キジナキの巫女

ibis

4話

「────ッッッ!!!」

 象型のキジが咆哮を上げるような仕草を見せ、持ち上げた前足を振り下ろした。
 ズッッ──ゥゥゥウンンンッッ!!
 衝撃で地面に亀裂が走り、振動で正輝が体勢を崩してしまう。
 ──ゴオッッ!! という重々しい風を切る音と共に、象型のキジの長鼻が正輝に迫る。
 尻餅を付いたままの状態で、情けなく正輝が後退りをし──正輝の眼前に、長鼻が叩き付けられた。
 瞬間──地面が爆発。飛び散る土片が正輝を襲う。
 先ほど、犬型のキジの牙でも穴が開かなかった神官装束──それが、土片によって斬り裂かれた。

「チッ……! なんだ、これ……?!」
「その神官装束は、キジの攻撃だけに耐性があるの。飛び散る土とか、キジが投げた物とかには耐性が無いのよ。気を付けなさい」
「気をつけるって言っても……! クソッ──オラァッッ!!」

 素早く立ち上がり、全速力で駆け抜ける。
 肺の中の空気を少しだけ吐き、腹筋に力を込め、思い切り地面を踏み込んで拳撃を放った。
 ──ズッンンンッッ!! ──ミシッ。

「─────」
「ぅ──?」

 拳撃を放ったはずの正輝が、掠れた空気を喉から漏らした。
 渾身の一撃。全身全霊の一撃。基礎と基本を徹底した必殺の一撃。
 なのに──骨が軋む。筋肉が歪む。握り込んだ爪が手のひらを突き破り、ジワッと血が滲んだ。
 いや待て、なんで殴ったはずの俺が痛がって──

「いッ、づ──ぁッ?!」

 痛みに顔を歪ませ、殴った拳を反対の手で覆い隠してしまう。
 ──なんだよ、これ。こんなの、普通に戦って勝てる相手じゃないだろ。ふざけんなよ、なんでこんなヤツと戦ってんだよ。

「このッ──舐めんなッ!」

 連続で拳を振り抜き、象型のキジとの戦闘を再開する正輝。美琴は何をしているのかと視線を動かすと、蔓延るキジの群れを短剣で蹴散らしていた。
 そして──チラッと、美琴が正輝に目を向ける。
 その目は知っている。なんせ、午前中に沙耶香から同じような視線を向けられたのだから。
 すなわち──こちらを品定めするような視線。この先の戦いで通用するかを見極める目。
 心の中で舌打ちを漏らす。いいから助けてくれよ、と愚痴を溢す。
 ──こんなヤツ、とっととぶっ飛ばせば終わりだろ。頭の片隅で、そんな思考がよぎった。
 ブンブンと頭を振り、気合いを入れ直すために深く長い息を吐く。

「硬っ、過ぎるだろ──どんな皮膚だよ?!」

 己の体に染み付いた古武術の動きを駆使して、象型のキジに拳撃を叩き込む。だが、象型のキジは微動だにしない。次第に正輝の拳の皮が剥け、地面に鮮血が飛び散った。
 ──いいから、早く本気でぶっ飛ばせよ。再び、頭の片隅にそんな声がぎる。
 ふざけんな、誰が本気なんて出すか。心の中で正輝は反論した。
 もう、嫌なんだよ。この体質のせいで、周りから化物扱いされて独りになるのは──それだけは、絶対に嫌なんだよ。
 正輝の拳撃がさらに勢いを増していく。だが、象型のキジには通用しない。

「クッ、ソが──ッッ!!」

 象型のキジが長鼻を振り抜く。身を低くして鞭撃とも言える攻撃を避け、大きく地面を踏み込んで右の拳を放った。間髪入れず、殴った右手で掌底を叩き込む。
 猛虎硬爬山もうここうはざん──それは、八極拳の奥義の一つ。
 中段突きから、そのまま同じ腕で肘打ちや掌底などの連続攻撃を仕掛けるという技だ。
 正輝がこれまで戦ってきた相手で、これに対応できた者はいない。仮に対応できたとしても育ての親である父だけだ。
 なのに──こちらの右腕がビリビリと痺れる。弾力性のある皮膚によって弾かれたのだと理解する。

