爪先からはじまる熱と恋 R15版

只深

与えられるもの

第四話 与えられるもの



 スマートフォンを抱えてベッドの上でぽちぽちと触ってみる。
 ケイはチヒロさんと交代で毎日来てくれるらしい。次に会えるのは明後日。
 ご飯を食べたあと、ベッドに戻されて彼は大量のお弁当を抱えて去っていった。

 SNSは…イソスタ見ようかな。お仕事でもよく使っていた。
 私のアカウントを探してみると、アカウントごと消されて居るようで見つからない。はー、なるほど。本当に大きな組織だと実感した。サブアカまで全部消されてるからしっかりしたところなんだなぁ…。
 
 私はこの世から消されて居る状態かな?フォロワーさん増やすために頑張っていたことを思い出す。
 常連さんだけになった後はほとんど更新しなかったけど…もうあんなふうに時間に追われてアップすることもないんだと思うとほっとするような気もする。

 チヒロさんのアカウント…猫目って。自覚あるんだ。
 中を開くと、猫、犬、猫、猫、猫…。路上の猫がほとんどだけどどこで撮られたかの情報はうまくぼかして居るし写真の中からはわからないような画角ばかり。その上で可愛い猫ちゃんたちを見せていただけるとは…これは素晴らしいにゃんこアカ!!

 ケイはラーメンばっかり!…時間と写真を載せてるけどこれはラーメンの中身で居場所がバレるのでは。
 あ、でも明らかに夜中の写真でも朝投稿していたりする…工夫はしてるみたい。

 私は、もういいかも。SNSからちょっと離れたい気持ちがある。世の中から隔離されて今までやってきたものが手のひらから消失した今、無理に繋がりたいと思えなくなっている。

 何となく、一人になって寂しいような気がしてくる。
 接客業をしてたから喋っていると落ち着く事が多い。
今の仕事をはじめてから一人の時間なんて朝と夜しか無かった。
 お互いの背景を何も知らないお客様たちとの幸せな時間。自分の技術で喜んでくれる笑顔。
 もう私はネイリストのお仕事はできないのかもしれない。
 じわ、と涙が浮かんでくる。
 それなりに、頑張ってきたとは思ってるんだけど。

 記憶が無いまま前の職場だったらしいところを辞め、失業給付金を貰いながら職業訓練校に入って。ネイルサロンに飛び込みで研修生にしてもらいながら勉強して、資格を順調にとって…当時の学校の仲間やサロンのネイリストたちとは独立しても連絡を取っていた。
多分、それももう連絡を取れることは無い。

 チェーン店では結構必死でやってた。
 先輩の顧客さんが私に指名を変えて喧嘩したこともあったけど、最後は先輩が頭を下げて、まだまだ未熟な私に私に教えを乞うてくれた。


 技術畑で、女社会の嫌なところもありつつ、それでも根っこが職人で。みんな仕事のことが大好きだった。
 誰かの役に立てることが、誰かの笑顔の源になれることが、やりがいだった。
 記憶がなくても、親と疎遠でも幸せだった。



 相変わらず怒りは湧いてこないけれど、寂しくて、寂しくて仕方ない。
 ケイはきっと仲良くしてくれる。でも、他の人やボスはどうだろう。そもそもその仲良しは本当の意味では危うい琴線の上の事だ。
 いつか私も殺されたりするのかな。

 ボスも、あんなふうにずっと危ない目にあうのかな。名前も教えて貰えないまま別れるのは嫌だなと思う。
 サロンでのあの笑顔は、嘘じゃなかったと思ってる。そうであって欲しい、という気持ちの方が大きいけれど。
 
 彼の笑顔がずっとわたしの心にあった。
 出会った日に抱きしめられて、目が覚めたら居なくなった彼が残したメモ。それが入ったお財布もどこかに行ってしまったし。
 メモだけでも残って欲しかった。新しいメモも嬉しいけど、最初にもらったあれが特別で大切だったのに。

 私、何もかもなくしてしまった。
 涙が溢れて止まらない。今更こんなふうに泣くなんて、どれだけ鈍いんだろう。
 喪失感が寂しさをさらに増幅してくる。ボスが残した暖かさと、ケイが足してくれた暖かさが減っていく。
 わたし、燃費悪いなぁ…。


