爪先からはじまる熱と恋 R15版

只深

講習開始



━━━━━━
 
蒼side


「おはようございます!」
「「おはよう……」」
 
 眠そうに目を擦りながらケイが事務所のソファーから起き上がる。チヒロはデスクで目が虚ろ。
 ソファー横のテーブルにタバコのを吸った跡と、エナジードリンクが何本か置いてある。

「泊まったのか?お疲れだったな」
「処理が色々あって…」
「ふー。手配もあったからな」

 チヒロがなにかの紙を1枚昴さんに手渡し、メガネを外して眉間を揉んでる。
 もしかして徹夜?グースカ寝てしまったのが申し訳なく感じる。
 
 今日は三人一緒なのかな?
 チヒロがメガネを外して前髪をかき分けてる。
 気だるげな様子。疲れた感じがカッコイイ…。
 


「蒼…暫くはデスクワークではなくて、訓練に行ってもらうことになった。毎日変更してごめんな…」

「謝らなくていいのに…。訓練ですか?了解です。何をすればいいんでしょうか?」

 カバンを置いて、とりあえずデスクに座る。



 ぴらり、と目の前に置かれたプリントにはびっちり文字がつまっている。
 予定表みたい。忙しくなりそう。
 
「最初は車の運転、護身術、銃の扱い方、毒の見分け方の講習…」

 ひとつずつ指を指して伝えられる言葉は不穏なものばかり。ふむふむ、なるほど。



「以上だ。ノルマは無いが、俺たち三人が交互について教える。他の場所に出向いてエキスパートに習う場合もある。こんな事本当はやらせたくないんだが…」

 チヒロは苦い顔で伝えてくるけど、私はピンと来ないでいる。相変わらず自分は鈍いとも思うけれど、ここにいる限りはデスクワークだけでやって行けるほど甘くは無いとも思ってるし。

「私は組織の兵士になるんですか?体を鍛えていないので体力に自信が無いです…」

「兵士じゃないよ。昨日の奴らが危ない組織で、ある程度一人でも対処出来るようにしないと蒼自身が危ないんだよねぇ…」

「ケイが言うような事態になれば、私も無事では無いと思いますけど。
 でも足手まといになるよりはいいか…。
 それでこの、車の運転はどちらでやりたい……じゃなくてやりますか?」

「引っかかる言い方だが…サーキットに講師を頼んで用意してる。近場にあるのが千葉だから、もう出るぞ」
「了解です!」




 カバンを肩にかけ、昴さんの目の前にたつ。
 若干鼻息が荒いのは自覚があるけれど、仕方ないよね!

「嫌じゃ、ないのか?車はいいが、後の事はもう普通じゃないんだぞ?」

 そっと頬に触れられて、擽ったさに身をよじる。どうして悲しそうな顔をしているんだろう?

「嫌かどうかはやってみたいと分かりません。
 危ないから対処すると、チヒロとケイが言うならそうした方がいいでしょう?私も死にたくはありません」

「聞き分けがいいのも困りものだな。今日は私が1日付き添いだ。二人とも、留守を頼む」
 
「あぁ二人とも気をつけてな」
「行ってらっしゃい。美味しい物食べておいで」

 はぁい、と返事して、昨日の車庫に向かう。



「今日は移動用の車だぞ」
「BRZは追いかけっこしましたもんねぇ。何に乗るんですか?」
「ベンツ」
「ベンツの何ですか?」
「くっ。自分で見てくれ」
「はいっ!」
 
 わくわく。ベンツもいい車が沢山あるから楽しみ!


 奥に置いてある真っ黒なベンツ。Sクラス?
 あ、違う。ガラスが防弾仕様だ。分厚いし、密閉度がものすごい。
 VR10という防護レベルに適合していたはず。ガラスの内面は熱可塑性樹脂のポリカーボネートでコーティングして、割れを防いでくれる有能な車。昨日の夜ネットで調べてこの辺りも頭に入れてきたのが早速役に立った。

「S680ガード4マティックでしたか。これまた貴重ですね。一般人にはなかなか見られないお車ですよ」

「分かるのが怖い。高速で行くが運転したいか?」
「さすがに千葉の辺りは地図がわからないです」
「カーナビがある。途中で変わってもいいがとりあえず私が運転しよう」

「よろしくお願いします!」




 かぱっとドアを開けてもらい、シートに腰かける。スマートなエスコートだなぁ。
 なれた様子でドアを締め、昴さんが運転席に座る。



「なんだ?じっとみて」

 助手席側に手を置いて、背後に体を向けてバックで下がる。
 バックモニターを見ないで運転されるのは私的には、好感度が高い。
 振り向く瞬間に、シャープな顎のラインと喉仏が見えて、ドキドキしてしまう。



「…見とれたか?」
 
 ふ、と笑ってエレベーターに車を動かし、静かに上がっていく。

「見とれてました。お色気が凄いです」
「そ、そうか…」

 昴さんが真っ赤な顔で正面に向き直る。
 変なこと言ったかな?



