致し方ないので、上司お持ち帰りしました

柚月しずく

23 絶望に追い込まれる



 真白さんと向き合えないまま、また数日が過ぎた。定時に仕事を終えて会社を出た時だった。見覚えのある人影に足が止まる。
 
 楓くんだ。元カレの楓くんが会社の前で待ち伏せをしていたのだ。以前住んでいたアパートは引き払ってある。アパートでいくら待ち伏せをしても私が現れないので、会社まできたのかもしれない。

 悪寒が全身を伝う。恐怖が押し寄せてきた。

 人目が多いオフィス街。さすがに会社まで来るとは思っていなかった。慌ててスマホを手に取り、通話ボタンを押していた。

「もしもし、」

 無我夢中で電話をかけた相手は真白さんだ。優しい声ではなく、どこか冷たい声にハッと我に返った。頭で考えるよりも先に勝手に真白さんに電話をかけていた。心底真白さんに甘えている証拠だ。「真白さん。元カレの楓くんが会社前で待ち伏せをしていて、助けてください」そう言おうと思ったのに、言葉がでてこない。真白さんに避けられていることを思い出したからだ。

 迷惑をかけて、これ以上嫌われたくない。

「もしもし? 泉さん?」
「ご、ごめんなさい。なんでもないです」

 一方的に告げて返事を聞かずに通話を切った。
 当たり前のように真白さんに頼ろうとしていた。甘えすぎていたんだ。

 通話を切って顔をあげると、私に気づいた楓くんと目が合った。

 ニヤリと人の悪い笑みを浮かべて、ゆっくりと向かってくる。

「久しぶり」
「……」

 嘘っぽい微笑みを浮かべて声をかけてきた。返事はせずにキッと睨みつけた。話したくもなかったからだ。

「ちょっと、話さない?」
「話なんてないよ。詐欺師と話すことなんてない」
「詐欺師?! 人聞きの悪いこと言わないでよ? 俺は彼氏でしょ?」
「何言ってんの? お金のために近づいてきたことくらいわかってるんだから!」

 頓珍漢なことを言うので、思わず声を荒げた。
 正気か? お金をせびる男を彼氏だと思うほど、私の頭はお花畑ではない。

 軽蔑する眼差しを向けても、動揺1つ見せずに口角を上げてニヤリと不気味に笑った。


「そんな大声出して大丈夫? ここ会社の前っしょ? 会社の前で男と言い合いしていたら、変な噂立てられるよ?」
「……」

 どこまで意地悪いのだろう。お金のためだったとはいえ、半年ほど男女の付き合いをしていた。私の周りを気にする私の性格を把握した上で言っている。

「ほら。行くぞ」

 腕を掴まれた瞬間にぞわっと悪寒が走った。楓くんに触られることを身体が拒否しているのが分かった。

「やめて!」

 掴まれた腕を払いよけて、強い口調で言い放った。強気に払いよけたので、彼は驚いているようだった。今まで楓くんに対して、こんな態度をとったことはないからだ。

「は、なんなの? その態度」
「やめて。もう楓くんとは関わりたくない」
「俺だって関わりたくねーよ。だったら半年分の金よこせよ」
「は?」
「今までデートしてやった分時給としてよこせよ。オプションでキスや性行為までしてやったんだ。50万よこせよ」

 言っていることが無茶苦茶だった。筋がまるで通っていない。

「年増の女相手にしてやったんだから、それくらいが妥当だろ?」

 私たちの横を通り過ぎる人たちは、横目で見ながらひそひそと話始める。好奇な視線に囲まれるのも、これ以上罵倒されるのも。うんざりだった。消えてしまいたい。

「おらっ! 行くぞ!」

 再び腕を掴まれた。鳥肌が全身に回る。今すぐ手を放してほしい。掴まれた手を振り払いたい。だけど、そんな気力も失われていた。楓くんに意見をすれば、その倍の言葉で返ってくる。手を振りほどいても、何度も掴まれるだろう

 そう思い諦めていた。されるがまま腕を引かれて歩いていく。

 もうダメかもしれない。
 そう諦めた瞬間。
 掴まれた腕が私の力ではないモノによって振りほどかれた。

「あ?」
「はあ、はあ、」

 喧嘩腰の楓くんの声とともに、荒い息ずかいが聞こえてきた。息を大きく吐いては吸って。肩を上下に揺らしていた。


「真白さん?」

 苦しそうに息をする姿を見て、走ってきてくれたことがすぐに分かった。

「窓から、泉さんの姿が見えて……っはあ、急いで走ってきた。だ、大丈夫?」
「……はい」

 荒れた息を整えると、楓くんに向き直した。
 長身な真白さんが背筋を伸ばすと、小柄な楓くんとの身長差が際立つ。楓くんは少したじろいだように見えた。

「君が元カレの楓くん?」
「はあ? 関係ないやつが出てくんなよ」
「残念ながら関係はあるんだ。泉さんと付き合っているから」
「は? こんな魅力のカケラもない女と付き合ってんの? うわーはずれくじ引いたな?」

 楓くんは、まるで挑発するような口調で嫌味ったらしく言い捨てた。真白さんは怯むことなく淡々と言葉を放つ。

「なるべく穏便に済ませたい。ご用件を聞いてもいいかな?」
「穏便にねー?」
「君の要求に沿えるように努めるよ」

 

「ま、真白さん、」

 真白さんを止めようと服の袖を引っ張った。「要求に沿えるように努める」なんて言ってしまったら、楓くんは調子に乗ってお金を請求してくるに違いない。危惧して止めようとすると、私の耳元に顔を寄せて「任せて」そう囁いた。

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