受験戦争

清水レモン

【途中経過】

 この話の続きを書いてあるけれど、どれだったでしょうか。
 自分で自分を把握しきれていません。そのくせ自分の頭の中では、物語は展開され続けていて、ある意味では完結しています。このまま感覚的には達成してしまいそうなくらい、すでに私は勘違いをしているところなのですよ。
 小説は自由でいい、のかな。いまいちピンときませんが、そもそもの文才の有無を思えば、これはこれで精一杯な気がします。残念でもありつつ、正直なところ嬉しく思っています。無からの一歩は実現しているからです。読みたいと思う本はたくさんありますし、いままで読んだ本だって相当数だと思います。では、いま、もっとも読みたいと思うような本とはなんでしょう。さらに一歩、気持ちを深入りさせてみれば、読んでほしいなと思える本。
 誰に?

 あのひとに。

 あのひとに伝えたい。
 だからなんていうかその、市販されていないんですよね…だから書こうとしているのかも。ていうか、それです。読みたいものを書く、書くには書くけど書けないので諦めかけるのだけれども挑まずにいられなくて、もがき、あがいて、試行錯誤。

 その、なれのはてがコチラやもです。

 
 先日とてもとても久しぶりに姉と話しました。会うことはあっても挨拶以上に言葉を交わすのが難しくなっていて、それに親戚やらの集まりだと、おりいった話って、したくないじゃないですか? そんなことって、ありません?
 ないか。
 私が気にし過ぎるんだろうな。冷静に考えれば、ずけずけと質問されたり、偏見まみれで押し切られたり、好き勝手な妄想を爆走させてくる大人たちもいますからね。反面教師的に自分は個人的感情な会話に慎重になっただけかもしれませぬ。それならそれでいいや。

 ぽえむ書くタイプというのは幼少期からなので一族内では知れておりますが小説となると事情が変わってしまうのですよ。秘密にはしておりませぬが公表しているわけではありませぬ。こっそり、ってほどでもないかな。本名とペンネームが結びつきにくいと思うので、気づかれることはないでしょう。けれども音楽やってた思春期まっただなか若かりし頃の何かを記憶の底から呼び起こされることがあったとしたら、あれ、そういえば、ってなる可能性はあるでしょうけど。けど。
 そこまで興味、持たれてないだろうさ。

 家族内で意見の相違による議論が起きるたびに、父が言うのですよ「おまえ、それ本にしてみたらどうだ。売れるぞ」と。は?
 まあ世代的に時代的に『人生の波乱万丈は物語にできる』という発想が日常レベルであるかたたちなので、なにかがあると『積木くずし』あるいは『ビリギャル』を持ち出してこられるのですが、いやあの、ね、ベストセラーには内容以上にすごいものがすごくあってですね、はっきり申しあげて我が家のあれやこれやはその域に達していないどころか足もとにも及ばないのではと感じてしまうのです。
 小学校では作文が苦手でしたが、そんな国語の作文を克服するために『文通してみたら?』とすすめられて見事に文通にハマったことがあります。小学校三年生のときが最初なので、その当初は父の姉たちから、
 「これ使って」
 「これなんてどう?」
 と、便箋、封筒、切手、さらには万年筆まで頂いてしまった経緯がこざいます。いま、その頃のことを思い出しても感謝しかございません。あの頃の経験も、頂いた紙類や使いかたといいますか処方箋みたいなアレコレは私にとってかけがえのない財産になっているのですよ。
 形あるモノの多くは両親による『年に一度の大号令』の名のもとに焼却処分にあってしまいましたが、経験・体験・感動はいまでも胸の奥に灯り続けています。

 口に出して言ったほうが実現する。
 その考え方、とても好きです。最近とくに、その傾向が強まっている気がします。誉められたほうが伸びるとか、誉めて育てるとか、そういうのも好き。
 けどね?
 私は信じられないのですよ、結局なんていうのかな余程の信頼が築かれていない限り、口に出してしまったがために必要以上に迫害され阻害され抹殺されるという経験がありますので。大切なら胸の奥にしまっておこう、なにがなんでも私は私を守りぬく、そういう決意と覚悟は時代の変遷をもってしても書き換えられません。
 あかの他人にならわかりますし諦めもつくし、しゃあねえなって言えるのですよ?
 けれども、夢を滅ぼすのは肉親でしょ?
 そこんとこ、勘違いしてはなりませぬ。
 なんだかんだで期待されているのだとしたら、自分が自分らしくふるまえばふるまうほど、身内からの敵意が強まりますからね。
 ただ生きているだけでも、「からだ、やらしい」と言いがかりつけられますし、仲よく手を繋いで安全に行動しているだけだって「おまえたちもうやったのか、ん、どうなんだえ」と言い寄られてしまったことがあります。私たちが油断したからでしょうか。いいえ、大人は子供に容赦なんてしてくれませぬ。

 子供が大人になるのにもっとも重要なこと、それは「生き残ること」です。
 生き残ることができた子供たちだけが大人の階段を登れます。

 善意と愛情のもとで、あなたは命を削られたことがありませんか?
 私は時代を越えてもなお、せめてもの救いの手として、かつての自分に、あのひとに、言葉で応援を送ることにしています。
 大丈夫です、安心してください。
 あなたは、生き残るために最善を尽くし続ければそれでいい。小さな一歩も、よどみながらの退却も、なにもかもをひっくるめて、生き残って見せてください。

 展望台の階段を登ることができるのは、悪意や敵意を潜り抜けて生存を勝ち取ることができたものだけです。さあ、風に吹かれましょう。潮の香りがわからなくても、紫外線を肌で感じ取れないとしても、一段また一段さらに一段と昇るたびに心の奥で勝ち誇ってくださいませ。

 受験戦争という言葉が日常的に語られていた時代には、交通戦争という言葉もありました。命が喪われるのは、一瞬です。ほんとうに、え、うそ、なぜ、いまの、え?…です。
 理由なんて教えてもらえませんし、挨拶なんて交わしてくれません。
 結果のみが、そこにあります。

 
 もう絶対に、奪わせるものか。
 もう知っています。どうすれば守れるのか。
 時代の最先端で科学や医学が、とても素敵なはっ大丈夫つを見せてくれています。何度も救われたことがあります。でもだからこそ、私は隠し通しながら守るスタイルで進むことにします。
 
 「アカウントなくても読めたよ」と姉が言うと、
 「アカウント…作ったほうがポイント入るんじゃないのかな」と義兄が言う。
 「なにそれそうしないとランキングあがんないの?」
 「なあ?」
 そう言われて初めて気づいたのですよ、『ああ、そうか、そうか、そうか。一位を目指したいけれど別にいいんだった。読んでほしい人がいて、そのひとが扉をあけてページをめくるように文章を見てくれたなら。それでいいんだ』と思うに至りました。
 観念的には理解しているつもりでしたが、究極のところ感情も理性も納得していなかったのです。
 書いたら認められたい。
 出したらランキングに載りたい。
 目指せナンバーワン。
 そういう気持ちが、いつも心の崖っぷちに漂っていました。
 そっか、別になくてもよかったんだ。

 あらためて思いました。おれは運がいい。本当に運がいい。ちゃんと生きて呼吸して自覚して意識が正常な状態で、反応を得られたのですから。

 
 必ず書ききってみせるよ。ムリかもしんないけど。
 
 

 

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