臨魁学園物語――転校生とガチ恋をして、二人で幸せになる話――
8章 26~27週目 春も変わらずの二人。そして、新たな出会いと、新たな問題。
2月以降、全く雪が降らずにあっという間に季節は春へと移っていった。
よく春日先生が言っていた『一月は行く、二月は逃げる、三月は去る』という時間の感覚って何となく分かる気がする。
私がこの学園に転校してきてもうすぐ半年。そう思うと、無我夢中で慎吾と駆け抜けた最初の3ヶ月はあっという間だったし、年が明けてお互いにまったりと正月を過ごしたり、大会でお互いに頑張ったりした2月も、思い返せば充実してたけど、本当に逃げるように過ぎていったな。
3月に入ってから少しずつ暖かくなっていって、春休みを迎える頃には、桜のつぼみが大きくなって、いつ咲いてもおかしくないくらいになっていた。
「いよいよ3年生だね」
修了式が終わった帰り道、私は慎吾に話しかける。
「ああ、そうだね。やっぱりクラスは別れることになっちゃったね…」
修了式の日に、新年度のクラス発表が早々とあり、文系と理系でクラスは違うから当たり前なのだけれど、私と慎吾はクラスが分かれることになってしまった。仲良しグループ4人と紗友梨さん、和子さんの6人のクラス分けは、文系には、私と夢衣ちゃんに矢野くん、理系には慎吾と紗友梨さん、和子さん。
紗友梨さんは意外なイメージがあるけど、お母さんのように養護教諭を目指すのであれば医学の知識が必要だから、理系の方がいいし、もっと上のレベル――つまりは医師――を目指したくなったら医学部の受験もあり得るらしく、それなら絶対に理系でないといけないのだそう。和子さんは、恐竜が好きというのもあって、地学を学びたいと言うことで、理系なんだって。幸いにも、来年度にここの公立大学に恐竜学部ができると言うことを聞いて、和子さんは「もうここしか考えられない!」と鼻息を荒くしていたのが印象的だった。
でも――
「寂しいなぁ」
私は思いっきりため息に近い息づかいでそう言う。
「僕だって、寂しいよ…幸弘に夢衣だって更紗と同じクラスだからさ、尚のことだよ」
慎吾が私以上に深刻な声でそう言うものだから、
「あ…ごめん。そうだよね…」
思わず謝ってしまう。
「ううん、ゴメン、僕の方こそそんな言い方をしちゃいけなかった。でも、クラスが分かれたと言ってもさ、教室は隣り合っているんだし、それこそお昼や部活の時間は一緒にいられるんだから、それを励みにしていこうよ」
「そうね。その時間を楽しみにしようね」
慎吾の大人な考え方に、私も同意する。
だって、私や他人が理系を選ぶか文系を選ぶかは、それぞれの意思であって、慎吾の意思とは関係ないのだ。確かに、慎吾と一緒なクラスで高校最後の1年を過ごすことができたら、どれだけ素敵なことなのだろうと思う。でも、そうすることで私自身の進路が狭まったり、ここの大学部じゃない、他の行きたい大学ができたとしても、履修科目の関係で行けなくなったとなったら私が後悔してしまう。だから、慎吾は私の意思を十分に汲んでくれた。そんな慎吾に感謝しているんだ。
「3年生か。受験があるけど、楽しく過ごしたいね」
私がそう言うと、慎吾も笑って、
「ああ、もちろんだよ。いい一年にしよう。この半年、ものすごく楽しかったのは、更紗のおかげだし、更紗がここに来てくれたから、僕は本当に自信を持って更紗の隣にいられるから」
そう言ってくれる。
「ありがとう、慎吾。私も、この半年でこんなに変わるとは思わなかった。あなたが一途に私のことを想っていてくれて、嘘のない態度で私と接してくれているから、あなたのことがとても信用できたし、好きになれた。人を好きになることがなかった私に、その感情を教えてくれた人を、絶対に裏切りたくない」
私は真剣な目でそう言って慎吾を見る。慎吾は、私の目を真っ直ぐ見つめる。
「更紗にそんなに強く思ってくれる僕は、果報者だよ。ありがとう。ねぇ、公園のベンチでもう少し話をしようよ。もう少し、更紗と一緒にいたい」
そう言ってくれる慎吾は少しふっと力が抜けたようで、その穏やかな顔に私はドキッとする。おそらく、顔が赤くなってしまっただろうけど、
「いいわよ。行きましょ」
と言って、いつも別れる商店街の交差点から程ない場所にある公園に入る。私と慎吾がそれぞれ告白をした思い出の公園だ。
明日から春休み。授業はないけれども、午前中は部活があるから、日曜日以外は毎日一緒に同じ時を過ごすことができる。
…私も変わったな。前にいた学校では友達と一緒にワイワイできるなんて考えられなかったし、況してや好きな人ができるなんて思わなかった。それは、ここに定住すると決めてくれたお父さんのおかげだ。だから、私は明るく振る舞うことができる。
公園のベンチに私たちは座る。私たち以外には、ブランコで小学校低学年と思われる子どもたちが4人ほど交代でブランコを揺らし、また、砂場では幼稚園くらいの年の子が、お母さんと砂遊びに夢中になっている。
そんな澄み渡る青空の下で、お互いに寄り添って春休みの予定の話をしていた。
「春休みに家族でどこか行ったりする?」
私がそう聞くと、慎吾は首を横に振る。
「う~ん、ないなぁ。晴兄ももうすぐ結婚するし、伊緒姉は相変わらずバイトの毎日。家族揃ってどこかへお出かけっていう年でもないから、家族旅行はしないね」
「そっか、そうだよね」
「そういう更紗はどうなの?何か予定ある?」
私も首を横に振って、
「私もないんだぁ。一応、綸子と新学期に向けて文房具とか新しくしたいのがいくつかあるから、買い物に行こうよっていう話はしてるけどね」
と言う。すると慎吾は、
「それ、僕も一緒に行っていい?ついでにさ、久しぶりにジグソーパズル一緒にしようよ。最近、綸子ちゃんと話できていないし、久しぶりにちょっと喋りたいかなって」
と提案してくれた。そう、前にジグソーパズルを作ったのは、もう4ヶ月も前。私の家で初めて私の部屋を見てもらった日に買ってきたパズルをその次の連休で一気に作って以来だ。
慎吾の提案に綸子の心配もしてくれているから、私はつい嬉しくなって、
「あ、いいわね。久しぶりにしようよ」
と返した。慎吾も勿論、「OK。ありがとう、楽しみにしてる」と笑顔で返事をしてくれた。
「今回は、私に選ばせてくれるかな?折角だから、綸子も混ぜて作って、リビングにでも飾れるといいかなって」
「ああ、なるほどね。それ、いいと思う。いいアクセントになるものを選んだ方がいいね」
「そうねぇ。有名画家のえっと、クリス…なんとかって人のイラストとかかなって」
「うん、あのきれいな夜空や海を描く人のだね。上品でいいと思うよ。一緒に作ろう」
「ええ。ありがとう、慎吾。会うのは部活ばかりというのもなんだしね。部活の後の楽しみにもできるし」
私が笑顔で言うと、慎吾はフッと笑って、
「もちろん、デートも普通に行くでしょ?」
なんて言うものだから、私も更に笑顔になって、
「うん、行く行く!でも、どこへ?」
と慎吾に聞く。すると慎吾は、
「ゲーセンでいつもの音ゲーをするのと、あとはね、定番の水族館に行きたいんだけど、どう?」
そう言えば、高校にしては珍しく、水族館の割引チケットが配布されていたっけ。それを慎吾も見たんだろうな。だから私は、
「うん、いいよ。でも、どうやって行くの?いつも晴城お兄さんに連れて行ってもらうのは気が引けるんだけど…バスで行ってみない?」
そう提案してみると、慎吾は頷いて、
「うん、そう。まさしくそれを提案しようと思ってたんだ。駅前から出ている直通バスに乗れば、1時間で行ける。バス代はそれなりにかかっちゃうけど、ゆったり二人で行きたいなって」
「矢野くんや夢衣ちゃんとは一緒に行かないの?」
「…それも考えたけど、あの二人は二人で計画立ててると思うし、それに、まだ二人で遠出したことなかったから、いい機会かなって」
それもそうだ。慎吾のいうことも一理あるから、
「うん、分かったわ。それじゃ、何日に行く?」
と聞くと、
「31日の日曜日でどうだろう?それまでに、ルートとか考えておくから」
と返事が返ってくる。私は嬉しくなって、
「ええ、楽しみにしてるね!」
と言って、慎吾に抱きついて、頬に軽くキスをする。慎吾は耳まで真っ赤にして、
「おいおい、更紗。小さい子がそこにいるんだよ?たまたま見られなかったから良かったけど、見られていたらからかわれて大変になったかも」
恥ずかしそうに言う慎吾が可愛くて。
「いいじゃない、別に。だって、好きなんだもの」
と、つい言ってしまう。すると慎吾は口元を緩ませて、
「ホントに更紗も好意をストレートに、僕以上に表現してくれていると思うな。ありがとう。さ、そろそろ帰ろうか。家まで送るよ」
「うん、私こそ、ありがとう。慎吾だって、好意をストレートにぶつけてくれるじゃない。だから、私もそうしようって思ったんだよ」
そして、同時にベンチから腰を浮かせて立ち上がると、どちらともなく手を繋いで、公園から出た。
3月31日。年度最終日。高校2年生として最後の1日だけど、そんな感慨は特になく、そんなことよりも更紗と水族館デートをするこの日が待ち遠しかった。
今日のコーデは、白のカッターシャツに黒いジャケット、モスグリーンのチノパン。さぁ、更紗はどんな格好で来るのだろう?
駅の東口で待ち合わせ。こちら側に、水族館行きのバス停がある。反対の西口にも、市内やその近郊を巡るバスが出入りするターミナルがあるけど、遠方は東口という風に役割が決まっている。
待ち合わせは9時だったけど、なんだか早く目が覚めてしまって、8時半には東口に着いてしまっていた。更紗も時間ギリギリではなく少し余裕を持ってくるとは思うけど、いくら何でも早すぎるよなぁと思って、駅内にあるコンビニで少しばかり時間をつぶすことにした。
コンビニでは、微糖の缶コーヒーを買い、ちょっとだけ普段はほとんど読まない週刊漫画を手に取る。ちょっとだけ読んでいると、いつの間にか時計は8時50分を指したので、もう一度東口に出る。
…あ、もう来てしまっていた。
今日の更紗の服装は、黄色のチュニックに白のキュロットスカートにサンダル。そして、意外なことに、白いヘアバンドをしていて、白いハンドバッグを持っていた。
「ゴメン、更紗、待った?」
僕が声をかけると、更紗は笑顔を見せて、
「うん、全然。今来たところ。慎吾こそ、待ってたんじゃない?缶コーヒーなんか持っちゃってさ」
「あ、ばれた?実は、早く目が覚めちゃって、30分も早く着いたから、ちょっとコンビニに寄ってたんだよね」
「やっぱり。そんなにデートが楽しみだったんだ」
更紗は笑顔から悪戯っぽい表情に変えてそう言う。僕は、彼女の言葉を否定するすべはなくて――
「当たり前だよ。それも、定番の水族館でしょ?それは、楽しみじゃないわけない!」
少しばかり声が大きくなってしまい、近くにいた通行人が数人こちらに訝しげな表情で見る。僕はかなり気まずくなって、
「ごめん、浮かれすぎた」
と更紗に謝ると、
「いいよ。だって、私も浮かれてるもの。さ、バス停で待っていようよ」
と、僕の左腕に両手を絡ませて歩き出す。その腕には、とても柔らかいものが当たってしまい、意識してしまう。
「更紗、当たってるって」
「ん?ええ、分かってるわよ。嬉しくない?」
いやいや、嬉しすぎてドキドキが止まらなくなるんですけど!?
悪戯顔を相変わらず浮かべる更紗に、僕は思わず、
「嬉しいけど、恥ずかしいというか、興奮しちゃうと言うか…うん、正直言うとある意味危険だよ」
と言うと、更紗は
「そっか、そうだね。じゃ、またお預けね」
と言って、腕を離してその代わりに手を繋ぐ。これなら、もう既に慣れている。勿論、ある程度ドキドキはするんだけど、胸が腕に当たるほどではない。
「ああ、この方が落ち着くな」
僕がそう言うと、更紗もうんうんと頷く。
「実は私もなんだよね。慣れって言うのかな?」
「そうかも」
お互いに笑みを浮かべてちょっと見つめ合っていると、バスがやってきた。
「それじゃ、乗ろう」「ええ」
更紗を先にバスに乗せて、僕が続く。
そして、一応前もってネットで調べてはおいたのだけど、終点の水族館まで乗っていくと、
乗車賃として1250円かかる。往復で2500円は痛いけど、仕方ない。
「そう言えば、この街に来てからバスに乗るのは初めてよ。ちょっと楽しみ」
「更紗って、乗り物酔いはしないの?それと、車窓から見える街並みとか風景を見るのも好きとか?」
そう言えばと思って僕が聞くと、更紗は頷いて、
「ええ、乗り物酔いはしないよ。それに、窓側から外の景色を見るのも好き。だから、慎吾が先に乗せてくれたのから窓側に座れたし」
「そうだね。それはそれで良かった。僕もバスは久しぶりだし、通る道もどんなだったか覚えてないから、一緒に風景を見ながら行こうよ」
「ええ」
そして、バスは発車する。一路北へ向かい、国道をひた走る。
少し場から街の中心から外れると、両側には田んぼが見えてくる。
「少し走るともう田園地帯なんだね」
「ちょっと田舎だからかな」
僕は少しばかり自嘲気味に言う。
「でも、いいじゃない。こんな風景、私は好きだよ。のどかで、日常の忙しさをじっくりと癒やしてくれるから」
更紗の台詞がやけに大人すぎて。
「更紗、大人だね、そんなこと言うの」
と思わず言ってしまうから、更紗は
「ぶー、それって婆くさいってこと?」
ととても不満げ。
「そんなことまでは言ってないよ。本当に、大人な女性で格好いいって思ってる」
「それは、お世辞でも嬉しいかな」
更紗はちょっと苦笑いを浮かべる。
のどかな田園地帯を走るバスの揺れに、僕は少しずつ睡魔に襲われてきていた。朝早く目が覚めてしまったのも原因かなぁ…。
気がつくと、目を閉じてこっくり、こっくりしてしまう。そんな僕を更紗は咎めることもせず「いいよ、寝てて」と僕の頭を自分の肩に置く仕草をする。そんな彼女に僕は甘える。
更紗…ありがと…う…。
「…ご、しんご、起きて。もうすぐ終点だよ」
更紗の声が聞こえる。もうすぐ終点…?
目を覚ますと、見えてくる風景はさっきまでの田園とは打って変わって、海が見える。ああ、もうそんなところまで来ていたんだ。
「あ、ゴメンね更紗。結構寝ちゃったね」
「うん、慎吾の寝顔、可愛いからずっと見てられたよ」
更紗の言葉に僕はぼんっと顔を赤くする。
「はっずかし…」
思わず呟いてしまうけど、更紗は首を横に振って、スマホを取りだしシュッシュッと文字を入力して、「終わり」と言わんばかりにタップすると、僕のスマホが鳴動した。
『恥ずかしくないよ。だって、安心しきった顔で寝てるからそれだけ私のことを信頼してくれているんだよね。さすがに、他のお客さんもいる中でこんな事を言うのは恥ずかしかったから、ライナーで話してみました(てへぺろなスタンプ)』
そんな風に更紗はライナーで僕に話しかけてくれた。
僕は、うん、と頷くと更紗の頭を撫でる。
「えへへ…」
更紗は嬉しそうに笑みを浮かべた。
『次は、終点。松林水族館』
バスからそうアナウンスが流れ、誰かが「次、止まります」のブザーを押した。
少しばかりバスは走り続け、水族館の入り口目の前にあるバス停で止まる。
「ありがとうございました」
僕たちは運転手にそう告げ、僕はICカード、更紗は現金で運賃を支払ってバスを降りる。
「慎吾って、結構デジタル民だよね」
更紗は僕の支払いの大部分がスマホのバーコード決済だったり、今のようにICカード決済なのを見てそう言う。
「ああ、だいたいそうだね。でも、現金もちゃんと持ち歩いているから大丈夫だよ」
「そうなんだね。まぁ、私も今年に入ってからバーコード決済は始めたからその便利さは実感してるよ」
「楽だよね。残高を気にしないでおけば、もっと気楽なんだけど」
「でも、お小遣いの範囲でやりなさいって言われている以上は仕方ないと思うけど?」
「ま、そうなんだけど。そういう意味では、早く大人になりたいなとは思うよ」
ちょっと実感込めてそう言うと、更紗は、
「まぁでも、自由にお金を使うなら、アルバイトもしないとね」
と言うから、
「そうだね。このまま大学部に上がったら、一緒に同じところでアルバイトしようか?」
と提案すると、更紗も
「うん、いいよ。職種によるとは思うけど、一緒にできるといいね」
と言って背伸びをする。
「う~ん、磯の香をすごく感じる~海の側だよね!」
大きく息を吸って、大きな胸を反らす更紗を思わず見てしまい、ドキッとする。
「…どうしたの?」
僕がちょっと固まっていたのだろう、更紗は不思議そうに僕の顔を見る。
「いや、何でもないよ。さ、入ろうか」
ドキッとしたことを誤魔化して僕は更紗を入場口に促す。
「ええ、行きましょ」
入場口で入館料を支払い、並んで入る。少し行くと、お土産コーナーがあるけど、
「ここは最後でいいよね?今買っちゃうと荷物になるだけだし」
と、二人で頷いてコーナーをスルーし、いざ館内へ。
まずは、クラゲが沢山泳いでいるコーナーを回る。
「クラゲって、海水浴に行って刺される嫌なイメージがあるんだけど、こうやって水槽で見ていると、なんか癒やされる気がするなぁ。更紗はどう?」
ゆったりと水槽の中を漂うように泳ぐクラゲの姿は、身体が透明ということもあってかとても涼しげで、見ているだけで時間があっという間に過ぎてしまうように感じた。
「うん、私もそう思うかな。確かに、見ていて涼しげだもんね。今は春だけど、今日は初夏の気温まで上がるって話だから、余計にそう感じるのかもしれないね」
更紗の言葉に僕は納得する。
「そうか、そうだ。納得。それに、ゆったり泳ぐ姿が何ともいいよね」
「うん、見ていて飽きないと思わない?」
「そうなんだよなぁ」
思ったよりも長くクラゲを見ていたせいか、ふと時計を見ると時間はもう10時15分を回っていた。あ、やばい。プランが間に合わなくなる。
「更紗、ごめん。外に出て、イルカショーを見に行こうよ」
「あ、そう言えば10時20分からだったっけ?」
更紗もネットで予習をしてきたのだろうか、示し合わせたわけじゃないけど分かっていたから嬉しかった。
「そうそう。ちょっと急ごう!」
僕たちは少し早歩きで人が多くなってきたイルカショーの会場へ続く通路を歩いて行く。程なく、会場に着いたけど、もう人混みでいっぱいだ。二人分が座れるスペースは、辛うじてあるけど、もう後方しかなかった。
「後ろだけど、いい?」
「ええ。前の方で見たい気持ちもあるけど、水かぶったらちょっとね…」
更紗が言葉を濁す。
多分、服が服だけに、透けるんだろうなと思うけど、あえて口には出さずに、
「でも、高いところから見た方が、全体像が分かっていいかもね」
「あ、そうかも。イルカが泳ぐ様がよく見えるもんね」
そう、実際ショーの前のウォーミングアップといった感じでいるかがプール内を泳いでいるけど、どこを泳いでいるか、すぐに把握できるから、中央の一番上はいいかもしれない。
「あ、始まるみたいね」
更紗がそう言ってイルカショーのプールを見ると、ちょうどお兄さんが喋り始めた。
「みなさん、ようこそ~」
そして、イルカの名前や、雄と雌の見分け方などを簡単に紹介してくれたあと、早速イルカを泳がせ、ジャンプさせる。
だっぱ~ん!
