致し方ないので、上司お持ち帰りしました

柚月しずく

18 罠にかかる



 
 この日は案件が重なり、営業部内全体が忙しさに包まれ殺伐とした空気が漂っていた。


「泉さん、悪いんだけど。午後一、お客様のところに訪問することになってさー。この資料まとめといてくれる?」
「午後一ですか?!」

 営業の山田さんに、無茶ぶりともいえる仕事を頼まれた。

「忙しいところ、本当に申し訳ない! これから、他のお客様のところにいかないといけなくてさ。泉さんが無理な場合、他の人に割り振ってもらえる? 13時までに共有フォルダに入れといて。本当ごめんね」

 手を合わせて申し訳なさげにいうので、頼まれた仕事を断ることはできなかった。渋々引き受けたはいいが、私も急ぎの仕事で手がいっぱいだった。他の社員に頼まなければならない。

 仕事状況を確認して判断すると、今手が空いているのは秋月さんだけだった。あまり頼みたくない相手ではあったが、仕事なのだから仕方がない。
 

「秋月さん、急ぎの仕事入っている? 急ぎがなければ、この資料をまとめてほしいの。山田さんが午後イチで使うから、13時までにお願いしたい急ぎなんだけど……」
「……」

 秋月さんは無言のままゆっくり振り向いた。

「分かりました。やっておきますね」
「ありがとう。13時までに必要だから。お昼休憩より前に終わらせてもらえると助かる。共有ファイルに入れる前に、見せてくれる? 一応確認したいから」
「はーい」


 秋月さんと仲はこじれたままだったが、仕事のことは別だと思った。入社2年目の彼女は、もう新人ではない。ある程度1人で仕事をこなせるし、仕事面に関しては信頼している。
 
 秋月さんに頼んだのは簡単な資料作成だった。入社二年目の秋月さんなら、余裕でこなせる仕事。休憩をとる暇も惜しいくらいに仕事が切迫していたので、こちらから進捗状況を確認する時間はなかった。秋月さんからヘルプの声が上がらないということは、問題が起きていないのだと。そう思い込んでいた。


「泉さん。……終わりました。お昼行きますね」
「え、あ、ありがとう。共有ファイルにいれてくれた?」
「……」

 確認したくて共有ファイルの有無を聞いたのだが、なぜか黙り込む。不審に感じて問い詰めようと口を開いた時だった。

 
「泉さーん。外線でお電話です。中丸食品株式会社の佐藤専務です」
「はーい」

 口を開く寸前に電話が来てしまった。よりにもよって取引先の佐藤専務だ。

「あ、秋月さんごめん。ちょっと待っていてくれる?」
「……お疲れ様でした」
「あ、ちょっと!」

 秋月さんは足早に席から離れていった。取引先の佐藤専務を待たせるわけにもいかず、秋月さんを追いかけることはできなかった。仕方なく秋月さんのことは諦めて電話に出た。

 思った以上に佐藤専務との電話が長引いてしまった。やっと終わった頃には疲労を感じてげんなりだ。

 ため込んでいた急ぎの仕事が片付いて、トイレに席を外していた。部署に戻るとなにやら不穏な雰囲気が漂っている。


「あ、きた! 泉さん! 午後イチで使うってお願いしたよね?」
「え! あれ。共有フォルダに……」

 不穏な雰囲気に、嫌な予感が背筋を走った。慌てて共有フォルダを確認する。
 クリックして開くと、フォルダの中はまっさらだった。秋月さんが終わったと言ったはずの資料が見当たらない。

「え、なんで……! 秋月さん?!」

 真っ先に秋月さんに向けて言葉を投げた。声が届いた秋月さんは肩を震わせて怯えた様子で、他の社員の間をかいくぐり現れた。

「な、なんですか?」
「『なんですか?』じゃないよ! 私、秋月さんにお願いしたよね? 午後イチで山田さんが使うから急ぎでって」
「え。言われてませんけど……」

 頭を小刻みに左右に振って、さも初めて聞いたかのような反応を見せる。

「はあ?! だって、お昼休憩行く前に、『終わりました』って言ってたじゃん。その資料はどこ?」

 思わず声を荒げてしまった。確かに秋月さんに仕事を割り振った。本人も了承をしたのだ。目の前の彼女の反応が理解できない。なぜそんな嘘をつくのか。

「え、分からないです。ごめんなさいっ。……泉さん、私なにかしましたか?」

 怯えたように瞳に涙を潤ませて、か細い声で搾り上げたような声を出した。
 この時点で、やられた!と思った。
 秋月さんは、わざと資料を作らなかったんだ。私を陥れるために。瞬時にこの状況を理解できた。

 だけど、真実を理解できたのは私だけだ。資料を必要としている山田さんも。他の社員も。嫌悪感を乗せた視線を私に向けている。

 
「わたしが、悪いんです……きっと。泉さんがそう言うんだから。私が悪いんです」
「ちょっと、泣くのは違うでしょ」

 「どうせその涙も演技でしょ!」そう吐き捨てたかったが、喉まで出かかった言葉は、残されたわずかな理性で飲み込んだ。秋月さんのペースにはまってはだめだ。また悪者扱いされてしまう。
 
「泉さん。秋月さんから聞いたよ?」
「え、なにをですか?」

 営業の山田さんが嫌悪感たっぷりな視線を向けてくる。秋月さんになにか吹き込まれたのだろう。瞬時に察した。

「以前から相談されてたんだけど……たまにこういうことあるんだって? 頼まれてもいない仕事のことで難癖つけたり」
「は?! そんなことしたことないですけど!」
「秋月さんが、こんな嘘を言う意味ないだろ」

 山田さんの口ぶりだと以前から相談に乗っていたらしい。大人しいと思っていた秋月さんは水面下で、私を陥れようと動いていたのだ。
 
 だめだ。山田さんは秋月さんの言うことを信じ切っている。無理もない。以前から相談を受けて、目の前で同じことが起きているのだから。

 山田さん以外の社員も、きっと秋月さんの味方だ。いじめられた子猫のように、華奢な身体を震わせて泣いているのだから。誰が見ても悪者は私だ。

 凍り付いたような冷たい空気が流れる。向けられる冷たい視線から感じるのは、この場にいる全員。私が悪いと思っているということ。この場にいる全員が泣いている秋月さんの味方をしているということ。

 本当は違うのに。
 秋月さんの話と、真実は違う! 真実を述べたいのに、この場の雰囲気がそれを許してくれそうにない。

 たとえ真実を伝えたとして。誰が信じてくれるだろうか。
 泣き崩れて謝罪する秋月さんと、何も言えず黙り込む私。
 私が悪者にされる条件は見事に整っていた。

 
 確かに私は秋月さんに頼んだ。彼女も了承したのを確認したのだ。
 秋月さんは性格に難があっても、仕事はしっかりとこなしていた。だから、こんな仕打ちをされるとは思っていなかった。仕組まれていたものならば、私にはどうすることもできない。忙しいことを理由に途中で確認を怠った私にも非があることは確かだ。ここで謝ったほうがいいのかもしれない。

 不穏な空気が後押しをしてくる。謝りたくはない。だけど、謝らなければいけない空気が出来上がてしまっている。
 



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