陽炎輝夜 ~真夏のかぐや姫~

月親

03.何てことない日常

 折りたたみ式テーブルの周囲に、座布団三つをポイポイと投げる。
 飲み物……これは二人分でいいよな。


「葵ちゃん、ウーロン茶でいい?」
「うん。ありがと、泉」
 
 葵ちゃんの「ありがと」を脳内エコーしつつ、1DKゆえに悲しいほど目と鼻の先にある冷蔵庫へ向かう。
 一歩、二歩、三歩。はい、到着。まずはグラスを用意して、氷を三個ほど入れてっと。


「泉さん、泉さん」
「うおっ!?」


 振り向けば奴がいた。


「なんだよ美月」
「泉さん、随分早かったですけど、布団の下にヤバイ本とかなかったんですか?」


 おい。
 そこで声を潜める意味は、俺にその疑いがあるとお前が思っている。そういうことだな?


「そんなとこに置いてあるかよ」


 まったく、心外だ。


「そこで「そんなもの持ってない」と言わないところが、泉さんですよね」
「ああっ、しまった!」
「泉さん、声でかいです」
「お、おう。美月、葵ちゃんには内緒だぞ」


 ひとを咎めておきながら、自分も声を潜める羽目になる。現実とはなんと世知辛せちがらいものか。


「内緒はいいですけど……」
「けど?」
「なんだか葵さんて、泉さんのこと知り尽くしてません?」
「知り尽くしてってそんな、俺たちはまだそこまでは――」
「じゃなくて」
「じゃないですね、はい」
「意識的に泉さん好みになっている感じがします」
「ふっ、そのことか。聞いて驚け、それは葵ちゃんが俺を大好きだからだ」
「恥ずかしげも無く自分で言っちゃってる泉さんに、驚きです」
「何を隠そう、俺は昔「大きくなったら私をお嫁さんにしてね」と言われた男だぞ」
「それって実際大きくなったとき、「そんなこともあったよね、懐かしい」とかいう思い出話になるんですよね」
「言うな……俺はまだ夢を見ていたいお年頃なんだ」


 そのために俺は、こうして痛い視線覚悟で可愛らしいグラスを買ってみたり、透明で綺麗な氷を作ってみたりと、ポイント稼ぎに余念が無い。そんな努力の甲斐あって、今ならまだあの台詞が現在進行形のはず。そう信じたい。


「じゃ、やっぱり誕生日プレゼントなんか用意してあるわけですか」
「当然だ。俺が葵ちゃんの誕生日を忘れるなんて有り得ない。何日も前から購入済み。玄関のスリッパ入れの中にある。帰りに渡すつもりだ」
「何故にスリッパ入れですか?」
「引越しの時に母さんに貰ったけど使ってないから小物入れにしてる。それに俺の部屋にあると所在不明になる」
「所在不明……あ、なるほど」
「なるほど言うな」


 さてさて再び、一歩、二歩、三歩。はい、到着。


「葵ちゃん、はいこれ。教科書とか濡らさないように気をつけて」


 そういや俺の教科書は番茶色なのが幾つかあるな。勉強していてではなく、朝に時間割りしていて出来たものだけど。


「で、これが作っておいた数学の問題集。しばらくこれやっててくれる? 俺、何か軽く腹に入れてくるから」
「うん。泉の問題集は解りやすくて、私好きだよ」


 そう、それが聞きたくて俺は先日せっせと夜なべしたんだよ、葵ちゃん。


「じゃ、ちょっと行ってくる」


 たぶん十問目あたりから難しいと思うから、それまでに戻ってこないとな。
 昨夕スーパーで買ったロールパン、苺ジャム、チーズ等見切り品のオンパレードをテーブルに並べ、牛乳をグラスに……と思うも、洗ってあるのがもう無いので湯飲みで代用する。
 さて、用意は出来た。


「いただきま――何でお前まで来てるんだ?」


 いつの間にやら、俺の向かいの椅子に座っていた美月。一緒に朝食を食べに来たわけでもないだろうに。
 というか、その前に椅子に座れたのか。壁は通過出来るのに。ああでも、タクシーに乗る幽霊の話があったっけ。なるほど、椅子はアリなのか。