というイルカの着水時の音に少し驚きつつも、更紗は笑顔だ。
「次は、ジャンプです。3mの高さにくす玉を設置しています。さぁ、ケンケンは跳べるのか!?みなさん、応援してください!」
お兄さんの呼びかけに、子どもたちを中心に「ケンケン、頑張れ~」という黄色い声援が飛ぶ。すると、ケンケンは狙い過たず、高く飛び上がって、くす玉を見事に割った。
これには、僕も更紗も拍手。
そして、イルカショーが終わると、僕たちはその会場をあとにする。
「いや、すごいね、イルカって」「そうねぇ、それにすごく賢いし。可愛いし」
感想を言い合いながらも、次のことを気にして、更紗は僕に質問してくる。
「次はどうするの?」
というわけで、僕は昨日一昨日調べた松林水族館の次のアトラクションを思い出す。
「あ、ペンギンの行進かな。もう10分くらいで始まるから、行ってみない?」
「あ、うん。行こうよ」
僕は更紗の手を取って、ちょっとした広場に向かう。そこには、小さい子を連れた保護者の集団が数組先に場所を取っていた。
「ゴメン更紗、ちょっとトイレ行ってきていい?」
ちょうどすぐ側にトイレがあるので、更紗に断りを入れて、トイレに行こうとする。
「うん、分かった。早く戻ってきてね」
勿論、早く戻ってくるつもりだけど、元々少し混み合っているので、いつもより時間がかかってしまう。
トイレから出て、更紗の姿を探すと、更紗の目の前に男が2人。彼女に話しかけているようだった。
「だから、私は彼氏を待っているんです。あなたたちと付き合うつもりはありません」
更紗の綺麗な声は、少し怒気を含んでいる。
「彼氏どこにいるんだよ?付き合いたくないだけの嘘じゃないの?」
まだ春だというのにど派手な赤いアロハシャツを着た、ロン毛の茶髪がそう言って訝しむ。
「大丈夫だよ、ここにいる間だけでいいからさ、遊ぼうぜ」
もう一人の、短髪で青いポロシャツを着た片割れが更紗の右腕を掴もうとするけど、それを察知した更紗は俊敏に軽く後ろへとステップを踏む。ステップを踏んだ先はトイレの目の前、ちょうど僕が出てきたところから2歩先に、更紗はいる。割り込むなら、今だ。
しつこそうな二人組に、怒りというよりも呆れが先だった僕は、「更紗」と言いながら、更紗を僕の左腕で巻き取るように抱き寄せる。
「僕の彼女に、何か用ですか?ナンパならお断りですよ」
僕は二人組に対してタンカを切る。「慎吾、お帰り」って更紗は安心したように言う。
僕は二人をにらみつけると、「な、なんだ。マジでいたのかよ」僕の登場に、ビビる短髪に対して、もう一人の長髪は、「なんだよお前。先に目を付けたのは俺だって言うの」なんて言いながら、僕を掴もうと腕を出してくる。僕は(遅い)と思いながら、その腕を逆に掴んで、少しずつ力をかける。
「う、イテ…」
思いの外痛かったのだろう。腕を掴まれたロン毛は、
「くっそ、何だよコイツ…おい、行こうぜ」
と敗北宣言を出しながら、二人組は僕たちの目の前から去って行った。
「ホント、こんな所まで来てナンパはないと思う。そう思わない?」
更紗の言葉に僕は頷いて、
「マジで勘弁だよ。特に今日の更紗の格好は破壊力抜群だから、気をつけないとね」
「?わたし、そんな際どい格好かな?」
「いや、際どくはないけど、白いヘアバンドにスカート、そして黄色のチュニックがイイ感じでワンポイント入ってるから、人目を特に惹いていたんじゃないかな」
すると更紗は右手で目を覆う。
「そうなのね…次からは気をつけて、目立つ服着ない方がいいかもね」
更紗はそう言うけど、僕としては可愛い服や格好いい服、色んな更紗を見たいわけで。
「僕はそうは思わないよ。今日の服だって、すごく似合ってて可愛いし、そんな更紗が隣にいてくれるのはとても嬉しいんだよ」
僕はそう言うと更紗は顔を赤くして、
「慎吾に可愛いと言ってもらえて、私も嬉しいんだよ。滅多に着ない服を褒めてもらえるの、気持ちいいんだね」
と言う。
「ああ、そうだと思うよ。さ、ペンギンがもうすぐやってくるんじゃない?」
と言っているうちに、アナウンスが流れ、ペンギンが歩いてくる様が遠くから見えてくる。
「じゃ、私はスマホで撮るね」
更紗は、その可愛いペンギンたちの歩く様子を、スマホで撮影する。
周りの子どもたちからも、「かわいい」とか、「たくさんのペンギンがぺたぺたと歩いてくる~」なんて歓声が上がる。
灰色の毛並みをしたペンギンたちは、春の陽気の中を歩いてくるけど、暑くないのかな?大丈夫なのかな?って思うけど、僕たちよりもこの子たちについて詳しい水族館の人たちが判断したことなのだから、大丈夫なのだろう。
そして、ゴール地点に来ると、飼育員の一人が、バケツから死んだ小魚を取り出して、ペンギン一羽一羽にえさをあげる。
くちばしを器用に操って、横の状態で口にした魚を、一気に飲み込む。その様子まで、更紗は動画に撮っていた。
「可愛いねぇ。これ、明日以降に夢衣ちゃんに見せようと思ってるんだ」
更紗は動画を止めてからそう言って、満足そうな笑みを浮かべた。
「それじゃ、お昼まで少し時間があるけど、まだ行っていないところへ行こうか?」
「ええ」
僕が提案すると、更紗は頷いて、僕たちは手を繋いで歩き出す。
スタイル抜群で美人の更紗に、男はもちろんだけど女性からも視線を集めているみたいで、「あの子すごいスタイルいいな~」「こら、何見とれてるのよ…でも、分かるのが悔しい」なんて声も聞こえてくる。
男からの僕への視線が刺すように感じられたけど、まぁ、別にそんなことを気にしても始まらないので、僕は堂々としていることに決めている。そういう所で隙を見せると、さっきのように更紗に声をかけてくる男の人が出てくるだろうから。
僕たちは、亀を見に行ったり、タコやウニを触ったり、ドクターフィッシュに手を食べてもらったりして午前中の残りの時間を過ごす。水族館って、見てもらうための工夫が随所にあって上手に作ってあるから、なかなか飽きがこない。
とは言え、ローカルでは有名でも全国区ではない、小さな水族館は午前中あればすべて見終わってしまう。
僕と更紗は水族館内のレストランに入って、それぞれ昼食を食べる。
更紗は醤油カツ丼セット、僕はラーメンセット。
カツ丼ははじめからカットしてあった。更紗は一口食べて、醤油がしみこんだカツに、「あ、これ美味しい~」と笑顔を見せてくれる。
「このカツ丼は、初めて?」
僕が聞くと、更紗は頷いて、「そう。カツ丼って言うと、卵とじなのが当たり前だったから、醤油カツって、新鮮!こんなに美味しいんだね!」
と、ちょっと感動して言ってくれる。地元独特の味を肯定してくれるのはとても嬉しいことで、僕もつい顔がほころぶ。
「うん、なかなか美味しいでしょ!僕も好きなんだよ」
「それじゃ、慎吾一口食べる?」
そういう更紗に僕は、「え?いいの?」とちょっと喜びの声を上げる。
「うん!私にはちょっとカツ2枚分は多いから、少しあげるね。はい、あ~ん」
更紗は意識してるのかしてないのか、カツを箸でつまんで僕の目の前に運んでくる。僕は一瞬止まるけど、「あ~ん」と口を開ける。
「はいぱくっ!」
更紗は僕の口めがけてカツを運び入れてくれた。
「もぐもぐ…ん、おいひぃ」
やっぱりこの味だよなぁと思いながらも、更紗の「あ~ん」にすごく恥ずかしい想いもしてるわけで、顔が真っ赤になる。
「あと、2切れあげるね。ラーメンに入れていい?」「うん、いいよ」
と言って、更紗は僕のラーメンにカツを入れる。ラーメンも昔ながらの醤油味なので、特に問題はないからね。
「このあとはどうしようか?一通り見て回っちゃったけど」
僕は更紗に相談する。
「お土産を見たら、帰ろうか?で、商店街のゲームセンターで音ゲーして、綸子を呼んでジグソーパズル買って帰ろうよ」
「おお、それはいいアイディアだね。うん、それでいこう」
あっさり午後の目標が決まると、僕たちは一気にご飯をかき込んで、お土産コーナーへ。
そこでは、それぞれ家のために水族館オリジナルクッキーを買ったり、夢衣と幸弘にそれぞれがキーホルダーを買ったりして、ちょっと散財する。
「うん、これだけ買えば大丈夫だね。さ、慎吾、帰ろうか」
僕は更紗に促されて、水族館から出ようとするけど、
「ちょっと待って。バスの時間を見よう。出てから1時間もあったら大変だから、出る前に見てからね」「ん、そうだね」
僕はスマホでバスの時間をチェックする。すると、ちょっとだけ待つが、15分後にバスは来るようだった。
「15分後かぁ…。微妙だね。もう出ちゃおっか?」
更紗はそう提案する。
「まぁ、そうだねぇ。その方がいいね。んで、自販機でジュース買っておこうか」
「OK」
水族館を出る。春だというのに夏波の日光が眩しく、暑い。水分補給をしようと、建物の目の前にある自販機でそれぞれ僕が微糖コーヒー、更紗は桃味のミネラルウォーターを買った。
「それ、美味しい?」
僕は自分からはほぼ飲まないミネラルウォーターを見て、更紗に聞いた。
「そうだね、そこそこ美味しいかな?飲んでみる?」
更紗はペットボトルのキャップを開けると、僕に差し出してくる。
(ん?このままだと間接キス!?)
と一瞬思ったんだけど、まぁ、キスはもうしちゃっているから今更な感じもしたので、ただ、あまり口をつけすぎないようにして少しだけもらう。確かに、桃の風味が口の中に広がるけど、ただ甘いだけではなかった。
「なるほどね。確かに、しつこくはないから飲みやすいよね」
僕は更紗にペットボトルを返してそう伝えると、
「でしょ?さすが慎吾、間接キスになるのに堂々としてるね」
なんて言うものだから、「今更だろ?それくらいは意識はするけどキスはもう3ヶ月前に経験済みなんだから、今更、問題ないよ」と照れ隠しで言ってみる。
「ふ~ん、そういうことにしておきましょう」
ま、確かに動揺は少ししたから、更紗のそのリアクションは納得する。
僕はその照れを払拭するために、自分で買ったコーヒーを開けて、一気に飲み干す。
「秒だね」「量が量だからね」
なんてやりとりをしている家に、帰りのバスがやってきた。
行く時と同じように更紗を窓際に誘導しようと思ったけど、更紗は、
「ううん。私は行くバスで堪能したから、今度は慎吾が窓際に乗ってもらっていいよ」
と言ってくれたから、
「そう?ありがとう」
と言って、僕が窓際に座る。
そして、バスが出発して僕は外の景色と更紗を交互に見て話をしているうちに、乗ってから20分位してからだろうか、ふっと窓の外へ視線を外すと、左肩に何かが乗る感触がした。
「更紗?」
僕がもう一度更紗に視線を向けると、行きとは逆に、更紗が僕の肩を枕にして眠ってしまっていた。
「ん~」
と唸って少し僕の肩に頬ずりする更紗。ん?ちょっと違和感を感じる。嘘寝かなぁ?
「更紗、もしかして起きてる?」
僕は小さい声で問いかけると、更紗はちょっと口元をほころばせるものの、目は閉じたままでいる。
…ちょっとからかわれてるかな?
う~ん、どうしよう?ちょっと悩む。
疲れていることは間違いないだろうし、逆に何もしなかったら本当に寝るのではないかとも思うのだけど…。
ちょっと様子を見よう。
僕は、分かっていてあえて窓の外へ視線を移した。
海岸線を通るバスは、南へと進路をとる。右側の席に座っている僕からは、ちょうど海が見えた。
海は、太陽の光をキラキラと反射して、とても綺麗だった。
「綺麗だね」
誰に言うわけでもないけど、つい口に出してしまう。すると更紗が、
「ん~?何が綺麗なのかな?」
と起きてきてしまった。僕は素直に、「外の景色が綺麗だよ」と言うと、「うん、見てみる」と言って、僕の肩から頭を外し、身を少し乗り出して窓の外を見る。
「ん!確かに綺麗だね!太陽がキラキラ反射してるのがいい」
「だよね」
僕は同意して更紗の顔を見る。
「でも、私が嘘寝しているの、分かってたよね?」
いきなり話題を変える更紗。僕はちょっと鼓動が跳ね上がる。
「うん、そうじゃないかと思ってた。僕の肩、気持ちよかった?ゴツゴツしてたでしょ?」
僕はなるべく平静を装って言う。
「うん、そうだね、余計な肉がない、筋肉って感じ。細マッチョだよね」
「…いつの言葉かな?まぁ、でも、褒めてくれているから悪い気は全然しないよ」
僕は思わず言ってしまう。
「え?もうこの言葉死語なの?…まあいいわ。ちょっと眠かったけど、目が覚めちゃった。ちょっと、お話ししようよ」
「ああ、いいよ」
そして、僕と更紗はさっき見た水族館の動物たちの話に盛り上がる。
ペンギン、イルカ、クラゲ、ドクターフィッシュ…。
一つ一つが、楽しい時間であり、更紗と一緒に過ごした大切な思い出だ。
そして、話が尽きないまま、駅の東口へと戻ってきた僕たちは、一路いつもの城西商店街へ向かった。
商店街に着いた私たちは、ゲームセンターで軽く音ゲーをする。慎吾に教えてもらったこのゲーム、やたら難しいのだけれども、前にクリアできなかった曲がクリアできるようになると、達成感を感じて(もっと難しいのを!)と思っちゃうからある意味沼に填まりそうだ。でも、綸子も呼んでいるからそこそこにして、綸子が合流するのを待って以前ジグソーパズルを買ったおもちゃ屋へ向かい、綸子とも話をして、CGのような美麗なクリスチアーノ・ラッセル(この前は名前をど忘れしていたけど、綸子に教えてもらった)のイラストのパズル、1000ピースと額を買って、私の家に戻った。
この時点で15時くらいだったのだけど、3人でおやつと称してドーナツを食べ、パズルに熱中していたら、18時を回ってしまっていた。
空はずいぶん暗くなって、楽しい1日の終わりを告げていた。
「早いねぇ。慎吾、そろそろ帰らなくちゃいけないんじゃない?」
慎吾は残念そうな顔をする。
「そうなんだよね。19時までには帰ると言ってきたのもあるし、更紗と綸子ちゃんも、夕飯作らなくちゃいけないんじゃない?」
その言葉に綸子は、
「大丈夫なんです。今日はお父さんの帰りを待って、外食に行くので。回転寿司でも行こうかって話だったんです」
と言う。私も、
「そうなの。言わなくてごめんなさい」
と、謝ると慎吾は、
「ううん、別にいいよ。外食いいよね、たまには」
と努めて明るい表情で言う。
「それじゃ、僕はお暇するよ。また明日、部活でだね、更紗」
「ええ。明日も頑張りましょうね」
「うん、強化大会までいよいよあと3週間だからね。お互い頑張ろうよ」
そう言いながら慎吾は、玄関に出て靴を履く。
そして、「じゃ」と玄関のドアを開けようとした時――
玄関の鍵が解錠されるガチャという音と、扉が開く音が聞こえた。
「ただいま」
お父さんが帰ってきたのだ。
すぐ側に居た慎吾に気づくと、「おお、東条くんいらっしゃい」と言うので、慎吾は「お邪魔してます」といって、お父さんと体勢を入れ替えて、ドアへ向かおうとした。そこへお父さんは、
「晩ご飯はどうするんだい?」
と慎吾に言う。
彼は「そろそろお暇しようと思っていましたから、家に帰って食べるつもりです」と正直に答える。
するとお父さんは、「じゃあ、4人で回転寿司にでも行こうか?」なんて提案をする。お父さん、ナイス!
「それは、さすがに申し訳ないですよ」と慎吾は一旦断ったけど、「慎吾も来てくれると、いつもよりもっと楽しいと思う」と私が言うと、綸子も負けじと、「東条さんも来てください。そんなに頻繁に会えないから、もっとお話ししたいです」と言うものだから、慎吾は私たちの言葉に折れる。
「分かりました。今から家族…と言うか、母さんにライナーを送るので、その反応を見てからで良いですか?」
と慎吾はお父さんに言う。お父さんは、「もちろんだよ」と言って、慎吾を促す。
その間に私たちは、
「あ、お父さんお帰り。早かったね」
「うん、今日は休日だろ?思いの外仕事が少なくてね、終わったから速攻で帰ってきたんだ」
「「なるほど」」
と親子の会話をする。そして、慎吾は家族ライナーに「晩ご飯、更紗の家族と一緒に食べに行って良い?お誘い下さったので」と告げたみたい。5分ほど、リビングに再び慎吾に上がってもらって話をしながら待っていたら、慎吾のお母さんから「許可」のスタンプをいただいたので、
「じゃあ、申し訳ありませんが、ご一緒させて下さい」
と慎吾が話すと、私と綸子は嬉しくなって、「いえ~い!」とハイタッチ。
「ありがとう、お母さん」「ありがとうございます、と伝えてください」と私たちは慎吾にお母さんへライナーを送るように促したけど…。私はハッとして、
「あ、いいよ、お母さんへは私からライナーするね」
そう、4ヶ月前にお母さんとはライナーで「友だち」になっていたから、『お母さん、すみません、ありがとうございます。21時までにはお父さんに送り届けてもらいます』とメッセージを送る。すると、お母さんからは、「慎ちゃんをよろしくね」とメッセージが入ってきて、そのあと秒で慎吾には『全く、ボンクラなんだから、そうならそうと早く言いなさい』と人気キャラが喋っているスタンプが届いた。「…慎吾、ボンクラじゃないよね?」と私が言うと、「当然だろ?」と慎吾は頬を膨らませて苦笑い。
そして、私たちは車で少し離れた国道沿いにある回転寿司店へと繰り出した。
そこでは、やっぱり男の子、慎吾は一人で18皿くらい食べてたっけ。私も食べたけど10皿程度、綸子は7皿、お父さんは12皿くらい。
「すみません。調子に乗って食べてしまって」
って慎吾は言っていたけど、「ううん。全然。満足してもらったようで何よりだよ」とお父さんが言うものだから、慎吾はなお恐縮していた。
そして、慎吾を家まで送っていって、玄関先で遅くなったことをお母さんに詫び、綸子と並んで慎吾にバイバイと手を振って、楽しい一日は、終わりを告げた。
春休みはそのあとも淡々と過ぎていってしまい、4月8日。いよいよ新学期が始まる。
私たちは3年生となり、受験生。でも、私も慎吾も、今のところはこのまま臨魁学園の大学部に上がる予定でいるから、受験生というプレッシャーも大きくはないかな。でも、あまりにも成績が悪いと入試時に色々都合が悪いようだから、今の成績は最低限維持しなくてはいけないよね。
2ヶ月後には春季総体(インターハイ予選)があって、ここで私たちの高校生としての部活は引退となるだろうから、そのあとは慎吾は勿論、夢衣ちゃんに矢野くん、場合によっては和子さんや紗友梨さんも呼んで、勉強会をしていこうと慎吾と話をしていた。
「でもその前に、来週末の強化大会だよ」
とは慎吾の言葉で、確かに、来週末、4月の20,21日の土日は強化大会だ。ここで、春季総体のシードを決めるみたいだけど、私たちもできる限り勝って、勢いをつけたいところだね。
そんなことを話ながら、私と慎吾は学園に向かう。
慎吾は私ときちんと歩いて行きたいからと、雪が解けきってからは自転車通学をやめて、一緒に徒歩通学になっている。去年の12月までは自転車を引いて歩いていたけど、「更紗と一緒に歩くのに、自転車が邪魔だから」って言っていた。
臨魁学園の校門をくぐり、生徒玄関へ向かう。今日は午前中に入学式、始業式、親任式の予定だ。登校時間は新入生も、在校生も同じだから、基本的に新入生と在校生の見分けは、保護者と一緒かどうかがほぼすべてな気がする。勿論、例外はあるのだろうけど。
そして、生徒玄関の目の前に着くと、そこは新入生のクラス分け掲示板で新入生を中心にごった返していた。私たちはその集団をよけようとちょっと集団から離れようとしたんだけど、後ろから慌てるような足音がして、「きゃぁ」と小さな悲鳴がしたと同時に――
ドスッ!「きゃっ!」
衝撃は、私ではなく、隣にいた慎吾だ。悲鳴も勿論私じゃなくて。
「あたたた…」
そう言って腰を撫でながら、慎吾は後ろを振り向く。後ろからタックルを食らったような感じみたい。私も、慎吾と同じ方向に視線を向ける。そこにいたのは、茶髪でサイドツインテールをした可愛いけど、ちょっと目元がきつめな感じの女の子だった。
「あ、大丈夫?」
慎吾は落ち着き払った声でそう女の子に声をかける。女の子はその声に反応して、慎吾の顔を見ると、可愛い顔が一気に朱に散った。
「あ、はい。大丈夫です。すみません、急いでいたらつまずいてしまいました」
ちょっと恥ずかしそうに話すその声は、少し高くて、顔に似て可愛らしかった。
「立てる?」
慎吾は紳士のように、女の子に手を差し出す。彼女は右手で彼の右手を掴み、立ち上がった。その顔は、赤いままだ。立ってみると、身長は私とほぼ同じくらい。スレンダーで足も細い。スタイルが良い女の子だ。
「何度もすみません。ありがとうございました」
「気をつけてね。君、新入生?」
慎吾はそう女の子に聞く。
「あ、はい。清藤中学から来た、佐々風香と言います。先輩は2年生ですか?」
その質問には、私が遮って応えた。なんか、これ以上喋ってほしくないと直感したんだ。
「いいえ、違うわ。私たちは3年生。東条慎吾と、大原更紗よ。よろしくね」
いきなり慎吾との会話を遮られたのが気に食わなかったのか、風香さんの眉間に少し皺が寄ったのを、私は見逃さなかった。
「よろしくお願いします。東条先輩、大原先輩。お二人は付き合っているんですか?」
「よろしくね。そう、付き合ってるの。すごく気が合うんだ」「よろしく。付き合い始めてもうすぐ半年なんだけどね。それじゃ、クラス分け、ちゃんと見てから教室へ行ってね」
「はい!」
風香さんは慎吾に満面の笑顔を向けて返事をし、クラス分けの掲示板へ向かっていった。
「…いきなり嵐に巻き込まれた気分だったよ」
慎吾がそう言うので私は、
「…同感。でも、ちょっと気をつけてね、あの子、慎吾に好意持ったかも」
と直感を慎吾に告げる。慎吾は驚いて、
「え?そうなの?気がつかなかったよ」
とのんきなことを言うものだから、
「…私の直感なんだけどね。でも、私が話しかけた時の彼女の表情がね、私のことを邪魔に思っているように見えたんだ。もう少し慎吾と話したいって感じだった」
「…よく分かるね」
「だから言ったでしょ?あくまでも直感だって。まぁ、あの子もすぐに忘れてしまうかもしれないけどね」
私は(そんなことないよねえ、多分)と心の中で独りごちる。でも今はそれよりも、教室へ向かう方が先だね。
「それじゃ、教室へ行こうよ。今日からクラス分かれちゃうけど」
慎吾にそう告げると、慎吾は頷いて、
「でも、何度も言うけど教室自体は隣同士だからね。教室まで一緒に行けるのは今まで通りで有り難いよ」
「そうだね」
私たちは隣り合って廊下を歩く。
「お、慎吾に大原。聞いたぞ、クラス分かれたってな。なんで?」
3年アスリートコースの教室の前を通りがかった時、中田くんが声をかけてきた。
「おお、啓一。まぁ、あれだ。教職コースって、文理で分かれるから。更紗が文系で、僕は理系にそれぞれ行くって決めたから、必然的に分かれることになったんだよ」
と、慎吾は中田くんに説明してくれた。いつの間にか、「慎吾」「啓一」と呼び合う仲になっていたんだね。
慎吾の説明に、中田くんは「そうか」と頷いて、
「まぁ、クラスが分かれても、お前たちなら大丈夫だろうな。それと、お前たちや矢野のおかげで、俺も優姫とイイ感じで仲良くしているからな」
と言う。それには私も慎吾も笑顔になって、
「いいじゃない、とっても。と言うか、たまに優ちゃんからライナーが来るから仲良いことは知っているよ」
私はそう言って、中田くんに伝える。
「え?そうなのか?どんな事言っているんだ、優姫は?」
「ううん、悩み事とかそんなのじゃなくて、この前、どこどこへ行ってきたとか、楽しいことの報告がほとんどだよ。ホント、中田くんも良い彼氏になってるなって思う」
中田くんは私の言葉にうん、と頷いて、
「そりゃ、俺も優姫を悲しませたくないと思っているからな。そして、デートは楽しんでもらいたいし、同じ時を過ごすのだから、自分も楽しんでるよ」
「ホント、それは良いと思うよ。啓一もイイ感じになったよな」
慎吾も中田くんを褒める。
「ああ、本当にお前たちには頭が上がらないよ。教室も離れているし、部活も中と外で全然違うから、なかなか会えない。なんか礼をしたいなって、優姫とずっと話をしているんだけど、そんな機会をなかなか作れないところがちょっとじれったくてな」
中田くんはそう言って、苦笑する。
「そんなこと、別に良いのに」
「まぁ、気持ちは有り難く受け取っておくよ。もし、お礼をしてくれるのなら、僕たちが困っている時に助けてくれればありがたいと思ってる」
私の言葉に頷きながら、慎吾は更に続けてくれた。私も慎吾の言葉に「うん、そうだよ、中田くん。その時はよろしくね」と告げる。
「わかった。おっと、そろそろ行かないと時間やばくないか?」
中田くんは私たちの言葉に真剣な表情で頷くと、時計を見て私たちに教室へ向かうように促してくれる。
「お、確かに。それじゃ、啓一、またな」「またね、ありがとう」
「どういたしまして」
私たちはちょっと急いで教職コースの教室へ向かった。
1分ほどで教室に着くけれども、ここで、私と慎吾は別れることになる。
「それじゃ、あとでね」
私は少し寂しいけど、慎吾にそう言って教室に入ろうとする。すると慎吾は、
「ああ、あとでね。幸弘と夢衣によろしく」
「ええ。こちらこそ、紗友梨さん和子さんによろしくね」
「了解」
そして、別々に教室に入る。私は「教職コース文系クラス」、慎吾は「教職コース理系クラス」だ。教室に入ると、矢野くんと夢衣ちゃんが夢衣ちゃんの机で話をしているところで、私の姿に気づくと二人は私を手招きしてくれた。
「よろしくね、二人とも」
私がそう告げると二人とも「こちらこそ、よろしく。慎吾がいないのが寂しいところだけどね」と言ってくれる。私は自分の席――窓側の一番後ろ。私が転校してきた時に、慎吾が座っていたあたり――にカバンを置いて、矢野くんと夢衣ちゃんの会話に加わった。
「いよいよ3年生。頑張っていこう」
私が言うと、二人は笑って、
「そうだね。まぁ、尤も夢衣も大原も、ここの大学部に上がるんだろ?」
矢野くんがそう言うと、私も夢衣ちゃんも頷いて、
「そうね。…って、矢野くんは今の口ぶりだとここの大学部に行かない感じに聞こえるけど?」
「悩んでいるそうです。国立大学の教育学部も魅力的に感じているみたいで、夏のオープンキャンパスで決めるつもりなんですって」
夢衣ちゃんの言葉に私は驚きを隠せずにいた。
「そうなんだ!意外…だね」
この学園に来たら、そのままそのコースの大学部に上がらなくちゃいけないわけじゃなく、他の大学に行くのは自由なんだもの。でも、矢野くんがそう考えているのは意外だった。
「でも、どうして?」
と聞こうと思っていると、チャイムが鳴る。
「あ、それはまた今度で話すわ。ひとまず席に戻ろうぜ」
矢野くんが私を席に戻るように促すから、私は二人に「じゃね」と手を軽く振って席に戻った。私の隣にも机があるのだけど、その主は風邪でお休みなのだろうか?いなかった。
そうこうしているうちに、先生が入ってくる。クラス分けの時は年度が替わる前で異動とかがあるかもしれないからという理由で担任は非公表だった。だから、今日入ってきて初めて担任の先生が分かるのだけど、2年の時のもうひとクラスの担任は南東先生だったから、おそらくそうなのだろうな~と思っていたら、やっぱり南東先生が教室に入ってきた。南東先生は英語の担当だから、文系を持つのはある意味当然だよね。
そして、南東先生の後ろから、女性の先生と、一人の男子生徒が入ってきた。
…転校生?
