陽炎輝夜 ~真夏のかぐや姫~

月親

12.別れの日の朝

 翌日は、慌ただしい始まり方になった。


「おい、美月。何故今日に限って起こさないんだ!」


 俺はベランダで食パンをかじりながら、洗濯物を干しつつ、テレビの天気予報を聞いて、スーパーの広告をチェックした。


「泉さんて器用ですね」


 室内に戻り、布団を片付け――る時間はないようだ、帰ってからやろう。


「もう八時半じゃないか。土曜は病院が忙しいから早目に来いって言われているのに」
「それはごめんなさい。今日は寝坊しました」
「幽霊が寝るのかよ!」
「あ、違った。目を閉じてぼうっとしてました」
「言い直したところでたいして変わらん!」


 枕元から財布と携帯電話を拾い、父さんのお古の鞄に投げ入れ、代わりにその中から車のキーを取り出す。


「泉さん、今日は車でご出勤ですか」
「患者の家まで出張サービスだ。って、ああ! そうだ、出張、カッターシャツに着替えないと!」
「Tシャツじゃ駄目なんですか?」
「全然駄目だ。何処の世界にTシャツで愛を語る王子様がいるんだ」
「泉さんは、何処の世界までお姫様を迎えに行くつもりなんですか」
「俺好みの女だったら、それこそ月まで迎えに行くぞ!」
「……ずばり、葵さん関連ですね」
「……葵ちゃんの親戚の家の兎を迎えに。おかげで俺の評判は上々だ」
「泉さんて無駄に器用ですね」
「あーっと、これで抜けはないかな?」


 美月の皮肉は放っておいて、着替えながら戸締りと火の元を確認する。
 ……よし、完璧だ。
 限られた時間でこなした達成感に、俺は意気揚々と玄関に向かった。靴を履こうとして、寝坊したために出しそびれた不燃物のゴミ袋が目に入る。


「折角昨日準備したってのに。来月までこのままかよ」


 目一杯詰め込んだそれに文句の一つも言いたくなる。せめて月二回にしてくれれば、俺を筆頭とするコンパクト化スキルを持ってない者たちの救いになるだろうに。


「来月はこんなのを両手にぶら提げて収集場まで行くのか……」


 靴を履き外へ出ようとして、自分の台詞にはたと足を止める。


「来月、か」


 来月のそんな俺の姿を笑う美月は、いない。
 美月は今晩行く。ミヅキのように、俺の手の届かない遠い場所へ。


「行く前に、やりたかったこととかあるか?」


 美月に背を向けたまま、ミヅキに尋ねたくて出来なかったことを、美月に尋ねる。それから俺は振り返り、この一呼吸置いた間に作った何でもない顔を美月に向けた。
 いつものように俺を見送りに来ていた美月が、小首を傾げる。


「……電撃結婚?」
「そりゃ生きてても無理だな」
「泉さん、駄目出し早すぎです」
「じゃ、行ってくる」
「しかも弁解なしですか。美月さんは酷い扱いを受けました」


 怒ったのか美月が大股で部屋へ戻って行き、ダイニングの椅子にドカッ(実際には無音だが)と座る。そして頬杖をついて足をブラブラさせた。


「自分で美月さん言ってるし。にしても、あいつにも人並みに結婚願望があったのか……」
「泉さーん、家が狭いので聞こえてますー」
「狭くて悪かったな!」


 ったく、やっぱり生きてても無理だ、あいつ。
 玄関扉に向き直り、狭い家を象徴する陳腐なドアノブに手荒く捻るという八つ当たりをしてやる。


「あ、泉さん」
「まだ何か!?」
「……夜に、なる前に……帰ってきて下さいね」


 ガッ
 手から離れたドアノブが、音を立てて元の位置に戻る。


「……わかった」


 俺はもう一度ドアノブを捻り、そして静かに扉を開けた。



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