婚約破棄された公爵令嬢は、奴隷を花婿に仕立て上げます
23.君と茶葉
不審な動きをする給仕を廊下で見かけたのは、早朝のことだった。
給仕はきょろきょろと辺りを確認したあと、足音を忍ばせてクォーツが病室代わりに使っている私室の方角へと向かう。
若い女の給仕が、クォーツに何の用なのだろうか。
胸にちくりと小さな嫉妬の棘が刺さった。
わたしは我慢できずに給仕の後を追いかける。
給仕がクォーツの部屋をノックしようとしたタイミングを見計らい、わたしは給仕に声をかけることにした。
確か、彼女の名前は――……
「ルチル。給仕がいったい病人のクォーツ様に何の御用かしら」
「ろ、ローズ様。これは、その……!」
その時のルチルの慌てっぷりと言ったらなかった。
目を白黒させ狼狽し後ずさりすると、手に持った紙袋を廊下に落とす。
「あら、なにか落としましたよ」
紙袋を拾い上げる。
「ああ、ローズ様。なんてこと……」
「ルチル。落ち着きなさい。なにも分からないわ」
「ローズ様がわたしの名前を何度も呼んでくれて嬉しい……じゃなくって、これはですね、その……」
もじもじと言い訳を考えている様子のルチルだったが、やがて観念したように息を吐いた。
「ローズ様に隠し事はできませんね。私が話したことは秘密にしてください」
「わかりました」
わたしが頷くと、ルチルはわたしが拾った紙袋の封を解いた。
紙袋の中には、樺色の茶葉が入っていた。
ルチルは声を潜めて先を続ける。
「クォーツ様からの頼まれ物です。ローズ様には秘密にしてほしい、と」
「この紅茶の茶葉を……?」
「ええ」
ルチルは穏やかに微笑んだ。
「ローズ様に紅茶を淹れるのが日課だったのに、最近は逆ばかりだと。リハビリにローズ様に美味しい紅茶を振る舞いたい、とクォーツ様はおっしゃっていました」
「まあ」
わたしは顔を赤くして頬を押さえた。
「ローズ様は愛されていらっしゃいますね」
「ルチルは嬉しそうな顔をしていますね」
「我らが主であるローズ様が、素敵な婚約者を得られたのです。これ以上に喜ばしいことはありません」
にこにこと、ルチルは微笑んでいる。
「……ねえ、ルチル。わたし、いま幸せに見えるのかしら」
「ええ、とても」
「王太子殿下の婚約者だったときよりも?」
「僭越ながら、私の目にはそう見えます」
「そう」
「ローズ様は変わられました」
わたしを祝福するように、ルチルは穏やかな眼差しを向けている。
確かに、昔は王太子殿下に相応しい女性であろうと必死だった。
貴族らしく、高貴に振る舞わねばと。
給仕とこのように立ち話をするなんて考えられなかった。
それは、王太子殿下の婚約者として相応しい振る舞いではなかったから。
けれど、クォーツとの出会いがわたしを変えてしまった。
使用人との距離が、以前よりも縮まったのは間違いない。
「ローズ様、申し訳ございません」
「どうして?」
「せっかくのローズ様へのサプライズを、わたしが台無しにしてしまいました」
「気にしないで頂戴。わたしが無理やり聞き出したのです」
小さな嫉妬をルチルに覚えていた、数分前の自分を恥じた。
わたしはなんて浅はかな人間なんだろう。
「それよりも、これからもクォーツ様の相談に乗ってあげてください。彼はここでは孤独ですから」
「ローズ様がいらっしゃるのに?」
「わたししかいないからです」
よろしく頼みますよ、とルチルに微笑む。
ルチルは感激したように目を輝かせてぶんぶんと首を縦に振った。
「はい、ローズ様。もちろんです!」
かわいらしい子だ、と思う。
知らなかった。こんなにも従順にわたしを慕ってくれている給仕が、身近にいたことを。いや、知ろうともしていなかった。
「では、今朝ここであったことは、ふたりの秘密です」
わたしは悪戯に微笑むと、廊下をあとにする。
背後で「ローズ様とふたりの秘密……!」と黄色い声が飛んだ気がした。
◇◇◇
「どうしたんだ、ローズ。今日はいやに上機嫌だな」
今朝の出来事があってから、自然と口角が上がっていたらしい。
ベッドに横たわるクォーツにそう声を掛けられた。
「朝からいいことがあったんです」
正確にはいいことがこれから起こる、だが。
今日はクォーツの淹れてくれる紅茶が久々に飲める。
そう思えば、声も自然と弾む。
「そうか。……そういえば、上等な茶葉を手に入れてさ」
来た!
わたしは薔薇水晶の瞳を輝かせる。
「そ、そうなんですか」
ダメだ。まだ喜ぶんじゃない。
精いっぱいに落ち着いた声を出す。
「リハビリも兼ねて、久々にローズに紅茶淹れていいかな? 最近、淹れてもらってばっかりだから」
ぎこちない動きで、クォーツがベッドから立ち上がる。
「その……嬉しいですが。立ち上がって大丈夫なんですか?」
「そろそろリハビリしていこうって、医者の先生も言ってたから。時間かかるけど、待っててくれるかい」
壁に手を遣り、伝い歩きをしながら、クォーツは棚の中の茶葉に手を伸ばした。
たったそれだけの動作なのに、クォーツの息は荒い。
リハビリ、という言葉も頷けた。
「もちろん。いつまででもお待ちしています」
やがて、芳しい紅茶の香りが部屋に漂い始める。
ふたりだけのお茶会は楽しいものとなった。
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