婚約破棄された公爵令嬢は、奴隷を花婿に仕立て上げます

赤頭巾ぐりこ

31.夢見た先


 その日、久しぶりに《薔薇水晶の妖精眼》で、わたしは未来を見通した。
 幼い頃から幾度も繰り返し見てきた夢だ。

 美しい午後の陽射しが、葉からこぼれている。
 窓から差し込むあたたかな木漏れ日に照らされて、わたしはやわらかく微笑むのだ。
 薄紅色の髪が、さらりと揺れた。
 わたしが見つめるのは、愛しいひとだ。

 そんなわたしの左手の薬指に、そっと指輪が嵌められる。
 指先の薔薇水晶の宝石が、美しくきらめいた。
 
 ――結婚指輪だ。

 それは、真っ赤な苺を砂糖で煮詰めたような。
 甘く幸せな情景。

 わたしは頬を赤らめ、己の左手に指輪を嵌めてくれた殿方を見つめた。
 その殿方の顔は――……


  ◇◇◇


 こんこん、というノックの音でわたしは我に返った。

「どうぞ」

 おずおずと扉を開けてやってきたのは、すっかり元気になったクォーツだった。
 医師からはすさまじい回復力だと驚かれていた。

「なにか用かしら」
「あの……それがだな……」

 もじもじするだけで、なぜか用件を話そうとしない。
 わたしは小首を傾げて、クォーツにこう提案することにした。

「とりあえず、お茶にしましょうか」

 給仕のルチルに頼んで、焼きたてのスコーンを運んでもらう。
 いつものようにクォーツが紅茶を淹れれば、ささやかなアフタヌーンティーの始まりだ。

 スコーンを運んでくるとき、なにか意味ありげなルチルの視線をわたしは感じていた。
 去り際にまるで「がんばれ」というように、ルチルがクォーツに目配せをしたのも見逃さなかった。
 なにかある。察せないわたしではない。

「……紅茶おいしいです」
「ああ、そうだな」
「スコーンも香ばしくておいしい」
「ああ、そうだな」
「わたしの話聞いてます?」
「ああ、そうだな」

 ダメだこれは。
 なにか緊張したようにクォーツはガチガチになっているし、機械みたいに同じ相槌を繰り返すだけだ。
 まだあたたかいスコーンを皿に置く。
 こほん、と咳払いをしてわたしはクォーツに促すことにした。

「で、用件というのは?」
「……あー、それは」

 それでもクォーツはもじもじしていたが、やがて意を決したようにわたしに切り出した。

「結婚式、めちゃくちゃになっちゃっただろう」
「ええ。でもそのお陰で、ジャスパーを失脚させることができました」
「それは……そうなんだが」

 困ったようにクォーツは苦笑する。

 湯気を立てるティーカップを、クォーツはテーブルに置いた。
 スコーンの甘い香りと、紅茶の芳しい香りが部屋の中で混じりあう。
 不思議な沈黙がふたりの間に流れて。そして。

「渡しそびれちゃったからさ。タイミングを失ってしまって」

 そう言うと、懐から小さな木箱を取り出した。

「だから今、受け取ってもらえるかい」

 改まった仕草でクォーツが木箱を開けると、その中には小さな指輪が入っていた。
 大粒の薔薇水晶の宝石をあしらった、結婚指輪。
 幼い頃から幾度も夢見てきた、それだった。
 わたしは、息を飲んだ。

「これは……」
「結婚指輪。式はまた改めてって、御父上が言ってたけど。いつになるか分からないだろう。だから」
「クォーツ」
「はい」

 急に名前を呼ばれて、クォーツはびくりと肩を震わせた。
 わたしは、にこりと微笑んだ。小さな薔薇の蕾が花開くように。

「こういうものは、花嫁の左手の薬指に、花婿が嵌めて差し上げるものなのですよ」

 そう言って、左手をクォーツにまっすぐ差し出した。

「さあ」

 わたしが悪戯に微笑むと、クォーツも顔を綻ばせる。

「それでは、謹んで」

 左手の薬指に、薄紅色の宝石がきらめく指輪が通されてゆく。
 あたたかな光を放つそれは、夢の中で見たものよりも数段と美しく見えた。
 午後の日光が幾筋か射しこんで、部屋の中にまだらの模様を描く。
 窓から木漏れ日が降り注ぐ中、ふたりだけの婚姻の儀式が執り行われる。

「ローズ。健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも……」

 クォーツの穏やかな隻眼がわたしを見つめた。
 決まりごとのように、改まった口調でクォーツは口上を紡ぐ。

「あなたを愛し、敬い、慰め、助け、この命ある限り、真心を尽くすことを、俺は誓います」

 言い終えると、緊張を解き、ふわりとクォーツは相好を崩した。

「俺の故郷では、こうやって愛を誓うんだ」
「初めて聞く口上ですね。……良い響きです」
「ローズも、俺に誓ってくれるかい?」

 わたしは満面の笑みを浮かべた。
 きっと浮かべているのは、満開の薔薇のように、きらびやかな笑顔だ。

「ええ、もちろんです。でもその前に」
「その前に?」

 クォーツは小首を傾げた。

「あなたの、本当の名前を教えてください」

 ああ、そんなことかと。
 クォーツは微笑んだ。

「まだ言ってなかったな。俺の本当の名前は――……」


  ◇◇◇


 左手の薬指にきらめく、薔薇水晶の結婚指輪。
 それは、幸せな結婚の象徴。
 幼い頃から幾度も繰り返し見た夢だ。

 きっとその指輪をわたしの薬指に嵌めてくれた旦那様は、わたしを幸せにしてくれるという確信があった。絶対に。


〈終〉

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