キジナキの巫女

ibis

3話

 ──夜10時前。正輝は、善人と共に『雉鳴神社』の本殿前に立っていた。
 そんな正輝は、神社の神職が着るような神官装束を着ていた。
 善人の話だと、この神官装束は特殊性で、キジに攻撃されても簡単には破れたり穴が空いたりしないのだとか。

「──ん……早いわね、もう来てたの?」
「雉鳴さん、と……衛守さんも」
「お昼ぶりですね、竹上さん。この場にいるという事は、『祓いの儀』に参加されるので?」
「まあ、はい」
「そうですか。足手纏いにならないよう、精々頑張って下さいね」

 辛辣な沙耶香の言葉に、正輝は苦笑を返した。
 ──美琴と沙耶香も、正輝と同じ神官装束を身に纏っている。
 美琴は短剣を、沙耶香は刀を持っており、これが『退魔の四祓』なのだと正輝は直感した。

「正輝君、『祓いの儀』についておさらいしておくね。キジは攻撃したら祓う事ができる。時間は午後10時から午前0時までの間。キジの出現する場所は『雉鳴神社』の敷地内。今日は美琴と一緒に行動する事。いいかな?」
「わかりました」

 正輝の返事を聞き、善人は腕時計に視線を落とした。

「さて……もうそろそろ10時になるね。みんな、準備はいいかな?」
「うん」
「もちろんです」
「は、はい」
「それじゃあ、後は任せるね」

 三人が返事を返し、善人が『神社』の外へと向かう。
 ……あの人は、『祓いの儀』に参加しないのか。まあ、『退魔の四祓』は美琴と沙耶香が持っているし、キジを祓う手段がないのだろう。
 とは言え……まさか、美琴と沙耶香が『祓いの儀』に参加するとは。
 善人ではなく、美琴と沙耶香が『退魔の四祓』を持ってこの場に残ったという事は、二人は善人よりもキジを祓うのが上手いのだろう。

「……10時まで、あと5分……」

 スマホの画面で時刻を確認し、正輝は夜風の冷たさに体をブルリと震わせた。

─────────────────────

 ──ゴーン……ゴーン……
 拝殿のある方向から、鐘の鳴る音が響いた。
 直後──正輝の背筋に、悪寒が走る。
 ……なんだ、これ。なんだ、この感じ。
 嫌な予感が体を巡る。文字通り、空気が変わった。

「10時になりましたね。ではお嬢様、私は社務所の方のキジを祓ってきます」
「えぇ、任せるわ」
「竹上さん、お嬢様の迷惑にならないよう気をつけるように」
「……はい」

 慣れた足取りで本殿前を去っていく沙耶香。その後ろ姿を見届け、正輝は震える手足に視線を落とした。
 ──悪寒が止まらない。キジが現れる時間帯になったからだろうか?

「大丈夫?」
「だ、大丈夫です。ちょっと悪寒がするだけで……」
「そう。キジの出現を感じ取ってるのかもね」
「……その、キジって何なんですか?」
「あら、父さんから説明されてないの?」
「悪霊って事しか聞いてなくて……詳しくは教えられない、と」
「……後ろ」
「はい?」

 どういう事だ? と思いながら、正輝は背後を振り返った。
 ──正輝よりも頭一つ分ほど小さな、黒いモヤ。
 ゆらゆらとモヤが揺れているためわかりにくいが、よく見ると黒いモヤは人型を保っている。
 化け物、もしくは幽霊──そう表現するのが相応しい。
 間違いない。あれが──

「…………あ、れ……あれ、が……」
「えぇ、あれがキジよ」

 ──ヒタリ。
 黒いモヤが、一歩足を踏み出した。のっそりと、ゆっくりとした動作で。
 ──ヒタリ。ヒタリ。
 正輝に真っ直ぐ歩いて来るキジ。対する正輝は、非現実的な光景に動けないでいた。
 ──ヒタリ。ヒタリ。ヒタリ。
 キジが右腕らしき部位を振り上げる。先端には、鉤爪のような何かが付いている。あれで攻撃されたら、間違いなく即死するだろう。
 ──ヒタリ。ヒタリ。ヒタリ。ヒタリ。
 本能が全力で警鐘を鳴らし始める。逃げなければと理性が訴える。だが、感情きょうふが体の自由を奪って動けない。
 ──ヒタリ。ヒタリ。ヒタリ。ヒタリ。ヒタリ。
 ……動け、動け。
 ヒタリ。ヒタリ。ヒタリ。ヒタリ。ヒタリ。ヒタリ。
 動け……動け、動け動け動け。
 動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け──
 このまま突っ立ってたら──死ぬぞッ?!