「蒼!!」

 急に名前を呼ばれて、ハッとする。ぱちぱちと瞬いて、瞳に溜まった涙が流れると、汗を額に浮かべて息が荒くなったボスが私の肩を掴んでいた。

「あ、あれ?おかえりなさい?」

 びっくりして返事を返すと心配そうな顔が私を見つめている。忙しなく瞳が動いて、観察して居るようだった。



「どこか具合が悪いんですか?返事がないから帰ってきたんです。スマホは…持ってますね。はぁぁ…驚かせないでください……」
 
 手に握ったスマホを確認すると、着信履歴が百件を超えてる。メッセージも、山のように来てた。

「す、すみません、考え事すると周りが分からなくなるんです。音にも気づかなくて…」

 肩を握ったまま、ボスが片手で自分の額を抑えてる。
「そのようですね。良かった、何かあったかと気が気じゃなかった…」



 心配してくれてたんだ。さっきまでの暗い気持ちがシュワシュワと溶けていく。
 ムームー、とバイブ音が響く。ボスのスマホからだ。

「私だ。あぁ、問題ない。考え事をしていたと…そうだ」


 スマホを片手に通話しながら、青い目が探るように見つめて…私の頬を撫でてくる。親指で涙を拭われ、擽ったさに目を閉じる。失われた温かい気持ちがまた、満たされていく。

「あぁ、わかった。…あとは頼む」



 スマホを放り投げて、コートを床に落として、ボスがベッドに上がってくる。
 スーツ姿のまま、引き寄せられて彼の腕に包まれた。

「体は、どこか痛むか?痛み止めの場所を書き忘れていた」

 電話に引きずられたのか、口調が怖いボスの方に戻ってる。なんとなくだけど…こっちの方がナチュラルみたいな気がする。

「痛くはないです。足が動きませんけど」
「私のせいだな…あなたが強情だと勘違いしてむきになった。逃げられる訳には行かないし。蒼の詳細をケイから聞いたよ。本当に、すまなかった…」
「えと、は、はい…」



 昨日とは打って変わって、優しい気遣いと柔らかく抱きしめてくる腕に包まれて、体の力が抜けていく。
 なんだろう、ほっとする。
 いつの間にか、ボスの体温が心地いいと思うようになっている事に気づく。優しくしてくれて居る事に満足感がやってきて、思わず口の端が上がる。

「なぜ、泣いていたのか聞いてもいいか」
「ケイが…帰ってから、寂しくなって」  
「うん」

「仕事のこと考えて」
「…うん」

「今まで頑張ってきたこととか、お友達のこととか、お客様のこととか今までのことを思い出していました。もう、それを思い出すことしかできなくなったんだなと」
「……うん」

「お財布無くしたし、一文なしですし」
「ん?財布?なにか大切なものがあったのか?」
「あの、はい。その…」
「金のことなら問題ない。外出できるようになったらきちんと渡す」

 あ、外に出れるようになるんだ。ちがうの、そうじゃなく。
 変に思われないだろうか。メモを持ち歩いていたなんて。


「メモが入ってたんです」
「メモ?なんのメモだ?」

 腕がゆるんで体に隙間ができる。
 ボスの顔が覗くようにして私を見てくるが、目が合わせられない。なんとなく、気恥ずかしくて。

「ボスが残した、メモです」
 途端に眉をしかめられる。

「ボス呼びはやめてくれ。メモって、私が書いた?もしかして連絡先のか」
「はい。あなたからはじめて貰ったメモだったので」


 ボスとしか名前、知らないんだから仕方ないんだけど。名前教えてくれないから他に呼びようがないのが現状だ。

「そ、そうか。……物品は一応証拠だから…検証が終われば戻ってくる。申請しておく」
 
 えっ?検証?申請?微妙な違和感が頭をもたげる。犯罪組織なのに、警察みたいなこともするのだろうか?
 相手の組織を探るため?よく分からない。私はまだ素人だし。
 
 
「お財布返ってくるんですか?メモも?」

 スーツの袖を思わず掴んで、彼の顔を見つめる。
 メモだけでも返して欲しいんですけど。本当に戻ってくるのか知りたい。

「そう、言っておく。なるべく…早めに」
「お願いします」
「あ、あぁ。わかった」


 彼が目線を逸らして、頬を赤く染める。
 私、変なこと言ったかな?やっぱりおかしい?
 首を傾げながらボスをじっと眺めた。

 ━━━━━━

「靴はまだ未購入。外出できるようになればすぐに買う。実際履いてからでないと靴は合わないこともあるし。
 あとは部屋着とパジャマに使えるワンピースと、カーディガン、パーカー、デニム、Tシャツ、一応キャップも。あとは同じ下着が数着。日用雑貨もほとんど揃えてきたし、櫛も歯ブラシも全部セットしてくる。他に欲しいものがあれば買うから言ってくれ。」
「…………」

