に既読マークがついていない。
「…?既読すらつかないなんて、珍しいな」
そう思いながら、今度は夏休みの課題を始める。でも、今度は慎吾に対する不安が大きくなっていく。
10分おきにライナーをチェックするけど、全く返信がないばかりか、既読がつかない。
「おかしい…」
私はたまらず、トーク画面から通話ボタンを押して、通話を試みる。
でも、呼び出し音は鳴るけど、一向に出てくれる気配がない。
「…もしかしたら、寝落ちしちゃったのかな」
私は一旦、そう思うようにした。また明日、話すことができればそれで良いんだから、明日話をしよう。
そう思って開き直ると、課題に再び向かって暫く課題に没頭する。
でもやっぱり、慎吾からのリアクションがないことに不安を感じているのは確かで、心の中のモヤモヤを感じながら、23時過ぎに床に就いた。
そして翌朝、7時に起きるけど、あまり寝られなかった。やっぱり、慎吾のことが心配だった。ふと思った時にライナーを見ても、慎吾の既読はいつまで経ってもつくことはなかったから。寝不足の身体であまり食欲は湧かないけどトーストを作る。綸子もお父さんもそれぞれ起きてきて、それぞれ飲み物を自分で用意してくれる。お父さんはコーヒーに3割くらいの牛乳。綸子は飲むヨーグルト、私は麦茶。
さて、食べようかと思って椅子に座ると、ピコン!とライナーの通知音。
「慎吾っ!?」
そう思ってロック画面の通知を見ると、相手は夢衣ちゃんだった。
『慎吾くんが、グループから退会…』
と言う1文が見えて、私は混乱する。
「え?何?どういうこと?」
慎吾が、グループからいなくなったってこと?
私は、夢衣ちゃんからのメッセージの前に、「楽しい仲間」のトークを開く。するとそこには、
『20XX年8月8日 0:32 慎吾がグループから退会しました』
という文字が表示されていた。
「どうして…?」
そんな私に、綸子が
「どうしたのお姉ちゃん、顔色悪いよ?」
と聞いてくるから、「う、うん、ええと、大丈夫だから」としか言えず、でも、心の中ではものすごく焦っていて、「ゴメン、朝ご飯あとで食べるから、私の分はここに残しておいてね。洗い物もするから」と行って自室に引きこもる。
もう一度だけ、「楽しい仲間」グループのトークを開くけど、やっぱり表示されている文字に間違いはなく、慎吾がこのグループから去って行ったことを冷たく告げていた。
そこで改めて夢衣ちゃんのトークを見る。
『慎吾くんが、グループから退会してしまいました。突然のことで私も驚いていますし、幸弘さんも『何も言わず突然何してんだ、あいつ?』と訝しんでいます。更紗さん、何か知りませんか?』
…夢衣ちゃんや矢野くんにも黙ってグループを退会しちゃったんだ…でも、どうしてなんだろう?私にはさっぱり分からなかった。だから、
「夢衣ちゃんおはよう。私も今確認したよ。でも、心当たりというか、そう言うのはちょっと思い当たらないの…ごめん。でも実はね、昨日、私から慎吾にメッセージ送ったんだけど、反応がなくて…」
と送る。少し間があって帰ってきた返事は、
『9時に、私の家に来ていただけませんか?幸弘さんと3人で話がしたいです』
だった。確かに、ここで文字だけのやりとりをしていても仕方がないから、私はその提案に賛成する。そして、慎吾とのトークもチェックするけど、相変わらず私のメッセージに既読はついていなかった。
「…どうしたの、慎吾?」
私は、お父さんの病気のことが進展して上を向き始めた気持ちが、また言いようのない不安感で下向きになっていることを自覚していた。
それでも朝ご飯を食べて、洗い物をしてから、綸子に
「ゴメン、夢衣ちゃんに呼び出されたから、ちょっと出かけるね」
と伝える。お父さんは私が洗い物をしている間に色々な手続きをしに会社の方へ行ってしまっている。綸子は扉を開けて、「うん、わかった。気をつけてね」と言う。
私は、黄色のキャミソールに薄手のカーディガン、デニムのショートパンツ、お気に入りのスニーカーを履く。そして、慎吾とサイクリングに行くようになった自転車に乗って、夢衣ちゃんの家へ向かった。
その間にピコン!とライナーのメッセージが届くけど、それは運転中に見てられなかったから、信号待ちで見る。
どうも、矢野くんや夢衣ちゃんからも個人的に慎吾へメッセージを送っているらしいけど、既読はつくけど一向に返信がないと言うことだった。
「…本当に、どうしたんだろう、慎吾は…?」
私は本当に心配になってきた。ちょっと頭がくらくらするような気がしたけど、それはきっと夏の直射日光のせいだろうと思った。
ちょっとそんな感じで体調が優れない感じになっていきながらも夢衣ちゃんの家に着く。いつ見ても、大きい家だなって思いながらインターフォンを押した。
「は~い」
穏やかな口調の夢衣ちゃんのお母さんの声に、私は「大原です」と返事をすると、お母さんは「いらっしゃい、夢衣から聞いているわ。入ってきてね」と明るく返ってきた。
私は玄関のドアを開けて中に入らせてもらう。夢衣ちゃんの部屋は2階だったから、そのまま上がっていく。
「Mei」という表札のあるドアを軽く2階ノックすると、「更紗さんですね?入ってきて下さい」という夢衣ちゃんの声がする。私は、そのまま部屋に入って「おはよう。ごめんね。色々動いてくれているみたいで」とまずはそう言って、もうすでに来ていた矢野くんと夢衣ちゃんに頭を下げた。
「大原、早く座って。これ、かなりまずいことになっていそうな気がするんだ」
矢野くんが私を早く座るように促す。その声は、いつものあっさりした感じではなく、真剣そのものだった。
「うん、ごめんね」
私は、小さなちゃぶ台のドアに一番近いところに座る。私と夢衣ちゃんが相対し、私の左横、夢衣ちゃんから見れば右横に、矢野くんが座っていた。
「まずいことって、どういうこと?」
座って居住まいを正した私は、まず矢野くんに聞いた。
「俺と夢衣からのメッセージにも返事はないってさっきライナーしたと思うけど、そのあと、俺と夢衣でそれぞれ通話を試みたんだ」
矢野くんはさらに深刻な顔をする。
「まず始めに、私から通話しようとしたんです。でも、いくら通話しても出てくれませんでした。だから、幸弘さんから通話してもらったのです」
夢衣ちゃんの言葉を、矢野くんが受ける。
「するとな、反応はあったんだよ…でも、全然話をしてくれないんだよ。ずっと黙ったまま。俺の方から、『おい、慎吾、どうしたんだよ?何があった?』とか、『何か言えよ。黙ってちゃ分からないから』とか言っても、ずっと黙ったままでさ…ちょっとしてから、泣き声が聞こえてきたと思ったら、通話切れたんだ」
私は、その矢野くんの話した内容に、言葉を失った。
どうして、慎吾がそんな状態になってしまったのか分からなかった。
そんな私の表情に、夢衣ちゃんが、
「本当に分からないですか、更紗さん。つい一昨日まであんなに楽しく過ごしていたのに、いきなりグループから抜けるなんて、おかしいです」
と言うものだから、私ももっと心配になる。だから、私も昨晩からのことを2人に告げた。
「さっきも夢衣ちゃんにメッセージで伝えたけど、慎吾にメッセージを送っても既読つかないし、通話しても出てくれないんだ。ほら」
私は、ライナーを起動して、慎吾とのトーク履歴を見せる。
『慎吾、今大丈夫?』
『通話がキャンセルされました』
を最後に、私はアクションを起こしてないし、慎吾からのリアクションはない。今も尚、既読はついていない。
「…大原、これ、マジでヤバいんじゃないか?もしかしたら、ブロックされているんじゃないか?」
矢野くんの言葉に、私は絶句する。
「え…?ブロック?」
夢衣ちゃんがそのあとを続ける。
「その可能性はあるかもしれません。私たちからのメッセージや通話には反応があるのに、更紗さんに対して反応をしないというのは、どう考えてもおかしいです。更紗さんに何かあったと考えるのが普通です」
「じゃ、確認してみよう。『ライナー ブロック』で検索して…」
矢野くんは、サッと検索をして、私にあることを提案する。
「慎吾にあいつが買いそうにない、俳優のスタンプでも送ってやってくれ。お金はいらないみたいだから、送るをタップするだけで分かるらしい」
私は、言われたとおりに操作すると、「すでに持っています」というメッセージが表示された。
「やっぱり、ブロックされてるな…」
矢野くんは、厳しい表情で私が示した画面を見て、夢衣ちゃんも真剣な表情で私の顔を見る。
「本当に、何もなかったのですか?理由なく、慎吾くんがそういうことをするとは思えません。面白おかしくそんな理不尽なことをするような彼氏じゃないと言うことは、何より今一番近くにいる更紗さんがよく分かっていると思います」
そう言われて、「確かにそうだよね…私が何か、慎吾が怒るようなことをしたっていうことだよね…?」と思い、昨日の私の行動をもう一回顧みる。
…そう、ただの1個、思い当たる出来事がある。
「鈴木君と、二人だけで会った。慎吾に何も言わずに。それしか考えられないよ」
すると、夢衣ちゃんと矢野くんは、目を見開いた。
「更紗さん、それって…」
夢衣ちゃんの表情が、珍しく赤みを帯び、目がつり上がる。そして、私に何か言おうとしたけど、私は夢衣ちゃんが言おうとしたことを即座に否定する。
「ちがう!浮気なんかじゃない!」
そう叫んでしまうけど、不機嫌な顔をする夢衣ちゃんと対照的に落ち着いた表情の矢野くんが、
「じゃなかったら、何だと言うんだ?夢衣、お前も落ち着いて話を聞こう。確かに大事な親友がそうなった原因がもし大原にあったとしても、原因を、真実をきちんと聞いてからじゃないとなんとも判断できないからな」
と言う。矢野くんのこの冷静な言葉に、私は感謝したけど、
「でも、真実の内容によっては、大原と絶交することも厭わないからな、そこは覚悟してくれ」
と続いた言葉に、私の心は恐怖で凍り付き、同時に血の気が引いていくのを感じた。だから、私の今から言うことが、彼らに受け入れてもらえるのか怖くなったけど、言わないと受け入れてもらえるものも受け入れてもらえない。
「実はね、お父さんの病気が、一昨日分かったの」
私が静かに言うと、二人は驚きの表情を見せる。
「胃がんみたいなんだけど、まだ確定してない。私たち、ここに引っ越してきて10ヶ月経ったけど、大きな怪我や病気したことなかったから、このあたりの病院って分からないんだ」
そこまで言うと、「あ…鈴木って…」矢野くんがあの事に気づいたようだった。
「だから、昨日鈴木君に相談したんだ」
夢衣ちゃんも矢野くんも、厳しい表情から少し眉が下がって私に同情するような顔になった。
「昨日、喫茶店で私と鈴木君の二人きりで会って、このあたりで、胃がんに強い病院はないかって相談したの。そうしたら、鈴木君のお父さんが勤める病院で観てくれるって言うことになったの」
そして、私一人で全部解決しようと思っていたから慎吾に相談しなかったことも伝えた。