「うッ──あああッッ!!」
「──ふっ!」

 キジの鉤爪が振り下ろされるよりも早く、正輝の拳が放たれた。
 高速で迫る拳撃が、キジの顔面らしき部分に叩き込まれ──さらに、美琴が短剣を胸部に突き刺す。
 よろめくキジ。間髪入れずに、正輝が掌底を腹部に打ち込み、美琴が短剣を引き抜いて喉元を斬り裂いた。
 ぐにゃり、とキジの体が歪に揺らめき──黒い粒子となって霧散する。

「……は、ぁ? 消えた……?」
「祓ったのよ。それより……本当に殴るだけでキジを祓えるのね、あなた」
「それについては、俺もよくわかんないんですけど……」
「って言うか、よく動けたわね。初めてキジを見たら、怖くて動けないと思ってたんだけど……以外と度胸あるのね、驚いたわ」
「ど、どうも……」

 感心したように、美琴が微笑を見せた。
 そして──切れ長の瞳を細め、正面に視線を向ける。

「さて……それじゃ、続けようかしら」

 正輝と美琴を囲むように、大量のキジが姿を現す。
 その姿は先ほど祓ったキジと同じく、手先に鉤爪が付いている個体ばかりだ。

「多すぎだろ……?!」
「半分は任せるわ。ここにいるキジを祓い終わったら、次は手水舎よ」

 ズリ、と這いずるような動きで、キジの群れが正輝に迫る。
 反射的に身構える正輝。それとは対照的に、美琴は近くにいたキジに襲い掛かった。
 躊躇なく短剣をキジの顔面に突き刺し、勢いよく振り抜く。かと思うと、今度は短剣を投擲。短剣は真っ直ぐキジの胸部に命中し、すぐに引き抜いて体勢を崩すキジの喉元を斬った。
 無駄のない洗練された動き。相手を殺すために特化した急所を狙う攻撃。化物を相手に一切怯まない度胸。これが自分と同い年だという事に驚きだ。
 思わず呆然と美琴の早業に見惚れる正輝。目の前に迫ったキジが鉤爪を振り上げるのを見て、慌てて前蹴りを放った。
 激しく地面を転がるキジを見て、正輝は素早く構え直す。

「あっ、ぶねぇ……!」

 次々に迫るキジの大群。浅く息を吐いて呼吸を整え、正輝は肘を折り畳んで拳を正面に向けた。
 一番近くにいたキジに狙いを定め──正輝の姿が消えた。

「ッしぃッッ!!」

 いつの間に距離を詰めたのか、キジの顔面に拳をねじ込む正輝がいた。
 そこからさらに腰を落とし、地面を踏み込んで掌底を放つ。
 鳩尾付近を襲う衝撃に、キジがその場に膝を付き──その姿が霧散した。
 祓った──その事実を確認するのと同時、別のキジが鉤爪を振り下ろす。
 咄嗟に鉤爪を横から殴り飛ばし──鉤爪の軌道が逸れ、正輝の真横を走り抜けた。
 ガラ空きになったキジの横っ腹に膝を入れ、さらに下顎を蹴り上げる。
 上空を見上げるような体勢になるキジ──その首元を、思い切りぶん殴る。
 ぶっ飛んでいくキジの体が薄くなり──黒い粒子となって消えた。

「これっ、0時まで続けるんですか……?!」
「そうよ、気合い入れなさい」

 言いながら、美琴はキジを祓い続ける。
 ──結局、キジがどういう存在なのかわからないし、何故自分にはキジを祓う力があるのかもわからない。そもそも、なんで夜の10時から0時までしかキジが現れないのか、何故『雉鳴神社』の敷地内にしか出現しないのか──わからない事だらけだ。
 だが──自分には、キジを祓う力がある。そして、今自分はキジに襲われている。
 ならば、やる事は決まっている。
 らなきゃられる状況で、黙って突っ立ったままなんて──できるわけがない。
 闘争本能──正輝の中で息づく古武術の経験が、恐怖に怯えていた正輝の精神状態をハイに引き上げていた。
 待て、落ち着け。興奮し過ぎるな、冷静になれ。

