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緑の手を持つ花屋の私と、茶色の手を持つ騎士団長

ノベルバユーザー609746

第5話

 名前を教えて貰った日を境に、ジルさんと私は雑談を交わすほどには親交を深めていた。

 ジルさんに名前を教えて貰った後、そう言えば自分の名前を教えていなかったな、と気付いた私は、ジルさんが来てくれた三回目の日に改めて自己紹介したのだ。

「アン、今日もいつものように花束を頼む」

 自分の名前を何度も呼んでくれた人に好感を持つというように、ジルさんに名前を呼ばれる度に私の胸は高鳴ってしまう。

(こんなイケメンなのに声も良いとか反則だよね)

 私は胸の高鳴りに気付かれないように、笑顔で誤魔化して返事をする。

「はい! いつも有難うございます!」

 実際、私がジルさんにときめいたからと言って、何かが始まる訳じゃない。私はあくまでもジルさんにとってお気に入りの店の店員に過ぎないのだ。

 私は気を取り直して、ジルさんの花束に今日はどの花を使おうかと考える。

 ここは定番のローゼにリシアンサストルコキキョウは入れるとして、今回はまだ使ったことがないインカリリエンアルストロメリアアドーニスレースヒェンレースフラワーの組み合わせにしようと決める。

 以前作ったピンク系の花束になるけれど、花材が変わっただけで全然違う印象になるから、きっと喜んで貰えるに違いない。

「お待たせしました! こんな感じになりましたけど大丈夫ですか?」

「ああ、問題ない。今回も素晴らしい出来だ。彼女はアンの花束をいつも喜んでくれている」

「わぁ! 本当ですか?! 有難うございます! 彼女さんに宜しくお伝え下さい!」

「ああ、わかった」

 いつも花束を受け取ると、ジルさんはすぐに帰るので、今日も同じだろうと見送るつもりでいると、彼は店内をキョロキョロと見渡している。

(あれ? どうしたんだろう)

 私が不思議に思っていると、ジルさんが「自分用に何か花を見繕ってくれないか」と申し出た。

「え? ジルさんがお花を、ですか?」

「ああ、仕事場に飾ろうと思うのだが……俺は不器用だから、手が掛からない花をお願いしたい」

 ジルさんの希望を聞いた私は考える。

(仕事場に手が掛からない花ねぇ……)

 切り花だとどうしても水の交換が必要になるし、茎を切ってあげないといけないけれど、それって手間になるのでは、と思うと切り花はあまりお勧めできないかもしれない。

「えっと、切り花じゃなくてもいいですか? 鉢植えだったら基本、水をあげるだけで済みますけど」

「なるほど、じゃあそれでおすすめはあるか?」

「そうですねぇ……」

  私には温室があるから、季節関係なく花が育ってくれるけど、一般的な職場はその日の気温が諸に影響する。だったら寒さに強い植物が良いだろう。

「じゃあ、アルペンファイルヒェンシクラメンなんて如何でしょう。室内の日当たりがいい場所に置いておけば、冬の間中楽しむことが出来ますよ」

 どの花でもお手入れは必要だけど、アルペンファイルヒェンなら、花がらや黄色くなった葉をこまめに取り除くぐらいで、そんなに手間はかからないと思う。

 アルペンファイルヒェンは色も形も豊富で、贈り物にも喜ばれている。
 温室にある白いアルペンファイルヒェンなら、華やか過ぎなくて良いかもしれない。

(騎士団の詰所にピンクのフリフリな花はちょっと違うだろうし……)

「あ、実物を持ってきますので、少々お待ち下さいね」

 私は温室に向かい、育てているアルペンファイルヒェンの中から一番元気そうな子を選ぶ。

 たくさん種類があるアルペンファイルヒェンだけど、この品種はシュヴァンと言って、純白の白鳥が羽を広げて飛び立つような、上品な花弁が特徴だ。

「お待たせしました! こちらになるんですけど、地味でしょうか?」

 人によっては白い花を地味に思うかもしれないけれど、シュヴァンは花弁が上品なフリルにも見えて、とても可愛らしいと思う。

「……いや、これが良い。俺の好みだ」

「良かったです! あ、水やりは表面の土が乾いてからあげて下さいね。その場合は上から水をかけるんじゃなくて、葉を持ち上げて根本から水を注いでください」

「む……そうか。わかった」

「上手く育つと何度でも咲いてくれますよ。春になって花が減って、葉や茎も枯れたり黄色く変色してきたら休眠させてあげるんです。もし良かったら花が枯れた後持ってきてくれたら、私が休眠明けまで面倒を見ますよ」

 騎士団の人にそこまでお手入れさせるのもアレなので、夏越しの間はこちらで預かろうと思う。

「それは助かる。しかし迷惑ではないのか?」

「他の花を育てるついでですから、大丈夫ですよ。それにずっと花を楽しんで貰いたいので、そのお手伝いと思って下さい」

 私はにっこりと微笑んだ。

 これは紛れもなく私の本心だ。私が育てた花が人々の癒やしになるのなら、こんなに嬉しいことはない。

「……有難う。大切に育てると約束しよう」

 ジルさんもにっこりと微笑んだ。
 そして舞い散る花の幻影。
 だけど花が以前よりグレードアップしているような気がするのは、私の欲目なのだろうか。

 ジルさんは花束と鉢植えを大事そうに抱えると、外に待たせていた馬車に乗り込んだ。

「有難うございました。お気をつけて」

「ああ、また来る」

 私はジルさんの乗った馬車を見送って、買ってくれた花が元気でいてくれますように、と祈る。

「さーて、そろそろ閉店しましょうかね」

 ちょっと早い時間だけれど、ジルさんに喜んで貰えた満足感で、今日はもう閉店しようと準備を始める。

(そう言えば、マイグレックヒェンすずらんがそろそろ満開かな……)

 一つだけ花を咲かせたマイグレックヒェンは、その後次々と花を咲かせ、今はその名の通り白くて丸い鐘状の花を鈴なりに咲かせている。今日ぐらい最後の蕾を咲かせているだろう。

 新たに植えた種も、以前に比べてずいぶん早く根付いてくれた。一度開花させることに成功したからか、何かのコツを掴んだのかもしれない。

 それに、最近育てている花の成長が早く、しかも開花しても長持ちしているように感じる。

(ま、花達が元気に咲いてくれるなら良いことだよね)

 私は閉店作業を済ませると、ワクワクしながら温室へと向かう。

 今日、以前商業ギルドに注文していた球根たちが店に届いたのだ。
 新しい花を植えるのはとても楽しいし、元気に育つ姿を見るのはとても嬉しい。

 私は寝かしていた区画に球根を植えていく。どうか綺麗な花が咲きますように、と願いを込めて。
 


* * * * * *



❀花の名前解説❀
インカリリエン→アルストロメリア
アドーニスレースヒェン→レースフラワー
アルペンファイルヒェン→シクラメン

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