「…」
沈黙。
それは、二人が私の話をきちんと冷静に理解しようとしてくれていたんだと思う。
どれくらい時間が経っただろう。夢衣ちゃんが口を開いた。
「分かりました。更紗さんが一方的に悪いわけではありません。でも、慎吾くんがいきなりブロックをするくらいですから、何か決定的な瞬間があったのかもしれません」
「俺もそう思う。あいつが大原と話をしないままブロックするのは、一発アウトなことをしてしまったんじゃないか?キスとか?」
矢野くんの最後の言葉に、「キ、キス!?私、そんな事してない!だって、私がキスをするのは慎吾だけだし!…あ、でも、お父さんを看てくれるって教えてくれたときに、思わず手を握ってしまったし、そんな私に鈴木君が私の肩をさすってくれた。…もしかして…?」とまで言ったところで私の顔から血の気がさぁっと引くのを感じ、頭がクラクラして、床に倒れ込んでしまった。
私が意識を手放す瞬間、「更紗さん!?」「大原!大丈夫か!?」と二人の慌てる声が聞こえたような気がした。
鈴木と更紗が逢瀬をしていたのを見てしまってから、時間の感覚は全くない。
家に帰ってからずっとベッドの上に座ったまま。ただ、トイレに行くときだけ部屋を出る。
その日に帰ってきてから、「慎ちゃん、お昼は?」と聞かれたけど、「いらない」と言っただけで母さんとの話はそれ以降していない。
「慎ちゃん、ご飯よ」
晩ご飯だから降りてくるように促すような母さんの声がした気がしたけど、僕はその声を無視した。と言うか、何もする気力が起きず、ただそこにいるだけだった。
「…」
ぼ~っとしながら、たまにスマホの写真アプリをまた見る。
ずっと下の方へスクロールすると、幸弘が盗撮した僕と更紗の観覧車でのキスシーンが僕の目を捉えて離さなかった。
「なんでかなぁ?僕は更紗に何か悪いことをしたのかなぁ?一昨日までは、本当にあんなに楽しくて、楽しくて、こんな日がずっと続いていくと思っていたのに…」
あのとってもとっても、幸せだった一瞬も、今は何も思えなくてただただ泣くだけだった。
鈴木が更紗の肩をさするあの瞬間を見てしまっては、もう、手遅れなんだろう。どうせ、あの後色々とよろしくやっていたんだろうと思うと、僕はもう更紗に対して信じる気持ちがなくなってしまった。
でも、好きだった気持ちは、大好きだった気持ちは、忘れられない。
「離れないよ」
と言ってくれたその言葉が脳内でリフレインする。
あぁ…まただ…。
僕の目からまた涙が流れてくる。
すると、誰かが2階に上がってきた。
「おい、慎ちゃん、晩ご飯食べないのかい?」
伊緒姉の声だった。でも、僕は声を出す気力が全くない。
「入るよ」
僕が「やめて!」と言う間もなく、伊緒姉は入ってきた。
「ってなんで電気をつけてないの?」
と言いながら、伊緒姉は手探りで僕の部屋の電気をつける。そして僕の顔を見ると驚き、
「…酷い顔してる…何?更紗ちゃんと喧嘩でもしたん?」
と入ってきたときの笑顔と打って変わって、厳しい表情になる。
「…」
僕はそれに対して答えを上手く言うことができなくて、ただ俯くだけ。
「別れた?」
伊緒姉はもう一歩踏み込んでことを言う。僕は、それにも答えられない。僕が一方的に彼女を切っただけだから。
「…まぁ、そういうこともあるよ。今はとにかく泣きな。泣いてスッキリすればいいさ。晴城にはまだ言わないでおくからさ」
伊緒姉は言いたいことを言うと、サッと部屋から出て行ってしまった。
「…」
僕は、伊緒姉が出て行ったドアを一瞥してから、またスマホを、ライナーのやりとりも見てしまう。
今は嫌悪感が強い、でも、大好きなんだよ…あぁぁぁ、僕は何を考えているのか自分でも分からなくなって、同じ思いがずっとグルグルと脳内を巡る。ただそれだけで時は進み、何も進展しないどころか、悪いことばかり考える。
もう一回スマホを見る。時刻はいつの間にか、0時を回っていた。
更紗をライナーでブロックした。でも、もし、更紗が僕が彼女をブロックしたと分かったら、他の手段を使うかもしれない。だから…。
僕は、スマホを操作する。
綸子ちゃんをブロックする。
お父さんもブロックする。
ひとまず、大原家のみんなをブロックした。これでまずはいいだろう。
大原家のみなさんには、本当に良くしてもらったのに申し訳ない気持ちはあるけど、更紗からの連絡を受けたくないから…。お母さんにも申し訳ないと思った。「ずっと一緒にいられるといいなと思います。天国からご了承いただけると、大変ありがたいです」と心の中で伝えたのに。
でも、次の瞬間僕はハッとする。まだだ、まだ連絡手段がある。
それが、グループ、「楽しい仲間」だった。
ライナーの仕様はよく分からないけれど、もしかしたら、ここから連絡が来ることがあるかもしれない。
夢衣や幸弘には申し訳ないけど、更紗の話は、言い訳は聞きたくないから…。
だから、「楽しい仲間」から抜けることを決意した。
楽しい仲間ではなくなってしまったから、もう僕は抜けるしかないんだから…。
だから、僕は、更紗をブロックしたのと同じように、迷いなく「楽しい仲間」から退会した。
…もう、朝か…。
僕は、一睡もしないままただ呆然としているだけだった。
「慎ちゃん、朝ご飯は?」
と母さんが階段を上ってきてドア越しに聞いてきたけど、僕は沈黙で返す。
ドアの外から少し大きめのため息が聞こえた。
「伊緒奈から聞いたよ。でも、私はにわかに信じられないのよね。あなたと更紗ちゃんが別れたなんてね。あんなに私たちが妬けるくらいに仲の良かったあなたたちに何があったのかは分からないけど…」
母さんは、一旦言葉を止めて、大きく息を吸ったようだ。
「でもね、もし、更紗ちゃんと話をしていないというのなら、しっかり話し合いなさい。あなたの性格的にね、あなたが暴走しただけのようにしか見えないの。私が言いたいのは、それだけ。食べる気がないなら、気の済むまでそうしてなさい。」
叱責とも取れる母さんの言葉も、今の僕の心は動かなかった。
それに、食欲も正直なかったから、僕はやっぱりそのまま呆けるだけだった。
分かってる。こんなことをしていても何もならないって。でも、本当に何もやる気がない。
僕は本当に今は、生ける屍だった。
そんなときに、ライナーの通知音が鳴った。
「夢衣…」
『慎吾くん、グループを突然抜けてどうしたのですか?』
僕は、既読だけつけてスルーする。
だけど、それを許さないように今度は幸弘からメッセージが届く。
『慎吾、どうした?何があった?』
これも、既読をつけるだけでスルーする。
だって、この二人に言えることはないから。更紗を切ったって、言うのも辛いから。僕は、そんな冷たい男なんだって自分で思うと、自分自身がイヤになってくる。
そんな僕に今度は着信。最初は夢衣から。
僕は、夢衣からの着信は出ない。好きだった娘にこんな情けない姿を知られたくないから。
冷たい自分の本性を知られたくないから。
そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、何度も夢衣から着信があったけど、無視されていることで相手を変えようとしたのか、今度は幸弘からかかってくる。
無視をしようと思っていたのに、何故か通話をタップしていた。…もしかしたら、どこかで助かりたい気持ちがあったのかもしれない…。
『おい、慎吾、どうしたんだよ?何があった?』
幸弘の心配そうな声。その声に、僕は少し罪悪感を感じる。だから、何も言えずにいると続いて、
『何か言えよ。黙ってちゃ分からないから』
懇願するような幸弘の声に、僕は本当にすまないと思うけれど、言葉にするよりも、涙が溢れてくる方が先だった。聞いて欲しいけど、聞いて欲しくない。そんなごちゃごちゃした感情が、僕をまた号泣へ導く。
そんな僕を聞かれたくなくて、通話終了ボタンをタップした。
そして、それから二人からの着信には出ないでおこう、そう思った。
目を覚ますと、私はベッドに寝かされていた。スマホで時計を見ると10時を少し回ったところ。倒れてから30分ほど経ったのかな。夢衣ちゃんのベッドの香りが心地いい。さすが、お嬢様だなと思いながら、身体を起こす。
「…夢衣ちゃん、矢野くん、ごめんなさい」
私を心配そうに見る二人に、私は謝った。
「ううん。大丈夫です。でも、いきなり倒れるからものすごく心配しましたよ。たしかに、来たときから顔色は良くないなって思っていたのですけど…」
「ああ。風邪でも引いたのか、大原?」
二人は本気で私の体調を心配してくれていた。
「うん…昨日の夜あまり眠れなかったから。寝不足だと思う」
私がそう言うと、二人は顔を見合わせて頷く。
「大原、お前はここで寝てろ。慎吾のところには、俺と夢衣で行ってくる」
「更紗さんが寝ている間に二人で話をしました。今、慎吾くんと更紗さんで話をしても、上手くいかないかもしれません。それなら、私と幸弘さんで二人の橋渡しをしたいと思いました。だから…」
二人の提案に驚く私。
「え?」
としか言葉が出ていない。寝起きで頭が混乱している。
「慎吾もあの様子を見ていると、かなり精神的に参っているように見えた。黙っているかと思えばいきなり泣き出すんだぞ。情緒不安定も甚だしい。あのまま一人にしているのも良くない気がする。だから、早くあいつの元に行ってやりたいんだ」
矢野くんのその言葉に、私は、
「一緒に行っちゃダメ?」
と食い下がってみると、夢衣ちゃんが、
「ダメです。更紗さんが一緒に行くことで、慎吾くんがどんな行動に出るか分かりません」
と即答し、矢野くんも、
「言い方は悪いけど、あいつが不安定になる要素はできる限り排除したいからな。大原は、いざとなったときに電話で参加してくれ。そうなったときは、こっちからかける」
と言うものだから、私は了承するしかなかった。
「それでは、申し訳ありませんが更紗さんはもう少しここで寝ていて下さい。また、連絡します」
と言われ、「うん、お願いします」と言うと、二人は「行ってくるね」と部屋を出て行く。
「…はぁ」
私は身体をそのままベッドに横たえ、両腕を目の上に置く。
「…何でこんな事になっちゃったんだろう…」
なんで、どうして?なんて疑問ばかり浮かぶけど、原因は分かっている。私だ。
私が、一人で何とかしよう、慎吾に迷惑かけないようにしようと思って一人で突っ走った結果だ。鈴木君に、「どうして慎吾に相談しなかった?」と言われたときに、帰ってからすぐ電話すれば良かった…でも、遅かったのだろうから…。その前に、鈴木君と会う約束ができた時点で慎吾に相談すれば良かったんだ。
「あー…失敗しちゃったなぁ…また慎吾を傷つけちゃった…それも、最悪な形で…」
独りごちる。また一つ、大きなため息。
私は何でこうなんだろう。慎吾を傷つけたくないのに、慎吾と幸せになりたいのに…。そうした行動が裏目に出る。あぁ…。
私は、自分が情けなくて涙が出てきた。
夢衣ちゃんのベッドと布団を汚すわけにいかないから、私はカーディガンで涙を拭く。
