アルヴェル・オンライン

ibis

4話

「はぁッ──」

 右半身を前に、左半身を後ろにして構える輝樹。
 ──その姿が、サラマンダーの視界から消えた。
 否、違う。消えたのではない。輝樹はただ真っ直ぐに突っ込んだだけだ。予備動作が全くなかったため、瞬間移動したと錯覚したのだ。
 八極拳という古武術で使われる、箭疾歩せんしっぽと呼ばれる歩法だ。
 ──ズンンッッ!! と、輝樹が力強く地面を踏み込む。
 震脚しんきゃく──八極拳で使われる、床や地面を削るほどの強い踏み込みの事だ。
 すっかり体に染み付いた動きで、全く使い慣れていないスキルを発動する。

「【衝撃波】ッッ!!」

 サラマンダーの前足に、輝樹の拳が突き刺さる──寸前で、【衝撃波】を発動。
 超近距離で放たれる灰色の衝撃は、だがサラマンダーの体力ゲージを僅かに減らしたのみで、ノックバックもない。
 だが、これでいい。吐息ブレスさえ誘えればいい。自分はその時が来るまで、挑発を続ければいい。

「ガアアアアアアアアアアアッッッ!!!」

 まるで飛び回る羽虫のように、サラマンダーの周りを駆ける輝樹。
 大したダメージも与えられないのに、こちらの攻撃が当たらない現状に、サラマンダーは怒りの咆哮を上げて剛爪を振り回す。
 すっかり輝樹の『火傷状態』は消え、視界の端に映っているゲージがオレンジ色になっていた。
 このゲージは、輝樹の残りHPなのだろう。

「グルッ──ルガァアアアアアアアアアアアッッッ!!!」

 力任せに剛爪を横一閃に振り抜くサラマンダー。素早くバックステップして躱す。続けて来るであろう剛爪を警戒し、輝樹は足に力を込めた。
 だが──サラマンダーは剛爪を振り抜いた勢いのまま、その場で回転。風を斬る音と共に、極太の尻尾が振り抜かれた。

「ちょっ──」

 咄嗟に拳を下から振り上げ、迫る尻尾を受け流す。勢いを完全に殺す事はできず、輝樹は吹っ飛ばされた。
 ──視界の端に映る体力ゲージが、オレンジ色から赤色に変化。ピーッ、ピーッという警告音が聞こえ始める。
 受け身を取って体勢を立て直し──はっと、輝樹は気づいた。
 ──自分の背後に、ラークがいる。

「グルォッ──!」

 直線上に獲物が二匹。まとめて殺すのなら、絶好のチャンス。サラマンダーは大きく息を吸い込んだ。
 ──HPギリギリ。尻尾の受け流しが間に合わなければ、自分の体力はゼロになっていた。その事実に、実体なんてないはずの体が戦慄する。
 だけど、まだ自分は生きている。まだ動ける。まだ拳を握れる。

「アイビスさん?! か、回復しま──」
「土の壁を! 早く!」
「うえぇ?! は、はい!」

 アイビス──そう表記された名前の横にあるHPが尽きそうなのを見て、ラークは回復の魔法を使おうとするが、輝樹の大声を聞いて返事を返した。
 木製の白い長杖の先端を輝樹に向け、サラマンダーの黒炎に怯えながらも魔法を発動する。

「【アースド・ウォール】っ」

 輝樹の足元が振動を始め──土の壁が聳え立った。直後、サラマンダーが黒炎を吐き出す。
 ──自身の半径五メートル以内に壁を作り出す土属性の魔法。その名は、【アースド・ウォール】。
 壁の強度は、使用者のに依存する。一流の“地術師”が使用する【アースド・ウォール】は、上位モンスターの攻撃ですら完璧に受け切る耐久力を発揮する。
 ラークのレベルは5。ステータスポイントは魔法攻撃力と魔法耐久力に1ポイントずつ振っている。普通ならば、サラマンダーの吐息ブレスを防ぐ事なんてできない。しかし、何故ラークの【アースド・ウォール】は黒炎を防ぐ事ができているのか?
 それは、魔法の相性が理由だ。
 『アルヴェル・オンライン』には、火属性、風属性、雷属性、水属性、土属性、聖属性──合計6つの魔法属性が存在する。火属性は風属性に強く、風属性は雷属性に強く、雷属性は水属性に強く、水属性は土属性に強く、土属性は火属性に強い。聖属性はバフや回復の魔法であるため、有利不利は存在しない。
 そう──ラークの職業が“地術師”で、【アースド・ウォール】を習得していたからこそ、サラマンダーの黒炎を防ぐ事ができているのだ。