「マジ、かよ──」

 ギリッと、正輝が悔しそうに歯を食い縛る。そんな正輝の頭に過ったのは、悪魔の囁きだった。
 ──もういいだろ、お前の力じゃどうにもならない相手だ。なら、本気を出してしまっても仕方がないだろ。
 ふはっ、と正輝が乾いた笑い声を漏らす。
 ──もう充分だろ。普通の人を相手にする程度の力じゃ、コイツは倒せないだろ。
 確かに、その通りだ。このままじゃ、象型のキジには勝てない。戦いを見ている美琴をガッカリさせるだろう。
 ──なら、いいだろ。とっとと本気を出せよ。いつまで出し惜しみする気だ? 父親以外に本気を出せる機会なんて、何年振りだと思っているんだ?
 確かに──ああ、確かにそうだな。父親以外に本気で拳を振るったのなんて、最後がいつだったのかも覚えていない。
 すうっと正輝が息を吸い込み、ダランと全身から力を抜いた。
 その姿は──まるで、何もかもを諦めて死を覚悟したようにも見える。

「────ッッ!!」
「ちょっ──竹上君?!」

 象型のキジが前足を持ち上げる。美琴が慌てた様子で短剣を構えて駆け出す。
 ──美琴の目には、正輝が戦意喪失したかのように見えただろう。もしも正輝が客観的にこの光景を見たとしたら、同じ事を思うに違いない。
 象型のキジも同じく、正輝が戦意喪失したと思った。圧倒的な力の差を感じ、心が折れたのだと確信した。
 美琴が短剣を突き出す。だが、象型のキジが前足を振り下ろす方が早い。
 無慈悲な重撃が、正輝の体を踏み潰す──寸前。

「──もう、いいか……」

 ──ギロッ、と。正輝が象型のキジを睨み付けた。
 先ほどまでの緩い目付きではない。ともすれば、今から人を殺そうとしていると言われても信じてしまうほどに鋭く、射殺すような視線だ。
 文字通り、目付きが変わった──直後、象型のキジの前足が地面に突き刺さった。
 ──ドッゴンンンッッ!!
 象型のキジの一撃によって、美琴の視界が砂煙に包まれる。そんな砂煙の中から、何かがぶつかるような重々しい打撃音が響いた。

「──え?」

 砂煙の中から、何かが飛び出した。よく見れば、それは象型のキジだ。象型のキジが、砂煙の中から吹き飛んでいったのだ。
 自分で飛び退いた、という感じではない。何かとてつもない力によって吹き飛ばされたように見える。
 もうもうと立ち込める砂煙が晴れた時──そこには、人殺しのような目付きで象型のキジを睨み付ける正輝の姿が。

「……いきなり『雉鳴』に行けって言われて、初対面の女に文句言われて、命懸けで悪霊を祓えって言われて……なんだかんだ、イライラが溜まってたんだよな、俺。お前で発散させてもらうからな。覚悟しろよ化物」

 拳の骨を鳴らし、象型のキジに歩み寄る正輝。
 素早く体を起こした象型のキジが、歪に曲がった牙を突き出して正輝に突っ込んだ。
 ──グッと、正輝が拳を握り込む。その場で大きく踏み込み、腰を捻って右フックを放った。
 真っ直ぐに迫る牙を真横からぶん殴り──バキンッと音を立てて牙がへし折れ、そのまま象型のキジの鼻頭に拳が突き刺さる。
 同時に響く、先ほどまでとは比べ物にならない打撃音──どう考えてもあり得ないのに、象型のキジが殴り飛ばされた。

「……チッ、やっぱ硬いな」

 だが、正輝の拳も無事では済んでいない。
 象型のキジを殴った右の拳が真っ赤に腫れており、皮が剥けたのか出血もある。
 目の前の光景に唖然とする美琴。襲い掛かる人型のキジに気づき、慌てて迎撃する。

「──ッ……! ────ッ! ──────ッッ!!」
「うるせえッ──よッッ!!」

 振り抜かれる長鼻。対する正輝は、その場で回転して回し蹴りを放つ。
 ──ゴウッと、何かが美琴の真横を凄まじい速さで通り抜けた。
 振り返ると──そこには、黒く長いモヤのような物体が。
 千切れたのだ。象型のキジの鼻が。正輝の蹴りによって。