「ホント、私って、馬鹿だなぁ…」
そう思うけど、一方でもう考えたくないとも思って、二人の言うとおり寝ようと思い、きつく目を閉じた。でも、次の瞬間、スマホが着信を告げる。
「…慎吾の、お母さん…?」
意外な人からの連絡に私は驚きつつも、通話に出ることにした。
「はい、おはようございます。慎吾のお母さん…」
私の声はか細く、自分でも弱々しいと思った。
『更紗ちゃん…どうしたの?慎吾も様子が変だし、喧嘩でもしたのかと思ったのだけど、もっと状況は深刻っぽいね…』
お母さんの心配するような声が、私の記憶の中のお母さんの声とかぶって、つい泣きそうになる。
「ご、ごめんなさい…私が悪いんです…」
『え?更紗ちゃんが悪いって…話してもらっても大丈夫?』
お母さんに促されて、私はつい1時間ほど前に夢衣ちゃんと矢野くんに話したことをお母さんにも伝えた。
お母さんはたまに相槌を打って、私の話を聞いてくれた。
最後に、鈴木君の手を取ってお礼を言ったこと、鈴木君も、私を慰めるために肩を撫でてくれたこと、その瞬間を、見られたかもしれないことも話をした。
「だから…ごめんなさい。慎吾を傷つけたのは私です。全部、私が悪いんです」
私がそう締めくくると、お母さんは大きなため息をついた。それはそうだろう、私の独りよがりで自分の息子が傷つけられ、不安定になってしまったのだから。だから、私に対してすごく責めてくるだろうと思っていた。
でも、次に聞こえてきた怒りのこもった言葉は私の方が驚くものだった。
『やっぱり…だから、あんの大馬鹿は勝手に妄想して、悪いことばかり考えるから…ホント、更紗ちゃん、うちの愚息が申し訳ないわ。ごめんなさいなんて言わなくていいから。こっちが首根っこひっ捕まえて謝りに行きたいくらいよ』
「え…?」
本当に驚いて、そんな声しか出なかったけど、お母さんは話を続けた。
『あの子はね、小学校の時は結構周りを見下すことがあって、それがきっかけでいじめられたことがあったのね。そこで反省してから人に対して思いやりを持って接することができるようになってきたとは思うんだけど、同時に何か余計な心配をするようになってきたの』
…確かに、小学校時代のその話は慎吾自身から聞いたことがある。でも、余計な心配をするようになるって…。
「いじめの話は聞いたことがあります。でも、そんな心配性なところがあるのは初めて聞きました…」
私は、正直な気持ちをお母さんに言うと、
『あ、その話はもう慎ちゃんから聞いたんだ。そうなの。あの子は人の悪意や視線を気にするようになったみたいでね、人の顔色を見ることもあるの。だから、あなたとお友達の様子を見て、表情を見て、勘違いしたんだと思うわ。そう言う空気を察知してしまったら、悪い方に、自分にとって都合の悪い方向へ考えてしまうことがあるの』
という言葉が返ってきて、私は何も言えなくなる。
『もし、あなたが本当に別れ話を切り出して、慎ちゃんを傷つけて今の状態だって言うのなら、あの子があなたをブロックしてしまう気持ちも分かる。でも、勝手に勘違いして、妄想して自分が辛いからブロックしたというのなら、あの子の方が悪い。あなたは、悪くないのよ』
お母さんの言葉に、私は感謝すると同時に、やっぱり罪悪感が湧いてくる。
「いえ、やっぱり悪いのは私なんです。お父さんの病気が分かって、どこに受診すべきなのか分からないから鈴木君に連絡をしました。でも、その時に慎吾にちゃんと相談しておけば良かっただけの話なんです…。私が慎吾や、お母さんに心配や迷惑をかけたくなかったから、それを怠った。だから、悪いのは私です…」
そして、
「もし、これで慎吾が私のことを嫌いになってしまったとしたら、私はそれを受け入れますし、夢衣ちゃんや矢野くんにも迷惑をかけたから、二人から絶交されると思います。それも、受け入れます。だから、慎吾ばかり責めないで下さい。私も、責めて下さい…っく…」
そして、私は涙を流した。自分が情けない気持ちと、慎吾と別れなくてはいけない悲しさと、ごっちゃになってしまった。
でも、そんな私にお母さんは叱咤する。
『泣かないの!まだ終わったわけじゃない。だって、慎ちゃんと更紗ちゃん、話もまともにしていないんでしょ?そのまま別れたら、絶対に二人は後悔する。そのためにも、一度話し合わないとね!その場を何とかして設けるわ』
お母さんの救いの言葉に、私はお礼を言う。
「ありがとう、ございます…実は今、そちらに夢衣ちゃんと矢野くんが向かっています。二人にも助けてもらっているんです」
この私の言葉にお母さんはさすがに驚いて、
『え、そうなの?でも、それは助かるわ。二人なら話を聞いてくれると思うから。じゃあ、ちょっと二人を受け入れる準備をするわ。更紗ちゃんは、次の連絡を待って。何かしら、必ず連絡する。いいわね?』
有無を言わせないお母さんの言葉に、私は気圧された。
「はい、よろしくお願いします」
としか返事できなかったけど、お母さんは少しばかり安心したみたいだった。
『ええ。仲直りできたときに、更紗ちゃんにうちで晩ご飯を作ってもらえたらそれで良いわよ。じゃ、また後でね』
その言葉の後、私から「よろしくお願いします」の声で、通話は終わった。
「…持つべきものは親友だね。本当に、ありがとう。お願い…」
私は少しだけ安心してベッドに横になると、あっという間に眠りに落ちていった。
俺と夢衣は、慎吾の家に着いた。
俺は、夢衣と目を合わせて大きく「うん」と頷くと、俺からインターフォンを押す。
待つこと10秒で、「は~い」という声がした。
「おばちゃん、俺。幸弘だよ。慎吾、いるだろ?話したいんだけど、良い?」
俺は、慎吾の母ちゃんにそう話してみた。すると、インターフォン越しに、
『ええ、勿論いいわよ。上がって頂戴。慎ちゃんに話する前に、私と話をしてから行ってね。分かった?幸ちゃんに夢衣ちゃん』
慎吾の母ちゃんの言葉に、一旦「あれ?」とは思ったけど、まあ、作戦なりなんなりちょっとでも今の状態を知らせてくれるのならばありがたいと思い、その話を受けた。
「了解。じゃ、上がらせてもらうね」「おばさま、お邪魔します」
俺と夢衣は、慎吾の家に入る。玄関で靴を脱いで準備されていたスリッパを履き、まずはリビングへ向かった。
「お久しぶりです、おばちゃん。慎吾、どうなの?」
「私達、慎吾くんの様子が心配で見に来たのです。更紗さんと上手くいっていないみたいで…」
と口々に俺と夢衣が言うと、おばちゃんはうんうんと頷いた。
「ええ、知っているわ。ついさっきまで、更紗ちゃんと話をしていたの。慎ちゃんのあんぽんたんが、勝手に想像を暴走させて更紗ちゃん傷つけた挙げ句、あなたたちにまで迷惑かけているみたいで、ごめんなさいね、本当に。小学校の時…ううん。幼稚園の時からず~っと二人には迷惑ばかりかけてるなぁって思う」
「いや、そんなことないよおばちゃん。慎吾には、俺もずいぶん助けられているから」
「私もです。慎吾くんがいなかったら、今こうして楽しく高校生活を送れていません」
おばちゃんの言うことに、俺と夢衣はそれぞれ反論するけど、おばちゃんは少し悲しそうに、
「それでも、今はあなたたちにすごく迷惑かけてる。今から慎ちゃんの説得をするんでしょ?慎ちゃんと更紗ちゃんの二人だけではこじれそうだから、間に入ってもらうのよね。本当に助かる。子どもの喧嘩に親はしゃしゃり出たくないからね」
と言って、苦笑いを浮かべる。
「私達にとって大切な二人に、このまま険悪でいて欲しくありません。なんとかして仲直りして欲しいのです。それは、幸弘さんも一緒ですから」
夢衣は俺の言いたいことを代わりに言ってくれた。
「ありがとう二人とも。それじゃ、今の慎ちゃんの様子を教えるから、それを踏まえて話をしに行ってね」
そして俺たちは、慎吾の今の状態について聞いてみた。
食事はとっておらず、部屋にずっと閉じこもっているとのことだ。
「そんな…慎吾くん、かなりショック受けているのですね…」
夢衣がかなり心配そうな表情でそう言うが、おばちゃんは、
「でも、それって慎ちゃんの思い込みで、自分でドツボにはまっているだけだから、なんだかなとも思うのよね。そのあたりを踏まえて、話をして頂戴。話もまともに聞かないで卑怯な真似をしないでって」
と言っていた。確かにそうだな、と思うから、俺はそのあたりを突っ込んで慎吾に聞いてみようと思った。
俺と夢衣は、階段を上って慎吾の部屋へ向かう。トン、トンと規則正しい俺たちの足音は、きっと慎吾の耳に届いたことだろうと思う。
勝手知ったる他人の家。慎吾の部屋なんて、もうどれだけ通ったのか覚えていないくらい通っているのだから、真っ直ぐ部屋の前に立つと、おもむろにノックをする。
「慎吾、入るぞ」
そう宣言してドアノブを回す。東条家の部屋のドアは、トイレと風呂以外鍵をつけていないから、すんなりと扉は開いて、俺と夢衣は慎吾の部屋の中に入る。
「慎吾くん、失礼しますね」
夢衣もそう言って俺の後ろからひょっこり顔を出す。
慎吾の表情を見て、夢衣が息を飲むのが分かった。
それはそうだ。俺だってこんな慎吾を見るのは初めてだ。
「慎吾…」
ベッドに上半身を起こし、足は伸ばした状態で、スマホを握りしめて呆然としている慎吾。
一昨日のような生気溢れる表情ではなく、目は血走って、スマホを凝視している。丸1日食事も摂っていないのか、顔色も悪くて、本当に弱々しい。
「…」
黙ったまま、俺の方を向いた慎吾は暫く黙っていたけど、
「幸弘、惨めな僕を笑いにでも来たかい?」
と弱々しくも棘のある口調で話しかけてくるものだから、俺は思わず「ちょっと待てよ、笑いになんか来るわけないだろ」と語気を荒くしてしまう。
「ごめん、幸弘。僕にはもう、何もないから…。隣に夢衣がいるお前が羨ましくなってね」
力なく、慎吾は笑う。
「何言ってるんだよ、慎吾…お前さ、何やってるか分かってる?」
そんな慎吾に俺は少しばかり柔らかくなって質問する。
「…?何?」
はぐらかす慎吾にまた俺はイライラするけど、夢衣がすかさず言った。
「更紗さんをブロックしたあげく、私たちのグループから抜けましたね。そのことです」
「…あぁ、そうか、そうだよね…」
慎吾は力ない目でため息をつく。
「グループを抜けた時点で、何かおかしいのは分かっていたのです。私も幸弘さんも、慎吾くんに対して何もしていなければ、何かあったとしたら、更紗さんしかありません。だから、ついさっき更紗さんに来ていただいて、話をしました」
すると、慎吾の目にぎらっとした光が差した気がした。その瞳は、とてもゆがんでいるように見えて、…ああ、こいつの勘違いも、かなり酷いな…何とかしないと…と思った。
「何を聞いたのかな?僕じゃなくて、鈴木と付き合うことにしたんだろ?一昨日までのあの日々は、全部嘘だった。そういうことなんだよな?」
慎吾は言葉を荒げる。そんな慎吾に俺はカッと頭が熱くなってくるけど、冷静な夢衣の声が部屋に響く。