「グルォッ──ガァアアアアアアアアアアッッッ!!!」

 サラマンダーが黒炎を吐くのを止め、怒りのままに剛爪を振り抜いた。
 土の壁は容易く粉砕され──飛び散る土片に、ラークは小さく悲鳴を漏らす。
 ──ラークの魔法耐久力で生み出した【アースド・ウォール】では、サラマンダーの物理攻撃を耐える事はできない。また、こうして黒炎の吐息ブレスを防がれるのは二回目なのだ。サラマンダーも土の壁は力で壊せる事は理解している。
 故に──サラマンダーは、困惑した。
 土の壁を破壊した先──そこには、怯える少女の姿しかなかった。

「ガルァッ……!」

 ──【アースド・ウォール】は、地面から上空へと伸びる土の壁。突如として現れるわけではない。生えるのだ。地面から上空に向かって。それはもう勢いよく。まさに一瞬の速さで。
 土の壁が上空へと伸び始めた瞬間、輝樹は土壁のへりを掴んでいた。輝樹が八年間培ってきた古武術により鍛え上げられた反射神経だからこそできる、土の壁のへり掴み。だが、その勢いに振り回され、土の壁が伸び終わって急停止したのと同時に、上空へと放り出されていた。
 そう──サラマンダーの目の前にいない輝樹は、空中にいた。もちろん、一瞬で眼前に土の壁が現れたサラマンダーが気づくはずもない。輝樹の背後にいたラークですら気づいていないのだから。

「──どこ見てんだクソトカゲッッ!!」

 ラークに向かって剛爪を構えるサラマンダー。その注意を引くため、声を張り上げた。
 ──五指を揃える。腕に力を込める。自由落下の着地点は計算通り。
 声の聞こえた方向──己の頭上を見上げるサラマンダーが、やっと輝樹に気づいたように黒炎を吐こうと身構えた。
 だが──輝樹の方が早い。

「──【貫手】ッッ!!」
『スキル進化! 【貫手 Lv2】』
「ガァッ──?!」

 黒炎を纏うサラマンダーの顔面。煌々と輝く赤い眼球に、渾身の【貫手】を突き刺した。
 誰がどう考えても弱点だと言うであろう、眼球という部位。肉質も柔らかく、輝樹の【貫手】を放った右手は肩まで深々と突き刺さっていた。自由落下もダメージ計算に入っているのだろう。サラマンダーのHPゲージが一気に削れた。
 だが──ほんの少し、残り僅か、サラマンダーのHPゲージは赤色で踏みとどまる。
 ──ボウッ! と、輝樹の耳に着火音が聞こえた。それと同時、視界の端に映る輝樹の体力ゲージの横に炎のマークが付与される。『火傷状態』だ。
 ──やはり、眼球は弱点だった。さらに輝樹の思った通り、自由落下もダメージ計算に加算されていた。だけど、それでも足りない。もう一押し、あと一撃足りない。
 サラマンダーが準備している黒炎の吐息ブレスが放たれて死ぬであろう状況。仮に吐息ブレスを避けたとしても、ラークが魔法でサラマンダーを倒したとしても、その頃には『火傷状態』で死ぬ。
 ──ニイッと、輝樹は笑った。

「【衝撃波】ぁッッ!!」
『スキル進化! 【衝撃波:拳 Lv2】』

 ──ズゥッンンンッッ!!
 サラマンダーの体内に突っ込んだ右手から、【衝撃波】を放つ。
 鱗に阻まれた箇所には【衝撃波】のダメージはほとんど通らなかった。だが、体内は別だ。
 眼球から体内へ直接打ち込まれた【衝撃波】。残り僅かだった体力ゲージを無理矢理ゼロに押し込む。
 サラマンダーが巨体を起こし、一際大きな咆哮を上げ──その体が、ポリゴンとなって消える。

『レベルアップ! Lv3→Lv6』
『ステータスポイント獲得!』

 サラマンダーが消えた事により、輝樹の体が地面に投げ出される。
 ──勝てた。四肢の力を抜く輝樹は、自身の体力ゲージを見てフッと笑った。
 『火傷状態』は継続中。残りHPは、赤色のゲージがあるかないかわからないほどに少ない。
 せっかく強敵に勝てたのに、これで終わりか。死んだら何かペナルティがあるのだろうか──そんな事を思いながら、輝樹は瞳を閉じた。

「……………」

 ──死んだ時のペナルティには、何があるのだろうか? 最後に戦った相手との経験値を無しにするとかだったらキツいなぁ。せっかくサラマンダーを倒してレベル6になったのに。