「おはよう、みんな。今日からこのクラスの担任になった南東だ。よろしく。副担任は、沢田先生、音楽の担当な。そして、もう一人、紹介したい生徒がいる」
そして、南東先生は転校生らしき生徒に目配せをすると、一歩前に出て挨拶をした。
「今日から、この学園の生徒になる瀬戸惣介と言います。趣味はサッカーとパソコンやタブレットでイラストを描くことです。よろしくお願いします」
自己紹介が終わると同時に、パチパチと拍手が起こる。長髪を後ろでまとめて、少し切れ長の目、細いあご、身体の線は少し細めだけど、筋肉質な感じで、それなりにイケメンなんだろう。クラスの女子生徒が何人か拍手をしながら目配せし合ってるのが見えた。
「で、瀬戸くんの席だが、窓から2列目の一番後ろだ。席に着いてくれ」
「はい」
道理で主がいなかったわけだ。私の隣の席に、転校生が座る。
半年前の自分と、瀬戸くんの様子がかぶるけれども、ただ、それだけだ。
でも、彼の方はそうじゃなかったみたいで、席に着く前に、私の顔を少し見ると、微笑む。
「初めまして。瀬戸って言うんだけど、君の名は?」
「初めまして。私は、大原更紗って言います」
折角挨拶してくれたのに返さないのは失礼だと思い、そう返すと、
「更紗さんか、良い名前だね。それに、めっちゃ美人」
…そういう声かけをいきなりしてくる人は、私は全然タイプではない。それと、さっき目配せし合ってた女子たちからの視線が、何気に痛い。…あの子たちは、去年は別クラスだったから、その辺の友だち関係はよく分かってないなぁ…ちょっと困ったことになりそうだ。だから私は、表情を硬くして、
「それはどうも。でも、私は彼氏がいるので響きませんよ」
とぶっきらぼうに返す。すると、瀬戸くんはちょっと驚いたように、
「…そうなんだ、ざーんねん。でも、狙うのは自由でしょ?」
…なんて言うから、私の眉は更に上を向くけど、そこで、
「さぁ、入学式の時間だから、みんな第2体育館へ行くぞ」
と南東先生の声が教室に響く。私は、反論しないまま彼を無視して教室から出ようとするけど、隣に瀬戸くんが並びかけて話しかけようとしてきた。
…しつこいなぁ。
そう思って、一言言おうかなって思ったら、背の高い男子生徒が私と瀬戸くんの間に割り込んできた。
「おっと、転校生、そこまでにしておけよ。大原はしつこい男は嫌いだよ」
矢野くんだ。隣には、勿論夢衣ちゃんもいる。
「なんだ、お前?お前がこの子の彼氏かよ?」
瀬戸くんは挑発モードで矢野くんに話しかける。
「違うね。親友の彼女に手を出すなって言ってるんだよ。それと、俺は矢野幸弘。よろしくな」
ちょっと怒気を含んだ物言いと、矢野くんの身長は結構なプレッシャーだ。瀬戸くんもさすがに気圧されたのか、
「そうなのか、じゃ、今は引っ込んでおくわ」
と私から離れる。
「矢野くん、ありがと」
私はそうお礼を言うと、夢衣ちゃんも「流石幸弘さん」と矢野くんを称える。
「ああ。なんかやな雰囲気を感じたからさ。慎吾に約束した以上、大原は守っていかないとな」
「うん、ありがとう。あとで慎吾にも報告しておくね」
私はそう言って、廊下に出る。私の両脇を矢野くんと夢衣ちゃんで固めて、なかなか話しかけづらそうな雰囲気にしてもらったから、そのあと瀬戸くんはおとなしくしていたけど、さっき私を睨んでいた女子から話しかけられて、ちょっと嬉しそうに話を始めていた。
…ホント、慎吾とはえらい違う。慎吾は一目惚れだったけど、最初は本当に紳士的に振る舞って、容姿のことや好意を伝えてくることはしなかった。誠実な態度だったから、私も安心できたけど、さすがに瀬戸くんは軽すぎる。きっと、慎吾とは相容れないのだろうと思う。
体育館に出て、整列をする。慎吾のいる理系コースも隣に並ぶ。男女混合の出席順で並ぶと、私は6番目、慎吾は18番目くらいで全然隣にならないから「はぁ」とちょっとため息をつく。そして後ろを見てみると何気に慎吾と和子さんの位置が近く、矢野くんに夢衣ちゃんは更にその後ろなので、一人ぽつんと…と思いながら前を向いたら、隣…と言うか斜め前に紗友梨さんがいることに気づく。
始まるまでまだ少し時間があるから、私は紗友梨さんに話しかけた。
「紗友梨さん、やっほ」
紗友梨さんは私に気づくと微笑む。
「やっほ、更紗さん。どう?文系コースは?」
私はさっきのやりとりをかいつまんで小声で話すと、紗友梨さんも眉間に皺を寄せた。
「…あとで東条くんに知らせておくね。更紗さん、狙われてるよって」
「ごめん、よろしくね」
そして、入学式が始まる。私たちは椅子に座って、新入生が入場してくるのを待つ。
「新入生、入場」の教頭先生の言葉を合図に新入生が入場してきて、椅子に座る。
そして、開会の言葉と国歌斉唱に始まって、校長先生の入学許可と新入生への最初の言葉、PTA会長(本校のPTAは、「魁の会」と言うらしい)の祝辞。生徒会長の挨拶に、新入生代表の挨拶。そして、新入生が私たち2,3年の方を向き、2,3年が起立。校歌を斉唱する。新入生が元の場所に戻り、閉会の言葉で約40分の入学式が終わる。
でも、そのまま始業式が始まる。4月8日は式典だけの日だから、3つの式が終わって教室に戻り、ロングホームのあとは放課後になる。ちなみに、離任式は、3月の終業式の日に一緒に行っていた。
一連の式が全部終わると、私たちは教室へ戻る。体育館から出る時に、私と紗友梨さんで「今なら捕まえられそうだから、伝えた方が良いよね?」と、和子さんとその隣にいた慎吾を捕まえる。
「あ、更紗、久しぶり~」
なんて慎吾はとぼけて言うけど、「ちょっとそれどころじゃないから」と私が真顔で言うと、慎吾も真顔になる。
「何かあった?」
そして、転校生が来て口説かれたことを話すと、慎吾も眉間に皺が寄る。頬も紅潮しているように見えた。
「要注意だな…今日終わったら速攻でそっちに行くよ」
慎吾はそう言って、握り拳を作る。
「うん、よろしく。信じてるから」
私もそう返して、一旦それぞれの教室へ戻る。
ロングホームは、自己紹介のあと学級委員の選出があった。
学級委員は、矢野くんと夢衣ちゃんになった。立候補が出なくて投票になったら、なぜ萱野くんに票が集まり、副委員はその流れで夢衣ちゃんに視線が集まり、彼女も断り切れなかったのだろう。「わかりました」と頷いた。
出会った頃の夢衣ちゃんなら、そんなことも言えずずっと俯いていたのだと思うけど、立場は人を変えるのかな、矢野くんとつきあい始めて、少しずつ対人関係にも自信が出てきたみたいだった。
学級委員の選出が終わったら、南東先生の雑談タイム。
「基本的に、このクラスの8割はそのまま大学部へ上がると思うけど、他の大学のオープンキャンパスも見に行くと良い。それで進路変更をしたって、全然構わないし、むしろ自分の世界を広げるために、あえて他の大学へ行くというのも勿論ありだからな」
なんてことを言われたら、行ってみたくなる。
慎吾も誘ってみよう。
そう思いながら、ロングホームは終わる。
「おい、幸弘。初日からすまないが委員長になったから挨拶を頼む」
そう南東先生に言われて、矢野くんは声をかける。
「きりーつ」
ちょっととぼけた声が教室に響く。
「礼。さようなら」
「さようなら」
今日はもう放課になるから、そう挨拶をする。
私は教室の後方からスマホを取りだして、カバンを手に取る。
横の席の瀬戸くんも、カバンを手に取っており、私の顔を見てふっと笑った。
「帰るの?一緒にそこまで行かない?」
瀬戸くんはそう誘うけど、生憎様。その後ろから、慎吾の顔が見える。
「更紗~行こう!」
珍しいくらい鋭い声で、慎吾は私に声をかける。瀬戸くんへの警戒からなんだろう。
瀬戸くんは、慎吾の顔を見ると私に見せる笑顔ではなく、見下すような笑顔を見せる。…正直、いい気はしない。
「お前が更紗さんの彼氏?似合わねぇ」
まるで自分の方が似合ってるといった体の言葉に、慎吾は余裕の笑顔で、
「似合うか似合わないかは、特段問題じゃないと思うんだよね。お互いが思っているのであればそれでオールOK。自分の方が格好いいし、更紗が僕のものであるべきだとか考えているのなら、それは思い上がりも甚だしいし、そういう思考でいる人間には、更紗は絶対になびかないよ。君は、スタートから間違っている」
そうまくし立ててから一呼吸置いて、
「と言うわけで、更紗は今から僕とご飯を食べて部活へ行くから、失礼するよ」
まさかのカウンターだったのだろう、出鼻をくじかれた瀬戸くんはキョトンとする。反論する暇を与えず、慎吾は私の手を取って、教室から出ようとする。
「おい、待てよ!」
我に返った瀬戸くんがそう声をかけてくるけど、慎吾は彼を一瞥して、
「待つ義理はないね。更紗に馴れ馴れしく近づかないでくれよな!」
そうピシャリと言って歩き始める。教室からは聞こえよがしに、
「ちっ。なんだよあいつは!」
と怒声が聞こえる。教室にはまだ数人の生徒が残っているというのに…。
「さ、まず先制パンチはお見舞いしたから、このあとどう出るか、だね。そう言えば、幸弘が学級委員になったって?」
もう、ライナーで伝わったのだろう。私に聞く。
「うん、そうだよ。夢衣ちゃんが副委員長」
「そっか…来週にでも席替えしてもらうといいかもね」
なるほど、それはありなのかもしれない。一方、疑問も出てくる。
「理系コースは誰が委員長になったの?紗友梨さん?」
「その通りだよ。で、何の因果か僕が副委員長」
「あらら…慎吾もなんだね。ちょっと大変になりそう?」
私はちょっと苦笑いしながら聞くと、慎吾も苦笑いで
「そうかも」
なんて言うものだから、
「ドンマイ!応援するよ。大変な時には手伝うからね」
と励ます。それに慎吾も
「ありがと」
って返してくれて、そんな会話をしながら、食堂へ向かう。今日は学食はやっていないけど、スペースは解放しているので、そこで食べる約束をしていたし、3年になって最初のお弁当を慎吾にも食べてもらう。
今日のお弁当は久しぶりだから、原点回帰で唐揚げにゆでブロッコリー、人参・大根・厚揚げの煮物。ご飯には軽く卵ふりかけをかけてある。
「やっぱり、更紗の作るお弁当って彩りが良いよね~」
と慎吾が褒めてくれる。
「ありがと、じゃ、いただきます」
私たちは手を合わせて、お昼ご飯を食べる。
「う~ん、これこれ。この味」
唐揚げを食べながら満足そうな顔をする慎吾。完全に慎吾の胃袋を掴んじゃったみたい。
私は笑って、厚揚げを口に運ぶ。汁を吸った厚揚げが美味しい。
「うん、美味しい」
私も満足な笑みを浮かべる。
慎吾も私も、美味しくお弁当を食べていると、隣に矢野くんと夢衣ちゃんもやってきた。
二人とも、珍しく近所にあるお弁当屋さんのお弁当を買ってきたみたい。道理で、すぐにここに来なかったはずだ。
「お、今から食べるん?」
慎吾が矢野くんに聞くと、
「ああ、珍しく外で買ってきた。元々、二人で帰るつもりだったんだけど、お前たちがちょっと心配だって夢衣が言うもんだからさ、様子見に来たんだ」:
矢野くんがそう言うと、夢衣ちゃんは恥ずかしそうに、
「すみません。差し出がましいことをしました」
なんて言うんだけど、私は全然そんなこと思ってなくて、
「夢衣ちゃん、大丈夫。ありがとう、気にかけてくれて。慎吾、ピシャリと言ってくれて格好良かったんだよ」
と返すと、
「ああ、そのことはもう既にクラスの奴から報告はもらっていてな」
と矢野くんは言って、スマホを操作して、ある画面を私たちに向けてくれた。
『東条、転校生にガツンと言ってたよ。あいつ、意外とやるやん』
『転校生、めっちゃ悔しそうだったよw大原さんに最初から馴れ馴れしくて、ガツガツしすぎて軽いよなぁ』
と、クラスの男子数人のグループチャットから矢野くんに宛てたライナーだ。
「俺も、正直なところ好きじゃないな。ピシャリと言いすぎたから、慎吾は奴の報復に気をつけないといけないかもな」
「報復か…してくると思うか?」
流石の矢野くんも肩をすくめて量の手のひらを上に向ける。
「わからん。でも、なんか仕掛けてきてもおかしくないからな。用心にこしたことはない」
「…そうだな」
男子二人がそう善後策を話しているところで、私自身もあまりな額は瀬戸くんの隣にはいたくないから、聞いてみる。
「ねぇ矢野くん、席替えってしてくれないかな?」
矢野くんは、「そうだな、あとで学校アプリから個人的に南東先生に聞いてみるよ。申し訳ないが少しだけ我慢してくれるか?」と応えてくれたから、「それなら、我慢できるよ。ありがとう」と私も返す。
「何人か女の子が更紗さんに反感持っているみたいですけど、あの子たちは2年の時に隣のクラスだったんですよね。…一人だけ、普通コースの人もいたみたいですけど、話せば分かると思うので、話をしてみますね」
早速学級委員として仕事をする二人には頭が上がらないよ。
「夢衣ちゃん、ありがとう。助かる」
「あわよくば、あの転校生と上手くいってくれれば万々歳だよな。気になるそぶり見せていたし」
夢衣ちゃんの言葉を受けて、矢野くんがそう言う。ああ、確かにそれはあるかも。
「でも、何気に移動している時に話しかけてたよね」
「そう言えば、そうだな。そのままくっついてもらおう」
ちょっとの作戦タイムもあっという間に過ぎて、私と慎吾は部活へ行き、矢野くんと夢衣ちゃんは部活を休んで帰っていった。…下校デートするつもりらしい。いいなぁ。
だから、私も慎吾に聞いてみた。
「今日の帰り、デートしない?」
慎吾はちょっと驚いた顔をしたけど、すぐに笑顔になって。
「もしかして、幸弘と夢衣が行くから、行きたくなった?」
私が素直にこくんと頷くと、
「いいよ。行こう。でも、どこに?」
「商店街のカフェでお茶しようよ」
「OK」
部活のあと、二人で商店街のカフェで午前中のことについてもう一回話をして、改めて気をつけていこうと約束し、別れた。
慎吾も私も、新しい出会いがあったのだけれども、お互いにとっていい出会いであれば良いのになんでかな…と想いながら終わった一日だった。
う~ん、まさか転校生が入ってきた挙げ句、更紗にちょっかい出してくるとは思わなかった…。めっちゃ冷たくあしらって、更紗もけんもほろろに断ってくれたから多少は大人しくなってくれるかとは思うんだけど、それでもしつこかったらどうしようもない。席替えをしてもうしかないんだろうな。
でも、見た感じと喋っている感じで陽キャかな?とも思ったけれども、そうじゃないような所もあり、ちょっと不気味さを感じることは確かだ。
そんなことを思ってちょっとスマホで音ゲーをしていると、ライナーの通知が鳴る。
音ゲーの途中で中断できない(マルチプレイ中だった)から、一曲終わってからその通知を覗くと、そのメッセージの主は、啓一だった。
「なんだ?珍しいな」
そう、あの一件以降仲良くなったけど、コースや部活が違うとなかなかお互い話しづらいこともあって、滅多にライナーをすることはない。でも、今日は何かあったのだろう。
『転校生が来たみたいだな。んで、大原にちょっかいかけたって聞いたぞ。大丈夫か?』
「耳が早いなぁ、そうなんだよ。今のところは大丈夫」
僕はそう返信すると、ちょっと間を置いて、
『瀬戸っていったっけ?サッカー部に入りたいみたいで見学に来たんだよ。まぁ、上手けりゃ別に構わないからテストしたんだけどさ、まぁ、確かに上手かったから入部は認められたんだけど、インターハイ予選までにレギュラー取れるかって言うと、微妙だな』
そこまでメッセージが飛んできて、更に間が空く。
なんだか、啓一の文面から察するに、あまり良い印象はなさそうだ。
返事を打つかちょっと悩んでいるうちに、続きが届く。
『そんなことよりも、何よりムカついたのがさ、早速優姫に声をかけて口説こうとしやがったから、ちょっと俺もムッとして「俺の彼女口説くなよ」って言ったら、「はぁ~」ってため息をついてから「なんだ、男いるのかよ。さっきの更紗さんと言い、俺が目を付けた娘にはなんで男がいるんだよ」なんて言っていたぞ』
「なるほどな…見境なしかよ…」
僕は呆れた感じで返信する。
『さすがに聞きとがめて、「大原に声かけたのか?」と聞いたら、「隣の席になったからな」なんて言って…まぁ、昔の俺を見ているみたいで、嫌な気分しかしなかったぜ。とまぁ、一応報告な』
啓一も三津屋さんにちょっかいかけられて嫌な気分だったのだろう。ホント、その気持ちは分かる。
「早速助けてくれてありがとう。僕も気をつけるよ。更紗以外の女の子に声をかけていたという事実って、結構大事だと思うからね」
『そうだな、俺も警戒する。お前はコースが同じで隣のクラス、俺は部活が同じと言うことでさ、お互いに情報交換しやすい環境だから、気になることがあったら情報共有しないか?』
「ああそうだね。お互い連絡しよう」
『OK』
そんなやりとりをして、ライナーでの会話を終える。時間は23時。もう少し勉強してから寝ることにしよう。古典はまた芳埜先生だったから、システムに填まらないようにしないとな。
古典の予習を終わらせて、僕は床に就く。今日一日を反芻してみると、僕も僕で、佐々風香という女の子と知り合ったけど、1年生だから滅多に会うこともないだろうし、特段問題にはならないだろうな…。
でも、その考えが大間違いだったということを、翌日味わうことになる。
翌日、僕は更紗と一緒に登校する。昨日のことはあまり考えずに、来週末の強化大会に向けての基礎練習の話と、音ゲーの話に終始する。彼と朝から会いたくない気分だけど、いつ遭遇するか分からないので、正直緊張しながらの登校だ。しかし、どうも、瀬戸とは家の方向が違うのか、それとも時間が違うのか、彼と遭遇することなく、いつものスクランブル交差点にたどり着く。すると、横から「おはよう、慎吾、大原」「おはようございます。更紗さん、慎吾くん」といつもの二人が声をかけてきてくれて、僕たちは安心した。