「いいえ、違います!勝手な妄想で、更紗さんを貶めないで下さい、慎吾くん!」
夢衣を見ると、すごく泣きそうな顔をしている。涙がそこまで溢れてきているけれど、声も震えているけど、でも、絶対に涙を流そうとしないでいる姿に、俺はこんな時なんだけどキュンときてしまった。
「勝手な妄想?だって、君たちはあの場面を見ていないからな。これ見なよ」
慎吾はスマホをタップして、俺たちにその画面を見せる。
そこには、両手で鈴木の右手を取る大原の姿が映っていた。
「どう見ても、二人はこれから付き合うような絵面じゃないか。そうじゃないなら、なんなんだよ!君たちに説明できるのかい!?」
写真、撮ってたのかよ…。と、俺と夢衣はまじまじとそのスマホの写真を見る。確かに、それだけを見たら、それっぽく見える。でも、俺たちが大原から聞いた話では、絵面はそうでも、真実は違う。
「慎吾よ、冷静に話を聞くと約束してくれ。俺たちは真実を大原から聞いた」
俺は、真剣な眼で慎吾に懇願すると、慎吾は俺のただならぬ雰囲気を察したのか、ギラギラした見開かれた眼は、冷静さを取り戻して頷いた。
「大原、お父さんが入院するんだってよ…」
「なんだって…?」
慎吾の冷静な目は、今度は驚きで見開かれる。内心、コロコロ表情が変わっていくから、慎吾の百面相を一気に見ている感じがして可笑しくなってくる。でも、そんな事はおくびにも出さずに、俺は続ける。
「癌、だそうだ。分かったのは、よりによって海行ったあの日の翌日、つまり一昨日だ」
「…」
慎吾の顔は、今度はしかめっ面になる。あぁ、この表情は、少し後悔しているな…。
伊達に出会って15年、幼馴染みをしていない。だいたいの顔を見れば、こいつがどんな気持ちなのかわかるんだ。
「そして、昨日、大原は鈴木と会った。鈴木の親は、お前も知ってるだろ?」
「…あ…医者…あぁ…」
だんだん、状況が分かってきて、今度は、慎吾の瞳から力がなくなっていく。それは、自分のやっていたことが完全に筋違いで、大原に酷いことをしたということを悟ったんだろう。
「そうだ。大原は単に、鈴木にこの近隣でお父さんの病気に強い病院はどこにあるかって相談をしていただけだ。それが、真実だ」
俺が静かに締めくくると、慎吾は頭を垂れた。その状態に、心配顔の夢衣が、俺のシャツの背中をつまんでいた。
「慎吾くん、そういうことなのです。お願い、更紗さんを許して下さい」
夢衣がそう言って、慎吾に願った。
「でも、どうして更紗は何も言ってくれなかったんだ…?」
慎吾が当然思う疑問を口にする。その問いには夢衣が、
「出会ってからこれまで、慎吾くんにはたくさん助けてもらっていた、迷惑もかけていた。だから、身内のことについて、更紗さんは自分一人で解決したかったと言っていました。慎吾くんには、お父さんの入院が決まったら話すことにしていたそうです」
それを聞いても慎吾は頭を垂れたままだ。でも、そのうち嗚咽が聞こえてきた。
「僕は…僕はなんて馬鹿なんだろうな…。あの場面を見て、表情を見て、嬉しそうにしていたから…だから、あれはもう僕から更紗は離れていくんだって勝手に勘違いして、勝手にブロックして、勝手なことばかりして…そんなとき、更紗はとても辛いことになっていたのに、寄り添えなかった」
うわぁ~と慎吾は号泣する。
俺も夢衣も、慎吾が勝手にしたこととはいえ、その様子を見るのはとっても辛かった。
なんて、僕は馬鹿なんだろう…。そう思うと、自分がとても情けなくて…。
更紗をブロックしてはいけなかった。その前に、話を聞くべきだった。
自分勝手な自分を、今は殺したいと思うくらいだった。
自分への怒り、更紗への罪悪感、幸弘への感謝、夢衣への友愛…。いろんな感情が僕の胸に、頭に刺さっていて、もう何が何だか、感情の整理が追いつかなくて、泣き叫ぶことしかできなかったんだ。
しばらく泣いた。
更紗をブロックした後に泣いたときとは比べものにならないくらい強く、長く。喉から血が出てくるのではないかと言うくらい声が枯れるくらい泣いてしまっていた。
ひとしきり泣いた後、頭を上げる。
幸弘と夢衣が、僕を心配顔で見ていた。たぶん、今の僕の顔は本当に酷い顔をしていたことだろう。でも、こんな事になる種をまいたのは自分だ。だから、自分がその実を刈り取る必要がある。
「…ありがとう、幸弘、夢衣…」
ひとまず、そう二人に礼を言う。
すると、二人はホッとした顔をする。でも、次の僕の言葉に二人は驚いた。
「実は、大原家のみんなをブロックしていたから、そのブロックは解除するよ。でも、更紗に言って欲しい。僕をブロックして欲しいって。そして、退会したグループにも戻らない」
「え…?」
「どうして…ですか…?」
僕の真意を測りかねているようだったけど、僕は言う。
「こうなった責任は、全て僕にある。僕が勝手なことをした。その責任を取るよ。僕は更紗と別れる。そして、二人には迷惑をかけたし、かなり幻滅だったと思うから、今まで通りにつきあえるとは思えない。だから、僕は一人になるよ」
二人は僕の顔を見る。
「いや、それは違うだろ。俺はお前に幻滅なんてしてない。全て理解した上で、間違ったことをきちんと自分で昇華してさ、さすが慎吾だよ、と思ったよ。俺は、これまでもそうだし、これからもお前と幼馴染みでいるつもりだぜ」
幸弘がそう言ってくれる。とってもありがたい。
「そうです、慎吾くん。私も慎吾くんのことをとっても信頼しています。長い間築いてきた信頼関係です。手ひどい裏切りならともかく、ただの勘違いで揺らぐことはありません。だから、そんな事言わないで下さい」
夢衣も同じように言ってくれるのも、本当に嬉しかった。でも、
「二人のその言葉はとってもありがたいし、嬉しいよ。でも、一番大事にしていた更紗を、こんな形で裏切ってしまったんだ。僕は、更紗に顔向けができない。そんな辛いときに寄り添ってあげられなかった。そんな事になっていたことを知らずとは言え、更紗を突き放すことをしてしまった。…僕には、もう更紗の彼氏でいる資格はないんだ…。だから、グループにも戻ることはできない」
僕はきっぱりそう言うと、二人をまっすぐに見た。
二人の顔は、真っ青だった。
「本気か、慎吾…?」
幸弘のその言葉に僕は頷く。
「更紗もきっと、僕みたいな男が側にいるときっと不幸になる…。こんな自分勝手でさ、他人を平気で傷つけるような奴、更紗も嫌になっちゃったんじゃないかな…。だから、僕と別れて、別のいい男を捕まえて幸せになってくれた方が良いと思うんだ…それくらい、今回の僕の独りよがりなやり口は、自己嫌悪の極みなんだよ…」
僕がそう言うと、沈黙が僕達の周りを支配した。
その沈黙を破ったのは、僕の部屋の入り口からする意外な声だった。
「…親が出るのはどうかと思ったけど、そんな馬鹿なことを言っているんだったら出ないわけにはいかないじゃない」
その声の主は、母さんだった。
「なんで…?」
それは、どうして母さんがいるのかと言うこともあったけど、どういう意味なのか分からなかったのもあった。
「…やっぱり、慎ちゃんは独りよがりが過ぎるって思ってね。確かに今回は、更紗ちゃんにも非はあったと思うのよ。それは認めるし、誤解をしてブロックしてしまった慎ちゃんもお互い様だと思うのよね。でも、だから自分が罰を受けるようなことをするのは違うと思うの」
そう言いながら母さんは僕の部屋に入ってきて、僕のベッドの隅に腰を下ろした。
「そして、あなたたちは似てるなって。自分が悪いのだから、その罰は受けなくてはならないって発想、更紗ちゃんも言ってた。慎ちゃんに嫌われたのなら、別れるって言うなら別れる。幸ちゃん夢衣ちゃんからも絶交されても仕方ないって…。泣きながら言うの。慎ちゃん、あなたは同じことを言ったけど、悲しくないの?」
母さんは、そう僕に言う。更紗も同じことを考えているのなら…。
「悲しいよ。悲しいけど、お互いに別れるというのなら、別れるしかないんじゃないか?」
僕は、思わずふて腐れたように言ってしまう。すると――
パシッ!
乾いた音が、部屋に響いた。
左の頬が、ジンジンしてくる。
え?…叩かれた?
「慎吾くん!なんてことを…」
僕の頬を叩いた夢衣が、これまでになく怒った表情で僕を見る。その瞳には、涙が溜まっていて、頬に流れ出していた。普段から感情が表に出にくい彼女の、怒りの形相を、僕は生まれて初めて見た。
「話もしないまま、何も歩み寄ることすらしないで、このまま別れてしまっても本当にいいのですか?今までも、何かあったときにはしっかり話をして絆を深めてきた二人なのに、こんなことで何もしないまま別れてしまうのは、絶対に後悔すると思います!
私も幸弘さんも、慎吾くんと更紗さんのいつも仲の良く、醸し出す雰囲気が大好きで、私たちもそうありたいよねっていつも言っています。私たちの目標なのです。そんな二人には、こんな形で別れてほしくありません。きちんと話をしてから、どうするか決めて下さい!」
叫びにも似た夢衣の声が、僕の耳朶を打つ。
あぁ、夢衣の逆鱗に初めて触れた。夢衣にもこんな激情を持つことがあるんだ…。そう思うと、自分の言ったことが、なんてちっぽけだったのだろうと再び自己嫌悪に陥る。
「あ、言いたいこと全部夢衣ちゃんに言われちゃった。でも、そういうことよ。慎ちゃん、落ち着きなさい。あなたはまだ、更紗ちゃんと『終わっていない』のだからね。私が言いたいのはこれだけ。下に戻っているから、幸ちゃん夢衣ちゃん、話が終わったら私のところへ来てね。あと、疲れただろうから、コーラ置いておくわ。…飲み物を置きに来ただけなのに、しゃしゃり出てごめんなさいね」
母さんはそう言って、部屋から出て行った。
「うん、ありがとおばちゃん」「ありがとう、ございます」
二人は母さんにそう礼を言う。夢衣はもう、いつもの夢衣になって冷静な口調と表情になっていた。
僕は、自分の愚かさを恥じ入るばかりだった。だから、僕は投げ出していた足を折り曲げ、膝に頭をつけて縮こまる。
そして、また涙が自然と溢れてきた。
………あぁ………。
僕は、馬鹿だなぁ…と再び思う。僕が傷ついたと同じように、更紗も傷ついている。より、更紗の方がだよ。そんなときに、僕は何をしているんだろう。別れるなんて馬鹿なことを考えていたんだろう。
とにかく、話をしよう。話をした上で、これからどうしたいのか結論をつけるべきなんだ。
一時あった更紗への不信感や嫌悪感はもうほぼない。僕は…やっぱり更紗のことが好きなんだ。その想いは、再び燃え上がってくる。
だから、僕は姿勢を正し、ベッドの上で二人に向かって正座をする。
「ゴメン二人とも。更紗と話をしたい。だから頼む、更紗と話をさせて。どうするかはそれから、決める」
僕は二人に土下座する。
僕はずっと頭を下げていた。しばらくの沈黙の後、幸弘の声が僕の耳に届く。
「分かった。夢衣から大原に連絡してもらう。夢衣、頼んだ。でもまだ、大原は寝ているかもしれないから、どうする?」
え?更紗が寝ているって?
