婚約破棄された公爵令嬢は、奴隷を花婿に仕立て上げます

赤頭巾ぐりこ

15.鮮明な夢

 
 また、いつもの夢を見た。

 冬の風にざわめく木々。
 そして、川のせせらぎの音。

 おぼろげだった夢の輪郭を、今回はなぜかはっきりと捉えることができた。
 風の匂いも、肌を刺すような寒さも、水に濡れた服の感触も。
 すべての感覚が、まるで現実のようだ。

 この後の展開はとうに知っている。

 唇に触れる柔らかなぬくもり。
 永遠にも思える、長く情熱的な接吻。

 初めてのキスを奪ったその人は、わたしの顔を覗き込んで、笑った。
 
「……クォーツ?」

 彼の名を、呼んだ。
 濡れた唇を人差し指でなぞって、わたしは頬を赤く染める。

 いつもならここで夢から醒めるのに。
 今回の夢は、どうやら勝手が違うらしい。

 クォーツが大きく手を広げて、わたしに覆いかぶさった。

「ローズ、よかった」

 やわらかく抱きしめられる感触。
 じんわりと、あたたかい。
 胸の中になにかの感情が、広がって。

「このまま――……」

 クォーツの声が、すぅっと遠くなる。

 ちょっと待って。ここで夢が醒めてしまうの?
 このまま、なんだというのか。

 こんなにも甘い雰囲気の男女がキスをして抱き合っている。
 もしかしなくても、この後起こることは、ひとつしかないのでは……?


  ◇◇◇


「きゃあああああああああああああああ!!!!」

 数週間ぶりに、わたしは自分の叫び声で目を覚ました。
 いつもはキスをするところで夢が醒めるというのに。
 今回はその少し先まで、《薔薇水晶の妖精眼》で見通してしまった。

 ばくばくと跳ねる胸を押さえて、息を整える。
 顔が熱い。ベッド脇の鏡台を見遣れば、耳朶まで顔を真っ赤にした自分がいた。

「もう、もうもうもうもう!」

 じたばたとベッドの上でのたうち回り、腹いせに枕を殴った。
 こんなはしたないところ、誰にも見せられない。

「なんだっていうんですか!」

 ここにいない誰かさんに抗議したって仕方がない。
 どうしてキスして抱きしめたんですか、と聞いたところで今の彼が知るはずもない。

 ――けれど、夢の予知は絶対だ。

 遠くない未来、わたしはクォーツとキスをする。


  ◇◇◇


「……ローズ、大丈夫かい」
「唐突になんですかクォーツ」
「さっきから、空の皿にフォークを突き立ててる」

 ふたりの朝食の席。
 わたしはクォーツの言葉にハッとなり、空の皿を見つめた。
 とうに朝食を平らげていたことにも気づかず、皿にフォークを突き立て続けていたらしい。
 呆けるにも程がある自身の行動に、顔を赤くした。

「すみません。はしたないところを」
「そんなに今日の舞踏会が心配なのかい」

 心配するようにこちらを覗き込むクォーツの仕草が、夢の中のクォーツと重なった。
 別の意味で、わたしは顔を赤くする。照れ隠しにぷい、と顔を背けた。

「あなたのせいです、クォーツ」
「えっ、どういうことだい」
「なんでもありません」

 相変わらずの可愛くない態度。
 自分で自分が嫌になる。
 困ったように頭を掻くクォーツに気まずさを覚えて、わたしは彼に水を向けた。

「朝食が終わったら、舞踏会の身支度を整えます」
「ああ、分かってる」

 任せとけ、と言わんとばかりにクォーツは胸を張った。

「クォーツの社交界デビューですね」
「奴隷身分に光栄なことだ」
「今のあなたは異国の王族ですから」
「違いない」

 軽口を叩きあう。ようやく、いつもの調子だ。

「いいですか。設定はちゃんと頭に入っていますね?」
「もちろん」

 大きく頷いてから、クォーツはぺらぺらとわたしが作った設定を語りだす。

「俺は異国の王族。領地で狩猟の折、左目を負傷。その療養のためこの国をお忍びで訪れた」
「出自を詳しく聞かれた場合は?」
「東方の国から、とぼかす。お忍びであることを強調をすれば、恐らく追及はされないって話だよな」
「そうです。具体的な国名を出せば、ボロが出かねませんから」
「……そういえば」

 ぱちり、とクォーツは隻眼を大きく瞬かせた。

「俺、ローズの父上に、出自を詳しく聞かれていないな」
「婿入りしてくれるのなら、相手のことは詮索しないとお考えなのでしょう。そういう話題に変わりそうなときは、わたしが間に入っていましたし」
「大切なひとり娘の婿になる男だぞ。もう少し、こう……」

 もしかしたら、という勘の話になってしまうけれど。
 結婚を急かす父の考えていることは、薄っすらと察しがついていた。
 それを今ここでクォーツに話すのは得策ではないように思われて。

「あなたは命の恩人ですから。ひとり娘の相手にこれ以上の人物はいないと考えるのは当然の帰結でしょう。出自を詮索して相手の機嫌を損ねては元も子もありません」
「そうかなあ」
「そういうものです」

 いいですか、と。ピシリとわたしは人差し指を立てた。

「つい百年前までは、戦で大きな武勲を立てた将に対して、貴族が娘を褒美のように将に嫁として与えるのがこの国の習わしでした。あなたの行いは、大きな武勲を立てた将に匹敵するものです」
「ああ。『魔王を倒した勇者に我が国の姫をやろう』って王様がRPGでよく言うやつだな」
「あーるぴーじー……?」
「ごめん。なんでもない。忘れて」

 時々、クォーツは訳の分からないことを言う。
 彼が元々いた『世界』の何かだということは分かるのだが、こういう何気ない瞬間に、わたしはカルチャーショックを覚えるのだ。

「……そういうボロ、舞踏会では出さないでくださいね」
「すみません」

 しゅんとするクォーツが何だか珍しくって、わたしはくすりと笑いを漏らした。

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