「あいつとは会わずにすんだようだな」
と幸弘は言うので、「ああ、家の方向が違うのかな?」と僕は聞いてみる。
「いや、俺は聞いてないね。クラスの男子からは昨日の1発目でやらかしたからおそらくほとんど喋ってないと思うから、今はまだ分からんね」
幸弘はそう言って、少し困った顔をする。
いつものように、早い時間だからまだ人影はまばら。
「まぁ、ぼちぼち聞いていくしかないな。昨日のことで、おそらく俺たちは警戒されたと思うから、話をしても深くは突っ込めないだろうし」
「それもそうですね。格好いいって思ってる女の子たちが上手く話してもらえると良いんですけど…」
「でそうだといいね。私としては、また話しかけられるのかと思ったら、ちょっと憂鬱なんだよね…」
そこで、昨日の啓一との会話を思い出して、
「あ、更紗、昨日啓一からライナー来たんだけど、あいつ、三津屋さんにも声をかけたらしいよ。節操ないなって話してた。啓一も、『昔の俺を見てるみたいでやな感じだよ』ってさ」
と僕が言うと、幸弘は「ぷっ!」と吹き出す。
「おいおい、啓一に失礼だよ」
僕がたしなめると、幸弘は、「いや、悪い…あいつも成長したなって思うと嬉しい親心だよ」
「親心って…」
「そう言えば、優ちゃんからそんなライナー昨日来ていたよ。ホント、昔の中田くんみたい」
そんな会話をしながら、校門を抜け、生徒玄関で靴を履き替えて、教室へ。
「はぁ、まぁ、今日も一日頑張っていきましょう。慎吾、またあとでね」
「と言うか、カバンとスマホを置いたら、そっちに行くね」
「あ、うん、分かった~」
更紗はのんびりとそう言って、幸弘、夢衣と一緒に文系クラスへと入っていく。
「さ、僕も急ごう」
理系クラスに入ると、そこには既にいつもの二人、大木さんと中山さんが喋っている。
「おはよう、東条くん。昨日は災難だったね。今日はどうかしら?」
中山さんがそう聞いてくるので、僕はちょっと頷く。
「そうだね。転校生があんなに軽く更紗を口説こうとするなんて思わなかったよ。いつ彼が来るか分からないから、ひとまず文系クラスへいってくる」
「そうなんだ、気をつけてね。くれぐれも、喧嘩だけはしないようにね」
ちょっと余計なことをいう大木さんに、僕は反論する。
「手を出さなければ良いんでしょ?口げんかなら」
「まぁ、それはそうだけど…。全く、くれぐれも、気をつけてね」
「了解」
僕は文系クラスへと移動する。
もう既に3人が更紗の机で話をしている。どうも僕たちが文系クラスでは一番早いようだ。
「こんな感じなら大丈夫かな」
10分も話して、8時5分を過ぎる頃になると、ぼちぼちクラスの中が賑やかになってくる。
その中には瀬戸もいて、僕や幸弘が更紗の周りを固めているところを見ると、「ちっ」と軽く舌打ちして、自分の席にどかっと座る。
「おはよう、瀬戸くん。気分はどうだい?」
幸弘がわざとらしく聞いてみると、
「最悪だな。なんでお前たちがこんな所にいるんだよ」
憎まれ口を叩くから、僕が幸弘の代わりに答える。
「ん?勿論更紗の護衛だよ。悪い虫がつかないようにね」
「誰が悪い虫だよ?」
僕の挑発に、少し怒った感じで返してくる。
「まぁ、誰とは言わない。色々可愛い子たちにちょっかいをかける節操のない奴だって、別の友人から話も聞いたんだけどね」
僕がそう言うと、少し自覚があったのだろう、バツの悪い顔をする。が、それも一瞬で、
「まぁ、可愛い女の子がいたら声をかけるのは礼儀だと思うからな。だから更紗さんにも声をかけたわけだが、何か悪いか?」
瀬戸は開き直ったようにそう言うから、僕は挑発する。
「それなら、更紗だけじゃなくて、このクラスは――というか、この学園は可愛い生徒が他にもいるから、片っ端から声をかけてみなよ。誰かは答えてくれると思うよ。でもね、更紗はあくまでも僕と付き合っているし、君のような性格の男は苦手だから、あまり話をしたくないんだってさ。別に話しかけることに関しては構わないけど、弁えてくれると有り難いんだけど?」
さすがに、僕のその良い方には腹を据えかねたようで、いきなり立ち上がって、
「何を偉そうに言ってるんだよ!?お前が更紗さんの彼氏だからって、デカイ顔してるんじゃねぇよ!」
とキレたように言って、胸ぐらを掴んでくる。
夢衣や更紗はちょっと慌てたそぶりを見せるけど、僕は至って冷静に構える。それは、瀬戸の後ろにいる幸弘がどんな動きをするか分かっているからだ。
幸弘は、瀬戸の肩を叩く。
「おい、こんなところで慎吾を殴ってみろよ。周りからなんて思われるかな?慎吾から彼女を奪おうとして失敗し、暴力に訴えた情けない奴、なんていう評価が学校中に知れ渡るぞ。転校生って珍しいから、それだけでお前、悪い意味で有名人だ。他の生徒は勿論、先生からもマークされるのは必至だな、ご愁傷様。
ま、今こうやって胸ぐら掴んでいる時点で、教職コースの面々からの評判は地に墜ちたしね。本気で教員になるつもりがあるのかってな」
そう言われて、さすがにまずいと思ったのか、力なく僕の胸ぐらから手の力を抜き、「わあぁったよ」とふて腐れて自分の席へ戻る。
うん、これなら当分大丈夫だろう。
「それじゃ、更紗、またあとでね」「うん、慎吾、またあとで。今度は私から行くね」「分かった」
そうやりとりして、僕は幸弘の肩を叩いて「Thank you guys!」と告げて教室に戻る。
理系コースで普通に授業を受ける。でも、大丈夫と思いつつも更紗のことが気になって仕方がなかった。
だから、1限目の授業が終わったら更紗の方から行くとは言っていたけど、早く会いたくて文系クラスへ行こうかと思い、礼と同時に教室の外へ飛び出そうとすると――
「きゃっ!」
こちらも急いできたであろう更紗とぶつかりそうになる。
「おっと、ゴメン、更紗!」
僕は更紗を間一髪避けて、更紗の周りを一回転し、更紗の両肩に両手を置く。
「大丈夫?」「うん。すごいね慎吾の反射神経」
さすがに校内で抱き合うわけにはいかないから、肩を持つのはギリギリの体勢だと思う。
「ゴメン、来てくれるって言っていたのに、居ても立ってもいられなくてさ。気になっちゃって」
「ううん、大丈夫。クラスの方も落ち着いたよ。瀬戸くんも、私に話しかけづらそうにしていたら、私の2つ前の女の子が瀬戸くんに声をかけて話し始めたし、これ幸いにってね」
「おお、それは有り難いな。それで収まってくれるなら何よりだ」
更紗は「そうだね」と同意して、頷く。 僕は更紗の肩から腕を下ろして、
「次は芳埜先生の古典だから、トイレ行って、すぐ戻るね」
「あ、分かった。システムに填まらないように気をつけてね~」
僕と更紗はそう声を掛け合って、一旦別れる。
そのあと、お昼も何事もなく更紗、幸弘、夢衣の4人で過ごして、放課後になる。
瀬戸はどうも大人しかったというか、更紗からのマークを外したようですっかり更紗の方を見なくなり、声をかけてきた更紗の2つ前にいる女子生徒――昨日、更紗に敵意むき出しの視線を送っていたそうだけど――が声をかけてくれたのがきっかけで、その子と話すことが楽しくなったらしい。
「うん、これでいいんじゃないかな。有り難いね」
「ええ。植田菜摘さんって言うんだ。普通コースから自分の進路として教職コースに決めたみたいなの。頑張り屋さんって評判だよ」
「でも、昨日は更紗に怒ってたんだろ?何に対して?」
僕はつい強い口調で疑問を口にする。自分の大事な人に対して怒るのは、どういう了見なのか聞きたかった。
「単純に嫉妬みたい。私が彼に興味ないって分かって、昼休みの前に「誤解してた。ゴメンね」って謝ってきたわ」
「そうか、それならいいんだけどね」
部活への道すがら、僕たちはそんな会話をしながら第2体育館へ向かう。
新入生は、今日から部活動の体験だったり見学の期間になり、約2週間、色々な部活を見に行って、決めたい生徒は決めるし、もう決めている生徒は、今日から早速部活に参加する。
ジャージに着替えて部活を始めること15分。新入生がやってきた。
「あれ?あの子…」
茶髪のサイドツインテールがよく目立つ、昨日ぶつかってきた佐々さんだった。
どうも、友人と回っているみたいだ。隣には黒髪ロングの生徒がいる。
そして、佐々さんは僕の姿を見ると、大きく手を振って、
「あ、東条先輩だ!やっほ~。バドミントン部だったんですね!」
と、声をかけてくる。ちょうど、ノックの空き時間だったから、少し対応する。
「やぁ、佐々さん。見学中?」「そうです」
「今回ってきて、『これだ』ってのあった?」「はい、見つけました」
「教えてくれる?」「はい、男子バドミントン部のマネージャーになりたいです。だって、先輩がいるし、私、中学時代もバスケ部のマネージャーしていたので、お役に立てると思います!」
…僕がいるから…?佐々さんの声は意外と大きく体育館に響くものだから、女子の方で活動している更紗の耳にも当然届く。更紗はちょっと頬を紅潮させて、僕…というよりは佐々さんの方に厳しい視線を向けた。
その視線を感じてか、感じてないのか、佐々さんは、
「あ、隣にいるこの子は、私の中学校からの友人で、前田英(はな)って言います。英ちゃんはどうする?」
と、視線を黒髪ロングの生徒に佐々さんは送る。前田さんは、
「それなら私は、女子バドミントンのマネージャーになろうかな。バランス取れるし、風香と一緒に帰れるし」
「分かりました。じゃあ先輩、明日からよろしくお願いしますね」
ちょっと強引に話を進める風香さんに、僕はストップをかける。
「ちょっと待って。部長と顧問の先生に声をかけてからが自然な流れかな。部長の芹沢はあそこでノックあげている人ね。芹沢~ノック終わったら一旦こっちに来てくれないか?」
芹沢は、OKを指で示して、すぐさまノックの続きをする。彼が終われば給水の時間になるから、程なく話ができるだろう。
5分後、芹沢はノックを終えると僕と佐々さんの方に出向いてくれた。
「マネージャーで入部希望だそうだから、ちょっと話をしてくれる?」
芹沢は「了解」と頷くと、女子部長の五十嵐さんとともに佐々さんと前田さんは話を始める。
僕はパターン練習で落ちたシャトルを拾ったついでにちょっと気になって話をしている方に顔を向けると、佐々さんも気になるようでこちらに目を向け、視線がぶつかる。
にこっ
視線がぶつかった瞬間、佐々さんは笑うけど、僕は頷くだけにする。そして、後ろから視線を感じて、逆に視線を向ける。
そこには更紗が同じようにシャトル拾いをしているついでに僕の方を見ていたのだろう。ちょっときつめの視線を感じた。
(あれ?もしかして、怒ってる?)
僕は背中から彼女からは滅多に感じることのない気配を感じてなぜか冷や汗が背筋を伝う。
…僕は、佐々さんに対して可愛いとは思うけど、それ以上の感情を持つことはないんだけどなぁ…。
芹沢たちの話が終わると、新入生二人は体育館から出て行こうとする。
しかし、去り際、佐々さんは大きな声で、「それじゃぁ、東条先輩、顧問の先生と話してきます。また明日よろしくお願いします!」と言って出て行く。
「?何で慎吾のことばかり?」
と言う尋路にはあとで説明しておくとして、これはちょっと帰りに一波乱あるかもしれないなぁ…と、先ほど流した冷や汗が、もう一筋流れ落ちるのを自覚した。
部活後の、部室前。いつものように着替えを先に終えた僕は、更紗を待つ。尋路も五十嵐さんより前に出てきた。
部室で「どういうことだよ?」とさっきのことで僕に説明を求められたので、入学式前にぶつかられて、少しだけ話をしたことを説明すると、他の連中もこぞって、「それは惚れられたんじゃないか?東条、大原さんと言い、あの子と言い、可愛い子に惚れられて羨ましいぞ、コラコラ」と尋路からチョークスリーパーを掛けられていた。
待っている間に尋路は、「大原さんに強力なライバル出現って感じ…じゃないな、お前の様子を見ていると」と言うけど、当たり前だ。
「だって、僕は更紗のことしか見えてないし。確かに、あの子は可愛い姿形をしているけど、それ以上の感情はないね」
と僕は言って、この会話は終わりにする。すると、そこで女子の部室の扉が開き、更紗が出てくる。
「そうだよね。あの子が慎吾にアタックするだけで、慎吾はやっぱり私を大切にしてくれるよね」
…今の話を聞いていたのだろう。更紗は笑みを浮かべる。
「そりゃそうだよ。つきあい始めて半年、更紗はやっぱり特別な女の子だよ」
僕は思わずそう言って、更紗を手招きする。更紗は、尋路の前を通過して、僕に抱きついた。大きく柔らかい双丘が、僕の胸に当たる。
「ありがとう、慎吾。大好きだよ。さっき、あの子に嫉妬してた。正直に好意を隠さないで言うものだから、慎吾を取られたくないという一心だった」
そういう更紗が愛おしくて、頭を撫でると、
「お~い、そこ、みせつけてんなよ~」「ホントホント、私たちより付き合い短いのに、仲良すぎでしょ、このご夫婦は」
いつの間にか出てきた五十嵐さんと一緒に、尋路は僕たちをからかう。
「だって…不安になったから…今の慎吾の言葉に心からホッとしたんだから、仕方ないじゃない」
「まあ、更紗、分かるよ、私も。尋路取られちゃうんじゃないかって思う場面が一度二度じゃなかったから、その不安な気持ち分かるわぁ。そして、ホッとした気持ちもね」
五十嵐さんは更紗に同意する。
「でも、あの子はアタックを止めないと思うから、どう切り抜けるか考えないとね」
五十嵐さんも、彼女の態度を見てやっぱり直感したのだろう。そう言って、僕と更紗を見る。
「暫く様子を見よう。マネージャーとしてちゃんと働いてくれるのならそれで良いし、慎吾のことばかり見ているのであれば、そこはそれで考えなくちゃね」
尋路の言葉に僕たちは頷いて、一緒に校門まで出る。僕たちは、校門を出たら左に曲がるけど、彼らは右に曲がる。
「それじゃ、また明日な」「更紗、東条くん、また明日ね」
「またな、尋路、五十嵐さん」「あとでライナーするね、則子。野山くん、お疲れ様」
そう声を掛け合って、別れる。僕と更紗は二人で歩き出し、昨日今日のことを話する。
「なんか、この2日間疲れたと思わない?」
僕がそう言うと、更紗も頷いて、
「なんか、すごく疲れちゃった…瀬戸くんの言動が気になっちゃって…」
疲れた顔をする。
「そうだよなぁ。でも、お昼の話だと何とかなりそうじゃないかな?」
僕は、そうであってほしい憶測を口にするけど、
「そうなると良いね。こっちも様子見ないとね」
ちょっと浮かない顔で更紗は僕を見る。
お互いに、気になることが3年生の最初に出てきてしまってなんだか困る。
でも、とにかく何とか切り抜けていかないとと思う。
「大会前って言うのがイヤなんだよね。でも、練習には集中しないとね」
更紗は更にそう言って、もう一度僕の顔を覗き込む。
「そうだね。頑張ろう。お互いきついなって思ったら、隠さずに言おう。お互いに協力し合って、幸弘や夢衣、尋路や五十嵐さん、みんなの力を借りてさ、克服していこう」
僕は真面目な顔をして、更紗の顔を見る。更紗は、僕の顔を見て、「うん」と頷いてくれた。
そして歩いていると、いつの間にか商店街を過ぎて、更紗の家の前。
「ねぇ、慎吾。ちょっとだけお願いして言い?」
更紗の家の前で、更紗は僕にお願いをしてくる。
「いいよ。なぁに?」
「ギュッてしてほしい。不安な気持ちを、少しでも軽くしたいの」
思わぬお願いだけど、気持ちは分かる。僕も実は少しだけ不安なんだ。ぎゅっとすることで少しでも不安がやわらぐのであれば、勿論してあげたい。
「うん、いいよ」
僕はそう答えて、まずはごく軽く、更紗の腰に両手を回して、身体を引き寄せる。
制汗剤の匂いと更紗の香りが鼻腔をくすぐる。
「大丈夫だよ。きっと、何とかなる。何とかしよう」
僕はそう更紗の耳元で呟いて、左手を更紗の後頭部に添えて、軽く撫でる。
髪の毛を伸ばし始めて約2ヶ月。少しずつ伸びてきた髪に更紗はちょっとくすぐったそうにすることもあるけど、少しずつ変わる雰囲気に僕はもっと伸びたらどうなるのか楽しみになる。
「うん、うん。なんとかなる、なんとかなる。ありがとう、慎吾。勇気が出てきたよ」
おまじないのように「なんとかなる」を繰り返す更紗。もうちょっとこのままでいたい気持ちもあるけど、早く入ってあげないと、中で待って居るであろう綸子ちゃんに悪い。
「それなら良かった。じゃあ、また明日、だね」
「ええ。また明日」
そして、更紗は僕に手を振りながら家に入り、玄関のドアを閉める。
「これは、試練だと思うから。これくらいのことを克服できなかったら、これから先、どうなるか分かったものじゃない。だから、絶対に解決していくんだ、一つ一つ」
僕は、そう強く願う。
よく春日先生が言っていた『一月は行く、二月は逃げる、三月は去る』という時間の感覚って何となく分かる気がする。
私がこの学園に転校してきてもうすぐ半年。そう思うと、無我夢中で慎吾と駆け抜けた最初の3ヶ月はあっという間だったし、年が明けてお互いにまったりと正月を過ごしたり、大会でお互いに頑張ったりした2月も、思い返せば充実してたけど、本当に逃げるように過ぎていったな。
3月に入ってから少しずつ暖かくなっていって、春休みを迎える頃には、桜のつぼみが大きくなって、いつ咲いてもおかしくないくらいになっていた。
「いよいよ3年生だね」
修了式が終わった帰り道、私は慎吾に話しかける。
「ああ、そうだね。やっぱりクラスは別れることになっちゃったね…」
修了式の日に、新年度のクラス発表が早々とあり、文系と理系でクラスは違うから当たり前なのだけれど、私と慎吾はクラスが分かれることになってしまった。仲良しグループ4人と紗友梨さん、和子さんの6人のクラス分けは、文系には、私と夢衣ちゃんに矢野くん、理系には慎吾と紗友梨さん、和子さん。