「どういうことだ、幸弘。更紗が寝ているって言うのは」
その僕の問いに対して答えたのは夢衣だった。
「更紗さん、昨日あまり眠れなかったみたいで今私のベッドで寝ていただいています。私たちが家を出てから1時間ちょっとですから、もう少ししたら連絡しても良いと思いますが、一旦帰って呼んできましょう。慎吾くんも全然寝てないみたいですから、今のうちに少し休んでください」
そう言われて少し驚いたけど、納得して頷く。
「では、一旦帰ります。帰り道で更紗さんに連絡をして一緒に連れてきますね』
「お願いします」
僕は、夢衣に丁寧にお願いをした。
でも、自罰的思考は、なかなか頭から離れない。悪いのは僕で、更紗は悪くない。だから、僕は罰を受けるべきなんだ…。
少しずつ戻ってきた気持ちは、一人になることでまたも悪い方へと梶を切っていこうとしていた。
慎吾くんの部屋を出て、階段を降りました。
私たちは、リビングで話し合いの結果を待っているおばさまのところへ行きます。
「おばさま、一旦帰ります。更紗さんを迎えに行きますね」
おばさまは、ホッとした表情を見せていただきました。
「分かったわ、夢衣ちゃん。幸ちゃんもありがとうね」
「それで、更紗さんへの連絡なのですが、私たちが家に戻る直前に電話しようと思っています」
「あ、そうなのね。分かったわ。じゃ、私の方からは、今から15分くらい後にもうすぐ夢衣ちゃん立ち戻るからねってライナーしておくわね」
お母さんの言葉に、私たちは「お願いします」と答えて「おじゃましました。また後で」と慎吾くんの家を出ました。
私は、幸弘さんの横で歩くときは手を繋いだりはあまりしませんが、今回はとっても不安で、思わず幸弘さんの手を取ってしまっていました。
「?どうした、夢衣?」
幸弘さんのやさしそうな声が私を安心させてくれましたが、不安なのはやっぱり不安なので、
「一山越えましたけど、もう一山、上手くいってもらえるといいのですけど…慎吾くんのあの性格ですから、まだちょっと不安で」
そう、慎吾くんは考えを改めていただけました。でも、二人が話し合った上で元の鞘に収まってもらえるのか、それだけが不安です。
私の不安をよそに、幸弘さんはフッと微笑みます。
「大丈夫だと思うよ。お互いの誤解は解けたんだよ。あとは、二人が直接会うことで完全に雪解けになる。俺はそう思うよ。夢衣も心配性だな」
そう言われると、確かにそう思えてきました。それに、
「そうですね。慎吾くんは、惚れた相手にはとっても弱いこと、思い出しました。以前、更紗さんに言ったこと、思い出しました」
と幸弘さんに告げると、「だろ?」と我が意を得たりといった感じで頷きました。
ここでようやく、私は笑うことができました。
やっぱり、私は幸弘さんのことを好きになって良かった。こうして不安なときに元気づけてもらえますし、優しく私を包み込んでもらえます。
慎吾くんも紳士で優しい。確かに、小学校の時のあの人を見下した結果、いじめられていた時代はあったけど、あのあとから慎吾くんは変わって誰にでもすごく優しくなりましたから。そして、小5の運動会で私が転んだときにかけてくれた言葉に、私は慎吾くんのことを好きになりました。でも今となっては過去の話です。幸弘さんと一緒に歩む道を、これからもかみしめていきたいという思いを新たにしました。
「幸弘さん、これからもお願いしますね」
突然の私の言葉に、幸弘さんはちょっと面食らったようです。
「ちょ、どうしたんだ、夢衣?」
少し照れ顔になる幸弘さんに私は、
「ううん、何でもありません」
と、言いました。たぶん、悪戯っぽい表情をしていたと思います。
それからも私たちは手を繋いだままだいぶ暑くなった街を歩いて家まで帰ります。
「そろそろ、更紗さんに電話してみましょう」
あといくつか角を曲がれば、家に帰る3分くらい前ですけど、私はスマホを取り出してライナーを起動、更紗さんへ通話します。
コール2回目で、更紗さんは出ました。
『夢衣ちゃん、ありがとう!』
更紗さんの声は、さっきとは打って変わって明るくなっていました。おそらく、おばさまの連絡が行ったからだと思います。
「いいえ。でも、これからですよ。もうすぐ戻りますから、一緒に慎吾くんの家に行きましょう」
『ええ、分かった。待ってるね』
声色が結構戻っていることが確認できましたから、私は安心しました。どうも、そのことは私の表情から察したみたいで、
「その分だと大丈夫だな、大原は」
と幸弘さんは通話を終えた私に話しかけてきましたから、
「二人とも、前向きになれたみたいですね。後は、上手くいくことを祈るだけです」
私は幸弘さんの顔を見て、力強く頷きました。
そして、家に帰るともう玄関に更紗さんはいました。
「夢衣ちゃんありがとう。気持ちいいベッドでぐっすり眠れたよ!慎吾と話させてもらえるんだし、本当に二人と慎吾のお母さんには感謝だよ」
私たちにそう言って頭を下げる更紗さんに、私たちはホッとしました。
「それじゃ、行くか。大原は自転車押していくよな?」
幸弘さんがそう聞くと、更紗さんは「うん」と頷きました。
「正直、慎吾とどう話をしていくことができるかは、不安で、ちょっと怖いけど、でも、話をしてお互いの気持ちを確かめ合わないとどんな結果にせよ前に進めない、そう思うから」
先ほどまでの弱々しい更紗さんとは打って変わったいつもの姿に、私は(この分なら、これなら大丈夫でしょう。慎吾くんも無碍に更紗さんを否定することはしないと思いますし)と安堵しました。
更紗さんは自転車を押しながら、私たちと話をします。
お父さんのことは、最後まで希望は捨てないと、だから同じように、慎吾くんとのことも、希望を持って話したいと。
「お互いに冷静になれたのだから、大丈夫です。私たちもサポートしますから」
そして、20分後、再び東条家の玄関の呼び鈴を押しました。
慎吾の家の呼び鈴を、夢衣ちゃんが押してくれると、私は緊張してきた。
慎吾のお母さんは、さっきもらったライナーのメッセージ…。
『慎吾も反省しているみたいだから、あとは二人で心の底から思っていることを話し合ってね。大丈夫よ、安心してね』
という言葉にすごく勇気づけられたけど、やっぱり緊張しちゃって…。
そのうち、お母さんがインターフォンに出てくる。
『お帰り二人とも。そして、更紗ちゃん、入ってきてね』
いつもと同じような口調のお母さんの声がした。
「お邪魔します」
私はそう言って、玄関に入る。靴を脱ぎ、まずはリビングに入るけど、やっぱり緊張は解けなくて…。
「いらっしゃい、更紗ちゃん。本当に、うちのバカ慎吾がゴメンね。全く…これで本当に別れたら、私、慎ちゃんタコ殴りにするところよ…」
お母さんは、ちょっと洒落にならないことを言いながら笑うから、私は「あはは…」と乾いた笑いしかできなくて。
でも、私のそんな表情を見て、「うん、その表情なら大丈夫ね。だいぶメンタルやられていたと思うから、結構回復できたみたいで何よりよ」とお母さんは言ってくれたから、私も少し安心する。
そして、準備してもらっていたコーラを一気に飲み干してから、
「じゃ、行ってきます」
と、私は席を立った。
「ええ、行ってらっしゃい」「じゃ、俺も」「私も行きますね」
お母さんは席を立たず、矢野くんと夢衣ちゃんが席を立った。
二人のサポートはとても有り難い。
トン、トンと3人で階段を上がる。先頭は矢野くん、次に私、最後に夢衣ちゃん。
「慎吾、入るぞ」
ノックもなしに矢野くんは扉の前からそう言うと、ドアを開けた。
「…!?」
矢野くんが、少し驚いた表情を見せる。私は何故そんな表情をしているのか、ドアが邪魔で中の様子がよく分かっていなかったから、私は慌てて部屋の中に入ろうとした。
すると、部屋の真ん中で慎吾が正座をしていた。
「慎吾…」
その慎吾の表情は、神妙で、何度も泣いたのかいつもの慎吾とは全然違っていて本当に暗かった。
「更紗…申し訳なかった…。勝手なことをしてしまった…。許してもらえないと思うから、このまま別れることになっても受け入れるよ…」
部屋に入ってきた私を確認すると、そう言って弱々しく頭を垂れる慎吾。
え?別れる?何言ってるんだろう…?
経ったままの私は思わず、慎吾の前に座る。同じように正座をしてしまった。
「おい、慎吾…いきなり言うことがそれかよ…?」
非難めいた言葉を矢野くんは言うけど、私は一度、矢野くんの方を向いて口に人差し指を当てて「しー」をした。
矢野くんは、私のジェスチャーを見て、「分かった」と一歩下がってくれた。
改めて、私は慎吾の方を向く。
「慎吾、私の方こそ、ごめんなさい。鈴木君とのことは、前もって慎吾に相談するべきだった。お父さんが病気って分かって、死んじゃうかもしれない、綸子と二人きりになっちゃう。そうなったらどうしようって思ったら、何が何でも生きて欲しいから、慎吾そっちのけにして何とかしようと一人で暴走しちゃった。二人で会ってたところ、見ちゃったんだよね。ショックだったよね…」
私は、そう言って、慎吾の反応を見る。慎吾はスマホを操作して、写真を見せてくれた。
「うん、ショックだったよ…まさか、そんな事になっていると思わなかったから、まさか鈴木とデキたのかなんて思ってしまったよ…冷静に考えれば、何かの間違いだったってことに気づいたのにな…だから、僕も暴走してしまった…本当に、申し訳ない」
そう言いながら、慎吾は無言でスマホを操作して、私と鈴木君の写真を、慎吾は削除した。そして、続ける。
「…更紗を傷つけた…こんな奴、イヤだよな…勝手にこのシーンを見て、更紗は鈴木の元に行ってしまったのかもしれないって勝手に思って、勝手に怒って、勝手にブロックして…自己嫌悪の塊だ。だから、僕は更紗と別れなくてはいけないと思ってる」
削除してくれたと言うことは、誤解は解けたんだと解釈したのに、それとは裏腹な慎吾の言葉。私は何で?って思う。
「…慎吾の勝手じゃないよ…私が勝手なことをしたから、慎吾に誤解を与えてしまったんだよ。慎吾を傷つけたのは、私の方。本当に、ごめんなさい…」
そう言いながら、悲しくなって涙があふれ出しそうになる。
そんなときに、意外な方向から凜とした声がする。
「慎吾くん、あなたは更紗さんのことを嫌いになったのですか?」
夢衣ちゃんだ。
「嫌いになったから別れたいのですか?好きだけど、自分勝手な論理を振りかざして別れたいというのであれば、それは間違っています!話をすると言ったじゃないですか、その上で、結論を出すといったじゃないですか!話をするというのは建前で、本音は別れるということだったのですか!さっき話したではありませんか!話をした上で決めるって。話が違います!」
夢衣ちゃんの鋭い言葉が、慎吾の胸をえぐるように見えた。今まで聞いたことのない声で夢衣ちゃんが叫ぶから、私も心臓がキュッとしてしまう。隣にいる矢野くんも、頷いている。
「慎吾、お前は自分の責任は自分で取ろうと頑なになりすぎる。でも、お前の本心はどこにあると言うんだ?」
矢野くんも、慎吾に厳しい言葉をかけた。それにぐっと慎吾は黙り込んで、正座したまま頭をずっと下げる。そして、しばらくみんな沈黙していると、そのうちすすり泣く声が聞こえてきた。
「慎吾…」
私は、慎吾の泣き声に同調してしまって、ちょっと泣きそうになっているのを実感する。
すると、がばっと慎吾が顔を上げた。
涙でグチャグチャな顔をしているけど、
「そんなの…そんなの…嫌いじゃないよ!大好きだよ!好きで好きで、たまらないよ!でも、こんなことしてしまって、彼氏失格だろう?本当は、別れたくないよ!一緒にいたいよ!いつの日か、更紗が言っていたように、二人で幸せになりたいよ!だけど、だけど…」
心からの叫びだと思った。いつも本心だと思っているけど、ここまで慎吾が心の奥底から言葉を発しているのは、初めて見たと思う。でも、やっぱり、「だけど」と言う言葉と、そのあとに続くだろう「自分のせい」という言葉がストッパーになっているみたいだった。
そんな慎吾を見るのは辛かったんだけど、その時、私の後ろから風が入ってきたように感じた瞬間――
バキィッ!