「はぁ……!」

 深く息を吐き出し、迫るキジを殴り飛ばす。
 先ほどまでの慌てて迎撃していた様子とは違う、冷静で的確な攻撃。
 その場にしゃがみ込んで近くにいたキジの足を素早く払い、仰向けに転んで無防備となった顔面に拳を振り下ろした。
 立ち上がる勢いのままキジの下顎をアッパーで打ち上げ、ガラ空きとなった腹部に後ろ回し蹴り。
 ──動ける。戦える。勝てる。
 現状は何も理解できていないが、それはそれとして思いっきり暴れるのは気持ちがいい。
 拳がズキズキと痛む。何度もキジを殴っているのだ、それも当然だろう。
 美琴と共にキジを迎撃し続ける正輝──その視界に、小さな黒いモヤを捉えたのは、たまたまだった。

「は──?」

 ──地面を這うように駆ける小さな体躯。鋭く生え揃った牙。キジ特有の黒いモヤは体毛のように揺れている。
 瞬く間に正輝との距離を詰めたソイツは、鋭い牙を剥き出しにして正輝の足に噛み付いた。

「い、ぎッ──?!」

 全身に電流が走る。正輝の肌を鋭い痛みが襲った。
 思い切り足を振り、噛み付いて来たソイツを力任せに振り払う。

「なんだコイツ……?! い、犬……?!」

 正輝の足に噛み付いたのは──犬をかたどった黒いモヤだった。
 声帯がないのか、遠吠えを上げるような動作を見せる犬型のキジ。
 直後──辺りか揺らめき、無数のキジが姿を現す。
 その全てが、犬型のキジだ。

「──犬型のキジね。噛まれたみたいだけど、大丈夫?」

 美琴に言われて、正輝は自分の足に視線を落とした。
 ──出血はない。外傷もない。何なら、神官装束に穴すら空いていない。

「あ、れ……? 傷は……?」
「その服のおかげよ。生身だったら、間違いなく出血していたわ。最悪、肉を食いちぎられていたかもね」
「怖い事言わないで下さいよ……」
「ふふっ、ごめんなさい。でも、神官装束を着ていなかったら間違いなく食いちぎられていたわよ?」
「だから怖い事言わないで下さいって」

 ぷらぷらと足を揺らし、問題なく動かせる事を確認。
 そして──疾走する犬型のキジの顔面を力任せに蹴り飛ばした。
 爪先に重々しい衝撃が響き──ボシュッ! と、まるで爆発するかのように犬型のキジが霧散する。

「──あれ?」
「どうしたの?」
「いや……なんか、さっきまでのキジより脆いと思って」
「まあ、今のキジは犬型だから当然ね」
「キジって色んな姿なのがいるんです?」
「生前のによって変わるわ。怨念が強ければ強いほど、キジは大きく凶悪な姿に変貌するの」
「……お、怨念?」

 何やら物騒な言葉が聞こえ、思わず正輝は尋ね返した。
 そこでようやく自分の発した言葉に気づいたのか、美琴がため息を吐いて口を噤む。
 怨念──間違いなく、美琴はそう口にした。
 であれば、キジというのは──

「──ッ」

 ──ゾクッと、異様な気配を感じ取って体が震えた。
 ……何かがいる。正輝の背後に、異様な気配を放つがいる。先ほどまでは感じ取れなかった気配。他のキジと同じく、突如現れたのだろう。

「……へぇ? これはまた大物ね」

 特に臆した様子もなく振り向いた美琴が、不敵に笑って短剣を構える。
 恐怖を訴える思考を無視して、正輝は勢いよく背後を振り返り──
 ──そこに、正輝の倍以上は大きなキジがいた。
 高さは三メートルから四メートルといったところか。長い鼻をプラプラと揺らし、太い四本の足を地面に付けているソイツは、正輝の知っている動物に酷似していた。

「……ぞ、う……?」
「えぇ、象型のキジね」

 象型のキジと呼ばれたソイツは、逞しい前足を持ち上げて長い鼻を振り回した。おそらく威嚇のつもりなのだろうが、犬型のキジと同じく声帯がないのだろう。
 ──ズシンッ、と地面が揺れる。象型のキジが前足を下ろしたからだ。そのまま顔面を大きく振り、鈍器とも言える長鼻を──

「──うおおッ?!」

 重々しく風を切る音。勢いよく長鼻が振り抜かれる。当たれば間違いなく大ケガ、ともすれば死ぬ。素早く後ろに飛んで鼻による鞭撃を躱し、頬を流れる冷や汗を拭い取った。

「祓うわよ。気合い入れなさい」
「マジですか……!」

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