紗友梨さんは意外なイメージがあるけど、お母さんのように養護教諭を目指すのであれば医学の知識が必要だから、理系の方がいいし、もっと上のレベル――つまりは医師――を目指したくなったら医学部の受験もあり得るらしく、それなら絶対に理系でないといけないのだそう。和子さんは、恐竜が好きというのもあって、地学を学びたいと言うことで、理系なんだって。幸いにも、来年度にここの公立大学に恐竜学部ができると言うことを聞いて、和子さんは「もうここしか考えられない!」と鼻息を荒くしていたのが印象的だった。
でも――
「寂しいなぁ」
私は思いっきりため息に近い息づかいでそう言う。
「僕だって、寂しいよ…幸弘に夢衣だって更紗と同じクラスだからさ、尚のことだよ」
慎吾が私以上に深刻な声でそう言うものだから、
「あ…ごめん。そうだよね…」
思わず謝ってしまう。
「ううん、ゴメン、僕の方こそそんな言い方をしちゃいけなかった。でも、クラスが分かれたと言ってもさ、教室は隣り合っているんだし、それこそお昼や部活の時間は一緒にいられるんだから、それを励みにしていこうよ」
「そうね。その時間を楽しみにしようね」
慎吾の大人な考え方に、私も同意する。
だって、私や他人が理系を選ぶか文系を選ぶかは、それぞれの意思であって、慎吾の意思とは関係ないのだ。確かに、慎吾と一緒なクラスで高校最後の1年を過ごすことができたら、どれだけ素敵なことなのだろうと思う。でも、そうすることで私自身の進路が狭まったり、ここの大学部じゃない、他の行きたい大学ができたとしても、履修科目の関係で行けなくなったとなったら私が後悔してしまう。だから、慎吾は私の意思を十分に汲んでくれた。そんな慎吾に感謝しているんだ。
「3年生か。受験があるけど、楽しく過ごしたいね」
私がそう言うと、慎吾も笑って、
「ああ、もちろんだよ。いい一年にしよう。この半年、ものすごく楽しかったのは、更紗のおかげだし、更紗がここに来てくれたから、僕は本当に自信を持って更紗の隣にいられるから」
そう言ってくれる。
「ありがとう、慎吾。私も、この半年でこんなに変わるとは思わなかった。あなたが一途に私のことを想っていてくれて、嘘のない態度で私と接してくれているから、あなたのことがとても信用できたし、好きになれた。人を好きになることがなかった私に、その感情を教えてくれた人を、絶対に裏切りたくない」
私は真剣な目でそう言って慎吾を見る。慎吾は、私の目を真っ直ぐ見つめる。
「更紗にそんなに強く思ってくれる僕は、果報者だよ。ありがとう。ねぇ、公園のベンチでもう少し話をしようよ。もう少し、更紗と一緒にいたい」
そう言ってくれる慎吾は少しふっと力が抜けたようで、その穏やかな顔に私はドキッとする。おそらく、顔が赤くなってしまっただろうけど、
「いいわよ。行きましょ」
と言って、いつも別れる商店街の交差点から程ない場所にある公園に入る。私と慎吾がそれぞれ告白をした思い出の公園だ。
明日から春休み。授業はないけれども、午前中は部活があるから、日曜日以外は毎日一緒に同じ時を過ごすことができる。
…私も変わったな。前にいた学校では友達と一緒にワイワイできるなんて考えられなかったし、況してや好きな人ができるなんて思わなかった。それは、ここに定住すると決めてくれたお父さんのおかげだ。だから、私は明るく振る舞うことができる。
公園のベンチに私たちは座る。私たち以外には、ブランコで小学校低学年と思われる子どもたちが4人ほど交代でブランコを揺らし、また、砂場では幼稚園くらいの年の子が、お母さんと砂遊びに夢中になっている。
そんな澄み渡る青空の下で、お互いに寄り添って春休みの予定の話をしていた。
「春休みに家族でどこか行ったりする?」
私がそう聞くと、慎吾は首を横に振る。
「う~ん、ないなぁ。晴兄ももうすぐ結婚するし、伊緒姉は相変わらずバイトの毎日。家族揃ってどこかへお出かけっていう年でもないから、家族旅行はしないね」
「そっか、そうだよね」
「そういう更紗はどうなの?何か予定ある?」
私も首を横に振って、
「私もないんだぁ。一応、綸子と新学期に向けて文房具とか新しくしたいのがいくつかあるから、買い物に行こうよっていう話はしてるけどね」
と言う。すると慎吾は、
「それ、僕も一緒に行っていい?ついでにさ、久しぶりにジグソーパズル一緒にしようよ。最近、綸子ちゃんと話できていないし、久しぶりにちょっと喋りたいかなって」
と提案してくれた。そう、前にジグソーパズルを作ったのは、もう4ヶ月も前。私の家で初めて私の部屋を見てもらった日に買ってきたパズルをその次の連休で一気に作って以来だ。
慎吾の提案に綸子の心配もしてくれているから、私はつい嬉しくなって、
「あ、いいわね。久しぶりにしようよ」
と返した。慎吾も勿論、「OK。ありがとう、楽しみにしてる」と笑顔で返事をしてくれた。
「今回は、私に選ばせてくれるかな?折角だから、綸子も混ぜて作って、リビングにでも飾れるといいかなって」
「ああ、なるほどね。それ、いいと思う。いいアクセントになるものを選んだ方がいいね」
「そうねぇ。有名画家のえっと、クリス…なんとかって人のイラストとかかなって」
「うん、あのきれいな夜空や海を描く人のだね。上品でいいと思うよ。一緒に作ろう」
「ええ。ありがとう、慎吾。会うのは部活ばかりというのもなんだしね。部活の後の楽しみにもできるし」
私が笑顔で言うと、慎吾はフッと笑って、
「もちろん、デートも普通に行くでしょ?」
なんて言うものだから、私も更に笑顔になって、
「うん、行く行く!でも、どこへ?」
と慎吾に聞く。すると慎吾は、
「ゲーセンでいつもの音ゲーをするのと、あとはね、定番の水族館に行きたいんだけど、どう?」
そう言えば、高校にしては珍しく、水族館の割引チケットが配布されていたっけ。それを慎吾も見たんだろうな。だから私は、
「うん、いいよ。でも、どうやって行くの?いつも晴城お兄さんに連れて行ってもらうのは気が引けるんだけど…バスで行ってみない?」
そう提案してみると、慎吾は頷いて、
「うん、そう。まさしくそれを提案しようと思ってたんだ。駅前から出ている直通バスに乗れば、1時間で行ける。バス代はそれなりにかかっちゃうけど、ゆったり二人で行きたいなって」
「矢野くんや夢衣ちゃんとは一緒に行かないの?」
「…それも考えたけど、あの二人は二人で計画立ててると思うし、それに、まだ二人で遠出したことなかったから、いい機会かなって」
それもそうだ。慎吾のいうことも一理あるから、
「うん、分かったわ。それじゃ、何日に行く?」
と聞くと、
「31日の日曜日でどうだろう?それまでに、ルートとか考えておくから」
と返事が返ってくる。私は嬉しくなって、
「ええ、楽しみにしてるね!」
と言って、慎吾に抱きついて、頬に軽くキスをする。慎吾は耳まで真っ赤にして、
「おいおい、更紗。小さい子がそこにいるんだよ?たまたま見られなかったから良かったけど、見られていたらからかわれて大変になったかも」
恥ずかしそうに言う慎吾が可愛くて。
「いいじゃない、別に。だって、好きなんだもの」
と、つい言ってしまう。すると慎吾は口元を緩ませて、
「ホントに更紗も好意をストレートに、僕以上に表現してくれていると思うな。ありがとう。さ、そろそろ帰ろうか。家まで送るよ」
「うん、私こそ、ありがとう。慎吾だって、好意をストレートにぶつけてくれるじゃない。だから、私もそうしようって思ったんだよ」
そして、同時にベンチから腰を浮かせて立ち上がると、どちらともなく手を繋いで、公園から出た。
3月31日。年度最終日。高校2年生として最後の1日だけど、そんな感慨は特になく、そんなことよりも更紗と水族館デートをするこの日が待ち遠しかった。
今日のコーデは、白のカッターシャツに黒いジャケット、モスグリーンのチノパン。さぁ、更紗はどんな格好で来るのだろう?
駅の東口で待ち合わせ。こちら側に、水族館行きのバス停がある。反対の西口にも、市内やその近郊を巡るバスが出入りするターミナルがあるけど、遠方は東口という風に役割が決まっている。
待ち合わせは9時だったけど、なんだか早く目が覚めてしまって、8時半には東口に着いてしまっていた。更紗も時間ギリギリではなく少し余裕を持ってくるとは思うけど、いくら何でも早すぎるよなぁと思って、駅内にあるコンビニで少しばかり時間をつぶすことにした。
コンビニでは、微糖の缶コーヒーを買い、ちょっとだけ普段はほとんど読まない週刊漫画を手に取る。ちょっとだけ読んでいると、いつの間にか時計は8時50分を指したので、もう一度東口に出る。
…あ、もう来てしまっていた。
今日の更紗の服装は、黄色のチュニックに白のキュロットスカートにサンダル。そして、意外なことに、白いヘアバンドをしていて、白いハンドバッグを持っていた。
「ゴメン、更紗、待った?」
僕が声をかけると、更紗は笑顔を見せて、
「うん、全然。今来たところ。慎吾こそ、待ってたんじゃない?缶コーヒーなんか持っちゃってさ」
「あ、ばれた?実は、早く目が覚めちゃって、30分も早く着いたから、ちょっとコンビニに寄ってたんだよね」
「やっぱり。そんなにデートが楽しみだったんだ」
更紗は笑顔から悪戯っぽい表情に変えてそう言う。僕は、彼女の言葉を否定するすべはなくて――
「当たり前だよ。それも、定番の水族館でしょ?それは、楽しみじゃないわけない!」
少しばかり声が大きくなってしまい、近くにいた通行人が数人こちらに訝しげな表情で見る。僕はかなり気まずくなって、
「ごめん、浮かれすぎた」
と更紗に謝ると、
「いいよ。だって、私も浮かれてるもの。さ、バス停で待っていようよ」
と、僕の左腕に両手を絡ませて歩き出す。その腕には、とても柔らかいものが当たってしまい、意識してしまう。
「更紗、当たってるって」
「ん?ええ、分かってるわよ。嬉しくない?」
いやいや、嬉しすぎてドキドキが止まらなくなるんですけど!?
悪戯顔を相変わらず浮かべる更紗に、僕は思わず、
「嬉しいけど、恥ずかしいというか、興奮しちゃうと言うか…うん、正直言うとある意味危険だよ」
と言うと、更紗は
「そっか、そうだね。じゃ、またお預けね」
と言って、腕を離してその代わりに手を繋ぐ。これなら、もう既に慣れている。勿論、ある程度ドキドキはするんだけど、胸が腕に当たるほどではない。
「ああ、この方が落ち着くな」
僕がそう言うと、更紗もうんうんと頷く。
「実は私もなんだよね。慣れって言うのかな?」
「そうかも」
お互いに笑みを浮かべてちょっと見つめ合っていると、バスがやってきた。
「それじゃ、乗ろう」「ええ」
更紗を先にバスに乗せて、僕が続く。
そして、一応前もってネットで調べてはおいたのだけど、終点の水族館まで乗っていくと、
乗車賃として1250円かかる。往復で2500円は痛いけど、仕方ない。
「そう言えば、この街に来てからバスに乗るのは初めてよ。ちょっと楽しみ」
「更紗って、乗り物酔いはしないの?それと、車窓から見える街並みとか風景を見るのも好きとか?」
そう言えばと思って僕が聞くと、更紗は頷いて、
「ええ、乗り物酔いはしないよ。それに、窓側から外の景色を見るのも好き。だから、慎吾が先に乗せてくれたのから窓側に座れたし」
「そうだね。それはそれで良かった。僕もバスは久しぶりだし、通る道もどんなだったか覚えてないから、一緒に風景を見ながら行こうよ」
「ええ」
そして、バスは発車する。一路北へ向かい、国道をひた走る。
少し場から街の中心から外れると、両側には田んぼが見えてくる。
「少し走るともう田園地帯なんだね」
「ちょっと田舎だからかな」
僕は少しばかり自嘲気味に言う。
「でも、いいじゃない。こんな風景、私は好きだよ。のどかで、日常の忙しさをじっくりと癒やしてくれるから」
更紗の台詞がやけに大人すぎて。
「更紗、大人だね、そんなこと言うの」
と思わず言ってしまうから、更紗は
「ぶー、それって婆くさいってこと?」
ととても不満げ。
「そんなことまでは言ってないよ。本当に、大人な女性で格好いいって思ってる」
「それは、お世辞でも嬉しいかな」
更紗はちょっと苦笑いを浮かべる。
のどかな田園地帯を走るバスの揺れに、僕は少しずつ睡魔に襲われてきていた。朝早く目が覚めてしまったのも原因かなぁ…。
気がつくと、目を閉じてこっくり、こっくりしてしまう。そんな僕を更紗は咎めることもせず「いいよ、寝てて」と僕の頭を自分の肩に置く仕草をする。そんな彼女に僕は甘える。
更紗…ありがと…う…。
「…ご、しんご、起きて。もうすぐ終点だよ」
更紗の声が聞こえる。もうすぐ終点…?
目を覚ますと、見えてくる風景はさっきまでの田園とは打って変わって、海が見える。ああ、もうそんなところまで来ていたんだ。
「あ、ゴメンね更紗。結構寝ちゃったね」
「うん、慎吾の寝顔、可愛いからずっと見てられたよ」
更紗の言葉に僕はぼんっと顔を赤くする。
「はっずかし…」
思わず呟いてしまうけど、更紗は首を横に振って、スマホを取りだしシュッシュッと文字を入力して、「終わり」と言わんばかりにタップすると、僕のスマホが鳴動した。
『恥ずかしくないよ。だって、安心しきった顔で寝てるからそれだけ私のことを信頼してくれているんだよね。さすがに、他のお客さんもいる中でこんな事を言うのは恥ずかしかったから、ライナーで話してみました(てへぺろなスタンプ)』
そんな風に更紗はライナーで僕に話しかけてくれた。
僕は、うん、と頷くと更紗の頭を撫でる。
「えへへ…」
更紗は嬉しそうに笑みを浮かべた。
『次は、終点。松林水族館』
バスからそうアナウンスが流れ、誰かが「次、止まります」のブザーを押した。
少しばかりバスは走り続け、水族館の入り口目の前にあるバス停で止まる。
「ありがとうございました」
僕たちは運転手にそう告げ、僕はICカード、更紗は現金で運賃を支払ってバスを降りる。
「慎吾って、結構デジタル民だよね」
更紗は僕の支払いの大部分がスマホのバーコード決済だったり、今のようにICカード決済なのを見てそう言う。
「ああ、だいたいそうだね。でも、現金もちゃんと持ち歩いているから大丈夫だよ」
「そうなんだね。まぁ、私も今年に入ってからバーコード決済は始めたからその便利さは実感してるよ」
「楽だよね。残高を気にしないでおけば、もっと気楽なんだけど」
「でも、お小遣いの範囲でやりなさいって言われている以上は仕方ないと思うけど?」
「ま、そうなんだけど。そういう意味では、早く大人になりたいなとは思うよ」
ちょっと実感込めてそう言うと、更紗は、
「まぁでも、自由にお金を使うなら、アルバイトもしないとね」
と言うから、
「そうだね。このまま大学部に上がったら、一緒に同じところでアルバイトしようか?」
と提案すると、更紗も
「うん、いいよ。職種によるとは思うけど、一緒にできるといいね」
と言って背伸びをする。
「う~ん、磯の香をすごく感じる~海の側だよね!」
大きく息を吸って、大きな胸を反らす更紗を思わず見てしまい、ドキッとする。
「…どうしたの?」
僕がちょっと固まっていたのだろう、更紗は不思議そうに僕の顔を見る。
「いや、何でもないよ。さ、入ろうか」
ドキッとしたことを誤魔化して僕は更紗を入場口に促す。
「ええ、行きましょ」
入場口で入館料を支払い、並んで入る。少し行くと、お土産コーナーがあるけど、
「ここは最後でいいよね?今買っちゃうと荷物になるだけだし」
と、二人で頷いてコーナーをスルーし、いざ館内へ。
まずは、クラゲが沢山泳いでいるコーナーを回る。
「クラゲって、海水浴に行って刺される嫌なイメージがあるんだけど、こうやって水槽で見ていると、なんか癒やされる気がするなぁ。更紗はどう?」
ゆったりと水槽の中を漂うように泳ぐクラゲの姿は、身体が透明ということもあってかとても涼しげで、見ているだけで時間があっという間に過ぎてしまうように感じた。
「うん、私もそう思うかな。確かに、見ていて涼しげだもんね。今は春だけど、今日は初夏の気温まで上がるって話だから、余計にそう感じるのかもしれないね」
更紗の言葉に僕は納得する。
「そうか、そうだ。納得。それに、ゆったり泳ぐ姿が何ともいいよね」
「うん、見ていて飽きないと思わない?」
「そうなんだよなぁ」
思ったよりも長くクラゲを見ていたせいか、ふと時計を見ると時間はもう10時15分を回っていた。あ、やばい。プランが間に合わなくなる。
「更紗、ごめん。外に出て、イルカショーを見に行こうよ」
「あ、そう言えば10時20分からだったっけ?」
更紗もネットで予習をしてきたのだろうか、示し合わせたわけじゃないけど分かっていたから嬉しかった。
「そうそう。ちょっと急ごう!」
僕たちは少し早歩きで人が多くなってきたイルカショーの会場へ続く通路を歩いて行く。程なく、会場に着いたけど、もう人混みでいっぱいだ。二人分が座れるスペースは、辛うじてあるけど、もう後方しかなかった。
「後ろだけど、いい?」
「ええ。前の方で見たい気持ちもあるけど、水かぶったらちょっとね…」
更紗が言葉を濁す。
多分、服が服だけに、透けるんだろうなと思うけど、あえて口には出さずに、
「でも、高いところから見た方が、全体像が分かっていいかもね」
「あ、そうかも。イルカが泳ぐ様がよく見えるもんね」
そう、実際ショーの前のウォーミングアップといった感じでいるかがプール内を泳いでいるけど、どこを泳いでいるか、すぐに把握できるから、中央の一番上はいいかもしれない。
「あ、始まるみたいね」
更紗がそう言ってイルカショーのプールを見ると、ちょうどお兄さんが喋り始めた。
「みなさん、ようこそ~」
そして、イルカの名前や、雄と雌の見分け方などを簡単に紹介してくれたあと、早速イルカを泳がせ、ジャンプさせる。
だっぱ~ん!