「夕方には戻る。」
「はい!行ってらっしゃいませ」

 車庫管理の人は昨日と同じ人だ。
 手を振って、お見送りに応えると笑顔が覗く。



「さて、音楽は必要か?何がいい?」
「あっ、あのー…」
「ん?」
「エンジン音聞きたいので…音楽はいらないです」

 
 昴さんがびっくりした顔でチラリと目線をよこす。

「エンジン音」
「はい。612psの6リッターV型12気筒ターボのエンジン音なんて、そうそう聞けませんし」

「蒼が言うなら…構わないが…」
「ぜひよろしくお願いします!」
「あぁ……」


━━━━━━

「はあぁ!力強いですね!」
「そうだな、馬力があるし高速道路の運転は本当に楽だ」

「ボディ、サスペンション、トランスミッション、エンジンも強化されて、タイヤがミシュランのPAXでしたか?パンクしても30kmは走れるんですよねぇ。車重が4200kgもありますから、最高速は伸びませんが」



 ふ、と微笑みながら昴さんは悠々と運転してる。ギアのチェンジも優しくて、繋ぎもうまい。

「本当に物知りだ。車の知識は必要ないな」
「オタク話ばっかりして…すみません」

「まだあるんだろう?聞かせてくれないか」
「えっ!?いいんですか?つまらないでしょう…?」

 車の話に夢中になると、お客様も苦い顔をする。知らない話題ばかりは退屈だと思う。



「いや。蒼が喋るならいくらでも聞く。その…声が好きなんだ」
「ほぁ、はい。あの、はい…」

 シューシューと顔から熱が発散されるのがわかる。そう言われてしまうと…ドキドキしてくる。



「この車はドアの開閉が独特なんだ。不思議な感触がするが、これも何かあるのか?」

「はい!新開発の電気式アクチュエータがついてます。パワーウィンドウも油圧式なので電気系トラブルがあっても、素早く開け閉め出来ます。
 毒ガス、煙対策で空気を綺麗にする装置や、自動消火システムもついてますよ」

「だから高いんだな。かなりしたんだこれは」
 
「はぁー、昴さんの感覚で高いと言うならそうですね。
 確か市場価格は6000万円程だったかと。財産調査のかかるマイバッハよりお高いんですよねぇ」

「マイバッハも検討していたが…こっちの方がいいと言われてな。国の要人も使うそうだ」
「マイバッハはラグジュアリーですが、昴さんのお仕事ならこちらですねぇ」
「ディーラーのスタッフが同じことを言っていたな。ふふ…」

 穏やかな時間、ゆっくり流れるエンジン音。
 昴さんとはケイやチヒロと違って、私と毎週会ってサロンで話をしていた。
 今思えば、女性相手の接客業をしていた私が男性でも苦もなく話せるのは、昴さんの影響があるかもしれない。

 相手に合わせて頷くタイミング、時々ちらりと合わせる目線、ふとした瞬間の微笑み。

 お仕事柄なのかな?チヒロが言っていたけど、彼の得意分野は荒事もそうだけど交渉事やハニートラップが飛び抜けて優秀だそう。
 組織が大きくなったのも、そのおかげとの事だし。私もその彼の罠にかかってしまったんだろうか。



