蒼子のおそうじ日記

地野千塩

第8話 楽を捨てる

 人間は慣れには逆らえないのか。

 最初は身体を壊すぐらい大変だった配送センターでの仕事だが、だんだんと慣れ、今では新しく入った人にマニュアルを教えるほど蒼子は成長していた。

「カッターの扱いは本当に気をつけてね。安全第一」

 まだ大学生ぐらいの若い女の子にカッターの使い方、スキャンの仕方、コンテナの組み立て方などを説明する。

 本来なら上司の仕事であるが、人手不足で職場は余裕もない。必然的に蒼子も教える立場をやらざるおえない。想像以上に大変な仕事に挫折し、辞めるものも多く、人の出入りは激しかった。蒼子は人見知りタイプでもなく、同性だったら誰とでも普通に話せるが、そうでは無い人は意外とここも大変かもしれない。やはり世間のイメージでいう配送センターや工場はコミュ障には楽というイメージは、大きな誤解があるだろう。実際、鈍臭くコミュ障っぽい男達は、何人かやめていた。こんな光景を見ていると楽できる仕事なんて無いと思わされる。

 また、配送センターでは最新技術を取り入れているようで、ロボットの数も増えていた。この仕事もいつまであるのか謎と思いつつ、蒼子は日々頑張っていた。

 仕事上がりは体力は全て取られ、へとへとになってしまう。それでも仕事終わりにコンビニでスイーツや牛丼を食べると、想像以上に美味しく感じた。事務職をやっていた時には味わえない美味しさだった。

 今日は夜勤だったが、仕事終わりにコンビニにより、ちょっと高いカツサンドを買って帰る。

「美味しいわ」

 疲れでへとへとになってはいたが、この時間に食べる食事は、何よりも美味しく感じてしまった。お部屋で引きこもっていた時間が信じらていぐらい。綺麗な部屋で美味しい物を食べるのが、こんなに嬉しい事だとは以前は気づかなかった。

『蒼子。その調子よ。せっかく部屋も綺麗になって来たんだから、習慣化して維持しようじゃないの』
「しゅ、習慣化?」
『そうよ。せっかく断捨離しても元通りになる事だってあるんだからね!』

 普段厳しいピー子だが、今日はちょっと怖い事を言ってきた。何回も断捨離と汚部屋を繰り返してしまう人も少なくないという。

『表面的に目に見えるところだけ片付けても無駄って事よ。心が変わらないと、同じことを繰り返すわ』
「う、耳が痛い」

 美味しい食事の後だったが、耳が痛い。ただ汚部屋の原因も、心の問題だと気づいてきた。

『まあ、よく考えて』
「うん」

 ピー子が鳥籠に帰ると、ノートを広げて考えてみる事にした。

 前回は安さを捨てる事に決めたが、その心の奥にあったものは、一体何だっただろうか?

「何でも安いものに飛びついていたのは……」

 もしかしたら、楽したいという気持ちだったのかもしれない。

 今までの仕事も学校もいかに楽ができるかという理由で選んでいた。

 今も気になる求人があったが、「家が近い」「業務内容が楽そう」という観点で選んでいたような……。

 配送センターでの仕事も接客などよりは楽そうだというイメージで選んでいた事は否定できなか買った。

 実際現場に入るとそのイメージとは全く違い、コミュ力も必要で体力も使う。

 楽しているようで、かえって大変な事になっているような?

 安いものも結局は、汚部屋になり、余計に大変な事になっていた。

 その根本にある「楽をしたい」という気持ちを消せない限り、いくら部屋を綺麗にしても無駄になる未来が見えてしまった。

・楽を捨てる

 ノートに大きな字で書いてみた。今の自分が一番捨てなければいけない感情だちと気づいてしまった。

「そうか。これを捨てれば掃除を習慣化できるかもしれない?

・とりあえず毎日五分だけでも掃除する
・明日から、いや、違う! 今から五分だけでも!

 蒼子はノートにそう書くと、サンドイッチの殻を片付け、床に落ちたパンくずなどを掃除して綺麗にした。

・すぐ片付ければ気持ちがいいじゃん!
・やっぱり楽を捨てよう

 ノートに書くと、掃除もすぐやる事を目標にしようと決めた。

 習慣化はコツが必要だと思い、色々と情報を調べた。掃除を習慣化するには、毎日音楽をかけ、その音楽をかけた時は「掃除脳」にするのが手っ取り早いという。

 これは悪くないアイデアだと思い、ピー子からおすすめの音楽を聞き、試してみる事にした。

 毎日朝に五分だけだが、同じ音楽をかけ、掃除婦をかけたり、床を拭いたりしていた。ちなみにピー子のおすすめな音楽は讃美歌だった。

「慈しみ深き〜♪」

 そんな音楽をかけながら、毎日掃除していたら、綺麗な状態を維持できるようになってきた。音楽を使う方法は効果的で曲がかかると自動的に身体が動くようになってきた。

 そんなある日。

 職場に新しい人がやってきた。広い配送センターで道に迷っていたようだ。

 そのままスルーする事もできた。前だったら誰かが気づいてくれるだろいと無視していただろう。

 でもこれも一種の楽をする事ではないか?

 勇気もいる。こちらの余計なお節介になる可能性だってあったが。

『楽していていいの?』

 どこからかピー子の声が聞こえてきそうだし、このままだと何より自分の方が気持ち悪い。

「どうしたんですか?」

 新しく入った人に声をかけていた。予想通り道に迷ったようで人事部の方まで案内すると、とても喜ばれて感謝された。

「ありがとうございます!」

 勇気を出してよかったかもしれない。誰かの役に立てたのが嬉しくもあった。

 仕事の本質はこれなのか。今までは全部「楽したい」を基準で選んでいたが、大きな間違いをしていたようだ。これからは楽でもお金でも無い基準で仕事を選んでも良いかもしれない。迷っていた蒼子だが、ようやく光のようなものが目の前に見えてきた。

 小さな出来事だったが、大事な事に気づけたようだ。

・お金ではない
・楽でもない
・誰かの役に立つ
・仕事も掃除と同じかも?
・その観点だったらAIにも最新技術にも負けない?

 家に帰り、ノートにそう書きながら冴子の顔も浮かんできた。冴子もタイの子供達の為に仕事をしていた。

 冴子と会ったら、何かヒントが掴めるかもしれない。今はバイトをしていたから忘れそうになっていたが、冴子に会ってみたい気持ちが湧き上がってきた。

『決める時よ、蒼子!』

 ピー子はまるで蒼子の気持ちを見透かしいるようだ。

「うん、そろそろ決める時だね……」

 蒼子はピー子を手の平に乗せると、深く頷いていた。

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