致し方ないので、上司お持ち帰りしました

柚月しずく

19 向けられる毒牙




「真実をはっきりさせようか」


 不穏な空気の中、声をあげたのは真白さんだ。彼の声が耳に届いた途端。泣きたくなってきた。

「……」
「この件でなにか知っている人いたら教えてくれる? 悪いけど、秋月さんには前科があるから。すぐに信じられない」

 淡々と言い放った言葉に、他の社員はざわざわし始める。「前科って?」「秋月さん、なにかしたのかな?」あちこちから不穏な声が聞こえてきた。おそらくその声が聞こえたのだろう。秋月さんは気まずそうに顔を伏せた。


「……」
「……」


 真白さんが醸し出す雰囲気に、空気が一気にピリついた。

 誰も反応を見せない中、再び真白さんが口を開いた。


「三上。何か知ってるんじゃないのか?」


 真白さんが声をかけたのは、三上くんだった。
 彼は入社二年目で秋月さんの同期だ。そして、2人はデスクが隣同士だった。

「あー。えっと、」

 三上くんは、気まずそうな声をあげて、明らかに目が泳いでいる。


「ずっと挙動不審だったぞ? 何か知っているなら教えてくれないか?」


「……えっと。俺見ました。泉さんが秋月さんに仕事割り振ってるところ。急ぎって頼まれたのに、手をつけようとしないから、気になっていたんですけど……言うのは告げ口みたいで気まずくて」

 観念したようにゆっくり話し出した。そんな彼を秋月さんはギロリと睨みつける。

 秋月さんの謀略にまんまと乗せられるところだった。三上くんが証言してくれて、心底ホッとしていた。

 三上くんの様子が変だったことに、全く気づけなかった。また真白さんに助けられた。


「どういうことか説明してくれる? 秋月さん」
「そ、それは……」

 証拠を叩きつけられても、自分の罪を認めない秋月さんに怒りを覚えた。

 いつもなら言い返さないが、今日ばかりはどうしても許せない。秋月さんに向き合って言葉を投げる。

「秋月さん。仕事はしっかりしてくれると信じてたよ」
「……」
「私が頼んだから、嘘をついたの? こういうことがあると、今後の仕事に影響がでてしまうから困るよ」

 怒鳴りつけたい衝動を抑え込んで、冷静に淡々と述べた。ここは職場だ。感情的になっても仕方ない。私が取り乱すことなく、冷静に言い放った態度が気に食わなかったのか、キっと鋭い視線を向けられる。

「なんで。そうなんですか?!」
「え、」
「なんでいっつも泉さんはそうなんですか? むかつくならそう言えばいいじゃん。なんでいつも優等生ぶっているの? なんで、泉さんなんですか? だって、泉さんより絶対私の方が可愛い! 年だって若いし、みんな私を選びますよ!」

 秋月さんの怒りの矛先が、いつの間にか私から真白さんへと変わっていた。怒鳴り声に近いヒステリックな声が響き渡る。

「どうしても納得いかないんです! なんで真白さんが選んだ人が泉さんなんだろうって。特別美人でもかわいくもないくせに」

 仕事の話はいつのまにかどこかへ消えていた。秋月さんは真白さんへの未練を怒りに任せて言葉に乗せる。

 
 秋月さんは、私への嫌悪感を言葉に乗せる。分かってはいたけど、悪意が込められた言葉はナイフに突き刺されたように痛い。凶器のような鋭い視線で睨まれて痛みがさらに加速する。
 
 言い返そうと口を開きかけた時。
 目を真っ赤にさせて唇を噛み締めている彼女の姿が目に入った。

 秋月さんの悲痛の叫びに、言い返すことができなかった。今度の涙は本物だとわかったからだ。

 真白さんと私は本当のところは、付き合っていない。嘘をついている罪悪感から、言い返す権利がないと思った。
 私の代わりに言葉を発したのは真白さんだ。低い声が降り注ぐ。
 
「今回の件は、故意にやったって認めるってこと?」
「そうですよ? だって、泉さんと真白さんは釣り合わない! 自然と排除してあげようとしたんです!」

 興奮した秋月さんは、自分の過ちを自白してくれた。さっきまで彼女の味方をしていた社員たちは気まずそうな表情を浮かべる。

 
「認めるんだね。さっきから、泉さんに対して言っている言葉だけど。泉さんが傷ついてるのは分からない?」
「だって本当のことだもん。私が早く真白さんにアプローチをかけていたら、こんなことにはならなかったのに」

 自信満々にいってのけるので、本気で言っているようだ。きっと彼女はまだ自分が真白さんと付き合えると思っている。ここまで自己肯定感が高いと恐怖すらも感じる。
 
「はあ。話通じないな。今回、君の自己中心的な感情のせいで、お客様に迷惑がかかるところだったんだ。会社にとっても損害になりかねない。自分のしたことの重大さ理解できる?」
「わ、私は、ただ。泉さんがいなくなればいいのにって。ミスした責任を取らされて、この部署からいなくなれば……って。真白さん、本当に私じゃだめですか?」