というイルカの着水時の音に少し驚きつつも、更紗は笑顔だ。
「次は、ジャンプです。3mの高さにくす玉を設置しています。さぁ、ケンケンは跳べるのか!?みなさん、応援してください!」
お兄さんの呼びかけに、子どもたちを中心に「ケンケン、頑張れ~」という黄色い声援が飛ぶ。すると、ケンケンは狙い過たず、高く飛び上がって、くす玉を見事に割った。
これには、僕も更紗も拍手。
そして、イルカショーが終わると、僕たちはその会場をあとにする。
「いや、すごいね、イルカって」「そうねぇ、それにすごく賢いし。可愛いし」
感想を言い合いながらも、次のことを気にして、更紗は僕に質問してくる。
「次はどうするの?」
というわけで、僕は昨日一昨日調べた松林水族館の次のアトラクションを思い出す。
「あ、ペンギンの行進かな。もう10分くらいで始まるから、行ってみない?」
「あ、うん。行こうよ」
僕は更紗の手を取って、ちょっとした広場に向かう。そこには、小さい子を連れた保護者の集団が数組先に場所を取っていた。
「ゴメン更紗、ちょっとトイレ行ってきていい?」
ちょうどすぐ側にトイレがあるので、更紗に断りを入れて、トイレに行こうとする。
「うん、分かった。早く戻ってきてね」
勿論、早く戻ってくるつもりだけど、元々少し混み合っているので、いつもより時間がかかってしまう。
トイレから出て、更紗の姿を探すと、更紗の目の前に男が2人。彼女に話しかけているようだった。
「だから、私は彼氏を待っているんです。あなたたちと付き合うつもりはありません」
更紗の綺麗な声は、少し怒気を含んでいる。
「彼氏どこにいるんだよ?付き合いたくないだけの嘘じゃないの?」
まだ春だというのにど派手な赤いアロハシャツを着た、ロン毛の茶髪がそう言って訝しむ。
「大丈夫だよ、ここにいる間だけでいいからさ、遊ぼうぜ」
もう一人の、短髪で青いポロシャツを着た片割れが更紗の右腕を掴もうとするけど、それを察知した更紗は俊敏に軽く後ろへとステップを踏む。ステップを踏んだ先はトイレの目の前、ちょうど僕が出てきたところから2歩先に、更紗はいる。割り込むなら、今だ。
しつこそうな二人組に、怒りというよりも呆れが先だった僕は、「更紗」と言いながら、更紗を僕の左腕で巻き取るように抱き寄せる。
「僕の彼女に、何か用ですか?ナンパならお断りですよ」
僕は二人組に対してタンカを切る。「慎吾、お帰り」って更紗は安心したように言う。
僕は二人をにらみつけると、「な、なんだ。マジでいたのかよ」僕の登場に、ビビる短髪に対して、もう一人の長髪は、「なんだよお前。先に目を付けたのは俺だって言うの」なんて言いながら、僕を掴もうと腕を出してくる。僕は(遅い)と思いながら、その腕を逆に掴んで、少しずつ力をかける。
「う、イテ…」
思いの外痛かったのだろう。腕を掴まれたロン毛は、
「くっそ、何だよコイツ…おい、行こうぜ」
と敗北宣言を出しながら、二人組は僕たちの目の前から去って行った。
「ホント、こんな所まで来てナンパはないと思う。そう思わない?」
更紗の言葉に僕は頷いて、
「マジで勘弁だよ。特に今日の更紗の格好は破壊力抜群だから、気をつけないとね」
「?わたし、そんな際どい格好かな?」
「いや、際どくはないけど、白いヘアバンドにスカート、そして黄色のチュニックがイイ感じでワンポイント入ってるから、人目を特に惹いていたんじゃないかな」
すると更紗は右手で目を覆う。
「そうなのね…次からは気をつけて、目立つ服着ない方がいいかもね」
更紗はそう言うけど、僕としては可愛い服や格好いい服、色んな更紗を見たいわけで。
「僕はそうは思わないよ。今日の服だって、すごく似合ってて可愛いし、そんな更紗が隣にいてくれるのはとても嬉しいんだよ」
僕はそう言うと更紗は顔を赤くして、
「慎吾に可愛いと言ってもらえて、私も嬉しいんだよ。滅多に着ない服を褒めてもらえるの、気持ちいいんだね」
と言う。
「ああ、そうだと思うよ。さ、ペンギンがもうすぐやってくるんじゃない?」
と言っているうちに、アナウンスが流れ、ペンギンが歩いてくる様が遠くから見えてくる。
「じゃ、私はスマホで撮るね」
更紗は、その可愛いペンギンたちの歩く様子を、スマホで撮影する。
周りの子どもたちからも、「かわいい」とか、「たくさんのペンギンがぺたぺたと歩いてくる~」なんて歓声が上がる。
灰色の毛並みをしたペンギンたちは、春の陽気の中を歩いてくるけど、暑くないのかな?大丈夫なのかな?って思うけど、僕たちよりもこの子たちについて詳しい水族館の人たちが判断したことなのだから、大丈夫なのだろう。
そして、ゴール地点に来ると、飼育員の一人が、バケツから死んだ小魚を取り出して、ペンギン一羽一羽にえさをあげる。
くちばしを器用に操って、横の状態で口にした魚を、一気に飲み込む。その様子まで、更紗は動画に撮っていた。
「可愛いねぇ。これ、明日以降に夢衣ちゃんに見せようと思ってるんだ」
更紗は動画を止めてからそう言って、満足そうな笑みを浮かべた。
「それじゃ、お昼まで少し時間があるけど、まだ行っていないところへ行こうか?」
「ええ」
僕が提案すると、更紗は頷いて、僕たちは手を繋いで歩き出す。
スタイル抜群で美人の更紗に、男はもちろんだけど女性からも視線を集めているみたいで、「あの子すごいスタイルいいな~」「こら、何見とれてるのよ…でも、分かるのが悔しい」なんて声も聞こえてくる。
男からの僕への視線が刺すように感じられたけど、まぁ、別にそんなことを気にしても始まらないので、僕は堂々としていることに決めている。そういう所で隙を見せると、さっきのように更紗に声をかけてくる男の人が出てくるだろうから。
僕たちは、亀を見に行ったり、タコやウニを触ったり、ドクターフィッシュに手を食べてもらったりして午前中の残りの時間を過ごす。水族館って、見てもらうための工夫が随所にあって上手に作ってあるから、なかなか飽きがこない。
とは言え、ローカルでは有名でも全国区ではない、小さな水族館は午前中あればすべて見終わってしまう。
僕と更紗は水族館内のレストランに入って、それぞれ昼食を食べる。
更紗は醤油カツ丼セット、僕はラーメンセット。
カツ丼ははじめからカットしてあった。更紗は一口食べて、醤油がしみこんだカツに、「あ、これ美味しい~」と笑顔を見せてくれる。
「このカツ丼は、初めて?」
僕が聞くと、更紗は頷いて、「そう。カツ丼って言うと、卵とじなのが当たり前だったから、醤油カツって、新鮮!こんなに美味しいんだね!」
と、ちょっと感動して言ってくれる。地元独特の味を肯定してくれるのはとても嬉しいことで、僕もつい顔がほころぶ。
「うん、なかなか美味しいでしょ!僕も好きなんだよ」
「それじゃ、慎吾一口食べる?」
そういう更紗に僕は、「え?いいの?」とちょっと喜びの声を上げる。
「うん!私にはちょっとカツ2枚分は多いから、少しあげるね。はい、あ~ん」
更紗は意識してるのかしてないのか、カツを箸でつまんで僕の目の前に運んでくる。僕は一瞬止まるけど、「あ~ん」と口を開ける。
「はいぱくっ!」
更紗は僕の口めがけてカツを運び入れてくれた。
「もぐもぐ…ん、おいひぃ」
やっぱりこの味だよなぁと思いながらも、更紗の「あ~ん」にすごく恥ずかしい想いもしてるわけで、顔が真っ赤になる。
「あと、2切れあげるね。ラーメンに入れていい?」「うん、いいよ」
と言って、更紗は僕のラーメンにカツを入れる。ラーメンも昔ながらの醤油味なので、特に問題はないからね。
「このあとはどうしようか?一通り見て回っちゃったけど」
僕は更紗に相談する。
「お土産を見たら、帰ろうか?で、商店街のゲームセンターで音ゲーして、綸子を呼んでジグソーパズル買って帰ろうよ」
「おお、それはいいアイディアだね。うん、それでいこう」
あっさり午後の目標が決まると、僕たちは一気にご飯をかき込んで、お土産コーナーへ。
そこでは、それぞれ家のために水族館オリジナルクッキーを買ったり、夢衣と幸弘にそれぞれがキーホルダーを買ったりして、ちょっと散財する。
「うん、これだけ買えば大丈夫だね。さ、慎吾、帰ろうか」
僕は更紗に促されて、水族館から出ようとするけど、
「ちょっと待って。バスの時間を見よう。出てから1時間もあったら大変だから、出る前に見てからね」「ん、そうだね」
僕はスマホでバスの時間をチェックする。すると、ちょっとだけ待つが、15分後にバスは来るようだった。
「15分後かぁ…。微妙だね。もう出ちゃおっか?」
更紗はそう提案する。
「まぁ、そうだねぇ。その方がいいね。んで、自販機でジュース買っておこうか」
「OK」
水族館を出る。春だというのに夏波の日光が眩しく、暑い。水分補給をしようと、建物の目の前にある自販機でそれぞれ僕が微糖コーヒー、更紗は桃味のミネラルウォーターを買った。
「それ、美味しい?」
僕は自分からはほぼ飲まないミネラルウォーターを見て、更紗に聞いた。
「そうだね、そこそこ美味しいかな?飲んでみる?」
更紗はペットボトルのキャップを開けると、僕に差し出してくる。
(ん?このままだと間接キス!?)
と一瞬思ったんだけど、まぁ、キスはもうしちゃっているから今更な感じもしたので、ただ、あまり口をつけすぎないようにして少しだけもらう。確かに、桃の風味が口の中に広がるけど、ただ甘いだけではなかった。
「なるほどね。確かに、しつこくはないから飲みやすいよね」
僕は更紗にペットボトルを返してそう伝えると、
「でしょ?さすが慎吾、間接キスになるのに堂々としてるね」
なんて言うものだから、「今更だろ?それくらいは意識はするけどキスはもう3ヶ月前に経験済みなんだから、今更、問題ないよ」と照れ隠しで言ってみる。
「ふ~ん、そういうことにしておきましょう」
ま、確かに動揺は少ししたから、更紗のそのリアクションは納得する。
僕はその照れを払拭するために、自分で買ったコーヒーを開けて、一気に飲み干す。
「秒だね」「量が量だからね」
なんてやりとりをしている家に、帰りのバスがやってきた。
行く時と同じように更紗を窓際に誘導しようと思ったけど、更紗は、
「ううん。私は行くバスで堪能したから、今度は慎吾が窓際に乗ってもらっていいよ」
と言ってくれたから、
「そう?ありがとう」
と言って、僕が窓際に座る。
そして、バスが出発して僕は外の景色と更紗を交互に見て話をしているうちに、乗ってから20分位してからだろうか、ふっと窓の外へ視線を外すと、左肩に何かが乗る感触がした。
「更紗?」
僕がもう一度更紗に視線を向けると、行きとは逆に、更紗が僕の肩を枕にして眠ってしまっていた。
「ん~」
と唸って少し僕の肩に頬ずりする更紗。ん?ちょっと違和感を感じる。嘘寝かなぁ?
「更紗、もしかして起きてる?」
僕は小さい声で問いかけると、更紗はちょっと口元をほころばせるものの、目は閉じたままでいる。
…ちょっとからかわれてるかな?
う~ん、どうしよう?ちょっと悩む。
疲れていることは間違いないだろうし、逆に何もしなかったら本当に寝るのではないかとも思うのだけど…。
ちょっと様子を見よう。
僕は、分かっていてあえて窓の外へ視線を移した。
海岸線を通るバスは、南へと進路をとる。右側の席に座っている僕からは、ちょうど海が見えた。
海は、太陽の光をキラキラと反射して、とても綺麗だった。
「綺麗だね」
誰に言うわけでもないけど、つい口に出してしまう。すると更紗が、
「ん~?何が綺麗なのかな?」
と起きてきてしまった。僕は素直に、「外の景色が綺麗だよ」と言うと、「うん、見てみる」と言って、僕の肩から頭を外し、身を少し乗り出して窓の外を見る。
「ん!確かに綺麗だね!太陽がキラキラ反射してるのがいい」
「だよね」
僕は同意して更紗の顔を見る。
「でも、私が嘘寝しているの、分かってたよね?」
いきなり話題を変える更紗。僕はちょっと鼓動が跳ね上がる。
「うん、そうじゃないかと思ってた。僕の肩、気持ちよかった?ゴツゴツしてたでしょ?」
僕はなるべく平静を装って言う。
「うん、そうだね、余計な肉がない、筋肉って感じ。細マッチョだよね」
「…いつの言葉かな?まぁ、でも、褒めてくれているから悪い気は全然しないよ」
僕は思わず言ってしまう。
「え?もうこの言葉死語なの?…まあいいわ。ちょっと眠かったけど、目が覚めちゃった。ちょっと、お話ししようよ」
「ああ、いいよ」
そして、僕と更紗はさっき見た水族館の動物たちの話に盛り上がる。
ペンギン、イルカ、クラゲ、ドクターフィッシュ…。
一つ一つが、楽しい時間であり、更紗と一緒に過ごした大切な思い出だ。
そして、話が尽きないまま、駅の東口へと戻ってきた僕たちは、一路いつもの城西商店街へ向かった。
商店街に着いた私たちは、ゲームセンターで軽く音ゲーをする。慎吾に教えてもらったこのゲーム、やたら難しいのだけれども、前にクリアできなかった曲がクリアできるようになると、達成感を感じて(もっと難しいのを!)と思っちゃうからある意味沼に填まりそうだ。でも、綸子も呼んでいるからそこそこにして、綸子が合流するのを待って以前ジグソーパズルを買ったおもちゃ屋へ向かい、綸子とも話をして、CGのような美麗なクリスチアーノ・ラッセル(この前は名前をど忘れしていたけど、綸子に教えてもらった)のイラストのパズル、1000ピースと額を買って、私の家に戻った。
この時点で15時くらいだったのだけど、3人でおやつと称してドーナツを食べ、パズルに熱中していたら、18時を回ってしまっていた。
空はずいぶん暗くなって、楽しい1日の終わりを告げていた。
「早いねぇ。慎吾、そろそろ帰らなくちゃいけないんじゃない?」
慎吾は残念そうな顔をする。
「そうなんだよね。19時までには帰ると言ってきたのもあるし、更紗と綸子ちゃんも、夕飯作らなくちゃいけないんじゃない?」
その言葉に綸子は、
「大丈夫なんです。今日はお父さんの帰りを待って、外食に行くので。回転寿司でも行こうかって話だったんです」
と言う。私も、
「そうなの。言わなくてごめんなさい」
と、謝ると慎吾は、
「ううん、別にいいよ。外食いいよね、たまには」
と努めて明るい表情で言う。
「それじゃ、僕はお暇するよ。また明日、部活でだね、更紗」
「ええ。明日も頑張りましょうね」
「うん、強化大会までいよいよあと3週間だからね。お互い頑張ろうよ」
そう言いながら慎吾は、玄関に出て靴を履く。
そして、「じゃ」と玄関のドアを開けようとした時――
玄関の鍵が解錠されるガチャという音と、扉が開く音が聞こえた。
「ただいま」
お父さんが帰ってきたのだ。
すぐ側に居た慎吾に気づくと、「おお、東条くんいらっしゃい」と言うので、慎吾は「お邪魔してます」といって、お父さんと体勢を入れ替えて、ドアへ向かおうとした。そこへお父さんは、
「晩ご飯はどうするんだい?」
と慎吾に言う。
彼は「そろそろお暇しようと思っていましたから、家に帰って食べるつもりです」と正直に答える。
するとお父さんは、「じゃあ、4人で回転寿司にでも行こうか?」なんて提案をする。お父さん、ナイス!
「それは、さすがに申し訳ないですよ」と慎吾は一旦断ったけど、「慎吾も来てくれると、いつもよりもっと楽しいと思う」と私が言うと、綸子も負けじと、「東条さんも来てください。そんなに頻繁に会えないから、もっとお話ししたいです」と言うものだから、慎吾は私たちの言葉に折れる。
「分かりました。今から家族…と言うか、母さんにライナーを送るので、その反応を見てからで良いですか?」
と慎吾はお父さんに言う。お父さんは、「もちろんだよ」と言って、慎吾を促す。
その間に私たちは、
「あ、お父さんお帰り。早かったね」
「うん、今日は休日だろ?思いの外仕事が少なくてね、終わったから速攻で帰ってきたんだ」
「「なるほど」」
と親子の会話をする。そして、慎吾は家族ライナーに「晩ご飯、更紗の家族と一緒に食べに行って良い?お誘い下さったので」と告げたみたい。5分ほど、リビングに再び慎吾に上がってもらって話をしながら待っていたら、慎吾のお母さんから「許可」のスタンプをいただいたので、
「じゃあ、申し訳ありませんが、ご一緒させて下さい」
と慎吾が話すと、私と綸子は嬉しくなって、「いえ~い!」とハイタッチ。
「ありがとう、お母さん」「ありがとうございます、と伝えてください」と私たちは慎吾にお母さんへライナーを送るように促したけど…。私はハッとして、
「あ、いいよ、お母さんへは私からライナーするね」
そう、4ヶ月前にお母さんとはライナーで「友だち」になっていたから、『お母さん、すみません、ありがとうございます。21時までにはお父さんに送り届けてもらいます』とメッセージを送る。すると、お母さんからは、「慎ちゃんをよろしくね」とメッセージが入ってきて、そのあと秒で慎吾には『全く、ボンクラなんだから、そうならそうと早く言いなさい』と人気キャラが喋っているスタンプが届いた。「…慎吾、ボンクラじゃないよね?」と私が言うと、「当然だろ?」と慎吾は頬を膨らませて苦笑い。
そして、私たちは車で少し離れた国道沿いにある回転寿司店へと繰り出した。
そこでは、やっぱり男の子、慎吾は一人で18皿くらい食べてたっけ。私も食べたけど10皿程度、綸子は7皿、お父さんは12皿くらい。
「すみません。調子に乗って食べてしまって」
って慎吾は言っていたけど、「ううん。全然。満足してもらったようで何よりだよ」とお父さんが言うものだから、慎吾はなお恐縮していた。
そして、慎吾を家まで送っていって、玄関先で遅くなったことをお母さんに詫び、綸子と並んで慎吾にバイバイと手を振って、楽しい一日は、終わりを告げた。
春休みはそのあとも淡々と過ぎていってしまい、4月8日。いよいよ新学期が始まる。
私たちは3年生となり、受験生。でも、私も慎吾も、今のところはこのまま臨魁学園の大学部に上がる予定でいるから、受験生というプレッシャーも大きくはないかな。でも、あまりにも成績が悪いと入試時に色々都合が悪いようだから、今の成績は最低限維持しなくてはいけないよね。
2ヶ月後には春季総体(インターハイ予選)があって、ここで私たちの高校生としての部活は引退となるだろうから、そのあとは慎吾は勿論、夢衣ちゃんに矢野くん、場合によっては和子さんや紗友梨さんも呼んで、勉強会をしていこうと慎吾と話をしていた。
「でもその前に、来週末の強化大会だよ」
とは慎吾の言葉で、確かに、来週末、4月の20,21日の土日は強化大会だ。ここで、春季総体のシードを決めるみたいだけど、私たちもできる限り勝って、勢いをつけたいところだね。
そんなことを話ながら、私と慎吾は学園に向かう。
慎吾は私ときちんと歩いて行きたいからと、雪が解けきってからは自転車通学をやめて、一緒に徒歩通学になっている。去年の12月までは自転車を引いて歩いていたけど、「更紗と一緒に歩くのに、自転車が邪魔だから」って言っていた。
臨魁学園の校門をくぐり、生徒玄関へ向かう。今日は午前中に入学式、始業式、親任式の予定だ。登校時間は新入生も、在校生も同じだから、基本的に新入生と在校生の見分けは、保護者と一緒かどうかがほぼすべてな気がする。勿論、例外はあるのだろうけど。
そして、生徒玄関の目の前に着くと、そこは新入生のクラス分け掲示板で新入生を中心にごった返していた。私たちはその集団をよけようとちょっと集団から離れようとしたんだけど、後ろから慌てるような足音がして、「きゃぁ」と小さな悲鳴がしたと同時に――
ドスッ!「きゃっ!」
衝撃は、私ではなく、隣にいた慎吾だ。悲鳴も勿論私じゃなくて。
「あたたた…」
そう言って腰を撫でながら、慎吾は後ろを振り向く。後ろからタックルを食らったような感じみたい。私も、慎吾と同じ方向に視線を向ける。そこにいたのは、茶髪でサイドツインテールをした可愛いけど、ちょっと目元がきつめな感じの女の子だった。
「あ、大丈夫?」
慎吾は落ち着き払った声でそう女の子に声をかける。女の子はその声に反応して、慎吾の顔を見ると、可愛い顔が一気に朱に散った。
「あ、はい。大丈夫です。すみません、急いでいたらつまずいてしまいました」
ちょっと恥ずかしそうに話すその声は、少し高くて、顔に似て可愛らしかった。
「立てる?」
慎吾は紳士のように、女の子に手を差し出す。彼女は右手で彼の右手を掴み、立ち上がった。その顔は、赤いままだ。立ってみると、身長は私とほぼ同じくらい。スレンダーで足も細い。スタイルが良い女の子だ。
「何度もすみません。ありがとうございました」
「気をつけてね。君、新入生?」
慎吾はそう女の子に聞く。
「あ、はい。清藤中学から来た、佐々風香と言います。先輩は2年生ですか?」
その質問には、私が遮って応えた。なんか、これ以上喋ってほしくないと直感したんだ。
「いいえ、違うわ。私たちは3年生。東条慎吾と、大原更紗よ。よろしくね」
いきなり慎吾との会話を遮られたのが気に食わなかったのか、風香さんの眉間に少し皺が寄ったのを、私は見逃さなかった。
「よろしくお願いします。東条先輩、大原先輩。お二人は付き合っているんですか?」
「よろしくね。そう、付き合ってるの。すごく気が合うんだ」「よろしく。付き合い始めてもうすぐ半年なんだけどね。それじゃ、クラス分け、ちゃんと見てから教室へ行ってね」
「はい!」
風香さんは慎吾に満面の笑顔を向けて返事をし、クラス分けの掲示板へ向かっていった。
「…いきなり嵐に巻き込まれた気分だったよ」
慎吾がそう言うので私は、
「…同感。でも、ちょっと気をつけてね、あの子、慎吾に好意持ったかも」
と直感を慎吾に告げる。慎吾は驚いて、
「え?そうなの?気がつかなかったよ」
とのんきなことを言うものだから、
「…私の直感なんだけどね。でも、私が話しかけた時の彼女の表情がね、私のことを邪魔に思っているように見えたんだ。もう少し慎吾と話したいって感じだった」
「…よく分かるね」
「だから言ったでしょ?あくまでも直感だって。まぁ、あの子もすぐに忘れてしまうかもしれないけどね」
私は(そんなことないよねえ、多分)と心の中で独りごちる。でも今はそれよりも、教室へ向かう方が先だね。
「それじゃ、教室へ行こうよ。今日からクラス分かれちゃうけど」
慎吾にそう告げると、慎吾は頷いて、
「でも、何度も言うけど教室自体は隣同士だからね。教室まで一緒に行けるのは今まで通りで有り難いよ」
「そうだね」
私たちは隣り合って廊下を歩く。
「お、慎吾に大原。聞いたぞ、クラス分かれたってな。なんで?」
3年アスリートコースの教室の前を通りがかった時、中田くんが声をかけてきた。
「おお、啓一。まぁ、あれだ。教職コースって、文理で分かれるから。更紗が文系で、僕は理系にそれぞれ行くって決めたから、必然的に分かれることになったんだよ」
と、慎吾は中田くんに説明してくれた。いつの間にか、「慎吾」「啓一」と呼び合う仲になっていたんだね。
慎吾の説明に、中田くんは「そうか」と頷いて、
「まぁ、クラスが分かれても、お前たちなら大丈夫だろうな。それと、お前たちや矢野のおかげで、俺も優姫とイイ感じで仲良くしているからな」
と言う。それには私も慎吾も笑顔になって、
「いいじゃない、とっても。と言うか、たまに優ちゃんからライナーが来るから仲良いことは知っているよ」
私はそう言って、中田くんに伝える。
「え?そうなのか?どんな事言っているんだ、優姫は?」
「ううん、悩み事とかそんなのじゃなくて、この前、どこどこへ行ってきたとか、楽しいことの報告がほとんどだよ。ホント、中田くんも良い彼氏になってるなって思う」
中田くんは私の言葉にうん、と頷いて、
「そりゃ、俺も優姫を悲しませたくないと思っているからな。そして、デートは楽しんでもらいたいし、同じ時を過ごすのだから、自分も楽しんでるよ」
「ホント、それは良いと思うよ。啓一もイイ感じになったよな」
慎吾も中田くんを褒める。
「ああ、本当にお前たちには頭が上がらないよ。教室も離れているし、部活も中と外で全然違うから、なかなか会えない。なんか礼をしたいなって、優姫とずっと話をしているんだけど、そんな機会をなかなか作れないところがちょっとじれったくてな」
中田くんはそう言って、苦笑する。
「そんなこと、別に良いのに」
「まぁ、気持ちは有り難く受け取っておくよ。もし、お礼をしてくれるのなら、僕たちが困っている時に助けてくれればありがたいと思ってる」
私の言葉に頷きながら、慎吾は更に続けてくれた。私も慎吾の言葉に「うん、そうだよ、中田くん。その時はよろしくね」と告げる。
「わかった。おっと、そろそろ行かないと時間やばくないか?」
中田くんは私たちの言葉に真剣な表情で頷くと、時計を見て私たちに教室へ向かうように促してくれる。
「お、確かに。それじゃ、啓一、またな」「またね、ありがとう」
「どういたしまして」
私たちはちょっと急いで教職コースの教室へ向かった。
1分ほどで教室に着くけれども、ここで、私と慎吾は別れることになる。
「それじゃ、あとでね」
私は少し寂しいけど、慎吾にそう言って教室に入ろうとする。すると慎吾は、
「ああ、あとでね。幸弘と夢衣によろしく」
「ええ。こちらこそ、紗友梨さん和子さんによろしくね」
「了解」
そして、別々に教室に入る。私は「教職コース文系クラス」、慎吾は「教職コース理系クラス」だ。教室に入ると、矢野くんと夢衣ちゃんが夢衣ちゃんの机で話をしているところで、私の姿に気づくと二人は私を手招きしてくれた。
「よろしくね、二人とも」
私がそう告げると二人とも「こちらこそ、よろしく。慎吾がいないのが寂しいところだけどね」と言ってくれる。私は自分の席――窓側の一番後ろ。私が転校してきた時に、慎吾が座っていたあたり――にカバンを置いて、矢野くんと夢衣ちゃんの会話に加わった。
「いよいよ3年生。頑張っていこう」
私が言うと、二人は笑って、
「そうだね。まぁ、尤も夢衣も大原も、ここの大学部に上がるんだろ?」
矢野くんがそう言うと、私も夢衣ちゃんも頷いて、
「そうね。…って、矢野くんは今の口ぶりだとここの大学部に行かない感じに聞こえるけど?」
「悩んでいるそうです。国立大学の教育学部も魅力的に感じているみたいで、夏のオープンキャンパスで決めるつもりなんですって」
夢衣ちゃんの言葉に私は驚きを隠せずにいた。
「そうなんだ!意外…だね」
この学園に来たら、そのままそのコースの大学部に上がらなくちゃいけないわけじゃなく、他の大学に行くのは自由なんだもの。でも、矢野くんがそう考えているのは意外だった。
「でも、どうして?」
と聞こうと思っていると、チャイムが鳴る。
「あ、それはまた今度で話すわ。ひとまず席に戻ろうぜ」
矢野くんが私を席に戻るように促すから、私は二人に「じゃね」と手を軽く振って席に戻った。私の隣にも机があるのだけど、その主は風邪でお休みなのだろうか?いなかった。
そうこうしているうちに、先生が入ってくる。クラス分けの時は年度が替わる前で異動とかがあるかもしれないからという理由で担任は非公表だった。だから、今日入ってきて初めて担任の先生が分かるのだけど、2年の時のもうひとクラスの担任は南東先生だったから、おそらくそうなのだろうな~と思っていたら、やっぱり南東先生が教室に入ってきた。南東先生は英語の担当だから、文系を持つのはある意味当然だよね。
そして、南東先生の後ろから、女性の先生と、一人の男子生徒が入ってきた。
…転校生?