「葵さんが真剣モードに入ってしまい、いわゆる手持ち無沙汰になりました」
「俺の作る問題は捻ってあるのが多いからな」
「泉さんの性格が反映されているというわけですか」
「……褒め言葉として受け取っておく」


 パンとジャムが三対一の割合になるぐらい塗りたくり、ふた口で胃に収める。チーズは三つをひと口で。そして牛乳を一気飲みで締め括る。
 ゴミは分別してそれぞれのゴミ箱に。湯飲みは……まあそのうち洗うとして、今はとりあえずシンクの隅にでも置いておこう。
 小学生張りに黒マジックで『台拭き』と書いてある布巾を取り出し、軽く水を含ませる。テーブルの両端を行ったり来たりする布巾を、美月が猫のように目で追う様が、ちょっと笑えた。


「ところで何で葵さんの家じゃなく、泉さんの家で家庭教師なんですか?」
「葵ちゃんが、俺ん家の方が勉強がはかどるって言うから、そうしてる」
「あー、確かにここってそれ以外することが無さそうな環境ですよね」
「テレビも公共放送しか入らないしな。あっはっは」
「それはもう、まさしくですね。あっはっは」
「てめー、今度の不燃物に出すぞコラ」
「怒るくらいなら自嘲しないで下さい」
「悪いな。日頃の行いのせいで、お前が言うと軽口に聞こえなかった」
「それは本気でしたから」
「やっぱりそこのゴミ袋に入れ」


 テーブルを一通り拭き、布巾はとりあえずシンクの隅にでも置い……食器の隙間に詰め込んで、と。
 後片付け(?)を終えて、葵ちゃんの集中を妨げないように先生席に着席。丁度十問目を始めたところのようだ。ふう、間に合った。
 「これ、難しい」と予想通り十問目に手こずる葵ちゃん。
 「これはこの公式を……」とスマートに先生する俺。
 色々ごたごたしたが、ようやくいつもの風景に戻りつつある。
 と思っていた矢先、


「そういえば幽霊って不燃物なんですかね」


 またもや、いつの間にやら俺の横に座っていた美月が邪魔に入ってきた。
 そりゃあ俺がいなければ台所に用なんてないだろうし、座布団三つ横に並べたのは俺だし、こうなるのは当たり前なんだが正直超不満だ。
 ところで葵ちゃんに気を使って小声なのはいいが、そういう誰かに気を使うという概念を持ち得ながら、その誰かに俺が含まれていないのは何故なんだ美月。


「ね、泉さん?」


 無視。俺はもう突っ込まないぞ。


「む。知らんふりですか。泉さんのオタンコナス」


 無視無視。


「あ、茄子の漬物食べたい」
「茄子じゃないしそれ以前に幽霊は食えんっ!」


 ……しまった。


頓馬とんまと間抜けは意味わかるけど、オタンコナスって謎」


 満を持して葵ちゃんが参戦。
 なんだ。美月の小声も聞こえていたんじゃないか。俺だけが邪魔をしたわけじゃなかったんだな。良かった良かった。……余計駄目だっての。ごめん、葵ちゃん。


「葵さん、私は頓馬もわかりません」
「頓馬のとんは鈍いこと。はのろまなことらしいよ」


 美月に丁寧に回答する、心の広い葵ちゃん。


「へえー。あ、じゃあ……」


 美月の繰り出す、この先役立つとは到底思えない質問に、


「あー、それは……」


 律儀に答える葵ちゃん。
 繰り返すこと十数回。内、真中に位置する俺へのアイコンタクト、0回。
 俺は机? 俺を挟んで二者面談?


「葵さん、他にも聞きたいことが……」


 まだやるかっ!


「えっと、それは……」


 はぁ。
 幸せが逃げるとも溜め息をつかずにいられない。


「なるほど、さすが葵さんですね」


 本日この教室は、葵先生による美月のための個人授業に変更らしい。
 用無しの泉先生は洗い物でもするのがお似合いと悟り、俺は机役を降りて食器洗い機役をやるべく席を立った。



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