慎吾が目の前から吹っ飛んだ。慎吾はかなり強い力で殴られたみたいで、真後ろのベッドに慎吾は背中をぶつけて、脱力する。
目の前には、肩で息をしている矢野くんがいた。
「ちょ、矢野くん!やりすぎ!」
矢野くんは、本当に怒っていた。私の言葉なんか耳に入っていなかったように無視して、脱力している慎吾のTシャツの襟元を両手で掴んで前後に揺する。
「お前は!まだ!そんな事を!言うのかっ!だけど、だけどって、どれだけお前は馬鹿なんだ!慎吾、大原はな、お前に傷つけられたかもしれない、でも、大原だって慎吾を同じように傷つけてしまったんだ。お相子なんだよ。そして、大原は謝罪している。おまえも謝罪した。それで良いんじゃないのか!まだそれ以上に罰を受ける必要がどこにあるんだ!お前達がこんな形で別れるのは、俺も夢衣も本意じゃないんだよ!それこそ、『楽しい仲間』じゃなくなってしまう!俺たちは、それだけはどうしても避けたいんだよ!さっき夢衣も話していたのに、何でお前は分かってくれないんだよ!分かってくれよ!分からないなら、その硬い頭、かち割ってやるよ!」
矢野くんも、本音を怒鳴って吐露する。あぁ…私は…いや、私たちはなんて、本当にいい親友を持ったんだろう…。
慎吾の左の頬は赤く腫れてしまっていた。流れる涙もそのままだ。でも、その眼には絶望ではない、何かが宿っていたように見えた。
「あぁ…きっつぅ…久しぶりに、幸弘のパンチを浴びたなぁ…小6以来か?」
慎吾は左の頬をさすりながらそう言う。
「お相子か…それ以上に罰を受ける必要があるのか、か…そうだよね…。…今度こそ、目が覚めた…」
慎吾は起き上がってもう一度、私の前で正座をする。矢野くんは、その雰囲気を悟って、夢衣ちゃんの横に移動してくれた。
そして、慎吾は口を開いた。
「更紗…本当にごめんなさい。目が覚めたよ。悪い夢からね。もし、良かったら、もう一度やり直して欲しいです。やっぱり、僕は更紗のことが好きだから」
もう何度目かの、慎吾から聞く「更紗のことが好き」という言葉。だけど、今日のこの言葉は、慎吾から初めて告白されたときよりも、遊園地の観覧車で言われたときよりも、何よりも、すごく尊いものに聞こえた。
私は、その言葉がすぅ~っと胸に沁みてきて、気づいたら、溜まっていた涙が勝手に流れてきていた。そして、気づけば私は慎吾の頭を両手で抱き寄せ、慎吾に頬ずりをしていた。
「ありがとう、慎吾。これだけのことがあったのに、それでも好きだと言ってくれて。私も、勿論慎吾のことが好きなんだよ。鈴木君は眼中にないの。だけど、お父さんのことについてはすっごく感謝しているから、何かしらお返しはしなくちゃいけないと思っている。でも、それだけだから」
そして、もう一言付け加える。
「これからも、一緒にいて欲しい。一緒に幸せになりたい!…ダメ?」
すると、慎吾も私の背中に腕を回してきて、
「もちろんだよ!一緒にいたい、幸せになりたい!だから、一つだけ約束して」
私はうん、と頷く。
「もう、一人で悩まない。悩んだときは慎吾に相談する!そういうことだよね!」
言いたいことはわかっていたから、先回りして言うと、
「そう、そうなんだ。勿論僕も、悩んだから真っ先に更紗に相談するからね」
と慎吾は言ってくれたから、二人の想いは通じ合っていることを、久しぶりに確認できた。
だからそのあとは、しばらくこのままの格好で、二人で何故か泣けてきて、お互いの顔や背中を撫でながら、静かに涙を流した。
「二人とも、良かったです」「ああ、やっぱり二人はそれで一つなんだよ。じゃ、邪魔者は下行って、おばちゃんに報告してくるわ」「どうぞ、ごゆっくり。心行くまで話をし終わったら、降りてきて下さいね。仲直りした二人を、おばさまに見ていただきましょう」と、矢野くんと夢衣ちゃんは階段を降りていき、残されたのは私と慎吾の二人。
しばらくそのままでいたけど、どちらともなく離れる。
そして、慎吾はスマホを取り出した。
「じゃあ、ブロックを解除するね。実は、更紗だけじゃなくて、綸子ちゃんにお父さんもブロックしてた。滅多に連絡しないから、二人はたぶん気づいてないと思うけど、でも、二人には直接会って謝罪したいと思うから、そのうち機会を設けさせてもらえるかな?」
そう言いながら、慎吾は私たちへのブロックを次々解除し、最後に私が招待して、慎吾は『楽しい仲間』のグループに再加入した。
その通知音が私のスマホから聞こえてくる。
やっと、元に戻ったんだ…。
「お帰り、慎吾」
私は嬉しくて、慎吾にキスをした。
更紗と抱き合っている間、僕も更紗もずっと泣きっぱなしで、お互いの存在を確かめ合うようにお互いに背中をさすったり、頭を撫でたりしていた。
そして、幸弘と夢衣は僕達に一言残して階段を降りていったんだけど、それでも僕達はまだまだ抱き合っていた。
更紗の香りや温もり。
もう、二度と離してなるものかと思う。
しばらくそう思っていたら、ほぼ同時に身体が離れる。僕は、更紗にスマホを取り出しながら、「じゃあ、ブロックを解除するね。実は、更紗だけじゃなくて、綸子ちゃんにお父さんもブロックしてた。滅多に連絡しないから、二人はたぶん気づいてないと思うけど、でも、二人には直接会って謝罪したいと思うから、そのうち機会を設けさせてもらえるかな?」と言って、大原家全員のブロックを次々解除する。
「楽しい仲間に招待してくれない?」
僕は更紗にお願いすると、更紗は「うん」と軽く頷いて、僕を『楽しい仲間』に招待してくれて、グループに再加入することができた。
「お帰り、慎吾」
更紗は、僕にキスをしてくれる。
僕は、もう一度更紗を抱き寄せて結構長い時間のキス。
「あぁ…長い2日間だったね…」
唇を離した僕はそう言って、改めて更紗の髪を撫でる。
「ゴメンね、慎吾」
「ううん、僕の方こそゴメン、本当に、ゴメン。でも、もう、大丈夫だよね」
「うん、大丈夫だよ」
そして、通常に戻った空気感をかみしめる。
「お父さんの入院はいつ頃になりそう?」
僕がそう聞くと、更紗は首を振る。
「ちょっと分からない。でも、今日はお父さん、紹介状をもらいに行って、明日には県立病院に行くつもりって言っていたから、その時にいつ入院になるか分かるよ」
「そっか…じゃ、入院前に今回のこと話していいかな?早く話をして、安心して入院してもらう方がいいと思うんだ」
すると更紗は力強くうん、と頷いて、
「それじゃ、今日の夜にでも話してしまわない?ファミレスで食事しようよ」
さすが、即断即決。こうした方が良い、というその思考は、更紗の良いところだし、見習いたいところだ。でも、それが諸刃の剣になることがある…今回のように。
でも、今は僕とちゃんと相談して決めようとしてくれるから僕は笑顔になって更紗に返事をする。
「うん、分かった。…っ痛」
僕が左の頬を撫でると、更紗はびっくりして、
「あ…痛いよね。腫れて痣になってる…」
更紗は僕の顔を確認すると、
「ゴメンね、慎吾。ゴメンね、私のせいで、痛かったよね」
と言うけど、僕は笑って、
「実は、最初に二人が来たときに夢衣にも実はぶたれてね…。左頬、頑張ったよ」
と言うから、更紗も思わず笑ってしまって、
「もぅ、あんなに頑なにしていたからそんな事になったんでしょ?でも、私もそんな慎吾をこれからももっと大切にしたい」
と言ってくれた。だから僕も、
「そうだね。僕も更紗を大切にするよ」
と、今度は僕の方から更紗の頬にキスをする。更紗はちょっと照れて、
「ありがと、慎吾。あぁ、そうだ。一つだけ、本当に鈴木君とは何にもなかった証明、できるよ」
とそんな事言うから、僕は頭が「?」になる。
「?どうやって?」
そんな僕に更紗は、耳元に口を寄せてきて、
「私の初めて、慎吾に捧げるからね」
とボソッと言うものだから、僕はさらに鳩が豆鉄砲を食らった顔になってしまう。
そして、更紗の言っていることを反芻して顔がかぁ~っと赤くなる。
…いや、実は僕だってまだしたことがないから…。
「…僕もまだだからね」
と言うだけで、顔を赤くしたまま固まる。そんなことを言いつつ同じように顔が真っ赤になっている更紗も、「そうなんだ」と言ってしばらく沈黙が流れる。
「でも、今、こんな雰囲気でするよりも、もっとちゃんと落ち着いてからね」
僕はそう言うと、更紗も、
「分かった」
と、その話は終わり。顔を赤くしたまま、僕達は手を繋いでリビングへと降りていった。
「お、降りてきたな。早速手を繋いでお熱いもんだ」
幸弘がそう言って、早速僕達をからかう。でも、
「さっきは熱くなってすまなかったな。頬、痛いだろ?」
と、僕の身を案じてくれるところは、さすが親友だ。
「ああ、確かに痛いけど、それはお前にやられただけじゃないから…夢衣にも馬鹿なことを言ってぶたれたし、自己嫌悪で今日、僕の頬は再起不能だよ」
「それ、笑いながら言う台詞じゃないと思いますよ」
僕の冗談に、夢衣は真に受けたようでちょっと真剣な顔だけど、幸弘は笑う。
「はっは。まぁ、確かにそうだよな。今日は大原も慎吾も、二人で大いに反省したら良いと思うよ。夢衣、俺たちは二人が元に戻って良かったよな」
「はい!良かったです。本当に…」
夢衣は、そう幸弘に言われて真剣な顔を崩してちょっと涙ぐんでいた。大切な幼馴染みと親友が別れなくて良かったというのは、本当に嬉しかったのだろう。
「さぁ、二人は元通りになってくれたわね。このまま別れてたらホント慎ちゃんをタコ殴りにして土下座させてでも謝らせてたわよ」
と母さんが僕の頭をむんずと掴んで頭を下げさせる。
「母さん、痛いって」
僕はそう言って頭を下げたままでいると、
「お母さん、もう元に戻れましたから、もうそれくらいで慎吾を許して下さい。あと、解決したから今回のことを、うちのお父さんと綸子に話をしたいと思うんです。ファミレスで話をするのに、慎吾も一緒にいて欲しいんですけど、いいですか?」
更紗がそう言って母さんに許可をもらった。母さんはあっさり、「いいわよ~。こっちは知っていてそちらが知らないのはフェアじゃないからね。いくらでも慎ちゃん貸し出すから、煮るなり焼くなりして頂戴」と言う。それに更紗は、
「前にも同じこと言われたような気がするんですけど…」
と苦笑いを浮かべるけど、「ありがとうございます。じゃ、今日の晩お借りしますね」と言って、早速綸子ちゃんとお父さんにライナーを送った。
それから母さんも含めて5人でしばらく話をした。
更紗のお父さんの病気のことからスタートして、「それなら、入院が決まったらまた更紗ちゃんと綸子ちゃんは週3でも4でも来ればいいからね。毎日でもいいけど、気を遣っちゃうでしょ?二人だけだと何かと暗くなっちゃうと思うから、そうならないようにフォローしていきたいって思っているの」という母さんに、更紗も「はい、ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」と答えて、お父さんが入院したら、少なくとも火、木、土でうちに来ることになった。