 秋月さんは盲目状態なのか、他の社員もいるのを忘れて真白さんの腕にしがみついた。涙を潤ませた瞳で真白さんをじっと見つめる。真白さんは、彼女の瞳を見ることなく、触れられると瞬時に腕を払った。

「腕を掴む必要ある?」

 言い放った声は、その場が凍ってしまうほど冷たい声だった。さすがの秋月さんも動揺したようで、消え入りそうな声で「すみません」そう呟いた。
 
 
「まず、人の話を聞こうか。人の意見を取り入れないと。ここは学校じゃないんだ。君の希望通りにすべてが進むわけじゃない」
「だって、今までの男は誰だって私を好きになったんだから。真白さんは私の魅力を知らないだけで……」
 

 震えた声で秋月さんは言い返した。いくら冷たい態度をとられても負けない。彼女の精神力が異常に高いことだけはわかった。
 
「はあ。……仕事に色恋沙汰を持ち込むな!」
「……」

 真白さんはあきれたようにため息を吐いて、語気を強めて言い放った。あまりにも冷めた口ぶりだったので、あれほど騒いでいた秋月さんも黙り込む。

 
「もし仮に、泉さんがいなくなったとしても。俺が秋月さんを好きになることは絶対にないよ」
「……え」
「今までも、これからも。絶対に秋月さんを好きになることはない」

 はっきりと吐き捨てた言葉に、秋月さんは言葉を失っている。
 
「前回は俺の中でとどめておいたけど。今回は仕事まで影響が出てる。それに泉さんを傷つけたことも許すことはできない。この件はしっかり報告させてもらう。それなりの処罰があると思っていて」
「そんな……」
「今は上司だから感情を押し殺してこうして話しているけど。今、俺は怒っているから」

 叩きつけるように言い放つ。その言葉には怒りが感じられた。さすがの秋月さんも口を噤んだ。

 あちこちから、ヒソヒソと秋月さんを批判するような声が交わされる。その空気に耐えきれなくなったのか、涙目になりながら、走って飛び出して行った。

 誰も追いかけるものはいない。いつも秋月さんをちやほやと持ち上げていた男性社員も、今回ばかりは追いかける者はいなかった。
 

 よどんだ空気を変えるように、真白さんはパンっと両手を叩いた。その音に周囲のみんなは顔を上げた。

 
「急いで、書類をつくろう。分担すれば午後一に間に合うかもしれない」

 不穏な空気がガラリと変わった。みんな仕事モードに切り替わる。


「私も手伝います」
「お、俺も」

 騒動を見ていた社員たちは、みんな協力をしてくれた。真白さんは瞬時に的確に割り振りを行い、なんとか無事間に合うことができた。

 エリートと呼ばれるだけあって、真白さんは仕事ができる。


 なんとか、お客様に影響が出ずに事なきを得た。
 
「みなさん、ご迷惑おかけしました」

 営業部内に響き渡るように声を張って頭を下げた。
 秋月さんが仕組んだこととはいえ、私も関係者だ。迷惑をかけてしまったことには変わりはない。

「大丈夫だよ。疑って……ごめんなさい」
「事情知らなくてごめんね、」

 頭を下げ続ける私に優しい言葉が降ってきた。みんなの優しさに泣きそうになる。仕事に支障が出なくて本当によかった。


 そしてなにより。真白さんが、私を信じてくれてよかった。彼が秋月さんではなく、私の味方をしてくれたことが心底嬉しい。

 ちらりと真白さんに視線を向けると優しい笑みを浮かべていた。なぜか泣きたくなった。

 真白さんには、助けてもらってばかりだ。彼のかけてくれた言葉を思い出すと、心からじんわりと幸せが溢れ出てしまうのだ。

 収まることを知らない胸の高鳴りは、もう、認めざる負えない。

 もう、とっくに自覚していた。
 見て見ぬ振りをしていたんんだ。自分の気持ちを。

 だけど、もう隠せそうにない。
 私、真白さんが好きなんだ。


「敵わない恋だと分かっているのに、なんで好きになっちゃったんだろ」

 真白さんは、私に恋愛感情なんて抱かない。
 叶うことのない恋なのに。

 好きだと自覚すると同時に、幸せな未来が見えなくて。なんだか泣きそうになった。
 
 

 

 そして、その日は。秋月さんは戻ってくることはなかった。

 その後、秋月さんは営業部から移動になった。あの騒ぎ以降気まずくなった秋月さんは、自ら異動を申し出たと、のちに、風の噂で耳にした。
 
 

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