アルヴェル・オンライン

ibis

9話

「あっ──アイビスさん!」

 『ステップ草原』を歩く事、数分。
 ポツリポツリと木製の家屋が見えてきた所で、アイビスの視界内に『雉鳴きの村』と表示された。
 それと同時、そわそわと一人で立っていた少女が、アイビスの姿を見て駆け寄って来る。ラークだ。

「ラークさん、大丈夫でし──」
「た、大変っ、大変です! アイビスさんのHPがもうっ……! ひ、【ヒール】っ!」
「あ、ありがとうござい──」
「すいませんでしたすいませんでした! アイビスさんに任せっきりにしてっ、私は安全圏で……! ほ、本当に申し訳ありませんでした!」

 錯乱しているとも言える様子のラークが、青ざめた顔で何度も何度も頭を下げる。まるで、VRゲーム現実リアルの区別が付いていないかのように、アイビスが今にも死にそうになっていると思い込んでいるかのように。
 今にも土下座を始めんとする勢いのラークに、アイビスは大きめに柏手を打った。
 パアンッ! と手のひらを打ち合わせる音が響き──思わず固まってしまうラークに、アイビスは苦笑を見せる。

「……落ち着きました?」
「は……は、はい。す、すいません、取り乱してしまって……」
「安心してください、大丈夫です。俺は死んでいないですし、ここはVRゲームですから」
「……はい」

 顔を伏せるラーク。こんなに臆病で心配性な彼女は、『アルヴェル・オンライン』をプレイするのに向いていないだろう。間違いなく。
 落ち込んでいる様子のラークに、アイビスは『ステップ草原』での出来事を説明しようと口を開き──何かを思い出したかのように口を閉ざし、頭を下げた。

「俺の方こそ、すみませんでした」
「えっ、え? な、何がですか?」
「ゴブリン・ロードに遭遇してから余裕がなくて、その……結構、乱暴な言葉を使ってしまって……タメ口使って……」
「い、いえいえ! 気にしないでくださいっ! 別に敬語なんて使わなくていいですよぅ! というか……アイビスさん、ゴブリン・ロードを倒してしまったんですか?!」
「いや、それが……俺もちょっとよくわからなくて──」

 頭を上げ、アイビスはゴブリン・ロードとの戦いについて説明する。
 ホブゴブリンを迎撃し続けていたら、ゴブリン・ロードとの一騎討ちが始まった事。
 こちらが劣勢であり、ゴブリン・ロードの左腕と右目を破壊するだけで精一杯だった事。
 途中でゴブリン・ロードが戦闘を止め、『再戦の証(小鬼王)』という装飾を残して消えてしまった事。
 そして──もしもゴブリン・ロードが戦闘を止めずに戦い続けていたら、自分は間違いなく負けていた事。
 一通ひととおり説明を聞き終えたラークは、不思議そうに首を傾げた。特に『再戦の証(小鬼王)』がよくわかっていない様子だ。逆の立場だったら、アイビスだって首を傾げているような内容だ、無理もない。

「『再戦の証』……そ、そんなものがあるんですねぇ」
「俺もよくわかんないですけど、あるみたいです」
「と、とにかく、アイビスさんが無事でよかったですよぅ」

 にへらっと幸薄い笑みを浮かべるラークの姿に、アイビスも笑みを返す。
 風に靡く漆黒のマントを鬱陶しそうに払いながら、アイビスは『雉鳴きの村』を見回した。
 ──村を囲う壁や柵は一切存在しない。『始まり街』とは全く違う、言葉通りの村という感じだ。
 推奨到達レベル6の『雉鳴きの村』。アイビスとラーク以外のプレイヤーはほとんどいない。見かけたとしても、アイビスたちと同じく初心者プレイヤーだ。

「マップを見た感じ、『雉鳴きの村』の奥に『雉鳴きの祭壇』ってのがあるみたいですね。行きましょうか?」
「は、はい! あ、でも……先にリスポーン地点を更新した方が……」
「確かにそうですね。そしたら、先に宿屋に行きましょうか。武器屋とかも見て行きます?」
「そ、そうですね。私も、武器を買い直したいので……」
「お金は?」
「お、お金は……ゴブリンでレベル上げをしたので、多少は」