「蒼と喋ってると…余計なことも喋りそうになるな。話のテンポが良くて心地いい。人にしゃべらせる才能がある」
「昴さんこそそうです!ハニトラは私も学んでみたいです」

 同じことを考えていたとは。私もハニトラを学べば昴さんの事ももっとわかる気がする。難しいかもしれないけど。


「……ダメだ」
「えっ」 

 思わず昴さんの顔を見る。口が尖ってる。

「ハニートラップは相手の体に触れるし基本的に色仕掛けだ。自分も触られるし。…ダメだ」
「そ、そうですか?うーん」

 追い越し車線で前の車を抜いて、車のスピードが上がる。



「蒼が他の男に触るのも、触られるのも嫌だ。ハニトラは教えないからな」
「え、ええと、はい」

 拗ねたような顔で昴さんが不機嫌そうに言うそれは、私の心の中ではちみつのように甘く拡がった。

━━━━━━



「ふむ。見て学ぶタイプか。二周で行けるか?」
「初めてですので、車体の動きで一周、足と手を見るのに一周、両方見たいのでもう一周頂けると嬉しいのですが」

「ふん。理にかなってんな。いいだろう」



 ニヤリ、と不敵に嗤う壮年のドライバーさん。
 この方は随分前に引退したプロレーサーの方だったような気がする。F1からGTまで幅広くやっていた記憶がある。
 顎に無精髭、力強い眉毛、くせっ毛の短髪にムキムキのお身体。
 若い頃はさぞもてたでしょうねぇ…今でもとっても素敵だけど。

「珍しいですね。土間さんが注文を聞くとは」
「ふん。俺の質問に答えられた女ははじめてだ。おもしれぇから叩き込んでやる」

「わぁ!ありがとうございます!よろしくお願い致します!」




 頭をペコッと下げると、土間さんが微笑む。
 ちょっと気難しそうな彼は私を見るなり、今日使う車を見せてくれて。
 なんと!RX7、FD3S!素晴らしい趣味だと思う。
 

「この車は知ってるか?排気量は?グレードは?カラー名は?駆動形式は?エンジン型式は?タービンはいくつある?」

 なんて!誰でも知ってる質問でこのように親切な教官に早変わりしてくれた。優しい人だ!

「土間さんがそう言うならいいか。あとは任せます」
「おう。蒼、行くぞ」
「はいっ!」



 ヘルメットを装着して、グローブを填め、ツナギの手首をしっかり閉める。

「ん、準備いいな。行くぞ」
「はいっ」



 土間さんは沢山ワッペンの着いたレーシングスーツ。ヘルメットもAraiのだし、レーサーってこうですよ!な姿が凛々しい。
 私は用意してくださったドライビングシューズとグローブ、黒いツナギとヘルメットを着用して、ヘルメットは土間さんとお揃い。

 サーキットではコースに出る時に厳格な決まりがあるので……こう言う装備になる。  
 ヘルメットの中に無線のジジ…という音が流れた。



「街中の追いかけっこ目的でも、車の限界を知らずに逃げ足は早くならん。挙動が理解出来れば誰にも追いつけねぇ様にしてやるから覚悟しろ!」
「はいっ!!」 


 土間さんが大きな声で怒鳴ってる!
 ドライバーズハイってやつ?私もテンションアゲアゲになってしまう。
 スタートラインから煙を上げて急発進し、私はコース上を注視する。



「車の挙動は荷重移動が全てだ。峠を攻めるんでもなけりゃ、ブレーキの踏み所なんて決まってる。
 逃げることの極意はスピードの維持、行く先のコースの把握、 その二つが最低限だ!…ごほっ。喉が痛てぇ。普通に喋るぞ」

「あはは!土間さん面白いです!」



 コーナーが近づき、土間さんがヒールトゥで回転速度を合わせてギアを下げて行く。つま先と踵を使って…むむ、これは難しそう…。

「こうやって、こうだ。カウンターってんだが…」

 ハンドルがコーナーに合わせて動き、後輪が流れ初めて、今度は真逆に切られる。

「専門用語はおまかせくださいっ」


「お、おう。カウンターがでかくなりゃタイヤが削れて速度が落ちる。カウンターは最低限、ブレーキはピンポイント、アクセルを出口で踏めばグリップ回復で真っ直ぐになる」
「はい!」

「カーブのど真ん中でブレーキなんか踏んでみろ、あっという間にスピンだ。だが、スピンも制御出来れば追いかけっこにゃ有利だな」
「なるほど。舵角よりもアクセル重視でしょうか」