「……あ、あのぉ……」

 やっぱり現実リアルみたいに上手くいかないな。現実リアルだったら鱗があっても打撃ならダメージ入るだろ。いや、そもそも現実リアルだったらサラマンダーとかいないか。
 ああ、クソ……『アルヴェル・オンライン』って、面白いな。

「あ、アイビスさん?!」

 ラークの声が聞こえる。ゲーム内で死んだら最後のリスポーン地点に送られるというのが鉄板だが、まだ送られないのか?
 薄らと目を開ける。輝樹の体を必死な形相で揺らしているラークが飛び込んできた。
 ……おかしい。とっくに『火傷状態』でHPかゼロになっているはずなのに、まだ自分は──
 ガバッと体を跳ね起こす。急に起き上がった輝樹に驚いているラークを無視して、自分のステータスを表示した。
 HP残り1。だが、そこから無くならない。もしや、これは──
 慌ててメッセージログを遡り、目当てのヘルプメッセージを見つけた。

『状態異常:火傷状態になると、5秒ごとに最大HPの20分の1のダメージを受けます。状態異常でゲームオーバーになる事はありません』

 ……状態異常でゲームオーバーになる事はない。ああ、そう言えばこんな感じの事が書かれていたな。ならば、自分は『火傷状態』によってHP1から無くなる事はないのか。
 安心したような、どこか恥ずかしそうな。ガシガシと頭を掻く輝樹は、こちらを見つめるラークに苦笑を見せた。

「……あー……勝てましたね?」
「そ、そうですね! 勝てましたっ、勝てちゃいました! あんなに強そうなモンスターに勝っちゃいました! アイビスさん、お強いんですね! あんな風にモンスターを倒すなんて、思ってませんでしたっ!」
「まあ、何とかなってよかったですね」

 のっそりと立ち上がり、地面の上でキラキラと輝くサラマンダーのドロップアイテムに視線を向けた。

「あの……サラマンダーのドロップアイテム、どうします? 二人で山分けします?」
「う、うえぇ?! いやいやいやっ、受け取れませんよっ! 私がアイビスさんを巻き込んでしまったのに、私もドロップアイテムを拾うなんてできませんよぅ!」
「そ、そうですか……なら、遠慮なく」

 ドロップアイテムを拾い集め、ピコンピコンと主張するウィンドウを開く。

『火蜥蜴の剛爪×4』
『火蜥蜴の弾皮×5』
『火蜥蜴の竜鱗×3』
『装備アイテム! サラマンドラ・グローブ』
『装備アイテム! サラマンドラ・ダガー』
『レアドロップ! 黒炎の心臓』

 ……そういや、サラマンダーと戦う事になったのは、ラークが輝樹のいる方に逃げてきたからだったか。しかも、最初のラークは怯えて戦うことすらしようとしなかったし。サラマンダーと戦って死にかけたのは、ラークのせい──まあラークの言う通り、ドロップアイテムは貰っておくか。
 ウィンドウを確認する輝樹。レアドロップというのは何なのか? と首を傾げている所に、ラークが声を掛ける。

「あ、あのっ」
「え? ああ、すいません。ドロップアイテムを確認してて……どうしました?」
「そ、その……アイビスさんって、まだ『始まりの街』には行ってないですか?」
「そうですね。さっき『アルヴェル』を始めたばかりなんで」
「私もっ! 私もっ、始めたばかりで、まだ『始まりの街』には行ってなくてっ……その、何と言うか……」

 手に待っていた木製の長杖を消すラークが、どこか言いにくそうに言葉を濁す。輝樹をサラマンダーとの戦闘に巻き込んだ事を気にしているのだろう。
 人と話すのは苦手そうな素振りなのに、それでも頑張って話そうとしているラークの姿に、思わず輝樹は吹き出した。

「それじゃ、一緒に『始まりの街』に行きます?」
「うぇっ──い、いいんですか?!」
「その代わりと言っては何ですけど、HPを回復してくれませんか? ザコモンスターの攻撃一発喰らうだけで死にそうなんで……」
「あっ、あ! わ、忘れてました! 『ヒール』っ!」

 輝樹の体力ゲージが、4分の3まで回復する。スゴい回復量だ。
 獲得したステータスポイントを物理攻撃力に割り振った輝樹は、続いてマップを表示する。

「それじゃ、行きましょうか」
「は、はい!」

 慌てて隣に並び立つラークと共に、輝樹は『始まりの街』を目指して歩き始めた。

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