 ラークの言葉を聞き終わる前に、アイビスは所持しているお金をオブジェクト化してラークに差し出した。

「そこまで多くはないですけど、使ってください」
「えっ──うえぇ?! い、いやいやいや! 貰えませんよぅ! これはアイビスさんのお金で──」
「俺は別に装備を新しくする必要はないんで。それに、サラマンダーのドロップアイテムを譲ってもらった件もありますし」
「で、でもっ、防具が──」
「『再戦の証』のおかげでが上がってるんで、まだ防具の更新は大丈夫です。武器も問題ないと思いますし、使ってください」
「うえぇ……で、では……ありがとう、ございます」

 ラークが差し出されたお金を受け取り、アイビスの目の前に表示される残金がゼロになる。
 ──ゲーム開始早々、サラマンダーの武器と装飾品を入手。さらにはゴブリン・ロードのマントまで。アイビスの装備は、自分でもわかるくらいに充実している。対して、ラークは初期の武器に『始まりの街』で買った防具。
 ならば、アイビスにお金は必要ない。ラークの装備を更新する方がいいだろう。

「それじゃ、とりあえず行きましょうか」
「は、はい!」

 マップを確認しながら、ラークの武器を買い直すために武器屋へと向かい始める。どうやら『雉鳴きの村』は、武器屋と防具屋が一緒になっているようだ。
 ──勝てなかった。
 ラークの隣を歩くアイビスは、ギリッと拳を握り込んだ。
 アイビスが幼少期から培ってきた古武術──それが、ゴブリン・ロードには全く通用しなかった。 
 ゴブリン・ロードに通用した攻撃は──【貫手】、【衝撃波】、【縮地】、『黒炎』。全てVRゲームの技で、アイビスの古武術が通用したわけではない。
 ──この世界ゲームじゃ、俺の古武術は通じない。あのままゴブリン・ロードと戦闘を続けていたら、間違いなく自分が負けていた。こうしてゲームオーバーにならずに済んだのは、ゴブリン・ロードが戦闘を中断したから。
 悔しい──もしも次に会ったら、絶対に負けない。

「あ、アイビスさん?」
「──はい? どうしました?」
「な、何だか怖い顔をしてたので……どうかしたんですか?」
「いえ、何でもないですよ」
「そ、そうですか……あ、着きましたよ。ちょっと見て来ますね」
「わかりました。外で待ってますね」

 ラークが武器屋兼防具屋に入って行くのを見送り、アイビスは店の壁に寄り掛かってステータス画面を開く。

======================

残りステータスポイント 1
STR 1
INT 0
VIT 0
MND 0
AGI 1
LUK 0

======================

 ステータスポイントが1残っている。そう言えば、ゴブリン狩りをしてレベル7になった時に獲得していたな。
 とりあえずにステータスポイントを割り振り、今度は所持アイテムを確認する。
 持っているアイテムはゴブリンの素材のみ。売っても大した金にはならないだろうし、まだ持っておくとしよう。

「……そういや──」

 『アルヴェル・オンライン』をプレイしてしばらく経つが、現実世界で今は何時なのだろうか?
 アイビスがそう考えるのと同時、視界にデジタル時刻が表示される。午後11時30分。『アルヴェル・オンライン』を始めて3時間半も経っていたのか。
 日付は金曜日。明日は土曜日のため高校は休みだが、ラークはどうなのだろう? そもそも学生か社会人なのかもわからない。現実リアルの事を聞くのはあまり良くないだろうが、店から出て来たらそれとなく聞いてみるか。

「……ん……?」

 何気なく辺りを見回すと、何やら家と家の間で座り込んでいる女の子がいた。プレイヤーの頭上にはプレイヤーネームが表示されているが、女の子の頭上には何も表示されていない。という事は、NPCなのだろう。
 女の子は泣いているように見える。NPCとは言え、女の子が泣いているのを見るのは気持ち良いものではない。
 ラークはもう少し時間が掛かるだろうか──店の壁から背中を離し、アイビスは少女に近づいた。

「あの……どうしました?」

 声を掛けた瞬間、女の子の頭上に『!』とビックリマークが浮かび上がった。

『高難度クエスト発生! “棄児無きの贄殿” 推奨Lv30』
『クエストが発生しましたね。頭上に『!』と表示されたNPCからは、依頼やお願い事を頼まれます。クエストをクリアすると経験値やアイテムを入手できますので、時間がある時に受注してみましょう!』
『高難度クエストとは、街や村への到達推奨レベルを大きく上回ったクエストです。強力なモンスターの討伐や難易度の高いアイテムの納品を依頼されますので、入念に準備をしてから挑みましょう!』
「………だ、れ……?」