そして、今回のことの反省会。お互いに一言言うことがなかったよね、と二人でも結論づけていたけど、でも、家族の一大事にそんなところまで思考できるなら、逆にどれだけ老成しているのよと母さんに言われ、確かにそうだよな…やっぱり僕が悪いよな、という結論になりかけた。だけど、「でも、二人で幸せになりたいと言ったのは私だから、私もそこでちゃんと考えないといけなかったんです」という更紗の言葉で、「まぁ、そう言うなら、そういうことにしておきましょ」と母さんはあっさり折れてくれて、喧嘩両成敗という結論になり、幸弘も夢衣も胸をなで下ろしていたな。…正直、母さんはそう誘導していたようにも感じるんだけどね。
そして、いつしか大学の話になる。
僕と更紗は、同じ大学に行くつもりだ。でも、それが臨魁学園になるのか、それとも他の大学にするのか、九州の大学のオープンキャンパスは行ってみたけれど、まだ結論は出ていない。
「まだまだ、二人で考える時間はあるから、ゆっくり考えれば良いと思うわよ。なんにせよ、共通テストの出来で左右される部分があると思うから、最終的にはそこで決まると思う。でも、それまでどう頑張るかは、あんた達次第だからね。あと…」
母さんは一旦言葉を止めるけど、
「基本的に、うちは県外に行くなら国公立しか出せるお金はないと思ってね。臨魁は国立よりちょっとだけ高いくらいだし、家から通えるから問題ないわ。伊緒奈も晴城も働いているからうちの家計も余裕ができたけど、私たちの老後のことがあるからね、もう少し貯めたいの」
と笑って言っていたっけ。まぁ、僕もそのあたりは分かっているつもりだから、別にそうでも良いんだけどね。
幸弘と夢衣は、臨魁学園にする予定になりつつあるそうだ。幸弘は国立にするつもりだったらしいけど、元々の成績の良さと弓道の結果が良かったことから学園の特別奨学金をもらえるとのことで、せっかくならそれに乗っからせてもらおうと言うことになったらしい。
夢衣は勿論、幸弘についていくから臨魁学園で一緒に行くと断言していた。
あまりにも話し込んでしまったものだから、母さんは、「ああ、もうお昼ね。みんな、今から作るから食べてから帰りなさい」って言ってくれる。でも、それに更紗と夢衣は、「じゃ、手伝います。お昼は何を作りますか?」
と尋ねると母さんは、
「ちょっと時間が遅めになっちゃったから、ざるそばなんてどうかしら?すぐできるしね」
と言う。二人はうん、と頷いて、
「それじゃ、出汁つゆ作って持って行きますね」「私は、わさびをおろすのと、ネギを刻みますね、おばさま」
と提案するから、母さんは、「あら、じゃあお願いするわね。男二人はゆっくりしてなさい。男同士で話したいこともあるでしょ?こっちもクッキング女子会するから」と言って、二人をキッチンへ案内した。
幸弘と二人だけになったリビングで、僕たちはちょっと話す。
「元通りになって良かったよ」
「ああ、だが、お前としてはわだかまりはもうないのか?」
「…100%ないと言えば嘘だね。とは言っても、95%だよ。残り5%は時が解決するだろうし、やっぱり更紗のことが好きで堪らないから、問題ないよ」
「だな。お前の大原に対する気持ちの強さは、他の誰にも負けてないからな」
僕たちはふっと笑う。
「大学なんだけど、もしかしたら別れるかもしれない。そうなったとしても、これからも色々助けて欲しいと思ってるよ」
僕がそう言うと幸弘は、
「それはこっちの台詞だ。できれば臨魁学園で4人仲良く学園生活を送りたいという気持ちは強い。でも、進路に関してはそれぞれの考えがあるからな。お前達の決めたことに文句は言わないからな」
「ああ、助かる。Thank you, Guys」
僕は、そう言って右手を挙げると、幸弘はいつものように同じく右手でハイタッチ。
それが僕たちの友情の証だった。
そして、更紗の作った出汁と夢衣が用意してくれた薬味、そしてゆで加減絶妙な母さんの3人が協力して作ったそばは、本当に美味しくて、みんなで「美味しい、美味しい」と言いながらあっという間に平らげて、みんな笑顔だった。
⒕時過ぎになって、私は自分の家の扉の鍵を開ける。
私は昼食を食べる前に、綸子にお昼は慎吾の家で食べるってライナーを送る。その前に話があるからって夕方の外食のことも報告しておいた。綸子は「わかったよ~久しぶりの外食、外食」と嬉しそうだったし、お昼食べて帰ることについては、「うん、わかった。こっちはこっちでちゃんと食べておくね」と返ってきたから、「ゴメンね。よろしくね」と私も返しておいたんだ。
お父さんにも同じ内容のライナーを送ったら、「了解。朝、様子がちょっとおかしいなと思ったから、その話かな?」と見透かされていたのには驚いたけど…。
⒕時くらいに家に帰って(サイクリングがてら、慎吾に送ってもらった)、玄関に入るともうお父さんは帰っていたようで、すでにお父さんの靴があった。
「ただいま~」
私はそう言って自室に戻る。すると、ちょうどリビングには綸子とお父さんがいて、二人とも麦茶を飲んでいた。
「あ、お帰りお姉ちゃん。なんだか明るいね」
「更紗、お帰り。何かいいことあったのかい?」
二人とも、私の雰囲気を察したのか、二人も穏やかな表情になる。
「ええ。まあね。まぁ、その話は、後でよろしく」
私はそう言って、お父さんへ尋ねる。
「お父さん、紹介状書いてもらえた?」
「ああ、ちゃんともらえたよ。明日県立病院へ行ってくる」
そんな返事をもらえたから、私は安心して、「良かった。じゃ、後で慎吾含めて4人で外食、よろしくお願いします。慎吾は慎吾で夕食代は出すっていっているから」と言って自室へ戻った。
そして、昨夜の寝不足と慎吾と仲直りできた安心感が全身を襲い、あっという間にベッドに突っ伏すと、そのまま寝息を立ててしまったんだ…。
「お姉ちゃん、起きて。もう夕方だよ」
いつの間にか夕日が部屋に入ってきていて、そんな時間になって綸子に起こされた。
「あぁ、すごい寝ちゃった。ゴメン綸子。ありがと」
「うん。大丈夫だよ。さ、お父さんも準備できているからね。どうする、着替える?」
綸子にそう言われて一回服を確認するけど…。うん、替えよう。
「そうね。今日も暑かったし、普通の汗や変な汗も出ていたから、シャワー軽く浴びてから行っていい?」
すると、綸子は少し目を細める。
「お姉ちゃん、今何時だと思う?」
スマホで時計を確認すると、もう17時45分。帰り際に、18時で約束していたから、シャワーを浴びていく時間はない。私は綸子の視線に気づいて、
「…うん、我慢する。あ、でも汗拭きのウェットタオルはあったから、さっと拭いて着替えるよ」
と言うと、それには綸子も頷いて、「うん、分かった。お父さんにももうちょっと待ってって言っておくね」と言って、先に玄関へ出て行った。
「さて、と」
私は先に着替えを準備してから服を脱ぎ、汗拭きのウェットタオルで全身を拭く。色々と今日は大変な1日だったから、暑さで出た汗や冷や汗で結構身体は気持ち悪かった。
ウェットタオルで拭いた全身は、それに含まれる成分もあって結構スッキリした。夕食後にお風呂に入ったら、きっと気持ちよく眠れると思う。
そう思いながら着替え――今度は、スポーツブラの上に、ライトグリーンのTシャツと、青のキュロットスカートにして、玄関を出る。
すでにエンジンがかけられていたお父さんの車の車内は、エアコンのおかげで十分涼しくなっていた。アイドリングストップも大事だけど、熱中症を起こす方も良くないから。
「じゃ、行くぞ」
お父さんは車を発進させて、一路ファミレスへ向かう。
「これから、こんな機会はしばらくないからね。今日はゆっくり話をしながら食べよう」
とお父さんは言ってくれた。
ファミレスに着くと、すでに慎吾は一人で私たちの到着を待っていてくれた。
私はすぐに駆け寄って、「慎吾、ゴメン、遅れて」と手を振りながら話しかけると、慎吾は「なんてことないよ。今着いたところだし」とテンプレを返してきた。
「本当は?15分くらい待ってた?」
と私がちょっと突っ込んで聞いてみると意外なことに、
「いや本当に今来たところだよ。着いて1分か2分くらいしか経ってないよ」
と慎吾は返してきたから、「そうなんだ。珍しい」と思わずつぶやいてしまった。
「実は、あの後安心しちゃったのか、すぐ眠くなって寝ちゃったんだ。で、起きた、と言うか母さんにたたき起こされたのがついさっき。急いで身支度して来たよ。じゃ、入ろうか?こんばんは、お父さん、綸子ちゃん。お父さん、お話は伺いました」
慎吾はそう言って、私の後ろで追いついた二人に挨拶をした。
「ああ、慎吾くん、そうだね。迷惑をかけることになるかもしれないけど、今後ともよろしく頼むよ」
「慎吾さん、そんなに寝てしまうって、何かあったのですか?というか、直前まで寝ていたって、お姉ちゃんと一緒…だし、その頬…」
綸子の問いに、慎吾は「まぁ、後で話すよ」と言うけど、私は、「慎吾もお昼寝しちゃったんだね。私も帰ってからすぐ寝ちゃったんだよね」と言うと、慎吾も驚いていた。
「じゃ、話は後で。今はとりあえず入ろう」
お父さんの言葉に促されて、私たちはファミレスに入る。夏休みとは言え平日だから、多少席に余裕はあった。待たされることもなく席に案内された。
まずは、メニューをのぞき込んでそれぞれ料理を頼む。
お父さんは、「俺は、ご飯半分の和食膳にするよ。みんな、ドリンクバー頼むよね?」と言って、私達が頷くのを確認した。
綸子は、「私は、サンドイッチ。食後にイチゴパフェね」とおどけながら。
そして私は、「私は、サラダうどんに、食後はチョコレートパフェにするよ」と私もちょっとおどける。
最後に慎吾が「じゃ、僕は和風たらこスパゲティの大盛りで。食後は、オレンジシャーベットかな」と遠慮がちに言うことで、注文確定。しばらく待っている間は特に何ごともなく普通に世間話をして過ごす。
そして、あの可愛い猫のような料理を運ぶロボットが、今回も私達の料理を運んできてくれた。
「やっぱり、この子可愛い~」
と綸子が言うものだから、私も釣られて「そうね、やっぱり可愛いね」という。
慎吾も、そうだね、と頷いてみんな笑顔。
そして、夕食は穏やかに進んだんだ。美味しいよね、と言いながら食べる夕食はお父さんとしばらく一緒にできないと思うから、一抹の寂しさもあったことは間違いないし、それは綸子も感じていたと思う。
そして、夕食が終わってデザートが運ばれてくると、私と慎吾は少し緊張してきた。
示し合わせたわけじゃないけど、言うならこの時だろうというのは、お互いに感じていたんだと思う。
「あのね、お父さん…」
私はちょっと重く口を開けた。
「ん?どうした?」
体調が不安だろうに、明るい声で返事をするお父さん。それに対して、私はちょっと緊張した顔だったから、お父さんも少し顔を緊張させる。
「実はね、慎吾とすんでの所で別れそうだったの…。慎吾にお父さんのことをすぐに相談しなかったから、鈴木くんと会っているところを見られちゃって、それも、私が鈴木くんと親しげにしているように映っちゃったようで…それで…」
私はそこでちょっと口ごもる。自分の不甲斐ない行動で、慎吾を傷つけたことをしっかり話さないといけないのに、ちょっと涙目になってしまった。
そんな私を見て、慎吾が後を継いでくれた。