「おはよう、みんな。今日からこのクラスの担任になった南東だ。よろしく。副担任は、沢田先生、音楽の担当な。そして、もう一人、紹介したい生徒がいる」
そして、南東先生は転校生らしき生徒に目配せをすると、一歩前に出て挨拶をした。
「今日から、この学園の生徒になる瀬戸惣介と言います。趣味はサッカーとパソコンやタブレットでイラストを描くことです。よろしくお願いします」
自己紹介が終わると同時に、パチパチと拍手が起こる。長髪を後ろでまとめて、少し切れ長の目、細いあご、身体の線は少し細めだけど、筋肉質な感じで、それなりにイケメンなんだろう。クラスの女子生徒が何人か拍手をしながら目配せし合ってるのが見えた。
「で、瀬戸くんの席だが、窓から2列目の一番後ろだ。席に着いてくれ」
「はい」
道理で主がいなかったわけだ。私の隣の席に、転校生が座る。
半年前の自分と、瀬戸くんの様子がかぶるけれども、ただ、それだけだ。
でも、彼の方はそうじゃなかったみたいで、席に着く前に、私の顔を少し見ると、微笑む。
「初めまして。瀬戸って言うんだけど、君の名は?」
「初めまして。私は、大原更紗って言います」
折角挨拶してくれたのに返さないのは失礼だと思い、そう返すと、
「更紗さんか、良い名前だね。それに、めっちゃ美人」
…そういう声かけをいきなりしてくる人は、私は全然タイプではない。それと、さっき目配せし合ってた女子たちからの視線が、何気に痛い。…あの子たちは、去年は別クラスだったから、その辺の友だち関係はよく分かってないなぁ…ちょっと困ったことになりそうだ。だから私は、表情を硬くして、
「それはどうも。でも、私は彼氏がいるので響きませんよ」
とぶっきらぼうに返す。すると、瀬戸くんはちょっと驚いたように、
「…そうなんだ、ざーんねん。でも、狙うのは自由でしょ?」
…なんて言うから、私の眉は更に上を向くけど、そこで、
「さぁ、入学式の時間だから、みんな第2体育館へ行くぞ」
と南東先生の声が教室に響く。私は、反論しないまま彼を無視して教室から出ようとするけど、隣に瀬戸くんが並びかけて話しかけようとしてきた。
…しつこいなぁ。
そう思って、一言言おうかなって思ったら、背の高い男子生徒が私と瀬戸くんの間に割り込んできた。
「おっと、転校生、そこまでにしておけよ。大原はしつこい男は嫌いだよ」
矢野くんだ。隣には、勿論夢衣ちゃんもいる。
「なんだ、お前?お前がこの子の彼氏かよ?」
瀬戸くんは挑発モードで矢野くんに話しかける。
「違うね。親友の彼女に手を出すなって言ってるんだよ。それと、俺は矢野幸弘。よろしくな」
ちょっと怒気を含んだ物言いと、矢野くんの身長は結構なプレッシャーだ。瀬戸くんもさすがに気圧されたのか、
「そうなのか、じゃ、今は引っ込んでおくわ」
と私から離れる。
「矢野くん、ありがと」
私はそうお礼を言うと、夢衣ちゃんも「流石幸弘さん」と矢野くんを称える。
「ああ。なんかやな雰囲気を感じたからさ。慎吾に約束した以上、大原は守っていかないとな」
「うん、ありがとう。あとで慎吾にも報告しておくね」
私はそう言って、廊下に出る。私の両脇を矢野くんと夢衣ちゃんで固めて、なかなか話しかけづらそうな雰囲気にしてもらったから、そのあと瀬戸くんはおとなしくしていたけど、さっき私を睨んでいた女子から話しかけられて、ちょっと嬉しそうに話を始めていた。
…ホント、慎吾とはえらい違う。慎吾は一目惚れだったけど、最初は本当に紳士的に振る舞って、容姿のことや好意を伝えてくることはしなかった。誠実な態度だったから、私も安心できたけど、さすがに瀬戸くんは軽すぎる。きっと、慎吾とは相容れないのだろうと思う。
体育館に出て、整列をする。慎吾のいる理系コースも隣に並ぶ。男女混合の出席順で並ぶと、私は6番目、慎吾は18番目くらいで全然隣にならないから「はぁ」とちょっとため息をつく。そして後ろを見てみると何気に慎吾と和子さんの位置が近く、矢野くんに夢衣ちゃんは更にその後ろなので、一人ぽつんと…と思いながら前を向いたら、隣…と言うか斜め前に紗友梨さんがいることに気づく。
始まるまでまだ少し時間があるから、私は紗友梨さんに話しかけた。
「紗友梨さん、やっほ」
紗友梨さんは私に気づくと微笑む。
「やっほ、更紗さん。どう?文系コースは?」
私はさっきのやりとりをかいつまんで小声で話すと、紗友梨さんも眉間に皺を寄せた。
「…あとで東条くんに知らせておくね。更紗さん、狙われてるよって」
「ごめん、よろしくね」
そして、入学式が始まる。私たちは椅子に座って、新入生が入場してくるのを待つ。
「新入生、入場」の教頭先生の言葉を合図に新入生が入場してきて、椅子に座る。
そして、開会の言葉と国歌斉唱に始まって、校長先生の入学許可と新入生への最初の言葉、PTA会長(本校のPTAは、「魁の会」と言うらしい)の祝辞。生徒会長の挨拶に、新入生代表の挨拶。そして、新入生が私たち2,3年の方を向き、2,3年が起立。校歌を斉唱する。新入生が元の場所に戻り、閉会の言葉で約40分の入学式が終わる。
でも、そのまま始業式が始まる。4月8日は式典だけの日だから、3つの式が終わって教室に戻り、ロングホームのあとは放課後になる。ちなみに、離任式は、3月の終業式の日に一緒に行っていた。
一連の式が全部終わると、私たちは教室へ戻る。体育館から出る時に、私と紗友梨さんで「今なら捕まえられそうだから、伝えた方が良いよね?」と、和子さんとその隣にいた慎吾を捕まえる。
「あ、更紗、久しぶり~」
なんて慎吾はとぼけて言うけど、「ちょっとそれどころじゃないから」と私が真顔で言うと、慎吾も真顔になる。
「何かあった?」
そして、転校生が来て口説かれたことを話すと、慎吾も眉間に皺が寄る。頬も紅潮しているように見えた。
「要注意だな…今日終わったら速攻でそっちに行くよ」
慎吾はそう言って、握り拳を作る。
「うん、よろしく。信じてるから」
私もそう返して、一旦それぞれの教室へ戻る。
ロングホームは、自己紹介のあと学級委員の選出があった。
学級委員は、矢野くんと夢衣ちゃんになった。立候補が出なくて投票になったら、なぜ萱野くんに票が集まり、副委員はその流れで夢衣ちゃんに視線が集まり、彼女も断り切れなかったのだろう。「わかりました」と頷いた。
出会った頃の夢衣ちゃんなら、そんなことも言えずずっと俯いていたのだと思うけど、立場は人を変えるのかな、矢野くんとつきあい始めて、少しずつ対人関係にも自信が出てきたみたいだった。
学級委員の選出が終わったら、南東先生の雑談タイム。
「基本的に、このクラスの8割はそのまま大学部へ上がると思うけど、他の大学のオープンキャンパスも見に行くと良い。それで進路変更をしたって、全然構わないし、むしろ自分の世界を広げるために、あえて他の大学へ行くというのも勿論ありだからな」
なんてことを言われたら、行ってみたくなる。
慎吾も誘ってみよう。
そう思いながら、ロングホームは終わる。
「おい、幸弘。初日からすまないが委員長になったから挨拶を頼む」
そう南東先生に言われて、矢野くんは声をかける。
「きりーつ」
ちょっととぼけた声が教室に響く。
「礼。さようなら」
「さようなら」
今日はもう放課になるから、そう挨拶をする。
私は教室の後方からスマホを取りだして、カバンを手に取る。
横の席の瀬戸くんも、カバンを手に取っており、私の顔を見てふっと笑った。
「帰るの?一緒にそこまで行かない?」
瀬戸くんはそう誘うけど、生憎様。その後ろから、慎吾の顔が見える。
「更紗~行こう!」
珍しいくらい鋭い声で、慎吾は私に声をかける。瀬戸くんへの警戒からなんだろう。
瀬戸くんは、慎吾の顔を見ると私に見せる笑顔ではなく、見下すような笑顔を見せる。…正直、いい気はしない。
「お前が更紗さんの彼氏?似合わねぇ」
まるで自分の方が似合ってるといった体の言葉に、慎吾は余裕の笑顔で、
「似合うか似合わないかは、特段問題じゃないと思うんだよね。お互いが思っているのであればそれでオールOK。自分の方が格好いいし、更紗が僕のものであるべきだとか考えているのなら、それは思い上がりも甚だしいし、そういう思考でいる人間には、更紗は絶対になびかないよ。君は、スタートから間違っている」
そうまくし立ててから一呼吸置いて、
「と言うわけで、更紗は今から僕とご飯を食べて部活へ行くから、失礼するよ」
まさかのカウンターだったのだろう、出鼻をくじかれた瀬戸くんはキョトンとする。反論する暇を与えず、慎吾は私の手を取って、教室から出ようとする。
「おい、待てよ!」
我に返った瀬戸くんがそう声をかけてくるけど、慎吾は彼を一瞥して、
「待つ義理はないね。更紗に馴れ馴れしく近づかないでくれよな!」
そうピシャリと言って歩き始める。教室からは聞こえよがしに、
「ちっ。なんだよあいつは!」
と怒声が聞こえる。教室にはまだ数人の生徒が残っているというのに…。
「さ、まず先制パンチはお見舞いしたから、このあとどう出るか、だね。そう言えば、幸弘が学級委員になったって?」
もう、ライナーで伝わったのだろう。私に聞く。
「うん、そうだよ。夢衣ちゃんが副委員長」
「そっか…来週にでも席替えしてもらうといいかもね」
なるほど、それはありなのかもしれない。一方、疑問も出てくる。
「理系コースは誰が委員長になったの?紗友梨さん?」
「その通りだよ。で、何の因果か僕が副委員長」
「あらら…慎吾もなんだね。ちょっと大変になりそう?」
私はちょっと苦笑いしながら聞くと、慎吾も苦笑いで
「そうかも」
なんて言うものだから、
「ドンマイ!応援するよ。大変な時には手伝うからね」
と励ます。それに慎吾も
「ありがと」
って返してくれて、そんな会話をしながら、食堂へ向かう。今日は学食はやっていないけど、スペースは解放しているので、そこで食べる約束をしていたし、3年になって最初のお弁当を慎吾にも食べてもらう。
今日のお弁当は久しぶりだから、原点回帰で唐揚げにゆでブロッコリー、人参・大根・厚揚げの煮物。ご飯には軽く卵ふりかけをかけてある。
「やっぱり、更紗の作るお弁当って彩りが良いよね~」
と慎吾が褒めてくれる。
「ありがと、じゃ、いただきます」
私たちは手を合わせて、お昼ご飯を食べる。
「う~ん、これこれ。この味」
唐揚げを食べながら満足そうな顔をする慎吾。完全に慎吾の胃袋を掴んじゃったみたい。
私は笑って、厚揚げを口に運ぶ。汁を吸った厚揚げが美味しい。
「うん、美味しい」
私も満足な笑みを浮かべる。
慎吾も私も、美味しくお弁当を食べていると、隣に矢野くんと夢衣ちゃんもやってきた。
二人とも、珍しく近所にあるお弁当屋さんのお弁当を買ってきたみたい。道理で、すぐにここに来なかったはずだ。
「お、今から食べるん?」
慎吾が矢野くんに聞くと、
「ああ、珍しく外で買ってきた。元々、二人で帰るつもりだったんだけど、お前たちがちょっと心配だって夢衣が言うもんだからさ、様子見に来たんだ」:
矢野くんがそう言うと、夢衣ちゃんは恥ずかしそうに、
「すみません。差し出がましいことをしました」
なんて言うんだけど、私は全然そんなこと思ってなくて、
「夢衣ちゃん、大丈夫。ありがとう、気にかけてくれて。慎吾、ピシャリと言ってくれて格好良かったんだよ」
と返すと、
「ああ、そのことはもう既にクラスの奴から報告はもらっていてな」
と矢野くんは言って、スマホを操作して、ある画面を私たちに向けてくれた。
『東条、転校生にガツンと言ってたよ。あいつ、意外とやるやん』
『転校生、めっちゃ悔しそうだったよw大原さんに最初から馴れ馴れしくて、ガツガツしすぎて軽いよなぁ』
と、クラスの男子数人のグループチャットから矢野くんに宛てたライナーだ。
「俺も、正直なところ好きじゃないな。ピシャリと言いすぎたから、慎吾は奴の報復に気をつけないといけないかもな」
「報復か…してくると思うか?」
流石の矢野くんも肩をすくめて量の手のひらを上に向ける。
「わからん。でも、なんか仕掛けてきてもおかしくないからな。用心にこしたことはない」
「…そうだな」
男子二人がそう善後策を話しているところで、私自身もあまりな額は瀬戸くんの隣にはいたくないから、聞いてみる。
「ねぇ矢野くん、席替えってしてくれないかな?」
矢野くんは、「そうだな、あとで学校アプリから個人的に南東先生に聞いてみるよ。申し訳ないが少しだけ我慢してくれるか?」と応えてくれたから、「それなら、我慢できるよ。ありがとう」と私も返す。
「何人か女の子が更紗さんに反感持っているみたいですけど、あの子たちは2年の時に隣のクラスだったんですよね。…一人だけ、普通コースの人もいたみたいですけど、話せば分かると思うので、話をしてみますね」
早速学級委員として仕事をする二人には頭が上がらないよ。
「夢衣ちゃん、ありがとう。助かる」
「あわよくば、あの転校生と上手くいってくれれば万々歳だよな。気になるそぶり見せていたし」
夢衣ちゃんの言葉を受けて、矢野くんがそう言う。ああ、確かにそれはあるかも。
「でも、何気に移動している時に話しかけてたよね」
「そう言えば、そうだな。そのままくっついてもらおう」
ちょっとの作戦タイムもあっという間に過ぎて、私と慎吾は部活へ行き、矢野くんと夢衣ちゃんは部活を休んで帰っていった。…下校デートするつもりらしい。いいなぁ。
だから、私も慎吾に聞いてみた。
「今日の帰り、デートしない?」
慎吾はちょっと驚いた顔をしたけど、すぐに笑顔になって。
「もしかして、幸弘と夢衣が行くから、行きたくなった?」
私が素直にこくんと頷くと、
「いいよ。行こう。でも、どこに?」
「商店街のカフェでお茶しようよ」
「OK」
部活のあと、二人で商店街のカフェで午前中のことについてもう一回話をして、改めて気をつけていこうと約束し、別れた。
慎吾も私も、新しい出会いがあったのだけれども、お互いにとっていい出会いであれば良いのになんでかな…と想いながら終わった一日だった。
う~ん、まさか転校生が入ってきた挙げ句、更紗にちょっかい出してくるとは思わなかった…。めっちゃ冷たくあしらって、更紗もけんもほろろに断ってくれたから多少は大人しくなってくれるかとは思うんだけど、それでもしつこかったらどうしようもない。席替えをしてもうしかないんだろうな。
でも、見た感じと喋っている感じで陽キャかな?とも思ったけれども、そうじゃないような所もあり、ちょっと不気味さを感じることは確かだ。
そんなことを思ってちょっとスマホで音ゲーをしていると、ライナーの通知が鳴る。
音ゲーの途中で中断できない(マルチプレイ中だった)から、一曲終わってからその通知を覗くと、そのメッセージの主は、啓一だった。
「なんだ?珍しいな」
そう、あの一件以降仲良くなったけど、コースや部活が違うとなかなかお互い話しづらいこともあって、滅多にライナーをすることはない。でも、今日は何かあったのだろう。
『転校生が来たみたいだな。んで、大原にちょっかいかけたって聞いたぞ。大丈夫か?』
「耳が早いなぁ、そうなんだよ。今のところは大丈夫」
僕はそう返信すると、ちょっと間を置いて、
『瀬戸っていったっけ?サッカー部に入りたいみたいで見学に来たんだよ。まぁ、上手けりゃ別に構わないからテストしたんだけどさ、まぁ、確かに上手かったから入部は認められたんだけど、インターハイ予選までにレギュラー取れるかって言うと、微妙だな』
そこまでメッセージが飛んできて、更に間が空く。
なんだか、啓一の文面から察するに、あまり良い印象はなさそうだ。
返事を打つかちょっと悩んでいるうちに、続きが届く。
『そんなことよりも、何よりムカついたのがさ、早速優姫に声をかけて口説こうとしやがったから、ちょっと俺もムッとして「俺の彼女口説くなよ」って言ったら、「はぁ~」ってため息をついてから「なんだ、男いるのかよ。さっきの更紗さんと言い、俺が目を付けた娘にはなんで男がいるんだよ」なんて言っていたぞ』
「なるほどな…見境なしかよ…」
僕は呆れた感じで返信する。
『さすがに聞きとがめて、「大原に声かけたのか?」と聞いたら、「隣の席になったからな」なんて言って…まぁ、昔の俺を見ているみたいで、嫌な気分しかしなかったぜ。とまぁ、一応報告な』
啓一も三津屋さんにちょっかいかけられて嫌な気分だったのだろう。ホント、その気持ちは分かる。
「早速助けてくれてありがとう。僕も気をつけるよ。更紗以外の女の子に声をかけていたという事実って、結構大事だと思うからね」
『そうだな、俺も警戒する。お前はコースが同じで隣のクラス、俺は部活が同じと言うことでさ、お互いに情報交換しやすい環境だから、気になることがあったら情報共有しないか?』
「ああそうだね。お互い連絡しよう」
『OK』
そんなやりとりをして、ライナーでの会話を終える。時間は23時。もう少し勉強してから寝ることにしよう。古典はまた芳埜先生だったから、システムに填まらないようにしないとな。
古典の予習を終わらせて、僕は床に就く。今日一日を反芻してみると、僕も僕で、佐々風香という女の子と知り合ったけど、1年生だから滅多に会うこともないだろうし、特段問題にはならないだろうな…。
でも、その考えが大間違いだったということを、翌日味わうことになる。
翌日、僕は更紗と一緒に登校する。昨日のことはあまり考えずに、来週末の強化大会に向けての基礎練習の話と、音ゲーの話に終始する。彼と朝から会いたくない気分だけど、いつ遭遇するか分からないので、正直緊張しながらの登校だ。しかし、どうも、瀬戸とは家の方向が違うのか、それとも時間が違うのか、彼と遭遇することなく、いつものスクランブル交差点にたどり着く。すると、横から「おはよう、慎吾、大原」「おはようございます。更紗さん、慎吾くん」といつもの二人が声をかけてきてくれて、僕たちは安心した。