 表示されたメッセージを読んでいると、女の子が震える声を漏らした。
 慌ててメッセージウィンドウを消し、女の子の前に膝を付く。

「俺は鴇──じゃなくて、アイビスって言います。その……こんな所でどうしたんですか?」
「…………お、お姉ちゃんが……『雉鳴きの祭壇』に……」
「『雉鳴きの祭壇』って……村の奥にある祭壇ですか?」
「そこにっ、お姉ちゃんが……今回のっ、生贄に……」
「生贄?」
「お願い、冒険者さん……お姉ちゃんを助けて……あの邪神を……倒して……!」

 よくわからないが、『雉鳴きの祭壇』に行けばいいのだろうか?
 というか……よく見れば、文字の表記が異なっている。この村の名前や祭壇は『雉鳴き』と表示されるのに、クエスト名は“棄児無き”となっている。
 棄児……文字通り、棄てられた子どもという意味だろうか?

「──あ、アイビスさん?」
「ラークさん。すいません、勝手に店の前から離れて」
「い、いえ、大丈夫です。それより……そ、その子は?」
「クエストNPCみたいです。聞いた話だと、この子の姉さんが『雉鳴きの祭壇』にいるみたいで」
「な、泣いてますよね? 何があったんですか?」
「俺も詳しくはわからないですが……姉さんが生贄になるとか、邪神を倒してくれとか……」
「生贄……邪神……?」

 不思議そうな様子のラーク。その姿は、白色のローブに黒い長ズボンを履いている。新しい装備なのだろう。
 ラークが女の子の前に屈み込み、何やら虚空を睨んで目を細めた。先ほどのアイビスと同じく、メッセージウィンドウが表示されているのだろう。
 メッセージを確認し終えたらしいラークは、一瞬だけ考えるように目を閉じ──優しく笑って、女の子の手を握った。

「大丈夫です。お姉ちゃんの事は、私がどうにかします。だから泣かないでください」

 こちらを見つめる女の子から手を放し、ラークがアイビスに視線を向けた。

「アイビスさん、『雉鳴きの祭壇』はどちらですか?」
「……北に真っ直ぐですね。一本道なんで迷う事はないと思います」
「わかりました。私、ちょっとこのクエストを終わらせてきます。終わったら合流しましょう」

 緋色の長杖をオブジェクト化させたラークが、アイビスに背を向けて駆け出した──瞬間、アイビスは慌ててラークの肩を掴んだ。

「ちょっと待ってください。推奨レベル30ですけど、クエスト受けるんですね?」
「はい、見て見ぬふりはできません。この子、泣いてるんですから」
「いや、なら俺も誘ってくださいよ。クエスト受けるつもりでしたし、何よりパーティー組んでるんですから」
「……え?」

 アイビスの言葉が予想外だったのか、振り返ったラークが大きく目を見開いた。

「俺だって見て見ぬフリはできないですよ。一緒にやりましょう。どうせ『雉鳴きの祭壇』には行くんですし」
「で、でも……これ、推奨レベル30ですよ?」
「それはさっき俺も聞いたじゃないですか。でもラークさんは受けるんでしょ? なんでラークさんがこのクエストを受ける気になったのかわからないですけど……俺もやりますよ」
「な、なんでですか?」

 こちらの顔を覗き込んでくるラーク。その様子は、アイビスが高難度クエストを受けた理由を知りたがっているようだ。
 高難度クエストは、村への討伐レベルを大きく上回った強力なモンスターの討伐や難易度の高いアイテムの納品を依頼される。サラマンダーやゴブリン・ロードと戦い、強敵と戦う事の大変さを身を以て知っているアイビスが、何故このクエストを受けようとしているのか──そんな様子に見えた。
 黙って返事を待つラークに、アイビスは茶化すように笑った。

「プログラムだとしても、NPCだとしても、泣いてる女の子を見捨てるのは男じゃないでしょ?」
「う、うわぁ……あ、アイビスさん……」
「冗談ですって引かないでくださいよ。ま、行きましょうか」
「……はい。よろしくお願いします、アイビスさん」

 座り込んだままの女の子に背を向け、アイビスとラークは『雉鳴きの祭壇』を目指して走り出した。

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