陽炎輝夜 ~真夏のかぐや姫~

月親

04.偽善者

 美月が居着いて数日が経った。相変わらず未練は思い出せない模様。
 風呂から上がった俺は、使い終わったバスタオルを洗濯籠に投げ入れた。
 手早く着替え、手荒く拭いたため爆発している頭はそのままで、部屋に戻る。美月はテレビでも見ているのだろう。本は捲れないし、ゲーム機も触れないし。


「……ん? いない?」


 そんな俺の予想に反して、美月は部屋にいなかった。


「何処に行ったんだ、あいつ」


 湯上りはテレビでも見てのんびりしようと思っていたのに。温泉旅館で親が一服しているうちに忽然といなくなる子供かあいつは。
 本当に旅館なわけじゃないから俺はちゃんとした服を着ていて、「いやん、泉さん浴衣の前が肌蹴ていますぅ、美月見てらんない」という理由で姿を見せないということではないだろう。
 となると、こんな狭い部屋の中で、姿が見えない他の理由は――


「ベランダからでも落ちたかな?」


 はたから聞くと「悠長に言う台詞か」と怒鳴られそうだが、なにせ美月だ。もとい、幽霊だ。その点を気にすることはない。
 コンクリートは灰色じゃなかったかという俺の記憶に揺さぶりをかける、くすんだ茶色をしたベランダに出る。


「おー」


 そこから見えた満天の星空に、俺は思わず感嘆の声を上げた。
 これは美月なら「まあ素敵な星空だわ。ほーら、手を伸ばせば届きそう……わわっ、落ちる!」とか、なりそう?


「なんてさすが美月でもそんな……あ、いた」


 アパート裏の駐輪場の側で、ぼんやり立ち尽くす幽霊一体を発見。
 本当に落ちたのか? って、何を呑気に手を振ってるんだあいつは。
 今度は両手で振り出したし。わかったから帰って来いって。――うん? 地面を指差して……何かいるのか?
 次はその場でジャンプと来たか。なるほど、さきほどから俺をお呼びだったわけだ。


「ったく」


 気乗りはしないが、このまま放っておくわけにもいかない、行ってやるか。
 とは言っても美月に倣って飛び降りて、はい到着ってわけにもいかず。玄関から外へ出るのは普通なんだが、近くに普通じゃないのがいると、なんだか不条理に思えてきた。


「にしても、誰かに見られたらって思わないのかあいつは」


 最初は俺だけに見えると思ってて、葵ちゃんに見られたのにこの期に及んで俺たち二人だけが特別なんだと思っているわけか? どうしてそこで「だけ」なんだ、そりゃ普通に見えてるって言うだろ。


「ええい、サンダルの親指のところに人差し指まで入っちまった」


 俺の心根が「イヤイヤ」サインを出してきているのを、敢えて無視してまで駆けつけた結果が下らない用件だったらどうしてくれよう。
 と、ぶつくさ言いながらも狭い日本、あっという間に現場に到着。


「こ、これは……」


 そして俺は驚愕。
そこにはまさしく「現場」という表現に相応しい光景が広がっていた。
 某有名産地名が印字されたみかん箱、適当に貼られた白い紙にこれまた適当に黒マジックで書かれた「拾って下さい」の文字。
 と、来ればその中身は……


「泉さん、さっきからいたいけな眼差しで見つめられてしまっています」


 俺は美月に見つめられてしまっています。


「きゅーん」


 子犬、お前もか。
 今からお前を仮にブルータスと呼ぶとしよう。今のノリで即決したのを咎めてくれるな、ポチよりは個性を尊重したつもりだ。
 箱の前に屈んで手を伸ばせば、それを目で追うブルータス(仮)。こんな見ず知らずな俺に尻尾を振るなんて、犬生の厳しさを知らないのか、はたまたこれこそ生きる術なのか。
 なでなで
 ふにふに
 身体を撫でくりまわしても嫌がらない、と。それどころか擦り寄ってくる、と。くっ、可愛いじゃないか。素晴らしい生きる術だ。俺相手に実に効果的な戦法と言える。


「大家さんに連絡だな。今日は取り敢えず実家に連れて行って、そのまま向こうに泊まるか」


 前にもこんなことがあり、その時は大家さんは早々に里親を見つけてくれた。今回も頼ってしまおう。
 ブルータス(仮)を片手で肩に担ぎ、立ち上がる。この場合、こいつにとっては地上約百五十センチメートル、なかなかの高所だ。人間の子供だったなら、泣きわめく奴も出てこよう高さだが、ブルータス(仮)は意外と嬉しそうに見える。
 俺のTシャツを引っ張ったり放したりと戯れて、一体何が楽しいのやら。まあ俺は楽しそうなその姿を見るのが楽しいが――はっ、狙いはもしやそれか!? 恐るべし対俺仕様……。


「泉さんて捨てペンギンとかいたら、「風呂場で飼えるかな」と本気で悩みそうなタイプですよね」
「日頃から風呂は、もっと綺麗にしておくべきか……」
「今から悩まなくていいですから」
「美月は俺の部屋に戻ってろ。俺も明日の朝には帰るから。くれぐれも見つからないようにな」


 よく考えたら犬よりも、美月こそ大家にバレたらまずい。生きてようが死んでようが、何れにしても説明のしようがない。
 そんな俺の気を知ってか知らずか――もとい、絶対知らないだろうが、「うんうん」と素直に頷く美月。こう、あまりに素直だと逆に不安だ。


「犬さん、優しい泉さんに拾ってもらってよかったですね」


 なんて思っている俺を「優しい」とか言っちゃってる美月に、さすがに少し罪悪感。
 そうだ、本当にそんなんじゃない。だって、俺のは――


「泉さん?」
「なんでもない。ほら、とっとと戻った戻った」
「犬さんをとっても見つめて、まさか食べちゃうとか?」
「除霊セット買って来るぞ、てめー」
「冗談に決まってるじゃないですか。すぐ怒るんですから、もう」


 ぷうっと頬を膨らませ、そして美月はふわりと浮き上がって俺の部屋のベランダに着地した。


「一方俺は歩き、と。ああ、やっぱり不条理にしか思えない」


 それでも歩かねば、永遠に着かないというわけで。俺は実家へと向かって歩き始めた。
 戯れるのも飽きたのか、大人しくなったブルータス(仮)を抱き直す。


(優しい? 違うさ、俺のは――ただの償いだ……)


 街灯が照らす夜道に、俺の足音だけが響いていた。



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