 多いです。明らかに。
 そして何故全部ブランド物なの?!
待って、もしかして今着ているワンピースも部屋着とか言うつもり??日曜的な小物までブランド品なんて事、ないよね?



「これ、全部部屋着のつもりで買われたんですか?」
「何かおかしいか?」
「バナナリパブリックは部屋着じゃありません!」
「他にもある。ジミーチュウ、シャネル、ディオールが若い子にいいと言われたが店に服が少なくてな。出先にあった店と銀座で揃えられるものしか無かったから。…好みではないか?」

「そ、そういうことじゃなくてですね、あまりにも高すぎます。
 ボスが言っているブランドは一般人は手を出しませんからね?服なんて特に。買ってきていただいて文句言うのはどうかと思いますが、ウニクロにして欲しかったです…」

「ボスはやめろと言ったろ。ウニクロ?分かった、明日そこで買おう」
「いや、もうクローゼット一杯です」

「ウォークインクローゼットが隣の部屋にあるから問題ない。しばらく金を使ってなかったから丁度いいんだ、気にするな」

 気にするなという方が無理!お洋服が札束にしか見えません。
 金銭感覚どうなってるの??こんなに高いのばっかり…困る…。
 

 

「パジャマはウニクロでお願いします。部屋着はもう、十分ですから。お気遣いありがとうございます、ボス」
「礼を言われる立場では無いが、うん…どういたしまして。ボス呼びは本当にやめてくれ。昴でいい」

「昴さん?」
「さんはなくてもいいが。悪くはないな」


 

 ほんのり昴さんが頬を朱に染め、つられて私も顔に熱が集まる。
 スバルさん。昴さんかぁ。
 いい名前。あ、これも偽名?ふと、青い目の色を確かめてみる。うーん、分からない。昨日の様子だと昴さんは嘘をつくのが上手なような気がする。本気で嘘をつかれたらおそらく見抜けない。

「昴は本名だ。チヒロとケイの前以外は呼ばないでくれるか」
「は、はい。わかりました」
 
 何となく顔を見れず、山になったブランドの箱と紙袋を眺める。私、お客様からいただいたコットンの入っていたシャネルの紙袋、後生大事にしまいこんでいたんだよね。
 こんな高級品、絶対私の着るべきものじゃないのに。紙袋のサイズってこんな大きいものがあるの?高いお店の紙袋はかなり頑丈そう。

 

「とりあえず夕食にしよう。これから作るから、待てるか?」
「えっ!?昴さんお料理出来るんですか?」

「一般的なものはな。他人が出す料理を食べるより安全だ。ケイのように長い付き合いの店もないし…何か食べたいものは?」

 昴さんのご飯をいただけるなんて凄い!でも、私の感覚だと長くもやもや考え事をしてたから、さっきお昼?を食べたばかりな気がしている。
 食べて寝て、ぐうたらして。こんな生活初めてかも知れない。


 
「あまりお腹すいてないと思います、多分。お昼を食べたばかりのような心持ちなのですが」
「ケイが来てから九時間は経ってるぞ。そんなに考えこんでいたのか…凄い集中力だな。では軽いものにするかな」

あ、そうか。私の癖だ。お腹すいたから泣いちゃったんだ。
 紙袋をまとめ、昴さんが抱えて寝室を出ようとしてる。
 ま、待たれよ!