「そうだ。踏み分けりゃアクセルもブレーキになる。トラコンの頭がいいからな。」
「やはりアクセルが大切なのですね。了解しました!」



━━━━━━



「コイツやべーぞ」


 土間さんが2周を終えて、運転席と助手席を交代して、わたしは椅子の調整中。
 満開の笑顔で昴さんに話しかけてる。

「俺の全開走行で吐かないやつなんか久しぶりに見たぜ。知識は完全にプロ仕様だ。俺が口出しする必要もねぇ」

「そ、そうですか…蒼、無理せず安全にしてくれよ?」

 不安そうな顔で昴さんが言うけれど、追いかけっこ自体危ないのに。でもここなら安全。



「大丈夫ですよ、サーキットの路面は下手でも曲がってくれますから。一般道と違って砕け石が大きく、タイヤの食い付きが良いように出来てます」

「確かにゴツゴツしているが、よく知ってるな」 
「ふふふ!さぁ!実走ですよ!!」



 苦笑いで昴さんが車から離れていく。
 何度か空ぶかしをして、ヘルメットのバイザーを閉める。

「好きに走ってみろ。まずは癖を見る」
「了解です!」




 アクセルを踏み込み、チェンジでギアを上げていく。
 おおー、難しい。チェンジの当たりがかなり絞られている。クラッチ操作が凄くシビアだ。ペダルが重たい。


「上手い。いいぞ。チェンジの当たりがわかってんならスピード上げろ」
「はいっ!」



 ヒールトゥは上手く出来ないけど……何とかタイヤを滑らせて、車にかかる重力を移動させる。
 カクカクと安定しない動きでコーナーを抜けた。

「ふん、いいじゃねえか。滑らせ始めたらタイヤの方向を感じて、ハンドルは無視しろ。意識するな。
 フィーリングってやつだ。意識しすぎるとコーナーの挙動が乱れる。
 いいか…ブレーキ用意……3…2…1、踏め!
 そうだ。カウンターをもう少し、アクセルをあと3センチ…いいぞ、踏みぬけ!」

 こめかみに冷や汗が流れる。
 土間さんの言う通りに体を動かし、コーナーの度に挙動が安定してくる。
 憧れの慣性ドリフト!!
 ワクワクが止まらない!!

 フロントガラスが見たことの無い景色を流していく。
 私の推しさんは、こんな景色を見ていたのかと胸が熱くなる。


「ケツを流してる最中はコースの先を見ろ。真っ直ぐに戻したあとの操作を想像しながら走るんだ。コースは覚えたな?」
「はいっ!」


━━━━━━

 昴side 



「彼女はどうですか?土間さん」

 ヘルメットを脱いで、土間さんがレーシングスーツのまま観客席から蒼の運転を見守っている。
 何周か同乗した後に、一人でやって見ろと土間さんに言われて、蒼一人でコースを走っていた。



「あいつ、いくつだ」
「25歳ですが」
「ちっと歳食ってんな。レーサーになる気はねぇのか」

「…土間さん」

 熱心に蒼の走りを見ている土間さんの瞳に、熱がこもっている。



「俺は引退してから…詐欺に遭って、デケェ借金こさえて、お前に救ってもらわなきゃヤのつく奴らにやられていたからな。
 こうして車の仕事が出来る今、恩返しのひとつにでもなりゃいいと思ったが。
 あいつ…才能なんてもんじゃねぇ。2周してコースどころかレコードラインまで覚えやがるし、一度見て車の操作があれだけ上手くなるやつなんか見たこともねぇ。
 本当にレース関連の仕事してなかったのか?走り屋でもねぇよな?」



 目線の先にあるRX7は安定した挙動でスイスイとカーブを曲がる。
 めいっぱい後輪を流し、苦手だと言っていた回転数合わせの技術もあっという間に上手くなった。土間さんの運転とそっくりで違和感がない。



「彼女の仕事は美容関連ですよ。恐らく車の運転も昨日までは殆どしていない。ペーパードライバーです」

「信じらんねぇよ…化け物だ。お前の所にいるってことはワケありか」

「彼女自身の訳ありでは無いのですが。身を守るためにここに来ています。この後武器の扱い方や…組織の要になるようなものを全て学んでもらう予定です」

 はぁ、とため息が落ちる。



「柄にもなく夢見ちまったよ。あいつはセンスがいい。いや、センスなんてもんじゃねえな。
 観察力、思考力、判断力、どれをとっても一級だ。一体どこで見つけてきたんだ?組織で使わねぇならうちのチームに連れて行きてぇが、無理か…」

「すみません…」




 空を仰いで、土間さんが瞑目する。
「世の中ってのは、上手くいかねぇな」

「そうですね…」

 答えた自分にも、土間さんと同じく苦い思いが広がった。

 

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