「僕の方から、更紗は勿論ですが、綸子ちゃんやお父さんをブロックした挙げ句、仲間のグループからも抜けてしまったんです…。そこから、色々と、幸弘や夢衣といった親友達の助力もあって、こうして仲直りできました。すみません。僕が悪いんです」
また自責の言葉を吐く慎吾の手に、私は手を重ねて、
「私も悪かったの。一人でなんとかしないとって思って、慎吾が見聞きしたら決して快くはないやり方だったと思うから」
と言うと、お父さんは勿論、綸子もすごく驚いていた。
「まぁ、お姉ちゃん今朝の様子おかしかったから、何かあったのかなと思ったけど、そんなことがあったんだ…」
「そうか…そんなことがね」
ちょっとこの場の空気がどんよりと暗くなる。でも、それを吹き飛ばすように、お父さんは笑ってくれた。
「でも、もう仲直りできたんだろう?それならそれで良かったじゃないか」
って言ってくれて、私はホッとする。慎吾も同じようにホッとしたようだった。
そして、もう少し細かい経緯を私達は話した。
慎吾が頬を2回も殴られたことを聞いて、綸子が慎吾の頬を見て涙ぐんでいたっけ。
そして、私達が話し終わると、お父さんは穏やかな顔をして、私達を諭してくれた。
「二人が付き合うと言うことは、勿論、仲良く過ごすことが一番なんだけど、たまには意見の相違があって、それが二人の仲を悪くすることがあることだってあるものだよ。その時に、どう対処するかが別れるか、仲直りできるかの分かれ道なんだと思うよ。今回は、二人だけだったら、解決できなかったかもしれない。でもね、二人にはとっても信頼できる親友がいた。それが良い方向に進んでくれたんだと思う」
お父さんはそこで一旦言葉を切って、水を飲む。
「だから、今回のことを教訓にして、きちんと冷静に話し合っていくようにしていきなさい。二人がこれからも幸せに過ごしていこうというなら、喧嘩になりそうな時ほど、冷静にすることだよ。自分も、楓とは仲が良い時は良かったけど、今回の二人みたいな喧嘩をして、別れる直前までいったことがあるんだよ。大学生の時だけどね。でも、お互いに友人を呼んで間に入ってもらって、しっかり話をしたら、誤解だった。だから、こんなの何度も経験したくないけどお互いに幸せになるために通る道なのかもしれないね」
そこまで言うと、私も慎吾も神妙に頷くことしかできなかった。
「これからも、更紗と幸せに過ごすために、そうしていきたいと思います」「私も。ホント、今回のことはお互いの信頼関係にひびが入ってしまったから、お互いのことを思いやって過ごしていこうと思ったわ」
私達の言葉にお父さんは頷いてくれた。そして、私と綸子の顔を見て、もう一度話しかける。
「そうだ。学校の宿題になっていなかったから話す機会がなかった、更紗と綸子の名前の由来を話しておこうか。今回のことと関連があるかなと思うから。慎吾くんも良いかい?」
スマホを見るともう20時を回っていたけど、慎吾は「もちろんです」と深く頷いてくれた。
「更紗は分かると思うが、綸子もこの漢字で本来の読みかたは『りんじ』と言うんだ。ともに、布生地の名前だよ」
私の名前は分かっていたけど、綸子の名前も布生地が由来なんだと始めて知った。
「有名な曲に、『縦の糸はあなた、横の糸は私…』という歌詞があるだろう?楓がとても好きな曲なんだ。そして、縦の糸と横の糸をきちんと編むと布になる。そう、自分と楓が作った大切な子どもだから、生地のように美しく育って欲しいと言うのが一つ」
一つ、と言うことは、二つ目がある。私は黙って聞く一方で、綸子は「じゃ、まだあるんだね?」とお父さんに聞くと、お父さんは微笑んで、
「そう、もう一つはお前達にも、そういう、共に歩んでくれる大切な人ができて、人生を豊かに暖かく歩めるようにという願いも込めたんだよ」
と言うものだから、私と慎吾は勿論だけど、綸子もその込められた願いに感動してしまって、「私達、お父さんとお母さんの子どもで本当に幸せだよ~。お母さん、もっと生きてて欲しかったよ~」とワンワン泣き出しちゃうから他のお客の手前恥ずかしかったけど、その気持ちは痛いほどよく分かるし、実際私も両目に涙が溜まっていたし、慎吾も「お父さんとお母さんの愛情をすごく感じるよ…」と鼻をすすって涙を浮かべていたから、お互いの涙を指でぬぐっていた。
そして、夕食も終わって私達は慎吾を家まで送る。
「明日は、僕も一緒に病院まで行って良いですか?」
と慎吾はお父さんに聞いたけど、お父さんは首を振って、「明日は大丈夫だよ。入院が決まったらその時はお願いしようかな。小間使いにして申し訳ないけど、荷物持ちになってくれると有り難いからね」と言われてた。でも、それには慎吾も納得して「じゃあ、決まったらお父さんからでも良いですし、更紗からでも良いので、日付教えてください」とお願いしていたっけ。
でも、私も綸子も、お父さんのことで心配はあったから、それを少しでも和らげたくて、慎吾と一緒に過ごさせて欲しいとお願いした。慎吾は一も二もなく頷いて、「そうだね。3人で図書館にでも行こうか?」と提案してくれたから、私達は有り難くその話に乗せてもらうことにした。
そして翌朝、お父さんは県立病院へ。私と綸子、慎吾は3人で図書館へ行って勉強。
お父さんのことが心配でやっぱり私達は落ち着かなかったけど、少しずつ夏休みの課題を進めていく。
「ここはどうすれば良いのかな、お姉ちゃん」
綸子が数学の問題を聞いてきた時は、私は慎吾に丸投げしてる。英語や国語は勿論、私の領域なんだけど。でも、綸子自身もオールラウンドに全教科そこそこできるから、心配はしていないんだけどね。
そうして勉強していると、一人の男の子が私たちに近づいてくるのが見えた。
「あれ?大原じゃん…こんなところで勉強か?」
その顔に、私は見覚えがなかったし、慎吾に目配せして「知ってる?」って眼で聞くけど、慎吾は目を閉じて首を横に振り、「知らない」って言う感じだった。なら、知っているのは綸子だけだ。
「あ、大浦君。偶然だね。そっ。私は勉強中。大浦君はどうしたの?」
「うん、ちょっと自由研究の資料を探しに来たんだ」
「理科の?」
「ううん。社会。俺、社会が好きだから」
「そうなんだ。私も社会は好きだから、自由研究は社会にしようとは思っていたんだ。最近の戦争について調べようかなって思っていたんだ」
すると、大浦君と言われた子は、
「ああ、俺もそれを調べようと思ってね。それじゃ、時折情報交換していい?連絡先教えてくれるとありがたいんだけど」
とグイグイ綸子に話すけど、綸子も満更じゃないようで、
「うん、分かった。いいよ。ライナーでいいよね」
と、ライナーを起動してQRコードから彼を友達登録した。
「大原、ありがとう。それじゃ、よろしくな。そう言えば、ずっと二人だけで話していたけど、もしかして、向かいはお姉さん?」
大浦君は私の方を見ながら聞く。
「うん、そうだよ。お姉ちゃん、クラスメイトで今は席が隣なの…と言うか、2学期に入ったら席替えになると思うけど」
綸子が言うとすかさず大浦君が挨拶をする。
「すみません。二人だけで盛り上がってしまって。クラスメイトの大浦泰史です。妹さんと隣の席で話すようになりました。意外と話が合って楽しいです!」
はじめに謝罪して、それから今綸子と話することが楽しいといっている彼に、私はいい印象を受けた。綸子の彼氏になるのはこういう子がいいかもしれないな…と言うか、やっぱり姉妹だなって思う。
その態度や話す内容、嬉しそうな表情が、顔かたちは全然違うんだけど、醸し出す雰囲気が、とても慎吾に似ているんだ。だから、綸子も同じなんだろうな、彼女の表情がとっても柔らかいんだもの。
あの、佐々や時岡の二人の話をしていたときのような表情の硬さはなく、本当にリラックスして話している。
…この二人が上手くいくといいんじゃないかなって思う。
そのことを、お昼前に図書館から出たときに慎吾に話すと、慎吾も、
「うん、まぁ、僕と雰囲気が似ているかどうかは分からないけど、大浦君って、礼儀正しくて綸子ちゃんにお似合いな気がしたよ」
と言う。そんな私たちの話を聞いてか、綸子は顔を赤くして縮こまってしまった。
「あら?綸子、照れてる?」
私がそう聞くと、綸子は首をぶるぶると振って、「ううん!そんなことないよ!」と言いながら、一人だけ先にずんずん歩いて行ってしまって、私と慎吾は必死でなだめて家に帰って、素麺を茹でてお昼ご飯にした。
そのあと、お父さんが帰ってきて、入院の日取りが決まった。
「お盆は医師も看護師も休みを取るから手薄になるから、お盆明けの19日になったよ。更紗、綸子、慎吾くん、一緒に来てくれるかい?」
その日から実は、午前は補習、午後は学園祭の準備が始まるんだけど、準備に関しては、申し訳ないけど休ませてもらうしかないな。
「私は大丈夫だよ。お姉ちゃんと慎吾さんは?」
実は、海に行った日の帰りから綸子も慎吾のことを『慎吾さん』と言うようになった。勿論、「いつまでも東条さんと言うのはなんだか他人行儀だから」と私が綸子に提案したんだ。
「学園祭の準備の初日なんだよね。でも、なんとなするよ。家族の一大事だもの」
私はそう言って頷くと、慎吾も同じく「荷物持ちしますから、大丈夫です!」と言ってくれた。
色々と大変だった3日間。みんなで乗り越えた。別れる一歩手前になってしまったけど、その危機を乗り越えた私たちの絆はさらに深まったと思う。そして、綸子にもパートナー候補が現れたみたいなのは、私たちにとってもとても明るい兆しだ。
だから、お父さんのことも絶対大丈夫、絶対に生還する。そう思って今は少しでも身体にいいものを食べてもらったり、マッサージしたりして、とにかくあと10日間くらいはそうやって過ごしていきたいと思う。
それは慎吾も同じ気持ちみたいで、「F1の話とか、何かと楽しい話をライナーで父さんや幸弘も混ぜてグループ作ってやってみようかな」なんて話す。…でも、今ってサマーブレイク中でGPは8月終わりまでないって慎吾自身言っていなかったっけ?
まあ、いいわ。とにかく、みんなで幸せになるために、みんなで綺麗な布を編むように、素敵な人生を送るように、これから慎吾と一生懸命に過ごしていくことを、改めて誓った。
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コメント
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コメントを書く鳥原波
ありがとうございます!今回が実はすべてのエピソードの中でも一番描きたいところであったので、そう言っていただいて本当に描いた甲斐がありました。名前の由来も、リメイク時に妹の名前を考え直していた時に色々調べて決めたので、願いが通じたようでとても有り難いです。次も頑張りますね!少し充電して、早めに取りかかります。次は、学園祭の予定です!
ノベルバユーザー617419
よかったぁ~本当ぉ~に良かった!自分が許せなくて出てしまう発言、(1人で)考えて最適とおもう答え(ケジメ)をだす描写、でも周りの人たちがそれを正す思いやりと覚悟ある行動!夢中で読みました☆
あとヒロインと妹ちゃんの名前の由来、…泣いたよ…めっちゃ泣きました(´;ω;`)ブワッ
(1人じゃなく)二人「で」幸せになる物語、続きを楽しみにしてます♪