「なんて、ばか力……」

 ──ずっと違和感はあった。『雉鳴』の外から来る人が、『祓いの儀』に参加する事に。
 普通ならば、キジの存在なんて信じるはずがない。実際に『雉鳴』に住んでいる若者なんて、御伽話だと思っているほどだ。
 なのに、正輝は『祓いの儀』に参加している。キジの存在を信じ、それでも戦う事を決意した。自分が死ぬ可能性だってあるのに。
 だが……正輝の実力を見た事で、その疑問は完全にではないが解消された。

「……竹上君は、普通の人間じゃないって事なのね」

 自身が化物だから、他にも化物が存在していてもおかしくない──おそらく、そう思ったのだろう。
 これが、武神たけがみの血を引く者──『退魔の四祓』の力を宿一族なのか。
 しかし──別の疑問が残る。

「なんで最初から、本気で戦わなかったのかしら……」

 そう。最初からこの力を振るっていれば、象型のキジを相手に無様な姿を晒す事はなかったはず。何か制限があるのだろうか?
 空気を震わせるほどの拳撃。象型のキジがひっくり返る。無防備な頭部に正輝の蹴りが放たれた。まるでボールのように、象型のキジが蹴り飛ばされる。
 ──キジには弱点が存在する。人型のキジは、普通の人間の急所が弱点だ。そこを狙って攻撃する事で、効率的にキジを祓う事ができる。
 象型のキジは皮膚が硬い。しかし、腹部や肩、眼球付近の皮膚はとても薄い。そのため、象型のキジを祓う時はそこを狙うのが定石だ。
 なのに──単純な力のみで、正輝は象型のキジを圧倒している。

「──っしッッ!!」

 もう何度目になるかわからない打撃音。象型のキジが殴り飛ばされ、正輝の手から鮮血がボタボタと滴り落ちた。
 象型のキジにもダメージが入っているのは間違いないが、攻撃を仕掛けている正輝の傷も増えている。
 だが──正輝は怯まない。真っ赤に染まった拳を固く握り締め、大股で象型のキジに歩み寄った。

「…………ッ……! ────ッッ!! ──────ッッッ!!!」
「……あ?」

 象型のキジが咆哮を上げ──ボシュッ、と黒いモヤが体から放たれた。
 黒いモヤは象型のキジを瞬く間に覆い隠し──不可思議な光景に、正輝は不愉快そうに眉を寄せる。

「あれは……あの霧は──!」

 何かに気づいたのか、美琴が焦ったように短剣を投擲。
 吸い込まれるように真っ直ぐ黒いモヤへと迫り──ガキィンッッ!! という金属音が響いた。
 象型のキジが相手では、絶対に発生しないような音──クルクルと空中を回転しながら落ちてくる短剣に、一瞬正輝は視線を奪われた。
 ──ゾワッと、全身に寒気が走る。
 この寒気は知っている。キジが出現した時や、象型のキジが現れた時にも感じた悪寒だ。
 悪寒の正体は、黒いモヤの中にいる。
 慌てて黒いモヤへと視線を戻し──何かが黒い霧から飛び出した。

「竹上く──」

 美琴の声が聞こえるのと同時、正輝は思い切り上体を逸らしていた。
 ──ヒュオッ──
 軽くて鋭利な何かが、先ほどまで正輝の首があった所を横薙ぎに通り抜けた。
 ──ヒュオッ──
 再び聞こえる風切り音。素早く身を屈め、数瞬前まで正輝の胴体があった所を銀色の閃きが走り抜ける。
 ──ヒュンヒュオッ──
 今度は連続。地面を転がりながら音の正体と距離を取り、正輝は素早く立ち上がった。
 ──黒い……武士?

「あそこまでハッキリ怨念が形に現れたキジなんて……まさか、『雉鳴』に変わる前の……?!」

 美琴の驚愕した声。だが、そちらに構っている余裕はない。
 最初に戦ったキジよりも、足に噛み付いてきた犬型のキジよりも、強固な皮膚を持つ象型のキジよりも──ヒシヒシと、危険さが本能を刺激してくる。
 ──クハッと、正輝は笑った。

「いいぜ、あのゾウモドキじゃ物足りねぇと思ってたトコだ──少しは壊し甲斐があるんだろうな、サムライモドキ?」

 自分の手が血で汚れるのも気にせず、両手の骨をポキポキと鳴らす正輝は、黒い鎧兜に身を包むキジを相手に身構えた。

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