「あいつとは会わずにすんだようだな」
と幸弘は言うので、「ああ、家の方向が違うのかな?」と僕は聞いてみる。
「いや、俺は聞いてないね。クラスの男子からは昨日の1発目でやらかしたからおそらくほとんど喋ってないと思うから、今はまだ分からんね」
幸弘はそう言って、少し困った顔をする。
いつものように、早い時間だからまだ人影はまばら。
「まぁ、ぼちぼち聞いていくしかないな。昨日のことで、おそらく俺たちは警戒されたと思うから、話をしても深くは突っ込めないだろうし」
「それもそうですね。格好いいって思ってる女の子たちが上手く話してもらえると良いんですけど…」
「でそうだといいね。私としては、また話しかけられるのかと思ったら、ちょっと憂鬱なんだよね…」
そこで、昨日の啓一との会話を思い出して、
「あ、更紗、昨日啓一からライナー来たんだけど、あいつ、三津屋さんにも声をかけたらしいよ。節操ないなって話してた。啓一も、『昔の俺を見てるみたいでやな感じだよ』ってさ」
と僕が言うと、幸弘は「ぷっ!」と吹き出す。
「おいおい、啓一に失礼だよ」
僕がたしなめると、幸弘は、「いや、悪い…あいつも成長したなって思うと嬉しい親心だよ」
「親心って…」
「そう言えば、優ちゃんからそんなライナー昨日来ていたよ。ホント、昔の中田くんみたい」
そんな会話をしながら、校門を抜け、生徒玄関で靴を履き替えて、教室へ。
「はぁ、まぁ、今日も一日頑張っていきましょう。慎吾、またあとでね」
「と言うか、カバンとスマホを置いたら、そっちに行くね」
「あ、うん、分かった~」
更紗はのんびりとそう言って、幸弘、夢衣と一緒に文系クラスへと入っていく。
「さ、僕も急ごう」
理系クラスに入ると、そこには既にいつもの二人、大木さんと中山さんが喋っている。
「おはよう、東条くん。昨日は災難だったね。今日はどうかしら?」
中山さんがそう聞いてくるので、僕はちょっと頷く。
「そうだね。転校生があんなに軽く更紗を口説こうとするなんて思わなかったよ。いつ彼が来るか分からないから、ひとまず文系クラスへいってくる」
「そうなんだ、気をつけてね。くれぐれも、喧嘩だけはしないようにね」
ちょっと余計なことをいう大木さんに、僕は反論する。
「手を出さなければ良いんでしょ?口げんかなら」
「まぁ、それはそうだけど…。全く、くれぐれも、気をつけてね」
「了解」
僕は文系クラスへと移動する。
もう既に3人が更紗の机で話をしている。どうも僕たちが文系クラスでは一番早いようだ。
「こんな感じなら大丈夫かな」
10分も話して、8時5分を過ぎる頃になると、ぼちぼちクラスの中が賑やかになってくる。
その中には瀬戸もいて、僕や幸弘が更紗の周りを固めているところを見ると、「ちっ」と軽く舌打ちして、自分の席にどかっと座る。
「おはよう、瀬戸くん。気分はどうだい?」
幸弘がわざとらしく聞いてみると、
「最悪だな。なんでお前たちがこんな所にいるんだよ」
憎まれ口を叩くから、僕が幸弘の代わりに答える。
「ん?勿論更紗の護衛だよ。悪い虫がつかないようにね」
「誰が悪い虫だよ?」
僕の挑発に、少し怒った感じで返してくる。
「まぁ、誰とは言わない。色々可愛い子たちにちょっかいをかける節操のない奴だって、別の友人から話も聞いたんだけどね」
僕がそう言うと、少し自覚があったのだろう、バツの悪い顔をする。が、それも一瞬で、
「まぁ、可愛い女の子がいたら声をかけるのは礼儀だと思うからな。だから更紗さんにも声をかけたわけだが、何か悪いか?」
瀬戸は開き直ったようにそう言うから、僕は挑発する。
「それなら、更紗だけじゃなくて、このクラスは――というか、この学園は可愛い生徒が他にもいるから、片っ端から声をかけてみなよ。誰かは答えてくれると思うよ。でもね、更紗はあくまでも僕と付き合っているし、君のような性格の男は苦手だから、あまり話をしたくないんだってさ。別に話しかけることに関しては構わないけど、弁えてくれると有り難いんだけど?」
さすがに、僕のその良い方には腹を据えかねたようで、いきなり立ち上がって、
「何を偉そうに言ってるんだよ!?お前が更紗さんの彼氏だからって、デカイ顔してるんじゃねぇよ!」
とキレたように言って、胸ぐらを掴んでくる。
夢衣や更紗はちょっと慌てたそぶりを見せるけど、僕は至って冷静に構える。それは、瀬戸の後ろにいる幸弘がどんな動きをするか分かっているからだ。
幸弘は、瀬戸の肩を叩く。
「おい、こんなところで慎吾を殴ってみろよ。周りからなんて思われるかな?慎吾から彼女を奪おうとして失敗し、暴力に訴えた情けない奴、なんていう評価が学校中に知れ渡るぞ。転校生って珍しいから、それだけでお前、悪い意味で有名人だ。他の生徒は勿論、先生からもマークされるのは必至だな、ご愁傷様。
ま、今こうやって胸ぐら掴んでいる時点で、教職コースの面々からの評判は地に墜ちたしね。本気で教員になるつもりがあるのかってな」
そう言われて、さすがにまずいと思ったのか、力なく僕の胸ぐらから手の力を抜き、「わあぁったよ」とふて腐れて自分の席へ戻る。
うん、これなら当分大丈夫だろう。
「それじゃ、更紗、またあとでね」「うん、慎吾、またあとで。今度は私から行くね」「分かった」
そうやりとりして、僕は幸弘の肩を叩いて「Thank you guys!」と告げて教室に戻る。
理系コースで普通に授業を受ける。でも、大丈夫と思いつつも更紗のことが気になって仕方がなかった。
だから、1限目の授業が終わったら更紗の方から行くとは言っていたけど、早く会いたくて文系クラスへ行こうかと思い、礼と同時に教室の外へ飛び出そうとすると――
「きゃっ!」
こちらも急いできたであろう更紗とぶつかりそうになる。
「おっと、ゴメン、更紗!」
僕は更紗を間一髪避けて、更紗の周りを一回転し、更紗の両肩に両手を置く。
「大丈夫?」「うん。すごいね慎吾の反射神経」
さすがに校内で抱き合うわけにはいかないから、肩を持つのはギリギリの体勢だと思う。
「ゴメン、来てくれるって言っていたのに、居ても立ってもいられなくてさ。気になっちゃって」
「ううん、大丈夫。クラスの方も落ち着いたよ。瀬戸くんも、私に話しかけづらそうにしていたら、私の2つ前の女の子が瀬戸くんに声をかけて話し始めたし、これ幸いにってね」
「おお、それは有り難いな。それで収まってくれるなら何よりだ」
更紗は「そうだね」と同意して、頷く。 僕は更紗の肩から腕を下ろして、
「次は芳埜先生の古典だから、トイレ行って、すぐ戻るね」
「あ、分かった。システムに填まらないように気をつけてね~」
僕と更紗はそう声を掛け合って、一旦別れる。
そのあと、お昼も何事もなく更紗、幸弘、夢衣の4人で過ごして、放課後になる。
瀬戸はどうも大人しかったというか、更紗からのマークを外したようですっかり更紗の方を見なくなり、声をかけてきた更紗の2つ前にいる女子生徒――昨日、更紗に敵意むき出しの視線を送っていたそうだけど――が声をかけてくれたのがきっかけで、その子と話すことが楽しくなったらしい。
「うん、これでいいんじゃないかな。有り難いね」
「ええ。植田菜摘さんって言うんだ。普通コースから自分の進路として教職コースに決めたみたいなの。頑張り屋さんって評判だよ」
「でも、昨日は更紗に怒ってたんだろ?何に対して?」
僕はつい強い口調で疑問を口にする。自分の大事な人に対して怒るのは、どういう了見なのか聞きたかった。
「単純に嫉妬みたい。私が彼に興味ないって分かって、昼休みの前に「誤解してた。ゴメンね」って謝ってきたわ」
「そうか、それならいいんだけどね」
部活への道すがら、僕たちはそんな会話をしながら第2体育館へ向かう。
新入生は、今日から部活動の体験だったり見学の期間になり、約2週間、色々な部活を見に行って、決めたい生徒は決めるし、もう決めている生徒は、今日から早速部活に参加する。
ジャージに着替えて部活を始めること15分。新入生がやってきた。
「あれ?あの子…」
茶髪のサイドツインテールがよく目立つ、昨日ぶつかってきた佐々さんだった。
どうも、友人と回っているみたいだ。隣には黒髪ロングの生徒がいる。
そして、佐々さんは僕の姿を見ると、大きく手を振って、
「あ、東条先輩だ!やっほ~。バドミントン部だったんですね!」
と、声をかけてくる。ちょうど、ノックの空き時間だったから、少し対応する。
「やぁ、佐々さん。見学中?」「そうです」
「今回ってきて、『これだ』ってのあった?」「はい、見つけました」
「教えてくれる?」「はい、男子バドミントン部のマネージャーになりたいです。だって、先輩がいるし、私、中学時代もバスケ部のマネージャーしていたので、お役に立てると思います!」
…僕がいるから…?佐々さんの声は意外と大きく体育館に響くものだから、女子の方で活動している更紗の耳にも当然届く。更紗はちょっと頬を紅潮させて、僕…というよりは佐々さんの方に厳しい視線を向けた。
その視線を感じてか、感じてないのか、佐々さんは、
「あ、隣にいるこの子は、私の中学校からの友人で、前田英(はな)って言います。英ちゃんはどうする?」
と、視線を黒髪ロングの生徒に佐々さんは送る。前田さんは、
「それなら私は、女子バドミントンのマネージャーになろうかな。バランス取れるし、風香と一緒に帰れるし」
「分かりました。じゃあ先輩、明日からよろしくお願いしますね」
ちょっと強引に話を進める風香さんに、僕はストップをかける。
「ちょっと待って。部長と顧問の先生に声をかけてからが自然な流れかな。部長の芹沢はあそこでノックあげている人ね。芹沢~ノック終わったら一旦こっちに来てくれないか?」
芹沢は、OKを指で示して、すぐさまノックの続きをする。彼が終われば給水の時間になるから、程なく話ができるだろう。
5分後、芹沢はノックを終えると僕と佐々さんの方に出向いてくれた。
「マネージャーで入部希望だそうだから、ちょっと話をしてくれる?」
芹沢は「了解」と頷くと、女子部長の五十嵐さんとともに佐々さんと前田さんは話を始める。
僕はパターン練習で落ちたシャトルを拾ったついでにちょっと気になって話をしている方に顔を向けると、佐々さんも気になるようでこちらに目を向け、視線がぶつかる。
にこっ
視線がぶつかった瞬間、佐々さんは笑うけど、僕は頷くだけにする。そして、後ろから視線を感じて、逆に視線を向ける。
そこには更紗が同じようにシャトル拾いをしているついでに僕の方を見ていたのだろう。ちょっときつめの視線を感じた。
(あれ?もしかして、怒ってる?)
僕は背中から彼女からは滅多に感じることのない気配を感じてなぜか冷や汗が背筋を伝う。
…僕は、佐々さんに対して可愛いとは思うけど、それ以上の感情を持つことはないんだけどなぁ…。
芹沢たちの話が終わると、新入生二人は体育館から出て行こうとする。
しかし、去り際、佐々さんは大きな声で、「それじゃぁ、東条先輩、顧問の先生と話してきます。また明日よろしくお願いします!」と言って出て行く。
「?何で慎吾のことばかり?」
と言う尋路にはあとで説明しておくとして、これはちょっと帰りに一波乱あるかもしれないなぁ…と、先ほど流した冷や汗が、もう一筋流れ落ちるのを自覚した。
部活後の、部室前。いつものように着替えを先に終えた僕は、更紗を待つ。尋路も五十嵐さんより前に出てきた。
部室で「どういうことだよ?」とさっきのことで僕に説明を求められたので、入学式前にぶつかられて、少しだけ話をしたことを説明すると、他の連中もこぞって、「それは惚れられたんじゃないか?東条、大原さんと言い、あの子と言い、可愛い子に惚れられて羨ましいぞ、コラコラ」と尋路からチョークスリーパーを掛けられていた。
待っている間に尋路は、「大原さんに強力なライバル出現って感じ…じゃないな、お前の様子を見ていると」と言うけど、当たり前だ。
「だって、僕は更紗のことしか見えてないし。確かに、あの子は可愛い姿形をしているけど、それ以上の感情はないね」
と僕は言って、この会話は終わりにする。すると、そこで女子の部室の扉が開き、更紗が出てくる。
「そうだよね。あの子が慎吾にアタックするだけで、慎吾はやっぱり私を大切にしてくれるよね」
…今の話を聞いていたのだろう。更紗は笑みを浮かべる。
「そりゃそうだよ。つきあい始めて半年、更紗はやっぱり特別な女の子だよ」
僕は思わずそう言って、更紗を手招きする。更紗は、尋路の前を通過して、僕に抱きついた。大きく柔らかい双丘が、僕の胸に当たる。
「ありがとう、慎吾。大好きだよ。さっき、あの子に嫉妬してた。正直に好意を隠さないで言うものだから、慎吾を取られたくないという一心だった」
そういう更紗が愛おしくて、頭を撫でると、
「お~い、そこ、みせつけてんなよ~」「ホントホント、私たちより付き合い短いのに、仲良すぎでしょ、このご夫婦は」
いつの間にか出てきた五十嵐さんと一緒に、尋路は僕たちをからかう。
「だって…不安になったから…今の慎吾の言葉に心からホッとしたんだから、仕方ないじゃない」
「まあ、更紗、分かるよ、私も。尋路取られちゃうんじゃないかって思う場面が一度二度じゃなかったから、その不安な気持ち分かるわぁ。そして、ホッとした気持ちもね」
五十嵐さんは更紗に同意する。
「でも、あの子はアタックを止めないと思うから、どう切り抜けるか考えないとね」
五十嵐さんも、彼女の態度を見てやっぱり直感したのだろう。そう言って、僕と更紗を見る。
「暫く様子を見よう。マネージャーとしてちゃんと働いてくれるのならそれで良いし、慎吾のことばかり見ているのであれば、そこはそれで考えなくちゃね」
尋路の言葉に僕たちは頷いて、一緒に校門まで出る。僕たちは、校門を出たら左に曲がるけど、彼らは右に曲がる。
「それじゃ、また明日な」「更紗、東条くん、また明日ね」
「またな、尋路、五十嵐さん」「あとでライナーするね、則子。野山くん、お疲れ様」
そう声を掛け合って、別れる。僕と更紗は二人で歩き出し、昨日今日のことを話する。
「なんか、この2日間疲れたと思わない?」
僕がそう言うと、更紗も頷いて、
「なんか、すごく疲れちゃった…瀬戸くんの言動が気になっちゃって…」
疲れた顔をする。
「そうだよなぁ。でも、お昼の話だと何とかなりそうじゃないかな?」
僕は、そうであってほしい憶測を口にするけど、
「そうなると良いね。こっちも様子見ないとね」
ちょっと浮かない顔で更紗は僕を見る。
お互いに、気になることが3年生の最初に出てきてしまってなんだか困る。
でも、とにかく何とか切り抜けていかないとと思う。
「大会前って言うのがイヤなんだよね。でも、練習には集中しないとね」
更紗は更にそう言って、もう一度僕の顔を覗き込む。
「そうだね。頑張ろう。お互いきついなって思ったら、隠さずに言おう。お互いに協力し合って、幸弘や夢衣、尋路や五十嵐さん、みんなの力を借りてさ、克服していこう」
僕は真面目な顔をして、更紗の顔を見る。更紗は、僕の顔を見て、「うん」と頷いてくれた。
そして歩いていると、いつの間にか商店街を過ぎて、更紗の家の前。
「ねぇ、慎吾。ちょっとだけお願いして言い?」
更紗の家の前で、更紗は僕にお願いをしてくる。
「いいよ。なぁに?」
「ギュッてしてほしい。不安な気持ちを、少しでも軽くしたいの」
思わぬお願いだけど、気持ちは分かる。僕も実は少しだけ不安なんだ。ぎゅっとすることで少しでも不安がやわらぐのであれば、勿論してあげたい。
「うん、いいよ」
僕はそう答えて、まずはごく軽く、更紗の腰に両手を回して、身体を引き寄せる。
制汗剤の匂いと更紗の香りが鼻腔をくすぐる。
「大丈夫だよ。きっと、何とかなる。何とかしよう」
僕はそう更紗の耳元で呟いて、左手を更紗の後頭部に添えて、軽く撫でる。
髪の毛を伸ばし始めて約2ヶ月。少しずつ伸びてきた髪に更紗はちょっとくすぐったそうにすることもあるけど、少しずつ変わる雰囲気に僕はもっと伸びたらどうなるのか楽しみになる。
「うん、うん。なんとかなる、なんとかなる。ありがとう、慎吾。勇気が出てきたよ」
おまじないのように「なんとかなる」を繰り返す更紗。もうちょっとこのままでいたい気持ちもあるけど、早く入ってあげないと、中で待って居るであろう綸子ちゃんに悪い。
「それなら良かった。じゃあ、また明日、だね」
「ええ。また明日」
そして、更紗は僕に手を振りながら家に入り、玄関のドアを閉める。
「これは、試練だと思うから。これくらいのことを克服できなかったら、これから先、どうなるか分かったものじゃない。だから、絶対に解決していくんだ、一つ一つ」
僕は、そう強く願う。
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コメント
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コメントを書く鳥原波
ありがとうございます。どうやって収めるか、いつも結構考えてます(笑)。ライバルは、どう出るか、次をお楽しみに!女の子についても、同時多発的にライバル出現という感じで大変ですが、こちらも色々考えております。黒髪ロングは個人的に好きなので、どう育てていこうかなぁ(笑)夢衣ちゃんも次はそこそこ出てきてもらいますよ!次回は9月の連休どちらかで上げます!楽しみにしていてくださいね!
ノベルバユーザー617419
ライバル出現!作中とおしてそうですが、ケンカの仕方、治め方を上手に描きますねぇ(幸弘かっけぇ~)
ライバルはただのヘイトキャラでなくちょっとナニかありそうなのが気になる(ワクワク)
女性陣の方は…展開読めない…どうなるの?(ハラハラ)
ゑ?黒髪ロングまで…(大好物です♪いっぱい書いてキャラ育成希望…もちろん夢衣ちゃんも活躍希望♪)
次回も楽しみにしています☆