「お料理作るところ見たいです!」
「見てもつまらないぞ」

「見たいんです。監禁者の楽しみです」
「そう言われると断れないな。わかった」



 ━━━━━━

「一般的な料理とは」
「ん?ダメか?」

 首を傾げて聞いてくる昴さんは、帰ってきたスーツのワイシャツ姿のままエプロンをつけてる。エプロン、黒か。私のよりは短いエプロンだけど…似合ってる。
 私の中の何かをすごく刺激してくる。とてもイイ。

「これはなんですか」
「中華粥。パクチーと、食べるラー油。もう残り少ないからまた作らないと。あとはサラダとフルーツ。普通だろう?辛いものはあまり食べないように。口の傷に滲みる」
 

 いや、これは多分普通では無いと思う。思いたい。
 中華粥に知らないスパイスが入って、ほんのりエスニックな香りが漂ってるし。
 日本のお粥と違って米粒を潰してるから、ポタージュみたいになって、エビとイカとホタテが小さく刻まれて入ってる。中国の屋台でよくみるタイプのお粥。

 パクチーは好きだけど、普通の冷蔵庫に常備はしてるものでは無いだろうし、食べられるラー油も作らないと、って言っていたから手づくり?
 サラダもやけに野菜がパリパリして見えるし、グレープフルーツって、果肉だけになって出てきたのホテルくらいでしか見たことないんですが。

 

「これが普通」
「そんなにおかしいか?」
「昴さんのお嫁さんになる人は、かなり苦戦しますね」
「…そ、そうか?いや、いいから食べろ。冷めるぞ」


 とろりとしたお粥を恐る恐る口にする。上品で控えめな塩味、帆立のダシがよく効いてる。
 ほのかなスパイスが色んな香りを引き出して、お米の粒がないからトロトロと喉に滑り込んでくる。



 食べるラー油を載せてみると、結構辛い。
 中に山椒やニンニク、しょうが、ごま、くるみ、玉ねぎ、色んなものが入ってこちらもほんのり塩が効いている。
 素材がらザクザクとした食感とともに、噛み締める度旨味を引き出してくる。
 口の中の傷はもうほとんどなくて痛くないからモリモリ食べてしまう。美味しい。素晴らしい。

 パクチーを入れるとさらにエスニック感が強まり、清冽な香りとともに爽やかな香りが鼻に抜ける。

 サラダは柚の香りがする。だししょうゆと柚の果肉を搾ったもの、ほんのりゴマ油も混じってるけどあまり香りがしないのは白いごま油を使って居るみたい。
 パリパリの野菜は恐らく50°処理したんだなぁ。外側が少し柔らかくなるけど中の水分がパリパリしている。
 レタスの他に松の実、クコの実、アーモンドが砕かれて散らしてある。咀嚼するとサラダの食感がすごい。


 
 なにこれ。私だって簡単な料理はするけど、こんなにすごいものは無理です。得意料理はカレーです。
 ぱぱっと作れるもの、でこれが出てくるだなんて末恐ろしい。

 考えながらも手が止まらない。
 塩梅と言い、スパイスと言い、食感と言い、素晴らしい。
 お金を出したい。一円も持っていないけど。



━━━━━━


「ご馳走様でした。美味しすぎます!凄い」
「それは良かった。食後はコーヒー?紅茶?緑茶、梅昆布茶もあるが」

 何と言う至れり尽くせり!!

「梅昆布茶欲しいです」
「いい選択肢だな。梅昆布茶は良質な睡眠を促す」

 ケトルのスイッチを入れ、お茶用の耐熱グラスと梅昆布茶の缶を渡される。
 昴さんは食べる量が多い。お粥何杯目なの?
 梅昆布茶をグラスに入れ、ケトルの沸騰を待つ。

 
 
「ケトルまで高級品…」
「ん?そうか?よく知ってるな、バルミューダだ。注ぎ口が細いからコーヒーを入れるのにいいんだ。私にもお茶を入れてくれるか」

「はい」
 
 もう、お皿やカップのメーカーを見ないようにしています。
 洗い物、したくない。怖い。

「洗い物くらいすべきだと思いますが、勘弁してください」
「しなくていい。どうせ食洗機だ。まだ手負いなんだからゆっくりしていればいい」

 手負いの私を手篭めにしたのは昴さんなんだけど。今は突っ込むのを辞めておきます。

 

「どうぞ」
「ありがとう。はぁー……落ち着くな」
 
 梅昆布茶を飲んで、一息着いている様子を見ると、ケイさんと同じような雰囲気を感じる。ちょっとおじさんぽい?見た目はそうでもないのが面白い。
 


「昴さんはお幾つなんですか?」
「二十九。ケイも言われたらしいがおじさんは禁句だ」
「…はい」

 あとはチヒロさんの年齢が分かればコンプリート、かな?


 私の生活に、何となく少し色が戻ってきたような気がした。

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